串山一郎さんは、国立病院機構が運営する広島県の精神科病院で、4ヵ月半にわたって隔離と多剤大量投薬を受け、退院した月に突然死した。38歳だった。一郎さんの命の尊さをお伝えするため本名でご登場いただき、顔写真も公開する。

一郎さんは重い自閉症を患い、知的障害もある重複障害者だった。一郎さんが亡くなった後、両親は「重複障害者が直面する非人道的な扱いを多くの人に知って欲しい」と、病院を相手に2件の民事訴訟を起こし、うち1件は現在も続いている。

筆者もまた、一郎さんと両親の無念、そして社会問題化している「日本の精神医療の闇」を多くの人に伝えるべく、取材の成果を『なぜ、日本の精神医療は暴走するのか』にまとめ、このたび上梓した。

一郎さんは、家族にとっても友人、知人にとっても無くてはならない存在だった。一郎さんとの出会いをきっかけに人生の進路を決め、現在は教育や福祉の第一線で活躍する人たちもいる。一郎さんがいたからこそ、彼らの今がある。

(略)

変わり始めた「穏やかな日々」

順調に見えた将来設計は、2010年、陽三さんの体調急変で狂い始めた。父と子は毎朝、家の周囲を1時間半ほどかけて散歩するのが長らくの日課になっていた。それができなくなった。

美奈子さんは甲状腺の病気を患って疲れやすかった。それでも陽三さんの看病と一郎さんの世話に全力を傾けた。心身の疲労は積み上がるばかりで、顔面神経麻痺と動眼神経麻痺を立て続けに発症し、右の瞼が下垂したままになった。

眼科医は「このままでは症状がさらに悪化して、目が開かなくなるかもしれない。ご主人と息子さんの両方を一身に抱え込んでいたら、あなたの体が先に駄目になりますよ」と忠告した。

自閉症の人は決まったペースが乱れるのを極端に嫌う。散歩が途絶えた一郎さんはイライラを募らせ、早朝に「はよせえや」などと大声を上げたり、服を脱いで裸になったりした。ちょうどこの頃、一郎さんが可愛がっていた飼い猫がいなくなり、ますます落ち着かなくなった。

2012年、美奈子さんは一郎さんを一時入所させてくれる施設を探し始めた。苦渋の決断だった。

(略)

ところがこの病院は、入院初日(2013年10月16日)から退院日(2014年3月3日)まで、一郎さんをずっと個室隔離して多剤投薬を続けていた。その事実は、一郎さんが3月24日に突然死し、美奈子さんが病院のカルテや看護記録を入手して初めてわかったことだった。

「まさかずっと隔離して薬漬けにしているなんて。隔離して状態を悪化させるくらいなら、私がどうなろうと家で見続けます。薬物調整中はずっと隔離すると言うのなら、前の精神科病院の時のように拒否して連れ帰るつもりでしたし、病院にもそのように伝えていました。なぜ嘘をついてまで受け入れたのか全くわかりません。A指導員や病院を信じてしまった私がバカでした。悔やんでも悔やみ切れない」

一郎さんがやせ細っていく様子に不信感を募らせた美奈子さんは「もう連れて帰ります」と訴えたこともあったが、病院に拒まれた。

「強制入院ではない。病院が何と言おうと連れ帰っていれば……」

息子を守れなかった自分を美奈子さんは責め続けている。

(全文はソース)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58808?page=2
https://gendai.ismedia.jp/mwimgs/5/e/320m/img_5e4e566165c45ef69d1b05d62fede5bb137756.jpg
現代ビジネス