名古屋のフェリー「きたかみ」引退 仙台で東日本大震災に遭遇

 仙台市の仙台港で、東日本大震災に遭遇した太平洋フェリー
(名古屋市中村区)の大型フェリー「きたかみ」が一月に引退した。
当時船長として乗船していた川尻稔さん(50)=愛知県春日井市=は、
沖へ避難して大津波を避け、緊急支援物資や自衛隊員の輸送で復興に
貢献した。「震災を乗り越えてきた同志にお疲れさまと言いたい」。
きたかみに感謝の言葉を贈る。

 二〇一一年三月十一日。午前中に仙台港に到着し、夜の出港に備えて
船内の自室でくつろいでいた時に揺れが襲った。「大津波警報、高さ
六〜一〇メートル」と無線が響く。沖へ出て、津波を回避しなければ
船を守れない。エンジン起動に通常一時間かけるところをわずか十分で
終えて出港。上陸していた乗組員四人は港に残さざるを得なかった。

 午後三時五十六分。仙台港沖で高さ一〇メートル以上の波に遭遇。
水の「壁」が迫り、船首がぐっと持ち上がった直後、水中に深く
引き込まれた。四十人ほどの乗組員の誰もが無言だった。

 その後も押し寄せる津波を警戒しながら待機する間、テレビで沿岸部の
映像を見て「戻れないだろうな」と思った。本社の指示で北海道苫小牧港へ。
数日間、被災地支援に当たる自衛隊員や車両を青森に運んだ。

 三月二十五日、きたかみは仙台港が復旧して最初に入港した船となった。
港内にあったトレーラーが一キロ以上内陸まで散乱し、辺りの建物は
崩れていた。陸地の乗組員も含めて全員無事だったが、身内を失った
部下は「船を下りたい」と言ってきた。説得し四月に入るまで支援輸送を
続けた。

 震災後、同社は大掛かりな地震・津波対応訓練に取り組み、人命優先の
ため船を捨てて陸に逃れるシナリオも作った。川尻さんも訓練の際には、
他の社員に経験を伝えている。「マニュアルは大切だが想定外は起きる。
心の片隅で常にそう考えておくべきです」

 きたかみの就航は一九八九年。川尻さんの入社と重なる。何度も船長を
務めた。今年一月十九日の引退日は新船のきたかみを受け取りに下関へ
向かっており、立ち会うことはできなかった。「寂しいけれど、
でも良かった。いれば泣いたと思うので」

 三月十一日は新しいきたかみで仙台港に入港する。多くの震災犠牲者を
思い、船長室でその時を静かに過ごそうと考えている。


中日新聞・安福晋一郎(2019年3月3日 朝刊)
http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2019030302000063.html