【現場から、】平成の記憶、伝説のキャバレー58年の歴史に幕
12/28(金) 14:22配信 TBS
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20181228-00000044-jnn-soci

 「現場から、平成の記憶」です。28日は、この年末に58年の歴史に幕を下ろす「伝説のキャバレー」です。この店はなぜ、多くの人に愛され、記憶されてきたのでしょうか?

 平成は、日本中がバブル景気に沸く中で始まりました。今、その平成の終わりに、“伝説”と呼ばれた夜の店が幕を閉じようとしています。

 東京・赤羽にあるキャバレー「ハリウッド」。1号店の誕生は1960年。最大50店舗を構え、“キャバレーの代名詞”とまで名をはせたハリウッドのここは、最後の店です。

 オーナーは、政治家や映画俳優など多くの著名人との交流でも知られた福富太郎さん。長者番付のトップにも登りつめ、“キャバレー太郎”の異名をとりました。モットーは、金持ちじゃなくても楽しめる「健全な大衆キャバレー」。1964年、東京オリンピックの年には、銀座に、広さ1000坪、800人ものホステスを抱える店をオープンさせました。

 「(オープン当初は)非常に警察がうるさくて、ちょっとお色気的なことをやって、立ち入り検査に年中来て、新聞が読めない(明るさの)店はダメ。読めなかったら営業停止と言われた」(「ハリウッド」オーナー 福富太郎さん)

 しかし、やがてバブルは崩壊。日本の経済は長い低迷期に入ります。

 「私らが悪いんであって、社員は悪くありませんから!」(山一証券 野澤正平社長)

 ハリウッドも、店の数は減っていきました。それでも、福富さんは、1億円をかけて店を“大正ロマン”風に改装し、ホステスも和服姿に。あえて、時代に逆行する手法で、強気の経営を貫きました。

 「こんな不況でキャバレーをオープンするなんてのはバカ。つぶれれば面白いなと思われている。もし繁盛したら愉快」(オーナー 福富太郎さん)

 その福富さんも今年5月、86歳でこの世を去りました。それに伴い、最後まで残ったこの店も30日まで。ついに58年の歴史が幕を閉じます。

 今も残るホステスたちは、この店だからやってこられたと話します。
 「(働いたきっかけは)親が病気になって、生活がちょっと苦しくなったので。とても働きやすい職場で、店のスタッフもすごく親切にいろいろ教えてくれた」(8年以上在籍するホステス)

 ハリウッドはキャバレーの中に託児所があります。子持ちのホステスでも、安心して長く働けるようにと作られたものでした。
 「(娘が)4歳の時、託児所に預けていた。(勤務中も)心配しなかった。ありがたいですね」(在籍10年 ロシア人ホステス)

 店は、閉店が決まった時から、連日満員です。何十年も通ってきた常連客。ハリウッドで、酒の飲み方以上のものを教えてもらったと話します。
 「(Q.何を学んだ?)人生勉強だね。お客さんもそうだし、ホステスさんもそうだし。いろんな世界の方がいろんな苦労している方がいるから、平成と一緒にハリウッドも終わる。やっぱりさみしいよね」(40年以上通う常連客)

 また一つ消えていく夜の街の輝き。けれど、伝説のキャバレーは、時代の記憶の中に残り続けます。(28日10:22)