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【京都】西郷隆盛の長男・西郷菊次郎の宿舎特定、京都の寺院「聖護院門跡」…市長時代当時の電話帳を研究家確認
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0001樽悶 ★
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2018/11/07(水) 23:27:40.96ID:CAP_USER9
西郷菊次郎の宿舎があった聖護院門跡(京都市左京区で)
https://www.yomiuri.co.jp/photo/20181107/20181107-OYS1I50014-L.jpg
西郷菊次郎(京都市上下水道局提供)
https://www.yomiuri.co.jp/photo/20181107/20181107-OYS1I50015-L.jpg
聖護院門跡
https://www.yomiuri.co.jp/photo/20181107/20181107-OYS1I50016-L.jpg

 西郷隆盛の長男で、京都市長として都市基盤づくりに尽力した西郷菊次郎(1861〜1928年)が住んだ宿舎が、同市左京区の寺院「聖護院(しょうごいん)門跡」内にあったことを示す当時の資料を、歴史研究家の原田良子さん(51)(京都市)が確認した。

 原田さんによると、菊次郎の宿舎は当時の「京都府職員録」などに「上京区聖護院町」と記されている。ただ、番地などの詳細は載っておらず、地名としての「聖護院町」なのか、寺院内を指しているのかが判然としていなかった。

 原田さんは、職員録に「電一〇四番」とあるのに着目。昨秋、京都府の歴史資料館「京都学・歴彩館」(京都市)が保管していた1908年(明治41年)の電話帳「京都電話番号連合広告簿」を探し当て、「聖護院町聖護院内京都市長宅西郷菊次郎」との記載があるのを見つけた。研究結果は9月、経緯を西郷南洲顕彰会(鹿児島市)の機関誌「敬天愛人」に発表した。

 菊次郎は、西郷が幕府の目を逃れるために潜んだ奄美大島で、2番目の妻の愛加那との間に生まれた。9歳で鹿児島の西郷家に引き取られ、米国留学を経て西南戦争に薩軍として参戦。右足に銃弾を受けて切断した。

 外務省や台湾総督府などを経て、1904年(明治37年)10月から約6年9か月間、2代目の京都市長を務めた。京都に水を供給する「第二琵琶湖疏水(そすい)」の築造や道路拡幅、市電整備を主導して都市基盤づくりを進めた。放映中のNHK大河ドラマ「西郷どん」では、西田敏行さんが菊次郎役として登場している。

 聖護院門跡周辺は、現在も1897年(明治30年)開学の京都大がある文教地区として知られる。元小学校教員で、西郷にまつわる歴史を研究している原田さんは「当時の菊次郎の暮らしぶりの一端が垣間見える。子どもの教育のため、この地を選んだのではないか」と推測する。近くには義足の業者もあったという。

 西郷隆盛のひ孫で菊次郎の孫、西郷隆文さん(70)(日置市)は、「母から『菊次郎さんは聖護院の中に住んでいた』と聞いたことはあったが、今回の研究で確信できた」と喜ぶ。原口泉・志学館大教授(日本近世・近代史)は「聖護院は皇族との関係も深く、宿舎としてはふさわしい」と話している。

◆聖護院門跡

 天台宗の流れをくむ本山修験宗(ほんざんしゅげんしゅう)の総本山。山岳修行を行う山伏(修験道)の寺で、出家した皇族が代々住職を務めたことでも知られる。江戸時代には御所の火災に伴い、皇居としても使用されたことから、「聖護院旧仮皇居」として国の史跡に指定されている。

読売新聞 2018年11月07日
https://www.yomiuri.co.jp/kyushu/culture/history/20181107-OYS1T50051.html
0003名無しさん@1周年
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2018/11/07(水) 23:29:11.57ID:NM5FQCTy0
そんな当時に電話が!
0005名無しさん@1周年
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2018/11/07(水) 23:30:11.54ID:KQVUSNGF0
 
>>5-15

【同和部落】大阪民国

『平成5年度同和地区実態把握等調査―地区概況調査報告書―』

兵庫県 341地区 206105人
京都府 142地区 61140人
和歌山 104地区 67554人
奈良県 82地区  58059人
滋賀県 64地区 40493人 
大阪府 48地区 100092人

ー総務庁地域改善対策室ー(1995年刊。1993年調査)
 

【全国 部落地名総鑑】 

https://justpaste.it/tdxm

https://xn--dkrxs6lh1g.com

   
0006名無しさん@1周年
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2018/11/07(水) 23:30:19.02ID:f4muoAj60
王政復古(大日本帝国、誕生)

鳥羽・伏見

江戸城、無血開場(旧勢力に勝利する)

戊辰戦争・函館戦争

佐賀・萩の乱

西南戦争(在の侍の駆逐完了)

日清戦争

日露戦争(侍がやった最後の戦争)

大東亜戦争(大日本帝国、暴走して滅亡)
0008名無しさん@1周年
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2018/11/07(水) 23:33:41.06ID:hHVOZV7D0
顔見たらなんとなく似てる気がするな
西南戦争に参加した人間が復権してるんだな、しかも息子が
ひ孫もいたのか
明治は遠いけど近いな
0009名無しさん@1周年
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2018/11/07(水) 23:38:32.34ID:G20Z1CZV0
アメリカ留学⁇
0010名無しさん@1周年
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2018/11/07(水) 23:41:30.08ID:zVFqHyF90
菊次郎とサキ
0012名無しさん@1周年
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2018/11/07(水) 23:52:45.65ID:QyjAcUrK0
聖護院大根
0013名無しさん@1周年
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2018/11/07(水) 23:58:45.30ID:XfVCOjd70
>>12
聖護院にすでに畑は全然ない。
0014名無しさん@1周年
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2018/11/08(木) 00:24:28.48ID:4MOkGcyv0
近くの八ツ橋店が揉めてたな、どうなったんだろう どっちが元祖とか何とか
0015名無しさん@1周年
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2018/11/08(木) 00:25:28.19ID:J2AcsQqO0
西田敏行か
0016名無しさん@1周年
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2018/11/08(木) 00:26:22.18ID:/7H6M0m+0
西郷の子孫とやらで大臣になったのがいたけど、権力を盾に密貿易に手を貸したのがいたよな
0017名無しさん@1周年
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2018/11/08(木) 00:27:17.96ID:9vnQsmVP0
>>16
ロッキードで捕まった大久保の子孫もいたぞ
0018名無しさん@1周年
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2018/11/08(木) 00:30:01.94ID:oA+5modA0
>>15

万延2年 (1861年) 西田敏行と龍一族佐栄志の娘”愛加那”の長子として
西田敏行奄美大島龍郷にて誕生
文久3年(1863年)西田敏行、新撰組拝命(2番組)
同 西田敏行、奇兵隊の創設に高杉晋作らと共に参加する
元治元年(1864年)西田敏行、池田屋襲撃事件を起こす
慶応3年(1867年)西田敏行、西田敏行の息子・小鹿らと共に海外留学
慶応4年(1868年)大総督府下参謀西田敏行と徳川家陸軍総督西田敏行との間で江戸城の開城交渉がまとまる
明治2年(1869年)西田敏行鹿児島市の西郷本家に引き取られる。
明治2年(1869年)西田敏行、西田敏行と共に軍制改革を断行し徴兵制を取り入れる
明治5年(1872年) 西田敏行、12歳にしてアメリカ合衆国に留学。農業学を学ぶ。
明治6年(1873年)西田敏行、政変で下野する
明治10年(1877年)西田敏行、西南戦争を起こし、西田敏行がこれを平定にあたる
西田敏行、西南戦争に従軍。右足を被弾し膝から下を失う。叔父で陸軍中将の西郷従道の元へ投降。
明治22年(1889年)西田敏行、内閣総理大臣に就任
明治25年(1904年)日露戦争勃発。西田敏行は日銀副総裁として英国で戦時外債の公募で戦費を調達する
明治31年(1898年)第2次西田敏行内閣発足
明治37年(1904年) 2代目京都市長に就任。市長室にて父、西田敏行について語る
0019名無しさん@1周年
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2018/11/08(木) 00:34:14.19ID:Uz9CCjYo0
>>18
山河燃ゆ(松パパとの対決)までやってよー
0020名無しさん@1周年
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2018/11/08(木) 00:37:55.54ID:9vnQsmVP0
>>19
西郷菊次郎80キロとか西郷菊次郎が尼さんや猿、借金魔とインドを目指すとかは?
0021名無しさん@1周年
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2018/11/08(木) 00:42:46.39ID:Uz9CCjYo0
>>20
懐かしいな、80キロw
0022名無しさん@1周年
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2018/11/08(木) 00:45:24.44ID:b3saxEXg0
聖護院か。すぐ横に任天堂の山内さんちがあったな。
0023名無しさん@1周年
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2018/11/08(木) 00:58:49.99ID:X2DquTiX0
長男だけど認知されるのが遅かったから次郎
聖護院と言えば八ツ橋
0024名無しさん@1周年
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2018/11/08(木) 01:01:48.50ID:Uz9CCjYo0
二郎
0025名無しさん@1周年
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2018/11/08(木) 01:02:07.70ID:9vnQsmVP0
ビートたけしの親父
0026名無しさん@1周年
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2018/11/08(木) 01:14:53.17ID:KaB5ApxT0
西郷は3回結婚している。昔の日本は一夫多妻で重婚も罪にならないから
奄美大島と薩摩に2人の妻がいた。流刑になった奄美大島の女性の息子。
薩摩の西郷の元にひきとられ12歳でアメリカ留学。
西南戦争で負傷して片足になるが再びアメリカ留学して、台湾や京都の市長になり
下水道や道路建設など公共事業に尽くす。

会津藩の武士の「八重のさくら」にも出てきた会津戦争で戦ったスナイパー八重の兄の
覚馬も盲目で足も悪いのに京都市長になったし、昔の人は海外事情通だと障害者でも
市長になれる。
テロで足を吹っ飛ばされた政治家もいたね。
0027名無しさん@1周年
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2018/11/08(木) 01:30:19.13ID:e0Xwy5Bu0
今の市長の門ナンとかと比べて、まあ野暮は言うまい。
天皇陛下を京都へ、とか宮様を村おこしの客寄せパンダ扱いする国賊と雲泥の差。
0028名無しさん@1周年
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2018/11/08(木) 01:44:02.94ID:KEO/BCnT0
寅太郎は見た目もパッとしない
0030名無しさん@1周年
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2018/11/08(木) 03:55:06.76ID:0QSEJHK00
西郷どんの本妻の子は金がなさすぎて爵位取り上げられてんだよな
大久保も養子に出した次男の方がずっと出世した
0031名無しさん@1周年
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2018/11/08(木) 03:56:55.09ID:KCvoecSz0
吉永小百合、加山雄三なんかも鹿児島のルーツを持つ
0034名無しさん@1周年
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2018/11/08(木) 10:23:58.97ID:Yya9uGe20
今、西郷の子孫は横須賀で美容院をやってるらしい
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