立岩堀田遺跡を説明する高島忠平氏
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 考古学者の高島忠平氏が監修する古代史連続講座「古代から未来のトビラを拓(ひら)く〜遠賀川の古代文化と邪馬台国」の第5回となるフィールドワーク「不弥(ふみ)国の都、立岩遺跡を探索」が17日、飯塚市で開かれ、約110人が参加した。

 立岩遺跡は同市立岩・川島の丘陵上に散在する弥生中期を中心とする遺跡群。豊富な副葬品や地理的位置などから、魏志倭人伝に記されている「不弥国」の候補地の一つとされる。

 甕棺(かめかん)から前漢鏡、銅矛、鉄剣などが見つかった立岩堀田遺跡で高島氏は、甕棺が埋まっていた場所を紹介し、「副葬品から身分が高い一族の墓と考えられる」と語った。下(しも)ノ方(かた)遺跡では市歴史資料館の嶋田光一館長が稲穂の収穫などに使われた「石包丁」について「立岩で作られた石包丁が北部九州一帯に流通した。下ノ方は中心的な生産地だった」と述べた。

 嘉麻市教育委員会の松浦宇哲文化財係長は墳丘一辺が約15メートル、高さ3メートルの方墳と考えられる「立岩2号墳」を説明した。

 飯塚市の会社員(65)は「遺跡を見ながら、専門家の説明を受けることができて、臨場感があった」と話した。

西日本新聞 2018年11月18日 06時00分
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