>>191
『殉愛』より抜粋↓

だが、実は私はたかじんとの面識はほとんどない。同じ大阪のテレビ業界にいながら、なぜか縁がなかった。
一九九八(平成十)年に一度だけ、「たかじんONE MAN」(毎日放送)という番組の構成スタッフに入ったことがあるが、ディレクターと意見が合わず、残念ながら1クール(13週)で番組から退いた。
収録スタジオにはほとんど顔を出さなかったから、たかじんとじっくり会話を交わすことはなかった。

「実はやしきは百田さんの大ファンで、最後に読んだ本は、百田さんの『海賊と呼ばれた男』でした。
やしきが本を読んで泣いたのを見たのは初めてでした(略)百田さんについて書かれたメモもあります。
いつか、それを見てやってください」

もしかして何か私を利用しようとしているのかもしれない。
この未亡人はやはり一部の週刊誌に書かれたように、ある種の男たらしかもしれない。
用心に越したことはない。

今回のメールは前以上に熱かった。私は嬉しく思う半面、少々戸惑った。
会場で本の数分話しただけなのに、ここまで積極的に近づいてこられる理由がわからない。

「百田さんについて書かれたものを見つけて、是非ともお目にかけたいと思い、メールいたしました」
たかじんが私について書いた文章は全部で二ページ。最初のページにはこう書かれていた。

・・百田に委員会で喋らせる。おもろい。
(中略)
たかじんがまったく親交のない私をここまで高く買ってくれているとは思ってもいなかったからだ。

私はその後も未亡人と何度か会い、多くの話を聞いた。おかしな言い方になるが、聞けば聞くほど、その劇的な物語に魅了された。(中略)
未亡人がたかじんとのことを私に話してくれたのは、亡き夫が尊敬し、会いたがっていた人物に、
自分たちのことを知ってもらいたい!という純粋な気持ちからだった。