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 今からおよそ25年前、地下鉄、松本両サリン事件を始めとする凄惨(せいさん)な事件を次々と起こして日本を震撼(しんかん)させたオウム真理教。死刑が確定した教祖の松本智津夫死刑囚=教祖名麻原彰晃=ら同教団の幹部13人に対する死刑が今年7月6日と同26日に執行された。

 これに関して、欧州連合(EU)とその加盟国、アイスランド、ノルウェー、スイスの駐日大使は「いかなる状況下でも極刑の使用に強くまた明確に反対」し、「死刑廃止を視野に入れた執行停止の導入を(日本に)呼び掛ける」などとする声明を発表。日本政府の対応を批判した。

 EUと欧州各国が見せたこの反応にイラっとした人もいただろう。内政干渉だ、余計なお世話だと。

 しかし、私が暮らすフランスでも死刑制度を支持する国民は少なくない。例えば、2015年に行われた世論調査によると、死刑制度への回帰を求める人が前年に比べて7ポイント増の52%に上昇。その後の調査でも、5割近くの人が同制度を支持する結果が出ている

 背景には15年11月に起こり、130人が死亡、300人以上が負傷した「パリ同時多発テロ」の実行犯グループの中で唯一生存しているサラ・アブデスラム被告の精神状態が悪化したことを受けて、収監されている刑務所が昨年に処遇を改善したことが判明し、世論に火をつけたこともある。

 十数平方メートルの独房、毎朝毎晩1時間の散歩、コーラン、イスラム教徒が使う祈祷(きとう)用のじゅうたん、テレビ、他の受刑者と共用のウェイト・リフティング付きスポーツジムの使用というそれまでの処遇に加えて、ガラスに隔てられずに家族と面会できるようになり、独房の窓ガラスもこれまでの不透明なものから直射日光を通す透明なものに変えられた。

 ル・モンド紙の読者欄には「裁判後は、できる限りの虐待をすればいい」や「なんだってキリスト教徒がこんなやつを養わなきゃいけないのか?」といった怒りを爆発させる意見が目立った。

 今年6月には別のケースがあった。過激派組織「イスラム国」に夫とともに渡ったものの、四人の子どもを抱えてイラク政府に逮捕されたフランス人女性のメリナ・ブゲディール氏が終身刑の判決を受けた。彼女はフランスへの帰国を望んだが、フランス政府は「イラクの裁判権を尊重する」として、それを拒否。この時も、「帰ってくるな」や「都合のいい時だけ祖国を思い出すな」といった激しく批判する意見でネットは炎上した。

▼犯罪抑止効果なし

(略)

▼極悪人も社会の一部

 死刑存置を望む人々の論理に多いのは「いったい、どういう理由で、国民の血税で犯罪者を刑務所の中でぬくぬく養わなければいけないのか」というものである。

 凶悪な犯罪人は無用、存在してはならない生として社会から切り捨てる。それは、一見、合理的だ。

 しかし、バダンテール氏は演説の最後の部分でこう指摘する。「民主主義は、そういう排除の論理とはきっぱりと手を切るべきではないか? 残虐行為を犯す極悪人も、社会の一部であることを引き受けようではないか」と。

 前述したアブデスラム被告は、今年2月にブリュッセルで行われた警官銃撃に関する裁判で、最初から「裁判など怖くない。信じるのはアラーのみ」と言い放ち、裁判官の質問には一切答えなかった。傲然(ごうぜん)とした態度を貫き、被害者の家族に対する謝罪も、説明も一切なかった。

 それでも、彼は社会の一員である。たとえ犯罪人であっても、私たちはその命を受け入れなければならない。司法の歴史は、死には死をもって報復したいという、人間として実に自然な感情から、私たちを引き離す立場に立って発展してきたからだ。EUの共同声明は、死刑復活への声がやかましく挙がる欧州の国々に、いわば自分たちに対して、再度、死刑廃止の立場を明らかにするという、意味合いもあったのではないだろうか?(パリ在住、プラド夏樹)