【西南戦争追悼式】西郷隆盛、谷干城の子孫「歴史的対面」
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西南戦争の犠牲者を追悼する式典が21日、熊本市北区植木町の田原坂公園であり、官軍の熊本鎮台司令長官を務めた谷干城と薩摩軍を率いた西郷隆盛の子孫が参列した。同戦争から142年の時を経て、両軍指揮官の子孫が“歴史的対面”を果たした。
追悼式を主催する西南戦争田原坂顕彰会によると、谷干城の子孫の参列は初めてで、やしゃごにあたる東京在住の谷忠昭さん(75)。靖国神社(東京)の慰霊祭で、忠昭さんと知り合った元陸自第8師団副師団長の宮本一路さん(67)=熊本市=が呼び掛けて実現した。
忠昭さんは、西郷隆盛のひ孫にあたる西郷隆文さん(71)=鹿児島県日置市=と、慰霊塔の前でがっちり握手。互いに「会うのを楽しみしていた」と顔をほころばせた。
忠昭さんは「体が大きく、西郷隆盛の面影がある」、隆文さんは「温和な表情の中に鋭さを感じた」と互いの印象を語り、「当時の若者たちの犠牲の上に今の平和があることを忘れてはいけない」と声をそろえた。
顕彰会の藤井修一会長(66)は「敵味方に分かれて戦った2人の子孫にそろって参列していただき、ありがたい」と感慨深そうに話した。
式には両軍の遺族ら約200人が参列。慰霊塔の前で黙とうし、献花した。田原小5年生による剣舞の披露もあった。(久保田尚之)
熊本日日新聞 3/22(金) 8:06
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190322-00000001-kumanichi-l43 戦いあった子孫が互いに手をとりあう
いい光景じゃねえか
1000年も恨み続けるバカ民族には理解できまい >「体が大きく、西郷隆盛の面影がある」
西郷隆盛と面識があるのかw
やしゃごにあたる東京在住の谷忠昭さん(75)っっっっっっっっぱねぇっす!! そうは言っても、谷さんの先祖もどうせ薩摩か長州だろう? >>1
西南戦争って、結局、戦国時代、毛利i家が山中鹿之助率に尼子残党を集めさせて討ったカタチと似ている事に気付いた。
毛利=政府軍
尼子残党=旧幕府軍の士族(市村鉄ノ進とか)
写真が無いのは〜・・・ >>10
谷さんは土佐のような人だ。
というか、新政府に忠実だった一方、
坂本龍馬殺害者を追って、新選組隊士を根絶やしにしようとしたことで知られている。 次は、板垣退助の子孫と近藤勇の子孫の対面は
ないだろうな 首を晒しちゃったからなぁ どちらも現代日本のエスタブリッシュメント階級。
隆盛の子孫も明治末に復権して華族になってる。
少なくとも近い親戚同士は旧華族の親睦団体の霞会で顔見知り。
遺恨などあるはずがない。 >>24
隆盛の子孫の女の人は横須賀で美容師だそうです
テレビで本人が出てきてた 野蛮な輩を祭り上げる猿だってのがよくわかるね
欧米やアジアの連合国が日本人を嫌うのは残虐で戦争を美化するからなんだよ 実質、人権など全く認められていない中世ジャップランド。
警察も司法も腐りすぎ。死ね。
・自白調書だけで裁判で有罪に持ち込める
・その自白調書は、警察の作文でもOK
・作りたいだけ冤罪が作れる。
・しかしヤクザとは癒着してるからヤクザはやりたい放題。
死ね糞ジャップ
q2 よかったですね。
勝てば官軍座れば牡丹歩く姿は百合の花って言いますね。 >>12
何かと批判的に取り上げられる西ク隆盛の肖像画
あながち間違ってないと思う >>32
本物は黒目が異様に大きくて左右のどちらかのこめかみに切り込みがあって
そしてなにより生前は写真に撮られることを極度に嫌っていたから
写真館でわざわざ撮影に応じるとも思えないんだが・・・ >>3
革命と勝手にいってるテロ行為をすぐしたがるパヨクとかな >>9
ガラクタばかり作ってるヒョンデに名工など存在しない >>19
相手を恨むことしかできない愚かで憐れな絵便器族 >>26
ベトナムでの韓国軍の蛮行
チベットにおける中国共産党による民族浄化という名の殺戮行為
どっちも野蛮で許されないジェノサイド >>13
■谷守部 武市半平太両人え 軽輩十五人被差添
幕末時分、谷さんは土州の勤王派上士(極めて少数派)で、武市半
平太ら土佐勤王党員は、この谷さんの配下として活動していた。
谷さんは、当時、朝廷を中心に展開した幾多の騒動に間接的に関
与していて、その顛末を逐一把握していたけれども、彼は土州の中
では主流派に属しておらず、立場的にも何の実権も持っていなかっ
たので、孝明天皇と交わした攘夷実行の約束を守らない幕府に抗い、
犬猫の様に殺されていった自分の配下の勤王党員ら大勢の土州の
軽格(亡命組も)たちを、不本意ながら見殺しにせざるを得なかった。
当時の谷さんは、土州の士分として、非常に肩身の狭い思いをして
いた筈だし、憤懣遣る方無い思いを持っていた事は想像に難くない。
西南戦争はあまり取り上げられる事も少ない戦争ですが、
消費弾数でいうと日露戦争の3分の1にもなる大戦争です゜゜゜゜゜-y(^。^)。o0○プハー
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★数字で見る西南戦争(1877年2月〜9月24日)★
【兵力】
■政府軍 5.2万(警視庁1万含む)
■薩摩軍 4.2万
【火器】
■政府軍 後装銃1万+前装銃3万+砲150門
■薩摩軍 諸々入れて銃5千+砲50門(各門玉100発)
※後装銃(スピンドル銃)の方が容易に多く撃てる
【消費弾数】
■政府軍 3千万発 ※日露戦争の3分の1
■薩摩軍 3百万発
【死傷者】
■政府軍 1.6万
■薩摩軍 2.0万
【出典】『兵器と戦術の世界史』(中公文庫金子常規著) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています