>>158
でもなあ、日本におけるキリスト教って、どこまでも「ネオ浄土教」のような気がするんだよね。
阿弥陀仏の上位互換が「デウス」で、極楽浄土の上位互換が「はらいそ(天国、パラダイス)」
16世紀の信者も、こういう認識だったんじゃないかね。
天地創造だとかそういうことはどうでもよくて、死後、信者を極楽浄土より素晴らしい天国に救ってくれる神様がデウス。

だから、浄土教が強い地域と、被るような住み分けるような微妙な分布をする。
西南日本のうち、浄土教が比較的弱かった九州で特に広まったが、
浄土教が特に強い北陸や中国地方ではブロックされ、浄土教的世界に馴染みが薄かった東北ではそもそも関係なかった。