井伊家伝来の弓具展 初代藩主井伊直政が使っていたと伝えられる長さ2メートル30センチの合弓も・彦根城博物館
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井伊家伝来の弓具展
*ソース元にニュース画像あり*
http://www3.nhk.or.jp/lnews/otsu/20190319/2060002225.html
※NHKローカルニュースは元記事が消えるのが早いので御注意を
初代彦根藩主の井伊直政が使っていたとされる2メートルを超える弓など、
井伊家に伝わる弓矢の道具を集めた企画展が彦根城博物館で開かれています。
この企画展には、彦根藩主の井伊家に伝わる弓矢の道具50点余りが展示されています。
このうち関ヶ原の戦いなどで活躍した初代藩主の井伊直政が使っていたと伝えられる
長さ2メートル30センチほどの「合弓」は、より遠くに矢を飛ばすため
外側と内側に竹をはり合わせて弾力性を高めていて、手で握る部分の太さも11センチ余りある大きなものです。
また矢を入れて持ち運ぶ用具には井伊家の家紋が金のまき絵で描かれ、儀礼用として使われていたとみられています。
中に入っている矢には、江戸時代の官職にちなんで「彦根中将」という文字が記されていて、
4代藩主の直興以降の当主が使っていたことがうかがわれます。
前橋市から訪れた60代の夫婦は
「飾り物ではなくて、実際に使われたような跡も見られるのがすばらしいです」
などと話していました。
彦根城博物館の古幡昇子学芸員は
「武家のたしなみであった弓を通じて、井伊家の技を感じてもらいたい」と話していました。
企画展は来月3日まで開かれています。
会期中は無休
03/19 12:12 これを持っていたら桜田門外の変を切り抜けることができただろうに 井伊直弼「言い直すけ?井伊大老も言えないこんな世の中じゃ」 地元民と違うからな。蛍大名京極家の地元やからなぁ。姉といとこその1、いとこその2、嫁のオメコで出世して四国移住したんやで。 魏志の昔からずっとロングボウなんだよな。
戦乱の経験豊富な国で競技志向の仕様が保たれたのはよう分からん。
刀のほうは短くなったのにな。 滋賀の人間は元々滋賀人じゃない愛知人に支配されて喜んでるからな。 >>1
※NHKローカルニュースは井伊家伝来の弓具が消えるのが早いので御注意を >>7
技術がなかったから
それに反発力の強い動物性の素材は湿気に弱いのでメンテナンス性も低い
何より大陸のような強力な短弓を作る技術がなかった
戦国末期の徳川家は護身用に朝鮮弓を導入したらしいが、取り回しが良くて使いやすく、
和弓より遥かに威力が強かったらしい
でもメンテナンス性が低く、すぐに劣化する上に鉄砲の時代になっていたことと、
戦争がない平和な時代に突入したことで普及しなかった
クロスボウも同じく全く普及しなかった 井伊大老は自分の流派をもつほどの達人なのに、なぜ桜田門外の変で首を取られたのか?
実は、一人参加した薩摩藩士が籠に向けて拳銃で撃ったからなんだ。
その弾が腰から太ももにかけて走る。
そのために立ち上がれず、脱藩水戸藩士により引きずり出され首を切られたのだ。 >>13
飛距離よりも命中率や貫通性重視の戦闘スタイル所以だろうな
また長弓文化の南方にルーツを持つという証左でもある 井伊直政も島津家臣に打ち取られ
井伊直弼も島津家臣に打ち取られてるのなw
井伊と島津って因縁の仲だな 彦根藩って、桜田門外の変で60人も家来が居たのに
わずか18名の水戸浪士に、井伊大老の首取られた
無能集団でしょ
生き残りは全員詰め腹切らされたらしいが >>22
そんな単純なものでもないよ
そもそも使用スタイルが違うのだから
短弓は上空に向かって撃ち矢の雨を降らせる使い方がメイン
広い平原で距離をとっての逃げ撃ちで絶大の効果を発揮した
一方でで和弓は距離を詰めての直接の狙い撃ち
貫通力に優れ重武装の相手に効果を発揮
元寇での記述に矢が軽く威力は大したことないが毒を塗っていて厄介みたいな事書いてたね 歴史系のスレでいつも思うがお前らのその詳しさってどこで得るん? >>29
全然詳しくないよw
「知ったかぶりvs知ったかぶり」の戦いでしかない。
だって誰も当時を知らないし。 >>23
短銃を放ったのは薩摩藩士ではなかったと思うが。
襲撃開始の合図も兼ねて籠に発砲した関は水戸藩士。 日本の暗殺で拳銃で撃たれたのってこの人が初めてじゃないか?
