【神戸】江戸幕府最後の大老 姫路城主 酒井忠績の墓が撤去の危機に
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江戸幕府最後の大老で姫路城主だった酒井忠績(1827〜95年)が眠る東京都立染井霊園(東京都豊島区)内の墓の継承者がいなくなり、
無縁墓として撤去される可能性が高まっている。管理料の支払いが途絶えて5年以上が過ぎ、霊園を管理する東京都の条例に基づき、撤去の対象になった。
そばに立つ顕彰碑文が刻まれた記念碑も同様に保存が難しくなっており、地元の姫路では「偉業の証しが消えるのは残念」と惜しむ声が上がっている。
忠績は江戸期の姫路藩主・酒井家の分家に生まれ、後に本家の養子として同藩主を継ぎ、姫路城主となった。
徳川家に忠節を尽くしたことで知られ、江戸幕府の最後の大老として幕政改革に手腕を振るった。
死後、染井霊園に墓地が整備され、広さ約20平方メートルの区画に墓石のほか、酒井家の旧臣らによって建立された顕彰碑も並ぶ。
墓石、顕彰碑は共に高さ約3メートル。
碑には、忠績の生涯や人柄が漢文で「風膺要職 文武総? 致?匪躬 執心習坎」(「早くから要職に就いて文武を統括し、
自らを顧みず困難に立ち向かった」との意味)などと格調高く記されている。
一方、10年ほど前から墓地の管理料を払っていた親族と連絡が取れなくなり、新たに引き継ぐ人も現れない状態が続いた。
都はそうした墓について、5年以上管理料を滞納すると使用許可の取り消しを視野に調査する−と条例で定めているため、忠績の墓も対象に。
墓石などを撤去して区画を更地にし、遺骨は他の霊園にある無縁塚に移すことを検討する。
同霊園には忠績をはじめ、「著名人」として明治・大正期の思想家の岡倉天心や、終戦後間もなく首相を務めた幣原喜重郎、
明治期の小説家二葉亭四迷ら約70人の墓があるが、撤去が懸念されている墓はない。
同霊園によると、墓の継承者は故人の6親等以内の親族であることが原則。
それ以外の人が継ぐ場合は裁判所の審判が必要。同霊園の担当者は「無縁墳墓にするのは仕方なしの判断。
墓を引き継げる人がいればいいのだが…」と話す。
姫路市立城郭研究室の工藤茂博学芸員は「歴代姫路城主の多くは菩提寺に眠るが、墓の撤去は聞いたことがない。
忠績は幕末維新の歴史で姫路藩の位置づけを研究する際に欠かせない人物。
墓や顕彰碑がなくなれば存在が忘れられる可能性もあり残念だ」と話す。
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201902/0012096815.shtml
2019/2/25 20:00神戸新聞NEXT 金の切れ目が縁の切れ目。もったいないと思う奴が金を出せという話やな。 別にこれはいいだろ
今で言ったらパナソニックの専務くらいの地位だろ?
誰も名前すら知らない こういうのは融通きかせて特別扱いしてもいいんじゃないのか こういうそこそこの無縁偉人の墓の移設地を有志カンパで択捉島に造ればいいな 養子にしてくれるなら墓の管理をライフワークにするわ
B級グルメよろしく、B級偉人カテゴリとか作って売り出す 岡山藩に攻め込まれて
戦わず降伏するのは恥ずかしいと
一発だけ岡山に攻撃させてから降伏したあの姫路かw なんという杓子定規
と思ったが後々のために置いとく方がいい墓なら置いてるか 文化財として保護できないもんかとも思うし
菩提寺があるなら、そっちに移設できないかとも思うよ
しかし諸行は無常
形あるものは、いつかは必ず壊れる
こちらの哲理は、一切の事情を退けて貫徹するから
その哲理に任せるのも止むを得ないかな もう直系の子孫でも5,6親等になるだろ。姫路市営の名古山霊園に
移設しろよ。 昔の偉人の墓を潰すと祟りがあるぞ
郷土の姫路に移したらいい 地元がなんとかしてやれよw城の観光収入結構あるだろうに
こんな所ケチってるとバチが当たるぞw 最後まで供養されていた方も亡くなり、
藩主レベルでも血統が絶えると、こうなるってことか 管理料って幾らなんやろ…
それによっては墓持ってない人が名乗りあげるんじゃないの?
なかなかお墓探すの大変らしいし 庄内藩の酒井家は健在だけどねえ
血縁があるなら、助けてもらえるかも・・ >>3
普通は殿様だと菩提寺がある
最悪は墓を移すしかない 姫路市民やけどなんか知らんが余計な税金使ってほしくない 姫路って池田家ちゃうんかいと思ったら、その後紆余曲折あったのね 明治ジャーディン・マセソン商会維新150年と孝明天皇睦仁親王亡亡と田布施システム >>3
この世の真理だな
この速さでそのコメントできるのは素晴らしい >>19
殿様も養子縁組み
御三家でさえ尾張藩は無継子 福山の阿部ちゃんは大丈夫?
