東山三十六峰、江戸時代の儒学者が考える。
しかしそれは、京都(御所)から見える東の山々という意味で具体性はなかった。

それを戦後になってから勝手にまさぐりはじめ、なんとそれが確定したのが昭和56年。
京都新聞の記事(全共闘記者)で取り上げられて確定したw

洛中洛外論争の始まりはここw