夜の政治
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「沖縄の民意」黙殺の歴史 4度の投票結果、ほごに
毎日新聞 2019年2月24日 21時13分(最終更新 2月24日 21時13分)

 在日米軍専用施設の約7割が集中する過重な基地負担を背負い続ける沖縄は、これまでも住民投票や選挙で繰り返し「民意」を政府に突きつけてきた。

 全国で初めて実施された1996年9月の県民投票では、米軍基地の整理・縮小と日米地位協定の見直しの賛否が問われた。日米両政府は96年4月に米軍普天間飛行場の返還に合意したが、県内移設が条件とされ、県民投票には基地問題に対する県民の意思を示す狙いがあった。結果は賛成が89・09%を占めたが、県民が望んだような基地の整理・縮小は今も進んでいない。

 翌97年12月には代替施設の海上ヘリポートの建設予定地とされた名護市で市民投票が実施された。反対票が52.86%となったが、当時の市長が投開票3日後に建設受け入れを表明して辞任。移設計画はその後、紆余(うよ)曲折の末、沖縄県の合意を得ないまま、名護市辺野古沿岸部を埋め立てる現行計画に変貌した。

 選挙で辺野古移設を巡る主張が真っ向からぶつかり、初めて明確な争点となったのは2014年11月の知事選だ。現職だった仲井真弘多(なかいまひろかず)氏は自身の「県外移設」の公約を覆す形で13年12月に埋め立てを承認。知事選でも移設推進を掲げたが、「公約違反」との批判は強く、移設反対を掲げた翁長雄志(おなが・たけし)氏に約10万票の大差で敗れた。

 以降、政権側は沖縄の選挙で「辺野古」に触れずに争点化を避ける戦術を徹底。翁長氏の急逝に伴う昨年9月の知事選でも、安倍政権が推した前宜野湾市長の佐喜真淳(さきま・あつし)氏は移設問題に触れずに振興策の拡充を訴えたが、翁長氏の後継として移設反対を掲げた現知事の玉城デニー氏に約8万票差で敗れた。だが、政府は「辺野古移設が唯一の解決策」との姿勢を変えることなく、昨年12月に辺野古の海に土砂を投入して埋め立てを本格化させた。

 日米両政府による普天間飛行場の返還合意から23年。沖縄の基地問題の歴史は「民意」がほごにされ続けてきた歴史でもある。【比嘉洋】

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