【歴史】「この鏡が邪馬台国や卑弥呼と関連のある物だと言って差し支えない」 大分・日田で邪馬台国との関係探る古代史サミット開催★2
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【動画】弥生時代の鉄の鏡でシンポジウム
https://www3.nhk.or.jp/lnews/oita/20181120/movie/5070002480_20181120202104.html
https://www3.nhk.or.jp/lnews/oita/20181120/5070002480_20181120202104_m.jpg
日田市で出土した弥生時代後期の貴重な鉄製の鏡に関するシンポジウムが市内で開かれ、専門家から邪馬台国との関係を指摘する意見などが出されました。
「古代史サミットin日田」と題したこのシンポジウムは、全国の考古学者らでつくる協議会などが日田市立博物館で開いたものです。
6人の専門家がゲストに招かれ、昭和8年に日田市内の古墳で出土した弥生時代後期の鉄製の鏡「金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡」について意見を交わしました。
この鏡は、日本で唯一金と銀を埋め込む「象眼」という装飾が施された貴重なもので、国の重要文化財にも指定されています。
シンポジウムでは、元産業能率大学教授の安本美典さんが「当時の中国の状況などを照らし合わせると、この鏡が邪馬台国や卑弥呼と関連のある物だと言って差し支えないと思う」と指摘しました。
また、佐賀県の吉野ヶ里遺跡の発掘に取り組んだ、佐賀城本丸歴史館の七田忠昭館長は「この豪華な鉄鏡から、当時日田に高度な文化が根付いていたことがうかがえる」と述べました。
会場には、全国の考古学の愛好家などおよそ80人が訪れ、熱心に話に聞き入っていました。
この催しは、22日まで開かれ、日田市内の遺跡を巡るツアーや講演会などが行われます。
11月20日 17時51分
https://www3.nhk.or.jp/lnews/oita/20181120/5070002480.html
★1:2018/11/21(水) 03:31:07.43
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1542738667/ ホケノ山古墳 3世紀中頃 石囲い木槨
はいアウトー 何の根拠もないし責任もとれないし、ぶっちゃけ邪馬台国がどんな国なのかも具体的なことは全く分からないけど邪馬台国って有名だし、絶対に大発見で間違いない!
キチガイかよ >>1
>元産業能率大学教授の安本美典さん
ただの歴史マニアじゃんw こういう古代史系の話題はネトウヨがすぐ発狂するから困る
韓国からの渡来人がジョーモン土人=クソジャップに文明を恵んでやったのは既に学会の定説なのだから、レイシストが騒いでもジャップという人権後進国の醜態をさらすだけだぞw 山人国
日御子(火巫女)
海日子 山日子
日向宇佐氏
漢委奴国王印
出雲和邇氏
親魏倭国王印
因幡の白兎(新羅宇佐魏)
倭国大乱
出雲の国譲り
厩戸皇子
大和 マキムクはどこをどう切り取っても邪馬台国ではない。
キンキーはキチンと魏志倭人伝を読み込んでくれ。
アタマ狂ってんじゃないのか? 韓国が恵んでやったとかいうけど、金印は全部中国からもらってるよね
仏教僧も中国からだし馬はモンゴルだし
下半島は戦争負けそうになって倭人に援軍頼んだり
日本に逃亡してきたりしてて弱かったじゃん
上半島の華僑は自国領民の女を狩り集めて中国に上納とか日本軍の慰安婦問題で批判してた内容みたいなことしてたし
娘出さないって言った家族は済州島に島流しにした タイムマシンで未来から来た人が落としたものだったりして まだやってるのかよ
もう奈良で決着ついただろうに
九州人は諦めろw 卑弥呼の時代の九州の人口は近畿の半分
近畿ほどじゃないけど東海もかなり多かった
あと関東も 出雲の和邇(山口県〜滋賀県まで同族支配)と
中国人を引き入れた日向の宇佐&タケルが
戦争
出雲の国譲りで
和邇系本拠地だった近畿に都を移して
和邇系は馬と武器もらって娘を大王の嫁に出して朝廷の防衛庁長官みたいのになった 元々本来の実際の歴史は朝鮮半島の朝鮮人達の真実の歴史はシベリアエベンキワイ族の歴史
本来は古代朝鮮半島の民族が古代はヘブライ人の日本人の国である
日本の属国の朝鮮半島と日本では言葉が普通に通じ合ってたのに現在は全く通じずの別国家
然も日本人には昔から苗字があった
朝鮮人達には日本が統治を行う19世紀まで苗字がなく住民登録の為苗字を付けさせ貴族王族の名の金李朴ばかりに
その時点でおかしい
百済新羅高句麗の時代の朝鮮半島の人口が数十万人かたや日本は800万人の大国
しかも日本人特有の遺伝子を持つY染色体のD系遺伝子は朝鮮人にはない別民族
しかも日本にある前方後円墳は朝鮮半島にもあり日本より新しく朝鮮半島が日本の属国だったことを示している
今の朝鮮人は12世紀に新羅北部日本海側にシベリアワイ族系住民が住み着いていることを中国紙に記載されている
新羅の民とは違う不衛生な民族が住んでいることを中国紙に記載されて
その頃から今の朝鮮人達の朝鮮半島の歴史がはじまり
13世紀半ばの高麗から李氏朝鮮時代が本来の朝鮮人達の歴史だということがわかる
そもそも日本民族はヘブライ人の弥生人がいたからで
秦の建国自体中央アジアのメソポタミアのシュメールのヘブライ人が建国した国で始皇帝自体ヘブライ人
これが元で問題の中国がウイグルチベット族を弾圧のきっかけになってるわけで
中国が歴史の隠蔽をしてる要因だが
漢民族自体シベリア系が入ったのは2000年もなく騎馬民族系はずっと後
その秦が15年で中国をすて日本へ弥生人として入ったのが2300年前から1800年前
ヘブライ人が19万人も日本へ入ったことがそもそも争いの発端
元々いた日本人8万人も日本人達がいたわけでそこでの鳥取島根の出雲族との争いが元でこの人骨発見に
弥生人達ヘブライ人が日本での領土争いが元で文化的背景から今の日本かま生まれる
弥生人自体頭蓋骨が偉張ってなく顎が細い
これは食べ物の習慣以外に人種が違う
人骨遺伝子が中央アジアの遺伝子を持つことからも東アジアとは全く関係ない
シベリア系エベンキが弥生人自体頭蓋骨と違って偉張ってるわけで
シベリア系から南方系の稲作を持ってくることなどあり得ないわけで
弥生人自体が中央アジア系ヘブライ人自体がヘブライ語やヘブライ文字ヘブライ文化を日本に持ち込んでいる
だからひらがなやカタカそして神道文化が昔からあり漢字や仏教は大分後
そもそも中国の魏志倭人伝自体中国語で書かれているわけで日本の地名自体漢字の当て字
日本は既にこの頃ヘブライ語を使ってる
朝鮮半島自体7300年前の桜島のカルデラ噴火で3000前まで人が住んでおらず
そこへ中央アジアのヘブライ人達が中国北東部から朝鮮半島にかけ住む始め日本へ弥生人として渡来
そして朝鮮半島に日本と言葉の通じる百済新羅そして高句麗がある
だからこそ百済建築などが日本人の手で作られたわけで朝鮮人達がその百済人達を滅ぼしたことで技術が途絶える
そこに日本国民に知られたくない事実があり全てのことは朝鮮人達の自業自得 九州の派閥は全国を支配するには人数不足だから、
馬や新種の武器や知識を餌にしての降伏勧告などで
倭人代表の座を出雲その他から火の国に譲ってもらったのだろう
蘇我の本拠地を宮にしたのはそこが島の真ん中にあり一番便利だったからでは
倭人を屈服させた中国人とコバンザメの歴史と思うと
ちょっと悲しくなるな 邪馬台国は北部九州
もうこれ以外の結論ないのに延々と近畿説唱えてる奴は頭が悪すぎ 最早本当の日本民族の真実の歴史
邪馬台国の歴史の真実は別に九州説や近畿説でもない
本来の日本民族の歴史は古くからヘブライ文化で神道と神代文字など全てが弥生人ヘブライ人からのもの
例えば邪馬台国自体ヤマタイとは読まずヘブライ語でマタイ即ちマタイコクと読む
大和王権と邪馬台国はそもそもルーツが違う
元は同じ民族でありながら別れた同じヘブライ人達
メソポタミアから別れ西アジアに移ってエジプト文明に関わったりイスラエル王国を築いたユダヤ民族
そのユダヤ民族のユダ族こそ邪馬台国の民
そして大和王権の民こそメソポタミアシュメールの末裔
邪馬台国の民のユダ族が先に海ルートで日本へ沖縄を経て渡来
だから今も沖縄の人達はユダ族の末裔で地名もユダ族に因んで残っている
また物部氏の末裔であり物部のニギハヤヒが沖縄の人達の神武天皇であり
ニギハヤヒの兄ニニギの子イワレピコが神武天皇でないことを知ってるのはその為
その沖縄のユダ族こそ九州や四国へ渡った邪馬台国の民達で彼らが遊牧民であるからこそ移住する
今の四国剣山にはユダ族の儀式やゆかりのイエスキリストのものがあるとされ
現在アメリカのGHQによりアメリカ博物館へ保管されている
また大和王権の民でシュメールの末裔である大和の民は中央アジアからチベット四川を経て中国で秦を建国
始皇帝自体がヘブライ人でありメソポタミア文明そのままに中国へ文化を持ち込む
その後15年で秦を捨て中国東北部から朝鮮半島を経て日本へ陸ルートで渡来
その頃には中国東北部から朝鮮半島に多くのヘブライ人達が住み着き日本との関係が深くなる
その彼らシュメールの民の兄ニニギの子イワレピコ達こそ大和王権の現在言われているイワレピコの神武天皇
先に海ルートで日本へ渡来したニギハヤヒ達と陸ルートの兄ニニギの子イワレピコ
それぞれ出雲の戦いで大和王権が誕生する
そもそも邪馬台国は馬台と書きマタイと読みヘブライ語でマタイの国という意味で
邪馬台のヤマタイをヤマトとは言わないでマタイという
マタイ自体がキリストの十二使徒の一族という意味
すなわち邪馬台国の民はキリストの十二使徒の一族で海ルートから日本へ渡来したユダ族の末裔たちのこと
邪馬台国の民は言わばキリストの十二使徒の一族の国という意味でユダ族の国ということがわかる
だからこそ四国剣山のイエスキリスト伝来の話につながっているわけで中国の魏志倭人伝で漢字で邪馬台国と記す
これが事実
ちなみに大和のヤマトゥはヘブライ語で神の民という意味はよく知られいるが
ヤマトとマタイは全く意味が違う
もし邪馬台国が大和の民なら中国の魏志倭人伝に大和国と記すはず
それが邪馬台国と記している以上邪馬台国と大和王権は別もの
だから魏志倭人伝の邪馬台国の場所の案内が記すように何度も海を渡り四国ほどの大きさの島
すなわち九州の大きさではない四国に邪馬台国がありと記す
そこは魏志倭人伝の記す邪馬台国の周辺には四国のほか九州や中国地方近畿地方など100余りの国に囲まれている
それこそ九州説や近畿奈良説とは別もの
何故なら大和王権ではないから この鏡は本当に見事だよな・・・漢代一級の工芸品だろ
粗雑な金印なんぞとはモノの格が違う 本物の宝物 ゴッドハンドだろ
裏にMaid in Chinaって書いてあるとか 朝鮮半島の朝鮮人達の真実の歴史はシベリアエベンキワイ族の歴史
本来は古代朝鮮半島の民族が古代はヘブライ人の日本人の国である
日本の属国の朝鮮半島と日本では言葉が普通に通じ合ってたのに現在は全く通じずの別国家
然も日本人には昔から苗字があった
朝鮮人達には日本が統治を行う19世紀まで苗字がなく住民登録の為苗字を付けさせ貴族王族の名の金李朴ばかりに
その時点でおかしい
百済新羅高句麗の時代の朝鮮半島の人口が数十万人かたや日本は800万人の大国
しかも日本人特有の遺伝子を持つY染色体のD系遺伝子は朝鮮人にはない別民族
しかも日本にある前方後円墳は朝鮮半島にもあり日本より新しく朝鮮半島が日本の属国だったことを示している
今の朝鮮人は12世紀に新羅北部日本海側にシベリアワイ族系住民が住み着いていることを中国紙に記載されている
新羅の民とは違う不衛生な民族が住んでいることを中国紙に記載されて
その頃から今の朝鮮人達の朝鮮半島の歴史がはじまり
13世紀半ばの高麗から李氏朝鮮時代が本来の朝鮮人達の歴史だということがわかる
そもそも日本民族はヘブライ人の弥生人がいたからで
秦の建国自体中央アジアのメソポタミアのシュメールのヘブライ人が建国した国で始皇帝自体ヘブライ人
これが元で問題の中国がウイグルチベット族を弾圧のきっかけになってるわけで
中国が歴史の隠蔽をしてる要因だが
漢民族自体シベリア系が入ったのは2000年もなく騎馬民族系はずっと後
その秦が15年で中国をすて日本へ弥生人として入ったのが2300年前から1800年前
ヘブライ人が19万人も日本へ入ったことがそもそも争いの発端
元々いた日本人8万人も日本人達がいたわけでそこでの鳥取島根の出雲族との争いが元でこの人骨発見に
弥生人達ヘブライ人が日本での領土争いが元で文化的背景から今の日本かま生まれる
弥生人自体頭蓋骨が偉張ってなく顎が細い
これは食べ物の習慣以外に人種が違う
人骨遺伝子が中央アジアの遺伝子を持つことからも東アジアとは全く関係ない
シベリア系エベンキが弥生人自体頭蓋骨と違って偉張ってるわけで
シベリア系から南方系の稲作を持ってくることなどあり得ないわけで
弥生人自体が中央アジア系ヘブライ人自体がヘブライ語やヘブライ文字ヘブライ文化を日本に持ち込んでいる
だからひらがなやカタカそして神道文化が昔からあり漢字や仏教は大分後
そもそも中国の魏志倭人伝自体中国語で書かれているわけで日本の地名自体漢字の当て字
日本は既にこの頃ヘブライ語を使ってる
朝鮮半島自体7300年前の桜島のカルデラ噴火で3000前まで人が住んでおらず
そこへ中央アジアのヘブライ人達が中国北東部から朝鮮半島にかけ住む始め日本へ弥生人として渡来
そして朝鮮半島に日本と言葉の通じる百済新羅そして高句麗がある
だからこそ百済建築などが日本人の手で作られたわけで朝鮮人達がその百済人達を滅ぼしたことで技術が途絶える
そこに日本国民に知られたくない事実があり全てのことは朝鮮人達の自業自得 因幡のウサギちゃん伝説とか見ると多分最初は和邇にコテンパにされてるよね
タケル中国人でしょ
行動半径の広さ異常だし馬連れてきてるよ多分
和邇やんの子孫蘇我氏は馬の機動力を見て馬ほしくなっちゃったんだな
あとウサギかバカなので漢字の読み方教えて中国人にも対等に外交するように調教し
山人に大和の当て字してやって民族和解を演出した
そんで中国に生意気な口きいて臣下としてのさばりだしたので
大化の改新で始末された >>31
結論は北部九州地域が邪馬台国だって唐の昔にでてるんだよな
倭王卑弥呼は伊都国に住んでいたんだ。 困ったことに、これは卑弥呼の賜った鏡を遥かに超えちゃってるんだよな。 うさぎが奴隷管理人に甘んじようとしてたので
和邇や物部のやつらがうさぎが連れてきたタケルにリーダーやらすかわりに
中国への態度を訂正させたのだろう
そんでうざいと思ったやつらが蘇我を謀殺 >>38
伊都国は伊都国。
邪馬台国では無い。寝言。 倭国の中心は奴国でしょ
伊都国と同じく代々王がいたはずだけど書かれてないのは、女王の王権がまさしく奴国のものだから
伊都国の王たちが従属した国なんて奴国以外にないわな わりと広範囲に同族からわかれた国が広がってたみたいだし >>4
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
槨
かく
墓制上の用語。中国古代の用法では,直接死体を収納するものを棺といい,
その棺を置くところを槨といい,槨は壙の中に造られるという。
厳密にいえば日本の古代の墓制にはあてはまらない。大正初期に棺槨論争があったが,
現在は棺は用いるが,槨という用語はあまり使われていない。
粘土槨,木炭槨という言葉は本来の厳密な意味からは離れており,木棺を粘土あるいは
木炭などで包むような構造のものをいう。
「厳密にいえば日本の古代の墓制にはあてはまらない。」
「現在は棺は用いるが,槨という用語はあまり使われていない。」
「粘土槨,木炭槨という言葉は本来の厳密な意味からは離れており」
粘土槨、木炭槨、石槨は、槨じゃない 蘇我氏って蝦夷やアイヌに似た名前多いけど、そっち系なのかね
日向隼人とは民族違く見えるけど
どうなんだろう >>31
>邪馬台国は北部九州
その根拠を一つでも二つでもあげてみ? >>55
いくらでもあるが、それよりとりあえず畿内説は無いからな。 俺は邪馬台国が九州北部である根拠は挙げられないけれど、
纏向にしたくない理由なら100は下らない。
ぶっちゃけ、纏向じゃないならエジプトでも構わないw >>57
嫌とかじゃ無くて、学説として成り立ってないんだよ畿内説はw 日が本なんだし、九州の日がつく地名の軍団から名前取ったのは明らか。
ヤマトはどこからだか知らないけど
九州の山というか高台でも輸入した馬飼ってたから邪馬台なのかもだけど
出雲のほうが山陰だの山陽だの言ってるから山人山門っぽくはある
マタギ言葉もアイヌ語に似てるらしいし >>58
ごめん。
纏向にしたい理由なら100は下らないの間違いだった。 >>38
>結論は北部九州地域が邪馬台国だって唐の昔にでてるんだよな
>倭王卑弥呼は伊都国に住んでいたんだ。
伊都国は邪馬台国とは別の国
人口も違うし、女王之所都の本国なら一大率を置く必要もない
北部九州説の亜種の中でもトンデモ度が高いカルト説 もしかしたら日向のウサギちゃんと奴国金印日御子も
別勢力かもしらんけど。
天照さんは岩戸に隠れてたみたいだし >>63
おお、了解。
さっき>>62を見て、「あらやだ誤解されているわ…」と困ってたw >>63
いや、お前の攻撃対象なのはあってるんじゃね なんでどいつもこいつも卑弥呼と邪馬台国にこだわるんだ
それ以外のネタを研究しろ 畿内説はそもそも学説として成り立ってない。
ただのファンタジー。
邪馬台国論争は、九州説の不戦勝。
とかいうと近畿パーがきっと四国だよとか言い出すけどねwww
真面目に考える気などサラサラないのが丸わかりwwwwwww 多分ウサギちゃんは軍事的には雑魚くて出雲その他勢力のが強かったのに
中国人を引き入れてクーデターしたやつがいたんだな >>70
↑
こういうのも毎度毎度のパターンな。
「邪馬台国なんてどうでもいい」wwwwwwww >>70
定説化すれば観光資源として大きい
要はお金だよ 新スレで暴れてる九州説は前スレとは別人っぽいな
シフト交代したのか まぁまぁみんな落ち着いて
答えなんて確認のしようがないんだから
ロマンだと思って楽しく語ろうぜ タケルこれじゃないのかな
当時の日本は刺青してたし、海まわりのやつは特に
(以下引用)
陳寿の書いた「自古以來、其使詣中國、皆自稱大夫」の後に続く文は、
「夏后少康之子、會稽に封ぜられるや、斷髮文身し、以て蛟龍之害を避く」であり、
越の祖となった夏后少康の庶子、無余の話が綴ってあります。
夏の王・小康の庶子(皇后以外の妾の子)だった無余は王にはなれず、
他の皇子たちとの王権相続争いから逃れる様に都から遠い会稽に移住しました。
会稽は夏の祖・兎が崩じた土地であり、よって、無余は会稽で兎の祭祀を行った。
同時に無余は黥面文身、即ち顔と体に入れ墨を施した。
無余はこうすることで現地人と心身ともに一体化し、都に戻らない意思を示したわけです。
この黥面文身は江南地方に住む海人族達の風習であり、
海に潜って魚を獲る時に鮫に襲われない様な呪いとされているものです。 >>76
ぶっちゃけ自分でも意味を見い出せていないw
>>82
それだw
酔っ払いと酔っ払いが酔っぱらった頭で論争しているから、一向に話が進まないw >>88
そういや昨日モンブラン食べた
おいしかった >>89
まぁ雑談だし
それでいいんじゃなかろうか >>83
交代したよ
寝るからーとか言い訳してたけどw
8時間くらい張り付いて、ピタッっと止まるw 卑弥呼が奴国王の子孫だとすれば、仮にこの鏡が漢の時代のものだったとしても卑弥呼へ受け継がれたかもななんて想像ができなくもないわな
美典さんはそんなん関係なく畿内説挑発してんだろうけど 細密な金銀象嵌を施した上にトルコ石を始めとした玉をちりばめた宝鏡
大陸王室の伝来品だと言っても違和感の無いほどの手間のかけ方
日本にあること自体が不自然なオーパーツ 江南地方は農耕が盛んで日本の米作もこのへんから来てるっぽいし
当時の九州一帯は確か農耕してた 畿内説はそもそも学説として成り立ってない。
ただのファンタジー。
邪馬台国論争は、九州説の不戦勝。
畿内説はサンタクロースみたいなもの。
実在しないが、ファンタジーとしては確実に存在している。
小さい子供にサンタクロースなんて居ないと言うと女とかがムキになって怒るだろ?
畿内説ってのはそういう感じのもの。
>>94
オーパーツでも何でもないよ
漢の時代のものだろ
卑弥呼以前の でも、最も有力な証拠のはずの桃の種が出土してないんだろ
桃の種が邪馬台国の決め手だと聞いてるぞ
だから京都か奈良くんだりのケムマキ遺跡が邪馬台国なんだろ 畿内は和邇系の縄張りでそれを九州からタケルの威を借りた兎一派が乗っ取っただけだよ 卑弥呼さんが漢伊都国王金印を使っていたと思う
そして真偽倭桜金印をもらったので使用金印を変えた
二代あとの伊代さんは親晋倭王金印をもらったかどうかは定かではない
そのとき審議倭王金印はどこに行ったのか >>59
>学説として成り立ってないんだよ畿内説はw
その成り立っていないという理由を「具体的に根拠をつけて」示しておくれよ 多分兎が乗っ取る前の日本からの使者は呉の末裔だった
(引用)
魚豢(ぎょかん)の書いた『魏略』には「聞其旧語、自謂太伯之後」、
「其の旧語(昔話)を聞くに、自らを太伯の後(胤)と謂く」と記されます。
これは卑弥呼が魏に貢献したときに遣わされた倭使・難升米の言葉なのですね。
つまり景初二年(AD238)秋、倭使・難升米は魏の官邸に出で、明帝や諸臣等の前で、
自分達倭人が呉の祖・太伯の血を引いていることを高らかに宣言したわけです。 呉の末裔の派閥を駆逐し、夏と兎の末裔が暴れて乗っ取った 邪馬壹国は魏と交流あるし国政に関わる人間は確実に漢字使ってたよな
九州北側からは硯も発掘されてるし
大王を何故かオホキミなんて読んでるけど、オオキミって大君でしょ?
新しいはずのヤマト朝廷は漢字が全然駄目なんだよな
ヤマト朝廷とは関連性ないでしょ? >>57、>>58
要するに「根拠はないけどイヤだ」ってだけだね
九州教とか九州カルトとか言われてるけど
学説でないのはもちろんのこと、宗教ですらない
宗教以前の個人の感想なんだな >>97あの水準のものが日本のおかしな場所で出土するというのがオーパーツ 宮崎でも王候クラスに与えられる漢の時代の穀璧(玉璧)が出土していたね 乗っ取られた連中の宮殿では多分呉服を着ていて
暴れて大王になった連中は多分刺青してた ま、歴史書を勝者が作るものだとしたら
ヤマト朝廷の敵だった手足の長い土蜘蛛って
本当に文明のない土人だったのかは疑問だよな?
むしろヤマト朝廷より進んだ国や王家だったりしてねぇ
歴史では、文明国が野蛮な蛮族に滅ぼされたって何度も起こってるしねぇ 要する近畿パーの九州説に対する感情って「根拠はないけどイヤだ」ってだけだね
近畿教とか近畿カルトとか言われてるけど
学説でないのはもちろんのこと、宗教ですらない
宗教以前の個人の感想なんだな >>98
いつの間に桃の種が出世してるよな。
桃は道教における聖果であるというだけで、卑弥呼の「鬼道」を
道教だと見做す証拠がなければ意味がない。イザナギの冥界下りでも
登場はするが、それが3世紀に通じる信仰かはわからん。
>>105
俺に関しては個人の思いだよ。
客観的には八女が妥当だと考えているけど、
同時に、纏向で「あるべきではない」とも思っている。 みんななかよく「大和」ってなだめて大王臣下として対中外交してたのに
また暗殺されたかわいそうな蘇我さん >>1の鏡
金印
三種の神器
と、王族を連想させる古代のお宝は北部九州からザクザク出てるのに
関西からはスカスカw
こんなんでなぜ古代の倭国の中心だったと思えるのか? 奈良県とか関西では建設中に遺跡見つかると家建てられなくなるから
見なかったふりして埋め戻しちゃうらしいし >>110
ここまで記録がないのは
邪馬台国が土蜘蛛側の勢力だった可能性も考えられるね
大和政権の日本征討はかなりエグかったようだし 金銀錯嵌珠龍文鉄鏡は漢の時代に一部の上流階級だけが持っていた鏡 熊襲や蝦夷も征伐されてるしな
もしかしたら完全に外国人の侵略だったのかも 「やまと(邪馬台)」は、大陸・半島との交易した「みなと」とセットで考えないと駄目だ。 >>120
そもそもの話
空白の4世紀以前のリアルタイム記録は
中華史にしかないので >>113
とりあえず八女は違う。21国のほうにあるんだから。 >>127
八女とか一部の地名より筑紫平野でいいよ
筑紫平野なら30万人は養える >>124
意外なことに記紀には「みなと」が出てこないんだよね。
俺が確認できたのは出雲国風土記の意宇郡売布社。
宍道湖のところの、まさに「水戸」の位置だ。
>>127
うんにゃ八女。
じゃなきゃエジプト。 >>129
女王の領域は山陰も含む。筑紫平野だけじゃない。 魏で朝貢に応じる側も
「魏さん、また新しい国を見つけて挨拶させに連れて来ましたぜ」
って連れて来たやつがライバルの呉の関係者だとわかるとまずいので
使者が呉の末裔を自称してたのはどさくさ紛れになかったことにしようとしてるし >>131
そりゃそうだ
稲作の面では筑紫平野な
>>132
近畿パーを俺の脳内で流行語大賞にしたw 邪馬台国はヤマト国で山門国のこと。
邪馬台国発祥の地。
その後卑弥呼の時代には御井に移った。
御井の祇園山古墳が卑弥呼の墓。
卑弥呼の死後甘木・朝倉に移り(安本美典の言う邪馬台国)、
最終的には奴国と融合して太宰府に都を作り(倭京)、そこで滅んだ。
近畿日本と九州倭国は別の国。旧唐書にある通り。 そんで「ふう、まったくどいつもこいつも異国の使者は大夫の末を名乗りやがる」
みたいな 。
大夫とは↓
(引用)
大夫とは、中国の周代から春秋戦国時代にかけての身分を表す言葉で、
領地を持った貴族のことであった。大夫は卿の下、士の上に位した。
周代、周王室および諸侯に仕える小領主は大夫と呼ばれ、その上級のものが
卿と呼ばれ、国政に参加した。諸侯が横暴であった場合、
大夫らにより追放されることもあり、主君を脅かし得る地位を得るようになった >>134
訂正
山陰じゃなくて山だけ読んでしまった
山陰はないのではなかろうか 古代日本史に別段な謎など何もない。
九州倭国と近畿日本の二つの国があり、後者が前者を併呑して名前も騙った。
旧唐書にある通り。 甘木に邪馬台国の秘密がある
ttp://i.imgur.com/n0jzH4k.jpg >>135
魏志倭人伝にもすでに書いてあるよね
東に倭人の亜種がいると
だがよく分からないようだ 滅んだつーか臣従させて宮ごと乗っ取ったかんじ。
建物も元々あったやつのが立派だったのでちょうどよかったのでは
なんか折伏カルトとか朝鮮やくざの日本人一家乗っ取りのスタイルに似ている
有名な事件も北九州と尼崎だし きっと古くからの遺伝子に脈々と伝わるスタイルなんだな
遺伝子は生きていて、意外と子孫の行動パターンに大きく影響するのだ >>143
なんであんな狭い海峡が渡れないんだよ。
日本まで船で来といて。 >>145
無数の選択肢を経て
今この時この時間に会話してる俺たちって
だいぶ似た境遇なんじゃなかろうかと
思う時がある 女王の領域の21国の中に已百支国と言うのがあるが、
翰苑では已百支が巴百支と書いてあり、恐らくこちらが正しい。
何故なら、已百支はこのままでは事実上該当するものが無くなるが、巴百支の写し間違いであるとなると、これはハハキ(甲音)としか読めないし、且つハハキ(甲音)なら島根の伯耆の国(「ほうき」の国、昔は「ははき(甲音)」の国)とピタリと符号する。
また為吾国も該当が無い。しかしこれをウカと読み宇迦のことであると考えれば出雲のことだ。
また烏奴国はアナ国で穴門(アナト)国、後の長門国のことだろう。
つまり女王の領域には山陰が含まれる。
またそう考えないと国譲り神話と合わないし、七万戸が説明しにくくなる。 倭国で呉の末裔である卿の縄張りを夏の大夫の末が乗っ取ったんだな >>142
邪馬台国はヤマト国で山門国のこと。
邪馬台国発祥の地。
その後卑弥呼の時代には御井に移った。
御井の祇園山古墳が卑弥呼の墓。
卑弥呼の死後甘木・朝倉に移り(安本美典の言う邪馬台国)、
最終的には奴国と融合して太宰府に都を作り(倭京)、そこで滅んだ。
近畿日本と九州倭国は別の国。旧唐書にある通り。 >>146
出雲国風土記に記述がないのはちょっと齟齬が >>146
行けば分かる
いつも渦が巻いている
猛烈な風
手漕ぎの船では無理 魏は詳しいことはよくわかってなかったのかもしれない >>152
なんであんな狭い海峡が渡れないんだよ。
日本まで船で来といて。 >>116
古代中国で戦いや派閥抗争に破れて、日本の九州に逃げてきた
中国の王族や豪族みたいな人達の宝物だったんじゃないの? 神話でもヤマトタケルは野蛮人っぽいけど、敵や接待してもらってたやつの宮とか豪華っぽいし >>159
美男子だったと思うよ
女装してクマソタケルの寝室に入りこみ殺してる >>1
この間のスレとは違うスレが立ってたのか、気づかなかったな。
あの時は「地域限定短里説」を論破するとか言ってた畿内派が、
結局、スレ終了間際になってから書き逃げしていたが、
このスレで決着つけようかね。
↓がその時の畿内派の言い分だ。
―――――以下引用―――――
996 名無しさん@1周年 2018/11/20(火) 23:38:48.80
(中略)
古代に数百キロの直線距離を測る技術はない
リアス式海岸を循海岸水行で航行すれば直線距離の2倍、3倍になる
渡邉義浩氏によれば、海外から矢の届くくらいの距離だというから数十メートルだろ
直線距離に一致してるから短里とか論外の外
―――――引用ここまで―――――
つまり、魏志韓伝にある三韓の面積が「四千里四方」というのは、
長里では説明がつかないという「地域限定短里説」に対し、
直線距離は測れないから航行距離で測った数字だという反論だが、
航行距離を測る方が遥かに難しく、当然そんな技術は無い。
いくつかの地点の距離を繋ぎ合わせたか、時間をもとに計算したか、
いずれにしろ、間接的に計算して出したと考えるのが自然だし、
測量結果として報告されているぐらいなので、
その計算の誤差も許容範囲だと考えるのが自然。
5〜6倍というとんでもない誤差が出るものを測量結果として報告する、
という「無理やりさ」「不自然さ」が短里説否定の根幹にある。 本州の歴史のが古そうだけど、日本て名乗り始めた連中は九州上陸組と思う 歴史
★ お楽しみタイム
2020年東京オリンピックの泣ける歌
「東京ルーザー 〜 2020年のオリンピックを」
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(新宿、渋谷、上野、浅草、下北沢、池袋、銀座、原宿)
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以上8ヶ所の東京都内の地名が、歌の歌詞に登場します >>126
それ不自然だと思わない?
中国に朝貢に来るような国が記録の一つも残さないなんて
大和朝廷が征討の過程で抹消したんじゃないかって疑問がぷんぷんだわ >>162
素手で兄貴を引きちぎってバラバラにしたバケモノだぞ >>170
イミフ。
意味の分かることを言うように。 女王の領域の21国の中に已百支国と言うのがあるが、
翰苑では已百支が巴百支と書いてあり、恐らくこちらが正しい。
何故なら、已百支はこのままでは事実上該当するものが無くなるが、巴百支の写し間違いであるとなると、これはハハキ(甲音)としか読めないし、且つハハキ(甲音)なら島根の伯耆の国(「ほうき」の国、昔は「ははき(甲音)」の国)とピタリと符号する。
また為吾国も該当が無い。しかしこれをウカと読み宇迦のことであると考えれば出雲のことだ。
また烏奴国はアナ国で穴門(アナト)国、後の長門国のことだろう。
つまり女王の領域には山陰が含まれる。
またそう考えないと国譲り神話と合わないし、七万戸が説明しにくくなる。 >>171
残す技術そのものが
当時の日本にはまだないので これは和邇さんのルーツでもあるのかね?
夏は倭国の起源
完全に古代日本人の文化と特徴が一致
>「禹」という文字は本来蜥蜴や鰐・竜の姿を描いた象形文字であり、
>禹の起源は黄河に棲む水神だったといわれている[注釈 2]。
この神話から、禹及び夏人は南方系の海洋民族であったと想定する説もあり、
その観点からも多数の研究書がある。 近畿パーは発狂しか手が無いのか。
ある種万能だけどw 呉のほうが後に倭国に来たけど先に中国に使者を送ったと考えるべきかね
夏とか殷の前にあった中国でも伝説の古い王朝らしい 「近畿では鉄が溶けやすいんです!」(キリッ
だもんな近畿パーはww >>177
難しい事は書かなくていい
ここは素人しかいない
宗像大社の謎とはっきり書けよ >>184
いやとてもよく意味が分かるよ。
近畿パーが発狂してるってこと。 >>191
スネるなよ近畿パー
近畿パー可愛いよ近畿パー >>179
夏なの?
骨を焼いて占いとかなんか殷っぽいなって思ってたんだけど 古代日本の中部地方は蛇や龍にまつわる水神信仰があるからね
水害を恐れてて治水の為に祀られていたのだ この鏡が表に出てきた事によって歴史が変わるな
文科省大変だ 女王の領域は已百支が鍵になる。
已百支では該当が無くなる、かつ
翰苑では已百支が巴百支と書いてありこれだとハハキ(甲音)としか読め無い、かつ伯耆(ははき(甲音))で
ドンピシャだと言うこと。
女王の領域には山陰が含まれる。
まず間違い無い。 移住先の九州に神社作ったのかね
うさぎさんの子孫が
実は逆で日本のが古かったりして
紀元前二千年近い頃の洪水の被害をおさめたのが
夏の兎さん
黄河の大洪水って話だけど
太平洋のムー大陸とかだったりして
中国でも伝説だから実在したのかわからないっぽいし 邪馬台国は北九州で、同時期に畿内にも大和朝廷の前身が存在してもおかしくはない。邪馬台国は
関門対馬海峡を抑えて、大陸へ朝貢したから記録に残ったので、強大だったからではない。痕跡が残
って無くてもおかしな事ではない。その後、大和朝廷が強大化して九州も征服、神話は反対に東征した
と書くことで九州と融和を図ったと考える方が自然だ。 うさちゃんと和邇さんの起源とは。
どっからどこまでが同族支配の地でどっから異民族だったんだろうな 禹の創業
夏王朝の始祖となる禹は、五帝の一人顓頊の孫である。帝堯の時代に、禹は大洪水の後の治水事業に失敗した父の後を継ぎ、舜帝に推挙される形で、黄河の治水事業に当たり、功績をなし大いに認められた[要出典]。
2016年8月に科学雑誌『サイエンス』に掲載された研究結果によると、この大洪水は紀元前1920年に起こったという。
舜は人望の高かった禹を後継者と考えていた。
舜の崩御後3年の喪に服した禹は、舜の子である商均を帝位に就けようとしたが、諸侯が商均を舜の後継者と認めなかった為に禹が帝位に即位し、陽城(現在の登封市)に都城を定めた。
禹は姓は姒(じ)と称していたが、王朝創始後、氏を夏后とした。
禹は即位後暫くの間、武器の生産を取り止め、田畑では収穫量に目を光らせ農民を苦しませず、宮殿の大増築は当面先送りし、関所や市場にかかる諸税を免除し、地方に都市を造り、煩雑な制度を廃止して行政を簡略化した。
その結果、中国の内はもとより、外までも朝貢を求めて来る様になった。
更に禹は河を意図的に導くなどして様々な河川を整備し、周辺の土地を耕して草木を育成し、中央と東西南北の違いを旗によって人々に示し、古のやり方も踏襲し全国を分けて九州を置いた。
禹は倹約政策を取り、自ら率先して行動した。 『竹書紀年』に依れば、45年間帝であったという。略
九州(きゅうしゅう、くしゅう)とは中国全域の古称。古代、中国全土を九州に分けたことに由来する雅称のひとつである。中国では天下、世界全体の意味で用いられる場合もある。 まあ、単純に黄河が洪水でむちゃくちゃになったから
海渡って日向に神社建てて定住したのかもだけど
そんで田んぼを >>208
安本さん?
ネットで掲示板見ているとか言ってたけど だから
>女王国の東、海を渡ること千余里。復(また)国有りて、皆、倭種。
これが中国地方では無く、四国のことだと分かる。
>又、侏儒国有りて、その南に在り。人長は三、四尺。女王を去ること四千余里。
これが高知西部の幡多地方のことであると分かる。
(ここには小筑紫と言う地名もある)
また侏儒=スクナビコナも分かる。
ワダツミは由来の分からない言葉だが「幡多(はた)つ海」のことだったわけな。 尚、「禹」という文字は本来蜥蜴や鰐・竜の姿を描いた象形文字であり、禹の起源は黄河に棲む水神だったといわれている。
この神話から、禹及び夏人は南方系の海洋民族であったと想定する説もあり、その観点からも多数の研究書がある。 近年の考古学調査によれば、紀元前1628年にテラ島の噴火により地球規模の気候変動が起きていたことがわかっており、史書にも桀王年間の天候不順が記録される。
合わせて、夏の遺跡である望京楼遺跡からは殷による激しい破壊と虐殺の跡があり、宮殿以外は全て破壊され、出土する遺骨も多くが手足が刃物で切断されていたり、顔が陥没するなど、深い加害のあとがしのばれる。
このようなことから、実際には力によって、殷は夏にとって代わったことがわかる。遺跡からは夏人のどれも毀損された遺骨と共に殷の青銅の武器も出土する。
天乙は帝位に即位すると夏の血を引く者を夏亭(『史記正義』による)に封じた。周代に於いては、杞に於いて諸侯に封じられている。 わだつみは広い海って意味だよ。
日本語でも8には無限大って意味があるから
八百万もそうだけど
∞←これ >>208
邪馬台国は、卑弥呼の一時期は狗奴国(=球磨国)を除く西日本西部全域を勢力下に収める大帝国だよ。
だから金印を仮授されたの。 >>219
四国は剣山のミイラの正体をはっきりさせろ 卑弥呼の時の邪馬台国は、
大国投馬国(tuma国=西都原の妻)を同盟国として狗奴国(球磨国)を挟撃し、北は伊都国に命じて奴国などの強国を抑え込み、筑紫平野と山陰を直轄領とし、
四国の幡多(侏儒国)とも同盟していた。
狗奴国を除く西日本西部全域を影響下に置いた、当時では画期的な大帝国。 しかし奈良って情けないな
邪馬台国に執着しないと経済回らないのか
聖徳太子もいなかったし法隆寺も大宰府からの移築
いい加減にしてほしい 逆に言うと、こんな大帝国に挟まれて居ながら余裕で強国を保持していた狗奴国(球磨国)の強大さも印象深い。
徐福伝説は、狗奴国だと思われ。 建国:黄帝の三苗征服伝説との対応
『墨子』五巻には夏と三苗(ミャオ族)に関する伝説が記載されている。
三苗(サンミャオ)時代に、夜に太陽が現れ、血の雨が三日間降った。龍が寺に現れ、犬は通りで吠えた。夏の水は氷になり、大地は裂け、水が噴き出した。五穀は変異した。
天はミャオ族に克服を課した。雷が連続し、鳥をともなった者がミャオ族の指導者を射た。後、夏王国は建国した。
このミャオ族と夏の建国に関する伝説については、他の史書での記載と対応させると、以下のようになる。
紀元前26世紀頃、神農時代、華夏民族の君主・黄帝が蚩尤(『路史(中国語版、英語版)』によると羌が姓とされる)民族の討伐作戦を行い(涿鹿の戦い)、涿鹿で破った。
戦いは黄河の台地で行われた。蚩尤は濃霧を起こして華夏軍を苦しめたが、黄帝は指南車を使って方位を示し、蚩尤民族を破った。この時、他に蚩尤に味方したのは勇敢で戦の上手い九黎族、巨体の夸父族だった。
敗れた蚩尤民族はミャオ族と黎族に分裂し、ミャオ族は四散した。一部は周代に華夏民族と同化し、一部の部族は春秋の強国である楚や呉の建国に関わった。
中国では楚は異民族の国とされている。六朝時代に揚子江南部を支配していた南朝は北方民族の侵入に苦しめられており、あまりミャオ族を歓迎しなかったが、五胡による揚子江北部の破壊により、ミャオ族が大量に南朝の領域に入ってきた。漢民族と同化する事もあった。
先秦時代、苗族は、苗民、尤苗(ヨウミャオ)、三苗(サンミャオ)と呼ばれ、揚子江流域に住んでいた。長江文明に属すると見られる三苗は屈家嶺文化及び石家河文化付近を本拠地としていたと見られる。
三苗は母系集団であり、黄河流域の中原に依拠した父系集団の龍山文化と対立した。この龍山文化集団が夏王朝に繋がる遊牧民族的な父系集団と見られる。
中原地域は黄帝と炎帝の活躍した地域で、炎黄集団は仰韶文化後期に一度衰退し、龍山文化期に復興し三苗民族を征服した後、夏王朝を興す。
黄帝の三苗征服伝説は、黄河文明と長江文明の勢力争いを描いたものと考えられる。 まず
邪馬台国や卑弥呼なんて無かった、いなかった
ということから始めた方が良い
魏志倭人伝なんてデタラメ
古代の人が妄想で書いたものだよ
あの頃の日本に国と呼べるようなモノなど無いんだよ 古代ユダヤの支族が日本に定住したんじゃなくて
イスラエル滅亡後のイラクの牢屋で経典まとめてたとき
ユダヤ系の囚人が参考にした伝説に中国のやつがあっただけと思う
殷が変な工作してそうだったし
捕虜を利用して >>166
それおれだけど、常識さえあれば数百キロの直線距離を測る方法がないことくらいわかったと思ったが、まだやるんかいw
>いくつかの地点の距離を繋ぎ合わせたか、時間をもとに計算したか、
>いずれにしろ、間接的に計算して出したと考えるのが自然だし、
>測量結果として報告されているぐらいなので、
>その計算の誤差も許容範囲だと考えるのが自然。
何らかの方法で直線距離を測れたと言い張ってるだけにしか見えない
直線距離を測る方法があったことを証明すればいいだけのこと
陸上の距離とは曲がりくねった道を歩いた「道のり」の距離になる
海の上よりはるかに遠回りするだろうがね
もし、そんな技術が古代からあったら、正確な地図をとっくに作ってるけどな
とにかく、言い張るだけではダメで、直線距離を測る方法があったことを明らかにしてくれ
4000里四方は測量して出したのではないと思ってるが、
航行距離は直線距離の2倍、3倍になると言ったのは、倭人伝に「水行」とあり、それとの整合性のため
「従郡至倭 循海岸水行 歴韓国乍南乍東 到其北岸狗邪韓国 七千餘里」
>5〜6倍というとんでもない誤差が出るものを測量結果として報告する、
>という「無理やりさ」「不自然さ」が短里説否定の根幹にある。
意味わからんけど、短里説否定の理由は架空の単位の捏造を認めないだけのこと >>208
神話の舞台はむしろ狗奴国の領域かと
畿内が狗奴国を利用して邪馬台国を倒した後弱ったところを征服したからとした方がより自然では?
邪馬台国が魏を頼ったのは狗奴国の後ろ盾の畿内に対抗するためとかね >>230
ミャオ族って見た目も習俗も日本とかなり似ている >>228
聖徳太子はいただろ。
聖でも徳でも無かっただけで。
井沢の怨霊説が正しいんだよ。 >>239
いなかったから教科書からもお札からも消えた 後継民族・国家
夏の後継といわれ、またそのように自称した民族に以下がある。
禹
河南省禹州市は紀元前1世紀になっても夏人の町として有名だった。『史記・貨殖列伝』では、潁川(えいせん)と南陽は夏人の居。潁川は秦末期に、一部の民を南陽に移した。
南陽は西は武関に通じ、東南は漢江、長江、淮河を受ける。宛(えん・南陽市)は亦都会で、その風俗は奇矯、職業は商人が多く、彼等は任侠で潁川と交通するので、夏人と呼ばれていると記されている。
杞国
杞県に在ったとされる。
越国
福建省、広東省、広西省からベトナム北部にかけて活動していた越人は夏人の末裔を自称していた。また禹の墓があると伝承される会稽山は越人の聖地でもある。紀元前333年、越国は楚に滅ぼされ越人は四散した。
百越
倭
倭人・倭族は百越の一族ともされ、また越人の一部は倭国に渡来したとされる(下記「#倭国との関連」参照)。
匈奴
『史記』『漢書』「匈奴列伝」に依れば、匈奴の先祖は夏后氏であり、この夏后氏は夏王朝の一族である。名を淳維といい、夏后淳維といった。 馬子ちゃんの孫が聖徳太子だけど、そいつら殺して皇位簒奪したやつの子孫が今の天皇
ってなると具合悪いので負け組の犠牲者は画面からカットされる >>1
卑弥呼は個人名ではないにしろ
国の最高権力者が祈祷師みたいな女王だったのは事実だよ >>242
もうね、国際問題になるから黙って教えから消し去るしかないの 古代日本と渡来人の関係が明らかになるにつれ
古代朝鮮人と現代の北朝鮮・韓国人は別とかいう
生物学を完全に無視した頭の悪いネトウヨ説をよく見かけるようになったな。 初期の頃の天皇も中国の初期の王も
鱗あったりバカでかかったり寿命が半端なかったり
逸話が人間離れしてんだよね 古代イスラエル滅亡って中国の春秋戦国時代あたりやね
すごい古いイメージあったけど案外古くもなかった 中国のルーツのがイスラエル成立より古いぞ
わざわざルーツをイスラエルに探す必要はあんまなかった >>233
曲がりくねった道を歩いて測っても誤差は2倍も無い。
よって、「5〜6倍の誤差はない」という結論に変わりはない。
反論したいなら、まず「5〜6倍もの誤差が出る測量方法」を示した上で、
「そんな測量方法でいちいち測って報告する事にどんな意味があるのか」
について具体的に答えるべきだろう。 まぁ神武天皇が東征し奈良に大和国を建国したのは事実だ
建国の地だけでもありがたいと思わんかね ついでに、ここの前スレでの短里説否定論で具体的なのは、
「魏の臣下である帯方郡使は公定尺の度量衡以外は使えない」
ぐらいだと思うけど、2通りの反論があり得ると思う。
1つは昔からよく言われる「誇張説」だ。
司馬懿のライバルの手柄であるインドの朝貢に対抗するために、
司馬懿の手柄である倭国の朝貢を誇張して、倭国を大国に見せた、
あるいは、敵国である呉にプレッシャーを与えるために、
倭国の大きさを誇張して、呉の近くにあるように見せたというもの。
(この場合、全体の形を崩さないために同じ係数を掛ける必要がある)
もう1つは、短里を公定の度量衡だと勘違いして使っていたというもの。
近世の日本では、面積を長さと混同したためか、
1里の長さが6倍(6町だったのが36町)になったが、
別に中国と異なる度量衡を新たに作ろうとしたわけではない。
言わば勘違いで6倍になっちゃったわけだ。
日本とは逆方向の混同があれば6分の1になり得ると思う。 脱アフリカ大陸して人類の肌が脱色してゆく過程を描く歴史なら
古代イスラエル成立よりもっともっと古く遡る必要がある
夏の河南のしょぼい河川洪水だけでも古代イスラエル成立より
千年古い >>259
そんな事を言い出したらシュメールまで語らないといけないw
縄文文化は18000年
弥生はたかだか1000年だがな 旧約聖書のカナンの洪水て絶対中国のやつと話が混ざっているよね
どこから中東に伝わったかしらんけど。
まあ、シルクロードの時代もあったし
仏教とかもインドだし
案外人の移動はあったのかも また九州のバカチョンが捏造してんのか
奈良県民がおとなしいものやからとどんどん捏造の攻勢かけとるよな
完全に奈良で決まりかけてて焦る気持ちは分かるが 近畿は和邇系の龍の都で、そこを九州から占領したのが日の国の連中だよ >>265
近畿を治めていたのは物部氏
神武東征で島根に追いやられた
何故に国を譲ったのかわからない >>256
>曲がりくねった道を歩いて測っても誤差は2倍も無い。
根拠なし
短里があることにしたいがために言い張ってるだけ
リアス式海岸の沿岸あるいは山岳地帯ばっかりのところをロスなく進めるか自分で確認してみなよ
短里はある、短里はある、短里はあるといくら言い張ってもダメ
>反論したいなら、まず「5〜6倍もの誤差が出る測量方法」を示した上で
意味不明なんだが
架空の距離単位が存在したと言い張る方に立証義務がある
こちらの言い分は、「里は正しくない」だ
通説とまではいかないがメジャーな見解である「万里の修交」に基づき机上で創作した数字というのに同意
そもそも、10000里なんていうピッタリの数字になると考える方がおかしいだろうに >>262
そもそもエジプトとトート王なんて、
後々東へ移動してアジアの王になったと言われてるからな。
実はトート王とは何の化身かというと朱鷺だから。
恐らくは倭の国作りを助けた、海を渡ってやってきた大物主というのは彼等の末裔なんだろう。 >>100
朝鮮人の卑劣さは、チョンポップの人気偽装の手口にあらわれている。
サクラの在日朝鮮人を観客役として大量動員した人気偽装コンサート、
日本人になりすました人気偽装カキコミ
パンスト被ったみたいな朝鮮顔の過剰整形・厚化粧、
ユーチューブの再生連打、「いいね!」連打は
朝鮮人がいつもやってる汚い手口だからな。
韓流アピールしてる人のほとんどが在日朝鮮人だってことはバレてるから。
だいぶ以前から在日企業や在日学生、在日系メディアを総動員した人気偽装をやってる。
【韓流】やはり、K−POPチケットを買っていたのは日本人ではなく在日朝鮮人たちだった[2012/7/6]
http://itest.2ch.net/hayabusa3/test/read.cgi/news/1341579948/
. イスラエルはアフリカとヨーロッパの境目にあるから
なんか起源らしく見えるけど
実はアフリカからインドに渡って左右に移動した
って考えたほうが肌色変化のグラデーションから見れば自然と思うんたよね
顔の凹凸とか
白より黄色のが古いし黄色より茶色や黒のが古い
あたりまえ >>269
伊勢神宮あたりのこと?
関の都市伝説という番組が伊勢神宮ツアー募集している
もう締め切ったかもだが
オチは灯篭のダビデの紋章だろう
くだらん ゲルマン人も元々は中央アジアにいたやつが
フン族に荒らされて西欧に逃げたんだし インドとかイランにイスラエルや中国より古いマークとか残ってたりしないかね 大物主は金比羅さん、つまりクンピーラ。
またトート王の末裔だとするとハッキリする事がある。大物主に嫁ぐヤマトト匕モモソ姫の名前は、ヤマト、トト匕、モモソ姫となるから、
大物主がトート王縁という裏付けでもあるんだよ、名前からはね。
ちなみに数学、計測者の神でもあり、ピラミッドを作ったのもトート王だとされているから、
三角状の三輪山の主とされたのもその為かもな。 >>276
他国に目を向けるより日本の18000年続いた縄文文化だ
過去の有名文明は砂漠地帯になったが日本は残っている >>268
横からだけどさ、ちょっとは考える力養えよ
現代に置き換えて考えてみろ
九州のど田舎ならいざ知らず関西なんかそれは毎日沢山の中国人観光客が訪れる
東京も同じだろう。
はじめて日本を訪れた中国人観光客は東京ディズニーランドは東京にあると思ってんだよ
だけど実際は千葉(どこそれ?)という離れた町にあると日本で説明を受ける
方角なんか分かるわけないだろうが
でも親切な人や駅員に教えられその目的地の駅までの切符を買い東京ディズニーランドを目指す
方角は分からなくともテメーが大体どんだけ電車に乗ったかくらい時間は分かるだろうが
それは当時も同じだろ?方角は目的先がどこにあるか分からないから朧げで間違えることはあっても
距離については今も昔も人が記憶、記録する上では間違えないもんなんだわ だいたいイスラエルの呪術はソロモンがエジプト人に教えてもらったらしいし
ぱくりだよ
古代イスラエルは貿易で栄えたからな
中国人もいたに違いないよ
そんで謀略を >>279
何が言いたいのかさっぱりわからんが、根拠もなく距離は正しいと言い張ってることはわかったw
その距離をどうやって測るかを示せって話だよ 邪馬台国がどこかなんて問題はもはや愚問でしかなく、謎でも何でもない。
畿内の周辺、具体的には矢田丘陵地辺りを中心にしたその周辺部だ。
女王国とは瀬戸内海周辺から畿内の連合国。
だからモモソ姫の伝承範囲の事だよ。
狗奴国はその南側になり、元々中心が熊本から宮崎辺りにある。 >>282
距離を測る方法って言い方は不十分だな
直線距離を測る方法だ とりあえず戦争かあったことはわかった
九州VS近畿だ >>283
悪いがモモソ姫は排除してくれないか
外国から笑われる >>286
重要人物を排除する必要は全くない。
モモソ姫は倭人伝における卑弥呼を反映した人物だならな。 >>285
戦争と呼べるほどのものか分からんが
物部氏が秦氏に国譲りしたのは事実 日の国からきた新参タケル大王化の過程で戦った勢力がみんな
「うちのほうが歴史は古い」
と主張している >>287
どういう重要人物でどんな事をしたんだ? 神武東征話でも瀬戸内海での逸話が皆無なのは、そこが元々倭国の王、孝霊やモモソの伝承地だからであるからな。
そこでは神武の逸話を描けない。女王国だからね。神武は狗奴国の祖先伝承という事。
邪馬台国と狗奴国は卑弥呼の死で対立関係でなくなったということなんだろう。 アイヌ
「夏王朝の末裔だと?うちが列島にきたのは氷河期時代だ」
呉の末裔
「呉服を日本の民族服にしてやった恩をこの白丁どもはわかっていない」
和邇
「出雲を乗っ取ったのは俺が先」 >>290
ヤマトで生まれて瀬戸内海の治水や農業の神となっている。また村上水軍の祖先としても扱われている場合もある。
その後ヤマトへ戻って巫女王になる。崇神天皇の後楯という存在でもある。
その後箸墓の被葬者となるが、讃岐の祭祀様式なのもそれを裏付けている。 5chは九州派が多いね。
ド素人だけど、放射説って普通に考えて無理があると思うがどうなん? >>294
そうなのか〜
地元の伝説の女王様なんだな
だがな、死に方が悪い
もしも卑弥呼なら隣国の笑われ者になる >>256
おーい、いつまで待たせるんだ
さすがに寝るぞ >>296
死に方は別におかしくないですよ。
また卑弥呼の存在感を無視する理由にもなります。
実際はホトを突く逸話は巫女としての影響力を封じる為にえがかれた話で、本当の目的は大物主の権威下げですから。
日本書紀は仏教を広める為の物でもあるからね。 >>298
だめです
隣国に広がる時はまん○に棒で
あへあへしながら死んだ事になる
モモソは却下 >>295
ネット工作というと、ある程度判るでしょ。
実際考古学の現場で邪馬台国九州説をとる人なんてもはや殆どいないですから。
あまりに弥生末期の考古学の現状からは、過去の九州説の主張はもはや通用しません。 >>300
畿内説の学者は電通から研究費貰えるらしい
金もらえなくても毅然と九州説唱える専門家は尊敬する >>299
アマテラスの妹、もしくは本人もホトを傷めて死んでますからね。
スサノオの母親といい、重要人物はホトを傷めて死ぬ、皆そういう逸話を持ちますよ。
モモソもその流れてなんで最重要人物ですね。 >>301
そういう根拠もない発言は止めた方がいいですね。
映画や出版物は九州説の方が多かったのに矛盾してます。
またJR九州の社歌に卑弥呼の名前入れたりとかもね。 卑弥呼記事ってほんと内容がないな
ほんと道楽の世界だわ
そして近畿の古墳は暴けないという滑稽話付
真理を追究出来ない日本考古学というメルヘンからいい加減脱却してくれ >>304
奈良の邪馬台国のイベントには
必ず電通が協賛になってるね
研究費貰いたいクズ学者ばかり 反日色盲絵師 岡尚大塾長
自宅前に停めてた街宣車
かっけーですた(`_´)
http://omoshiro.o.oo7.jp/joy/34738.jpg 反日色盲絵師 岡尚大塾長
自宅前に停めてた街宣車
かっけーですた(`_´)y
http://omoshiro.o.oo7.jp/joy/34738.jpg 反日色盲絵師 岡尚大塾長
自宅前に停めてた街宣車
かっけーですた(`_´)y−
http://omoshiro.o.oo7.jp/joy/34738.jpg >>307
奈良で邪馬台国のイベントなんて滅多にないのだが。またイベントで学者の研究費なんてどうやってまわっくるのかと。
九州説の映画だとまぼろしの邪馬台国、
勿論これは電通ですよw >>312
イベントは学者が奈良説で頑張った成果だろう
邪馬台国イベントのポスターは検索すれば出てくる
電通はNHKから国民を守る党の立花さんが
NHKに勤務していた時は社長が韓国人といってた
NHKが反日になったのもそのせいとか
まあ邪馬台国にには関係ないようで裏社会は関係するんだな 奈良は外国人参政権を認めている市町村があるね
福岡にはない
魑魅魍魎の地で気持ち悪い >>313
意味不明だな、奈良で電通が後援のイベントなんて聞かないのだが。
大体邪馬台国のイベントなんて大半九州説の爺さんしかみたことないですよ。
考古学者はそういう場で邪馬台国問題には
極力触れないですから。
何しろ訳わからない質問ばかりで仕事に差し支えるからね。 >>315
ポスター見てから言って
必ず朝鮮電通の文字がある >>314
宗像市は福岡じゃないのかな?
>>316
そんな畿内説のイベント自体が無いのに何を見ろと。
本当頭大丈夫か?君がまともな日本人とも思えないけどね。 >>317
宗像市の事を>>314で言った覚えはない こんな事を言うと失礼と分かっているのだが
奈良県より福岡県のほうがIQ高い 宗像三女人は嘘っぱち
社の千木が男千木
男の神様多分物部 九州チョンの連投うざすぎ
嘘も百回言えば事実となる民族性が出てるな >>148
>何故なら、已百支はこのままでは事実上該当するものが無くなるが
已百支はイホキで、景行天皇の三太子の一人、五百城入彦皇子の土地だよ
現代に残っている地名としては伊吹山のイフキ >>152
沖合を遠巻きに渡れば何も問題ないだろ?
何をバカ正直に流れの速いところを無理にわたる必要があるんだ? 槨の出土でマキムクは詰んでいる。
もう終わりだよ。 奈良は聖徳太子もいなかった
もちろん蘇我氏もいない
はいはい
お疲れさまでした
一般人を騙す学者が悪い >>253
>朝鮮人など関係ない
>ここは邪馬台国スレだ
それがな、ホロン部の活動として荒らしに来てるから無関係じゃないんだよ
邪馬台国とヤマト王権を切り離しさらに大和朝廷の開始を遅らせることで
日本の歴史を短くしようとする⇒皇紀2600年に対するコンプレックス
倭国を列島の広い範囲の国ではなく九州限定の小国にしようとする
⇒当時の韓地が小国分立状態だったから東夷の大国、倭国の存在が許せない
邪馬台国を九州にして大陸や半島の強い影響下にあったと言い張る
⇒現代でも大陸中華に近い方が上位で兄の国とかいう事大主義思想
日本人とは受けた教育が違うから、思い込んでるってこともあるんだろうけどさ 去年の今頃だったかな
諸説ありと言う番組で奈良からベニバナの花粉がでてきたと
さもしたりやったりと放送していたがベニバナを染める絹がない
卑弥呼が魏国に献上しているのは赤い絹織物
なんでこんなバカ学者しかおらんのだ
軽蔑する >>258
>1つは昔からよく言われる「誇張説」だ。
>司馬懿のライバルの手柄であるインドの朝貢に対抗するために、
>司馬懿の手柄である倭国の朝貢を誇張して、倭国を大国に見せた、
ここまででいいよ
三国志が書かれたのが西晋の時代で晋の司馬氏の高祖が司馬懿だからその功績
=公孫氏討伐とその結果の東夷の朝貢を偉業とするために過大な数字を「当てはめてる」
大月氏が長安から萬千六百里だから、倭国の入り口までが萬里、
女王国までが淮南子等に見られる世界の果てまでの萬二千里に設定されてる
実測値などないし、ある意味適当に割り振っているから、
区間によって一里当たりの実際の距離が4倍も差が付いている
>あるいは、敵国である呉にプレッシャーを与えるために、
>倭国の大きさを誇張して、呉の近くにあるように見せたというもの。
これはないだろ
百越の末裔って設定なんだから
>(この場合、全体の形を崩さないために同じ係数を掛ける必要がある)
全体の形が分かってないんだから、形を崩さないようにというのは無意味
魏志倭人伝 見て、近い方から順番に一列に国を順番に並べているだけだから
形は気にしていない >>329
大和朝廷をつくったのは百済人だとしているから邪馬台国が大和だとまずい
も追加で
北部九州と言い張る人はまずそうだろうね 百済を作ったのは大和
百済は大和であり大和は百済だった
by竹田
質問があるなら竹田恒泰にメールすれば? >>295
>放射説って普通に考えて無理があると思うがどうなん?
それでいいよ
今いるところが起点で方角・距離が示されて着いたところの地名が記される
というのが、地理・旅程記事の基本
そして、着いたところが次の起点
途中から移動の起点が振り出しに戻ることもない 放射性測定器は100ねんの誤差がでる
今は改良が進んでいる 王手って言ってるのに、
「王手って何ですか〜」
って言ってるレベル。
だから畿内説はキンキーって言われるんだよ。 >>303
>もうやめてくれないか
>はずかしい
そうは言ってもそもそも天孫降臨の皇祖神ニニギノミコトの名前からして
漢字で書くと瓊瓊杵尊で、瓊は「大事な玉」で杵は餅などを「突く棒」
「大事な『玉二つ』に、もちもちしたものを突く『棒』」って言ったら
アレしかないだろ
日本神話ってそういう作りなんだよ マキムクの発掘の成果として、
3世紀の馬具と槨が出ました。
ああ、マキムクは邪馬台国では無いな。
これ以外、何があるんだ。
キンキーはマジで狂っている。 >>295
中国の史書の慣例として、距離→地名のときは連続読みで
地名→距離のときは放射読みというのがある。
伊都国までは距離→地名で、それから後は地名→距離なので
伊都国から放射読みになってるという説はある。
伊都国だけが卑字無しの特別扱いだからここから違いがあってもおかしくはない。
ちなみにイトというのは古アイヌ語で鼻とか岬の意味。
トマムは苔とか湿地帯の意味。
宮崎平野には高鍋湿原があるし近くにツマという地名があるので
投馬国は宮崎平野だと思っている。
それどころかもし神話に基づいているならヤマト王権の王は投馬国から出発したことになる。 >>324
>沖合に流されて変な場所につくことは?
どこについても、倭国だから問題ないだろ
半島との間を行き来できるくらいの能力があるんだから、
多少流されてもどうと言うことはないだろうに
海人であれば、危ない日にはそもそも舟を出さないだろ 三国志知ってる人ならわかると思うけど
黄巾の乱の張角の太平道は道教の一派
漢中を治めた五斗米道の張魯も同様
卑弥呼は大陸で盛んだった道教をいち早く取り入れて人心掌握に利用した
桃は道教では桃は不老.不死や魔よけの力があるとされて
纒向の一番大きい建物を囲む柵のところから
放射性炭素(C14)年代測定で西暦135〜230年の
2800個の桃の種がでてきた
纒向の一番大きい建物にいたのは卑弥呼だろう
儀式に用いたか食べたか >>337
はっきり書くよ
邪馬台国は人は生活して生きているのだ
該当する場所は奈良にはないしじょうさくもない >>325
>3世紀の馬具の出土でマキムクは詰んだ。
馬具は箸墓本体ではなく、周濠の埋まった土層の中程から出ている
周濠がある程度埋まるだけの時間が経ってから周濠に入ったもので箸墓の編年には直接かかわらない
また、馬具と言っているが木製の鐙の部分とされているもの
鐙の編年は金属製ものについてのものしかなく、木製の鐙がいつ頃どのように使われていたかは不明
さらに言えば鐙かどうかも不明 >>327
>槨の出土でマキムクは詰んでいる。
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
槨
かく
墓制上の用語。中国古代の用法では,直接死体を収納するものを棺といい、
その棺を置くところを槨といい,槨は壙の中に造られるという。
厳密にいえば日本の古代の墓制にはあてはまらない。
大正初期に棺槨論争があったが,現在は棺は用いるが,槨という用語はあまり使われていない。
粘土槨,木炭槨という言葉は本来の厳密な意味からは離れており,
木棺を粘土あるいは木炭などで包むような構造のものをいう。
日本の考古学で石槨とか粘土槨とか言っている構造は、「槨ではない」んだよ
「槨」の一字だけで意味も理解せずに、自説の根拠とするようなチェリーピッキングが
止められないから、未だに九州説を信じていられるんだろうけど 種子島の小人まで把握している魏志倭人伝に、
倭国には馬がいない、墓は槨がないって書いてあるのが、
3世紀のマキムクで、馬具が出て槨が出ちゃってるんだから、
畿内説は詰んだ。
終わりだよ。
錬金術の結果、金は合成出来ない事が分かった、
いくらどうあがいても、マキムクは邪馬台国にはなれない。 奈良には海がないから
鯨面でフカ除けする必要がなくないか 台与が「とよ」なんだから、邪馬台国は「やまとこく」だろ
大和が女王の系譜であることを認めたくない人間が九州説 金印は漢から受け取っていたのは事実だが
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡はまたまた魏国以前の
漢の国から受け取っていたって
これどうなるのよ 棺を槨で覆うと言うのは呉の風習。
わざわざ魏志倭人伝にそれを書いたのh,
倭国が魏系の国である事をアピールする為だ。
マキムクは発掘が進めば進むほど、
互系の国である事が明らかになって来る。
そういう事も知らずに、マキムクの槨は槨やナインや〜とか、
ヴァカもいいとこ。
だから畿内説はキンキーって言われるんだよ。 >>342
>古事記は邇邇芸だろ
万葉仮名だからね
「に・ぬ」が「玉・珠」で、「ぎ」が「棒」なのは変わらない
古事記にはモモソヒメに「ホトを突いて死ぬ」逸話はないし、正史としての日本書紀を
編纂するときに、ニニギも「玉玉棒」という字をわざわざ選んだのだろう >>350
いよ説もあるし、そもそも古代中国語読みでは
とじゃなくてだいみたいな発音じゃなかったか しかしなんで「邪」とか「卑」というネガティヴな字が充てがわれているんだろう 邪馬台国研究で電通から研究費貰ってる
貧乏学者しんでほしい 縄文・弥生時代の人口密度の変化
https://i.pinimg.com/474x/5d/b8/a4/5db8a403bd84e56d5f4c7314b49f2352.jpg
弥生時代の人口密度 100平方kmあたり(人)
東海 395
近畿 338
関東 309
中部 281
九州 250
弥生時代の九州は発展が遅れてる >>268
道路距離と直線距離による道路網の利便性評価
https://www.jstage.jst.go.jp/article/srs1970/18/0/18_0_145/_pdf
の「4.2.3 海岸線による道路距離の延び」を見ると、
なるほど、単なる「曲がりくねった道」よりも、
「リアス式海岸沿いの道」の方が大きく曲がっているようだが、
それでも最大で直線距離の2.22倍。
まかり間違って道路距離を直線距離として計算してしまった場合でも、
誤差はせいぜい2倍強にしかならない。
基本的には、入江や谷などを大きく迂回するような道の直線距離は、
経験則で道路距離より少なめに見積もるので、そこまで誤差は無いだろう。
上記のように、「誤差が許容範囲に収まる測量方法」は存在するので、
「測量方法が無いから測量ではなく適当な数字を書いただけ」
という君の主張は当たらない。
また、君の主張の根幹となっている「万里の修交説」は、
邪馬台国までの「万二千余里」の部分しか当てはまらず、
それとは関係無い距離まで5〜6倍にする理由にはならない。
>>297
ごめん、寝てた。 畿内説は最早詰んだ。
後はアクロバティック擁護で、
無知な一般人を騙すしかない状況に陥っている。
だから、我々一般人の方が、
日本の歴史の為に、
畿内説の悪を成敗するしかない。
錬金術で金は合成出来ない事が分かったレベルに、
日本の考古学は来てる訳。
それにあがなう事は意味がない事だ。 >>355
そら極東の蛮族って馬鹿にしてたからだは
日本には字がないんだから発音から当て字したのは
中国人様だぞ >>349
>奈良には海がないから
>鯨面でフカ除けする必要がなくないか
鯨面土器という文身をかたどった線刻絵画土器の出土は、
吉備や東海など近畿周辺に分布しており九州にはない
むしろ文身の記述は九州説には不利な記述だよ >>362
九州にもなかったか?
記憶違いか?
ググってみよう 既に5chは在日チョン勢力の支配下になっているのをご存知ですか?
5chが既に在日チョン勢力下である証拠。チョンに買収されている現5ch運営を叩き潰そう!現5chを叩き潰しても代わりの掲示板なんていくらでも出てきます
↓
2chの譲渡先、5chの代理人弁護士は通名のしばき隊員
https://userimg.teacup.com/userimg/6246.teacup.com/panzer4h/img/bbs/0000965.png
※ロナルド アーサー ワトキンス氏はJIMの息子
5chの商標出願の代理人=原田學植(趙學植)
↓
https://blog.goo.ne.jp/resurrectionjapan/e/1f28027a059c7952e91ec7c0dcbebbbd
>在日同胞の権益伸長のために団結したという「在日コリアン弁護士協会(LAZAK)」の活動内容が、
>どれほど日本の国益に反するものか、大変わかりやすい記事が民団ニュースに掲載されていましたのでご参考まで投稿いたします。
>この中でしばき隊の原田學植弁護士は、通名ではなく本名の趙學植弁護士で講演しています。
【2ch終了か】 5chの商標出願の代理人弁護士が在日コリアンのしばき隊員
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/ms/1506912935/
【衝撃】2chの移譲先「5ch」の代理人がしばき隊であることが判明 なにが始まるんです…
http://enewsmtm.blogspot.com/2017/10/2ch5ch.html
【2ch乗っ取りの経緯】
民主党が2ch弾圧(強制捜査)→ひろゆきがJIMに形式上2ch管理権を譲渡(裁判回避)→
→JIMが裏切って2ch乗っ取り→嫌儲テョンがJIMを取り込み→テョンが2chの運営・記者を独占→JIMが在日に2ch(5ch)譲渡
★【2ch 乗っ取り事件】
http://www.wdic.org/w/WDIC/2%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%AD%E3%82%8B%E4%B9%97%E3%81%A3%E5%8F%96%E3%82%8A%E4%BA%8B%E4%BB%B6
.
社説+板の春・ノートスレに5ch運営者の一人の中尾嘉宏=アイスの冬がいるので、文句言いに行きましょう!!!!!
在日チョンが5chを買収して、売国左翼や在日チョンにとって有利な世論誘導しようと企んでいます
5chのあらゆる板でジャップがどうのとかほざく、日本人卑下する奴とか、
「アベは売国奴だー アベは統一協会だー」みたいな頓珍漢な政権批判するレスが異様に増えたと思いませんか?
売国政党の立憲民主党の支持母体の一つは在日韓国人組織の民団です
そいつらが5chを買収した在日チョンの背後にいます。↓民団と連動して動いている売国政党の立憲民主
https://cdp-japan.jp/news/20180404_0338
在日本大韓民国民団の中央本部新役員と意見交換 - 立憲民主党
立憲民主党「日本死ね!日本人はすごくない!日本負けろ!」こんな事ばかり言ってて支持されるわけ無いじゃん
↓
【日本死ね】ダブル不倫で民主離党も当選の山尾志桜里氏、立憲民主党に入党へ
https://2ch.vet/re_hayabusa3_mnewsplus_1509166604_a_0
立憲民主党「日本、別に凄くない、総理大臣関係ない」日本メダル獲得に不満、批判受け取り消し→すぐ寝る
http://ksl-live.com/blog13940
【立憲民主党会派】小西ひろゆき「ポーランドは日本代表を叩き落とすべきだった」
https://jijinewspress.com/archives/9677
蓮舫終了のお知らせ「日本人でいるのは都合がいいから、意味はない、台湾籍に戻す」台湾での写真も公開
http://ksl-live.com/blog15575
安倍政権がいよいよパチンコの「景品交換所」規制に乗り出します!
売国左翼マスコミや野党に巣食う在日チョンが全力で安倍政権を倒そうとしてくるでしょうが、日本国民が全力で安倍さんを支えましょう!!!
↓
菅官房長官が「パチンコ規制」に本腰 「景品交換所」という聖域にメス
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180925-00010000-sentaku-pol
.
5chの運営がチョンに買収されていると、とっくにバレている以上、完全記者制というシステム止めるべき
チョンに買収されている運営が全てのスレ立てをコントロールするとかありえない
.
.96+779+573 ヤフーとソフトバンクの経営者は在日韓国人の孫社長ですが、最近のヤフーアプリのソース選択の異常な左翼偏向ぶりをご存知ですか?
結局、在日韓国人がトップの企業は信用できないという事。在日韓国人がトップの企業がここまで反日行動とったら、それはもう起業家として致命的じゃん
孫正義のやっている行為は反日テロと一緒
在日チョンの方はすでに日本に戦争を仕掛けている状況だと日本人は肝に銘じないと
↓
https://twitter.com/TetsuNitta/status/887879453572976640
まさにヤフーニュースさんの偏向は気掛かりで、去年も蓮舫シンパの元朝日、野島記者による本人インタビュー記事で大々的に疑惑否定を垂れ流し、
そのあと本人が二重国籍を認めても訂正していません。編集部には東京新聞や毎日新聞出身もいるだけに気掛かりです。
売国奴の石破は野党のスパイ。2012年の総裁選でもし石破が勝っていたら、今頃、日本の輸出産業は壊滅して、韓国の輸出産業がこの世の春だっただろう
万が一、石破が総理になれば民主党政権時の悪夢が繰り返されるだけ
↓
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180914-00000040-san-pol
自民党総裁選 野党系議員秘書「石破氏よろしく」 自民市議に電話で呼びかけ
https://blogs.yahoo.co.jp/nipponko2007/19711608.html
石破大臣の国賊行為を叱る 渡部昇一
売国左翼マスコミが全力で石破を推す理由
↓
【韓国】石破茂「韓国が納得するまで慰安婦に謝罪しなければならない」...日本の有力首相候補の所信発言
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1521175679/
(おさらい)加計の問題の本丸は石破氏。日本獣医会が石破大臣に頼み壁を作らせた(石破4条件)。
石破『現実的に新規参入は難しい文言を入れといたからな』と。しかも石破氏は献金貰ってる。
なぜか野党は総理は追及しても当時の石破大臣を追及しない。グルだからか?。なぜか献金貰った逢坂が議長席にw
https://twitter.com/camomillem/status/994529910046666752
石破の最低の人間性は自民議員からも批判されている
↓
青山繁晴「加計の件で問題なのは自民では献金をもらった石破さんの方。野党の玉木さんも。
獣医師会から献金もらって獣医師会の応援をするのは犯罪に近づく行為。それ以外にどんな解釈があるのか。
それをまるで野党側が良かったかのように石破さんが言うのは、政治の劣化と言うより人間性の劣化」
https://twitter.com/chidiremen11/status/1028973087331471360
石破は在日チョンから違法献金もらってたクズ売国奴。民主党政権時代に発覚した、石破とか前原とか菅直人とか野田とか一連の在日献金問題は同根なんだよ
石破本人が民主の前原と自分は一番近いって言ってるんだから
ネット時代に石破の詭弁は通用しない。石破は見え透いた詭弁を弄しているけど、徹頭徹尾、自分にメリットのある言動しかしていない。石破は人心というものを全く理解していない。野心だけ。
あと、石破はネット時代に売国左翼マスコミに媚びようってセンスが時代錯誤
安倍政権を支持していない左翼層に消極的支持されたって、自民支持層である保守層から徹底的に嫌われたら意味ない。進次郎も同様
新潟知事選の最大の敗者は売国奴の小泉親子。小泉親子の自民党に対する反党行為はもう致命的なレベルに達している。戦後最大の政治家である安倍さんに嫉妬している売国奴の小泉親子は滑稽なんだよ
進次郎みたいな何の実績もない汚物が、後ろからぐちゃぐちゃ安倍さん撃ってるの本当に醜悪。国民の多数派を占める保守層はもう完全にFラン進次郎を見限っている
https://twitter.com/hyakutanaoki/status/973591000122769408
百田尚樹 小泉純一郎はパフォーマンスだけの男だったが、息子の進次郎も同じだな。
放送作家として長年、マスコミに関わってきた百田先生の意見だからこそ説得力がある
↓
百田尚樹 戦後、日本のマスコミと野党はゆっくりと韓国化していたが、この数年、そのスピードが急速に増してきた。彼らに論理は通じない。あるのは感情だけ。
https://twitter.com/hyakutanaoki/status/974571589487349760
小泉純一郎氏が新潟知事選野党統一候補と面会し激励
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/201805230000561.html
【自民】小泉進次郎氏、新潟県知事選で与党系候補の応援を断る…党執行部と距離
http://nstimes.com/archives/122391.html
.
.63+79+37
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>359
>それとは関係無い距離まで5〜6倍にする理由にはならない。
それとは関係ない距離ってどこにあるの?
具体的に指摘して 安倍政権がいよいよパチンコの「景品交換所」規制に乗り出します!
売国左翼マスコミに巣食う在日チョンが全力で安倍政権を倒そうとしてくるでしょうが、日本国民が全力で安倍さんを支えましょう!
↓
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180925-00010000-sentaku-pol
菅官房長官が「パチンコ規制」に本腰 「景品交換所」という聖域にメス
放送作家として長年、マスコミに関わってきた百田先生の意見だからこそ説得力がある
↓
百田尚樹 戦後、日本のマスコミと野党はゆっくりと韓国化していたが、この数年、そのスピードが急速に増してきた。彼らに論理は通じない。あるのは感情だけ。
https://twitter.com/hyakutanaoki/status/974571589487349760
NHK解体モノの大スクープが飛び込んできました!NHKの報道ディレクター今理織がしばき隊の大物である事が発覚したのです。国民から金を徴収して反日報道するとはNHKというのはなんという悪質な組織なのか・・・
↓
#NHK の捏造報道ディレクター今理織、しばき隊の大物であることが発覚
しばき隊の集団通報でこのまとめ、閲覧できなくなったので魚拓です→ https://archive.is/yBn3b 魚拓その2 https://archive.is/3ewHj
今理織が、しばき隊である決定的な証拠二つ目。追加情報有り
https://twitter.com/CatNewsAgency/status/999085778025107456
↓売国左翼が怖いのは、日本人じゃない奴が大量に紛れ込んでいる所。シールズやしばき隊も中核メンバーは在日
https://entert.jyuusya-yoshiko.com/demo-nari/
左翼マスゴミに好き勝手にやらせたら民主党政権時代の円高デフレ政策の二の舞になって日本の輸出産業は壊滅状態になって韓国の輸出産業が絶好調になるわけだが
シャープや東芝がああなったのも民主党政権時代の円高デフレ政策の時のダメージがあまりにも大きかったせいです
神戸製鋼や日産のスキャンダルも仕掛けたのは左翼マスコミに巣食う在日チョン。彼らは日本の産業を叩き潰して韓国が利する展開にしたいんだよ
売国左翼マスコミから一番被害受けるはずの企業が左翼マスコミに金を流し続けるのが悪い。もうテレビや新聞に広告出すのやめろよ!企業がテレビや新聞に広告出し続けるのならそれはもう売国であり反日
ひたすらに倒閣運動にいそしむメディアの自殺行為
http://www.sankei.com/politics/news/170724/plt1707240004-n1.html
憲法改正を恐れ、ひるみ、印象操作か メディアは「言論の自由」と「風説の流布」をはき違えるな
http://www.sankei.com/premium/news/170728/prm1707280007-n1.html
安倍政権を倒そうとしている売国左翼マスコミに金を垂れ流している売国企業を叩き潰そう!中韓や在日利権の尖兵と化している売国左翼マスコミを叩き潰す事は国として急務
広告宣伝費が多い=売国左翼マスコミに金を垂れ流している売国企業のトップ15です
これらの企業の商品は絶対に買わないでください。これらの売国企業の商品について常に悪い噂を流し続けましょう。安倍さんより下の年代はもっと右なわけで、そういうこれからの日本を引っ張っていく層を企業は敵に回す気か?
↓
広告宣伝費が多い=売国左翼マスコミに金を垂れ流している売国企業トップ15
1位トヨタ
2位ソニー
3位日産
4イオン
5セブン&アイ
6ブリヂストン
7マツダ
8武田製薬
9パナソニック
10 リクルート
11NTT
12花王
13三菱自動車
14富士重工業
15キャノン
一部メディアのすさまじい偏向の狙いは「倒閣」にある! 安倍首相は本気で対抗策を打ち出してはどうか?
http://www.sankei.com/politics/news/170714/plt1707140017-n1.html
加計問題、一部メディア「大本営発表」の正体 嘘も100回繰り返されれば真実となる
http://www.zakzak.co.jp/soc/news/170729/soc1707290001-n2.html
.加計問題で「悪魔の証明」求めるメディア 筋違いの首相会食批判も懲りずに「1月20日問題」追及
http://www.zakzak.co.jp/soc/news/170729/soc1707290002-n2.html
.加計問題は「朝日新聞のフェイク(ニュース)」 夏野剛氏が指摘したメディアの「マインド」
https://www.j-cast.com/2017/08/07305336.html?p=all 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1322b9cf791dd10729e510ca36a73322)
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 在日韓国人組織の民団は立憲民主党の支持母体の一つ。売国政党の立憲民主に絶対に気を許してはならない
↓
https://cdp-japan.jp/news/20180404_0338
在日本大韓民国民団の中央本部新役員と意見交換 - 立憲民主党
立憲民主党「日本死ね!日本人はすごくない!日本負けろ!」こんな事ばかり言ってて支持されるわけ無いじゃん
↓
【日本死ね】ダブル不倫で民主離党も当選の山尾志桜里氏、立憲民主党に入党へ
https://2ch.vet/re_hayabusa3_mnewsplus_1509166604_a_0
立憲民主党「日本、別に凄くない、総理大臣関係ない」日本メダル獲得に不満、批判受け取り消し→すぐ寝る
http://ksl-live.com/blog13940
【立憲民主党会派】小西ひろゆき「ポーランドは日本代表を叩き落とすべきだった」
https://jijinewspress.com/archives/9677
蓮舫終了のお知らせ「日本人でいるのは都合がいいから、意味はない、台湾籍に戻す」台湾での写真も公開
http://ksl-live.com/blog15575
↑
「都合がいいから」日本人やってる奴が国民の代表たる国会議員やってんじゃねーよ。蓮舫は全く日本にアイデンティティ感じてない。
立憲民主党にいるのはこういう恐ろしい売国議員ばかり
そして立憲民主党を強烈に推した売国左翼マスコミがいかに日本にとって害悪かよく分かりますね
売国左翼マスコミの世論調査は捏造が当たり前のように行われていると、左翼の鳥越が言ってる
↓
鳥越俊太郎氏 若者ら除外する世論調査結果の信憑性に疑問
http://www.news-postseven.com/archives/20120720_130805.html
鳥越:毎日新聞の記者時代の経験ですが、例えば、選挙に関する世論調査の結果を発表する前に選挙の担当者が数字を“調整”するのをしばしば見てきた。
担当者が取材で掴んだ選挙区情勢と違うという理由です。そういった裏事情を知っているので、私自身は世論調査の数字を疑っています。
↓小藪千豊よく言った!ネット時代に売国左翼マスコミの汚い印象操作は通用しない。むしろ売国左翼マスコミに対する嫌悪感が高まるだけ
【森友文書】小藪千豊「籠池が言ったと言わずに、昭恵夫人が言ったような心象を与える野党と報道は汚い」@Abema News(動画)
http://www.honmotakeshi.com/archives/53129620.html
売国左翼マスコミの安倍倒閣運動がいかに危険な事か、この記事見ただけでよく分かる。今、安倍政権が倒れて誰が得するかも
↓
【森友文書】韓国で安倍政権への抗議行動応援広がる ツイッターに印、メッセージ続々
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1520921511/
売国左翼マスコミがどうしても安倍政権を倒したい理由
↓
【マスコミ反発】安倍政権、放送制度改革へ!新規参入を促す構え 放送局が増えて多様な番組が流通することが期待される
https://snjpn.net/archives/45578
【これは酷い】テレ朝系の番組が「安倍晋三記念小学校」をCG合成した悪質すぎるイメージ画像を報道!
https://snjpn.net/archives/37409
エビデンス? ねーよそんなもん:日刊ゲンダイの朝日新聞・高橋純子氏インタビューに戦慄が走るTL【日刊アサヒ】
https://togetter.com/li/1183499
報ステ。しばき隊の意図的な演説妨害を自然発生した批判であるかのようにデッチ上げ、
安倍総理の「こんな人たち」発言を失言であるかのように殊更に問題視。仕上げはイソ子の嫌がらせ質問。我々は詐欺報道の時代に生きている。
https://twitter.com/CatNewsAgency/status/881872300726829056
徹底検証「森友・加計事件」 朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪
https://honto.jp/netstore/pd-book_28737140.html
↓前川喜平のTwitter内容酷すぎる。前川ってもはや政府転覆を狙っている左翼テロリストじゃん。前川を祭り上げる売国左翼マスコミは異常すぎ
https://twi55.com/maekawa20180317/
.
籠池氏の長男が菅野完氏と訣別し、目が覚めたきっかけ。菅野完氏と裁判費用について打ち合わせをした時、
菅野氏から「金は民団幹部の会社経営者から(4千万位)工面する」と言われ、これはマズイんじゃないかと‥‥
https://twitter.com/camomillem/status/1023501447906746370
.+98528+++646462
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>360
どこを縦読みすればいいの?
>それにあがなう事は意味がない事だ。
もしかして「それに『あらがう』こと」って書きたいのかな?
日本語能力、大丈夫? 間違いは誰にでもある。
間違えなければ分からない事は山程ある。
発掘の成果が積み上がった結果として、
マキムクは邪馬台国では無い事が証明された。
考古学会として、喜ぶべきことでは無いかな?
それをこんだけ発掘したんやから、
マキムクが邪馬台国でなきゃアカンのや〜ウッキッキーとか、
これは研究者の心の問題ですわ。 >>331
いや、形を気にしていたかどうかはともかく、
全て同じ係数を掛けたと考えなければ、
「万二千余里」以外の数字について何も説明がつかない。
単に「万二千余里」が言いたいだけなら、
通った国の距離をいちいち書く必要性が無いし、
いちいち書かない方がよっぽど辻褄を合わせやすい。 縄文系は北海道、東北、九州、沖縄に多くて
弥生系は日本列島の中央付近に多い
弥生系は稲作を持ち込んで列島の中央付近に住み着いて
このあたりが先に発展した
ニニギは福岡の日向を治めて本家の孫のひとりが
当時人口が多かった尾張を治めて尾張氏の祖になった
ニニギの孫だけど分家だった神武四兄弟は赴任地を
九州、岡山と次々変えられて最終的に奈良に入る >>362
そもそも土偶自体があんま出てないんだね>九州
しかし、神武の部下が鯨面をしていたのを
畿内の女が見て驚いた記述が紀にあるらしいから
やっぱり九州には鯨面文化があって畿内にはなかったんではないか 昔は三角縁神獣鏡が卑弥呼に贈られた鏡とか教科書に載ってた。
しかし、研究が進んだ結果として、
国産の模造品で呉鏡である事が明らかになっている。
マキムクの発掘が進めば進むほど、マキムクは、邪馬台国では無い証拠が続々と上がって来る。
畿内説の皆さんは悪あがきは止めなければいけない。
錬金術師がどうあがいても、
金は合成出来ないのだよ。
畿内説は3世紀の馬具と槨が出た時点で終わり。
これが理解できないのなら、
考古学を語る知性か良心に欠けるとしか言いようが無い。
マキムクが邪馬台国である事を前提に発掘しないといけないとなれば、
良心の無い畿内説の皆さんが、
捏造に走る事は目に見えている。 >>358
縄文・弥生時代は1万年以上続いたんだ
西暦が入ってないから何年頃の推定か分からない
いい加減な資料だなw
九州は北部と南部に分けないと
弥生時代に人口密度が一番高かったのは九州北部だよ。 >>295
「放射説」というのは「行程が放射的に書かれたもの」ではなく、
「行程ではなく位置を書いたもの」という解釈のし方だよ。
現代でも、例えばハワイの位置を説明をする時に、
「東へ飛行機で7時間行った所にある島」
というような説明のし方がある。
この場合、聞き手と話し手はいずれも日本にいるから、
「成田空港から」という起点は省略されている。
同様に、帯方郡の人がそこにいた倭人に投馬国の位置を聞いたら、
「南へ船で二十日行った所にある」と答えたのをそのまま書いたと。 >>377 魏志倭人伝の行程で各国の人口書いてるけど多くないよ >>1
> 元産業能率大学教授の安本美典さん
邪馬台国九州説の教祖の一人だなw 陳寿の距離感方角感に間違いは無い。
種子島が女王国の南4000里もピッタリだ。
陳寿が会稽の東に倭国がある様に書きたかった。
それ故に、正確に会稽の東に倭国が来るように、
距離方角を合わせて記述し、
実際に魏志倭人伝から再現される倭国の位置は、
会稽の東になっている。
そんな事も分からずに魏志倭人伝を読むなど、
アタマが狂っているとしか言いようが無い。 魏志倭人伝に書いてるのは人口じゃなくて戸数だった
対馬国 1000余戸
一大国 3000戸
末廬国 4000余戸
伊都国 1000余戸
奴国 2万余戸
不弥国 1000余
投馬国(出雲?吉備?) 5万戸
邪馬台国(奈良) 7万余戸 >>9
でも古田のジジイよりはよく勉強してる。
倭人伝の中の日本語を万葉仮名の読み方で読んだ
「卑弥呼は日本語を話したか」は評価する。
>>29
しかし言葉のアクセントからみると
九州は朝鮮語のような平板型で
近畿は支那語のように抑揚がバラエティの富んでいる 邪馬台国は対立してた九州南部の狗奴国に倭国大乱で滅ぼされた
この狗奴国こそが熊襲
熊襲は畿内で勢力を伸ばしてた別のヤマト王権の軍門に下ることになる
こんな感じじゃないの?
だから記紀に熊襲は出てきても邪馬台国は一切出てこない
邪馬台国は熊襲にずっと前に滅ぼされてたわけだから
土蜘蛛扱いだろう 畿内説の皆さんは魏志倭人伝の読み込みが不足している。
邪馬台国と狗奴国が戦っているとはっきり書かれているのに、
前スレでは邪馬台国と狗奴国は戦争してるなんて書かれてないで
と言い張る始末。
お話にならない。
我々はそのレベルの議論はしたくないのだよ。
魏志倭人伝の記述が最低限理解できている。
そう言うレベルまで自らを高めてから、
ここに書き込むようにして欲しいです。 >>380
壱岐とか3000家だぜ
1家5人として15000人
3世紀から近代までの壱岐の人口は変わってないし
奴国なんて2万戸、1戸5人で10万人
北部九州地域は3世紀には日本で一番人口密度が高かったことが分かる。
投馬国や邪馬台国は国邑じゃないですよ
韓での馬韓、辰韓、弁韓みたいな各地方毎の纏まり。 個人的には弥生時代に熊襲が北部沿岸を攻めてきたと思っている
だが文献がない
文献が残っているのは白そん江の戦い
熊襲の菊池家に白村江の戦いの絵巻物が残って言る >>388
畿内説の皆さんは魏志倭人伝の読み込みが不足していると言うよりも読んでない
畿内説のインチキ学者が書いたいい加減な魏志倭人伝の意訳しか読んでないな。 >>368
まず、今話題にしている「三韓の面積」だって、
「万二千里の彼方にある邪馬台国」とは何の関係も無いじゃないか。
そもそも朝鮮半島内で「万二千里」の半分以上を消費しているから、
「倭国が大きい・遠い」という事にはならず、
「三韓が大きい・東南端まで遠い」という事にしかならないが、
魏志韓伝では土地が広大な様子は全く見られないし、
何のために三韓を大きく見せたのか合理的な説明がつかない。
倭国を誇張するのが目的だったら、半島内は普通に書いて、
倭国に着いてから邪馬台国までの距離を大きく取るはずだろう。 中国の後ろ盾がある邪馬台国を凌駕する国家が、後に近畿に現れて日本を統一した
こんな馬鹿げた話ありうるかね
今ならアメリカの後ろ盾がある日本政府を凌駕する国が日本国内に現れたということだ >>376
馬具が出てきた時点でマキムクが3世紀ってのも変だと思うんだがな
誰もおかしいと思わんのかな? >>393
順番が逆だぞ
戦国時代みたいになっていて一部が邪馬台国作ってまとまったけど
それでも敵国が強くてまとまらないから助けて司馬えもんって魏にけつもちになってもらった 邪馬台国は北九州地方
狗奴国は南九州地方
卑弥呼亡き後の倭国大乱で狗奴国が勝利
九州全域を仕切る
これが後の熊襲
本州で勢力を伸ばしたのがヤマト王権
これは出雲王権の親戚ね
九州で一大勢力となり脅威となった熊襲を征伐するため
畿内ヤマト王権は出雲と協力し熊襲と戦い勝利し熊襲はヤマト王権の軍門に下る
そしてヤマト王権は大和朝廷へと成っていく >>392
どう考えても韓の方4000里を基に7000里を導き出してるよな
7000里を基に韓の方4000里はないよな。 卑弥呼は鬼道で民を惑わす女王
邪馬台国の民は入墨をした鯨面
南洋文化が入っていたと思われる
一時的に九州北部で勢力を保った土蜘蛛だろう
卑弥呼亡き後、魏もケツモチしなくなり
すぐに対立してた南の狗奴国に滅ぼされる >>396
>邪馬台国は北九州地方
>狗奴国は南九州地方
ここまでは魏志倭人伝に書かれてることだな。
>卑弥呼亡き後の倭国大乱で狗奴国が勝利
ここから先は貴方の妄想だな。 >>282
前スレでも書いたけど古代中国では1寸千里法という最古の天文測量法があって
かなり正確に距離の測定は出来たよ
最も地球が球形って認識はなかったようだから、その辺りの誤差はあるようだけど
位置を会稽東としてるあたり、位置の把握に天文測量法を用いてる可能性は高いと思う
誤差出まくりだけどねw >>338
倭人伝を書いた陳寿は倭国に来たことがないし
陳寿の伝聞が古い時代遅れだから
万世一系の天皇発祥の地である大和に馬具が出土しても
北原白秋が書いたように
薔薇ノ木ニ薔薇ノ花咲ク
ナニゴトノ不思議ナケレド
なのだ。
【薔薇】バラは理科の教科書その他でカタカナ書きされることが多いが
実は日本原産の種類もある。
巻20−4352 作者: 防人 丈部鳥
原文:美知乃倍乃 宇万良能宇礼尓 波保麻米乃 可良麻流伎美乎 波可礼加由加牟
訓読:道の辺の 茨(うまら)の末(うれ)に 這ほ豆(ぱぽまめ)の からまる君を 別(パカ)れか行(ユ)かむ
ちなみに万葉集では「一大國=一丈國=一支國=壱岐國」を「由岐」と書いた例がある。 >>394
馬具、ベニバナの花粉の出土
マキムクは5〜6世紀の遺跡だろな。 >>373
魏志倭人伝の旅程記事に混乱があるのは確かだ
1.淮南子の世界の東の果てまで萬二千里という概念
2.漢委奴國王、倭国王帥升等の朝献の時の北部九州までの「里」程
3.卑弥呼の遣使の時の邪馬台国までの「日」程
これらが、陳寿の手元にあって、これを総合して旅程を書いたのだろう
また、2.の時の里程には別の目的地(倭面土国)行きが紛れている可能性が
高いし、魏志倭人伝の旅程と実際の邪馬台国までの経路は一致しない可能性が高い
旅程記事は、中国の研究者の読み方でも、放射読みも最後の邪馬台国までの日程を
総距離と見るのも、漢文の文法からいって明らかな誤読
北部九州=邪馬台国というのは、誤読の上に成り立っているだけで、普通に
漢文として読めば、伊都国、奴国と邪馬台国が別であるのは誰が読んでも明らか >>375
真偽不明な時期の記紀の記事一つより、分布図が描けるほど出土している考古遺物の方が
根拠として有用だよ >>354
「台」なら「イ」という読みも有るが支那の古代文献は「臺」を使ってる。
「台」と「臺」は元々別の漢字。
「天台宗」は支那の「天台山」で教理を確立した仏教の宗派。
「天台宗」を天「臺」宗と書くのは誤りだ。
邪馬「台」、「台与」与と印刷してるのは
当用漢字、常用漢字などの制限に工作される日本の歴史教科書その他役所の公文書だけ。
学術論文その他個人の思想信条を表わす文章では
支那の古代文献に記載された当用漢字、常用漢字表に規制されず
元の古代文献の字体を使用しても構わない。 >>377
根拠なしでいくら書いても無駄だって
筑紫平野は弥生末でもかなりの部分が海の中
佐賀大学の下山正一先生の研究を見て
さらに弥生時代の土木力では深さ1メートルより大きな川は灌漑に使えないので
筑後川のような暴れ川の流域は開発が遅れる
平野面積が広いから筑紫平野の人口が多かったはずというのは
単なる憶測であり的外れ 夏の庶子が夏の祖・兎の亡くなった会稽に家出して
刺青の地元民と一緒に作ったという越の文化が
九州の刺青文化と似ている >>389
>投馬国や邪馬台国は国邑じゃないですよ
>韓での馬韓、辰韓、弁韓みたいな各地方毎の纏まり。
これが恣意的なチェリーピッキング読み
馬韓弁韓には国が付いていないけれど、投馬国、邪馬台国は国と明記してある
馬韓、弁韓、弁辰に当たるのは「倭」だよ 邪馬台は呉、狗奴は越と付き合っていたのではないかね
ちなみに中国人は当時すでに台湾に出入りしていた >>399
>卑弥呼は鬼道で民を惑わす女王
>邪馬台国の民は入墨をした鯨面
>南洋文化が入っていたと思われる
多分陳寿が倭国を南方だと思ってたから、南方の習俗を倭国に書いたのだと思う
北部九州は日本海側で冬には雪も降るのに裸足で暮らしてたってのはきびしいだろう 台湾経由で中国人が入って来たんじゃないかね
九州に。 アイヌもツングースも刺青してるけど極北の地でも戦争してるし >>413
>馬韓弁韓には国が付いていないけれど、投馬国、邪馬台国は国と明記してある
何処に明記されてるの?嘘はいかんよw
>馬韓、弁韓、弁辰に当たるのは「倭」だよ
韓に対して倭、 馬韓、弁韓、辰韓に対して投馬国、邪馬台国
その下に多くの国邑がある。 >>418
>馬韓弁韓には国が付いていないけれど、投馬国、邪馬台国は国と明記してある
何処に明記されてるの?嘘はいかんよw
ここは間違いね。 >>402
>前スレでも書いたけど古代中国では1寸千里法という最古の天文測量法があって
>かなり正確に距離の測定は出来たよ
これが間違い
周髀算経は、秋分春分の影の長さを単に夏至と冬至の影の長さの平均としており、
実測していないのは明白
地と天がともに平面でその間隔が八万里という蓋天説に従った机上の計算でしかなく、
影を計るための棒が八尺、天地の間隔(天の高さ)が八万里なので、どこで計っても
八尺対八萬里、両方を80で割ると「一寸対千里」という「定数」が出てくるというだけ
この定数のことを一寸千里の法とか言っているけれど、周髀算経の中でも
一歩=6尺、一里=300歩=1800尺の関係は変わらない
もし短里があるなら、八尺棒の長さも短くなければならなくなるがそんなことにはなっていない
周髀算経が短里の根拠というのは、周髀算経に書かれている記述そのものからも否定されている
短里なんてないんだよ
短里にすがるのは止めなよ 北九州や山口県あたりから半島経由で中原の地やモンゴルと交易してた派閥と
中国でも河南など南方で東夷の刺青文化と渾然一体に混ざってる中国人で
東シナ海や台湾沖縄経由で九州に上陸したやつがいて
対立してたのではないかね 刺青はみんなしてたっぽいけど。デザインに違いがあるのかないのかはさておき。 >>329
日本は朝貢したりしない誇り高い独立国
倭は中国の配下をやってた野蛮国
別物 日本は皇紀2600年、中国の記録に残っていないだけ スサノオの素行の悪さは異常。これタケルとは別人なんだよね?
先祖なだけで。 >>418、>>419
南至投馬「國」水行二十日
南至邪馬壹「國」、女王之所都、水行十日、陸行一月
國と明記してあるな
馬韓弁韓弁辰は
辰韓、在馬韓之東
弁辰、亦十二國
と書かれていて、馬韓国とか弁辰国とかの書き方はない この野蛮そうな越のやつらは熊襲とはベツモノなのかね? 2600年を信じてる奴がまだいるのか
やっと3世紀の奈良がわかってきて
このまま行くとヤマトは2100年ぐらいになるんかな >>415
つまり神武より先にアマノイワフネに乗って大和入りしていた
ニギハヤヒが率いたポリネシア、ミクロネシア、インドネシア系の集団。
アマはポリネシア、ミクロネシア共通語でアウトリガーカヌーの先につけた横転防止用の浮きのこと
イワはハワイ語などで軍艦鳥を意味する。軍艦鳥は滞空時間が長く
朝島の住処を飛び立って魚を捕食し夕暮れ時に島へ帰ってくる。
カヌーで遠洋航海する時は軍艦鳥をカヌーに載せておけば
ナビゲーション・システムの役割を果たす。
九州の装飾古墳の壁画には鳥を載せた船の壁画が色褪せてはいるが残っている。
古墳時代の九州はニギハヤヒ勢力の伝承を持つ大和勢力に支配されていたことを物語る。 >>421は>>282の人?
距離をどうやって測るのかって言ってたから横レスしちゃったんだけど
つまり魏志倭人伝に記載されている距離は実際には測量されてないって主張? 呉と越は呉越同舟という言葉を作られちゃうぐらい仲が悪かったのだ 呉服文化のインテリと刺青の海洋民族がおる
あと米作文化のやつら >>421
無理>すがるのは
ここの古田信者は、否定されても論破されても同じことを繰り返して書く
そのためには平気で嘘やいい加減なことも書く
そこをツッコまれて反論できなくなったら、いきなり畿内説はどうのこうのと罵倒を始めるような知識も論理もへったくれもないキチガイばかりだから
毎度毎度、邪馬台国関係のスレが立つと、集まってきては、同じ書き込みを繰り返すのが彼らの生きがい
九州説にとって、古田と同じく害悪でしかない >>438
特に九州説に拘ってるわけでもないけど
測量法が不正確なのと実際に測量されたのかどうかは別問題じゃないかな?
ID変えての自演?
罵倒とか言うけど、キチガイとか害悪とかそれこそ罵倒の言葉だと思うけど? 会稽って見るとめっちゃ近いね。
これなら東シナ海経由で簡単に済州島や九州に上陸できそう 日本書紀や古事記のエピソードに呉や越などの戦争のエピソードが混ざってはいないかね? 奴国の福岡平野の南方にそれに数倍する広さの平野が二つあればいい
二つ目の熊本平野が邪馬台国でしょ
筑紫の王朝からみて侵略間もないところは行政割りがキチンとできてないから広範囲を大雑把に把握したような戸数になってるんじゃないかな
戦地に宮を構えるのは後の天皇もたくさん例がある
やたら遷都するという他国にはない日本独特の風習が古代史をややこしくしてんだよな モモソソソソニギギとか言ってると不思議な世界だけど
越のナントカが兎の末裔とつるんで呉王との戦で
馬の皮剥いで宮殿に投げ込み
恐怖でパニックになってレイプされた女官が自殺、蛮行に怒った巫女が
お前のような醜い心根のゲス野郎とは口もききたくない
と密室に逃げ込んで長期籠城
ってなるとすごい生々しい現実感があるよね >>434
>>421は私だけど、>>282は別人
私は否定の根拠も示して積極的に間違いを正していくスタイル 呉王と越王かはさておき、その派閥が各地で似たような性質の喧嘩をしていたのではなかろうか これは兎とつるんだタケルじゃなくて、姉に追放されたスサノオの話だっけ?
戦乱の中国から追放されるとは相当だよね
追放された先でやくざになって建国したんだね 鏡が発見したから 邪馬台国は ここだ
桃の種が発見したから 邪馬台国は ここだ
もっとマシな学説はないのかよ
紙に記載しているから これが歴史だと語るクズと変わらない >>443
>奴国の福岡平野の南方にそれに数倍する広さの平野が二つあればいい
>二つ目の熊本平野が邪馬台国でしょ
平野の面積だけじゃダメだよ
大国があったと想定できるだけの遺跡、遺物がないと
九州説の人が欠いている視点が、弥生終末期と古墳時代が一続きだということ
弥生終末期に大国だったところは古墳時代に入っても大国であり大古墳を作っている
古墳時代に大きな古墳が作れないところには邪馬台国はないよ どっちのがでかかったかはさておき、近畿と九州のそれぞれにでかい国があって
激しい喧嘩をしていたんでしょ >>439
>測量法が不正確なのと実際に測量されたのかどうかは別問題じゃないかな?
横レスだけれど、対馬海峡の渡海3回の距離が測定されていないのは確実
測量法が不正確なのではなく測量法がない
その渡海距離も含めて、測定値を足し上げて萬二千里になったというのは成り立たない
九州説にとって、短里で萬二千里というのが命綱だから必死になるのは分かるけれど
短里などないし短里は捏造 >>450
方保田東原遺跡が弥生から古墳時代にかけての熊本県内最大の遺跡で、鉄器も豊富
菊池川流域にはこんな遺跡が複数あって、狗奴国の強大さを物語るかのような言われ方をするけど、それこそが邪馬台国だろうと俺は見てる
ただ倭国の中心はあくまでも筑紫と思ってるけどね >>452
いえいえどうもご丁寧に恐縮です
普段もっと質の悪いのが跋扈しているスレにいるのでお気になさらずに どうも和邇のほうに皮剥ぎやくざと乱暴者のイメージがあって
イメージを固めるのに苦労する >>454
>方保田東原遺跡
その方保田東原遺跡の辺りは奴国と並んで、畿内様式土器が九州でも早い時期から出る地域なんだよね
九州の重要拠点には畿内の人が来ている
九州だけの倭国というのは考古遺物から否定されるし、畿内と九州の人の往来が十分にある以上
国力の劣る北部九州の首長が倭王に除正されることはないよ 今の日本人は歴史をねつ造することに抵抗感ないどころか
それはダメだろってまともな指摘する人を叩きだす馬鹿がごろごろいる時代 仮説をたくさん立てて証拠が出てきた順に採用するのだ 狗奴国は元々畿内にあったクニというか、畿内の原型
邪馬台国はヤマト国
記紀にもヤマト征伐でヤマト政権が始まるとあるだろ
狗奴国のヤマト地方が卑弥呼を共立した勢力に征伐され、その地を王のいるところ=都としたんだよ
魏志倭人伝当時は、奈良側と大阪側に分断され、争いが起きてたんだろう
神武東征が熊野に迂回せざる得なかった理由 日本の国名は九州の日◯系の地名の地域から採用されてると思う
鏡は太陽を写して光のパワーを閉じ込める儀式とかに利用したのだろう 魏史ばかりでなく、呉と越の記録をもっと漁ったほうがよいと思う >>453
中国の記録って、そういうのは綿密にやってると思ってたけど
もしそれが本当なら、距離の記載は全く信用出来ないね
そしてそういうスタンスで書かれたものならば、他の数字を伴う記載も疑ってしまう
戸数7万ってなに?
推定30万人の人口って、いくらなんでも多すぎるよねとか >>359
現代の道路で調べた結果、直線距離と道路距離はせいぜい2倍までという調査は意味がない
古代の道は基本的に自然地形そのまま
現代のように障害物を排除して真っ直ぐな道路を造ることはない
次に、古代の人は直線距離と道路距離との換算比率を知り得ない
現代人は地図にモノサシを当てれば直線距離を測れるが、古代では不可能であり、
彼らが持っていた情報としては道路距離のみ
よって、道路距離から換算して直線距離を出し、それが短里で書かれていたという主張は成り立たない
あとどうでもいいことだが、狗邪韓国まで「水行」7000里との整合性も考えた方がいいと思うよ
陸上の距離にこだわってるが、倭人伝にははっきり「水行」と書かれてるんだから、
その距離は実は陸上の距離でしたなんて屁理屈でしかない >>450
弥生時代も古墳時代も現代の人間が勝手に時代を区切ってるだけに過ぎない
言葉遊びはやめよう >>464
呉と越の記録にはヤマト朝廷の記録はあっても卑弥呼や邪馬壹国の記録は無いのでは? >>459
だがら筑紫と熊本北部の遺跡のつながりが分かって、菊池川流域は狗奴国側じゃなく、邪馬台国側だろうなと思えるんだよね
確か九州内の庄内式土器の6割が在地産と把握してる
九州北部に流通する土器で以って畿内との上下関係を判断するのもどうだろうね
九州は「受け入れた」とかいう人もいるけど、薄くて使い勝手のいい土器を「取り入れた」でもいいわけじゃん
畿内発の豪華なお墓を奴隷ごと輸入したとも言えるわけだし
九州人はオープンだがらなんでも取り入れるよw 古墳時代はヤマト朝廷から始まったかのような誤解しやすい
古墳自体は全国にその前から在る
西暦でレスしないと内容が前後してても気付きにくい >>466
畿内説だと45度ズレてるそうだから、東は北、つまり日本海ということになる。 >>468
>弥生時代も古墳時代も現代の人間が勝手に時代を区切ってるだけに過ぎない
>言葉遊びはやめよう
?
>>450は弥生時代と古墳時代は一続きだから、
古墳時代は関係ないというのは意味がないから止めよう、という九州説への呼びかけなんだが?
>>468は同じ考え方ってことでいいのかな? >>465
>戸数7万ってなに?
>推定30万人の人口って、いくらなんでも多すぎるよねとか
それでいいと思うよ
倭国には他とはレベルが違う3つの大国があって、
それが奴国二萬戸と、投馬国五萬戸と、邪馬台国七萬戸
奴国より投馬国は倍以上大きくて、邪馬台国はその二つを合わせたくらい大きい、
という程度の読み方で十分だと思う
奴国が九州最大で九州の指導的立場、
邪馬台国が畿内の中心で畿内周辺の指導的立場、
投馬国がその間の地域・中国地方の中心の大国ってことでこれが一番据わりがいい >>459
>畿内様式土器が九州でも早い時期から出る地域なんだよね
マキムクなんかも200年以上時代を古く捏造してるから
畿内様式土器じゃなくて九州から畿内へ土器が流れ込んだんだろう。 >>470
>九州北部に流通する土器で以って畿内との上下関係を判断するのもどうだろうね
畿内では弥生時代後期に入るところで、各地の在地の土器が作られなくなって、
畿内第V様式土器で統一されるというのを経験している
どこが征服したということではなく、一つの集団として統一されている
それが九州も含めた倭国全体に展開されるのが庄内期から布留式土器の時代にかけて
征服とか支配とかの上下関係ではないと思うけれど、盟主は畿内にいるという形 >>476
>マキムクなんかも200年以上時代を古く捏造してるから
九州説の典型ww
自説の都合の悪いことは全部、捏造、陰謀ということにして「見ない聞こえないんだー」って言い張る
まあ、最近の科学的研究の成果を一つでも認めたら、その時点で九州説は即死だからねw
そして、その研究成果の妥当性を判断する立場の研究者が、みんな畿内説を既に前提として
研究を進めている時点で、「捏造だー」というのも虚しい戯れ言なんだがね >>475
今現在の佐賀市全域でも23万にしか人がいないんだが。。。 >>479
邪馬台国は北部九州地域全体だよ
奴国や伊都国は邪馬台国の一部。 >>478
馬具やベニバナの花粉が出土してるだろw >>479
市町村レベルの広さだと無理だよね
三韓全部で15万戸だから妥当な数字。盛ってるとしても倍まではいかない >>480
それは魏志倭人伝の読み方を間違えている。
南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月
官有伊支馬 次日彌馬升 次日彌馬獲支 次日奴佳? 可七萬餘戸
邪馬壹國に可七萬餘戸と書かれているわけで
魏志倭人伝が邪馬台国連合を指す場合「女王国」と書かれていて
上の文面では明らかに女王の直轄地である邪馬壹國に7万戸あると読める。
ただし魏志倭人伝の数字自体かなりおかしいことは言うまでもないことなので
7万戸をそっくりそのまま信用する発想が良くない。
7万人と言われても結構眉唾ではある。 畿内でも九州でもどっちでもいいけど、日田とかマイナーな所だとガッカリ感があるよなー(´・ω・`) >>483
基本的に邪馬壹國=女王国=倭国
邪馬壹國、女王国の中に奴国や伊都国が在る
但し自女王國以北などの場合は女王國の中心地である奴国、伊都国以北の意味。 >>485
それは現代人が原文読まずに勝って解釈しているに過ぎない。 >>486
>上の文面では明らかに女王の直轄地である邪馬壹國に7万戸あると読める。
これが間違ってますね。女王の直轄地って? 普通に読むと
邪馬台国=大和、倭国の首都
奴国=筑紫
倭国=首都・邪馬台国にいる女王・卑弥呼が支配してる地域
伊都は代々の王がいた場所なので、そこを占領して一大率(邪馬台国の役人)を置いて
九州北部より北の地域を管理していた。 九州の現実
・鏡は5〜6期(卑弥呼から100年200年前)の古い鏡を打ち割った破鏡、鏡片か?製鏡が殆どで新式鏡や完形鏡は古墳出土を待つことになる
(この時期には他地域でも鏡見つかっており大差なく最早九州に鏡の中心などない)
・平原の鏡も殆どすべてが?製鏡(大型鏡も)残りの鏡も古い鏡で中央も辺縁部も鏡を手にいられない状況が浮かぶ
・絹は最盛期の13遺跡から激減の1遺跡。しかも麻布よりも粗雑な物が一かけらだけ
・祭祀遺跡は柱二本建てただけの建造物でさえもない物だけ
・当時採掘されていた丹山は存在しない
・宮城など全くない
・弥生時代後期後半には大和、吉備の土器が広まり庄内期には在地土器が消え去る勢いで生活様式が畿内式に一変する
(九州から広まる物は無く畿内から常に一方的)
・それまで存在してなかった大型墳墓祭祀が奈良に続いて真っ先に庄内式の色濃く分布する場所に持ち込まれる
九州説の持ち出す資料の現実
・古い破鏡、鏡片を1枚カウントしている
・卑弥呼から100年200年は前の時代の鏡や絹を合算して「弥生時代を通じて凄い」と言う
・4世紀後半、5世紀後半の古墳出土物もカウント。しかし「畿内鏡は4世紀だから認めない」(そもそもこれも間違いだが)と言う
・全国にどれだけ大量に「ヤマト」の地名があろうが、そもそも発音が違ってようが山門こそ邪馬台国と言う 九州古墳大きさランキング
1位 宮崎県西都市 「女狭穂塚古墳(177m)」 全国48位
2位 女狭穂塚古墳の隣 「男狭穂塚古墳(167m)」 全国53位
3位 鹿児島県肝属郡 「唐仁大塚古墳(150m)」 全国66位
4位 福岡県八女市 岩戸山古墳(144m)」 全国79位
九州人口少ないから 土蜘蛛調べたら女首領も多くいて
呪術などのシャーマニズムの特徴もあったというから
邪馬台国の卑弥呼の系列の野良集団なんじゃないのか 北部九州は縄文時代から既に西日本の中心だった
そしてそれは弥生時代から古墳時代にかけても継続した
縄文時代の貝の交易マップと、北部九州の海人族・安曇の分布がほぼ一致している
縄文時代の貝の交易
http://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-0a-2d/kawakatu_1205/folder/1608018/30/55536130/img_3?1506135325
http://www.gondo.com/gyarari/photo/kokunaiiseki/pic/doigahama/a2.jpg
安曇族ゆかりの地
http://4.bp.blogspot.com/-mYi5TCXdsF8/VDnqBtD4d9I/AAAAAAAAA2s/YwNSV2jEEZc/s1600/018E8B387E69699_R.jpg
また、縄文時代には貝で作った貝輪が北部九州の有力者の証だったが、弥生時代以降にはそれをモデルにして銅で作った
銅釧(かなくしろ/どうくしろ)がこれに代わり、やはり同様の分布を示す
銅釧出土地
http://www.city.ichihara.chiba.jp/maibun/sinsou/36/bunnpu.png
銅釧は北部九州が発祥で、邪馬台国の時代に盛行したとされる
http://www.city.ichihara.chiba.jp/maibun/note/notebook31_1.htm
>南海産貝輪にルーツのある有鉤銅釧の分布は、弥生時代中期後半に北部九州に始まり、弥生時代後期に盛行し、
>古墳時代前期前半で終焉に向かいます。
やはり、邪馬台国の時代に至っても北部九州の海人が東海以西の日本各地を席巻していたのは間違いなさそうだ
銅釧の出土を見ると、畿内も大阪湾南岸は既に北部九州の勢力下に入っていたようだ
現在の和泉市や泉佐野市のあたりなのを見ると、和泉(イズミ)も安曇(アズミ)由来の地名のようだな 安曇の関係地や海人の特権階級が身につけた有鉤銅釧の分布は連続的ではなく飛び飛びになっており、
邪馬台国は本州に飛び地を持っていた可能性が高い
http://4.bp.blogspot.com/-mYi5TCXdsF8/VDnqBtD4d9I/AAAAAAAAA2s/YwNSV2jEEZc/s1600/018E8B387E69699_R.jpg
http://www.city.ichihara.chiba.jp/maibun/sinsou/36/bunnpu.png
例えば近江に安曇族が来たのは卑弥呼の時代とも一致するらしい
邪馬台国の飛び地だったと言ってもいいだろう
https://biwako-genryu.shiga.jp/?page_id=603
> 安曇川周辺には、このアドやアマに関連する地名が数多く見られる。 安曇川町上古賀の「天川」や中央1丁目の「雨ヶ森」、
> 新旭町安井川の「安曇」や太田の「安曇連(あづみむらじ)」に関する社寺と「阿曇比羅夫(あづみひら ふ)」の墓、
> 今津町南浜の「天川」などである。
> そして、これらに福井県若狭町の「海士坂(あまさか)」や県境の「天増川(あますがわ)」をつなぐと、若狭湾方面から饗庭野を経由して
> 安曇川流域付近に住 みついた安曇海人の軌跡を示しているとみられている。
> また、移住の時期は弥生時代から始まって、3世紀以前に安曇川のデルタ一帯に定住したが、6世紀には当地域から姿を消したものと推測されている。 なお、海人の特権階級が身に着けた有鉤銅釧の鋳型は北部九州のみから出土している
つまり全国出土各地の領主は北部九州に権威を認定してもらう側であり、北部九州は権威を承認する側だったことになる
これは北部九州が本国であり、有鉤銅釧が出土する各地はその傘下であったことを示している
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/245626
> 有鉤釧形銅製品は有鉤銅釧とも呼ばれ、鉤付の青銅で作った腕輪のことである。この形の祖は、南海産のゴホウラ貝を
> 縦に切って作った腕輪で、複数を男性の右腕につけられることが多く、特権階級の存在をうかがい知る資料のひとつとなっている。 安曇の関係地の一つである渥美半島で、異様に上腕骨の太い縄文人の骨が見つかっている
海流に逆らって船を漕ぐためにそうなったと考えられており、海人族が縄文時代には既にここまで来ていたことを示している
ちなみに、2番目にマッチョだったのが海人の本拠地、福岡玄界灘の集団であった
https://readyfor.jp/projects/koukai2/announcements/84232
>最後に補足ですが、図中のGは保美に次いでマッチョだった縄文男性なのですが、北部九州の玄界灘集団です。
これと同様にマッチョな弥生人の骨が長崎の離島からも見つかっている
やはり海人族だろう
https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2018_1114.html
> 弥生時代、女王・卑弥呼が治めた「邪馬台国」があったという説もある九州北部。
> ことし8月、長崎県佐世保市の離島、高島で古代史の研究者を驚かせるものが発掘されました。
> それは、下半身に比べ上半身が異常に太く、驚くほど“マッチョ”な体型をしていた弥生時代の人骨です。
https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/still/web_tokushu_2018_1114_eyecatch.jpg 淡路島で発見された弥生時代の鉄器工房は、鉄製品が出ないことに悩む畿内説を活気づかせたが
今年に入ってその設備が北部九州のものであることが判明している
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201803/0011093126.shtml
> エックス線写真で分析した結果、先端から約1・5センチ下方に「かえし」が見られた。
> ヤスや釣り針にかえしをつくるには高度な技術が必要といい、鉄器製造が盛んだった九州などから持ち込まれた可能性がある。
> 中略
> 弥生期の鉄製ヤスや釣り針は、山陰や九州北部で出土する例が多い。
> 愛媛大東アジア古代鉄文化研究センターの村上恭通センター長は
> 「山陰は九州から鉄製漁具を受け入れ、漁民が鉄器の交易を促進した」と分析。
> 今回の発見で、漁具が日本海側だけでなく「瀬戸内側を伝わって来た可能性もある」と指摘する。
これで淡路や近江など至近距離に鉄工房があるにも関わらず、畿内の弥生末期〜古墳初頭の遺跡から鉄製品がごく僅かしか出土しない理由の説明がついた
当時は安曇と畿内はまだ別勢力だったというわけだ
淡路も近江も九州海人族の勢力圏なのは>>495の地図などを見ても明らかである
恐らく畿内は当初安曇族の進出を拒んだため、安曇族はこれを迂回して包囲するように勢力圏を拡大してゆき、畿内の鉄製品が増える4世紀頃には
畿内勢も安曇を受け入れざるを得なくなっていたのだろう
隋書に倭国の王姓は阿毎氏とあるが、隋の使者に対して海人(アマ)の出自だと名乗ったのだろうな おそらく一大率を派遣した女王国北側の国々とは>>496のような飛び地のことだろう
遠く離れていたからこそ一大率を現地に派遣する必要があり、それが出来た伊都国は海人族の国だったのだろう
その一大率が身分の証として身につけたのがゴホウラ貝輪や銅釧だったとしたら全てがすっきりと繋がる
一大率の解釈にはよく伊都国に居たと解釈する人がいるが、一大率の説明の中に「中国における刺史のようだ」と書いてあることに注意がいる
刺史は各州に一人派遣されて現地で執政するものだから全国で見れば複数人存在するのが普通で、
一大率も各国に一人統治者として派遣されたと解釈したほうが説明に合致する
伊都国に一人だけ存在して複数国を総覧していたのならば刺史ではなく丞相などに喩えたほうが的確になってしまう
一大率は飛び地を管理するために伊都国から派遣され、逆に女王国南側の国は地続きだから一大率は必要なかったと考えるのが自然
なお中国語辞典によると「治」という文字には監督するという意味がある
常治伊都国は伊都国が常に派遣した一大率たちを監督していたという意味だろう
治
http://www.zdic.net/z/1c/kx/6CBB.htm
>又監督也。《周禮·地官·ク師》用役則帥其民而至,遂治之。 >>499に書いた皇室が海人の出自であることの証拠として、檳榔(ビロウ)を用いた祭祀が挙げられる
ビロウは南国系のヤシの仲間であり、北限は福岡県で瀬戸内海方面には自生していない
このビロウの葉が皇室の即位式のための禊の場に使用されるのである
また皇族でも特に身分の高い者だけにビロウの葉を屋根に使った牛車がある
http://zenyamaren.org/yamaren20-027.html
>なぜ、ビロウが手掛かりになるのかというと、このビロウという植物の古代天皇制から現在の天皇家にいたる祭祀上の特殊な位置づけがあるからです。
>まず第一に、古代天皇制においてビロウは「最も神聖な植物」とされたということです。
>皇族の中でも特に高貴なものに許された乗りものに、ビロウ毛の牛車というものがあります。屋根材をビロウの葉で覆っているものだそうです。
>なぜこのような牛車が高貴なものしか許されなかったのか?
>おそらくそれは、天皇の即位式である大嘗祭に由来しているのではないだろうかと思われます。大嘗祭においては、天皇として即位する
>儀式のため百子帳という小屋を建て、そこが天皇になるための禊の場となるのだそうです。
>この百子帳の屋根材は、なんと今でもビロウの葉でなくてはならないのです。
>ビロウ毛の牛車とは、おそらくこの百子帳を日常にアレンジしたものであろうと思われます。
>ならば、その使用は天皇にごく近い血筋をもったものしか許されなかったことは、想像に難くありません。
この南海文化はゴホウラ貝などを南西諸島と交易していた海人が持ってきたと考えると>>495などと符合する
ビロウが皇室の重要な祭事で重視されているというのも、皇室が海人の出自であると考えれば妥当だろう https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-0a-2d/kawakatu_1205/folder/1559278/18/54429718/img_3
この伝阿曇居住地(水色の丸印)を見ると、奈良が完全に安曇に包囲されてるのがよく分かる
この状態から畿内が九州に対して逆転勝利を収める目は存在しない
完全に包囲されて圧力に屈した奈良が入婿(神武)を受け入れて権力を明け渡した程度の話が東征の実態だろう >>495のこの地図で「貝の消費地 北部九州の弥生のクニグニ」と書かれているオレンジ色の範囲が女王国連合と推定される
http://www.gondo.com/gyarari/photo/kokunaiiseki/pic/doigahama/a2.jpg
種子島の広田遺跡から背の低い人骨が見つかったことから、種子島が魏志倭人伝に出てくる侏儒国は種子島だと言われているが
「女王国を去ること南に四千里」という位置情報と完全に一致している >>295
九州人は声がでかいからな。タモリとか聖子の悪口なんてよう言えん。まあ武田鉄矢の悪口は言えるがw >>497
有鉤銅釧は日本各地で出土しているよ。
キーワード:有鉤銅釧 分布 一覧 でググってみるといい。
つまり君の主張が正しいとすると、日本全国に海人の特権階級がいたという事になるが? >>492
ここで書いた事から分かるよう弥生時代後期後半から邪馬台国の時代の九州は
1、中心地や卓越した存在の消失
2、勢力としてのまとまりの弛緩
3、外国との交渉力の衰退
4、他地域の伸長
5、他地域からの一方的な強い影響の拡大と、時代が進むごとにその影響が強くなり在地個性が無くなる
と言う状態が見えてくる
ここに多くの地域をまとめた中心地や、外国と交渉した勢力と言う姿は全く浮かんでこない
むしろ邪馬台国の時代の100年ほど前から勢力としての衰退と、他地域(主に畿内)の影響が拡大していく様子が明確となる 貝の交易がどうたら安曇族がどうたらのコピペ貼ってるやつが
安本信者の東遷厨と同一人物だとこの前初めて知ったわ もちろんいわゆる邪馬台国の頃には日本各地にそれなりの集団が割拠していただろう。北部九州や出雲、吉備、近畿etc.。
そのうち邪馬台国だと思われるのはやっぱり北九州の部族で、それが出雲を征服したあと、神武の東征のネタ元になった
部族の移動で近畿に達して元ヤマトの部族と融合し、後世の大和朝廷になったわけよ。 >>467
現代でも「リアス式海岸沿いの道」は海を突っ切るわけじゃないから、
古代とそこまで大きく変わらないでしょ。
昔は勾配規制も何も無いので、現代より真っ直ぐ道を作れる部分もある。
例えば、江戸時代の難所で知られる「箱根八里(小田原〜三島)」は、
現代の車で行ける道は約37km、昔は約32km。(直線距離は約28km)
「正確な換算比率を知らない」というのは何の反論にもなってない。
君が否定しているのは「誤差が全く無い測量方法」であって、
「誤差が許容範囲に収まる測量方法」の存在を否定できてないからだ。
一般的に「少なく見積もる」という時は0.7を掛けたりするが、
こんないい加減な換算でも誤差はだいたい2倍以内に収まる。
大雑把な位置関係をつかむための測量なら許容範囲だろう。
経験則に基づいた換算だったら誤差はもう少し小さいだろう。 >>495-503
やはり九州が邪馬台国で間違いないようだな
畿内は征服された側でした、と >>505
>>496とかで分布図を貼ってる奴に対して「ググってみるといい」とか間抜けかよ >>421
一寸千里法以外にも短里が生じる可能性は>>258で示してある。
一寸千里法を否定しただけで短里を否定したつもりになるのはおかしい。
>>453
「万二千余里」以外にも短里が当てはまる事を>>166>>392で示してある。
「万二千余里」だけ短里以外で説明できるからと言って、
短里を否定したつもりになるのはおかしい。 >>497
>海人の特権階級が身に着けた有鉤銅釧の鋳型は北部九州のみから出土している
キモはここだろうな
他地域は製品のみで鋳型は北部九州のみ、というのが関係性を表しているな >>491
普通に読むとじゃなくて畿内説で読むとだな。 >>453
それと、水行の距離は「1日=千里」で換算していると思う。
水行の部分が全て千の倍数になっている事と、
釜山〜対馬〜壱岐の「千里」としている事が、
これで合理的に説明できる。 >>495-503
考古学は雄弁だな、これで畿内とか言う寝言もお仕舞いだわ
赤くしとくか >>517
なるほどね。
鋳型の出土している九州が当時の日本の中心地で
海洋交易がおこなわれていたという解釈なんだね。
一つ疑問なんだが、魏志倭人伝では
なぜ九州以北は倭種の国で、よくわからない状態と書かれているんだろう?
鋳型の有無といっても、現在のところ九州でも3つでているだけで
他から出ていない=存在しないといえるほどの数があるわけでもない。
それですなわち海人の中心とまで解釈できる人なら
よくわからない倭種の国の意味も解釈できるんじゃない? >>519
釜山〜対馬〜壱岐の「千里」は実測できなかったからでしょう
7000里は韓の方4000里から「1日=千里」で換算なないわ。 て言うかそもそも九州のことしか書いてないんだけど・・・ >>347
それ結局、棺だから畿内説詰んだいうこと まあ近代以前の連中が、大和の国あたりを普通に邪馬台国って思うのは理解できる
けど、いまアレを読んだら、畿内の事なんてただの一言も書かれてないってのもわかるよね >>459
だから、国力で劣るから共立されるんやろ 九州説ってロマンあるよね
ファンタジーはこうでなくっちゃ 畿内説って意味分かんないよね〜
妄想ははこうでなくっちゃ >>473
無理だよね
春秋分点と夏至のズレは30度くらいだから、畿内説だと、瀬戸内海が伸びてる方向がまんま真東になって、
かえって九州説を補強するだけの話
夏至、冬至回帰線の間の偏角を足して60度のズレ!すなわち畿内説!
って主張する学者に至っては、学者・有識者名乗る資格無し >>506
勢力のまとまりがないから、戦乱になるんやで?
書いてて、自分でおかしいって気づかへんかったん? どこをどう読んでも畿内に比定できん・・・
九州説にも難点はいっぱいあるけど、畿内説にはそもそも持って行きようが無い
無理ですよ畿内説。邪馬台国は畿内には無いです。
最初から畿内にあることを前提に証拠探しをするから、どんどん話がこじれる
歪になる。不自然。そりゃそうだ 順調に博多湾沿岸の国訪ねて急に奈良に至る旅程ってそもそもありうるのかね? >>531
妄想の中で生きてるとそう思えてしまうのはわかるわー >>502
>https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-0a-2d/kawakatu_1205/folder/1559278/18/54429718/img_3
>この伝阿曇居住地(水色の丸印)を見ると、奈良が完全に安曇に包囲されてるのがよく分かる
>この状態から畿内が九州に対して逆転勝利を収める目は存在しない
畿内説が無理ゲー過ぎて笑えるw
空白の4世紀ごろに畿内が九州勢に完全征服されて東日本の支配も視野に入れるようになったから東遷したんやな 弥生時代後期後半から九州では中心がなくなり、勢力的なまとまりも弛緩する
この時期がちょうど倭国大乱の時期に当たる事は示唆的だと言える
そのような中で九州は東瀬戸内海、特に吉備、大和の影響が色濃く表れるようになる
弥生時代後期半ばまでに存在していた他地域に対する障壁が弱体化し、
九州が東瀬戸内海のクニグニの強い干渉を受けている状態が現れている
この状態は時代を追うごとに強くなり、九州が東瀬戸内海、続いて大和の影響下に入る様子が段階を追ってみることが出来る
そしてこの状況はそのまま変わらず古墳時代に入る
そして九州は現在に至るまで統合も独自勢力の自立も現れない
これが九州と言う土地の弥生時代後期後半から現代にいたるまでの姿となっている >>537
無いね。
瀬戸内海を、って簡単に言うけど、フェリーじゃないんだから、あちこち寄港しないと無理
最低でも宮島、吉備のどこか、播磨のどこかか淡路島、そんで摂津のどこかで上陸?
まあ神武の東征みたいな旅程になると思うけど 邪馬台国研究なんて門外漢の好事家か馬鹿しかやってないぞ >>516
それ以前に、根本的に「渡海千里を測る手段がない」のに、
それを含めた萬二千里を信じてちゃだめだろ
その渡海千里も一寸千里で測れるというのが否定されたんだから、
萬二千里を根拠とする理由を失ってるんだよ
萬二千里は実測値からではなく、淮南子等大陸中華の世界観から引用された数字だというのも
既に論証してある
そして、司馬氏の高祖のための誇張説は、短里に「見える」理由であって、
短里があったことを示す根拠ではないし、むしろ短里説を否定する根拠だ
さらに根本的な
「短里を使う人も使う理由のある人も、どこにもいない」ことが間違いであることを
示せない限り、短里があったと考える合理的理由は存在しないことになる
短里は九州説の命綱だけれど、結局は根拠のない捏造 なんだか安曇族がーって言って図を貼り付けてる人がいるけど、
こっちの図の方がよっぽど信頼性が高いだろうにw
http://livedoor.blogimg.jp/bungchanblog-kodaishi/imgs/4/d/4d3e1010.jpg
この網掛け部分が、当時の倭國の範囲だよ 短里が命綱もくそも
正確でもない距離しかないのが畿内
距離だけですやん
地名も方向も全部ダメ、習俗もだめ
距離だけが畿内の命綱 かんじんの距離を消化するための旅程も無く、いきなり畿内にワープて
それ無理ですから そういえば昔よく聞いた銅鐸文化圏とか銅矛銅剣文化圏とか聞かなくなったね
銅矛銅剣文化圏が銅鐸文化圏を駆逐したというストーリーが気に入らなかったからかね? 弥生時代後期後半に入ると九州では大きな変化が起こる
中期から続いてた福岡周辺から広められていた甕棺、銅矛が急激に衰退し消滅する
この後は九州各地の墓制はマチマチなものとなる
そして、これも中期から続いていた中心的な王墓と考えられる豊富な副葬品を持った墓が無くなる
その上で、新式鏡、完形鏡がなくなり、中心、規格のハッキリしない破鏡、鏡片、小型?製鏡の時代になる
文化的には絹の激減と粗悪化などの文化的地盤沈下が表面化するようになる
この後期後半の九州の変化は、ほんの短期間で起こる「激変」と言って良い状態となっている
弥生時代後期後半の九州はそれまで数百年続いてた北部九州の勢力に急激な変化が起こっていることが分かる
これは端的に言えば衰退と言える 九州の村落レベルのクニのことはあれこれ書いてるのに、畿内近辺らしきことは一切書かれてない
これって畿内は無関係ですよね >>503
完璧だな
北部九州で決まり!
>>>495のこの地図で「貝の消費地 北部九州の弥生のクニグニ」と書かれているオレンジ色の範囲が女王国連合と推定される
>http://www.gondo.com/gyarari/photo/kokunaiiseki/pic/doigahama/a2.jpg
>
>種子島の広田遺跡から背の低い人骨が見つかったことから、種子島が魏志倭人伝に出てくる侏儒国は種子島だと言われているが
>「女王国を去ること南に四千里」という位置情報と完全に一致している >>548
畿内説ってこういうウソしか言えないから馬鹿にされるんだよな
破鏡の分布は弥生時代末までは北部九州が中心だったが、古墳時代には瀬戸内海から畿内が中心になるw
破鏡の流行が衰退なら畿内は衰退したことになるぞw
弥生時代
http://vbsoft.sub.jp/zuhyou/zu40.jpg
古墳時代
http://vbsoft.sub.jp/zuhyou/zu41.jpg
「破鏡の伝世と副葬ー穿孔事例の観察からー」辻田淳一郎より
破鏡は割符のように家族同士や味方同士で使用されたものと考えられ、卑弥呼時代の弥生末には
九州の文化だったものが古墳時代には東に中心が移っているのだから、これは東征の証拠だといえる >>12
>韓国からの渡来人
>韓国からの渡来人
>韓国からの渡来人
>韓国からの渡来人
>韓国からの渡来人
ヴァ〜カ >>551,553
ついに東征の動かぬ証拠が見つかったか まず、墓を見つけろ
妄想談義の域を出ない
話にならない >>515
496は有鉤銅釧の分布なんんか貼っていないぞ 裴世清は激怒した煬帝の命を直々に受けて日本に来たんだよ
一歩間違えれば戦争という緊張状態の中で日本を調査してる
原文に近い魏志倭人伝を読んで、今では失くなったであろう様々な資料を見て
「大和は邪馬台国なり」と言ってるんだ
エリート中のエリートで時代も近い中国人
1400年もあとの日本人がどうこういっても文献的には大和しかない 里程はかなりいい加減だろう。測る術は一応あっても測量技師が時間かけて測ってる訳でもないし。
方角は太陽や月見たら分かるし、間違える可能性は低い気もする。ただ当時の魏の役人が遠い異国でどこまで把握できるか。
到日数は一番正確だろうな。ここは間違えようが無い。日記つけたら終わり。 >>557
裴世清が来たのは魏志倭人伝の300年後
全く近くないし、見ただけでそれと分かるわけがない
地名の音が近いからそうだろうと想像しただけの話に過ぎないし、筑後山門を始めヤマトという地名が
倭国ではありふれていることなど裴世清は知らない >>495-503
どうやらその海人が西日本交易の中心的存在だったのは間違いなさそうだな
畿内の田舎が中心とかないわ
【歴史】邪馬台国時代のすずり5個出土 交易でも文字使用か「日本の文字文化の始まりを考える上で興味深い」 福岡・西新町遺跡
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1542968156/ >>498
個人差じゃないの
犬でもデブもいればヒョロガリもいるだろう >>545
>正確でもない距離しかないのが畿内
>距離だけですやん
本質が分かってないな
畿内説のメインの根拠は、
「卑彌呼が倭王、倭国の盟主」であると魏志倭人伝に書かれていることだよ
そして古墳時代には東海から九州に渡る範囲が倭国であり
その盟主が畿内にあることが明白で、
古墳時代が卑弥呼の時代と重なることが分かった
ということ 邪馬台国の卑弥呼は後の土蜘蛛と言われる類の
反ヤマト王権の山賊の祖だろう
その邪馬台国は狗奴国に滅ぼされて離散し山賊となりて土蜘蛛となった
狗奴国こそが熊襲
点々といた土蜘蛛集団の中には女首領の集団も多く
農耕呪術などのシャーマニズムだったというし
偽卑弥呼後継者的な離散集団だろう 弥生時代の区分を、多数説に従って記すとこうなる
早期……前五世紀初めごろ 〜前三世紀初めごろ
前期……前三世紀初めごろ 〜前二世紀初めごろ
中期……前二世紀初めごろ 〜 一世紀初めごろ
後期…… 一世紀初めごろ 〜 二世紀終わりごろ
終末期… 二世紀終わりごろ〜 三世紀前半ごろ
その上で、北部九州で弥生王墓とされている遺跡の時代区分を見ていくと
奴國 吉武高木遺跡 前期末から中期初頭(前三世紀末〜前二世紀初め)
須玖岡本遺跡 中期後葉〜末(一世紀初めごろ)
伊都國 三雲南小路遺跡 中期後半〜中期末(前一世紀後半?)
井原鑓溝遺跡 後期中ごろ(一世紀終わりごろ)
平原遺跡 後期後半〜終末期(二世紀末〜三世紀初頭)
末廬國 宇木汲田遺跡 中期前半(前二世紀前半)
というのが標準的な推定年代で、どれも3世紀半ばの邪馬台国の時代まで届かない
平原遺跡がぎりぎり届きそうだが、鏡の形式から年代が推定されていたのが、鏡が軒並み国産判定されてしまったので、推定年代が宙に浮いた形になっている
まあ、その後の新たな推定年代が分からないので、とりあえずよく知られた年代で記してある
何度も「資料の限界」についての引用で示しているが、「九州説に有利」だと九州説の人が考えている遺物は、基本的に「古い記述」なんだよ
邪馬台国の時期ではおそらくない
そして、倭人伝なんだから倭国の産物であって、邪馬台国限定の記述でもない
邪馬台国の比定で大事なのは以下の項目
・邪馬台国の発音に近い地名
・戸数7万戸
・30近くの国々の盟主
・宮室、楼観、城柵
・卑弥呼の墓径百歩
・徇葬百人
について述べないと、ほぼ意味がない 鯨面文化の入れ墨は
人にあらず蜘蛛や蛇のように見えたのだろう 土蜘蛛の元が九州北部にあった南洋人の卑弥呼がいた邪馬台国
卑弥呼亡き後けつもちの魏もけつもちならなくなり弱体し、熊襲に滅ぼされる
逃げたものは離散し土蜘蛛と呼ばれる山賊集団と化す >>563
>「?彌呼が倭王、倭国の盟主」であると魏志倭人伝に書かれていることだよ
これで畿内って納得しろってのがムリです >>565
気候風俗に関してはスルー?
当時は今よりも寒冷化が進んでて、日本で記述の通りの温暖な場所なんて限られてくると思うけど >>563
それさ、「倭種」の範囲であって「倭」の範囲ではないよね >>563
>その盟主が畿内にあることが明白で
いや>>551や>>553や>>561を見れば卑弥呼の時代には北部九州が盟主だったのが明白だ
畿内はもっと後の時代 >>512
直線距離への換算比率が古代にない直線距離の測量結果に基づいていて、根本的な矛盾を指摘されると
今度は誤差が許容範囲に収まる測量方法があったと言い出す
そんな換算比率が存在した証拠はもちろん示していない
道路距離だと「四千里四方」の2倍か3倍の里数になって短里がデタラメ確定になってしまうから
これを直線距離だとちょうどいいことにするための作り話だろうに
古代の人が知りえた距離とは、道路距離あるいは航行距離のみ
これを「四千里四方」だとするならまだ理解できるが、
「四千里四方」は古代の人が測定不可能であった直線距離だという主張には無理がある
そして狗邪韓国まで「水行」7000里との整合性も無視している
短里を主張したいなら、倭人伝の中でも当てはまることを証明しなよ
別件だが
>>519で「水行の距離は「1日=千里」で換算していると思う。」と言ってしまったので、もう終わりだよ
帯方郡から九州上陸までの1万里はすべて「水行」
1万里がすべて「机上で作られた里数」だと認めてしまったも同然なんだが 邪馬台国=畿内説も無理がある
邪馬台国とは畿内のヤマト王権とは
無縁な九州北部の国で卑弥呼没後に弱体化し
対立してた九州南部の狗奴国に滅ぼされる
ヤマト王権は熊襲国に脅威を感じ
激闘の末に征伐、合併吸収
畿内ヤマト朝廷の誕生である 安曇族推しの人に教えて欲しいんだが、その有鉤銅釧は魏志倭人伝のどこに書いてあるんだい?
倭人の中でも中心的な王族の文化だっていう設定で話をしているけれど、
魏志倭人伝のどこにも書いてないってことは、魏志倭人伝に書かれた倭国とは
別の倭種の分化だってことじゃないのかな 名前被りぐらい昔も今もあるだろうから
邪馬台=大和ではない このスレ、相変わらず同じ人間が延々と書いてるだけだな
まともな論客が来たら起こしてw >>571
>畿内はもっと後の時代
ということにしないと成りたたないのが九州説
だから近年の科学的な編年をすべて否定しないといけないが
研究者はそんな否定はしないから、研究者で九州説の人はいなくなってる >>577
百田はなんでまた九州説なんか取ったんだろな
あの時点で日本国紀は百田ファンタジーだわ >>574
横からだが比定地が確実な對馬國や一支國からも出土しているんだからその言い訳は苦しいな
http://www.city.ichihara.chiba.jp/maibun/sinsou/36/bunnpu.png
王しか身につけることを許されなかったのなら魏使と会わなかったんだろう
魏使の目的は卑弥呼に返礼品を届けることであって途中の国々の王に面会することじゃないからな >>569
>日本で記述の通りの温暖な場所なんて限られてくると思うけど
そうだよ、かなり限られる
南西諸島まで行かないとダメ
だから、記述通りの温暖な場所を条件にすると北部九州は自動的に否定される >>581
チェリーピッカーに反論するのもバカらしいだろ? >>583
反論できずに逃亡かよ
やはり畿内説は無理だとお前ももう自分で分かってるんだな >>579
>王しか身につけることを許されなかったのなら
これが間違ってるってことだよ
単純な話だ >>563
そして古墳時代には東海から九州に渡る範囲が倭国であり
その盟主が畿内にあることが明白で、
古墳時代が卑弥呼の時代と重なることが分かった
だからそれは出雲から関東甲信越に至る出雲の国だって
神武が畿内入りしたときに大物主が主として出迎えてるでしょ?
関東の人はご存知とおもうけど、関東地方なんて昔からあるのは出雲系の神様ばかりなんだから
氷川神社、大國魂神社、出雲岩井神社、諏訪大社、などなど 畿内にあっても仕方ないだろう
邪馬台国は九州北部の土人国家だったわけだろ? >末盧国に至る。四千余戸があり、山と海すれすれに沿って住んでいる。
これ見る限り、松浦潟に上陸したとは言えへんな。
伊都国への道程については、松浦潟周辺の平地の葦原と見なせるけど 要するに完形鏡が足りなくなって間に合わせに走ったってだけじゃん
文化じゃなくて、衰退だよ
平原1号墓の破鏡は棺への埋納ではなく墓坑内にばらまかれてるんだぞ
そして仿世鏡ばかり >>589
対馬や壱岐に王がいたなんていう史料はどこにもないだろ?
有鉤銅釧があるから王族だって妄想してる人がいるだけで >>590
だからそれ古墳時代には畿内や瀬戸内海が中心に変わるって指摘されてんじゃん
畿内や瀬戸内海は衰退したのかよw
バカ「九州の鏡は破鏡!これは九州の衰退を表しているうううううう」
>>551「破鏡は弥生時代末までは北部九州が中心だったが、古墳時代には瀬戸内海から畿内が中心になる、ソース有り」
バカ「あばばばばばばばばばばばば」 ← 今ここ >>587
>邪馬台国は九州北部の土人国家だったわけだろ?
北部九州で銅製品も作っているし土人国家という訳でもない
というか、列島内は縄文時代から長距離交流しているから、
広域分業・特産品はあっても文化レベルにはそうそう大きな違いはない
そして北部九州最大の大国の奴国が弥生時代後期から畿内と協調関係にあるんだから
九州だけの倭国の王が朝貢したというスキームは成り立たない >>593
>古墳時代には
古墳時代には畿内から完形鏡が各地に供給されて、破鏡文化なんて大枠では存在しないんだけど? 有鉤銅釧について
・福岡から出る鋳型で作られた製品が見つかっていおらず各地域で形が違い各地で生産されている
・各遺跡で形が違い、特定の規格のような中心性は見いだせない
・中期からの出土が始まっているが、当時の中心的王墓などから見いだせない辺縁的な分布をしている
・貝殻を原型として港湾部に分布する事から、交易に従事する人間の装身具であると思われる
・当時の港湾などの交易路上に限定的に見つかる事から交易のルートに乗った移動で何らかの勢力の存在を見いだせない
・全国でもあまり出土のない装飾具で規格性、中心性もない事から政治的な背景は持たない
・各地域の出土墳墓などに共通点が薄く、商品や交易品としての流通が行われているのが分かる
この事から有鉤銅釧は交易に従事する人間の装飾具で何らかの政治権力を背景とするものではないと分かる >>592
国の主は皆王を自称してるって後漢書倭伝に書いてあるが
「國皆稱王丗丗傳統」
まあ別に王かどうかは重要じゃない
各地の統治者と魏使が面会した形跡が無く、従って有鈎銅釧を身に着けた人物と出会ってない可能性が高いということが重要 >>597
文化背景を無視しすぎ
祖型のゴホウラ貝輪からして特権階級しか身に着けられなかったものだし
生産も北部九州でしか確認されていない、ウソをついてもダメ
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/245626
> 有鉤釧形銅製品は有鉤銅釧とも呼ばれ、鉤付の青銅で作った腕輪のことである。この形の祖は、南海産のゴホウラ貝を
> 縦に切って作った腕輪で、複数を男性の右腕につけられることが多く、特権階級の存在をうかがい知る資料のひとつとなっている。 鏡について
九州は弥生時代後期後半から5〜6期の古い鏡を打ち割った破鏡か鏡片、小型?製鏡が基本となる
九州はこの後古墳出土鏡まで新式鏡や完形鏡をほぼ入手できない
実に九州は弥生時代後期後半から古墳時代の150年に渡る期間、鏡を入手できていないことになる
そして他地域で新式鏡や完形鏡が見つかるので、九州を通じての入手ルートを経由しない状態が作られているのが分かる
更に小型?製鏡も河内周辺で独自の?製鏡を作成配布が始まっており九州式の?製鏡はその後に続かない
鏡の副葬と言う点においては先行している九州ではあるが、弥生時代後期後半から後の古墳時代に九州の影響は及んでいないことが理解できる
その新しい鏡の入手と配布の中心地は畿内になっているのが明白となっている >>602
同じ嘘を何回言っても無駄w
551 :名無しさん@1周年 :2018/11/23(金) 19:43:54.03 ID:rgA4LgbI0
>>548
畿内説ってこういうウソしか言えないから馬鹿にされるんだよな
破鏡の分布は弥生時代末までは北部九州が中心だったが、古墳時代には瀬戸内海から畿内が中心になるw
破鏡の流行が衰退なら畿内は衰退したことになるぞw
弥生時代
http://vbsoft.sub.jp/zuhyou/zu40.jpg
古墳時代
http://vbsoft.sub.jp/zuhyou/zu41.jpg
「破鏡の伝世と副葬ー穿孔事例の観察からー」辻田淳一郎より
破鏡は割符のように家族同士や味方同士で使用されたものと考えられ、卑弥呼時代の弥生末には
九州の文化だったものが古墳時代には東に中心が移っているのだから、これは東征の証拠だといえる ウソツ畿内のカスはまーたバレバレの嘘をついてんのかよw 弥生時代後期までの九州は大量に鏡を出土する中心地、甕棺と銅矛と言うその影響力の範囲があらわれていた
ところが後期後半に入るとこの九州の象徴ともいえる文化がほんの短期間に消滅する
この動きはかなり急激な物で九州の勢力にかなり大きな変化が起こった事が分かる
その後は墓制、鏡の分布等に規格も中心性もなくなり、九州の甕棺墓地域のまとまりがかなり弛緩していることが分かる
これは九州の中期から続いた勢力がかなりハッキリと衰退を示していると理解して良いだろう
そしてその上で、それまで他地域に殆ど見られなかった鏡の出土等がみられるようになる
逆に、九州の方では東瀬戸内海のクニグニ、特に吉備と大和の影響が明確に表れだすようになる
この現状は一過性の物ではなく時間を追うごとに強まり、そのまま古墳時代に繋がっていく事になる 文献的には畿内で確定なんだから、あとは証拠を積み上げて証明するだけ
邪馬台国が畿内になかったら、もう邪馬台国はなかったということだよ これ以上もめるなら邪馬台国はなかったことにします! >>606
文献的には九州で確定なんだから
近畿に大きな勢力があったことがハッキリしたら
邪馬台国とは別の倭種だったことが証明されるだけだぞ >>607
おい、誰か職員室行って先生呼び戻してこいよ 破鏡、鏡片と言う分布の在り方からして九州勢力の衰退を読み取ることが出来る
各地の要求に応じて貴重な完形鏡を自らの手元に残らない形で配布していることになる
そしてそもそも「配布の中心」と呼べるものも不明で「鏡だけが移動している」と言ってもいい状態になってる
さらに使用法、各地の出土状況から上位意志のようなものは見いだせず各地域バラバラなものとなっている
この事から破鏡や鏡片は上位者から下賜される威信材ではなく、もはや交易品として広まっている可能性が高い
鏡の分布から見えるのは九州と言う地域の急激な衰退の姿なのが分かる 小人の国、種子島から4000里北が女王国だから、
その記述からも北部九州に決定される。 隋書倭国伝の時の裴世清のルートは魏志倭人伝のときとは異なることがハッキリと書かれている
魏志倭人伝
狗邪韓国→対馬国→一大国→末盧国→伊都国→
狗邪韓国から南へ南へと書かれている
隋書倭国伝
>百済を渡り、竹島に行き着き、南に耽羅国を望み、都斯麻国を経て、遙か大海中に在り。
>また東に一支国に至り、また竹斯国に至り、また東に秦王国に至る。
>そこの人は華夏(中華)と同じ、以て夷洲となす。疑わしいが解明は不能である。
>また十余国を経て、海岸に達した。竹斯国より以東は、いずれも倭に附庸している。
半島の竹島から東へ東へと書かれている >>611
>小人の国、種子島
これを確定事項として論じているのもイタいよなぁw
裸国や黒歯国も実在の国だと思ってるんだろうなw 鏡の流れを見ると当時の状況がよく分かる
中期から後期:当時の完形鏡大量出土
後期後半〜終末期:古い時代の破鏡、鏡片か?製鏡で、大量出土場所も中心も無くなり鏡そのものが商品的な流通を見せている
古墳時代:古墳出土完形鏡が現れる
この事から以下の事が分かる
・終末期にかなりハッキリとした衰退を迎える
・古墳時代になって畿内から広まる古墳に与したことでようやく鏡が出に入る
・終末期から鏡を出さず、?製鏡も別系統なので古墳時代の鏡配布に関わってない
つまり、九州は弥生時代後期後半から急激な衰退をした上で、邪馬台国の勢力の影響が拡大してそこに取り込まれている
これが鏡の出土から分かる九州の姿となる >>601
>生産も北部九州でしか確認されていない、ウソをついてもダメ
まあ、鋳型が出ているから生産はしているんだろうが、
その鋳型で作った製品が北部九州も含めて一つも出ていないんだよな
各地で作ったことは否定できないだろ
青銅器工房は各地で確認されてるんだし 教授とか適当な肩書きで九州説おしておけば
九州でセミナーに呼ばれてお金もらえるボロい商売 馬具、槨が出た時点で畿内説は詰んだ。
金印がホンモノだった事で奴国が那珂国に定まり、
小人の島が種子島になって、
弥生後期の倭国大乱が北部九州を中心に起こったと言う発掘の成果、
狗奴国vs邪馬台国のパワーバランスの観点から奈良はあり得ない事、
三角縁神獣鏡が国産の模造品で呉鏡である事、
海を越えた東に倭種がある事、
これら、魏志倭人伝の記述と考古学上の発掘成果の一致点やマイナス点から、
邪馬台国が奈良である事が否定され、
邪馬台国が山門八女である事を確定出来る。 神武天皇って2600年前の人で、奈良に墓があるんでしょ?
卑弥呼よりうんと昔から奈良に大和国があったということ?
なんだかよく分かんねーな。 >>613
オマエは種子島の小人の墓の発掘があった事を知らないマヌケ。 6世紀初頭ですら山門八女の支配者たる磐井の君が、
福岡県糟屋に屯倉を持っていた事実が、
山門八女に比定出来る邪馬台国の女王が、
一大卒を置いて、女王国より北の国を支配していた構図と重なってくる。 >>210
古代中国道教の神学教理書ぼ『 九天神章経 』を教科書にして
日本神話とされる天地開闢や日本列島創造の物語りが創作された
九天神章経の元に古事記や日本書紀に登場する神々は誕生したし 山門八女に比定出来る邪馬台国の隣に、
狗奴国の狗古智卑狗に比定出来る熊本の菊池=久々知がある事からも、
邪馬台国vs狗奴国の構図が地図上に再現可能。
パワーバランスもベストの選択と言える。 >>522
「方四千里」を単純に当てはめると、東南端まで八千里となるので、
東南端より千里ほど西側から渡海したという事になるが、
その岸辺からは対馬が見えない。
東南端からだったら常に対馬を目視しながら渡海できるのに、
わざわざ見えない所からスタートするのは不自然だと思う。
何らかの計算をして、東南端まで七千余里という数字になったと思う。 >>543
直接測れなくても計算で数字は出せると>>166にも書いてある。
具体的には>>519に書いた。
「万二千余里」については、自分はそれほど信じていない。
だから、距離から場所を絞り込めるのは不弥国までだと考えている。
「万二千余里」だけ否定しても他の短里の部分が否定できてないので、
短里説を否定した事にはならないと>>516にも書いてある。
「短里を使う根本的な理由」は>>258に書いてある。
(という事も>>516に書いてある)
誇張説は「短里があるので倭国の里数は1/6にして読むべき」
という説を否定する代わりに、
「まるで短里があるかのように倭国の里数は1/6にして読むべき」
という説を肯定する事になるので、実質的に「短里説」と同じ。 >>559
多少の誤差が出るのは当然。
しかし、「5〜6倍の誤差が出る」というのはあり得ない。
何をどうやったらそんなに誤差が出るというのか具体的に示して欲しい。 マキムクの発掘の成果によって、馬具と槨が出てしまった以上、
邪馬台国は畿内ではない事は確定してしまった。
女王国より東に海を越えた地域の倭種の一部に確定したと言える。
倭種の発掘は盛んにやってもらって構わないが、
今後はそれを倭種の発掘の成果として、
キチンと報告書に記載していただきたいモノだ。 邪馬台国の距離方角に関して言えば、
陳寿が邪馬台国の位置を会稽の東と明記している。
ここに邪馬台国がある事を前提に、
邪馬台国の距離方角を書いているので、
魏志倭人伝に記載された邪馬台国の距離方角を再現すれば、
会稽の東に正確に落ちる様になっている。
ただそれだけの事。 温暖で海抜が上がって関東で縄文海進があった頃
筑紫平野でも低地は有明海とつながる海だった
内海の良港で吉野ヶ里遺跡はその港を守るために作られたが
気温低下とともに海抜が上がって港として機能できなくなったが
防衛拠点としての吉野ヶ里はしばらく残った
海抜低下で筑紫平野に新たに現れた土地は地盤が弱く
集権的都市機能を持つには向いていないので避けられた
その結果低地には遺跡がなくあるのは地盤が強い山の縁に限られる
港の海岸近くに防衛都市を作らず
少し離れた地盤がしっかりしたところに吉野ヶ里を置いたことから
当時そういった地盤についての知識はすでにあったと思われる ×気温低下とともに海抜が上がって
○気温低下とともに海抜が上がって
地盤についての知識があったと思われるのは奈良でも同様
実際多くの古墳は崩れることなく残ってる
つまり九州において邪馬台国の物的証拠が無いことは
あまりに不自然 さすが擬似都会人w
今から100年前日本に訪れたアインシュタインが
『改造』って有名な総合誌に日本における印象をこんな寄稿をしてる
「北野丸に乗船したが飾り気のない乗組員の日本人たち、友好的、まったくペダンティックでなく
個性的なところはない。日本人は疑問を持たず非個性的で、自分に与えられた社会的機能を尽くし
思わせぶりもなく、しかもその共同体と国家に対して誇りを持っている。
その伝統的な特色をヨーロッパ的なものの故に放棄して、その国民としての誇りを弱らせることはない。
日本人は非個性的だが、実際はよく打ち解けている。おおむね社会的存在として
自己自身のためには何も所有しないかのようであり、何かを隠したり秘密にしたりする必要はないようだ。」
「日本人の自然と一体になった芸術や生活など、私はとうてい、驚きと感嘆を隠せません。
日本では、自然と人間は一体化しているように見えます。
・・・この国に由来する全てのものは、愛らしく朗らかであり、自然を通じて与えられたものと密接に結びついています。
可愛いらしいのは、小さな緑の島々、丘陵の景色、樹木、入念に分けられた小さな一区画、そしてもっとも入念に耕された田畑や
そして側に建っている小さな家屋、そして最後に日本人みずからの言葉、その動作、その衣服、人々が使用しているあらゆる家具等々・・」
「もっとも気のついたことは、日本人は欧米人に対してとくに遠慮深いということです。
我がドイツでは、教育というものはすべて、個人間の生存競争が至極とうぜんのことと思う方向にみごとに向けられています。
特に都会では、すさまじい個人主義、向こう見ずな競争、獲得しうる多くのぜいたくや喜びをつかみとるための熾烈な闘いがあるのです。・・・
しかし日本では、それがまったく違っています。日本では、個人主義は欧米ほど確固たるものではありません。
法的にも、個人主義をもともとそれほど保護する立場をとっておりません。
しかし日本人の家族の絆はドイツのそれよりよりもたいへん固い・・・」 >>631
>>279 へ
それと畿内w大阪を訪れたアインシュタインには不快な感受作用が働いたみたいだね
「日本にきて特に気になるのは、いたるところに軍人を見かけ、平和を愛し平和を祈る神社にも武器や鎧が飾られているのは、
全人類が生きていくのに不必要なことと思います。
それからもう1つ、特に大阪の歓迎会では会場が日本とドイツの国旗でうめつくされていて、日独親善の気持ちは感謝しますが
軍国主義のドイツに住みたくないと思っている私には、あまりいい気持ちはしませんでした。」
九州福岡での日本人の生活を体感してアインシュタインは日本人
「予が1ヶ月に余る日本滞在中、特にに感じた点は、地球上にも、また日本国民の如く謙譲にして
且つ篤実の国民が存在してゐたことを自覚したことである。
世界各地を歴訪して、予にとつてまた斯くの如き純真な心持のよい国民に出会つたことはない。
又予の接触した日本の建築絵画その他の芸術や自然については、山水草木がことごとく
美しく細かく日本家屋の構造も自然にかなひ、一種独特の価値がある。故に予はこの点については、
日本人がむしろ欧州に感染をしないことを希望する。
そして九州における福岡では畳の上に坐つて見、味噌汁も啜つてみたが、其の何気ない体験からして
私は日本人の日本における日常生活を直ちに受け入れることの出来た一人であることを誇りに思うと共に
感慨深いものを私に与えることを自覚した。」
日本各地を訪問した天才アインシュタインの繊細で肌理なめらから知性と感受性がいやが上にも正直に反応したコメントを残してる >>551
結局、文献的にも考古学的にも九州しかありえないんだよね
今日もまた一つ九州説が補強されたし
【歴史】邪馬台国時代のすずり5個出土 交易でも文字使用か「日本の文字文化の始まりを考える上で興味深い」 福岡・西新町遺跡
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1542968156/ ×気温低下とともに海抜が上がって
○気温低下とともに海抜が下がって
ごめん
古い文献に書かれていることは参考程度で
結局は物的証拠がすべて >>572
>>166の下4行を声に出して読んでみなさい。
自分は最初から一貫して「誤差が許容範囲かどうか」を問題にしている。
誤差が許容範囲になる測量方法があるのであれば、
国ごとにいちいち記された里数はそれを使ったものだと考えるのが自然。
君はそれに対して、
「古代には誤差が全く出ない測量方法は無いから測量していない」
というあまりにも極端で非合理的な反論しかできていない。
君の主張は「古代は測量しない」と言ってるのと同じだ。
そして、「古代は測量しない」と言うなら、
まるで測量したかのような数字を、いちいち国ごとに記して、
公的に報告しているのはなぜか?
具体的に説明して欲しい。
(>>256でも質問したが要領を得なかったので再質問) >>635
そうだな
物的証拠を見ると北部九州しかあり得ないもんな >>620
身長が少し低い程度の種族を侏儒とは言わないんだって
人長三四尺だよ?
当時の一尺が23センチだから69〜92センチ、1メートルないんだよ
種子島でもそんな侏儒の骨は出ていない >>637
伊都国奴国は邪馬台国とは別の国だし、末盧国も邪馬台国ではない
九州で出ていると言われるものは全部古い
伊都国・奴国・末盧国以外で、3世紀の北部九州で何が出てる? 丈夫で加工しやすい石器を求めていた時代が長く
当時すでに地層についての知識があった
その結果土木の知識も発達
地盤がしっかりしてない場所に建てるのは避けられたと思われる
地震もあるし
国王レベルが住む建物が作られそうな場所は
地盤がしっかりしたところに限られる
地盤についての知識もある考古学者はそういったところは発掘済みで
いまだに九州に部的証拠がでないのはおかしい
福岡の奴国は人口多かったけど
地下鉄工事で穴開いたり地盤が弱く
当時の土木技術では発展がむずかしくて
増えすぎた人口維持ために移転するしかなかったんじゃないかな >>636
その前に、渡海距離がそもそも測量方法がないのは無視かい?
誇張した数字は短里で計ってないよね?
短里を使う理由のある人がどこにもいないというのにも返事がないし
九州上陸後で見て、末盧国ー伊都国間は一里50メートル、伊都国ー奴国間は一里200メートルくらいに
なるんだが、区間ごとにそんなに伸縮する単位で測ったなんてことはありえないよね?
比率を保ってとか言うのも、実距離によって否定される
短里なんてないんだよ
短里は九州説の都合による捏造 >>634
畿内説にはもう絶望しか残されていないのか… >>639
邪馬台国は伊都国・奴国・末盧国とか傍国で構成されてる連合国なんだってば
分からん人だなw >>611>>638
侏儒国、裸国、黒歯国は山海経に出てくる中国の伝説上の島。
おそらく、いかにも実在するように書かれた文献があって、
陳寿も信じて組み込んでしまったものだろう。 >>642
魏志倭人伝で末盧国に上陸した場所は呼子か名護屋浦付近
そこから唐津市街地方面に向かい東に向きを変え
海岸沿いに糸島市方面に進み伊都ゴルフ倶楽部付近から先が伊都国です
約40kmで短里1里80mで計算に合う
更に8kmで奴国との境、日向峠付近
これも短里1里80mで計算に合う。 低身長の人骨は弥生では種子島だけにしか見られない特徴な訳で、
侏儒国は種子島で間違いないだろう。 今時、畿内説の方角間違えとか、寝言にしかならへんのやで。 >>643
今まで散々ゴッドハンドして学問を歪めてきたウソツ畿内には似合いの末路だろ >>408
いや、九州では土偶自体が文化としてないし
そもそも東北中心みたいだから
それをして紀の記述に反して
鯨面が無かったというのは乱暴だろう 小人の国、種子島から八女までピッタリ短里で4000里320km。
当時の距離が正確である事が分かる。 >>636
>誤差が許容範囲になる測量方法があるのであれば、
>国ごとにいちいち記された里数はそれを使ったものだと考えるのが自然。
短里を主張するなら、まずは倭人伝に書かれてる里が『すべて』誤差範囲に収まってることを証明しなよ
韓伝の「方四千里」で辻褄合わせの屁理屈を書いてただけだろうに
「測量方法があるのであれば」と自分で書いてるが、結局なかったわけだ
「おそらく」「たぶん」「きっと」「何か方法があったはず」と言ってるだけ
>そして、「古代は測量しない」と言うなら、
>まるで測量したかのような数字を、いちいち国ごとに記して、
>公的に報告しているのはなぜか?
万里の修交をもとに作った数字と答えてつもりなんだがな
最初に九州上陸まで1万里と決める
次に、対馬海峡の3つの区間をそれぞれ1000里、残り7000里を帯方郡から狗邪韓国までの距離とする
九州上陸後は中途半端な数字が並んでるので実測と考えていいだろう
1万里や万二千里という架空の里数は、遠くの国から朝貢にくることは皇帝の徳が高いためであるという彼らの価値観からくるもの
万二千里は司馬懿を顕彰するため、大月氏国より遠くから朝貢に来たということにしなければならないという理由もあっただろう
三国志研究の専門家である渡邉義浩氏がその辺のところを詳しく説明してるので参考にすればいい
そして、こちらの主張は「里数は正しくない」だ
で、まとめると、短里の存在を示す根拠や証拠を今まで一つも出していない
必要なことは
@短里の理論的根拠
A倭人伝の行程の中で短里が当てはまることを帰納的に証明すること
言い換えれば、倭人伝の『すべての区間』で短里が誤差範囲になってることを証明すること あとね、伊都国をそのまんま糸島半島つまり、北寄りって考えてるもんおおそうやけど、
糸島市は「伊都」と「志摩」の両地区が合わさってるもんで、
半島部はむしろ「志摩」の方なんよ。伊都はむしろ南部となる九州本島側
せやから、末盧に入って(海上)、どっかに上陸してからから、東南に向かうと伊都の国界に入るってのは、不思議でも何でもないねん
地図見れば一発やろ。7万戸楽々収容できる、
広大で肥沃な飯塚・田川盆地〜直方・遠賀平野の事も、
邪馬台国論争の間百年間、全く知らなかった節があるし、
話にならへんねん >>642
渡海距離の計算のし方は>>166の時点でちょっと言及しているが、
もうちょっと具体的に書くと、
「(周囲を歩いて)いくつかの地点を測って繋ぎ合わせた」か、
「時間をもとに(1日=千里で)計算した」かだろう。
短里を使う理由は>>258に書いてあるが、要約すると、
「使者はちゃんと測量したが、陳寿が倭国の部分を大きく誇張した」か、
「測った人は魏と同じ単位だと思って使っていたが、実は違う単位だった」
というもの。
あと、伊都国は糸島ではないし、奴国は博多ではない。
方向が違う。
方向の違いを許容するのは畿内説と同じ考え方なので、
九州説の人が糸島や博多を当てはめるのはおかしい。 例えば田川盆地にある、麻生セメントの策源地になってる香春岳見てごらん
そこの近傍だけでも500戸は楽々養えるわ >>647
種子島だけではない。
九州北部が一番身長が高く、そこから遠くなると低くなる傾向がある。
長崎や鹿児島は5cm低く、種子島は10cm低い。 >>657
畿内説の方角誤りは、極端過ぎて一顧だに値しない >>642
それで魏志倭人伝のどの箇所が畿内の描写なの?
九州が違うって主張はわかったから、
ここが畿内の描写だってとこを示してよ 帯方郡から1万2千里→山門八女
倭地は1周5千里→九州
侏儒国=種子島から北に4000里→山門八女
ほぼ正確だな。 >>661
え?
宮城なんて影もなくて、100枚も貰ったはずの当時の鏡も全然無くて、ゴミみたいな絹しかなくて、
祭祀遺跡もチンケな柱しか無くて、経100歩の墓もない九州のどこの事を邪馬台国って書いてるの? >>665
それで魏志倭人伝のどの箇所が畿内の描写なの?
九州が違うって主張はわかったから、
ここが畿内の描写だってとこを示してよ 九州の書いてるよね
邪馬台国の一大卒に監視されて怯えてるちょっと移動しただけですぐに別の国になる小国の集まりが >>665
それさ、消去法でいったら、まず方角で畿内が消えて、
じゃあのこりどこやねん?ってなったら、九州あるやん、ていうか九州の事書いてるやん!
ってなるわな >>668
は?
書いてるじゃん
宮城があって
巨大祭祀遺跡があって
九州にほとんど存在しない画文帯等の7期鏡があって
纏向型の経100歩クラスの墓が複数あって
絹もチンケな九州の糸くずでいいなら絹の袋が見つかってて
九州に全く存在しない畿内の話そのものだな
で?九州のどこにそんなもんがあるの? >>671
それで魏志倭人伝のどの箇所が畿内の描写なの?
九州が違うって主張はわかったから、
ここが畿内の描写だってとこを示してよ >>670
は?
水行10日、陸行一月どこに消えてんだ?
タンリとか言い出してもそれあるぞ?
なにこれ都合よく消えてなくなるんだ?
どこに向かってんだこれ?なぁ? >>674
九州の中頃から南半分どっかやろwwww
古代の移動だと、それっぽっちの日数では大したとこに行かれへんわ
あんちゃん、自分でボート漕いだ事すらないやろ >>672
は?
見えない聞こえないとかいらないから
畿内にしかねーから
で?九州様のどこにあんの?
行程も九州なんてつかねーぞ?
あ、ついでに九州に丹山もねーぞ? >>676
丹「山」なんてどこにも記述あれへんやろ >>654
「場所が特定できない地点」の里数が合ってるかどうかなんて、
考える意味が無いだろ。
「倭人伝の全ての区間で証明せよ」とか言ってる時点で、
君に論証能力は無いね。
「ほぼ確実に場所が特定できる地点」は、
帯方郡治(=ソウル)、狗邪韓国(=釜山)、
対馬、一支(=壱岐)、末盧国(=唐津)ぐらいだろう。
そのいずれの区間も約1.5倍以内の誤差で収まるというのは、
短里説を一度でも調べた事があるなら知ってるはずだ。
短里説を知らずに否定するようでは話にならない。
「誤差が許容範囲になる測量方法」はあれだけ具体的に説明したのに、
「結局なかったわけだ」とは言語道断。
君に人の話を聞く気が無いだけだ。
「万里修交説」に対しても、「最初に九州上陸まで1万里と決める」のが、
倭国を重視して決めた数字なのに朝鮮半島で大半を占めるのはおかしいと、
>>392でも書いた。
倭国には金印まで授けたが、朝鮮半島を重視するような記述は無い。 >>675
は?バカなの?
九州南下してそんなとこ行っても沖縄か、いけても熊襲の領域だぞ?
九州のことなんにもしらねーだろ
もしかして「きゅうしゅうならどこでもいいもん」とか思ってる?
九州は一度もまとまったことさえなくて肥後や薩摩とか筑前と全然別文化圏だぞ? >>664,666
位置情報とぴったりだな、古代中国恐るべし
現代ではただのパクリ屋だけど 邪馬台国が西日本一円を支配してるような国なら、熊本南部か紀伊半島だかにあった可能性がある狗奴国との戦いで
恐らく苦戦する事も無いんじゃ、て気はするが
魏からわざわざ長政が来て、黄色の旗を渡したりしてるしな >>682
は?
土器から生活様式から全然違ってて奈良時代まで別の国レベルの場所が北部九州支配してんの?
なに寝言いってんだ?
で?なに?薩摩とか大隅が邪馬台国なの?
ここに倭人伝に記載されるもんが大量にあるのか?
教えてくれよ >>684
は?じゃねーわwwww
近畿は完全論外
あとは九州しかないね
ほんならゆっくり考えまひょ、ってことやんけwwww >>677
というか、古代中国語で丹山は単なる赤土の山なんだけどね
山海経(前4世紀 - 3世紀頃)では単なる山肌の赤い山を丹山と記している
始洲国_百度百科
https://baike.baidu.com/item/%E5%A7%8B%E6%B4%B2%E5%9B%BD
>《山海経》中記載的“丹山”。現赤峰市政府所在地有一座紅山,从字意上解釈,紅山即為“紅色的山峰” 九州説ってマジでバカの集まりだな
一つもまともなこと言いやしない >>676
丹と(辰砂)いう事なら、佐賀の嬉野のあたりにあったとか
丹が採れる所にはよくある、丹生川って川もある(最終的に塩田川になって有明海に注いでる) 統計学者が『鉄の鏃』の各県出土データを見ると、もう邪馬台国についての結論は出ています >>688
べつに赤土にしてやってもいいけど?
で?
どこに宮城があるの?
どこに当時の鏡沢山あの?
どこに経100歩の墓があるの?
どこに記載されてる比定が済んでる場所以外に7万戸の大人口の土地があるの?
教えてくれよ 当時は物のやりとりする時、海沿いの村々で中継貿易するしかないからね
1日で往復してこれるとこまでしか行かへんよ。海の波次第で1泊したいとこやけど、その間の食べ物どうすんねんって話
1日8時間くらい時間ギリギリいっぱい使って、船漕いでるの想像しながら、水行10日!とか言ってんのやろうけど、
んなわけない >>690
取れる場所があるじゃなくて採掘してねーよ
当時の丹山は四国とかが主体
実際当時の日本に九州産の朱なんて無い 福岡市あたりしか支配してなかった奴国にも金印をくれてるし
それくらいの勢力でしかない国でも中国に使者を送れてた訳だし
邪馬台国が九州北部から八女辺りまでしか支配出来てなかったとしても
使者も送れるだろうし金印も貰えるんだろな
記紀にもっと中国との通交が載ってれば別なんだろうけど ありとあらゆる魏志倭人伝の記述を、
考古学上の発掘の成果や、
距離方角地名などと照らし合わせると、
99.99%邪馬台国は山門八女になる。
木槨も馬具も出ちゃったんだから、
マキムクは諦めなさい。 ぜったいだー
かくじつだー
じゃあどこだー
薩摩だ大隅だー
大爆笑
これが九州説だよ >>690
ベンガラも丹と呼ばれていた
丹は赤色顔料の総称扱いで、それのみではどの種類だか分からない
書き分けが必要な場合、魏志倭人伝では水銀朱は真朱(珠)として書き分けている
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography/117/5/117_5_948/_pdf
> 朱という言葉は一般に硫化第二水銀を指すのだが,考古学関係者は水銀朱という名称を用いることがある。それは,古代に用いられた
> 無機赤色顔料化合物に朱(硫化第二水銀),ベンガラ(酸化第二鉄),鉛丹(四三酸化鉛)の三種類があり,これらを厳格に
> 区別していない場合があるからである。
> 例えば,硫化第二水銀は,辰砂,朱砂,丹砂,丹,朱,銀朱,真朱,真赤土,水金,水銀という呼び名があり,
> 酸化第二鉄はベンガラ,ベニガラ,鉄朱,丹,鉄丹,朱丹という別名を有する。また,四三酸化鉛も鉛丹,赤鉛,丹,光明丹,黄丹という別名がある(市毛, 1998)
> さらに魏志倭人伝文中にある「真珠・鉛丹各50斤」という記述の真珠は硫化第二水銀(真朱)のことであると解釈されている。 ヤマトなんて地名は全国に腐るほどある
で、発音でいうなら邪馬台国に近いのは大和
山門は発音から違う
でも九州説はこれこそが邪馬台国だと言い張る >>697
さよか。畿内説が完全消滅して残念やったなwww
あんちゃんの書き込み、流し読みしかしてないから、内容覚えてへんけど >>692
宮城が無いのは畿内の方だけどw
吉野ヶ里は中国の礼制に則った宮城だな
https://ironna.jp/article/10766?p=5
> 近畿説の有力集落とされる奈良県纒向(まきむく)遺跡の、大型建物を含む建物群を貫く軸線は東西方向であり、
> 前漢と後漢を境に君子と臣下の配置関係が「座西朝東」から「座北朝南」へ変化する中国礼制に対応していない。
> 吉野ケ里遺跡では、墳丘墓と北内郭の祭殿が南北方向に配置され、最重要空間である北内郭と大人層の空間である南内郭についても、
> 南北の位置関係である。 ぶっちゃけ畿内説の論拠って、大和朝廷の成立については有力だけど、
魏志倭人伝となんの関係もないよね? >>694
当時の丹は硫黄同体比から中国産と畿内産の区別がつく
そして、佐賀で出てくる丹の硫黄同体比は中国産のものに近い
だから、今まで中国産とされている丹が、佐賀産の可能性もなくはない >>698の続き
魏志倭人伝の原文はこうなっている
「出真珠青玉 其山有丹 其木有枏杼橡樟楺櫪投橿烏號楓香 其竹篠簳桃支 有薑橘椒襄荷不知以為滋味 有獮猴黒雉」
お前はこの文章を倭国の貴重品についての文だと捏造するが、其山有丹の後に続くのは倭国に生えている木の種類や竹の種類、
食用植物に動物の記録だ
単に倭国に存在するものを事務的に並べただけで、別に宝物についての記録ではない
文字表現についても、真珠青玉が「出」すなわち産出するという表現であるのに対し、其山有丹は「有」、つまり存在するよ、としか言っていない
この「有」は後ろの其木有枏杼橡樟・・・以降と同じ表現であり、「倭国にはこんなものが有りましたよ」という軽い表現でしかなく、価値は認めていない
この一文の中で特別扱いを受けているのは真珠青玉のみである
木や動物と同程度の扱いを受ける丹がベンガラなのは明白だ >>701
は?
吉野ヶ里?
卑弥呼の100年くらい前の弥生時代後期後半には衰退してて
肝心の卑弥呼時代に他の九州の土地同様畿内土器だらけの場所がなんだって?
柵の中は宮殿どころか一般人の竪穴住宅だらけなんだが?
大した宮城だな
で、墳丘とやらも民間用の群集墓になってるが
なに?吉野ヶ里が邪馬台国とかいうわけ?もしかして なんとなく九州のほうがしっくりくるんだよなー
近畿が中心になったのはもっとのちの時代という気がする >>703
可能性があるとか想像の話でいいなら何でも言えるな
つか別にそれが丹でも構わんよ?
赤土を丹と言い張っても構わんよ?
どうせ他のものも何にもないし >>711
ああ、2重のバカだったか
日本の槨は中国のものと全く別で中国人はそれを槨と認識してないという結論が『大正時代に』ついてる
未だにこんなこと言い出すアホが九州説 筑後平野の方が奈良盆地よりもはるかにデカイからな。
常識で考えて、奈良に7万戸あるなら、筑後平野には10万戸は余裕。 で?どこなんだよ九州のよ
絶対確実に間違いないんだろ?
薩摩とか大隅とかいわねーよなまさか
どこなんだよその間違いのない場所は >>709
君が無知なのはよくわかったよ
https://ironna.jp/article/10766?p=4
> 卑弥呼が居住する宮殿区画には宮室(大型建物)や楼観(物見櫓)、城柵(環壕を掘削して盛り上げた土塁の上に柵を並べた施設)が
> 備わっていたことを示している。宮室と推定される建物跡は、北内郭跡の発掘調査で発見されたもので、4本柱からなる一辺が
> 4列に並ぶ16本の柱からなる建物で、その平面規模は約12・5メートル四方と、国内の弥生時代建物の中でも屈指の規模を誇る。
>
> 柱穴内部の柱痕跡から柱の直径は50センチであったことが判明し、非常に大規模な高層建物であったことが推定された。
> この建物の線が、地形的に最高所ではなく、墳丘墓と南の祭壇を結ぶ南北中軸線上に乗せるため、東へ傾斜する位置に建設されている。
>
> つまり、巨大な環壕集落である吉野ケ里集落内部の最重要空間である北内郭は、特に墳丘墓に眠る祖霊に対する祭祀の場で、
> 二重の環壕(外環壕を加えると三重)と、内部を直視できない鍵形の出入口、4カ所の物見櫓を持つ非常に閉鎖された空間である。
> 倭人伝が「自為王以来、少有見者(王となって以来、見たことがあるものは少ない)」と記した倭王卑弥呼の居館のありようと符号する。
> 吉野ケ里遺跡は、現時点では宮室(大型建物)、楼観(物見櫓)、城柵(環壕と土塁痕跡)がそろった国内唯一の弥生時代終末期
> (邪馬台国時代)の集落である。
> しかも、国内で他に例を見ない鍵形の厳重な出入口をもつなど、中国城郭を非常に意識した集落構造となっている。
> 魏書『東夷伝』の各国・各地域の集落構造に関する記事を見ても、倭国には中国のそれと似たような施設がそろっていることが記されている。
> 祭事と政事の象徴、そして戦略拠点の象徴としての装置を備えた吉野ケ里集落の最重要空間である北内郭は、まさに
> 「宮室・楼観・城柵」を備えていたのである。 筑後行くのに水行一月、陸行一月すんのかよ
もうとっくに着いてるのに
バカじゃねぇのかお前 >>716
そんなバカサイト持ち出してなにドヤ顔してんだお前
柵の中は竪穴住居だらけ
墳墓とやらは『中期』のものでそのあとは民間の群集墓
どこに神聖な姿が見いだせんだよ
アホが >>713
ホケノ山古墳、発掘調査:1999年9月
ハイ捏造来ましたwww >>712
直接的な証拠(親魏倭王の印綬等)は無い以上、基本的には想像だろ。
後、自分は赤土を丹と言っている訳ではない。丹(辰砂)と書いてる訳だが
そしてそれが佐賀で出る事を示し、中国産のものに成分が近い事を示した
何を憤ってるのか知らんが、九州にも丹(辰砂)は出るってだけだ じゃあなにか?
吉野ヶ里が邪馬台国だってことでいいんだな?
鏡どこにあんだ?
中期のじゃない経100歩の墓や祭祀場どこにあんだ?
竪穴住居じゃない城柵だので誰も近づけないはずの神聖な女王の住居どこにあんだ? >>714
筑後平野は温暖な気候とは言い難い
女王国の東に海という記述にも一致しない
その辺りどう思う? 今更吉野ヶ里が邪馬台国とか言い出すとか
笑わせてくれる
これが九州説か >>723
邪馬台国が山門八女なら女王国の東に海があって渡ると倭地があるが?
もし仮に邪馬台国が奈良なら、東の海を渡るとアメリカです。 んでどこなんだよ?九州の
絶対間違いないんだろ?
当時の鏡が沢山あって
宮城があって
祭祀遺跡があって
経100歩の墓があって
北部九州を支配してる国がよ
吉野ヶ里?薩摩?大隅?
もう筑前にいるのに筑後?
つか全員違うじゃねぇか
適当なほらばかり付きやがって >>678
>「場所が特定できない地点」の里数が合ってるかどうかなんて
これは自分の言葉が足りなかった、すまん
倭人伝の中で場所が特定できる『すべての区間』で短里が誤差範囲になってることを証明することだ
>「ほぼ確実に場所が特定できる地点」は、
>帯方郡治(=ソウル)、狗邪韓国(=釜山)、
>対馬、一支(=壱岐)、末盧国(=唐津)ぐらいだろう。
帯方郡は通説では沙里院のはず
ソウルは百済の遺跡だというのが結論だろ
狗邪韓国は金海だが、距離の測定に大差はないから釜山でも構わんが
伊都国は糸島三雲、奴国は博多で確定
それ以外の場所に比定するのは物証を無視したただのトンデモ
>そのいずれの区間も約1.5倍以内の誤差で収まるというのは、
嘘は不可
追いつめられると、言い張るだけなのは短里厨のいつもパターン
実際、韓地の方四千里が短里では2倍も3倍も違うのはもうはっきりしただろが
他の区間も何キロになるかきちんと示してくれ
>「誤差が許容範囲になる測量方法」はあれだけ具体的に説明したのに、
>「結局なかったわけだ」とは言語道断。
>>いくつかの地点の距離を繋ぎ合わせたか、時間をもとに計算したか、
>>いずれにしろ、間接的に計算して出した
>>「(周囲を歩いて)いくつかの地点を測って繋ぎ合わせた」か、
>>「時間をもとに(1日=千里で)計算した」かだろう。
>>直線距離と道路距離との換算比率
せいぜいこれくらいだろ?
つまり具体的な方法は何も示してないし、直線距離については不可能なことを書いただけだろが
それこうを要約して表現してやったんだよ
「「おそらく」「たぶん」「きっと」「何か方法があったはず」と言ってるだけ」
言語道断なのは、何も示さず誤魔化そうとする自分だ
>倭国を重視して決めた数字なのに朝鮮半島で大半を占めるのはおかしいと
遠くから来たことにするためだから朝鮮半島を誇張する以外に方法はない 八女のどこに邪馬台国があんだよ?
九州西岸の八女の東が海でいいなら奈良の東だって海になるわ
むしろ東行くとすぐに伊勢湾に出るから八女より海に近いわ >>729
キンキーのバカは直ぐコレだ。
奈良の東の海は太平洋でその先に倭種は無い。 畿内説派の人は「九州」という漢字の意味は知っているのかな?
それと畿内説を支持しながらヤマト「王権」と呼ぶのはわざとなのか?
畿内説は天皇がいたのか日王にしたいわけか
ダブルスタンダードはやめて一本化しろよ >>729
オマエは先ず:1999年9月に発掘されて判明したホケノ古墳の木槨が、
大正時代に結論が出ていると捏造したキンキーだ。
そこを先ずキチンと認識しなさい。 山門が温暖なら奈良も温暖だと言いたい訳かな?
良かったねー
でも、マキムクは木槨も馬具も出ちゃってるんだよ。 >「魏志倭人伝」の記述は北部九州の小国を紹介する一方で、畿内説が投馬国に比定する近畿以西の道程に存在したはずの阿岐国(安芸国)、
>吉備国や出雲国の仔細には全く触れられておらず、伊都国から近畿圏まで含む道程の記述が全く欠けている。
これがどうしてもなっとくできない最大の問題点 >>737
ベニバナ花粉もねw
まったく畿内は捏造し放題だぜ 記紀に中国人がやって来てあれこれ世話を焼いた話が、それを匂わせる記述すらないのがな
有名な長政やら他にも色々来てるし、長政は檄(文)を作って卑弥呼や台与に
教え諭している
台与が即位した後、台与は魏まで長政を送って、台与の部下は臺(都の官庁)まで行ってたりする
何か載っててもいい気はするんだが >>740
そこに関しては、度重なる政変で失われたんじゃないかなって思う
神武の東征だけが残ってるのも違和感極大 南に進んだのはウソだ!
でも水行10日、陸行一月でまた筑後に戻ってきてる行程なんだ!
アホか
なら南どころか全部ウソ行程じゃねぇか
タブルスタンダードなんてレベルじゃないこと平気で言うからすごいな
このバカどもは >>213
なら南へ海路1年の裸国や黒歯国ってどこなんだろ?
琉球? >>733
気候の記述が信用できるのなら、寒冷化が進んでた当時において、奈良や北九州は適さないと思うけど? >>732
猿はこれだから
古代の移動は海路が主体だ
陸沿いに進むんだよバカが
物知らないバカはこれだから >>742
方向を考えれば畿内がダブスタだし、日数を考えれば九州がダブスタになる
どっちかを採ってどっちかを採らざるをえないのが問題かな >>743
おはぐろは広く東南アジアから、もちろん古代日本でもひろくやられてた
ぶっちゃけ倭人もおはぐろしてたんじゃないかなとも思う >>736
お前本物のバカだな
日本語もわからんのか
日本の古墳などの槨は中国のものと違うという結論出てんだよ
ホケノのも同様
バカすぎて無視してたがアホすぎて耐えられんわ >>746
そもそも行程なんてどこにも成りたたねーんだよアホ
さっきから書いてんだろうが
まともに進んだらどう頑張っても沖縄か鹿児島がせいぜいなんだよ
普通に行けば台湾かフィリピンなんだよ
こんなものどの説でもつかいもんになんねーんだよ
九州サルはこれしかねーけどなw 気候の記述だけで奈良でも山門でも無いと言う主張をしたい願望は良く分かった。
でも他の記述もしっかり読んで、倭国、倭地、倭種の全体像を把握した方がいいぞ。 >>745
移動は海路が主体なのに都はド内陸の奈良にありまちたーってw
お前は猿以下だなw
そもそも>>495-503にあるように当時の制海権を握っていたのは北部九州の海人だw
海路主体を認めるなら奈良は東征の結果以外に無いw こうやって行程を好き勝手に読み替えたらほら!九州だ!
九州サルの話ってこれか、妄想の超先進国の未来九州があるとかいうアホ話だけだからな
あーあと、九州王朝だっけ?w
古墳に埋葬されてる独立国の王様がいるwww >>751
だから、距離を取るか方角を取るかの選択を迫られる訳だが
つまりは畿内だろうが九州だろうが、倭人伝の記述についてダブスタなのは変わらないって事 >>752
記述と矛盾する部分をどう折り合いつけてるのか知りたかっただけだよ
その辺の解釈も出来てるのか、都合が悪い部分はスルーしてるのか >>749
:1999年9月に発掘されて判明したホケノ古墳の木槨が、
大正時代に中国のものと違うという結論が出てると言う、
バカはテメーだよwww
バカ故に、それが分からないバカを曝け出しているバカがなwww >753
あーやっぱり毎度アホ丸出しの銅釧コピペ繰り返して自分で同意レスしてバレてないともってるあほだったかww
邪馬台国へは陸路で入ってんだろうが
なんだこいつ
で、「その東に海がある」んだろうが
お前倭人伝も読んだことねーだろ >>740
記紀は天武天皇の時代に編纂で我が日本国は中国と並ぶ歴史の長い大帝国だと主張する意図があるから
中国に朝貢した事実関係を意図的にのせてなくても違和感ないなぁ。
それより張政は帰国まで20年も倭国にいたのにこっちレポート内容が残ってないのが不思議。 >>756
矛盾はしていないだろ。
魏より温暖なんだからな。
何をどう矛盾させたいんだ?? >>760
してるでしょ
温暖な地域じゃないとあんな暮らしは出来ない
魏との比較なんてどうでもいい >>757
うわぁ
こんなバカがいるとかすごいわ
ホケノの槨も他の日本の槨も同様の構造してんだよ
ホケノ以外の古墳も同じだから大正で結論出てんだよ
え?
マジでこいつ意味わからないのか?
え?日本語から教えないといけない感じなのか?
幼稚園児かボケ老人かなにかか? アメリカの月旅行と一緒で邪馬台国も今更嘘だったって言えんのだろうなあ >>762
魏の比較がどうでもいいなら陳寿ちゃんにでも書くなって言ってきな。 >>744
年中野菜果物が取れたって倭国の気候に関する記述だけを素直に信じたら完全に熱帯だよな。
まあ現資料を書いた人が倭国に渡航した時に夏だっただけだろうが。 今ある材料では証明不可能、とバッサリいくことなしに、未来に発見をぶん投げる型は、
大抵、利権がらみだろう
観光資源目的なら、
学説と純然たる隔絶があるであろう、どこだったかのキリストのお墓をみならうべきだ >>763
そんな結論はおえまが出しているだけだ。 >>765
答えられないならそれでいいよ
都合の悪い所はスルーってスタンスで主張してるって事だね いやぁまさか槨があるから大和は違うとか今いう奴がいるとは思わなかったわ
しかも教えてやっても理解できないという
流石は九州説だ
弩級のバカの博物館だな 筑後平野では冬でも野菜は栽培出来るぞ?
奈良は違うのか??
ああ、そりゃ温暖だわ。 ID:7sFDJFK/0
この一人のせいでだいぶ畿内説は不利になったな・・・ わるいわるい
九州説を人間だと思って会話してた俺がバカだったよ
猿と会話しようとしてる奴がいたらそいつの方がバカだよな
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
槨かく
古墳の埋葬施設。本来は遺骸(いがい)を納める棺が直接土に触れぬように棺の周りを囲む木の外箱をさす。
中国では棺と槨が共存したことが明らかであるが、『三国志』魏書東夷伝倭人(ぎしょとういでんわじん)条には、「其死有棺無槨」と中国風の槨がわが国の墓制にないことを記している。
この槨と棺の字義については、1914年(大正3)から16年にかけて喜田貞吉(きたさだきち)と高橋健自(けんじ)の間で論争があったが、日本では、粘土槨、木炭槨、礫(れき)槨などのように、古墳の埋葬施設で木棺をくるむ部分をさす語として使われている。[久保哲三]
.
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)/日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 都合のいい部分だけ抜き出して邪馬台国は日本じゃないって、
アンタの方だってわからんかな?? あーわざわざコピペしてやったけど難しかったかなぁ?
全部ひらがなにしてあげた方がよかったかなぁ
なんといっても九州説だからなぁ
邪馬台国の会のアホグラフ以外のものがちゃんと見えるかどうか >>741
大和朝廷が地方政権を征服した時にその存在を消したってだけでなく
(出雲は大社を立てる代わりに大国主の国譲りだから条件付き降伏。出雲政権は手強い存在だったと思われる)
天皇家は後発組で王位を簒奪したから前の歴史を消した、とかだろうね。 >>774
オマエバカだなwww
ホケノ山古墳の槨は、木製の木槨、
前スレで粘土槨は中国で言う槨じゃない〜
とか言ってたキンキーだと思ったとおりだわwww
ホント、キンキーはどうしようもない。
もっと勉強してから書き込もうぜ。 あーついにレスの日本語さえもおかしくなってきたな九州説のお猿さん
バカを相手に大人げなかったわ
気のすむまでアホ丸出しの妄想してていいから 畿内説はボコられすぎてついにパンチドランカーになったのかw https://kotobank.jp/word/槨-43518
墓制上の用語。中国古代の用法では,直接死体を収納するものを棺といい,その棺を置くところを槨といい
槨は壙の中に造られるという。厳密にいえば日本の古代の墓制にはあてはまらない。
大正初期に棺槨論争があったが,現在は棺は用いるが,槨という用語はあまり使われていない。
粘土槨,木炭槨という言葉は本来の厳密な意味からは離れており,木棺を粘土あるいは木炭などで包むような構造のものをいう。 >>738
邪馬台国が近畿の国なら途中の瀬戸内海沿岸の国の話が無いとおかしいよね。 ちなみに木槨は吉備や讃岐・阿波・播磨地域で散見されるものであり、
木槨の無い倭国は九州に限定するしかない。 そのうち八咫の鏡にはヘブライ語が書いてある!とか言い出したりする奴も出てきそうだな
珍説のバーゲンセールだな 趣味で古代史調べてる心理学者って専門家と言えるの? 勝手に木槨を別扱いし始めて笑う
都合のいいことを都合のいいように解釈して妄想を展開する
九州説の本領発揮だなぁ
毎度の猿踊りだな >>785
珍説の毎度のやり口だからな
「学者が認めた!」「専門家が認めた!」とか
で「なんの?」と聞くと大体心理学者とか社会学者の門外漢 口汚く罵るばっかで近畿説は何でいつも機嫌悪そうなの? 何か決定的なものが出ない限り続くんだろな
箸墓を掘って欲しい。何かは出てくるだろうし ちなみに中国の槨はかなりゴツイ
木棺を厳重に取り囲む巨大な箱みたいな構造
ひとめで日本の墓制と違う物だと理解できるものだな 粘土槨は槨じゃない〜
www
ホケノ山古墳は純然たる木槨です。
キンキーは魏志倭人伝も読まないどころか、
マキムクの発掘成果も知らないキンキー 方角や距離は信用出来ない前提でいいから今までも散々出てる博多湾沿岸から急に畿内に飛ぶ旅程の不自然さは畿内説論者はどう説明してんの?伝聞だけで行ってないとか? 論破されて発狂した時点で畿内厨の負け
まあ事実九州だったんだから当然の結果ですがね >>785
あの心理学者は引退したら嘘つき爺さん確定になってしまうから
批判に反論するため死ぬまで戦うしかない
ある意味哀れな人だと思うわ ID変えてバレてないと思ういつもの猿踊りをご覧ください 志賀島の金印も本物かどうか怪しいからな
とにかく古代史は捏造だらけで難しい分野だよ ホケノ山古墳の石囲い木槨は立派な立派な木槨ですな^^
1999年大和古墳初の石囲い木槨の発掘。
大正時代ガ〜
キンキーはキンキーとしか言いようが無いわ。 一人もまともなこといわねぇな九州説のバカは
ごくごく基本的な事さえも知らないでわけのわからん妄想喚いてるだけ
南はだめだけど、方向も距離も自在に変更して筑後です?
日本の槨は木槨はノーカン?
アホすぎて眩暈がするわw
九州説とかいうアホの集団の程度がよくわかっていいけどよ >>792
合計60日かかるんだから遠いのは当たり前
何が不自然なのか?
60日を例えば3日ごとに分けて、いちいちここに着いた、あそこに着いたと書くべきって発想がおかしい 金印は確かに怪しかったけど、他所でも同型のが見つかったのが大きいね 九州北部(北九州と書くと修羅的な感じがする)一円のみが邪馬台国の勢力圏なのか
それとも畿内から九州に至るまでが邪馬台国の勢力圏なのか
三世紀から四世紀にかけて畿内から九州へ勢力が浸透していったのは間違いないので、後はその時期なんだろな
最初期の前方後円墳である那珂八幡古墳や、宇美にある光正寺古墳(どちらも三世紀半ば?後半?)の出来た時期がもう少しはっきりすればいいかもだけど
ただ、糸島にあったとされる伊都国には、前方後円墳は早くても四世紀あたり(端山古墳)と類推されてるので
畿内に取り込まれるまで少し時間がかかったのかもしれない
記紀にも、このあたりが平定されたのは仲哀天皇の時期で、九州征伐をした景行天皇より時代が新しくなる 大分県日田市の遺跡って畿内の遺物しか出土していない。安本、アホやなぁ。 どういう人間が畿内説を唱えるのか、
このスレによって炙りだされた事実を、
皆さんはよく胸に刻んでおいて欲しい。
魏志倭人伝も読まない、マキムクの発掘成果も知らない。
そんな人間がキンキーになってしまうのだよ。
丁寧に魏志倭人伝を読んで、
倭地、倭国、倭種の全体像を把握し、
そして細部を発掘成果と照らし合わせて詰めていく。
そうすれば、邪馬台国がどこにあるか、間違えることなどありえない。
大正時代で時代が止まるなんて事が無い様に、
皆さんも最新の発掘成果の情報をキチンと入れて、
邪馬台国について考えるようにして欲しいです。 >>799
間にある大国を全て無視しているのが不自然だと指摘されているのにそんなことも理解できないんだな
やはり畿内説という愚論に与する輩は頭が悪い 貝の交易だの安曇族だのしつこいコピペ野郎は
日本史板で東遷厨と呼ばれてた安本信者
うっかりミスかもしれないが、この前同じIDで両方のコピペしてたわ あと、金印偽造するなら、
漢委奴国王じゃなくて漢倭奴国王って作ると思う 江戸時代には親魏倭王の印影もあったりする
ただし、説明には何故か銅印と書かれていたりする >>801
日本書紀の景行天皇の九州遠征は事細かくに進撃ルートを書いてあるのに福岡平野だけは避けてるんだよな。
仲哀天皇も九州で陣没(実際は戦死?)だし大和朝廷も福岡平野制圧には手を焼いたのかも。 あらためてwikiみると、金印にも安本が出てくるのが嫌悪感・・・
まあでも本物っぽい感じ 日本の考古学って教授がクロって言ったらクロ
白って言ったら白にしないと若い准教授は生き残れないって
ピラミッドのヒゲのセンセーが言ってた >>728
「弥生時代の九州に大規模な集落は無い」
というのが物証に基づいた定説だったのはほんの30年ほど前の話。
つまり、物証は真実として確定できるような代物ではない。
物証だけで全否定するようでは話にならない。
「方四千里」が短里で2倍3倍の誤差というのは意味不明。
「当時の測量方法」について2倍程度の誤差はあり得ると言っただけで、
「方四千里」の話でもなければ「短里」の話でもない。
全ての国境線までは特定できないからだいたいの目安でしかないが、
三韓よりちょっと大きいであろう現在の韓国の面積は約10万平方kmで、
1里=約77mで計算すると「4107里四方」になる。
あとは適当にググったら具体的な距離が書かれたサイトを見つけたので、
他の区間はこれを読めばだいたいわかるだろう。
http://blog.livedoor.jp/kodanobu/archives/1927985.html
「誤差が許容範囲になる測量方法」は>>359>>512に書いた。
これは「歩いて測る」という古代からある測量方法について、
「誤差が許容範囲になる」という事を具体的に説明したものだ。
(さすがに「歩いて測る測量方法」は知ってるだろう?)
君はこれに対して「誤差が全く出ない換算比率なんて古代には無い」
「誤差が全く出ない換算比率の証拠が示されてない」
「誤差が全く出ない直線距離の測量は不可能」
「誤差が全く出ない水行の測量は不可能」
と言ってるだけ。
「誤差が許容範囲である事」への反論が何一つ無い。 >>629
農業用干拓地なのも忘れないでね
>最大干満差が6mに達する有明海では、
>火山灰を多量に含む山からの土砂が流れ出す一方で、
>潮汐により繰り返し堆積が進むことで、次第に広大な干潟が形成されてきました。
>
>古くから、この地では「1世代に1干拓」あるいは「50年に1干拓」と言われ、
>筑紫平野は、その大半が地域の農民によって造られてきた、手造りの大地です。
http://www.maff.go.jp/kyusyu/seibibu/kokuei/22/chikugo/kantaku.html >>808
記紀には景行天皇が周防に来た際、神夏磯媛という長が降伏し、その時に
四人逆らう奴が居る、と告げ口してこの四人(皆九州の豪族)を滅ぼさせてる
その後天皇は筑紫に入り、豊前に仮宮を立ててる
恐らく神夏磯媛は筑紫の長で、降伏したから征服されなかったんでは、と思う
九州は何故か女王の長が多く、神夏磯媛以外にも大分には速津媛、時代が下るけど
山門には田油津媛などが出て来てたりする >>728
誇張説についてはその説明でも良しとしよう。
(朝鮮半島だけでなく対馬海峡まで広い海になってしまうが)
倭国に着いてからの里数を実測値と言うなら、
結局、短里説を採るしかないわけだし。 結局、短里という架空の単位を捏造したり、水行を無視したり
放射説という抱腹絶倒な珍説で無理な読み方をしないといけない時点で終わってる
あげくに邪馬台国は伊都国で伊都国は邪馬台国?
君の名は。かw でも畿内までの国名、そもそも畿内近辺の国名や地理が一切無いのに畿内って言うのもどうかなって 景行が行宮を設けた豊前には、最初期の前方後円墳である石塚山古墳があり
まつろわぬ者として征伐されたうちの有力な一人(鼻垂)は宇佐にいたとあるが
ここにも最初期の前方後円墳である赤塚古墳がある
景行天皇が行宮を設けたとされる宮崎には西都原古墳群もあるし、有名ではないけど宮崎市には三世紀後半から作られたと言われる生目古墳群もあり
ここの最古と言われる1号墳(前方後円墳)は箸墓と相似しているとか
案外記紀は事実に近い事を書き記したのかも
ただ、これだけの征服事業が邪馬台国の時代かどうかは分からない。個人的には邪馬台国より若干新しい時代な気はするが、実際は分からないだろな >>816
裴世清の記述もそんな感じだよ
竹島、対馬、壱岐、筑紫、謎の秦王国(周防かな?)を経て、いっきに大阪湾
途中10数国あった、のみ 大阪湾も無いし、そもそも本州が無い
一方で九州の方は、正直クニというのもおこがましい村落レベル
は言い過ぎかもしれんけど、小国をいちいち記述してる
疑問に思わない方がおかしくね? 道のりにあった国への記述、女王国から一大率の居る場所の記述を見ると
女王国(邪馬台国)は明らかに伊都国よりも南になる
結局は方角か距離か、どちらかを切り捨てるしかない >>818
国、とあるが聖徳太子の時代でも天皇家は全国を直接統治できてないため
各地は豪族が治めていて半ば独立国状態だったの? >>821
九州・北陸・尾張以東は、ほぼ独立国、またはゆるめの連合だろって思うけど、
畿内説だと畿内から九州まで制圧してるので、それなりに強力な中央権力が必要 >>817
記紀は時代や人物をズラしている傾向があるよね。
でも史実を反映していて決してウソじゃない。 「このイラストがぬこやカッパと関連のある物だと言って差し支えない」 >>822
邪馬台国が畿内にあったとしたら
北九州確定の国がその連合国の勢力圏と書かれている以上
畿内から北九州にいたる瀬戸内海沿岸もその勢力圏ってことになるよな。 畿内が目的地なら>>818みたいな記述になるのは分かる
何で九州上陸後すぐに出立しないでちまちま刻んでんのって話し
目的地に近づいてるからと考えるのはおかしいか? 畿内の場合、方角は措いて道のりを頭に置いて考えた時、気になる点があるとすれば
投馬国はまだ水行の途中で寄ったとも言えるだろうけど(吉備あたりか)
そこから邪馬台国の道のりにある、水行十日、陸行一月について
(恐らく上陸した)大阪から奈良まで一月かかるのか、という気はする
後、邪馬台国までの上陸地点や陸行一月の間に通った国の記載が(北九州の時のように)無いのが気になる
裴世清の場合は難波で迎えを受け、その後は都(飛鳥)に行っているからまだ解らなくもないけど 当時の大和は陸路よりも大阪湾(河内湖)から大和川を舟で遡上する方がラクだよな。 >>818
済州島を南に見ながら竹島(半島南西端)から東に東に進路を取れば
まさに隋書のルートで九州から海を渡ったら畿内に着くわけだが
このルートは明らかに魏志とは違うんだよ >>829
暗峠とか阪奈道行くと、大阪からの山越えはタイヘン
イメージ的には阪神高速松原線から西名阪のルート
それでもそれなりにタイヘンだけど
そのへん書いててくれたらよかったのに・・・ 倭国伝にある近畿大和のある倭国のサイズは
>その国境は東西は五ヶ月行、南北は三ヶ月行でそれぞれ海に至る
とあるがこれだと水行十日、陸行一月の邪馬台とはサイズ感が違う 国と言っても天災や戦で日本各地を転々として移住生活を送っていたか卑弥呼のような人物が存在する集まりがいくつもあったんじゃないの >>619
昔から日本を支配していたということにしたいために嘘を重ねすぎてつじつまが合わなくなっているのが畿内説の根幹 >>813
そんな暴れん坊天皇の景行でさえ、
ただならぬオーラを感じて手出しできなかったのが八女津媛さま。 3世紀中ごろのでかい遺跡といっしょに書けよ九州
八女とかでかいのは6世紀のしかないし >>839
宝くじが当たったら掘るから待ってなさい。 山門もぐぐったらこう書いてるぞ 違うじゃん
>この古墳は3世紀末から4世紀初にかけてのものと考えられる。 >>839
今回硯が出た博多なんて紀元前から現在まで連続してるから
遺跡になってないw >>843
3世紀の奈良盆地は奈良湖が未だ残ってたか
無くなってたとしても湿地帯で人の多く住める場所じゃない。 >>773
畿内説の弱点を敢えて晒しまくってるわwwww >>843
そりゃそうだけど、おおむね西鉄大牟田線より陸側には遺跡が残ってるよね。 >>802
あれ?畿内説やと埋葬物として日本中の文物が集まるのは権威の証
つまり、この場合も畿内から捧げられたもん言うことになるんちゃうのん? >>828
河内湖から上陸したら、奈良盆地までひと月もかからへんのよ生駒、葛城のどっちかの山地を峰一つ越えればええだけやから
陸行7日くらい >>839
人が住み続けてスクラップアンドビルドを繰り返してたら遺跡はなかなか残らないんだよ
なので、遺跡がないというのは言い訳にならないんだよ >>846
地盤固いとこに鉄道通したいやろからな
そのへんはもとからあった陸地やろ 逆に陸で奈良盆地まで行こうとなったら、健脚、駅亭みたいな補給地点既確保、各地1泊限定でも三ヶ月はかかる >>851
そう
九州から畿内まで徒歩で行こうとしたら1月ではたどり着けないよな ぶっちゃけ、畿内説に都合がいいように年代弄ってない?w 九州説のバカってなにも知らないから「邪馬台国は弥生時代の大和が発展したものだ」とか思い込んでて笑える
だから毎度毎度「弥生時代の大和に何もない!」とか喚いてれば誤魔化せると思ってる
ヤマトは中心地に選ばれて邪馬台国に上書きされただけ
だから弥生時代と文化が全然違う
九州もなw
ヤマトVS九州だとか思い込んでる程度の連中だからろくなこと言わないんだろうよ >>852
江戸時代の朝鮮通信使で、対馬から大阪まで45日だな。
急ぎの旅じゃなくて、途中の各藩で歓待とか受けてた結果だろうけど、
魏使もそこらへんは一緒だろうしね。 >>855
江戸時代はすでに全国規模の道路網がある程度整備されてるもんな
古墳時代とは状況が全然違うわけで
江戸時代に45日かかるなら古墳時代はその何倍もかかってたんじゃないかな? 畿内に邪馬台国があったとしてる寺澤氏も弥生時代の大和と邪馬台国は繋がらないと言ってるしな
瀬戸内海を主体とした連合がヤマトにできた形
行程も海路で瀬戸内海にたどり着いた後に吉備あたりで上陸して陸路だろうよ
ヤマトと九州しか脳内にないからトンチキな事ばかり言う >>857
そいや昔、投馬国=鞆の浦説とかあったなあ…(遠い目) 手漕ぎ船だと時速にして5キロくらいだな
これを毎日8時間で10日で400キロ
九州の東岸から大体岡山辺りに上陸だな
そこから陸路で進めばひと月くらいで大和につく形だな
吉備は邪馬台国の主要構成国だから使節の受け入れもかねて最適だろう >>859
そんな無駄なことはしない
波がない河内湖に素直に入るわ >>860
えっ?
>>859
水行20日抜けてる 投馬国は海路だから日本海ルートで直接向かったんだろう
わざわざ別口の記載と、出雲は邪馬台国の構成員じゃないという事から妥当な記載だな
別に何にも困ることがない
九州とかバカほざいてるから無理やりな話になる
筑後にいるのにそこから水行10日、陸行一月でまた筑後とかアホ丸出しなことを言う羽目になる 一晩さらっと見てたけど
>7sFDJFK/0(45/45)
このあんちゃんは、そろそろNG虫籠登録で良さそうやな 弥生時代後期は軽く寒くなって作物が育たなくて土地争いで倭国大いに乱れる
あと海抜が下がって奈良湖は消え始めて奈良盆地の土地が拡大
同じ時期海だった筑紫平野も拡大
吉野ヶ里遺跡は筑紫平野が海だった頃にあった
港の警備をするためのもので役目は終えるが集落としてはしばらく続く
でもやっぱり低地のほうが水の確保がやりやすいので
平和になると新たに現れた平野部に多くの人が移住して衰退する
纒向は弥生時代後期に奈良盆地の南東の端で
三輪山のふもとの比較的地盤が強いところに突然現れる
これは伊都国にいた王族が計画的に移転してきたから
移転後も伊都国は外国大使駐留地としてしばらく残る 方位及び、女王国まで一万二千里の記述を記載ミスにすれば畿内
水行20日(投馬国)、水行10日、陸行一月の記述を記載ミスにすれば九州
どっちを取るかは考え次第 >>869
現代の感覚で舗装された道路を歩けて、いつでも好きな時に使える船があると考えるからおかしくなるんだよ
直線距離で数キロだけど、革屋山を越えていかねばら奈良いので数倍の距離を迂回して、
しかも舗装されてないわけで、
そうやって考えたら、
水行20日、10日、陸行1月でも九州に収まると判断してもおかしくないよ >革屋山を越えていかねばら奈良い
じゃなくて
川や山を越えて行かねばならない
でした 九州説は決め手になる遺跡見つからない点は相変わらずだが、他方で馬具やらベニバナ花粉の出た纏向はあり得なくなったことも間違いないな。畿内説も別の候補地見つけて掘りなさい。 聖杯戦争の時にこれを使えば卑弥呼がサーヴァントになってくれるんやな。 >>872
遺跡って何が何でも絶対に残る訳じゃないもんな
魏志倭人伝にしか記録がない邪馬台国なのだから、
そのうちどこかの時点で滅びて、みんなの記憶からも忘れ去られて
そんな忘れ去られた国の遺跡なんて、
後世の人からしたらただの盛り土で農業の邪魔だから壊すことも当然あるんだよ
残ってないという事は、今の天皇家とは全くかかわりのない、昔の小国家の一つだったという事の
逆説的な証明でもある >>820
九州説からしても方角も変じゃない?
玄海町から東南に行っても糸島に着かないし、そっから東南でも博多には行かない。
末盧国から奴国は東南に行ってるはずなのに実際はむしろ西北西。
どのみち方角記述はあんまりアテにならないのでは。 ★★★毒とペテンで支配するユダヤ主義の赤犬を倒さない限り、何も変わらない、何も変えられない★★★
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それもその通り。そういう意味では、結局は方角も距離も好きに取るしかない というか何故か「邪馬台国は消滅した」とか思い込んでる奴だらけで笑う
中国の史書だと台与の後も男性王が継続して使節が絶えてないと書いてる
台与の後なんて古墳時代に完全に突入してるからな
邪馬台国は畿内の勢力の連続の上だとアホでもわかる
隋書だと思い切り魏志の邪馬台国と大和が同じだとしてるしな >>815
短里や放射というのは、ただ単に九州に当てはめるために、
「短里があった・放射的に書いた」とする考え方ではない。
「短里のような読み方・放射のような読み方でなければ、
『魏志倭人伝は矛盾だらけのデタラメ』という結論にしかならず、
邪馬台国の実在性も疑わしくなってしまう。
もし魏志倭人伝が真面目に真実を書こうとしたものであれば、
著者の何らかの勘違いによって矛盾が生じたと考えるしかなく、
それがどういう勘違いによるものなのかを合理的に考察する」
という考え方だ。
「魏志倭人伝は矛盾だらけのデタラメだから邪馬台国の実在性も疑わしい」
という考え方なら、それはそれで合理的と言える。
しかし、
「魏志倭人伝は矛盾だらけのデタラメだが、
それを全部無視すれば邪馬台国が畿内にあった事は確実」
のように、自分に都合の良い所だけを無条件に信じ、
都合の悪い所は無条件に否定するような、
ダブルスタンダードな考え方は批判されるべきだろう。 邪馬台国厨って結局倭人伝と珍説サイトしか見てないのがよくわかるなw 畿内説の人らは九州で何か出やしないかとビクビクしてるんだろうねw 論争(笑)とやらは無理に無理を重ねて九州だとかほざいてるアホが勝手に言ってるだけ
だから学者は誰も相手しない
まぁ思考停止して「学者が認めないのはきょだいないんぼうが!」とかいうだけの連中だからな
その程度 >>870
九州説で弱いのは、(水行以降の記述があっている事が前提で)宇美か、若しくは新宮あたりか不明だが
奴国の隣である不弥国から、南へ水行が出来ない事
三国志では水行という表現は倭人伝の箇所にしかなく、海を渡るのに使用されていたのでは、と思える節がある
川を移動する場合、泝流、若しくは順流という表現になっている
劉璋を先主(劉備)が攻めた時、長江の流れに逆らって定郡県に至った際の文章
先主入益州、還攻劉璋、飛與諸葛亮等、泝流而上、分定郡縣。
黄権が劉備が呉を攻める際に諫めて言った言葉。
權諫曰「呉人悍戰、又水軍順流、進易退難。臣請爲先驅以嘗寇。陛下宜爲後鎭」
呉の人は勇敢です、また水軍は流れに沿って行くので、進むのは簡単ですが退却が困難です。臣が先に行って賊を潰すので、陛下は後から来てください
どうしても矛盾は出るから、後はどうにかして理屈を合わせるしかない >>879
方位も距離もそれぞれ好き勝手に解釈して良いという前提なら、
誰のどんな説も否定される事が無いから、
邪馬台国議論は平和で穏やかなものになるだろうね。 >>887
有明海とか島原八代のあたりはどう考えても海だから
そこを通ったんじゃないかな?
畿内に向かうなら朝鮮半島からそのまま船に乗って瀬戸内海を進んだ方が速くね?
あるいは日本海を横断して舞鶴あたりとか 例えば
東京から南へ向かうと山梨県へ着く
これが正しいとするか、間違いとするかだよ >>889
そうなると、不弥国から投馬国までには、まず有明海まで行くために陸行が無いといけない。
途中には背振山脈があるわけだし。大宰府のあたりを通るにしても無視はできないだろう
仮に、末蘆国(唐津か)から真っ当に東南に進むと、川に沿って佐賀の多久あたりに出る。ここが伊都国だとすると
そこから更に東南で(若干方位はずれるが)吉野ヶ里あたりが奴国になる。
そこからなら有明海が近い(当時の海岸線はもっと内陸だし)ので、その考えも有りと思うけど
多久あたりを伊都国と呼ぶのはかなり難しい気はする。
世王有と言われ、それに相応しい遺跡もある伊都国を無視はできないし
古来より那の津と言われ、金印も出ており、遺跡も豊富にあって福岡市が奴国とほぼ確定している状況を捨てる必要がある。 タンリとやらを持ち出して水行も陸行も全無視w
東だ南だとケチつけるけどこれはありという
そしてなぜか周りに回ってまた筑前
もしくは全然距離足りない八女だの宮崎だの言いだす
方向や距離どころの話じゃない
自由自在に伸び縮みする行程
これで何か語ってるつもりなんだから脳みそ腐ってんだろう >>889
でも諸々の行政手続をする場所(伊都国)には魏の役人としては立ち寄らざるを得ないのでは。
あと1カ月の航海に備えて物資人夫補給ができる大都会(奴国)。 >>869
一万二千里は議論の別れるところだけど
不弥国まで10700里だから、そこから邪馬台国まで1300里
普通の里だったら畿内にぴったり
陳寿は水行陸行を里に換算して1300里を出してる可能性大
水行一日30里、陸行一日20里とすると1300里になる
一日に進む距離としては妥当な数字でしょ
まぁ、推測でしかないけど
>>882
畿内説は南にを東に2箇所変えるだけでいいんだよ >>876
え?畿内説の「夏至の日の出の方向が東」をそのまんま適用したら、九州説の方角にベストマッチやん >>891
うみゅ。
長渕剛の「とんぼ」に
死にたいくらいに憧れた 花の都大東京
薄っぺらなボストンバッグ 北へ北へ向かった
という歌詞がある。これは長渕が鹿児島から東京に上京した体験の歌だが、
鹿児島から上京するには鹿児島本線で北へ向かうのだ。。 >>888
恐らく穏やかにならないのは、どうしても恣意的な解釈をする必要があり、かつ決定的な証拠は無いから
どうしても論争(しかも終わりのない)になってしまうのでは、という気がする。
どこかで親魏倭王の金印が見つかるなり、部下の貰った銀印が見つかるなりのブレイクスルーがないと
穏やかになるには難しい気はする 遺跡が豊富だのたくさんの証拠だの言うがなにがあるんだ?
とか聞くと「金印!」とか言い出すからな
バカなんだろうかこいつ >>481
紅花の花粉は斑鳩町の藤ノ木古墳からも出土しているが
それが何か?
>>482
宮沢賢治のように1日玄米四合食べるとして
年間263リットル=1.46石のコメを栽培するのに必要な面積を出せば
15万戸が食べてゆくのに必要な水田面積が計算できる。
1反(たん)または1町歩辺りの穫れ高は現代より少ないから
平安時代の和名抄記載の穫れ高を多少割り引けばよいだろう。 >>811
>三韓よりちょっと大きいであろう現在の韓国の面積は約10万平方kmで、
>1里=約77mで計算すると「4107里四方」になる。
追いつめられたら、堂々巡りにして振り出しに戻そうってつもりかよ
いい加減にしろって
古代の人が知りえた距離とは、道路距離あるいは航行距離のみ
古代にない直線距離なんかを持ち出す理由はない
>あとは適当にググったら具体的な距離が書かれたサイトを見つけたので、
短里厨によくあるサイトで、物証無視してパズルやってるだけで論外
倭人伝の区間についての自分の主張を言いなさい
>「誤差が許容範囲になる測量方法」は>>359>>512に書いた。
誤魔化すなよ
直線距離が不可能だと指摘された後は、「おそらく」「たぶん」「きっと」「何か方法があったはず」と言ってただけだ
具体的な中身がなく、見事に空っぽ、すっからかん
で、方四千里は「どこからどこの道路距離が何キロ」で「直線距離だと何キロ」だから誤差が「何パーセント」で許容範囲なんだ?
>「誤差が許容範囲である事」への反論が何一つ無い。
そもそも自分が何も示してないだろが
イチャモンもいい加減にしろや
誤差が許容範囲である換算比率を示せ
誤差が許容範囲である換算比率の証拠を示せ
誤差が許容範囲である直線距離の測量方法を示せ
水行の測量結果の誤差が許容範囲であることを示せ
これがラストチャンスな
真正面から答えようとせず、「おそらく」「たぶん」「きっと」「何か方法があったはず」と誤魔化すだけで、
最後の結びだけは、「誤差が許容範囲になる測量方法は書いた(キリッ」では議論が進まん
具体的に答えられないなら、短里が存在したことを倭人伝の行程での実例で示せないということだ >>892
邪馬台国の時代と金印の時代とで、国境が不変だったという事はないだろう
山梨県上野原市から真北へ進むと東京都桧原村へ着く
山梨の北に東京があると書いても間違いではないんだよ
現代でも旧市街や新市街という区別があるし、
当時の中心部と今の中心部が同じである必要もない 倭人伝にも伊都国に使節が逗留して一大卒が事務手続きすると書いてんだろ
何言ってんだろうなこいつら >>893
八女や宮崎だと距離が足りないのに
それより遠い畿内だとちょうどいい距離というのはどれだけ頭が腐ってたら出てくる結論なんですか? ていうか、現代人は古代の旅程を無印スーパーマリオ程度に考えてるけど、
実際はマニアが作った騙しだらけのカスタムマップのスーパーマリオやから 倭人伝の記載も自由自在に読み替える
というかそもそも読んでないんだろうな九州説って
それしかどうせ資料なんて当たらないのにそれさえもまともに見てないとかすごいわな >>895
畿内は畿内で、道のりの方角を南→東に二か所(投馬国と邪馬台国への道のり)以外に
女王国以北が出てくる二箇所を西に変える必要がある。
自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳
と
自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國
の二か所。 >>896
つまりここでは九州説畿内説の一致を見た訳か。
謎がひとつ解けた。 現代だって入ってきた場所で入国手続きすんだろ
畿内から九州に渡る広域の勢力なんだから首都行くまで手続きもしないとかあるわけねーだろ 子供の頃、魏の使者は伊都国あたりに留まったと教わったがいつのまに大和まで行ったことになったの? >>903
国境が不変というのがどういう意味か分からないが、福岡と佐賀は流石に別の国であったと思う
この2つの間には1000メートル級の背振山がある背振山脈が横たわっている訳だし
伊都国にしても当然背後(南)は背振だから、国は流石に分断されてたと考えるな 奴国は登場するけどほとんど何の記載もないな
昔の金印授与どうのとか重視してないか、別の国扱いなんだろうな
つまりそんなもん関心さえ見せてないという扱いだな >>910
でもまあ、じゃあ西はどないすんねん?いう問題は残るけどね 自説に自身のある人はIDころころ変えたりしないな。
いいことだ 3世紀中盤に大宰府鴻臚館まで完備していたなんて・・・
300年といわず30年で日本統一できそうな大勢力じゃん
つか文字文書ぐらい残しとけ >>894
松浦に着いたとしても、今の松浦市の中心部である必要はないんですよ
今の行政区でも対岸は松浦市だしね
もしかしたら名護屋城のあたりで上陸して、海岸線を伝って南東に向かえば、糸島市の端にはたどり着くんじゃないかな?
水行20日、10日はそれぞれ別の船を使ったと思うよ
当時の内海なら沿岸部をなぞるように進むだろう
夜間は上陸して休み、翌日日が昇れば船に乗って沿岸部を進む
そうやって進むのだから
物資の補給はそれほど大掛かりではない で?水行と陸行はどこ行くんだ?
で?鏡は?
で?宮城は?
で?鬼道の祭祀遺跡は?
で?経100歩の墓は?
で?丹山は?
一つ誤魔化したつもりになっても結局何一つない >>811
長々と書いたが、要は、韓地の方四千里が短里だと韓国の面積にピッタリだからドヤ顔しようとした
ところが、方四千里は測量したなら道路距離か航行距離で、面積は直線距離という基準の違いに気づかなかっただけだろwwwwww
往生際が悪く、道路距離から直線距離への換算比率がどうのとか引っ張り出して、屁理屈こねてたが
今度はそれがまた直線距離という現代の知見が前提になってるという間抜けぶり
あとはひたすら、「おそらく」「たぶん」「きっと」「何か方法があったはず」と言ってただけ 九州説バカって痴呆症なんだろうな
そもそもなーんにもないから誰も相手しないのに「タンリだからすべて説明できた!」とかで話し終わってると思ってるからな
いやいや、そもそも何もないだろ 北極星(公開で使うからメジャー)は普遍
夏至の日の出の方向は東北東
同じく日没方向も西北西
南は影でも月でも確認できるから、これまた普遍
となると、畿内説だと方角指標はカラスの足型いうか、丸に三叉のピースマークみたいになる >>919
水銀は九州でも出ている
大分県にもあるし、豊後国風土記の記述では、
「昔〜」
と書かれてるので、風土記が書かれるよりも前の時代の話
邪馬台国の時代に水銀が取れてないとは言い切れない 後厄介なのは、南→東、北→西、すなわち反時計周りに90度回転させた場合
女王國東 渡海千餘里 復有國皆倭種
又有侏儒國在其南 人長三四尺 去女王四千餘里
又有裸國黒齒國 復在其東南 船行一年可至
がおかしくなること。上記の法則に従うと、女王國東→女王國北にならないとおかしい。
しかし、畿内の北の海となると福井まで行かないといけないし、その先はずっと海で千余里で別の倭種の国なんて無い。
そして本来なら南と思しき侏儒国(南→東)や裸国や黒歯国(東南→東北)の位置もおかしくなってしまう。 「まだ見ぬ巨大遺跡があるはずだ!」
これが結局のところ九州説の妄想のすべてだからな
こんなもんでいいならアメリカだって邪馬台国にできるわw ほらなw
九州の水銀朱採掘の歴史も知らんと「かもしれない!だから説明できた!」で済ませる
弥生時代の水銀朱に九州産もない
まぁ別にいいよ出たことにしてやっても
で?他の卑弥呼の痕跡どこにあんだよ
一つ誤魔化して済むレベルじゃないとわからないから妄想できるんだろうな >>924
一律に90度ずれてるわけではない
倭人伝の行程で、対馬から壱岐の方角は正しいが、末廬国から伊都国は間違ってる
だから、「倭人伝の方角は当てにならない」が正解 >>926
桧原村も小笠原村も東京都なんだよ
山梨の北に東京都は存在するし
九州の東にも東京都は存在する
方角を間違ってることにしないと成立しない畿内説はこの時点で全くダメ
しかも短里ではなくとも、整備された道路網がないのだから迂回することは当たり前なので距離で考えても九州で収まる
畿内はありえない >>919
そんじゃあれだ。考古学的に言えば、魏志倭人伝の
「父母兄弟臥息異處(家族は別々のところで寝ます)」
という記述だな。
これに合致するのは南九州の花弁状住居しかない。
http://inoues.net/study/nishi_nihon16.jpg
ちなみに佐賀でも出ている。
http://wmasa.blogspot.jp/2008/11/blog-post_1622.html
>>922
「暦を知らない」と書いてあるんだから、夏至もへったくれもないじゃろと。
俺は、日の出の方角が東(日向かし)なのは同意だが、
日々の方角は変化する不定方位だと思う。 >>909
方角が正確かどうかに疑問があるにせよ、女王国以北の話題として伊都国という九州北部がサラッと出てくる辺りが畿内説とは親和的ではないわな、、
南を東と読み替えれば済む話だったら、投馬国も北なわけで、そこら辺の過程が里程としても統治拠点の記述としても薄い。 >>736
「棺槨論争」というのが「大正時代にあって」、そこで日本の考古学でそれまで
「木槨」「石槨」「粘土槨」などと呼んでいた構造が「槨ではない」と決着が付いているんだよ
具体的なホケノ山の埋葬構造について議論したわけでもないし、結論づけたわけでもない
文脈が読み取れず、自分で調べもしない人はトンチンカンなことをエラそうに書くという典型だな>>736は
九州説はこんなのばっか >>927
今の玄海町の周辺も当時の松浦国に所属してるとしたら、松浦国から南東に進んで糸島市にたどり着くことは可能 魏志は倭国内の放射状の距離だと漢字読める台湾人が言ってたし九州で間違い無いだろ。 >>856
奈良時代には山陽街道が整備され
駅伝制により要所要所に「うまや=駅」が置かれていた。
中でも兵庫県加古川左岸(東側)の東約4kmあたりには山陽道で最大規模の
賀古駅(かこのうまや)が設置されていた。
現在の国道2号線より南側で遺跡が発掘されている。 これが九州説だ!
・行程は色々動き回って一月以上無意味に移動していれば説明できる!
・九州のどこかにすべてを揃えた超遺跡があるはずだ!
・タンリとかいう謎の単位を利用してたら問題ない!(水行も陸行も全無視)
・鏡は5世紀の古墳から出る!でも畿内の鏡は4世紀だからなし!(つか4世紀じゃねぇし)
・磐井は九州の独立王だ!白村江まで倭国は九州!(古墳に埋葬される九州王様)
・卑弥呼の証拠は奴国の金印の出土地だからだ!
余りにも説得力が凄すぎて脱帽だな >>927
そういう意味では、恐らく距離もあてにはならない、というべきだろな
朝鮮半島と対馬、壱岐の間ですら距離が当時の里程からあっていないのだから
近場のでこれなら、倭に入った後の日数についても同じようにあてにならないだろうな。 >>934
現在と100年も違わない戦前ですら
道路網は全く違うわけだよ
奈良時代と古墳時代初期だと
やっぱり全然違うんじゃないかな? >>931
キンキーには残念だが、ホケノ山は完全なる木槨。
1999年の発掘成果を大正時代(笑)の論争(笑笑)
を持ち出しても無意味だと分からんか??
ヴァカじゃネーのwwww 近畿は甕棺じゃねえし鉄武器も鏃もないにもかかわらず土器分布だけで支配王朝を肯定しようとするから説得力も何もない。 >>928
九州説でも方角は間違ってるよ
松浦だか唐津だかから東南に行って糸島や博多には着かないし あー忘れてたこれもあった
・前方後円墳は経じゃないからなし!でも方形周溝墓の平原こそが経100歩の墓!
・前方後円墳は経じゃないからなし!でも方形墓の祇園山(4世紀)は経100歩の墓!完璧に卑弥呼!
「大いに」の部分を「超盛り上がって作ったという意味で大きさじゃない!」とか言ってるのは最高に笑った
天才だろうな >>939
はいはーい
バカがまた来ましたよ
九州の甕棺墓は後期後半には消滅に近い状態でなくなってる
中心だった福岡でもな
そして九州説大好きな平原とか近畿で流行してる方形周溝墓採用してるな
九州説って九州の事さえも何にも知らなくて笑える >>940
今の松浦市の行政区そのままで当時の松浦国を語るからそう思うんじゃないかな?
対岸の唐津市は松浦国に所属してなかったのかな? >>936
方角も里も間違ってるのが確定してるから
日数も疑うのは当然だろうな 仮に本当に邪馬台国がそこにあったとして何か実益ってあるの? 超盛り上がって盛大な祭祀をした割に柱が2本立ってるだけの平原とかずいぶんとさみしい有様だなw
超盛り上がってそれが限界かよと マキムクからの3世紀の槨の出土と馬具の出土は畿内説には致命傷になった。
平成7年の出土に、大正時代に結論が出ているとアクロバティック擁護で誤魔化そうとする始末。
残念だが仕方が無い、コレがキンキーの現実なのだよ。 >>807
>江戸時代には親魏倭王の印影もあったりする
>ただし、説明には何故か銅印と書かれていたりする
それ大陸の偽造印を売る骨董品売買悪徳業者のカタログw
http://itest.5ch.net/test/read.cgi/history/1338710507/924 >>948
あいつは今日も日付変わってからずっと書き込んでるみたいだけど、
おそらく昨日も書き込み続けてたんだろうね 奈良は平和すぎるんだよな
倭国大乱とは無縁の地域
魏志倭人伝には狗奴国と争っていて魏に援軍を求めてきたって書いてあるのに 九州のレベルてこんなもん
↓
漢の鏡が出てきたのでここは邪馬台国だ >>828
魏使の経路は日本海経路が妥当
理由は倭国第二の大国、投馬国(出雲、四隅突出墓の領域)を実見する必要があるから
距離はヤフーマップで適当に直線(折れ線)で計っているから適当
福岡付近から、出雲まで水行20日
ただし出雲の場所が決めがたく、
出雲大社や西谷墳墓群がある出雲平野か、
熊野大社や出雲国府が置かれた松江平野か、
あるいは妻木晩田遺跡のある大山付近か、いずれかが候補
そこから丹波へ行くまでが水行10日
丹波の上陸地点は、網野銚子山古墳のある網野町か、神明山古墳のある丹後町竹野の竹野川河口付近
地名からすると記紀に丹波竹野媛(開化天皇妃)があることから竹野が有力、地形的には離湖という潟湖がある網野かな、とも思う
どちらに上陸したとしてもそこから陸行で京丹後市役所のある峰山付近を通って丹後半島を横断
横断したところが籠神社のある与謝野町、そこから野田川沿いに遡っていくと蛭子山古墳がある
福知山付近を通って、山陰本線に近いルートで亀岡まで来ると、丹波国一ノ宮の出雲大神宮がある
亀岡から桂川沿いに京都盆地に入り、巨椋池を経て木津川を遡り平城山を越えて奈良盆地に入って纏向ってルートでいいだろう
水行20日 福岡から出雲平野までが約300キロ 妻木晩田遺跡辺りまでだと370キロ
水行10日 妻木晩田遺跡から竹野までが約150キロ
陸行1月 竹野から纏向までが170キロくらい
水行中の日数は、夜に浜辺で休んだ日数や潮待ち、天気待ちも含むと思う
投馬国滞在日数は含まないんじゃないかな これはあくまで「かな」程度
陸行部分は、途中の集落の滞在日数も含むと思うが、そんなに大きな町も途中にはなさそう
あっても、丹波国の竹野付近と与謝野町くらいかな
遺跡の分布や神社の名前からして、出雲と大和の往来はこのルートでいいんじゃないかと思っている
ただ、丹後半島を縦断するより、回りこんで若狭湾に入った方が楽かもしれないとも思う >>951
透明NGでポツポツ番号飛んでるなと思ったら、まだやっとったんかい >>929
あんたそれ好きやなw
その住居は中期ごろの大隅に局地的に分布するもので北部九州を影響下に入れてる邪馬台国の描写と全然合わんで >>937
そうだね
阪神淡路大震災の直後から数年は復旧工事の所為で
道路網はコロコロ変わったよ。
平安時代の山陽道は奈良時代の山陽道より数百メートル北にあった。
しかし神戸市内は山が海に迫ってる狭い場所だから主要道路としての山陽道はほとんど変化しないよ
だから地形を考慮する必要がある。
ちなみに兵庫県は古墳と溜め池とゴルフ場の数が日本一。 >>958
薩摩じゃなく大隅というところがいいね
邪馬台国は宮崎に遭ったとする俺の想定と近い
というか、検索したら西都原の近所でも出てるじゃん
なんだ、宮崎確定じゃないかwww >>958
弥生中期の佐賀でも出てるから、そのうちもっと下った遺跡も出るかも知れんぞ。
あえて魏使が「家族は別の場所で寝る」と言及するほどの特徴なんだから、
これくらいの「わかりやすさ」はあったに違いない。 なんで好都合のいいとこだけ取るかね
邪馬台国は北部九州を影響下に入れてる国
文化様相が全く違う場所のもんだって証拠にしかならんと言ってるだろうが >>960
幹線道路というのは、統一国家が存在するから作られるんだよ
敵対した国同士が幹線道路を繋げたりはしない
侵略されるからね
君自身が書いてる通り
奈良時代に整備されたというのは、
統一国家ができて国内が安定して
それから、中心部の整備を行い
やっと国内の交通を繋げようとするんだから
奈良時代以前はまともな道が整備されてなかったと判断するのは当たり前なんだよ >>849
>なので、遺跡がないというのは言い訳にならないんだよ
比恵那珂遺跡群とか福岡市街のど真ん中だよな?
でも遺跡として認識されてる
今も町だから遺跡にならないとかいうのは言い訳にもならない
今は法律で、開発時に遺跡が見つかったら発掘調査することが義務づけられてるから
都会の方が発掘数は多いぞ
「はさみ山遺跡梨田地点」とか調べてごらん
でも九州に邪馬台国の遺跡は出てないww つか近畿は後代の四道将軍によって始めて列島統一してんのに3世紀に邪馬台という巨大勢力が近畿にあればおかしくなるだろ 九州説の特徴まだあったわ
・時代も場所も様相もお構いなく九州なら何でもいい
平気で弥生時代を通じてとかいうしなw >>950
「漢委奴国王」印も黒田藩の殿様の捏造だろwww ID:7sFDJFK/0←粘土槨は中国で言う槨やないんや!→マキムクは木槨でした
ID:7sFDJFK/0←大正時代に結論は出ている!→マキムクは1999年の発掘でした 邪馬台国の会の連中は意図的に「弥生時代を通じて」「古墳出土物」を邪馬台国に混同した表とか広めてるからな
まぁそんな程度の低いもんを信じてしまうのは受け手がアホだからという事だが 伊良子辺りの遺跡から出る人骨は140cm位の低身長だし侏儒国だろ >>927
山陽本線も姫路から最南端の明石までは東南東に向かってるが
明石からは真東、神戸駅の上り線は
南南東から東北東に向かってる。
しかし神戸市中央区(旧生田区)の住人は東に向かってる感覚だわ >>928
>桧原村も小笠原村も東京都なんだよ
桧原村や小笠原村に行くことを、東京に行くと表現するのかい?
詭弁もいいとこ
現在の広域行政区では東京都でも、桧原村は桧原だし小笠原村は小笠原
九州説はこのレベルの詭弁の上にしか成り立たないっていう自白だな >>971
朝鮮人は時代考証ができないから
韓流時代劇にカセットガスコンロが出てきたりするし
伝統的茶道では魔法瓶で湯を沸かす現代合理主義www 九州説の人って考古学者は信用できないが、邪馬台国の会は信用できるんだろ?
すげー判断基準だわな >>977
日本からアメリカへ行くとして、
アラスカもアメリカだし、ハワイもアメリカ
距離も方位も日程も違ってくる
日本からロシアへ行くとしても、
ウラジオストクへ向かうのか、サンクトペテルブルクへ向かうのかによって出発する場所も方向も違う
しかしどちらも日本からロシアへ向かう事は同じ
松浦から糸島へ向かうとして、
出発地と目的地の正確な位置を記述してるのか?
松浦市役所から糸島市役所へ向かうとは書いてないんだよ
もっと頭を柔らかくしないと勉強しても身につかないぞ >>979
それは違うな。
俺の場合、頭の中で卑弥呼が語りかけてくるw >>930
畿内説のいう方角間違いというのは、文書上の誤記というのを主張しているのではなく
「陳寿の認識では列島は南に長くのびる洲島」というもの
魏志倭人伝の国の配列は、帯方郡起点でそこから「遠く離れる方向を南」として
その認識に従って北から南の順に書いてある、ということ
だから当然、伊都国は女王国の北になるよ
ただ、「女王国」が邪馬台国を指す場合と、卑彌呼を共立した連合範囲を指す場合が
混在してることには注意が必要 >>975
飛鳥時代と古墳時代は道路網が全く同じと思ってる? 近畿説は出土する断片的な遺物で結論付ける極論だよ
魏志の時代九州にあった邪馬台と近畿は別国。
九州は半島とも交易してたことから、東北、近畿と交易していてもおかしくはない。そのため土器や翡翠が出土するんだろう。
銅鐸や稲作、高床建築から近畿が九州の同族だった可能性も高いが >>939
>近畿は甕棺じゃねえし
邪馬台国時代の弥生終末期の100年以上前に甕棺墓の文化は廃れてるんだが?
九州説の主張する遺物は、ことごとく古い
九州の衰退の証でもある
>鉄武器も鏃もないにもかかわらず
これらも大半が甕棺墓から出たもの
おおきな甕棺墓が作れていた時代が九州の最盛期でその後は衰退して
目立たない一地方になるだけ >>945
>日数も疑うのは当然だろうな
疑うというか、十日単位に丸めてるんだろうね 757日本@名無史さん2018/11/21(水) 23:00:33.55
>>746
太陽神の命を受けて天界から邇邇芸命が降臨してくる場所は
”筑紫(九州)の日向(古代の日向とは鹿児島宮崎の称)の高千穂くじふるたけ ”
古事記に描かれてるのは単なる高千穂や高千穂渓谷じゃないよ
日本書紀にはもっと正確に”日向の襲の高千穂の峰”とハッキリ記述されてる
”日向の襲の高千穂くじひ二上峰””日向の襲の高千穂そほりの山峰”とも書かれてる
で神界から使命を帯びた邇邇芸命はナゼか薩摩半島の笠狹の御碕に向かうことになる
彼處に至ると邇邇芸命は一人の神と出会うと、何と!アノ伊邪那岐神の息子だと言う
其の神人の名は”事勝國勝長狹神 ”という
事勝國勝長狹神は自分の此の国を神界からの使者ニニギノミコトに譲るという
そあいて薩摩の笠狹の姫・木花開耶姫に一目惚れしニニギノミコトは求婚を求め二人は結ばれる
天津神ニニギノミコトは木花開耶姫が一夜で身篭ってしまったことに疑い嫉妬し
秘かに国津神と逢引し国津神の子を宿したと木花開耶姫に問いただすと
天界から使者であるニニギの子を宿したなら無事に生まれるはずと言い
産屋に火を放って木花開耶姫は本当に無事に邇邇芸命の子を産むことになる
この子の孫となる神倭伊波礼毘古命が神武天皇として日本列島を支配することになる >>983
北九州市から福岡市まで
直線距離だと55qだけど、
道路を通ると最短距離でも66q
でも2割くらい距離が伸びてる
これは今の土木技術のおかげで迂回する距離が短いからなんだよ
橋やトンネルもあるからね
昔は橋を架ける技術などないしトンネルなんて不可能
自然と迂回する距離は長くなる
そういうことを考えると
魏志倭人伝の記述はそれほど間違いじゃないと思えてくるんだよ >>944
>対岸の唐津市は松浦国に所属してなかったのかな?
松浦川が流れているのが唐津平野だから、むしろ唐津平野が末盧国だろう
宇木汲田遺跡、桜馬場遺跡、千々賀遺跡等の存在からも、末盧国の比定地は
唐津平野が妥当 宮廷料理人「チャングムの誓い」のカセットコンロシーン
//fast-uploader.com/file/7098582411757/ >>990
唐津平野を比定するか、
朝鮮半島に向かっている名護屋城の鎮西町あたりを比定するか >>985
九州説は倭人伝の地名を断片的に現代の地名に当てはめる
モグラ叩き
>>984
オマイの説を証明してみろよ >>993
>>934が自分で書いてるけど
>奈良時代には山陽街道が整備され
奈良時代にならないと山陽街道は整備されないという事
飛鳥時代はまだ整備出来てなかったことが分かる
飛鳥時代に、すでに山陽街道が整備されてたなら
>奈良時代には山陽街道が整備され
ではなく
飛鳥時代には山陽街道が整備され
となる
証明終わり >>995
たんなる言葉尻を捉えただけで
確かな資料は無いわけだ。
吸収説はすべてこの通りw >>996
しかしお前は
飛鳥時代に山陽街道が整備されていたと証明することができない >>997
でどんな 証拠だあるんだ
さっさと出せよ >>998
>>995で証明終わり
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