戊辰戦争のとき、新政府軍と一緒に天狗党の残党が水戸に帰ってきて
佐幕派の大粛清を始め、佐幕派の藩士の家族まで一族を皆殺しにした
元天狗党の連中に対して薩長の軍監たちは、「15歳以下の者は死罪は免ずるもの」といって
乳幼児の処刑に反対したが、連中は聞く耳を持たず『逆さ磔』の極刑にして処刑してしまった
この残虐行為のため水戸出身者は新政府からパージされ、水戸藩の家老だったある男などは
温泉で背中を洗う三助にまで身を落として死んだ

水戸はダメ