そういや水戸の徳川家も墓地が危機的状況なんだよな。 いやいや雅楽頭酒井家も続いてるぞ
昭和49年生まれの酒井忠輝氏が今の当主だが、先代が2年前に亡くなったことが何か関係してんのかな >>1
そんなら姫路市の文教予算から供養費を出せばいいじゃん 戦後、困窮してる旧華族の令嬢を成金の嫁に仲介するブローカーのくせに(小佐野賢治も世話になった。)
後に皇室評論家を自称し散々、家柄自慢してた酒井美意子の家は絶えたの? 青山の大久保利通の墓さえも結構荒れてたから
心配になる
管理費もそうだが掃除も出来なくなる 聞いたこともない小物
安重根や李奉昌くらい偉大な功績を残せよ >>43
安重根の墓どこにあるか知ってて言ってるよな? 染井霊園の近くに高い塀に囲まれた三菱関連の墓があるんだけど
だれが祀られているのか? ふー
税金で天皇陵は保護されているのに一臣下の墓は撤去…これが日本の階級社会というしかないな >>46
岩崎弥太郎の墓、一族の墓があるらしいよ
でも私有地だって >>38 オーストラリアに移住して長い人だよね その人が第24代
>>1の酒井忠績(江戸幕府最後の大老)は16代だってさ
さすがに個人的に歴代先祖の墓守代を払うのも大変そうだ
てか、ナンボか包んで永代供養みたいにできないの?こういうのって 統合幕僚長が将軍
内閣総理大臣が大老
右翼の大臣が右大臣
左翼の大臣が左大臣
最高裁判所長官が、、、 >>26
所得税くらい払うようになってから言おうな。 あらあら
うちのお殿様は現当主も名誉町民的な役割を担われているのに かれこれ300年以上領民との付き合いがある
まあお殿様の始祖が神様となられて昔のお城の脇に祀られたから動くに動けないってのもあるんだろうけどw スレタイの【神戸】はおかしいよ。付けるならちゃんと【神戸新聞】とするべき。 弟の養子が継いだ酒井雅楽頭家(伯爵家)から分家して男爵家になったけど2代で途絶えたのか
弟も分家して別の男爵家になったけどこっちの3代目は1915年生まれだから生きてりゃ104歳
>管理料の支払いが途絶えて5年以上が過ぎ
もしかしたら弟の方の3代目が亡くなったタイミングで放置されたのかな
だったら酒井雅楽頭家がまとめて面倒見てやれよ 姫路の酒井家は雅楽頭系の本筋じゃなかったけか?
そんな名門でも継承者が途絶えたという事なのか、それとも別になんか理由があるのか 調べてきたら姫路藩の酒井雅楽頭家とは別に小浜藩も雅楽頭系統みたいね
そっちに助けてもらうか、姫路市が何とかしてみたら?
(´・ω・`) 俺の家系は大したことないみたいだが、1400年続いた事だけはしぶとさで秀逸。 >>70
こういうのこそ ふるさと納税で対応しろよ 15万国の国持大名の家が断絶することなんてあるんだ
そういえば徳川慶喜家も断絶するようだけど、谷中霊園にある慶喜の墓はどうなるのだろう?
あの規模だと元々子孫以外が管理している可能性もあるか >>64
幕末にゴネた影響で他家から引っ張ってきた養子が18代になり
16代だった本人と17代だった弟がそれぞれ分家したけど
16代男爵家は2代で途絶え 17代男爵家もたぶん3代で途絶えた
>>73
大名家は流石に続いてる 現当主はオーストラリア在住らしい >>26
余計な税金と必要な税金の区別はついてるのかな? 墓だの当主だのめんどくさいよね
俺でも海外に逃げたくなるわ >>73
菩提寺ってのは自分たちの墓を守らせるために
殿様なりが金を払って建てた
管理費とは関係なく文化財
2012年に鎌倉の頼朝の墓を破壊した奴がいる
名前は不詳 「もう韓国なんだから日本の昔の話に囚われてもな」という世間の冷めた空気を感じる >>71
1400年はずいぶんご立派。家なんて曾祖父さんまでしかいない。
1400年前に御先祖様はいなかった。 阿部、井伊、堀田は教科書にも出てくるけど酒井は初めて聞いたわ 酒井なんて所詮江戸からの出来星だろうに
冷泉とかその辺を守ってれば日本はいいんだよ
徳川松平もやべえ勧進坊主が孕ませた説が強いんだし >>85
どこの家でも1400年どころか神代の昔から続いているよ。
途切れていたら貴方は存在しない。 >>86
酒井は徳川四天王の一人
堀田なんて稲葉家の分家 >>73
紀州徳川さんも
独身の娘さんが現当主で
養子取らなけりゃ断絶 しかたない 俺が継ごうか
by姫路城の城代家老の末裔 鳥羽伏見後に徳川慶喜が数人だけ連れて、江戸へ船で逃亡したが
その中に会津の容保と桑名の定敬がいたが、この人もいたんじゃなかったかな? 姫路市が引き取って姫路に移築したら良いじゃん
徳川宗家も
紀州徳川家も
徳川慶喜家も断絶確定の時代なんだから
断絶は世の流れ
墓としてではなく文化財として保存すれば済む話 消えゆく史跡は年間1000単位だって聞いたことある
姫路市だと、去年「六騎塚」という旧跡が管理者がいなくて無に帰りそうというニュースがあった
南北朝時代所縁のものらしいけど地元民でも誰も知らん
たぶん今は、産めよ増やせよで大規模造成ばんばんやってた昔よりよっぽど文化財を守る気運が強いと思うけど
それでも歴史があるだけでは生き残れない、知名度という武器は必要 酒井美意子さんて
皇室評論家みたいなおばさんいたけど(故人)
加賀前田家からここの家に嫁に来たはず
お子さんや孫がいたはずだけど
どうしたん? >>96
頼朝の墓はみすぼらしかった
それだけ将軍なんて大した権威ではなかったってこと
明治維新の有名人の方がアホみたいに見栄
三島通庸の墓は教科書で一回しかでてこないのに無駄にデカイ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています