【毎年恒例】八甲田山で陸上自衛隊が雪中行進訓練
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旧陸軍の隊員、199人が訓練中に死亡した「八甲田雪中行軍遭難事件」の教訓を忘れまいと、当時の部隊の経路をたどる陸上自衛隊の訓練が青森市の八甲田山系で始まりました。
この訓練は、明治35年、八甲田山系で訓練をしていた旧陸軍の隊員199人が死亡した「八甲田雪中行軍遭難事件」の教訓を忘れないようにと、陸上自衛隊第5普通科連隊が毎年行っています。
旧陸軍の部隊が青森市筒井の兵舎を出発した日から117年にあたる23日は、およそ600人の隊員が青森市小峠の山のふもとを出発しました。
真っ白な戦闘服に身を包んだ隊員たちは、20キロのリュックサックを背負いながらスキーを履き、8キロの道のりをおよそ5時間かけて行進しました。
そして、明治35年の遭難事件の際に雪の中から救出された後藤房之助伍長の銅像の前に到着すると、銅像に敬礼して亡くなった人たちの冥福を祈りました。
陸上自衛隊第5普通科連隊の古賀博彦連隊長は「隊員全員がきょうの訓練をけが無く終えることができて安心している。過酷な環境に対応できるよう訓練を重ねたい」と話していました。
隊員たちは、このあと、寒さをしのぐための穴を掘って山中で1泊し、24日は10キロの道のりを行進する予定だということです。
ソースに動画あり
https://www3.nhk.or.jp/lnews/aomori/20190123/6080003667.html 毎年やってたとは
防寒服も近代化してるから楽勝なんだろうな 低体温症は症状が恐ろしいから話を聞くだけで精神的にくるものがある
教訓にしなければ、訓練ご苦労様です >>20
うん 思いっきり楽になってる
今はもうハイキング感覚で行ける 実は毎年行方不明者、遭難者が出てるんだけど、
自衛隊の「沽券にかかわる」ので公表はされていない 軍歌 雪の進軍 始め!
映画は史実とは違い、美談に書かれてるんだよな
弘前隊の案内人の扱いに対してはかなり過酷だったと 昨日の出勤途中、公道を自走する自衛隊の雪上車とすれ違う。
なんだかかっこよかったw
天気荒れるようだが事故無いように。 あの遭難事故はろくな防寒装備も無いまま無茶な行軍やったのが原因らしいからさすがに同様のことを繰り返しはしないと思うが
天候が悪くなればやっぱり危険だし、この訓練が役に立つ場面てあるのか疑問を感じる まだこんなバカなことしてるのか
日本の軍隊はなんにも反省してないな あの日は大寒波で気象観測史上最低気温(未だに破られてない)を記録した日だからねぇ _____
||// 彡 ⌒ミ|彡⌒ ミ
||/ (n´;ω;)n ) 髪は我を見放した……
|| (ソ 丿|ヽ )
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ u―u' >>29
案内人殿に かしらぁ〜右!
とかありえんよな 当時は北海道〜大陸での対ソ連戦を想定してたのだろうが、、、、 >>25
雪の上の足跡を辿って行けば迷子にはならないんじゃないの この映画、確かおにぎりを持っていった者は凍ってしまい食べられなくなり、パンを持っていった者だけが助かるんだったような希ガス。
この映画を見て、凍死の存在を初めて知ったと思う。多分当時小学生だったかな。 >>13
雪の進軍氷を踏んで、ラーラララーラ…
好楽か、ちゃんと歌え!銃殺 >>47
パンじゃなくてお握りを新聞紙にくるんで腹の中に巻いていた人が
凍らずに食べられた >>47
パンを持ってた云々は知らないけど
握り飯を背嚢に入れてたら凍って食えなかったとか
でも少数のガチ雪国出身の兵は握り飯を懐に入れてたから凍らずに食えたとか >>36
反省は生きているぞ?
アメリカで米軍と自衛隊の合同雪中行軍があった際に慣れた八甲田山以外でも十分生かされた ロシアとの戦争が高まっていた中で当時の現行装備で中国や朝鮮北部の寒さに耐えられるか実験的にさせたんだっけか。
当時機関銃はない(これが旅順で苦しめられる一因)し、小銃も38式小銃は配備されたばかりで
古い30年式小銃の割合も高かった。 青森の寒さごときで亡くなるものなのか
亡くなったのは酸ヶ湯の火山ガスだろ >>60
日米合同の雪中訓練で猛烈な寒気だか吹雪だかで・・・
米軍がやっとの思いで到着するとそこには楽しげに雪合戦をしてる自衛隊員が・・・
ってのはソースがなくて真偽不明らしいね >>60
自己レス誤字修正
×生かされた
◯活かされた >>25
フツーの訓練でも迷子とか出て、報道されていたと思うが >>53
パンは数十年後1941年のソ連に侵攻したドイツ軍も寒さに苦しめられる一因になる。
石みたいに凍って火にくべたりスープに放り込まないと食べれない始末。 元青森の普通科隊員だが、ぶっちゃけ八甲田山の冬季訓練は言うほどきつくない。
完全防寒着にスキーで攻撃するから、それなりに楽。
むしろ夏の行軍で攻撃のほうがきつい。
ただ、当時の装備で八甲田山は、言い方がきついが自殺行為だったと思うわ。 >>77
スターリングラードでは銃も凍って引き金を引いても弾が出なかったとか
これも真偽不明だが >>27
そうだそうだー。憲法を改正して自衛隊を解体して軍隊を作れと君は、言いたいのだろ?わかるよ、その気持ち。
( ・∇・) 結末を知ったうえなら、上官(三国)に従うべきじゃなかったとか簡単に言える。
あの時代、しかも軍隊で軽々しくできるわけがない。
じゃあ神田(北大路欣也)はどうするのが正解だった? >>78
やっぱ八甲田での遭難の話なんか聞かされるの? いやいやいや
こんなバカの前に言って敬礼するとか
巻き込まれて死んだ人たちに失礼だろ
こんなことするぐらいなら巻き込まれて死んだ兵隊の墓参りでもしろ >>77
あさま山荘事件ではカップヌードルがその力を示したというね >>78
当時も、スキー板だったらまた違った説ある
足から冷えたり凍傷するから装備がアウト >>33
日本の組織の典型的欠点が具現化した事故だし、
現代でも似たような問題はいろんな組織で起こっているから定期的に注意喚起するのはいいことだよ。
行軍の責任者がカタチだけの責任者で、
実質的な権限者は他にいたので、指揮系統が混乱して最悪の経過をたどってしまった。 >>81
難しい問題だね
これも噂だけどどっかの大企業が新入社員に研修で映画八甲田山を見せるとか
その企業は役職が上の人やや先輩に意見できる風土になってるのかな? >>81
俺も無理だったと思う
歯向かえるわけない 軍部の恥と向き合うのはいい習慣だが、
当人らはクソ寒くて恨み節だろうなw >>92
現代装備ならそれなりに楽だって
>>78 >>22
頭やられて褌一丁で雪の中に倒れ込むのが
大竹まことw >>1
全員の脈拍や体温等を記録しながら行軍すれば、休憩を取りやすくなるのだろうか 今日24日の天候も最悪だろう・・・
リアルに「ああ八甲田山」になってしまいそうだ・・・
ご愁傷様です・・・。 田舎のばあさんが上京してきて、
横書きに書いた八甲田山の映画看板を見て
「まぁこの方、立派な表札出しておられるのね、山田甲八さん。」
というのは団しん也のネタ。 新田の本をノンフィクションと誤解している奴が多すぎて
一部の軍人の遺族にとっては気の毒 陸自はダメだな。精神主義そのものじゃないか。夏にやれ、夏に。 八甲田山雪中行軍遭難事件の公式記録である
「遭難始末」は、国会図書館のデジタルライブラリーで公開されてるから
家で読めますよ
一読すべし >>25
沽券も何も、昔からここで何人も死んでるし
夏でも死人出てるし 映画や小説が面白おかしく創作したのが流布しちゃって
事実は誰もシランらしいな 遭難した青森の連隊の日程は、
駐屯地→田代温泉(宿泊)→駐屯地 の片道20キロを往復、1泊2日の日程。
なんだが、問題はその田代温泉を知ってる人間が連帯内に誰も居なかったこと
現地の細かい場所も知らず地図だけで行こうとしてた。
そもそも、立案者は実行の3ヶ月前に人事異動でいなくなって
何も知らない若手が計画を引き継ぎ。
駐屯地で待機してた連隊長は、捜索隊の報告を聞くまで大丈夫だと思い込んでいた。
まあ、ダメダメ失敗イベントの典型例 ちなみに現代の装備では、スキーウエアでも
行軍可能になってます >>58
いまでも時々あるけど、津軽海峡に爆弾低気圧が発生して、それに北から超低温の空気が流れ込んだ。 どいつもこいつも頭がおかしくなってまともな行動ができなくなってしまったというやつか ユニクロのヒートテックがあればほとんど助かってたろうに 映画の八甲田山を義理父と観たばかり
無事に田代に着いたのか >>81
結末を知った上で言えるのは、その場の組織の指揮官は、
下の人間の進言が間違ってると思った時は、何を言われようと嫌われようと
ダメだと言える勇気を持つ事
この訓練の失敗は、下の人間が進言したのをホイホイ上が聞いて失敗したんだから 対ロシア対策か
陸軍の仮想敵国は基本的にロシアだったからな >>120
ヒートテックなんか着て行軍したら全員凍死する 現在は、ワークマンのイージスで防寒対策すれば余裕で耐えられる。 今となっちゃホームセンターで普通に買える冬用装備で対処可能だもんな 八甲田山の誰もいない別荘から119番の電話があった。 >>115
真相という真相は、ほとんどが死んでしまったので証言の取りようがなかった
一番しっかりしていた生存者倉石大尉の証言が記録に残っててそれが事件の証言の根幹と思われ
(映画では倉田、だったかな多分加山雄三) >>78
でも小説や映画では、事前の予行練習では天気が良く全然きつくなくて
油断して本番に臨んだら、猛吹雪と寒冷で大量遭難したんじゃないの? 新田は想像なのか話を書く上で必要だと思うのか
作中でヒール役を作る癖があるよな
孤高の人とか最たるものだが まず橇が無茶だったよね
あんな過酷な雪山で橇隊は無理だ
橇隊の大幅な遅れをきっかけにして遭難してる >>78
当時は爆弾低気圧だったんだよね
色々お気の毒だったような >>132
・湿った雪に対する装備が貧弱、
・雪山登山の場合はブランデーなどの蒸留酒を持って行くのが当時でも常識だったのに日本酒を持って行った
(日本酒を鍋で煮ると悪臭を放って飲めなかった)
少なくとも濡れた後に替えの下着を1着分持って行ってれば全然違った結果になっていた 一回 明治時代の装備でどこまでやれるか
試してみた方が良いかも >>40
よりによって中のよりによっての日だったんだよな。 >>129
あの日は、旭川で気象官署の記録としては、今も破られていない日本最低気温がでた日なんで
内地とはいえ遭難地域でも相当下がったと推定されてる
ただ、一方で弘前隊はその中を全員踏破して帰還してる。
遭遇予定の演習であったことは否定されていて多分間違いないと踏んでるが
弘前隊が遭難者と遭遇しなかったのかどうかは今も謎のまま >>140
それが隊長さんたち士官は生還率が高いんだよ。
襟巻や革靴に毛皮の靴下などを付けて行ったから 青森連帯
→未曾有の大遭難
弘前連帯(指揮官が朝鮮人)
→任務達成
https://i.imgur.com/ah11ex4.jpg 第一のミスは、田茂木野の「今日はやめた方がいい」という村人の進言を突っぱねたのは仕方ないが、
案内人の申し出まで断ったこと
自力で田代まで行くのが訓練だみたいな精神性で
第二のミスは、小峠で軍医が「天候の悪化でこれより先は危険。引き返すべきだ」という意見を、
これまた軍人の熱い精神論で下士官達が突っぱねそれを採用した事だな
軍医の言う通り引き返すべきだった
自分の進言の正しさを誰にも告げず脱落者を介護しながら死んでいった軍医の事を思うと胸が痛むわ 八甲田山って、たいして特徴のない山だけど、あの事件と映画でみんな知ってるよね。九州出身の俺や俺の家族も知ってる。 おしくらまんじゅうで寒さを乗り切れなかったんかな? >>146
夏に目印を付ける等しておけばよかったのかもしれない あれ続けたのか
現代の装備だと無意味だからやめるとかいってたのに
ま、伝統になってるからいまさらやめられないんだろうな >>148
外側の人からパタパタ倒れてたな
おしくらまんじゅうじゃないけど >>149
ていうか、誰も田代温泉に行ったことが無かった。
せめて、雪が降り始めた季節に下調べで行ってみるべきだった >>144
面白いな、下っ端には装備いいのなかったのかな 映画でもリアルでも温泉で一杯やるつもりで出かけたみたいだけど、
あの頃はあの大人数を収用できるような設備があったの? >>147
まあ積雪量日本一記録地域ではあるけどね >>152
なるほど
行軍能力よりも、下調べの能力を磨いておくべきかもしれないね >>150
陸上自衛隊は旧陸軍と違って専守防衛。
当然だが雪中の任務もあり得るから無意味じゃないよ 足が暖かいのって大事だよ。靴に入れるカイロ流行ってるのよくわかる >>153
大差はない、マシだけど
でも軍隊秩序的に偉いさんは従兵がついてたりして荷物軽いとか、
世話してくれるから体力の消耗が少なかったのはあるんじゃね >>153
その士官たちの立派な装備も、理由は上官らしく立派な装備をしてた方が良い
それと給料が良いから買い揃えられた
という単なる見栄だけの話で当人たちも必要性が分かってなかった >>121
田代温泉跡付近はダムの工事が進んでいて
もうはいれないいとかじゃないかなあ
特に元湯はもう橋が落ちてしまってて
わたれもしないと思われ
>>147
青森市が世界有数の豪雪都市なのは、八甲田を背負ってるからだと 土産に買って自慢するつもりでゴム長靴はいてたおかげで助かった偉いさんいたな >>113
「遭難始末」は公式記録ゆえに、被害を過少にするため隠蔽、捏造があると批判されてるが、どうなんだろうね
>>131
小原伍長ら複数の証言に基づいた「八甲田山 消された真実」(山と渓谷社)の方が、小説よりは事実に近いんだろうね >>154
それが無し。
田代温泉と言っても小屋らしきものがあるだけでその中に小さな湯船。
田代という地名の地区には小屋が1軒だけあって老夫婦が住んでた。
この辺りの話は事前に下調べしてれば分かる話なんだが
事故後に捜索隊が現地へ実際に行ってみて初めて知ったこと 映画化されていたよな?
新沼謙治が一番乗りするやつ。
昔テレビで観たことがある。 北大路さんがやってた神田大尉のリアルの人が、
北大路に負けない美男でびびった覚え >>164
過小たって、人的損害は生存者以外みんな死んじゃったんだから過小申告のしようがないだろう >>135
物語にはヒールがいないとつまらんからね。 元凶は綿の下着と毛糸のコートと軍服、濡れて染み込み
それらがバリバリに凍結、氷の鎧を着ている感じになる
今のような防水防寒の軽いアウターとは雲泥の差 >>165
ええー、なかったのか
江戸時代とかはそれなりの規模の設備あったけど今は見る影もない、
ような温泉って結構あるからそういうのかと、、、
たどり着いても死人でてるなそりゃ
教えてくれてサンキュウ あの頃から体質は変わってないな
いまでも大隊長と同じ程度の奴が首相やってる
日本が遭難する可能性が相当高い 何年かに一回しか雪の積もらない 積もってもほんの数aの九州人の俺にとってあの映画は別の惑星と言うか異世界の物語に見えたな >>172
まあ、田代温泉に辿りついてもまともな施設はなかったから
どの道、何人かはやっぱり死ぬ運命だった
結局、賽の河原で引き返す決断をしなかったのが全部の失敗の始まり 行軍で気付いたら人が減っているのはありがち
ここは気付いたら人が増えてる 温泉の小屋までたどり着いた生存者もいた
予定と救助されたとこ
どっちが元湯でどっちが新湯だったか覚えてないが 高倉健も後に日露戦争で戦死って出て
ガックリした記憶ある。 >>168
そうだな
過少にというのは表現がまずかった
原因を酷寒の自然環境に求めて、人的な判断ミス等を隠蔽する等で批判されてるということ 彼らは無駄死にではなかった、大量遭難に衝撃を受けた日本軍は装備や寒冷地対策を行い
その結果、日露戦争、満蒙の戦いで多数の凍死を出さずに済んだ
一方でナチスドイツはソ連戦で大量の凍死者を出すことになる 繰り返すけど、三本木を出発した弘前隊は同時期に現地を踏破してる
そこを無視して考えちゃいけねえ >>153 お偉いさんのいい装備は自腹の場合がほとんど 下っ端は給料が安くて買えないだけだから階級によって支給される装備が違う訳ではないんだよな あの道は今は完全除雪じゃないのか?
酸ヶ湯まで普通に行ける
まさかあえて道を外れて行軍はしないよな。 >>174
199人の兵士の魂はいまも八甲田山をさまよってるのかもな >>145
日韓併合は1910年それに対して八甲田の遭難は1902年なんだがなぜ朝鮮人が日本軍で指揮官しているんだ? >>188
訓練中に起こるトラブルを想定して、トラブルに対処するための訓練をさせていなかった人の責任かもしれない 八甲田山のスキー場って独特だよね
大半が圧雪してない 神田大尉−神成大尉
徳島大尉−福島大尉(黒溝台で戦死)
山田少佐−山口少佐
だったような >>138
この時の冬将軍で北海道の日本最低気温記録も出来たんだよな、近年更新されたけど 八甲田山はまじで軍隊の霊が出るから夜絶対近付くなと近くのやつほど昔から口酸っぱく言い伝えられてる 大した意味無いから部隊はやめたがってるらいしいけど、
連隊長が、八甲田山登ったったわwって思い出づくりしたがるんで、続いてるって読んだことあるわ >>188
いくつかの段階で責任はあるから分かりにくい
・立案者:事前に下調べもしないで人事異動だからと言って次の担当者に丸投げ
・隊長:地元人の案内を断り、賽の河原で引き返す判断を却下
1日目の夜間に行軍再開、迷った後で曹長の進言を聞き入れ
・連隊長:予定日時を過ぎても帰還しないのに無事だと思い込み、
これで捜索が1〜2日遅れた
日本らしい組織が原因の面が強いんだよね >>182
そこは、何ともいえないと
ただ、踏破した福島大尉の隊も、日露戦争の黒溝台会戦で全滅とかいう話(ここら詳しい資料見たわけではない)らしいし。
ただ、この遭難事件は、国民的な大事だったようで、ちょっとうまく総括出来ないけど
回収における民間の協力とか寄付とかだったかとかもあって、そういうとこまで報告を出す
ことをふまえた感触はある
(しかし、当時現物が公開刊行されたのかはしらない) >>79
当時のグリスは牛脂も使われてたから凍る可能性はある、高空を飛ぶ飛行機のグリスも凍ったと書かれてる 映画で寒さ対策に油紙を買うシーンがあるんだけど色が真っ赤だった
黄色っぽい茶色のイメージあったから?ってなった 今の装備でも猛吹雪になったら遭難するんじゃないの? >>205
つい先日も北海道で車の事故を起こした人が徒歩で自宅に向かうも
吹雪でホワイトアウト
自宅の数十センチ前で凍死ってニュースがあったな >>203
横だけど、わからんけど、あとそれだけの極低温だと金属部分が収縮したりしないのかな
+20℃とー40℃だと、60℃も幅があるわけで 八甲田に向かう途中の道がなんか怖いんだよな
できれば近寄りたくない >>180
モデルになった福島大尉の生家がご近所で保存していた遺品とか見せてもらった事ある
後に自衛隊に寄贈したみたいだけど >>145
なんでも朝鮮人にしたがるバカ
福島泰蔵大尉は群馬県伊勢崎生まれの純粋日本人
そもそも挑戦なんて国ですらなかった >>207
自動車に乗ってちょっと表に出るって人はそれなりの服装しかしてないからね
立ち往生で車に乗りながら凍死仕掛ける人もいるし、装備を揃えた山歩きとはまた別さ >>183
ただ日露戦争で負けれていれば、大陸利権を完全に失って
大陸に手を出さず、日英同盟はそのまま強化。
ロシア革命は起きずにソ連は成立せずロシア帝国のまま
WW1も起きる可能性が低くなり・・・といった具合に
日露戦争は負けていれば世界平和の為にもよかったと思う >>202
日本軍は大量の遭難死を恥と思ったらしく
真相を知る生き残りを激戦地の死地に送り込んだ、口封じにね >>211
大陸の方が気温は低いけど、日本海の「ヤカン」がある日本みたいにそんなどか雪豪雪にはならないみたいよ
水分の供給がない >>29
重症者にも何の補償もせず
地元住民たちは生涯軍を恨み続けた
旧陸軍なんてそんなもの >>223
北の連日の大雪、トップニュースでんがな ゆきーのしんぐんこおりをふんでと秋山殿とエルヴィンが歌ってたな。 >>146
精神論というか、ココでヘタレない俺の発言、かっこいい!みたいな軽いもんだと思う
「誰か反対して、俺の意見を取り下げて!おねがい」みたいに思ってたはず
でも実際は、「俺もそう思う」「俺もそう思う」ってみんな俺カッコイイ!で
「そ、そうか、仕方ない行くか」的な >>25
今は悪天候なら延期するので、絶対死なないし急病人が出ても速攻で雪上車がお迎えにあがるので、事故の起こりようがない >>229
何度も引き返せと言われたのに全部断ってるんだよ
それと、夜中に寒いからと部下が言ったのをそのまま聞いて出発したのも間違い
遭難しかけた時に「ここを行けば田代温泉!」と叩き上げの曹長が言ったのを
聞きいれたのも間違い
結局、この隊長、自分の意見を持ってない。これが悲劇なの 5歳くらいとのき親と一緒にこの映画見て、トラウマになったわ 雪の進軍氷を踏んで
どれが河やら道さえしれず
馬は斃れる捨ててもおけず
ここは何処ぞ皆敵の国
ままよ大胆一服やれば
頼み少なや煙草が二本 >>29
実際は、『案内人に、敬礼』とかなかったんだってね。 なんだ、一日8キロとか(笑)、趣味のバックカントリーじゃん(笑) おにぎりは肌着のなかに入れておけよ
凍って食べられなくなるからな 青森連隊
●予行演習では好天に恵まれ、美しい雪山、おいしい弁当。雪遊び。まるでハイキング。
●当日話を聞きつけた上官が同行することに。200人で八甲田山の温泉へ。タオルも持って行こう。
●隊長が道案内を村人に頼むも、上官が横から断る。「帝国陸軍に案内人などいらぬ」
●途中で昼飯にするも吹雪によって餅も水筒も凍りつき飲まず食わずで疲労困憊。
●隊長が帰還を進言するも上官は「帝国陸軍は前進あるのみ」と出発命令。
●先行部隊は遅れる重荷のそり隊を、猛吹雪の中待ち続け時間経過、体も冷える。
●日が暮れ、視界ゼロの吹雪の中、温泉への道を見失いビバーク。各自立ったまま暖を取れ!
●雪上で夕飯を作るも薪の火で雪が溶け鍋がひっくり返り何も食えず。
●深夜二時、寒さに耐えきられなくなった上官が帰還命令、隊長が反対するも漆黒の吹雪の中出発。 遭難した日はよりによって日本で一番寒い日(旭川で−41℃を記録)だったからな・・・ 映画の写真かと思ったら、実際に遭難したときの写真だったときの衝撃 ●闇の中、なんとか青森への帰路を発見した時、兵の1人が温泉への道を思い出したと言い出す。
●上官「それではやはり温泉へ向かおう」
●兵の案内で再び山中へ逆戻り、ついに深い谷底に迷い込む
●夜が明け道間違いに気が付くも谷を登れず落伍者続出。重いそりも放棄する。
●吹雪の中、一日中さまようも大きく円を描き最初の地点へ逆戻り
●雪洞を掘ろうにも、そりを放棄したため道具がない。
●以下ループ
↓
●強気だった隊長がついに吐いた気弱なせりふに一気に兵の気力が抜けバタバタ倒れる。
同時刻に反対側から八甲田走破に成功した弘前連隊→全員帰還
●冬山装備も万端、地元の案内人7人を雇って先導させる。
●吹雪の八甲田山中を進軍中、偶然青森第5連隊の遭難現場に遭遇。遺体だらけ。
●「ここで見たことは死ぬまで他言するな、憲兵がくるぞ」と案内人を脅す。
●案内人7人、村へ逃げ帰り、八甲田のことは何もしらないと30年間、押し通す。
●30年後ふとしたことからマスコミがかぎつけてもうこれまでかと観念
●ところが雪山7勇士と絶賛され、陸軍から表彰、さらに石碑まで建つ
弘前連隊のその後
●二年後の日露戦争で戦死 行軍終わったら打ち上げで温泉とか行くのかな
楽しそう >>13
どこが川やら道さえ知れず
馬は倒れる捨てても行けず >>188
船頭多くして船山に登るとかろくに調べもしないで
強行した蛮勇とか現代でもある話なのよ
結局は、企画立案実行責任者の神成文吉かもね 青森県と言えば!
政治思想板のネトウヨの定義スレ>>1は
青森県のひきこもり40代
毎日四六時中ネットで遊んでいるのに俺は働いているって豪語するヒマ人
青森県民であることが恥ずかしいから仙台市民を偽装してすぐバレたアホ 集団ストーカーぐぐって清水由貴子殺害された
炎上間違いなし >>11
遭難したときの装備の資料見て、冬山登山もやってた吉田類が呆れてたな 強心剤打ったらカッチカチの死体みたいなやつが僅かに動いて死んだとか興味深いよな >>127
> 全身モンベルで楽勝やろ
逆に全身モンベルでヤバい山が日本にあるのかね ともあれ、幸畑の資料館に行ってみることだな
兵隊は悪くありません、みんな私が悪いんです by山口銀
知覧の特攻隊記念館も涙なしでは見られない
軍隊って異常な世界だよ
日大アメフト部も同じような流れを受け継いでるような気がする >>147
昔は映画とテレビが今で言うネットだったからね。
当時の人気俳優高倉北大路がでてるのと日露戦争を生きた世代も存命してたのもあるし、人口も半端ない。
コントなんかでも八甲田山がネタになってた。 >>83
銅像の後藤さんは伍長で身分が高いわけでもないけれど、遭難を伝えよとの任務を遂行すべく最後まで歩き続けた結果、直立仮死状態で救助隊に発見された。
それにより遭難が発覚、結果他の10人の生存につながったから功績を称えて銅像になった。
両手足義足で参列した除幕式では照れちゃったらしいけれど。
210人の墓標は近くの資料館裏手にあり、ここで慰霊祭やってから訓練に入る。 自衛隊=憲法9条に保護された税金ニ〜トw
仕事してますアピ〜ルw >>232
上司に恵まれなかったら
オー人事、オー人事 無事に踏破した弘前連隊の話の方がおもろしい
民家に泊って、毎日風呂に入ってたとか、なんか楽しそうにも見える 後藤さん、発見されたときは手足は完全に凍っていて注射器の針が打てなかったので口
をこじ開けて舌に強心剤を注射したって話で背筋が寒くなった。 5chは既に在日チョンに買収されているのをご存知ですか?
在日チョンの5ch運営が規制してリンク貼れなくなってしまったので、
「2chの譲渡先、5chの代理人弁護士は通名のしばき隊員」で検索してみてください
そして、在日チョンのバックに居るのは売国政党の立憲民主党です
在日チョンが5chを買収して、売国左翼や在日チョンにとって有利な世論誘導しようと企んでいます
5chのあらゆる板でジャップがどうのとかほざく、日本人卑下する奴とか、「アベは売国奴だー アベは統一協会だー」みたいな頓珍漢な政権批判するレスが異様に増えたと思いませんか?
売国政党の立憲民主党の支持母体の一つは在日韓国人組織の民団です
そいつらが5chを買収した在日チョンの背後にいます。↓民団と連動して動いている売国政党の立憲民主
在日チョンの帰化議員がワンサカいる売国政党の立憲民主党
↓
「竹島は日本の領土ですよね?」立民・白真勲(ハク・シンクン)議員を再直撃! 徴用工判決には「コメントできない」連発…
在日韓国人組織の民団は立憲民主党の支持母体の一つ。売国政党の立憲民主に絶対に気を許してはならない
↓
在日本大韓民国民団の中央本部新役員と意見交換 - 立憲民主党
5chの運営がチョンに買収されていると、とっくにバレている以上、完全記者制というシステム止めるべき
チョンに買収されている運営が全てのスレ立てをコントロールするとかありえない
.
.
.205643 >>64
ロシアに陸奥湾海上封鎖された時の物資輸送ルートの開拓が目的 映画は何回か見たが大竹まことがどこに出てたのか分からんかったな >>144
倉石大尉は、たまたま数週間前の東京出張で当時最先端だったゴム長靴を仕入れたばかり、履いて行軍参加したので凍傷切断まぬがれ生還。 >>262
とても雪山に入る装備とは思えなかったらしい >>271
これを人材コンサルは
上司を説得できない部下が
無能とか言いかえるんだよ
基地外過ぎて… 方位磁石が凍って使えなかったとか。木を切って年輪で方角を見ればよかったのにな。 冗談じゃなく天は我々を見放した て天候になりつつあるぞ 完全装備で安全なら自分もしてみたい
ツアーとかないのかな? 遭難した時のホワイトアウトは凄いよ
吹雪いてるから、真っ白
凍傷と低体温で感覚も麻痺してるから、
上下左右の感覚がわからないのは当たり前で、
なんと自分が立ってるのか横になってるのかさえわからなくなる
ホワイトアウトの究極
まさに白い悪魔 えーーー この猛吹雪の中? 昨日はまだしも、今日はやばくね? >>282
平地に植林されたものならいいけど
急峻な谷間は植生や光線状態も複雑で必ずしも年輪の南側が幅広くなるとは限らない >>282
木を切って倒れた方向に進めよ。
きっと町に出られる。 山岳遭難ではないけど
伊豆の無人島に漂着した
野村長平みたいに船乗りでも
それなりの材料がある中で
火打ち石がないと火がつけられなかったり
梁や罠などで魚を効率的に獲れなかったり
蒸留法で真水を作れなかったりしたんだよな
明治期の日本人も智識としてのサバイバル技術とかは
今より低い部分もあったろうね
というかサバイバル技術の生成過程かもしれないけど 昔、会社の研修で管理者養成学校ってとこに行かされたわ
40km夜間行進ってのがあった。
訓練の名の通り40km夜間に進行する訓練。
グループ(14名の班)毎に40kmを一緒に歩く。
ルールは班全員が一緒にゴールすること。歩けない仲間が出ると、皆で担いででも一緒にゴールする。
手書きのいい加減な地図を渡され道を間違えると40kmどころか50km以上歩く班もある。
指揮官が優秀だと早ければ4-5時間でゴールするが自分達の指揮官はボンクラで午後2時に出発してゴールしたのは翌朝7時w
この訓練は八甲田山雪中行進を題材に統率の大切さと仲間を見捨てない訓練と説明されたけど八甲田山なら自分達の班は全滅だったわw >>262
その時の特異な気象条件もあることを知らないとな
シロートの浅い知見だけで済ませたらだめ。 新田次郎のはあくまで小説で史実と必ずしも同じじゃないね。 >>272
でも地元の人こき使って凍傷にさせてるんだよね。健さんみたいなキャラじゃない。 >>172
今も田代新湯として,小屋は倒壊した跡地が残ってる(田代元湯は当時の目的地じゃないらしい)が、湯温も高くない小さな風呂だな 。
こんな情報すら知らずに行ったんじゃないかなあ。 なんで白い戦闘服なの?
同じように吹雪いて遭難したら、見つけにくいんじゃない? >>159
そりゃそうだろ
ロシアが攻めてきた時の検証の為の行軍なんだから スキーは相変わらず皮のバンドでつける、裏に鱗もようがあるやつ?進化なし? 青森市 気温 -1.3℃ 積雪 58cm (市街地)
酸ヶ湯 気温 -8.9℃ 積雪 346cm (八甲田山) >>292
平地だと落伍者担げるけど
山岳遭難で落伍者出ると
ヤバイって言うね 日本各地で遭難者をだした訓練だけど
八甲田が悲惨だったので、全国で訓練が中止になった >>284
あれ100年前だもの現代の装備なら普通に昼寝できちゃうほどだよ
とくにゴアテックスは老人ですら雪山登山が可能になったほどの革命 自分はあの木に見覚えがあります!(雪深い森の中で) こんもりとした林がまばらに点在する見渡すかぎりの雪原に、ひと筋の小川によって急傾斜の川筋が切り込まれているだけなんだよな >>285
ガイドツアーあるよ
http://www.hakkouda-p.com/skischool/schoolguide.html
技術と金と装備があれば、縦走コースも連れて行ってくれるだろ
何もなければスノーシュー3時間コースで雰囲気だけ体験だな >>129
ゴム長靴か否かだけで相当な差があったとか >>306
東京も都心と奥多摩じゃ、気温が10度以上違う事も珍しくない。奥多摩だと積雪20センチとか普通。 >>96
その兵士は大竹まことじゃなくて原田君事。
なぜふんどし一丁になったのかはご本人がブログに詳しく書いてる >隊員たちは、このあと、寒さをしのぐための穴を掘って山中で1泊し
ここらで穴掘ると火山性の一酸化炭素とかがたまって窒息死するんじゃなかったっけ 夫は、「八甲田で三十一連隊の徳島様に会うのが、今回の雪中行軍の楽しみ」と、申しておりました だいたい、満州は寒いけど、雪はたいしたことない
日本はむしろぎゃくだから、立案した東京の参謀本部の幕僚がバカなだけw
とにかく、日本軍のばかっぷりは参謀本部のばかっぷりっていう話
馬鹿に統帥の独立とか与えるからダメ
ばかばかしい話 >>327
満州は、内地からの食い詰め系移民も毛皮コートを買って着ていた
あくまで必要だからでけして贅沢品ではなかった
終戦が真夏で、すぐに帰国できた人には現地で売り払おうとも思わなかった品
帰国のタイミングが遅れた人たちは、古毛布を縫ってコートにしてたらしいが
それでも八甲田山の兵隊の装備よりははるかに防寒効果 >>51
貴様は駄賃が欲しくてそのようなレスをしたのであろう >>327
この行軍の目的は
青森歩兵第5連隊は、冬のロシア軍の侵攻で青森の海岸沿いの列車が不通となった場合、
物資の運搬を人力ソリで代替可能か調査することが主な目的であった
満州とかは関係ない スキー板もあるだろうし大雪崩でも起きなきゃ大惨事にはならないでしょ 昨日は雨で、今日は吹雪きだぜ。 カンジキ履いてのラッセル行軍演習は下手すると死ぬぞ。
足つったら終り。 だよな 行進より
鎌倉作って暖かくするとか吹雪でも火を起こして暖かくする訓練やったほうがいい この修羅場でなおかつ士官と上官しか焚き火にあたれない極限の階級社会の中で若い兵士は物言わず倒れ凍りついて死んでいった >>1
意味ないだろ
AI化なんだからまあ多少連携確認やサバイバルならいいが まあ、ホッカイロ持ってるらしいしな
かの八甲田山の時は白金カイロ持ってたらしいな だよな厳しい環境に耐える訓練より
厳しい環境で楽に過ごせる訓練をやったほうが最終的生き残れる >>11
冬の寒さも怖いが
夏のレンジャー訓練で火山性ガスで3人死んだりしてるな まじかよまた死人でるぞ
ブリザードと風防つきスノーモービルで訓練しろ
今時歩きとかやめろ
敵も死ぬはずだし無意味な訓練はらめろ 高倉健が演じた徳島大尉(福島大尉)は
良識ある軍人みたいに描かれてるけど
実際には村人を道具扱いしてたらしいぜ 明後日からヤバいぞ撤収しろ
雪につよい重機で訓練しろ
歩きの敵兵なんか今時いねえから
雪の中で暖かい重機にのる訓練しとかないと
勝てねえぞ >>355
いやいや、普通に軍人さんは偉かったんだよ 吹雪の中、服脱いで真っ裸になった役者さん
身体が紫色してるのは本当に凍傷の一歩手前だったらしいな いい加減特訓はアホと気づけ
特訓なんかより
ハイテクを使って楽に暖かく勝てる物を作れ みんなで崖をよじ登って行くシーンは
いまだにトラウマ 昔旅行中 夜中に山中を車で通ってたら陸上自衛隊の行軍にでくわしたわ 亡霊かと思ってちびった みなさんニコニコ道開けてくれてほっとした思い出 鳴沢駒込川馬立場。
今も昔もベンチがアホ 運営がアホ 行政がアホ・・・
現場は死をもって抗議する。それしか術がない。 >>21
あのキャラがいないと観客の気持ちの持ってきようがないから
ある意味その通り
(史実はあんなじゃないらしいけどね)
同じ原作者で同じ監督の聖職の礎は悪役がいないからいたたまれないだけで終わってしまった >>366
だよね
日本てとにかく苦しむのが好きみたいでわざわざ苦しむようにしてる
そんなことだから少子化になんのよね
いかに楽にするかを考えなきゃいかんのに
苦しませて苦しませて崖から突き落として這い上がって来たものだけにみたいな世の中
少子化になるわ 対冬季ロシア戦の国内訓練でこの様である、ロシア軍と冬季に戦えばこうなるのだ これもトムラウシも吾妻山その他の似たような遭難も途中で引き返していれば被害無しか最小限で済んだかも知れないのに、みな同じように悪い方悪い方に進んじゃったのな。 >>216
ロシア革命の直接要因はWW1
そしてWW1に極東の情勢は殆ど関係して来ない
2月革命でロマノフ王朝が倒れた時点ではレーニンはドイツに亡命中で蚊帳の外だった
政情不安定なロシアを更に混乱させるべく軍資金を持たせて
レーニンをロシアに送り込んだのはドイツ参謀本部
日露戦争当時に日本がロシア国内の反政府活動家を支援していたとしても
ロシア革命への影響は極めて限定的だよ いつまでもこういうおしんみたいなことやっててもダメだし
寒い時でも暑い時でも寒くありません暑くありません
て具合にハイテク使った最新鋭部隊じゃないと勝てませんこれからわ
なりてもいなくなるのにバカか
ハイテク使えハイテク 大洪水でも大津波でも土砂崩れの中でもどんどん入って行けるハイテク水中中作業車とか作れ
いつまでもこんなアホやってんなバカか 映画の配役見たら凄い面々だな
加藤嘉 花澤徳衛 田崎潤 浜村純と俺の好みが揃ってる
TSUTAYAに行ってくる >>67
遭難したあたりは冬は地形の関係で体感温度マイナス数十度の猛吹雪が何日も吹き荒れることがあって
地元のマタギも冬は絶対山に入らんかったらしい
冬以外はハイキング感覚で歩けるところなんだけど >>381
現実は、ホットスーツとパワー支援機器で、雪中行軍なんか楽勝なんだけど、精神鍛錬でやっているようだよ。
日本を守るとは何かから教えているんじゃね? この遭難現場から2kmくらいしか離れてない場所で火山ガスで自衛隊員が数名亡くなってるんだよな
県道からほんの数十メートルの窪みで 当時の装備ってGUのウールのコートで行軍するような感じかな 若い兵士は律儀に重たい銃も提げてたからな
もう遭難してるんだから
やばいのに、銃を捨てるわけにはいかなかったんだろうなぁ >>369
なんでこんな雪と同化するような白い服なの?
真っ黄色がいいじゃん >>394
遊びじゃないからね
戦闘時には、まさしく雪と同化するのが目立たなくていい
ヒント
ミリタリールック >>1
山道歩いてていきなり武装した兵隊とでくわしたら小便漏らすわ 八甲田山より<雪の進軍>
https://www.you tube.com/watch?v=4Dq9A0N_poo >>397
野生の証明でそういうのなかった?
あれも高倉健か 旧陸軍さんもだけど、平成に入ってから自衛隊員さんも亡くなってたよね、
そっちのほうの教訓を忘れないための訓練はしてるのかな
>>369
顔は白くぬらななくていいのか、それと背中に背負ってるやつは白くないんだな。 映画に出てくる鳴沢は駒込ダムに沈む予定だったが
完成が12年か13年くらい遅れてる 12〜13年くらい前にやってた心霊番組で
八甲田山の後藤伍長の銅像の脇を行進する兵隊の霊の動画ってのが流れてたが
あれは合成だったのかそれとも 雪の進軍♪ 氷を踏んで♪ 馬は進まず捨てても置けず♪ バキューーーン!!! 八甲田山とか名前からしてもうな
恐山も青森だっけ? 近代装備できついなんて泣き言言ったら英霊に申し訳ないよな >>52
>>53
レストンくす。なるほど、懐で温めていた者だけが生き残ったんですね。パンは記憶違いだったようですね。 >>199
俺は見てしまったよ、夜中の心霊ドライブ中に、右カーブを曲がったライトの先に行軍が、
マジで
その3秒後自衛隊だって気づいたが本当にビビった ここで全く犠牲者が出なかったら日露戦争の犠牲者を増やすことになった 隊員には最高の装備を与えて欲しい
根性やら工夫やらは必要なときだけでいい
日本の技術を徹底的に駆使すれば
世界最高の装備が出来るはず! >>147
米粒写経のガラパゴス春日太一の八甲田山遭難陰謀論1と1.5お勧めです。改めて八甲田山雪の彷徨と坂の上の雲が見たくなるから。 先輩俳優が焚き火にあたろうとしないから若手もあたるわけにいかず地獄の現場だったとか言ってたなw 高倉健さん「みなさんが寒い中やっているのに私だけが焚き火あたれるか」
一同「いや、健さん頼みます、火にあたってください」
ビートがネタにしていた >>425
生き残った兵も殆どが旅順攻撃で戦死したから
意味はないよ 雪中行軍のラッパ兵がラッパと口がくっついちゃって
無理にはがした出血で死んだ話こわすぎ >>381
機械がいつでもまともに動くとは限らない。そうなった時にどう動くかの為の訓練だから有効。
まあ隊員の方々が無事に帰還されることを願う。 >>431
雪中行軍した部隊だけではなく、満州軍全体で考えなさい >>369
何で白なの。馬鹿なの。なめくさっとんな >>437
目立つ格好したやつから撃たれるのに
捕虜とかムリ >>406
実際、遺体は凍ってたから、回収後に鉄板にのせて直火で炙って解凍してから、服着せて棺桶に入れたらしい
仮死状態の人には針が刺さらなくて、口の中に注射したとか
遭難してた時の最低気温、いまだに更新されてないもん
マイナス41度ってなぁ ひいばっちゃが観に行ったけど、だれが甲八さんかわかんなかったと言ってた。 明治35年の遭難を忘れないために また遭難するまで続けるんだよな 何故か真逆だけど
メインテーマ曲が「月の砂漠」に似てる。 緊急を要したのかなあ。雪のない時にルートを確保してから(休憩小屋をおいたり)雪中行軍すれば良かった。
探検が目的じゃない。 山の天候舐めてる人って意外に多いもん
昔でも今でもそう >>447
旭川のお土産で「氷点下41度」とかいうお菓子があってだな 義理に絡めた恤兵真綿
そろりそろりと首締めかかる
どうせ生かして帰さぬつもり
が検閲で
どうせ生きては帰らぬつもり
になり、厭戦歌として禁止歌に 弘前連帯が有能扱いされてるけど地元の案内人使いつぶした連中だろ?
こいつらも凍結すりゃよかったんに 日本でシーレーンよろしく
シーパワーの発想はいつ頃から芽生えたん? 北海道が一木支隊
青森は青森歩兵第5連隊
幽霊話すごいよね 焼かぬ干物に半煮え飯
梅干しひとつ
タバコ2本
士気が落ちる 良かったね無事で
死んだらアイツは連れてかれたって
一生言われるんだから 極論すれば、「運動時に水を飲むのは不適切、というかけしからん」というのは青森連隊のメンタリティがずっと生きていたような。
前田吟さんが良かったな。リメイクすれば秋吉さんは能年さんだろうな。 八甲田山死の彷徨
子供の時なんか学校で見せられたわ
小便すると死んじゃうやつ恐って思ったわ >>448
下見のときは好天に恵まれてほとんど遠足気分だったらしいからな
まさか訓練中にとんでもない低気圧が来るなんて思ってなかったろう
富士山測候所もまだなかったし予報も難しい >>463
指先が凍ってしまいズボンからチンコが出せないってのはつらいな そもそもこんな訓練さえしなければ悲劇は起きなかったのではないか
別に鍛えるだけならストリートファイトでもした方が何十倍も強くなるぜ >>452
知らんかった ぜひ今度頂くよw若いころヒッチハイクで冬の北海道をテント張りながら旅してたときに旭川では喫茶店で泊めてもらったなーw富良野の北海道のへその小学校では校庭でテント張った そんとき氷点下20度という天気予報だったが超寒かったなw夏の装備だったし 懐かしいや >>464
自分の親は秋田出身で今は雪の無いとこにいるけど、自分が初スキーに行くとき「雪は怖いからな」と言っていた。
行軍に参加した人達はみんな雪国出身だったかな、だから「なぜ?」と思ってね。 >>146
ミスの議論は収束しなくなるぞ。
田茂木野は第一のミスではない。
それ以前に山田少佐の随行を許したことはミスじゃないのか?
神田の山田への盲目的服従をみれば、神田が士官学校出身でもないのに将校の道を選んだことすらミスになるんじゃないか?
この事件でミスとは何か定義するのは本当に難しいんだわ。 >>262
街中歩いているリーマンと大差無いからな >>468
それほど雪深くないとこの出身者も多かったとか
生存者の多くが、普段はマタギや炭焼きとかの作業してて、雪山に慣れてた+立場が上で装備がナンボかましだった人たちだから >>473
神成大尉は岩手県出身だったね。
青森の、それも八甲田の山行は厳しかっただろう。 >>429>>430
夜叉?
日本映画chの八甲田山4KHDリマスター上映イベントで
北大路欣也が「4、5時間雪の中で待ってたが、たまらなくなって
”いつまで待たせるんだー”と言ったら
上から”高倉隊は6時間待ちだ”と言われた」というエピを語ってたよ。 >>2
毎回人数が減るからあんなに募集してるんだな >>386
文明の進化ってすごいよな
GPSも発達してるんだろうし、軍用でなくても行けそうだもの >>469
それは仕方ないやん
神成が下からの叩き上げでも別にええやん 後藤の銅像とか英雄視って違う気がする
後藤は「全員死亡」って想像だけで言っちゃったんだよな
だから救助活動に急ぐことなく、
遺体回収として遅れて山に入った
生きてる隊員がいてビックリ 後藤伍長の像は雪中行軍が一時視認して帰路を見つけたと喜んだ青森湾
そしてその先の敵国ロシアの方向を睥睨してたっている
今の時期ではなくてもつつじの花の頃に是非八甲田連峰にどうぞ ロッキー山脈での米軍との共同訓練の時に天候が荒れて米軍側は訓練中止にしんたんだけど
自衛隊側は雪合戦やってた話を思い出す 結局は田代温泉行きのルートが見つからずに引き返すしかなかった。 ロシアがいつ攻めてきてもおかしくない時に備えてお疲れ様です。 装備が段違いやからな
当時の陸軍はユニクロのフリース以下の防寒性能しかない >>394
雪山だと蛍光オレンジ以外は殆ど認識できんぞ >>464
下見と言っても田代温泉まで行ったわけじゃなく途中まで。
しかも、この下見をした兵士は本番の行軍には誰も参加してない。
この話のポイントは誰も田代温泉の場所を詳しく知らなかった。ということ >>478
米軍では敵の妨害工作でGPSが使用不能になった場合を想定した訓練もやってる あの時代
村に秋吉久美子みたいなかわいい娘がおったら
毎晩夜這いされまくってたいへんやったろうな >>488
後藤「思いません」
神田「同じく」
めでたし、めでたしであった 寒いと悲しくなるから嫌い。暑いとイライラするから嫌い >>492
神田大尉「友田少将もご同行いかがですか?」
友田少将「あ、いやワシはやめとくわ」 >>453
帰さぬつもりは帰らぬつもりに改変したりしてたらしいね
でも結局歌うのは禁止に
でも兵士の間ではこの歌は人気でその後も歌い継がれたって記述もあるね 侍に怨霊なし
軍人が戦争や訓練で死んでもソレは本望 画像ぐぐったら死体出てくるからびびったけど本物?
帽子脱がせたら皮剥がれた話とかも出てくるし
綺麗に冷凍されるイメージあったけど凍死もグロいんだな… 週二回、バス亭から家までの4kmを雪中行軍しているわしらには敵わないだろうな。 昨日の猛吹雪でもたじろぎはしなかった。
1m以上の吹き溜まりを乗り越えての雪中行軍。 NHK-BSがクソ暑い真夏の8月だったかに
この映画を放送してたのにはワロタわ
NHKの番組編成班とか、あいつらまるで頭使ってないな 配給元との絡みもあるんじゃない?
冬場放送されちゃうとレンタルの売上下がるとか テレビドラマ版のキャストもけっこう良かったよな。
神田大尉:村野武範
山田少佐:高橋幸治
倉田大尉:目黒祐樹
進藤特務曹長:小野武彦
徳島大尉:中山仁
さわ:森下愛子 連投すみません
映画の神田大尉役の北大路欣也とか2世タレントの魁だろ
しかもイケメンだったし
キンヤってのは当時愛川欽也と被ってたけどね もし 今この八甲田のリメイク版作るとしたら
ロケは適当(安全)な平地の雪山であとはCGで誤魔化して
装備は現代装備でやるってことになるのか? >>505
CGでお茶を濁してB級リメイク必死
つうか、
映画版のキャストは年齢が合っていない
軍隊なんて20才~30才前半のバリバリの世代だからね。
今、リメイクするなら
「菅田将暉」とかは必ず配役されるよ >>310
-20℃で暴風雪吹き荒れてたら、装備だけでどうなるかはわからんな >>506
CGがコテコテでしらけてしまいそう
吹雪が凄いと寒さより呼吸が出来なくなるよ
それに対処できなきゃそこで終了する
後ろ向きで呼吸しなきゃダメよ >>507
いやいや、少なくとも半数以上は助かってたよ
実際に当時のゴム長靴を履いてた倉田大尉は
凍傷なしで無事帰還した
日露戦争で戦死したけどね
あれも八甲田山の生き残り組みとして
最前線に立たされた結果の戦死だけどね >>510
あくまでその話の流れの上でのことだけど、半数死んだら大惨事やん
その理屈だと装備の信頼性の証左にならんぞ
(いや、当該製品が本当のとこどれくらいの効果かはちゃんとしないとわからんが、人が死ぬかどうかのやり方での検証は困難
) >>514
俺は謙虚に半数と言ってるだけ
実際には
全員が助かってたかもしれないが
その時の状況を誰も知らないから
ものすごく謙虚に半数と書いたんだが
お前さん、素人すぎる 極限状態になると人は幻覚や幻聴を体験する。夏場に遭難したときですらそうだったから厳冬期の山で遭難したら正常な判断が出来るかあやしい >>515
まあ>>310は別の人かとも思うんだけど
>>310ほどの表現だと着てさえいれば死人なんか絶対でない勢いじゃないと
バランスが取れないだろうとは思ってもらえないもんか
それ以上には、強く主張しようとは思わんが。 >>517
お前の仮定が別の人?もしくは同人?な時点で終わってるよ
はいまったく別人です
終了 >>516
矛盾脱衣がなぜ起こるのか
「暑い」っていうニセの感覚が発生するのか残余のなにかぬぐシチュエーションの幻覚なのか
解明しきれないみたいだよねえ なくなっちゃってるから リアルな体験でレスすれば
猛吹雪の時はやたら目ったら歩き回ったらダメ
雪に穴掘ってやり過ごすのが一番いい
風を遮るだけで全然違う うーん、とんでもなく当時より進化しているのは理解できる
ただ、今現在でも、スキー場で遭難してそのまま凍死してる人とかいるから
現代装備でもそこまで安心とは、どうかなと思うが >>519
脳が都合の良い感覚を造り出すからだと思うよ。幻覚や幻聴にしても本人がそう思いたいものが出てくるから。 >旧陸軍の隊員、199人が訓練中に死亡した「八甲田雪中行軍遭難事件」の教訓を忘れまいと
いやいや>>369の画像見て
なんでお前らはスキー板履いてるの?
ってツッコミないのが不思議 >>523
無風の-20℃だけなら現代装備で余裕
それに風速何十mが加算されたらそれだけじゃ逝ってしまう >>500
月刊テレビ誌立ち読みしてたら2月17日にBSフジで八甲田山やるんだってさ
その直前の番組が原田知世の「私をスキーに連れてって」w >>527
日曜かってか、おれんちBSないんだよ(´;ω;`) >>527
いえ、むしろ有能かもしれませんよ
スキー遭難事故を防止する意味では季節的にはOKなのと、
三上博史をテレビで久しぶりに拝見できるという意味では
大いに意義があるかもしれません
by 適当 >>530
高倉健が亡くなった後に八甲田やった
それ録画してまだ残ってる >>530
近年?
近年の産業改革思い出した
戦艦大和の時代かよ 韓国軍が同胞を救援するのは当たり前のことだ。
軍としても人間としても当然だ。
辺野古で国民の鎮魂の美海、海没戦死者の眠る墓標に土砂をぶちまける鬼畜自衛隊には、同胞民族を救助する韓国軍の行為は分らない。
自衛隊は、仲間の人肉を喰った帝国皇軍が戦後ひり出した詐欺集団だからだ。
自衛隊は自国民を喰うという思想は持っているが救助するという思想はない鬼畜詐欺集団なのだ。 https://blogs.yahoo.co.jp/pongisayoku/29363464.html
http://www.geocities.jp/yu77799/worldwar2/Philippines3.html >>500
NHK「夏の暑さを忘れて貰おうと思ったのに。・゜・(ノД`)・゜・。」 映画見た人ならわかると思うけど
一番美味しい役は
加山雄三な まぁ、
「【毎年恒例】八甲田山で陸上自衛隊が雪中行進訓練」
毎年恒例の時点で
陸上自衛隊も舐めてるけどね
遭難した同じ境遇の中で訓練してろよ
少なくとも3人は死者出して
八甲田山の呪いとかニュースになるから
間違いないよ >>505
屋外はドローン空撮しとくくらいで
あとはほとんどスタジオで済ますだろうね
裸になっても大丈夫 >>29
負傷した兵隊も…後に大酒食らって、忌み嫌われたらしいからな… 関東軍の北満ハイラルってとこに駐屯していた
爺さんの兄が話してたが、零下20度は普通で、
たまに零下40度になることもあったと言ってたから、
日露戦争の前の対寒テストは必要だったな。
関東軍とかの北の方には東北の師団が送られ、
ニューギニアとかビルマなどの南方には九州の
部隊が送られた。 >>543
完全にウソ
寒い地域期には寒さに耐えうる部隊を、南方には暑さに慣れてる部隊を配属したなんて
完全にウソ >>393
銃どころか煮炊きの特大鍋もかなり後半まで担いでた。
幸畑の資料館にリアルな遺品展示されており、当時の装備品レプリカ背負ったり出来る。
よくまあこんな薄着でと愕然。 生き残った兵たちは徴兵前にマタギだったり山で炭焼きやったりしてた人たちらしいね
彼らは個人的に防寒対策してた
腹に新聞紙巻いたり、唐辛子を入れた袋を靴下に入れてその上を油紙でくるんだり >>527
情報トン
今月日本映画専門チャンネルで4Kリマスター版を2Kコンバート放送したけど
画面が鮮明になって軍服や役者の表情が分かったわ。 >>500
青森のTV局が夏休みの真昼間に放送してたよ
昔の映画で雰囲気があるし暑さを忘れられるホラー番組としてだろうなw >>374
ああいうドキュメント見るとなんか怖くなるよね 青森人としてはこのドラマはリアル感ありすぎて
寒気してくるよ 八甲田山と聖職の碑は山岳ホラーだよね。
長野の人が登山遠足に行く前に学校で見せられたと言ってた>聖職の碑 >>543
関東の宇都宮連隊、高崎連隊、水戸連隊は満州にも行ったが南方にも転戦している
東北の仙台連隊や北海道の第7師団の一部はあのガダルカナル島攻防戦に投入されている
東北・北海道だから満州へ、九州だから南方へとは限らない >>555
基本的に、厳しい戦場には東北出身者を、駐屯維持には都市部の兵を送り込んだ。
中でも大阪の兵は使い物にならないほど最弱とされていた。もちろん、戦争末期には
生き残りは積極的に玉砕戦の為海上輸送され、潜水艦攻撃で沈められた。 徳島隊は案内人さんにひどいことしたよね(´・ω・`) >>556
大阪の兵士で組織された歩兵第八連隊のことかな。
藤本義一がエッセイで「僕ら子供は『マタモ負ケタカ八連隊 ソレデハ勲章クレンタイ(京都の歩兵第九連隊。第八連隊の次に弱かったとされる)とざれ歌を歌っていた」って書いてたな。
実際の第八・第九連隊は強かったらしいね 少し前に、雪山登山中に自衛隊に会ったことあるけど、
今時のハードジェル、中に重ね着装備じゃなくて、みんな寒そうだったぞ。
汗かいて冷えてる人も多くて、隊長らしき人に、
装備に問題あるんじゃないかと聞いたら、
大丈夫っす。で流された。 >>560
そりゃまぁどこの誰だかわからんやつに正直に答えることはなかろう ナポレオンの軍もヒトラーの軍もロシアの冬将軍には勝てなかった。
日露戦争ももしも日本がシベリアの地でロシア相手に長期戦う
事態になっていたならどうであったろうか? 戦争目的としてはシベリアまで攻め込む必要ないから
テキトーに国境決めて睨み合うだけじゃない?
それぞれ事情は違うとはいえ、双方ともドンパチやり続ける余裕ないわけだし。 >>558
実際は結構善戦したらしいが
だんじりの岸和田とか強いだろ
国軍最強は第18師団(菊)と56師団(龍)
どっちも北九州 >>563
冬将軍はロシア人の味方とは限らないぞ
フィンランドとの冬戦争ではロシア人が冬将軍に殺された >>558
大阪の連隊は大阪商人の「儲かりまっか?」「ぼちぼちでんな」の精神が根付いた人間が多かったので
上層部からの「死んでも守れ」「総員突撃」みたいな命令をバカ正直に受け取らず適宜攻めて適宜退くの戦法をやったので
「猪突猛進で突っ込んでくる他の部隊より厄介だった」という米軍の記録があるらしい >>567
で、あげくに突っ込めいってた参謀が
後半兵力が足りなくなって焦燥したときに
思ったより残存兵がいて
よくぞ残ってた と褒め称えたとかな >>568
現職の知り合いに聞いたら最近は自衛隊も(特に陸自は)少子化や核家族化に配慮して
希望を出せば隊員の実家や家族の近くの駐屯地に優先的に配属してくれるらしい
ただ幹部になると全国転勤させられるそうだが
>>570
逆に薩摩隼人や肥後もっこすだらけの九州の連隊は最期まで突っ込むので戦死率がヤバかったとか 寒い韓国を攻めるのに必要な訓練だよね
朝鮮戦争でも米軍は寒さに苦しんだからしっかりトレしてください
おにぎりは凍るからパンツの中に入れるんだぞこれ八甲田の戦訓な 当時は
装備はクソ
地理詳しいものが不在
経験不足
途中で避難する場所もリタイアして下るルートもなし
おまけに通信機器なし(狼煙さえない)
遭難していることに気付いたのが遭難から数日経ってから
こんなん少しでも失敗したら全滅するわ
つーか失敗したときのこと考えてないw
八甲田雪中行軍遭難事件
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%94%B2%E7%94%B0%E9%9B%AA%E4%B8%AD%E8%A1%8C%E8%BB%8D%E9%81%AD%E9%9B%A3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
寒さを考えると昔の天皇は偉かったな゜゜゜゜゜-y(^。^)。o0○プハー
・015代応神天皇
朝●半島全域及び満州南部を制圧(391年)。いわゆる"八幡様"。
源頼朝は鶴岡八幡宮を建てるほど尊敬し豊臣秀吉も自らを「新八幡」と
呼ばせようとした。歴代武将の尊敬の的。 >>427
映画でしか知らなかったから衝撃的だったよ
田代に実際着いていたらどうなったのか凄く気になった >>573
今の自衛隊は防寒装備完璧で共同訓練ではアメリカ兵が羨ましがる位 なんの訓練になるんだ?
対ロシアだとしても、ナポレオンもナチス・ドイツも冬に進行するから負けたんだろ?
これは歴史の教訓だ。
対ロシアは「封じ込め」で崩壊させる、弱らせるのが定石だよ? 冬の北海道の自衛隊もキツそうだけど、冬の青森の訓練も凄いな
同じく豪雪の新潟とかはどうなんだろ? >>573
むしろこの大失敗で登山や山岳戦の専門家養成しないと駄目だってなったわけで 今は昔と違って装備が充実してるから問題ない
って、装備させてもらってるとは思うけど >>585
冬戦争でフィンランドの部隊が赤軍ボコボコにしただろ
ジャングル戦と同じで、冬戦える兵隊は少数でもおっかねーぞ >>585
青森歩兵第5連隊は、冬のロシア軍の侵攻で青森の海岸沿いの列車が不通となった場合、
物資の運搬を人力ソリで代替可能か調査することが主な目的であった
だって イッテQでイモトがテレビクルーとエベレスト登頂する時代
自然のか過酷さは変わらないが人間も進歩してる
それを自覚して知識と訓練、体力と装備
それらを充実させれば昔みたいなことにはならない
はず
冬の富士山だけはやめとけよ
勝てないから 異国の冬季とか実際のとこ地獄でしかないからな
燃料も食料もてに入らないし補給絶たれたら全滅待ったなし >>593
寒さもやべえけど
穴に落ちたら二酸化炭素たまってて
酸欠で死んだ事件も近年あるんで
頑張って2階級特進してこいよ
100年たっても冬の八甲田は
頑として人を寄せ付けないでしょう 撮影準備しているスタッフに悪いからと焚火から離れて準備を見守る高倉健
主演が暖を取らないので焚火にあたれない大部屋俳優死にかける
見かねた有名俳優が健さんに焚火にあたるよう頼み込む 高倉健の映画を思い出すわ。
天は我々を…
そしてスケキヨに匹敵する… >>598
>100年たっても冬の八甲田は
>頑として人を寄せ付けないでしょう
軍隊ではなく登山家や探検家なら似た過酷な状況に置かれた人もいるだろうけど
大人数で作戦行動するのはまた全然別の話だからね 当時、信濃町に住んでたからあぁ八甲田山のシナノ企画って駅前にあるんだと発見した想い出が有るけど、まさか信濃町がこんな街になるとは思ってなかった。 >>600
石倉三郎が
健さんお願いだから火に当たってよってエピソードを話してたな
北野武も似たようなエピソードを語ってた
ただ石倉も北野もどっちも映画八甲田山には出てないんだけどな 訓練してた人みんな死んだのか?ってことは高倉健もここで逝ったのか 一方、シモヘイヘは雪を口に含んだ。
吐く息で敵に見つからないために。 >>606
そのエピは夜叉では?
八甲田山では北大路欣也が「もう5時間も待ってるー
まだかー」と叫んだら、上のほうから「高倉隊は6時間待ちだー」と
返されて黙って我慢したというエピ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています