【訃報】兼高かおるさん死去、90歳 「世界の旅」海外紀行番組の先駆け★2
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兼高かおるさん死去 「世界の旅」海外紀行番組の先駆け
テレビの海外紀行番組の先がけとなった「兼高かおる世界の旅」(TBS系)で知られた旅行ジャーナリスト、兼高かおる(かねたか・かおる、本名・兼高ローズ=かねたか・ろーず)さんが5日午後8時45分、心不全のため、東京都内で死去した。90歳。葬儀・告別式は近親者で行った。後日、お別れの会を行う。
神戸市生まれ、東京の香蘭女学校を卒業後、米ロサンゼルス市立大に留学。
昭和34年12月にスタートした同番組は、プロデューサー、ディレクター、ナレーターを担当。
平成2年9月に終了するまで、31年間で約150カ国を訪れた。
その間、地球を180周した計算となり、個人名を冠した番組としては世界でも類を見ない長寿を記録、日本の放送史に残る金字塔を打ち立てた。
まだ海外旅行が一般には自由化されていない時代(放送当初)に、世界各地の魅力を伝え、その後の海外旅行ブームの火付け役となった。
番組で会った著名人は、米ケネディ大統領(当時)や英チャールズ皇太子、スペインの画家ダリ、スウェーデンのテニス選手ボルグなど、そうそうたる顔ぶれ。
番組での上品で、丁寧な日本語のナレーションも有名で、最近のバラエティー番組の内容などに苦言を呈したこともあった。
戦後の日本女性の国際進出の草分け的存在でもあり、番組終了後は、さまざまな分野の活動にも関わった。
昭和60年には「兼高かおる旅の資料館」(兵庫県淡路市)の名誉館長に就任。
61年から平成18年まで「横浜人形の家」(横浜市)の館長も務めた。著書も「私の好きな世界の街」など多数。
産経新聞 2019.1.9 15:38
https://www.sankei.com/life/news/190109/lif1901090026-n1.html
前スレ 【訃報】兼高かおるさん死去 旅行ジャーナリスト、90歳
http://asahi.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1547015971/
★1が立った日時 2019/01/09(水) 15:39:31.03 確かにインド人の血が入ってる顔してるわこの人、顔も少しクロっぽそうだし 服部直史、森伸介獣医は周囲に名誉棄損で訴えていると嘘を言うが実際は訴えていな。訴えていれば書き込みが削除され書き込めないように規制されるはずだ!名誉棄損で訴えておらず泣き寝入りだ!
オウムU教祖の服部直史の人相の悪すぎる顔はまるでゴ ルゴ13のようで、歯医者なのにメガネな しの、風でなびく芸能人のようなフサフサなヘアースタイルは森伸介も共通!
苦 情電話に受け身でこらえ続け意味不明な 返事はもう犯罪者にしか映らない!お前 らいつまでもこんな風に書き込まれ続けていいの?6年やろ?藤井は?4年の服 部も?1年の森も?
大勢の主婦たちの歯にチップ(思考盗聴器)=(外国の最先端スパイ工作システムについてを参照)を埋め込みプライベートを盗聴する変態歯医者服部直史は服部直人と偽名を使う詐欺師!
藤井恒次は大阪駅置石や列車に飛び込ませて3人殺しや岐阜中2女児、敷島町・尻毛町独居老女殺人事件やった。森伸介は札幌大 火災、自立支援施設放火やった。服部直史は吉川友梨ちゃん殺人事件や十三庄内門 真 放火やった!
毒入 り 女 姉 藤井美千子 アジ化ナトリウム常習者刑務所2回経験あり 保 険 金殺人常 習 者
岐阜サイドは現在大敗中で垂井の親戚の家は燃やされ親戚の女子高生も切り付けられた!
藤井恒次は4年間 岐阜拘置支所にいて、森伸介は替え玉が働き、指名手配逃亡中 である!
和 製 版ビリーミリガン 森 伸 介は舞 妓 姿 のロープで 縛 ら れた フルヌードを 掲載してやった、 天 誅! 人形 抱っこの 腹 話 術 の148cm で 奴 隷のようにいいなりになる 性 格 の藤井恒次 はオネショする こわもて メイクwww
池田市 近辺で女児性的いたずら(チンぽくわえさせやパンツに手を 突っ込み性器や尻を触る)常習者の 服部直史 三 人衆だが警察らに 賄賂や脅しでもみ消してきた!
服部直史は診察室でスカトロプレイのあとウンチ付いた手で患者の口を触るのでウンコ臭 が 漂っていた り、麻酔針でエイズの菌を塗った針を注射してくるので患者が 訴 訟 中!
東 京 都 30代 女性 酪農大時代の後輩 匿名希望
服部直史偽歯科医も精子入りの水鉄砲で主婦や女児にかけてくる、歯科用の椅子で監禁したりするwww
いつまでも 闇サイトで犯罪教唆依頼の母房子、姉美千子、親族、服部直史三人衆は 放火テロ、暴走車、新幹線飛び込みの実行犯のみが捕まり教唆犯は逮捕されない!宅間守もけしかけた!
藤井恒次はまるでドラえもんのような近未来機器を持ち,
その外国の輸入品の通販のカタログにはドローンやタケコプターも載っていた!
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ノ ノ ,' |服部直史| !最終学歴:服部直史は大阪歯科短期大卒
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`ー-ゝ-‐` `ー- スマートでお上品でした。
いまのバカタレントや番組を観ていられんよ >>493
若い頃の顔見ると目鼻立ちがクッキリして濃い顔してる
父親はミスター・ビーンみたいな顔してたんだと想像がつく みやげものか何かが高いので、どうしてですかって聞いたら
これはハンドメイドだから高いって説明されたっていう回があって
当時の日本では違和感があったのだが、10年ぐらいしたら実感として
分かるようになった
このエピソードだけ覚えている >>11
これ5,6名乗船済みだろ。
黒柳徹子(85)、大山のぶ代(85)、高木ブー(85)、藤子不二雄A(84)
あたりも日本人なら誰でも知ってる有名人。 芥川氏との掛け合いとか、PAN AMの映像とかが
子供心にも別世界のお洒落感のある番組だったわ。 番組内容は当時こども過ぎて憶えてないけど、
パンナムの飛行機が離陸する映像だけは今も脳裏に焼き付いているな。
海の向こうにある世界、海外に憧れた人も多かったかも。 なるほどザワールドにお株を奪われたところはあるな。 >>348
残念ながらもう痴呆が酷くてはロクに話が出来ないのだよ。 >>481追記
【若い頃】と言うのは、【兼高かおる世界の旅】の放送が始まった1959(昭和34)年=兼高かおる31歳(1928=昭和3年生まれ)当事よりも更に10年程前の20代前半の頃。
日本が戦後間もない貧しい時代で、このレベルは凄い。
改めて言うまでもなく、写真機の性能も、化粧品の質&メイクアップの技術も現在より明らかに劣る。
これらが現在の水準であれば、更にレベルは上がる。
逆に、現在の人間が当時に戻れば、確実に現在より劣る。
当時の貨幣価値と現在の貨幣価値を比較換算するかの様に、私は、その他諸々の条件を補正、考慮した上で述べている。
【当時=丸腰の素手】
【現在=武器装備】
当時と現在の違いを比較する場合、このぐらいのハンディキャップを強いられていることを考慮する必要がある。
世界中のセレブ、時の権力者、大富豪、飛ぶ鳥を落とす勢いの芸能人、世界的権威の学者…etc.
兼高かおるさんは、世界中の我と思わん、様々なジャンルのそうそうたる男性に口説かれていたのではないかと想像する。
それが世界旅行のモチベーションだったりしてね…。
アハハ… 兼高かおる世界の旅、世界の料理ショー、知られざる世界、日テレ22時台米国ドラマは日曜日の鉄板でした
合掌(‐人‐) TBSが旅番組をガチでやるのは、この人からの流れだろうか。
日曜日は、家族で兼高さんを観てからデパートに買い物に行って居ました。
合掌 思えばこの人の番組がキッカケで外国に行ってみたいと思ったものでした
御冥福をお祈りします この番組は日曜日だったけど、何故かこの番組とセットで思い出すのは「日曜日はダメよ」の曲。日曜日の他の番組でテーマ曲とかで使われてたのかなぁ? あと日曜朝はテレ朝系で「ワールドナウ」って番組もあったな 「世界の旅」どっかで再放送しないかな
50年位前の世界の各地見てみたいよ >>270
ミスター「洋服着るの初めてか?」
定岡正二「え、はい」
ミスター「嬉しいか?」
定岡正二「…」 この番組はアジアはほとんど取り上げてなかった記憶
協力がパンナムだったせいだろうか 日曜朝の九時か九時半からはフジで社会派ドキュメンタリーやってたな
企業連続爆破事件の被害者で片手片足失った人のドキュメンタリーは
子供にはめちゃめちゃしんどかった 昔、TVで「若い人が海外に行かないのはおかしい」って発言をしてた
日本は狭い国だから、日本しか知らないのはダメだって
金がないから海外には行けないんでしょうが
TV局が費用を負担してくれて、ほいほい海外に行ってた人間が何を言うか
って頭にきた >>543
各港に愛人が居たのは有名な話
でもなぜか下品さは感じられない高貴な女性だったイメージ >>543
昭和三年生まれか
向田邦子、田辺聖子と同年か
向田邦子も生涯シングルで、驚異的に忙しい脚本家生活の合間に世界各地旅してエッセイに残していた
台湾旅行の飛行機墜落で早世してしまったのが残念
田辺聖子もシングル長かったが親友が亡くなりその旦那さんと連れ添うことになり
これはこれで充実した生き方 芸能人が外国に行ってなにかやる番組は、当地の人間に不快な思いをさせてそうなのが多くて基本的に嫌いだが、この人は自然かつ上品にふるまえるので安心して見ていられた。 全然知らない人なんだけど、何か名前聞いた事あるような…って思ったら
子供の頃読んだちびまるこちゃんに、この方の名前が出て来たんだった。
思い出してスッキリした。 >>560
向田邦子さんとか、昔の人だけど、今の人間より断然すごい
今の人間はインターネットだのマニュアルだの見て上手にやってるけど、
向田さんは自分で切り開いていったわけだし
兼高さんは最近まで知らなかった
お上品すぎて自分には関係ないと思いそう
海外に目を向けることばかりしすぎて日本人は自国の文化に興味が薄くなった 「世界各国行った経験をもつ兼高さんですが月にはまだ行ってないでしょう?」と前澤社長が招待したら1ミリくらい好きになってたのに。 40代半ばの俺でさえ名前は知ってるけど顔は見たことない。性別もわからん。
番組見てない人はこんな認識 さすがにリアルタイムでは知らない世代だけどCSで再放送してるのを見て番組に嵌った
ムスリムや黒人移民が溢れかえる以前の西欧諸国、当時は誰でもは渡航できなかった東側共産圏諸国
革命以前のイラン、クメールルージュ台頭以前のカンボジアなどなど
今や貴重な歴史的資料になりそうな映像が豊富で見ごたえが有った あてくし
おほほほほほ
の元祖が兼高かおると言っても良い >>527
今どき本物の上流階級がテレビなんか出て得することなどないしな >>571
長年ラノベとかで謎だったんだ、そうだったのか 日本の一番いい時期の黎明期番組だよな
もう若者の活気に満ちてイケイケの手前の頃だよな ヴァージン・ギャラクティックがもっと頑張っていれば、
「兼高かおる宇宙の旅」が実現できたのに 日曜の午前中の雰囲気がちょっと変わる番組だったな
いい感じの雰囲気になるんだけど、それが不思議だな
それが人気の理由だったのかね 幼稚園とか小学生の低学年頃だからもう40年近く前か、3年前に亡くなった祖母と毎週日曜日の朝2人並んで楽しんでたなあ・・・
本当に好きな番組だったし祖母とのとても幸せな思い出・・・
そういうのもあるからなんだかとても今胸が苦しいや 若い頃は絶世の美女だった。
加賀まりこやデヴィ夫人が束になってかかっても足元にも及ばないレベルの美貌。何より品があった 上品な喋り方だったな
