連日、視聴率20パーセントを超えるNHK朝の連続テレビ小説『まんぷく』。主人公の福子(安藤サクラ)と、「まんぷくラーメン」を発明した夫・萬平(長谷川博己)の物語だ。言うまでもなく、モデルは、日清食品創業者の安藤百福氏(1910〜2007)と、その妻・仁子さんの成功談である。

安藤氏の自伝『魔法のラーメン発明物語』(日本経済新聞出版社)などによると、安藤氏は1957年、経営していた信用組合の破綻で無一文になった。そこで自宅に研究小屋を建て、即席麺の開発に打ち込む。

苦心するなか、妻が天ぷらを揚げる姿にインスピレーションを受け、油で揚げる「瞬間油熱乾燥法」にたどりついた。これが安藤氏の言う「発明」だ。『まんぷく』も、このストーリーをなぞっている。

だが、これに疑問を呈するのは、日本と台湾の関わりについて長年取材している、ジャーナリストの野嶋剛氏だ。

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その1人が、張國文氏だ。1917年に台湾で生まれ、歯科技工士として日本に渡った張氏は、戦後、大阪・阿倍野で中華料理店を経営しながら、即席麺「長寿麺」を作り上げた。張氏の会社である「東明商行」が「長寿麺」を発売したのは1958年の春のこと。

日清食品の社史『食足世平』によると、同社(当時はサンシー殖産)が「チキンラーメン」を発売したのは、同じ1958年の8月だ。チキンラーメンに先駆けて商品化された「長寿麺」とはどのようなものだったのか。

張氏の次男で、いまは不動産会社となった「東明」の代表を務める、清川信治氏(73)が証言する。

「安藤さんが即席麺を発明した、というのは、ファンタジーですわ。勝てば官軍。歴史は勝った者が作るものなんでしょうけど。大阪の華僑はみな私に『あんたのとこが先』と言ってくれはるわ」

1945年生まれの清川氏が小学生のころ、父が蓋をしたラーメンの丼を持ってきて、「5分待ちや」と誇らしげに語った記憶がある。のちに改良され、3分で食べられるようになった即席麺、それが長寿麺だった。

「初めて食べた即席麺。『おいしいもんやな。こんなものあるんや』と思ったわ。

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繰り返すが、「長寿麺」の商品化は1958年春。「チキンラーメン」はその年の8月。「長寿麺」のほうが、先に商品化された即席麺だった。

張氏は、1958年12月に「味付乾麺の製法」で特許を出願。安藤氏側は1959年1月になって「即席ラーメンの製造法」で特許を出願している。

だが、張氏の特許が認められる直前の1961年8月16日、日清食品は、張氏が出願中の特許申請を2300万円(現在の貨幣価値で3億円ほど)という高額で買い取った。

「うちの親父は、乱立して争うのが嫌いやった。安藤さんは、たしかに商才はあったんやろな。『チキンラーメン』という名前は『長寿麺』よりうまい。子供心に『こりゃ勝てん』と思ったわ(笑)。

だからこそ、安藤さんは、自分で作ったなんて言わんほうがいいですよ。台湾に鶏糸麺というものがあったし、親父もそこからヒントをもらったと思う。NHKのドラマでみんなが、即席麺を安藤さんの発明と信じてしまうのは、悲しいわな」(同前)

■清川氏の証言について、日清食品ホールディングス広報部に聞いた。

「弊社の創業者である安藤百福が、インスタントラーメンの発明者であることに間違いはありません。安藤が発明した『即席ラーメンの製造法』に特許が認められた事実で証明されています。

『長寿麺』にかかわる『味付乾麺の製法』が、特許権の登録を受けたことは事実ですが、安藤の『即席ラーメンの製造法』と登録日が同一であることからも明らかなように、安藤の発明した製法とはまったくの別物です」

安藤氏は市場環境を整備するために権利を買い取ったが、「長寿麺」に関わる「味付乾麺の製法」では、「チキンラーメン」のような即席麺は作れない。台湾の「鶏糸麺」についても同様、というのが同社の主張だった。

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週刊FLASH 2019年3月19日号
2019.03.05
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