直弼さんの方ね。 NHKの偉い人に井伊家の末裔でもいるの?
何の活躍もしない大河とか
関係者しか興味なさそうな武具のニュースとか >>22
逆。
技術力が高かったから世界で唯一馬上騎射が出来る弓を作ることが出来た。
>>28が言うように蒙古襲来の時代だと短弓のモンゴル弓より飛距離が長くて強力だった。
威力の協力な短弓(コンジットボウ)の登場はもっと後でしかも中東くらいしか使われ
ていない。 >>34
訂正
>>唯一馬上騎射が出来る弓を作ることが出来た。 ×
>>唯一馬上騎射が出来る長弓を作ることが出来た 〇 >>37
銃による狙撃をやられたのは信長が最初だよね。 >>32
あ、ごめん
それは拳銃じゃなくて銃だった >>31
すまん、勘違いしいた。
水戸藩士の森五六郎だね。
そのピストルを作らせたのは水戸藩徳川斉昭だと言う噂。 戦国時代の弓の名手に大嶋雲八って信長から「俺の考えたカッコいい名前」もらった武将いるんだけど超地味 >>32
拳銃、に限定されると難しいなあ
日本は幕末まで火縄銃しか無くて、他国で火打石銃(フリントロック)が出来たり、金属性薬莢の後部を尖ったもので叩いて
薬莢内の推薬を発火させるようになったもの(パーカッションロック)が出来たりした後でようやくそれが日本に入って来て
技術の差に唖然とし、まずは250年前の旧式タイプの火打石銃を有難がって買い集めるという愚行に走ってしまうw
とはいっても、火打石式でも銃身の方にライフリングがあって弾丸の後ろに弾丸を少し押し広げるための
ミニエ殻が入ってるといいんだけどな
ともあれ拳銃に関しては、日本は(表向きは)弾倉がレンコン型をしていてそこに薬莢付きの弾丸を詰め、打ち終わったら
回転して次々に弾丸を発射位置にセットできるタイプの連発銃は幕末までは入って来なかった
ただし銃身ごと回転するタイプの火縄式の短銃などは江戸時代から作られているし、ヨーロッパでも同様の
先込め式で火打石式で銃身が何個も付いているものが出来ている
アメリカでは「ペッパーボックスピストル」が結構流行り、しかもこっちの方が
普通の単銃身のコルト式拳銃より先にダブルアクション機構を備えたタイプが1/3の価格で売り出されるなどで
コルト社は一時期倒産してしまった(その後復活)
で、江戸時代に多銃身式の短銃で撃たれた奴がいたのかどうか?はちょっと分からないな
一部の上流階級の武士は持っていたらしいから、多分暴発の被害を受けた人もいただろう
時代劇だとなぜか時々出て来るんだよなあw >>4
多分その弓も雪で濡らさないために袋の中に入れといて
いざという時に取り出せず水戸藩士にあっさり斬られるオチ 三国志の時代に連射式の弓があったらしいがどんなんだろう ジャップは警察も司法も腐りすぎ。人権ゼロの糞国家。
・自白調書だけで裁判で有罪に持ち込める
・その自白調書は、警察の作文でもOK
・作りたいだけ冤罪が作れる。
・しかしヤクザとは癒着してるからヤクザは野放し。
どこが「日本はいい国」だ、死ね糞ジャップ 死ね
0 井伊は彦根へ落下傘降下、
石田三成が地元出身の武将としては民百姓に善政を敷いたらしく
今も慕われているらしい 関ヶ原の時無謀な先駆けを行って
早々に東軍全面敗北の危機に陥らせた愚将だろ
小早川秀秋の裏切りが無かったら
日本の歴史がまるっきり変わってたやつ 井伊直弼が攘夷を止めなければ日本はどうなっていたのだろう? 展示品その51. 28年間朝食にカレーを作り続けた内助の功、弓ちゃん ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています