>>810

そう、アメリカでラジオは軍事と直結したイメージがないから、国籍を問われにくかった。
アジアは、まだ、工業化していなかったから、ライバルが少なかった。
アメリカは、日本をアジアでの共産主義への対抗拠点とすべく、各種軍需物資の生産を任せ、
日本の再工業化を進めていた。

で、売れれば売れるほど、「負けた癖に、まだ、目上のつもり」と反感も多かった。
でも、ほとんどの輸出先は、まだ、軍事独裁政権であり、政府の一存で止められるがために、
ODAや幹部接待で、何とか輸出の承認を繋ぎとめるように腐心していた。