【福島なんです、実は】大阪名物「たこ焼き」起源は会津 ★2
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http://www.minpo.jp/news/detail/2018112657774
財団法人大阪都市協会が一九九二(平成四)年に発行した「暮らしと物価 大阪百話」によると、
大阪名物のたこ焼きは一九三五(昭和十)年に誕生した。「会津屋」の屋台で販売していた「ラヂオ焼き」に
タコを入れたのが始まりという。考案したのは会津坂下町出身で会津屋初代社長の故遠藤留吉さん
(一九九七年、九十一歳で死去)だ。縁日で定番のたこ焼きは、会津にルーツがあった。
ラヂオ焼きは昭和初期、流行の最先端だったラジオ放送を屋台で流しながら販売していたため、その名が付いた。
お好み焼きに似たもので、牛すじ肉やネギなどを入れていた。ただ、牛肉は冷めると脂が固まり風味が落ちる。
冷めてもおいしい具材を求めた結果、行き着いたのがタコだった。弾力のある食感が人気を呼び、
「たこ焼き」として戦後、あっという間に広まったという。
留吉さんの孫で三代目社長の遠藤勝さん(46)は言う。
「東北なまりで話す祖父の理想は会津の味でした。今でも、デパートの催事などで関西地方よりも東に
出店するほど『懐かしい味だね』と言われます」
会津屋の「元祖たこ焼き」は会津の郷土料理「こづゆ」が原点だ。生地に和風だしを効かせているため、
ソースやマヨネーズをかける必要はない。熱した鉄板に生地を流し込み、空気を入れるようにしながら丸く形を整える。
ふわふわ、さくさくの焼きたてはシュークリームに例えられる。
初代留吉さんは商売で身を立てようと、家出同然で会津坂下の実家を飛び出した。三十歳を目前にした一九三五年、
遠く離れた大阪の地で脳裏に浮かんだのが恋しい“おふくろの味”だった。母に作ってもらった「こづゆ」を思い出しながら、
しょうゆベースの和風だしの生地を仕上げた。そのレシピは一子相伝で後継者だけが知る。開発から八十三年たった今も
初代の味を守り続けている。
会津屋の元祖たこ焼きは大阪を代表するソウルフードとして愛されている。一九九〇(平成二)年には鉄道会社の
キャンペーンポスターに取り上げられた。
−いやあ降参、と言わせるたこ焼きがあるというので訪ねてみたところ、なんと一日に一万個を焼く繁盛ぶり。
大阪の人に育てられたこのたこ焼き−
このキャッチコピーが会津屋の知名度をさらに高めた。今では、レストランなどの格付け本「ミシュランガイド」で
「地域に愛されている五千円以下のお勧めの店」の掲載常連店となっている。
会津の血を引く三代目勝さんはさらなる夢を描く。
「食べるだけではなく、家庭で焼く楽しさを含めてたこ焼き文化を世界に広めたい」
タコは「悪魔の魚」と呼ばれ、欧米で嫌われ者にされることがあるが、世界全体の消費量は増えている。
大阪市内に立ち並ぶたこ焼き屋には、外国人観光客の姿も多く見られる。会津を起源とする「TAKOYAKI」は今では、
訳す必要のない世界共通語になった。
※会津屋 1933(昭和8)年に大阪市で屋台から始まり、現在は大阪府を中心に9店舗を展開している。
看板商品の元祖たこ焼きは15個入りで620円。2005(平成17)年には、たこ焼きの原形となったラヂオ焼き(12個で600円)を復活させた。
■優しさで包んだ味 取材メモ
JR新大阪駅から地下鉄で約25分、大阪市南部に会津屋本店はあった。「会津屋」の名前が大きく入った赤い店舗の存在感は抜群。
関西地方で見る会津の文字に自然と心が躍った。
電子レンジが存在しない時代に「冷めてもおいしい」にこだわった初代社長の遠藤留吉さん。ふわふわの焼きたてはもちろん、
冷めても和風だしの風味を十分に堪能できた。食べる人のことを第一に考えた味付けは、会津人の優しさに包まれていた。
宅配も可能。冷凍たこ焼きは大阪市西成区の本店で職人が焼いた後、急速冷凍している。
★1:2018/11/26(月) 11:50:07.45
前スレ
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1543200607/ これぐらい異なってるものが原点と言われれば嫌な感じもしない 大阪って一人でボケーっと食べてると色々くれる人現るよな、たこ焼きもそうだし
おでんの餅巾着みたいのとか中身わからないけど美味い串カツとかよく貰ったわありがとう >>1
林先生が今年のフジ27時間テレビで、このネタを全国放送で蒸し返したから
地方紙を含めたマスコミ各社がこのネタに気付いて、面倒臭いことになったな なんばウォークにも会津屋ってあるよな
大阪人の感覚からしたら、たこ焼きなんてどこも大体一緒って感じだけどな
ここのも一回だけ喰ったことあるけどごく普通のたこ焼きだったが 会津人が大阪で作ったというのは、大阪では有名な話やろ
だから大阪人は東北人を好きと言われている
なぜか、東京人によって一部の発言のみがピックアップされて歪められているけどね
民間レベルでは交流少なくてお互いに尊重し合っているよ 福島出身土民が発案したってだけで起源は大阪じゃないか。嘘書くなよ。 ラジヲ焼きを売り出したのは大阪で店やってた会津屋なんだろ。
で、店主が会津出身だからルーツは会津って、
インスタントラーメン開発したのは台湾人だからルーツは台湾って言うのと一緒やぞ。 東北の人ありがとうございます。
たこ焼きは大阪経済にかなり貢献してくれています。
感謝 そんなん言うたら、インスタントラーメンの起源は台湾になるんとちゃう? 会津ってほんと何かあると朝鮮人みたいなことやりだすよな。
あのあたりの連中って祖先おんなじなのか? 誤解を与えるスレタイだな
会津の出の人間がたこ焼きを最初に作った(正確にはラヂオ焼きにタコを入れた)けど、
福島県で考案した物が大阪に来た訳じゃない
会津屋を否定なんてしないけどパクったような言い方はどうかと思う >>23
医学的には何の発見も開発もしとらん野口英世をあれだけ祭り上げた連中ですぜ。 大阪で東北人が作ったのだから、両方の合作でしょ
争うようなものじゃなく、両者尊重し合っている証拠
争わせたい地域があるようだけどw 東京とか大阪とか各地から人が集まって勝負しに来る所だから、
起源とか野暮やと思うな。
東京でウケれば全国に広まる。大阪でウケたものが東京では
ウケない事もあって当たり前、ちょっと形を変えて東京でウケて、
それが里帰りや、全国でウケるって事もあるやろ。 そもそもこいつが始めたとかいうこと自体あやしいだろ >>1
朝鮮人の卑劣さは、チョンポップの人気偽装の手口にあらわれてる。
サクラの在日朝鮮人を観客役として大量動員した人気偽装コンサート、
日本人になりすました人気偽装カキコミ、
パンスト被ったみたいな朝鮮顔の過剰整形・厚化粧、
ユーチューブの再生連打、「いいね!」連打は、
朝鮮人がいつもやってる汚い手口だからな。
韓流アピールしてる人のほとんどが在日朝鮮人だってことはバレてるから。
だいぶ以前から在日企業や在日学生、在日系メディアを総動員した人気偽装をやってる。
【韓流】やはり、K−POPチケットを買っていたのは日本人でなく在日朝鮮人たちだった[2012/7/6]
http://itest.2ch.net/hayabusa3/test/read.cgi/news/1341579948/
. 今も昔も大阪には色々な地域から人が集まって
一攫千金を狙って頑張った人が多かったんだね
失敗した人もな
最近は成功すると東京に移す傾向が強いのが気に入らんが >>1
>会津屋の「元祖たこ焼き」は会津の郷土料理「こづゆ」が原点だ。
初期のやつは、こづゆのホタテ干し貝柱出汁を使ってたということかな? >>28
併し乍ら英世に宛てた母親の手紙は大した迫力だ ウチの地元は6個150円。
昔は10個100円で頑張ってたが最後は水分ばっかでソース味のゼリーみたいになっちゃって。
代替わりしてからマトモに直した。
といたのたこ焼き。まぁ、超ローカルだわな。 >>14
関西人はお好み焼きの起源は歪めているくせによくいうわw <丶`∀´>マンセー!マンセー!
<丶`∀´>大阪民国マンセー! ソウルフードのたこ焼きもお好み焼きも大阪発祥じゃないんかい 原点がどこにあるかは誠実にたどればよいのだけれども、こーいうウソつきの背乗りだけは許せんわ。
よく読んだら「たこ焼き」ってネーミングを最初につかったってことだけけじゃねえか。ふざけやがって。
ルーツは江戸末期の明石焼き、それが変化した(おそらくはプレートのみ流用した)ラジオ焼きがあり、
それにタコを入れる店があって、この会津のちょんころがマネして「たこ焼き」とネーミングしたって
だけじゃねえか。くそうぜえ。うそつきは死ねよ。 >>42 大坂発祥の料理など、ほぼ無いよ。地方の人間があつまって商売する街なんだから
大阪で発案したところでその人間が台湾人なら台湾人の発明、朝鮮人が始めたのなら朝鮮人の
発案、それが正しいんだよ。ただ「文化」となれば話は別だ。インスタントラーメンは大阪で発明
されたしホルモン焼肉店は猪飼野ではじまった。たこやきは明石焼きがルーツで会津など関係
ねえじゃん。 >>42
良く嫁
考案者のルーツは会津だけど、たこ焼き(ラヂオ焼き)は大阪で発祥してる 福島気持ち悪い
大阪食文化のたこ焼きを起源にするのか
あの国と同じやね
そもそも塩文化で饅頭も塩味だったくせに
砂糖という高級品は福島はありつけなかった 東北で一番、嫌われるのが大阪人。
彼らは水と油のように合わない。
東北人と大阪人がいると自然に東北人は大阪人に仕える。
そして東北人は大阪人を恨みに恨む。 韓国料理の殆どは大阪・鶴橋が発祥だぞ。韓国風料理が祖国に帰ってハングル名が
付けられてソウル、東京・大久保で宣伝されてる。焼肉なんて30年前には韓国には
無かったよ。ホルモン焼きが変わっただけ。 お好み焼きは東京で名称がうまれ、大阪で小麦+キャベツベースの関西風が普及し、ほぼ同時期に
広島でもキャベツ入りのが普及した。これはそうとう堅い。逆におでんはとうふおでんは京都のほうが
古く、関東で「こんにゃくおでん」に進化した。それが関西に逆輸入され「かんとだき」となり、これが戦後に
東京に逆輸入され具沢山の「おでん」になった。戦前までおでんといえばこんにゃく主体で練り物が入る
素朴なファストフードだったらしい。 >>51
>韓国料理の殆どは大阪・鶴橋が発祥だぞ。
ちょぷせんじん乙! 会津屋の大将も福島では食えんと判断して
大阪に出てきて頑張ったのは事実や
認めよう
でも、福島におったら埋もれてたし
たこ焼きも作ってなかったヤロウし
タコも使ってなかったやろうな キャベツが観賞用ではなく食用として日本で普及したのは日露戦争期で、海軍のあった
広島でキャベツたくさんのお好み焼きが普及したのは、戦争と関係あるのじゃないかと
俺は思ってる。大阪のキャベツ入りお好み焼きはむしろそれをマネたものの可能性がある。 その地方で生まれた名物の起源は、創案者の出身地で決まるなんてねえ。
この論理でいけば、インスタントラーメンの起源が台湾ということになる。 関西を見たら朝鮮人だと思えまではいかないけど、
まあ関西らしい話だな。
奈良の大仏だって、東北のユダヤ人技術者つれてきて作ったんだろ。
松下電器も昔はマネシタとか言われてたぐらいだし >>57
人類の起源はアフリカだから、全てのものの発祥はアフリカってことだよ 大阪は粉もんと言われるが
本当はソース文化という証明や
醤油が東京に取られた
大阪はソース文化になったんや 福島はうまいものがないでもないが、売り出し方が下手。
接客態度も全国最低クラスと言っても過言ではない。 江戸の初期は関東も米小麦文化だったらしいぞ。ソバよりもウドンのほうがずっと人気があった。
その当時はソバは大根汁で食うようなもので、けっして美味いものではなかったらしい。それが
江戸の後期に銚子で醤油がつくられるようになって、割りツユができて、もりそばが一気に人気に
なったらしい。むろん関東がローム層で土地が痩せてたので、小麦よりソバのほうが救荒食と
して栽培に重宝されたという事情もあるだろう 良い商品を作る開発者の知恵は素晴らしいが
その素晴らしい商品を認めて買ってくれる人がおるから
成り立つんやで
得体の知れないものを美味しいと思って買ってくれた地元民に
感謝してもバチは当たらんで >>62
日本で初めて醤油を作った会社は和歌山のはず
別に醤油文化は東京ではないよ
塩辛いだけの関東 ID:E2UZ4itU0はまず日本語の勉強から始めような そういや小鉄会って発祥は会津に関係あるのかい。
しらないんだけど >>69
うまい醤油は関西から江戸へ
だったのが江戸で醤油ができて不要に
そこにウスターソース文化が明治から
やと思うでしかし 大阪はたこ焼き屋が何億円も脱税するくらい、たこ焼き売れるんだな >>73
千葉の醤油、ヒゲタとか塩辛くて使えないです
東日本は砂糖が手に入らなかったので仕方ない ソースとかくっそ不味いもんありがたがってるんじゃねーよw でっかく焼いたのがお好み焼き
小さく焼いたのがたこ焼き、みたいなイメージ
味は一緒 会津坂下は数年前までちょくちょく行ってたけどたこ焼きのたの字もなかった
地元の食い物としては馬刺しとか蕎麦か? 俺の家の半径300mにたこ焼き屋が4軒と明石焼屋が1軒あるからな
人口密度は12000人/1km^2 程度なんで大都市圏の中の中ぐらい
所得レベルは底 六代目の大阪市長、池上四郎も会津出身だよな?
しかも白虎隊の生き残り。
御堂筋を立案して、大大阪の興祖と称えられる逸材。 そういえば
明石焼が起源説がないのはおかしいかもなw >>1
福島産青ノリ出荷解禁したんだよな
大阪のタコ焼きに目を付けるとは、流石だな
大阪、頑張れよ… 明石市民 (`・ω・´)「お前らまとめてぶちのめすぞ」 こづゆ
乾物のホタテの貝柱を水で戻し出汁を取る。
出汁を取ったあとも貝柱は取り出さず、そのまま調理する。
一口大に刻んだサトイモ、ニンジン、2-3cmに切ったしらたき、シイタケ、キクラゲ、
ギンナン、インゲンなど(地域や家庭により、材料は若干変わる)を加えて煮込む。
最後に豆麩を入れて、日本酒、醤油で薄めの味に整える。こづゆ椀に盛り付けてから、
塩出しワラビをのせて供する。 さすが日本の韓国と言われる会津w
長州を未だに恨み
挙句に起源主張か。 >>94
むしろ、台湾人の発明なのに日本の手柄だとホルホルしてるチキンラーメンのパターン。 >>92
たこ焼きで使うのは、モロッコかモーリタニアだけどね。 なんばの地下で食ったけど、買ったばかりなのに冷たくてあんまうまくなかったなこの店 >>96
モロッコだったけど最近は捕れないらしい
日本産はドス黒い色しているので見分けやすいが
最近はメキシコから来ている >>72
会津小鉄(あいづのこてつ、本名:上坂 仙吉(こうさか せんきち)、1833年7月7日(天保4年5月20日) - 1885年(明治18年)3月19日)は、京都の侠客。浪曲化され 、京山幸枝若により大ヒットした。
1845年(弘化2年)頃 - 福知山に預けられる。この時期、剣術を学ぶ。
1849年(嘉永2年)頃 - 人を殺し無罪となったが堅気の生活を捨てる。
1851年(嘉永4年)頃 - 京都の会津藩中間部屋(長屋形式の武家屋敷)に入る。
1853年(嘉永6年)頃 - 縄張り争いを起こし喧嘩となる。
1856年(嘉永9年)頃 - 江戸会津藩中間部屋の世話となる。後、二条新地大文字町に一家を構えた。
1863年(文久2年)12月 - 会津藩兵が入京。会津藩中間部屋頭の片腕として迎える。
1864年(元治元年) - 池田屋事件、禁門の変に協力するが討幕派に狙われる。
1865年(慶応元年)9月 - 木屋町のお茶屋で会津藩の人間と談合中に襲われる。
1867年(慶応3年) - 浪人を殺し入牢するが会津藩が助命する。
1868年(慶応4年) - 鳥羽・伏見の戦いには子分500人を動員し軍夫としたが大坂へ敗走。放置されている会津藩の戦死者の遺体を葬る。この後、遺品を携え官軍のいる会津若松に潜入して目的を達する。
1883年(明治16年) - 賭博により逮捕、裁判で禁錮10月の刑を宣告され入獄。翌年、出獄。
1884年(明治17年) - 出獄すると7000人が白川村の自宅に祝いに訪れたとされる。
1885年(明治18年) - 下京区の病院で3月19日に歿す。21日に本葬、大阪北区消防頭取の小林佐兵衛をはじめ1万3000余人の会葬者が集まる。墓は洛東の金戒光明寺にある。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています