【古代史】「邪馬台国」時代の鉄器生産工房…「ヤマト建国」に隠された淡路島の「不運な歴史」
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「始まりの国」淡路島から「陰の王国」大阪に向かう船の上にて。大阪と奈良の山並みを遠望する(筆者撮影、以下同)
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新潮文庫「古代史謎解きシリーズ」の淡路島・大阪編を上梓した(『「始まりの国」淡路と「陰の王国」大阪』)。毎度おなじみ、新潮文庫編集部・高梨通夫氏と、凸凹道中だ。
今回の取材は、大阪が中心のはずだったが、淡路島で、意外な発見があった。淡路島は、瀬戸内海を塞ぐ巨大な「フタ」で、西側の海域は古代の海人(あま)の楽園だった。そしてここに、淡路島のみならず、ヤマト建国、古代史の謎を解くための大きなヒントが隠されていたことに、気付かされたのだ。
淡路島はイザナキとイザナミが磤馭慮(おのころ)島の次に生んだ土地だ。また、伊勢内宮(三重県伊勢市)と淡路島の伊弉諾(いざなぎ)神宮(兵庫県淡路市)、そして葛城山は同緯度線上にあって、聖なるラインを形成している。だから、伊弉諾神宮はパワースポットと信じられ、多くの参拝客が訪れる。淡路島は、日本を代表する聖地なのだ。
しかし一方で、淡路島は「罪を犯した貴種を流竄する場所」でもあった。8世紀に淳仁天皇と早良親王がこの島に流された(早良親王は移送途中で亡くなり、遺骸が淡路島に埋葬された)。この、光と影を、どう説明すれば良いのだろう。
ここに、淡路島の複雑な歴史が隠されている。順番に説明していこう。ヤマト建国前後に、淡路島は大きく揺れ動いていたのだ。
■淡路島の立場
近年淡路島で、弥生時代後期の鉄器生産工房が2つみつかっている。五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡(淡路市黒谷)と舟木遺跡(同市舟木)だ。
五斗長垣内遺跡が先にみつかり、すでに復元され、公園になっている。弥生時代後期の1世紀ごろに約100年続いた鍛冶工房だ。かたや舟木遺跡は、弥生時代後期の2世紀半ばから3世紀の遺構で、こちらは邪馬台国の時代の鉄器工房だ。
邪馬台国の時代の畿内は、鉄器の過疎地帯だったが、淡路島で盛んに鉄器が作られていたことが分かって、邪馬台国畿内説の証拠になるのではないかと騒がれている。しかし、畿内から鉄はほとんど出てこないのだから、それはまちがいだ。さらに、淡路島から出土した銅鐸は、出雲のものと兄弟関係だったことが分かっている。淡路島に鉄の素材を流していたのは、出雲だろう。ここに、淡路島の立場が示されている。
弥生時代の最先端地域は北部九州で、朝鮮半島の鉄を独占的に入手していた。連載中述べてきたように、北部九州は天然の要害に守られたヤマトの発展を恐れ、策を練って出雲と手を組み、関門海峡を封鎖して鉄の流通を止めたのだった。さらに、「北部九州+出雲連合」は、淡路島に鉄を流し、味方につけ、明石海峡を支配して、通せんぼうをしていたのだろう。
■明石海峡の争奪戦
※省略
■「もともと敵の土地」
国生み神話の最初に生まれた淤能碁呂島は架空だが、次に淡路島が登場したのは、ヤマト建国の最初の一歩が、「淡路島を奪い、明石海峡の制海権を獲得すること」だったからだろう。
ヤマトは西側からの攻撃にすこぶる強い天然の要害だが、瀬戸内海を自由に通れなければ、建国の意味はなく、だからこそ、「まずは淡路島(明石海峡)」だったのだ。
その一方で、建国後のヤマト政権は、淡路島の発展を望まなかった。その様子をよく示しているのが、明石のすぐ東隣、神戸市垂水区にそびえる、五色塚古墳だ。5世紀初頭(古墳時代前期後半)に造られた前方後円墳で、全長194メートル、同時代の大王(天皇)の墳墓と遜色ない巨大古墳だった。現在葺石(ふきいし)が復元され、淡路島からもよく見える。渋い銀色に輝き、前方部は、まっすぐ淡路島を指し貫いている。おそらく、ヤマト政権と通じるこの土地の首長が、淡路島を「監視し牽制し、威圧する」目的で造ったのだろう。かたや淡路島には、巨大前方後円墳が存在しない。
多くの万葉歌人は、瀬戸内海からヤマトに帰ってくるとき、淡路島を通りすぎたところで、「ようやく故郷に帰ってきた」と、歌にした。ヤマトの山並みが目の前に広がり、瀬戸内海の海人の楽園(魔界)を通りすぎたという安堵感が湧きあがったからだろう。
いわゆる「畿内」は、明石海峡の東側であり、淡路島は除外されていた。それは、ヤマト政権にとって、淡路島が「もともと敵の土地」という感覚があったからだろう。
(続きはソース)
11/10(土) 12:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181110-00544460-fsight-soci 弥生時代最大のヒスイ勾玉が出土した池上曽根遺跡、弥生時代最大の神殿跡&巨大井戸、銅鐸、鉄工房
弥生時代末期にて営みを終焉
奈良の唐古・鍵遺跡
鉄鉱に納められた巨大勾玉が出土
貴重な勾玉を放置せざるを得なかったところを見ると、滅ぼされたんだろう
倭国大乱以降、様々な勢力が畿内を支配しようとした
東海、出雲、吉備、九州
出雲や九州みたいに異国の朝鮮半島の勢力の侵入を手引きしてまで、畿内を支配しようとする勢力もいた
征服王朝、畿内に根を持たない勢力による政権は、長くは続かず、権力闘争が繰り返されてきた
最後の外部勢力による天武朝も自壊
倭国大乱から600年、やっと平安が訪れたんだよ
クナトの再興 >>471
銅鐸は出雲の文化。三種の神器文化に変わった時に卑弥呼が共立され奈良に邪馬台国ができた。
神武東征はその後だね。台与の後の男王の後くらい。300年〜400年の間に起きた。
倭の五王は東征後。 ビロウについていくつか書き込みがあるんで、
たまたま今日読んだビロウの記事を貼っとく
観光リスが害獣化、駆除へ 天然記念物の木に被害? 大分の無人島
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181113-00010001-nishinpc-sctch
大分の無人島にビロウが生えているって内容
福岡の島にも生えてるし、
天皇家の祭祀にビロウが欠かせないならやっぱ九州出身なんだなと思わせるね >>407
草薙の剣は鉄剣ではないのでその推察は間違い
須佐の男が治水工事をした描写もないため、ヤマタノ大蛇は川ではない
大蛇、蛇といえば日本の古い土着の民の神が蛇神
酒をふるまい酒席で酔わせ退治したことからも
ヤマタノ大蛇は地方豪族の暗喩ではなかろうか >>477
睡眠導入剤入れてレイプみたいな在日コリアンかよ 日向国だから天孫降臨の地と言い出したのは宇佐神宮
宇佐神宮は自分の領地があった場所を高めようと色々捏造をしている
今の宮崎県民は神話の国というのを信じているが細かく調べればおかしな事ばかり
はっきり言って起源を主張するどこかの国のいうことと変わらん
これからは間違いは間違いと認めることが大事だと思う
続日本紀によれば昔の日向国は鹿児島宮崎を含む地域だった
記紀ではともに天皇家と隼人族は同族出身としている
日本書紀では特に阿多(薩摩半島南部)と特定している
ちゃんと調べれば分かることばかり
木花咲耶姫の本名である神阿多都比売
海幸彦の子孫は隼人族の阿多君
神武天皇の妃である阿比良比売は阿多小椅の妹
代々阿多(薩摩半島南部)の人間だらけ
おまけに鹿児島県南さつま市の上加世田遺跡からは久米と墨書された遺物が出土している
これは神武天皇の部下である大久米命との関連を思わせる
よって神武天皇の出身地は鹿児島県の薩摩半島
旧加世田市から旧金峰町にかけてと思われる
なお天孫降臨が現実にあったと考えるのは無理がある
それに山上に神が降り立つというのは北方系の神話
高千穂地名の変遷
日向風土記逸文(713、引用は続日本紀797)知鋪の郷(ちほと読めるから高千穂と言い出す。本当に原本にあったか?)
宇佐八幡宮託宣(765)高智保(たかちほと言ってるのが神主だと分かる。)
和名類聚抄(925) 智保(一般には広まっていないようで、辞書にはまだ高千穂は載らず。)
大日本史(1657〜) 日向国臼杵の郡、智保、今は高千穂の庄(虚仮の一念、岩をも通す。でも正式には智保。)
(参考)1889年(明治22年)三田井村、押方村、向山村が合併し高千穂村となる。(ようやく正式に高千穂) >>476
その無人島のビロウも祭祀のために持ち込んだのかもな
掘ればいろいろ出てくるかもしれん 北部九州に渡来した江南人は甕棺墓制だった
*甕棺出土数は藤尾慎一郎氏のHP「九州の甕棺」から採用
壱岐市(一大国)158 唐津市(末艪国)331 糸島(伊都国) 215
福岡市・春日市(奴国) 1,760 粕屋(不弥国) 77 小郡・鳥栖(投馬国) 2,522 邪馬台国(神崎)2,951
倭人伝に記載されている戸数
壱岐市(一大国)三千家 唐津市(末艪国)四千戸 糸島(伊都国) 千余戸 福岡市・春日市(奴国)二万余戸 粕屋(不弥国)千余家
投馬国(小郡・鳥栖) 五万余戸 邪馬台国(神崎)七万余戸
*一大国と不弥国だけは戸では無く家と表記されている。
棺桶の数は住民の数におおよそ比例するから甕棺出土数の順番と
戸数の順番が一致している 倭人伝に記載のある魏と交流している三十余国とは以下の地域にあった国々と言う事だ
福岡県・・福岡市西区、福岡市博多区、福岡市南区、福岡市東区
糸島市、春日市、志免町、篠栗町、古賀市 福津市、
宗像市、宮若市、田川市、飯塚市、行橋市、筑紫野市、
那珂川町、筑前町 朝倉市、久留米市、八女市、うきは市、
佐賀県・・佐賀市、吉野ヶ里町、多久市、武雄市、唐津市
長崎県・・雲仙市、壱岐市 対馬市
大分県・・日田市、宇佐市、大分市
上記の地域を三十余国とした理由はこの地域から勾玉が出土した、勾玉は卑弥呼が支配下の国王に
下賜したものと思っている。 >>471
奈良時代の説話集だったと思うが、銅鐸らしきものが出土してゴロゴロ転がしたという事だ。
もうおぼろげの記憶なんだが、奈良時代、銅鐸はすっかり忘れ去られていたようだ。
記紀編集の時代でもすっかり忘れられていたんじゃないか?奈良時代に近いし。
さらにさかのぼって、古墳からも出ていないだろ?だから古墳時代(4〜6世紀)に記憶がぶっ飛んだんだよ。 おのころ島神社は淡路島にあるんだし
淡路島自身がおのころ島じゃないのか? 色々な仮説かありうるんだろうが、いまだによくわからないのが、
空白の4世紀(150年間)の日本(特に北九州と畿内)の動きだ。つまり
3世紀中期の邪馬台国(北九州or畿内)と5世紀初めのヤマト王権(畿内)の関係だ。
継続か断絶か、文献は何も語ってくれないし、考古学も雄弁ではない。
謎だらけ。仮説は色々あるが裏づけはない。もうチョットのところまで来ているのに。
消化不良。 江南人の墓制である甕棺の出土数
一大国(壱岐市)・・73基
末艪国(唐津市)・・331基
伊都国(糸島市)・・215基
早良国?(早良区)・・1586基
奴国(福岡・春日市)・・1769基
不弥国(粕屋)・・77基
嘉穂・・293基
二日市・・241基
朝倉・・900基
投馬国?(小郡・鳥栖)・・2522基
邪馬台国?(神埼市)・・2951基
その他、久留米、佐賀、大村、島原、日田、熊本、鹿児島など
からも出土している。
要するに魏使は江南人が暮らしていた国々を訪問している。 淡路の炭って品質いいのか? 鉄作るには良質の薪炭必要だろう まあ、神話には、最後の点として淡路島が描かれてるわな >>471
記紀編纂時期には発見されてるのにな>銅鐸
発見っつーのもあれだけど
要は銅鐸文化から大和朝廷の連続性が無いってことだな
にしても、征服者だって銅鐸は目にしたと思うんだが・・・ >>476
ビロウと言えば、志布志市にその名もずばり枇榔島ってのがある
行くチャンスもあったんだが、タイミングを逃した・・・
天智天皇がらみのおとぎ話
http://www.b-post.com/oosumi/story/story_05.html >>486
卑弥呼の時代には半島と国交を結ぼうとしてて
空白の期間〜倭の五王あたりでは盛んに半島に攻め込んでるな
卑弥呼より後の時代に倭国でなにか大転換があったのかもしれない 3世紀までは朝鮮半島で中国国境と接してるだけの世界が500年ほど続いてたけど
4世紀になると半島北部は高句麗になるから倭国からみたら切り取り次第に変化したんじゃね
7世紀で負け確して半島に興味なくなるし 朝鮮三韓の末路→中国領
百済→熊津都督府、新羅→鶏林州都督府、高句麗→安東都護府 大国主が支配していた大八洲(奈良や諏訪も含む)を、
日向国笠沙(鹿児島県南さつま市加世田)出身の
オッサンとその子孫が血縁を結んで乗っ取る話。 >>471
>>491
生産されなくなってから書紀に発見が書かれるまで500年も経過してるのだから、
記憶してるほうがおかしいとは思わないのが古田信者らしいところだな
そもそも銅鐸は東日本から九州まで出土しているので、征服者が国内のどこの出身であれ、
その征服者自身は見ていたとしても、八世紀代の奴が記憶しているわけがないだろうw 記紀の時代に再発見されてるのに書かれてないってのが発端なので
記憶の話だけじゃないのよ
こういうとこが畿内説の視野狭窄 九州と大和のかかわりって、神武東征が縄文時代というところがポイント。
縄文時代の九州は鬼界カルデラの大噴火で人が住めなくなっている。紀元前7000年。
縄文時代は東の方が人口が多かった最大の原因はこれ。
鬼界カルデラの噴火に伴って九州はほぼ壊滅。天皇家のルーツと言われる九州南部はまさにその場所。
神武東征とは鬼界カルデラの噴火に伴って東へと約束の地を求めての移動が始まったことを示す。
そして鬼界カルデラの火山灰の影響が少なくなる地域がまさに畿内。
つまり、このときに列島内の西半分の人達は死滅するか機内に移動して生き延びた。
これによって人口集積が畿内でおこりまさに大和の起源となる。
一度住めなくなった九州に人が住みだしたのはその後でそれは逆に畿内からの勢力拡張という形でおこった。
天照大神の岩戸隠れは鬼界カルデラの噴火に伴う火山灰で暗黒の世になったことを意味する。 >>470
梅原猛さんあたりは、饗応した上で殺すのは、
かつてオロチが神だった時代の残滓だとか書いてたな。
より時代が下れば単なる討伐の対象になってしまうと。
>>478
「卑怯」とか「卑劣」とかの概念が、上古と現代とでは違うのよ。
ヤマトタケルの時代は、女装して敵を油断させるやり方は、
スマートでクールだったのだ。 ↑あわわ。
>>502は、>>477へのレスじゃったい。 >>408
完全に邪馬台国は九州だな
畿内説はゴッドハンドの産物に過ぎない >>298
天皇の出自に関する古文書はどれも九州出身と明記しているのに、
畿内説の嘘つき共だけが認めようとしないんだよなw 吉野裕子さんによればビロウも蛇。ついでに扇で男根。
潔すぎるほど判りやすいw 天皇家のルーツは九州と言うよりスンダランド。天孫降臨はまさにそこからの移住を示す。
D系統の民族が黒潮にのって島伝いに渡ってきたのさ。だから四国の沿岸部や紀伊半島にも同じ系統がいると。
スンダランドの埋没により、日本列島の九州へ天孫降臨。鬼界カルデラの噴火により畿内へ移動。
畿内において紀伊半島勢力との過去からの深い関係を持ってその地域を治めたのが大和のスタート。
卑弥呼は天孫系とはいえない。むしろ出雲系との深い関係が伺え。東シナ海沿岸部。
北部九州。半島の南部。日本海側から畿内へといった地域の支配者であったと。
このルートを使っての大陸との交易が桃や紅花、シルクと言ったものをもたらした。
この二つの系統がまとまったから。ヤマトに対して大和という言葉をあてるようになったと。
北部九州と南部九州は同じ系統が支配していたとはとてもいえない。
特に縄文時代において南部九州から発掘される陶器は新潟に多い火焔型土器といった縄文系とはほど遠く。
むしろ弥生式土器のルーツだと言える物が続々とでている。
卑弥呼の支配地域は南部九州には及ばず。畿内から日本海側沿岸部から北部九州だったと考えるのが妥当。 記紀には殆ど中国の話題が無いのがな。半島の話はそこそこあるんだけど
邪馬台国は何度も使者を送って、中国からも色々支援を受けたりしてるのに
邪馬台国が後の大和朝廷に繋がるなら、何がしかの記録はあっていいと思うんだが
半島南部は日本固有の領土です
それを日本史は無視するからわけのわからないことになっています >>498
奈良時代の人は出土した銅鐸を当時の人間は何に使うものかさっぱり分からなかったらしいね。 >>508
日本書紀には中国文献からの引用で使いを送った倭国の女王の件はちらりと書いてる。
詳しく書いてないのは書紀では日本は中国と対等な立場だから朝貢した事実を消したいためだというが本当にそれだけか?
仮に邪馬台国が大和朝廷の前身だとしても他にも隠したい事実があったと思う。
例えば天皇家は王位を簒奪したとか。 >>511
あれは倭人伝の引用だから、日本書紀を作った時に無理やり合いそうな人に合わせ込んだ感じ
逆に言えば、大和朝廷にはそれらしい話が伝わってなかったんだろう、て気はする
王位簒奪つか、王朝交代を隠している可能性は結構ある気はする
河内王朝説やら。神功皇后にしても、仲哀天皇から別系統の王が奪った、て考え方もあるし >>501
破局的噴火の記憶が伝説として数千年も語り継がれるとは思えないな。
それなら西暦181年のNZにあるタウポ山の噴火の方が信頼性がある。
183年あたりでも中国で異常気象、倭国でも飢饉、飢饉で倭人が朝鮮半島に脱出なんてのが中国文献にある。
そして倭国大乱をおさめ卑弥呼が王位についたのは184年ごろ。
天照大神のモデルは卑弥呼。 >>513
それによって、縄文人が九州からいなくなったという民族的原体験を記録するものは存在してもおかしくない。
それが縄文後期まで九州には人が住めなかったという現実も伴っている。その事象は神話と矛盾しない。
卑弥呼は神話にするには新しすぎる。中国と深い関係があったことは伺われるが。生々しすぎ。
九州南部との関係性はほとんど感じられない。
いわゆる倭人といわれていた東シナ海周辺部にいた人達のグループで天孫系とは違うと考えるのが妥当。
日蝕を民族的原体験とかというのはいくらなんでも無茶です。なんの具体的な厄災ももたらしていないのだから。
むしろそれが影響があったとすれば過去の原体験において闇の原体験があっての話し。 神武より先に畿内に天下ったのが饒速日
饒速日は先住民
アマのイワフネに乗ってやってきた
アマはカヌーが横倒しにならないように取り付けた横棒(アウトリガー)の先に付けた浮きのことで
多くのポリネシア諸語やミクロネシア諸語でアマと呼ばれている。
イワフネのイワはハワイ語で軍艦鳥を意味する。
九州の古墳の壁画に軍艦鳥が船に停まったものがある。
ニギハヤヒはポリネシア或いはミクロネシアからカヌーで
黒潮に載って渡来した。 >>511
そもそも書紀は当時の支那の皇帝に贈る前提で作られたもの
魏志の文章を引いたのは、おたくの史書にも載っているよと示す程度のものでしかない
おかしな陰謀論は、歴史をオカルティックにするだけなのでやめといたほうがいい >>499
当時は既にそれが何なのかわからないほど既に重要なものではないのだから、
その情報を編者が知っていたとしても、一大国家事業として作っている書物にはいちいち書かないわなw
書かれていないのはおかしいニダ!と陰謀に違いないニダ!と、極々小さなことを
拡大評価or解釈したあげく、頓珍漢な難癖を平気でつけてくるのが古田信者の頭のおかしいところ
まさにオカルトレベル 大飢饉と倭国大乱
↓
「銅鐸に祈ってもぜんぜん効かないじゃないか!ポイッ!」
↓
卑弥呼共立
↓
古墳&玉/剣/鏡の文化へ
こういう流れだろ 初めから大和に住んでいたのは物部氏の祖先で、これが北部九州〜吉備など瀬戸内海に力を持つ安曇などの海人勢力と結びついたんだろう
それが卑弥呼の前だか後だかは知らん >>517
物部氏(阿刀氏)は阿曇族と同族という話もあるぜ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています