【北海道知事選】徳川19代 家広氏が浮上 自民が擁立目指す動き、本人も強い関心 ★3
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※夜の政治
■自民関係者が「白羽の矢」
北海道知事選(3月21日告示、4月7日投開票)をめぐり、自民党道連や道内経済界などに、政治・経済評論家で、徳川宗家19代目の徳川家広氏(53)の擁立を目指す動きがあることが、11日までに分かった。自民党道連の関係者が白羽の矢を立て、1週間前から東京を中心に、擁立に向けた調整作業が進められている。
徳川氏本人は意思を明らかにしていないが、政治・経済に常に関心が深く、次期都知事選の候補にも名前が挙がる人物と目されていた。旧民進系の関係者ともパイプがある。
徳川氏は1965年、東京都生まれ。小学1年から3年までは米国で過ごした。慶応義塾大学経済学部卒、米ミシガン大学大学院で経済学修士号を取得。現在は政治・経済評論家、翻訳家として活動している。
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■本人も強い関心
複数の関係者によると、徳川氏は首都圏での大地震などに備え、グローバルな視点で、北海道に首都の補完機能を持たせることを主張。仮に出馬する場合は与野党ではなく、「道民党」として出馬するとの見方が強まっている。
知事選の候補を巡っては自民は道連の吉川貴盛会長らが鈴木直道夕張市長(37)を軸に調整を進めている。和泉晶裕国土交通省北海道局長(57)を推す声もあり、調整が難航している。
野党側は立憲民主党の逢坂誠二衆院議員(59)が10日に不出馬を表明、同党の鉢呂吉雄参院議員(70)に出馬要請する方針だが、本人は出馬を否定している。
前回出馬したフリーキャスターの佐藤のりゆき氏(69)の擁立を目指す動きもあるが流動的。与野党とも候補を確定しきれていない。
1/11(金) 16:00
十勝毎日新聞 電子版
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190111-00010001-kachimai-hok
https://lpt.c.yimg.jp/amd/20190111-00010001-kachimai-000-view.jpg
★1が立った時間:2019/01/11(金) 20:04:35.12
前スレ
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1547219173/ >>106
家臣団作って、自力でやらなあかんだろ
三河は今はトヨタ幕府を開いているいるから、加勢は無理だぞ
三河最強伝説
■源義家軍
総大将:源義家
本体:三河武士(郎党1 兵藤正経 三河国住人、郎党2 伴助兼 三河伴氏 三河国住人)
■源頼朝軍
総大将:源範頼(三河守)
本体:三河武士
■足利尊氏軍
総大将:足利尊氏(三河守護(但し当時は喪中))
本体:三河武士
■徳川家康軍
総大将:徳川家康(三河守)
本体:三河武士
■トヨタグループ
総大将:トヨタ自動車
本体:三河武士 >>105
北海道自民が欲しいのは、お飾り
夕張市長ではお飾りになる気ゼロだから面白くない 徳川宗家って慶喜系?
将軍家って当時の庶民より乳幼児死亡率高いんだっけ
スペランカーかよ 北海道知事なんて罰ゲームでしょ
なにをやっても全てに於いて悪化するばかりで、
数百年後には人口が0になってもおかしくない極寒の島だぜ?
やめとけやめとけ 経歴に泥を塗るだけだっての >>110
いやお飾りにしかなりようない
てか、自民道議が反発してるのに言うこと聞かなかったら何も進まないし
てか鈴木がなったらJRの整理縮小が進みそう
まさか掌返して維持しろとは言わないだろ 佐藤のりゆき すんごい票とってるが野党の支援ででたのか。
徳川と佐藤のりゆきがでたら、そっこうできまっちまうだろうな。
武将の末裔みたいの、きもちわるい。北海道にくんな。 ドーミンはTPP詐欺で散々自民に騙されても絶対に自民に入れる劣等民族だからな
当選するよきっと
ドーミンの白痴っぷりなめんなよ! >>117
赤い大地って呼ばれてるのにか?
北海道は自民党の得票率低いだろ >>117
山岡賢次の息子を当選させたもんな
山岡は金→金子→藤野→山岡
と姓名ロンダリング
山岡荘八の養子になって藤野を名乗った
山岡荘八はペンネーム
法務局で普通は認めないが山岡に改姓、かなり有力者の圧力があったと予想された
小沢一郎の右腕として活躍
息子を北海道で立てた
息子は祖父山岡荘八なんて血も繋がって無いのにペラペラ
やっぱり騙されやすい道産子 皇室の権威体制が揺れ気味なので、徳川宗家がでてくると
ちょっとだけ群雄割拠。
覚えておけよ
国は封建社会だろうと民主主義社会だろうと
権威が支配する、かつそれが一番大切。
権力とは違う。
女系みたいな権威から外れた事態になると
他勢力が権威を持って潰しに来るぞ 知事なんて誰やっても同じ。
もう星澤幸子でいいよ。 とうとう150年目にして蝦夷共和国独立か
旧幕兵の犠牲も無駄じゃなかった 北海道と沖縄はガバナビリティ低い所を運動家に利用される土地柄だし
反権力に対抗するにはうってつけの名前でもある 徳川が反日
どれだけ多くの民百姓が苦しめられたか忘れたらダメ
東北の民が飢饉で苦しんでいる裏で、年貢の3分の1を大奥の贅沢に当てていたのが徳川 いいな〜
東京ドーム地下闘技場とか顔パスなんだろ? >>115
屈したか?流石は農奴だな
長州藩の幹部は三河縁者だらけ
明治維新とは江戸の三河武士から、長州の三河武士への国譲りである
徳川と毛利は裏で繋がっている
源頼朝の側近が大江広元だったように、徳川の側近の酒井は大江広元の五男の家系、萩氏庶流ではないか
家康が生まれた岡崎の平安時代の領主、高階惟長の嫁は大江広元の娘だった
実は明治政府というは三河国宝飯郡萩に隠れ住んだ南朝落人の政権で、同じく南朝系を称した徳川政権から禅譲されただけ
譲られただけだからこそ江戸城は無血開城され、今までどおり東京が首都になった
徳川幕府は崩壊していないわな
http://books.google.co.jp/books?id=RVXyIQq5VMYC&pg=PA46&lpg=PA46&dq=%E4%B8%89%E6%B5%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%80%80%E3%80%80%E3%80%80%E8%90%A9&source=bl&ots
=tYDHrH7uuT&sig=fBVt13JJ3pGPoJN1o7c5a6G4XE8&hl=ja&sa=X&ei=bHggU5HHKImgkgWuoYD4Bg&ved=0CDkQ6AEwAw#v=onepage&q=%E4%B8%89%E6%B5%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%80%80%E3%80%80%E3%80%80%E8%90%A9&f=false
>三河の萩の南朝の末裔が、大江氏に連れられ長州に移り住み、三河の萩を忘れない為に萩と名づけた
三河国宝飯郡萩と大江広元(毛利氏の祖)
大江忠成(海東忠成)
・鎌倉幕府評定衆
・大江広元の五男
・三河の藤姓熱田大宮司家に養子入り
・熱田大宮司
藤原実範(三河守)→季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→範忠→忠季→忠兼→海東忠成(養子入り)→萩忠茂(三河国宝飯郡萩、萩大宮司))、 >>120
宗男が票を持ってないことは、前回の参院選で、もうバレてしまった。 三河は畏れ多い土地なんやな
三河人には関わらない方がいいな
逆らったら斬られるかもしれん
畏れ避けた方がいい >>133
だからこそムスメの将来の為に安倍晋三の軍門に下ったんじゃね? http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/015/977/62/N000/000/000/125974242538016106595_zadankai.jpg
貴重な日本の名家若様方御座談写真
左奥 島津宗家 第33代宗家(現宗家当主 島津修久氏の長男)
右奥 徳川宗家 第19代宗家(現宗家当主 徳川恒孝氏の長男)
左前 毛利宗家 第34代宗家(現宗家当主 毛利元敬氏の長男)
右前 調所広家 第7代目宗家(現宗家当主 調所廣志氏の長男) 世良田頼氏が三河守になっている
初代の頼氏が、三河守、三河守護代だっただけでなく、三河の古族、三河物部氏の血を引くという表に出ていない所縁もある
新田は古くから三河縁故なんだよ
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02113c2.htm ;
三河国造家(興原氏)の系図に新田義重あり
興原敏久(三河物部氏)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%88%E5%8E%9F%E6%95%8F%E4%B9%85 ; 三河物部氏の元を探ると
大和国の最初の王であるニギハヤヒに行くつく
ニギハヤヒは豊橋出身の可能性が高い
石巻山は三輪山の奥の院であると大神神社の社伝に書いてある
神社の拝殿は三輪山の正面に向いていない、三輪山の南側にズレている
実は三輪山の奥の院、豊橋の石巻山(神山)に向いているわけだな >>134
尾張人の源頼朝や豊田一族の使用人が三河人
豊田一族は名古屋で生まれ、
名古屋に住み、名古屋で育ち、名古屋の学校に通っている、
名古屋で教育を受けている。
少なくとも章男の代までは。 >>135
自民にフラフラ、民主にフラフラで、
もう誰も信用してないし、安倍が引退・失脚したら終わり、
宗男が老いたら終わりだよ。 >>141
豊田佐吉
1867年3月19日三河吉田藩山口村で生まれる。
1875年、下等小学校入学(坊瀬の妙源寺の寺子屋が途中で川尻小学校に変わる)。
1878年春、小学校在学中、三河県岡崎市の岩津天満宮へ参拝、徒歩で往復。
1878年12月、吉津村川尻小学校を卒業。
1885年、二俣紡績(遠州紡績会社)への就職を希望。父の反対で断念。
1886年2月 山口夜学会を山口観音堂で実施。
1886年春、佐吉は朋輩の佐原五郎作と無断で東京方面へ出奔。
1887年春、徴兵検査を受けるが、抽選のがれで入隊できず。
1887年暮、三河県豊橋市中八丁の大工・岡田波平のもとで修行。
1889年正月、再度家を出る。神奈川県横須賀の佐原谷蔵宅に寄寓。
1889年春、愛知県知多郡岡田村へ織機の研究。
1890年4月、東京上野で開催の第3回内国勧業博覧会を見る。
1890年11月11日、豊田式木製人力織機を発明、特許申請。
1891年5月14日付で、豊田式木製人力織機の特許を得る。
1892年10月、東京浅草外千束に住む。
1892年、織機研究のため埼玉県蕨市、高橋新五郎を訪ねる。
1893年3月26日、佐原豊作の三女たみと結婚、東京で暮す。
1893年年末、東京を引き揚げ、妻たみと山口村へ帰る。
1894年正月、家出。三河県豊橋市曲尺手町の叔父・森重治郎宅へ。妻は取り残される。
遺伝子レベルで尾張ドン百姓は無関係w 源頼朝は大宮司職を乗っ取った三河武士の子孫
勿論、部外者たる尾張の田舎者は葬式に呼ばれないw
金剛三昧院(本尊、愛染明王は北条政子が、当時仏師として世間に名を広めていた運慶に依頼し、頼朝公の等身大の坐像念持仏として作成)
・建暦元年(1211年)、北条政子の発願により源頼朝菩提のために禅定院として創建する
・承久元年(1219年)、源実朝菩提のために禅定院を改築して金剛三昧院と改称し、以後将軍家の菩提寺として信仰する
・貞応2年(1223年)、北条政子が禅定如実として入道し、建立奉行を葛山景倫(願性)・安達景盛が務め、源頼朝と源実朝の菩提を弔うための多宝塔(国宝)を建立する
・嘉禎4年(1238年)、足利義氏は政子の十三回忌にあたり、当院に大仏殿を建立し、丈六の大日如来像を奉安して、政子と実朝公の遺骨を納める
・源実朝
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→由良御前→源頼朝→源実朝
・葛山景倫(願性)
藤原実範(三河守)→女(藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)の妹)→高橋惟康(三河国高橋荘領主)→鮎沢惟兼→葛山惟忠→景忠→景倫(願性)
・安達景盛
小田野兼広(三河国八名郡小野田)→安達盛長(三河国小野田荘地頭、三河守護)→安達景盛(三河国小野田荘地頭、1221年まで三河守護だったか?)
・足利義氏
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→女(養女)→足利義兼→足利義氏(三河守護) >>143
だから何?
尾張=三河分断工作員のお前は、
本貫、出生地、本拠地から都合のいいところを
つまみぐいしてるだけだから、説得力ゼロなんだよ
豊田佐吉は名古屋に住み、
娘婿の利三郎系も含めて、
二代目以降、章男まで名古屋で生まれ、
名古屋に住み、名古屋で育ち、名古屋の学校に通っている、
名古屋で教育を受けているのは100%事実なのだから。
お前も否定できないじゃないかwwwww 嘘だぎゃ〜
豊田家と徳川家は同じだぎゃ〜
万年パシリだぎゃ〜
よくこんなダセー町に愛着があるよなw
■那古野荘(名古屋)
・開発者:小野法印顕恵(東大寺別当)
藤原顕隆→顕頼→小野法印別当
藤原顕隆→顕頼→女→平滋子(建春門院)
■平安時代
・小野法印顕恵が開発
・小野法印顕恵は姪の平滋子に領家職を譲る
■鎌倉時代初期〜中期
・領家職は、小野法印顕恵の兄、惟方の孫である経長に移り、女系が伝領する
■鎌倉時代末期〜南北朝
・足助氏(三河国賀茂郡足助、三河県豊田市)が領家職となる
■室町時代
・今川那古野氏が領家職となる
初代は、名越高家と今川国氏(三河国碧海郡今川、三河県西尾市)の娘の子である名越高範か?
・1522年頃、今川氏親(三河国碧海郡今川、三河県西尾市)が那古野城築城
■江戸時代
・徳川家康(三河国額田郡菅生、三河県岡崎市)が那古野の呼び名を名古屋に固定、名古屋城築城
■現代
・豊田佐吉(三河吉田藩山口村)がトヨタグループを発祥させる 失政でバカ殿様と呼ばれるリスクを考えて、やめるべき。 結局国交省の北海道局長になりそうだね
結局夕張市長だって吉川がゴリ推ししてただけかよ この人ものすごく考え方がとっちゃん坊やの人だろ
それにベトナム人の嫁さんとかもどういう立場の人だったんだかわからんし 鈴木を知事候補にしようとしてるやつらは便利な操り人形が欲しいだけにしか見えないんだよ
当選しても鈴木がボコボコにされながらジジイどもの作ったレールを走らされるだけになりそう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています