伊都国の代々の王が従属した国なんて倭奴国しかないよな
この国の最盛期の甕棺墓は大乱後に箱式石棺墓に変わってる
箱式石棺墓はもともと遠賀川流域に分布してたもので、大乱時に流入を許したんだろうね
奴国はやはり弱まってたんだろう
だから余計に、奴国の姫こそ倭奴国王の子孫としてもつ正統性によって王として「共立」されるに相応しい存在だと思う
卑弥呼には大乱後に共立された王としての新しさと、紀元前後からある伊都国との関係で表される古さが両立してないといけない
畿内でそれを想定するのは難しいのだけど、九州の王権が大乱後に遷都してたなら可能性はあるかもね