意外と内臓食の歴史はあるもんやな

明治期の神戸の牛屠畜従事者の回顧によれば、屠畜場に残された内臓肉は彼らの重要な副収入源であったとしており、
また、1906年(明治39年)の神戸新聞には屠畜場周辺地域において、粗末な大鍋で切り刻んだ臓物を煮込んだものが
一皿1銭で出されており、その新聞記者にとっては店の前を通っただけで異臭がするものであったが、
夕方からは千客万来であったと報告されている。