あの喋り方は銀座のママくらいしか残ってないな 俺の頭の中では、料理記者歴40年の岸朝子さんと同じ箱に入ってる 〜です(ます)のよ
〜です(ます)わね
よろしゅうございます
みたいな典雅な言葉遣いが嫌味なく板についてたよな
三島由紀夫の作品に出てくるヒロインの台詞みたい
昔の東京山の手の上流階級の女性言葉
今、そういう言葉遣い出来る人少なくなってしまったけど、美輪明宏さんくらいかな 芥川さんが基本引き出し役に徹しながらも
ときにいじり気味の突っ込みにいくとこがいいんだよな
まぁよく覚えてないけどなw やや肌が浅黒くって旅先での日焼けだと子供ながらの解釈をしてた。母親は兼高さんとは同年代であるけど「合いの子でしょ?」とは言っていたっけ。お綺麗であった事は誰もが否定できない程でしたよね。 あの頃の日曜日の朝の長閑さって今とは別物。土曜日は半ドンだったし。違う次元のように感じます。良い時代でした。昼は玉置宏の歌謡曲の番組も好きでした。ロッテ歌のアルバム。 この番組見て深夜特急読んでバックパッカーとか王道かな >>458
それと,NHKの現代の映像もよくみたな。 >>589
沢木耕太郎かな、深夜特急便
'70年代の一人旅日記 いや、川口浩探検隊も本当のところは危険じゃないだろw >>594
国内の巨大倉庫とかでロケしてたんだが・・・ 上品というけど
お高くとまった感じはゼロで気さく
現地の人とすぐに仲良くなってる >>587
俺は朝起きてミユキ野球教室やら世界の旅をダラダラ見て昼はテレビジョッキーの奇人変人が楽しみだった
その後は夕方までゴルフとか洋画しかやってなくてなんか気だるい午後だったね
でも優しく退屈な時間が懐かしい もう失われた風俗や街並みの貴重な映像も多いと思う
今じゃシルクロードの羊飼いがスマホで家畜の相場を調べる時代 >>584
オノヨーコ
そもそもイイトコの娘だし
昭和中期から渡英しているから結果彼女の日本語としては
あの時代のまま残ってる
スネ夫ママ語と言うか、トンガリのママ語とでも言うか そういやデビ夫人も同じ系統の日本語を話すな
山の手奥様語
まぁ天然系ではなく養殖系だけど まさかダリと会ってたとは
俺が見てた頃はヨーロッパの田舎町で一般の人と
家庭料理食べたりしてる時だけだったのに >>56
よくわからんリストw
日本金満時代の巨泉の世界まるごとハウマッチで
海外の通貨を覚えたわ >>388
日曜日の夜は欽ちゃんの歌番組を見てたような
ダン池田のティンパニーで始まる番組
芸能人とその家族か出てきて家族対抗で歌合戦をする
今では考えられない大らかさ
細川たかしの親が音痴で笑えた >>557
ザ・ドキュメント タイム&タイドなら8時半じゃない?
床屋さん行くと必ず見てた記憶が。 どうせなら激戦のサイゴンとかベイルートとか行って欲しかったなあ >>5
そうだな
人間いずれ死ぬからな
お前が死んでもどうでもいい >>609
フランスベッドとオロナイン軟膏だな(笑) 裏でザボーガーとかスタ誕やってたんだね
あまり見た記憶ないけど、兼高かおるさんは上品できれいな人だなぁ・・・
という記憶はあった 合掌 日本人が気軽に海外旅行へ行くようになったのは
平成から? bru-ray販売してほしいな。モノクロ30分番組だからそんな枚数にならないだろ。 >>613
昭和50年代の半ばぐらいから
50年代前半はまだ海外旅行高かったと思う
格安航空券が普及したのは60年代ぐらいかな?
地球の歩き方も50年代の後半ぐらいかな? 悪名高き農協ツアー等で国際マナーを知らない
人がヨーロッパに押し寄せて顰蹙買ったのが70年代後半
それを皮肉った「農協月へ行く」の出版が79年
地球の歩き方も79年
東南アジア売春ツアーもその頃からかな? >>617
今は、忠国人が農協ツアーや病気バラマキ旅行をしていますね。 >>587
ワシは日曜日はNET(今のテレ朝)のお笑い編成、
大正テレビ寄席→がっちり買いまショウ→日曜演芸会→ダイビングクイズを見ていた。 ああ、がっくりだ
この人の喋る日本語こそ見習うべきだと
平成も終わり近くになって常々思う
あとパンナム 地球の歩き方が40年目なのか。
戦争が終わってからずいぶんと長い間、
海外旅行は一般化してなかったんだね。 >>620
終戦後〜60年代の邦画での女の人の話し方が
今と全然違う
今は随分崩れてきてるんだな
そういうもんなのかな >>620
チコちゃんだのアッコだの
口汚いのがはばかってんのおかしいよね ニュースも80年代まで夕方30分夜10分ぐらいの時代 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています