【福岡】「畿内説と違って九州説は“おらが町の邪馬台国”的に百花繚乱」 豪族「筑紫の君」に焦点、「邪馬台国八女説」持論の高校教諭
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邪馬台国研究をライフワークとする福岡市早良区、県立博多青松高校教諭、宮島正人さん(61)が「『倭(わ)』の神々と邪馬台国 志賀島・宗像・八女」(海鳥社)を出版した。邪馬台国八女(八女市)説が持論の宮島さんは「歴史のダイナミズムが感じられる劇的なストーリー展開を意図した」と話す。
国語を教える宮島さんは、遺跡・遺物から研究する考古学的手法でなく、日本の神話や地域の伝説、民族文化などから研究を重ねている。本著では、古事記や日本書紀に登場する北九州を拠点とした海人氏族の一つ「阿曇(あづみ)族」と抗争したとみられる古代九州を代表する豪族「筑紫(つくし)の君」に焦点を当てた。さまざまな文献の解釈、地方の神社の祭事や伝承などの検証に基づき、この抗争が邪馬台国の成立に至ったとする「邪馬台国八女説」を説いている。
学会では邪馬台国は畿内説が有力とされるが、「畿内説と違って九州説は『おらが町の邪馬台国』的に百花繚乱(りょうらん)。そもそも3世紀半ばに近畿から九州に及ぶ統一国家が成立していたかどうかは原点に返る必要がある。所在地論争は二の次」と意に介さない。
今後は新書版のような書籍を出版したいという宮島さん。「ゆくゆくは八女市をはじめ九州各県が参加する邪馬台国フォーラムを開き、市町村の町おこしにつながれば」と、さらなる展望を描く。
税込み2376円。全国の主要書店またはインターネット通販で。【綿貫洋】
毎日新聞 2018年11月29日
https://mainichi.jp/articles/20181129/ddl/k40/040/405000c?inb=ra 中国の文献では聞いたまんまの発音に漢字を当てはめる
ちゃんとワコクとなっている
倭国と書いてヤマトと読むことはない ワ、ダイワがいつの時点でヤマトと
読み替えられたかが問題だな。
平安初期くらいに、和、大和を
ヤマトと読むんだと記紀に
注釈入れたそうだけど。 倭の邪馬台国
やまとのやまとこく
まぁこりゃおかしいよね 1000年後、ホッカイドウのキタヒロシマに古代やきう遺跡が見つかれば
伝説の球団ヒロシマカアプの本拠地はホッカイドウにあった、となる
畿内派が言ってるのはこれと似たようなもんや 記紀成立時には和、大和をヤマトとよむ意図は
なかったと思うよ。 倭人の連合国家を大倭国と書いて
ダイワと読んだんだろう
大倭、大和は最初はダイワだった
途中からヤマトと読むようになった >>899
>>640の引用資料なんかにある、海人の動向を見ればその辺は理解できるよ
玄界灘を本拠地とする海人が東へどんどん勢力を伸ばしていったのが弥生後期〜古墳前期頃の出来事
そしてその勢力拡張は畿内に留まっていない
九州海人の権力の証である有鉤銅釧は畿内をはるかに飛び越して関東沿岸にまで分布している(下図の黒丸)
http://www.city.ichihara.chiba.jp/maibun/sinsou/36/bunnpu.png
実はこの東方の有鉤銅釧出土地をよく見ると、ヤマトタケルの東征伝承の地と多く重なっている
草薙剣で火難を逃れた焼津、海上で波浪に遭って后が入水した横須賀、その后を思って過ごしたという木更津、
白い鹿を討ったという足柄峠など、これらがいずれも有鉤銅釧の出土地になっている
つまり九州海人にとって畿内征服は最終目標ではなく、そのさらに東の地域を征服するための通過点に過ぎなかったわけだ
東海以東をも視野に入れていた彼らにとって、本拠地が九州のままでは遠すぎて指令を出すのに不都合だったため
新たに手に入れた畿内に前線司令部を作ったのがヤマト政権の起こり
しかし東西に広い日本を広範囲に支配するには畿内のほうが地理的に好都合だったため、やがてそちらが中心となっていった
旧都の九州は白村江の敗戦で完全に衰退したのはそちらの指摘どおり 江戸時代とか、もっと前の時代の人も邪馬台国はどこにあったか論争していたのだろうか >>911
過去の事とはいえ偉大な大和朝廷の祖が下等な中国ごときに朝貢するはずがない
邪馬台国とやらは大和朝廷とは無関係
まじでこんな論調だったよ >>908
倭も和も大倭も大和も、、、全て「ヤマト」と読むべきもの。
「倭」は中国(魏)が勝手に当てた漢字で当時の中国人は「ワ」と発音してんいたんだろうけど。 ヒナモリとかオホキミとかはそのまんま漢字が当てられてたやん
ヤマトと読んでたなら夜魔途とか野真斗とか、それっぽい当て字になってるはずだわな >>913
なんで大和をヤマトと読むの?
普通は読めない
完全にあて字 隋書に“倭国王タリシヒコがいる都が邪靡堆”って書いてあるし
倭=邪靡堆ではないのは明らか >>507
数世代で完全に入れ替わる可能性のある言語と遺伝子はあんまり関係ないから
英語を話す黒人奴隷はアングロサクソンの血を引いている
と言ってるのと同じくらいアホな主張 邪馬台にしろ邪靡堆にしろ
やまと
じゃなくて
やまてぃ
やまてょ
みたいな感じだな 普通に海流使って中国から日本を目指すと北九州に着くんだし、
そこに中国と縁のある文明が出来るのは当然な気がする
中国属の国が出来るならそこじゃないかな?
中国から来るのは直通、行くのは朝鮮経由になるけどそれも朝鮮が近いわけだし >>909-910
こういう歴史のダイナミズムを感じられる説はワクワクするな >>915
分かんないヤツだな。
国名を日本国から大日本帝国を改めても日本は「日本」なんだよ。
イギリスが「グレートブリテン」「大英帝国」と名乗ろうが英国は英国なのと同じ。
古代日本は未だ文字を持っていなかった。
そして自分たちの国を「ヤマト」と言っていた。
そんな状況で古代中国が勝手に「倭」と命名した。
日本人は「倭」を「ヤマト」と読む事にした、、、
だが漢字が日本に入り「倭」があまり良い意味の漢字では無いので「和」に変え、ついでに大を
加え「大和」にした。
更に「日本」と国号を改めた。
因みに日本と書いても読みは「ヤマト」だw 昔のネ卜ウヨは中国由来すらも拒絶してたよな
日本人は日本固有!米も文字も日本が作った!的な
馬鹿丸出しだったな はてさて異な事を…
旧唐書には「倭国を日本が吸収した」とあるがね
ヤマトをヤマトが吸収した?
ハハハこりゃ愉快だわい ネトウヨ爺の珍説がさっそくまとめられてるなw
懲戒請求以降、ネトウヨを笑いものにするのが流行ってるようだ 九州説三大荒らし
安曇族、銅釧コピペ荒らし
・安本信者であり、東遷厨と呼ばれていたこともある
・同じコピペを繰り返す
・邪馬台国の会からのコピペもある
・複数IDで自演
俺は分類すれば理2タイプ荒らし
・捏造常習犯であり、嘘を平気で書く
・邪馬台国の会や九州王朝説のサイトをメインソースにしてる初心者
・隋書に阿蘇が出てくるから九州だ、精霊流しが書かれてるから九州だ、など非論理的主張が多い
・汚い言葉で罵ったり中傷が異常に多い
近畿パー荒らし
・コピペで100レスする
・根拠も示さず連呼するのみ
・会話をするつもりはないようなので、NGすればいい >>924
だから、、、それは>>899に繋がる話なんだよ。
九州のヤマトが畿内のヤマトに吸収合併だw >>912
それは国学者の本居宣長の主張な
新井白石なんかはもっと冷静に考察している
まあ、どちらにせよ学者さんが自著の中で見解述べる程度で
「論争」となるほどのことはなかった
本格的に論争となるほど、邪馬台国問題への関心が高まるのは明治も後半くらい
内藤湖南と白鳥庫吉あたりからじゃないかな 調べれば調べるほど畿内には物証がないんだよね
だから桃の種なんぞに頼らざるをえなくなる 本居宣長が邪馬台国は九州だと書いて、
新井白石が九州の女酋長が倭国になりすましたと書いてある。
どちらにせよ、倭人伝が九州のことを
書いてあるという意味では同じ。 むむむ
それでは邪馬台国が畿内だと言い始めたのは誰なんだろう 九州邪馬台国は3世紀に畿内の大和連合勢力に蹂躙されたと見るのが妥当じゃなイカ 磐井さん一族が本物の邪馬台国の中の人だったのかもしれんね >>924
>旧唐書には「倭国を日本が吸収した」とあるがね
それは「或いは〜」で並べられてる説のひとつにすぎないんだがね
他にも「或いは」で「倭国がみずからその名前が優雅でないのを嫌がって、改めて日本とつけた。」って話が先に紹介されてる
要は旧唐書編纂した奴は、日本と倭、ふたつの国名の関係についてよく理解できず混乱している
混乱したまま色々書いているから、現代の古代史マニアにはもってこいの妄想の種になって
珍説、奇説の題材としてまことに重宝されているというわけ >>921
中国が勝手にというか、多分国名を聞かれた時に「ワ」と答えたのだろう。
で、もともと「ヤマト」という国名(地名)もあって、後世で統合した。 >>934
ないね 朝廷の敵だからねw
吉野ヶ里周辺(三根、メタ、神埼、夜須、筑紫)が綿々と最大の関係を保っているのをみると
吉野ヶ里を含む、筑後川流域そして伊都、博多が邪馬台国の中心、核心で
それがヤマト朝廷になったのが真実の歴史だろう >>938
例えば邪馬台国が二つに分かれて争っていて、一方が離れて近畿地方で大和朝廷となり、
もう片方は残って磐井になったと考えるのはどうだろう。 南と東が似てる漢字だから
機内だろうと言う基地外がのさばってから
邪馬台国はそこいら中に誕生した。
学問に基地外が口出しすると
村おこし、我田引水で政治になって、
学問でなくなり、収拾つかなくなる典型だなw >>931
新井白石は「九州の女酋長が倭国になりすました」なんて書いてないはずだが、ソースは?
先に指摘したように、本居宣長なら、国学者の立場からそういう主張をしている
白石は最初は畿内説を主張している
なぜ後の著作で九州説に転向したかはよくわかってない 白村江大敗後に天智天皇が
太宰府から近江大津京に疎開する
天武天皇がクーデターを起こして乗っ取る。
大和朝廷発足。 >>939
こうなったからには
その説も十分に説得力があるよ。 >>941
あ、本居宣長と新井白石が逆だったかな。 天智の倭国を天武の日本が吸収したのかな
そうなれば中国側の記録と一致する… >>945
天智と天武は兄弟じゃなくて、あそこで朝廷が変わってるって説もあるしな。 九州倭国は白村江大敗で弱体化してたからね。
逆に言えば、そういう大敗でもないと
乗っ取るのは不可能だ。 >>937
我が国 われらの国 わしの国 わたくしの国 わらわの国 わーわーわー
よし、おまえら全員「ワ人」だな >>591
70年代のギャグ漫画にはペンチで歯を引っこ抜くシーンがよくあったんやで 他にも似たような例があれば面白いんだけどな
一人称がワ→ワの国
一人称がア→アの国
一人称がナ→ナの国
みたいに >>942,945
>>909の言うように畿内に作られた東部方面司令部のトップが天武で、白村江の敗戦で九州本国から天智が撤退してきたのを
権力奪取の好機と見てクーデターを起こした?
そういえば天武の即位前の名は大海人皇子だな >>951
どうやら海人が日本の古代史の謎を解くキーワードになりそうだな >>950
ちと違うけど、古代日本語の人称はワ、ソ、カだよね。
一人称は「ワ」(ワレ)
二人称は「ソ」(ソチ・ソナタ)
三人称は「カ」(カレ・カナタ) >>921
> 因みに日本と書いても読みは「ヤマト」だw
この部分だけはダウト。「ひのもと」ちゃうの? >>922
そんな事言ってる奴は極一部だろ
ウリナラファンタジーなんかと一緒にすんなよ 邪馬台国はただの1つの国にすぎない。
ハンチング禿 >>958
「ひのもと」とか「じっぽん」とか「にっぽん」とか
どこかで読み方が増えたんだろう
ただ、大日本とかいてオオヤマトと読むのは結構昔からの話だそうだ >>960
結構おったよ
渡来人とは、日本から大陸半島に行って文字と米を広めてからまた日本に戻ってきた人、とかいってたやつ >>958
日本武尊(ヤマトタケル)って読み方があるからなあ >>963
ううむ、検索してみたがよくわからんな。
wikipeiaは「大日本という表記は「オオヤマト」としては古来から用いられており、
明治時代に国名として初めて使用されたという訳ではない。」と書いているが、
肝心の出典がないし。
>>965
なるほど。確かに日本書紀では「日本武尊」表記だ。 天皇は天武が始めて名乗った
その前は作り話
インチキ教えたのが長州チョン
朝鮮人と同じ >>919
朝鮮半島の西側は海流が逆流してるはずやから、
それを使って九州北部から中国まで直接行けるはずやと思うけどな。
遠回りやし、海流も弱いやろから、倍以上の日数はかかるやろけど。 『日本書紀』では『魏志倭人伝』を
奈良の神功皇后記で引用してるから
『日本書紀』の作者は奈良が邪馬台国なのは当たり前だと思ってた。 日本を名乗ったのは天武
天皇を名乗ったのは天武
記紀をまとめたのは天武
混乱はすべてこいつ一人のせいでは… 大倭と書いてヤマト
大和と書いてヤマト
日本と書いてヤマト
大日本と書いてオオヤマト
?
じゃあ倭と書いてヤマトだし和と書いてヤマトと読まないと
大日本と書いてオオヤマトと読むことの整合性が取れない >>963
アナタの仰る通りです。
日本建命、倭建尊、、、何れも「ヤマトタケルノミコト」と読むジョーシキ >>973
倭建命でヤマトタケルと読むのは古事記の時代の話で
もっと前の時代でも倭をヤマトと呼んでたのかは分からないんじゃないかな? >>970
なんか神功皇后が奈良にいた印象がないw
旦那の仲哀が九州から呼び寄せた時は敦賀にいたし、
畿内に凱旋した後は息子の応神と一緒に河内に住んでたんじゃ
なかろうか。
>>973
たぶん、倭建尊(ヤマトタケル)が元々の表記で、
国号を「日本」に変えたから漢字表記のみを替えたという話かと。 天武天皇の子孫(真人)は朝廷内で馬鹿にされて
皇族はみんな朝臣(モモソ姫の子孫)と呼ばれたがったという記録が残ってるから
モモソ姫(卑弥呼)の家系が本物で
天武天皇はクーデターってみんな知ってたんだろうな
天武天皇が初めて名乗った「天皇」は廃れて
1000年間くらい使われてなかったしね 記紀の成立は奈良が大和国(やまとのくに)になったのとほぼ同時期だし
あんましあてにならんかも 自称秦氏は邪馬台国渡来系で
邪馬台国滅んでも生き残ってた
稲荷神社は渡来秦系 キツネ神らしい 卑弥呼は伊都国に居た
北部九州全域が邪馬台国で全て解決。
畿内説は南と東を間違えたとか幼稚過ぎる説だから問題外だな。 スサノオが「すがすがしい」と言ったから須賀。
神功皇后が「わびしい」と言ったから旅石。
文句あんのかコラw >>926
うまいことまとめたな
というか、こいつらがいなければ邪馬台国スレはあっという間にdat落ちするけどw 一晩でスレがのびててびびったw
熊本北部(八女からは近い)にトンカラリンっていう謎の遺跡がある
松本清張はトンカラリンは邪馬台国に関係あると推理してたみたいだけど
近くの古墳で頭蓋骨を縦長変形させたシャーマンの遺体も見つかってる >>986
>>987
畿内説は南と東を間違えたとか幼稚過ぎる説だから問題外 もともとは火の下でヒモトだったんだよ
でも古代中国人には(h)が抜けてイムトみたいに聞こえちゃったんだ
邪馬台、大和、日本、全部イムト=ヒモトの国
で、火の国ってのが日本にはあるわけで
つまりそこがヒモトの国なのよ 九州説だったら熊襲討伐の話とかおかしくならないか? とりあえず最近の研究動向は
・畿内は吉備や尾張との交流が盛んだった形跡。少なくとも瀬戸内と畿内の関係は良好で、これに九州が加わった可能性あり
・最初の頃は北部九州が鏡の配布元だったが、漢末期や魏の頃は畿内が中心に遷移
・高地性集落は西から徐々に衰退している
・土器の分布から北部九州は畿内瀬戸内勢力に飲み込まれたと言われていたが、技術等の衰退がみられず最近は異説が多い
あたりだと思ったが、どうなのかね >>989
トンカラリンに似た信仰が古代朝鮮半島にあったという話もある
渡来系の産道信仰の一つかもね >>992
卑弥呼死後、近畿勢がどこぞから少女を連れて来て
うちのトップは卑弥呼の血筋よと触れて回る
北部九州勢が雪崩を打って近畿連合に参加する
狗奴國が残って抵抗し続ける→近畿勢が征伐 >>295
熊本はもともと隈本
菊池はもともとの呼び名は隈府
昔からこの地域の中心地ですばい レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。