>>721

つづき

>谷川が後任の斎藤実(まこと)への引き継ぎに、キリスト教の伝道を西洋人に任せるのは、甚だ危険なことなので、
これまで総督府は、日本人牧師が主宰するキリスト教会、とくに日本組合教会を援助し続けてきたと説明したと言われている(姜徳相[一九六六]、五〇〇ページ)。
>ただし、斎藤はこの助言を無視して、日本組合教会を突き放してしまい、この教会は瓦解した(富坂キリスト教センター[一九九五]、九一ページ)。

>一九一〇年一二月二九日、朝鮮北西部の宣川(Sonchon)などを寺内が視察した時、寺内暗殺未遂事件があったと報道された。
総督府系の新聞、『毎日申報』(Maeilsinbo、朝鮮語)、『京城日報』(日本語)、Seoul Press(英語)などの大々的は報道は、クリスチャンたちが寺内暗殺を計画していた、
とくに長老教会系の米国人牧師が、その計画に関わっていたという内容であった。朝鮮総督府は、一九一一年九月までに約七〇〇人の朝鮮人を逮捕し、証拠不十分で釈放された人たち以外の一二二人が翌一九一二年に裁判を受けた。
米国政府やニューヨークに本部があった長老教会は、事件との関わりを否定し、逆に朝鮮総督府が自白を得るために逮捕者を拷問していると言い立てた。
当時の京城地方法院(裁判所)は同年九月二八日、一二二人の中で一七人だけを無罪とする一方、残りの一〇五人に懲役刑を言い渡した
(一〇五人事件、宣川事件、尹[一九九〇]、梁[一九九六]、参照)。うち、九八人がクリスチャンであった。
また、一九一二年一〇月には、長老派によって経営されていた京城の京信(Kyonsin)男子高校の教師と生徒が破壊活動の嫌疑で逮捕されている
(Blair & Hunt[1977], pp. 115-16)。

>その後の控訴審では、一九一三年一〇月に、一〇五人の中で九九人が無罪を言い渡された。一方、尹致昊などの六人には懲役刑が確定した。しかし、その六人も一九一五年二月、大正天皇の即位式にちなんだ恩赦によって釈放された。