【大阪】世界遺産目指す百舌鳥・古市古墳群 朝鮮半島から多くの渡来人が移住、遺物が語る朝鮮との交流 若手研究者3氏講演会
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百舌鳥古墳群の副葬品などから見えてくる5世紀の国際交流について語る研究者ら=堺市北区で
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世界文化遺産登録を目指している大阪府の「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」。5月上旬には正式決定に大きく影響する「勧告」が出る見込みで、地元では「いよいよ」と期待が高まっている。百舌鳥古墳群の地元・堺市では2月、築造された5世紀ごろの国際交流を考える講演会が開かれ、若手研究者が古墳の副葬品などから分かる朝鮮半島との関わりについて語り合った。
5世紀ごろの朝鮮半島は情勢が不安定で、日本と関係の深かった百済や加耶(かや)と呼ばれる地域から多くの渡来人が移住したとされる。それに伴い、王権の中枢だった古墳群を中心とする地域に技術や物品、動物などがもたらされた。
講演会では、関西大の井上主税准教授が鉄〓(てってい)などの鉄素材、京都府立大の諫早直人准教授が馬具、京都橘(たちばな)大の中久保辰夫准教授が須恵器などの土器を例に、いずれも朝鮮半島と同じ特徴を持つ遺物が古墳群の周辺で見つかっていることを紹介。土器からは生活や儀式面で朝鮮半島と深い交流があったことがうかがわれ、そうした交易を背景に鉄素材や馬がこの地域に集中。さらに国内生産にも挑戦していた様子が分かることを解説した。中久保さんは「新しい技術や物珍しい物品を用いて軍事、経済、イデオロギーを掌握し、権力の維持に成功したあり方が読み取れる」と話した。
ただ、宮内庁が陵墓として管理する大規模な古墳は内部の様子がほとんど分かっていない。副葬品を予想する討論で3人は「推測の範囲」と言葉を選びつつ大胆な説を展開。朝鮮半島の王陵での出土例などを参考に、井上さんは「ササン朝のカットガラスや金属製の丸い器、トンボ玉など渡来系の玉類の装身具」を挙げた。諫早さんは「新羅では玉虫の羽を敷き詰めた馬具がある」と指摘し、「日本でも高級な舶載品を尊重する考えから、国産品の中で序列をつけるという変化が起きてくる時期。他の地域にない材料やデザインを取り入れたオリジナルの馬具があるかもしれない」、中久保さんは「倭の五王」による中国王朝への遣使を念頭に「中国陶磁」を挙げ会場を盛り上げた。
世界遺産登録の可否は6月末〜7月にバクーで開かれる第43回世界遺産委員会で決まるが、それに先立ち国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関である国際記念物遺跡会議(イコモス)が登録にふさわしいかの勧告を出し、「登録が適当」とされれば大きな前進となる。古墳群が現代の国際交流の場としても注目を浴びることになるのか、大勢が分かるまであと約1カ月だ。【花澤茂人】
毎日新聞 2019年4月8日
https://mainichi.jp/articles/20190408/dde/014/040/005000c?inb=ra 2015年の中国メディアの分析
まず古代において、日本は一度中国を頂点とする冊封体制の中に入ったものの、
西暦607年には聖徳太子が遣隋使の小野妹子を介して隋の皇帝・煬帝に対し
「日出ずる処の天子が日落ちる処の天子に・・・」とする書簡を送り、
翌608年にも日本側が「東の天皇が西の皇帝に敬白す」として日本と中国が対等であることを示す文書を送ったと解説
日本は非常に自覚的に中国との対等な関係を保つことに注力し、中国に対して決して屈服しない心理を持つに至ったと説明。
日本人は遣唐使を派遣して中国の文化を学ぶ一方で、決して中国に対して自らを「臣」とは名乗らなかったとした。 【元寇】元寇による日本脅威論の形成
元寇では、日本刀は戦場で大きな力を発揮した。南朝遺臣の鄭思肖は日本刀を評して「倭刀はきわめて鋭い」と指摘し日本征服が難しい理由の一つに
日本刀の存在を挙げ、クビライに仕えた王ツもまた元寇を受けて「刀は長くて極めて犀なるものを製り…」と評すなど日本刀の鋭さに言及している。
浙江大学教授・王勇は弘安の役での敗戦とその後の日本武装商船の活動によって中国における対日本観は大きく変化し、凶暴で勇猛な日本人像および日本脅威論が形成されていったと指摘している。
例えば、南宋遺臣の鄭思肖は「倭人は狠、死を懼(おそ)れない。たとえ十人が百人に遇っても、立ち向かって戦う。勝たなければみな死ぬまで戦う。戦死しなければ、帰ってもまた倭王の手によって殺される。
倭の婦人もはなはだ気性が烈しく、犯すべからず。倭刀はきわめて鋭い。
地形は高険にして入りがたく、戦守の計を為すべし」と述べ、また元朝の文人・呉莱は「今の倭奴は昔(白村江の戦い時)の倭奴とは同じではない。
昔は至って弱いと雖も、なお敢えて中国の兵を拒まんとする。いわんや今は険を恃んで、その強さは、まさに昔の十倍に当たる。
さきに慶元より航海して来たり、艨艟数千、戈矛剣戟、畢く具えている。その重貨を出し、公然と貿易する。その欲望を満たされなければ、城郭を燔して居民を略奪する。海道の兵は、猝かに対応できない。
士気を喪い国体を弱めるのは、これより大きなことはない。しかし、その地を取っても国に益することはなく、またその人を掠しても兵を強めることはない」と述べ、日本征服は無益としている。
また、明の時代の鄭舜功が著した日本研究書である『日本一鑑』では、元寇について「兵を喪い、以って恥を為すに足る」と評すなど、後の時代にも元寇の記憶は批判的に受け止められていたことが窺える。
元寇の敗戦を通してのこういった日本軍将兵の勇猛果敢さや渡海侵攻の困難性の記憶は、後の王朝による日本征討論を抑える抑止力ともなった。
元の後に興った明による日本征討論が、初代皇帝・朱元璋(洪武帝)、第3代皇帝・永楽帝、第12代皇帝・嘉靖帝の時の計3回に渡って議論された。
そのうち、朱元璋は軍事恫喝を含んで、明への朝貢と倭寇の鎮圧を日本の懐良親王に要求した。
ところが懐良親王は、もし明軍が日本に侵攻すれば対抗する旨の返書を送って朱元璋の要求を受け付けなかった。
この返書に激怒した朱元璋であったが、クビライの日本侵攻の敗北を鑑みて日本征討を思い止まったという。 >>15
いや、日本に亡命したり渡日した古代の朝鮮半島人と、
今居座ってる朝鮮人は別物だから 日本の戦国時代は、同じ民族で多くの国に別れて戦っていたけど
朝鮮半島の高句麗だとか百済だとかもそんな状況だったのか?
それとも全然違う人種同士で戦争していたのかな?
あんな狭い半島にそんなに多くの人種がそれぞれ国を作っていたというのも不思議だな >>96
古代は朝鮮から行くよりは中国に一番近い港から行く方が合理的というのはわかる
白村江で負けたのは海上戦というよりは陸上戦だろう
高句麗対唐、新羅対百済の全面対決であくまでも陸上戦だろう
だから船で行った当時の日本人なんてあまり援軍として意味をなさなかったと思うのも同感
そもそも船で行ける人が限られるからね
だから当時の日本のトップは戦争に加担するのを嫌がってた
だからそのトップを殺して成り代わって無理矢理日本を戦争に加担させた
それが大化の改新の真実だろう
あながち天智天皇が百済の王子説も間違ってないと思う >>63
ローマやアメリカは文明を作ってきた側だろ
そりゃ人は集まるよ >>104
そこまで朝鮮は民族が離れていないだろ
高句麗は今で言えば中国になってる地域だし
一時は清帝国まで打ち立てた
だから朝鮮はせいぜい百済と新羅だけだよ
2つに別れてた国が激突して一つにまとまっただけ こりゃ無理だな
朝鮮が出てきたら登録できるものも出来なくなるよ
政府も今どき朝鮮が絡んだとか言い張る物なんて推薦する気もないよ府民も国民も望まん 朝鮮民族の祖先は、半島に国を作るという選択は間違いだったとしか思えないよな
南は天然の堀である日本海に守られている日本
北は強力な漢民族の帝国の広々した大地
常に北と南からの脅威にさらされるという不利な土地に国を作ってしまって
子孫は苦労を強いられてしまったではないか
それに比べて日本人の祖先はよくもまあ、有利な土地に国を構えたものだと感心するわ 維新の会が勝ったのでこれからどんどん歴史改変と日本人排除に傾きます >>63
文明は遅れていたけど島国で外敵の侵入がなく
朝鮮よりも温暖で農地が豊かだったから
朝鮮から開拓民が流入した >>1
「帰化人」だ、在日作家風情が捏造した「渡来人」なる政治用語なんぞ二度と使うな >>6
お前が日本人じゃないことがはっきりしたな。
アホはあまり知ったかぶりしないことだな。
そもそも天皇家自体が百済王の血が入ってることも知らない馬鹿なんだろうな。 朝鮮は
日本の属国かくし中
みまなせいふかくし中の
在日朝鮮工作員追放 毎日新聞
歴史捏造工作記事まいど
注意を
改竄工作 朝鮮半島で前方後円墳を作っていた民族が近畿にやって来て日本で前方後円墳を作り出した
と考えるのが正解だろうな。朝鮮半島は関西人の故郷だからな まだ税金で世界に旅行行く為の世界遺産登録なんてものやってんのか
税金の無駄遣いすぎる 京都、奈良、兵庫、和歌山には世界遺産あって大阪にはないから必死やねんw また朝鮮ゴリ押ししてくるんかよ?
三韓征伐の後で、日本の属国だった時代やろ?
朝鮮半島にもまねて作った小さな古墳がいっぱいあるよね? >>116
朝鮮の前方後円墳は日本のよりも100〜200年も新しいわけだが
その意味するところが分かるよな
そもそも、朝鮮には文化遺産など殆ど無いだろ
日本に併合してもらうまで、地べたを這いつくばっていた土人なんだよ >>128
女系の血だから今は殆ど関係ないけどな
てか、百済人と朝鮮人は別民族だし笑 ていうか、まずせめて仁徳・応神稜の本当の被葬者を特定しろよ。 >>133
朝鮮の前方後円墳は日本のよりも100〜200年も新しいわけだが
バカ朝鮮人 >>138
ちなみにまさに応神・仁徳が女系が新羅人なんだよなあ。
お母ちゃんの神功皇后がアメノヒボコ(新羅王子を自称)の
子孫ね。 >>133
前方後円形墳が半島南部で発見されたとき、現地の考古学者やマスコミは湧いた
何故か?日本のものより確実に古く、日本の前方後円墳は半島から渡ったに違いないと思い込んだからだ
ところが、調査してみると、どうも日本のものよりも新しく、5世紀後半以降頃のものとわかった
逆に、5〜6世紀は倭国(日本)の領土であった可能性が出てきた
以降、なかったものとしてずーっと沈黙を守っているのが現状 大和は今のアメリカみたいなものだったのかもね。
半島や大陸から進んだ技術や知識を持った人材を積極的に取り込み、他国に対して優位に立つ。
これが大和が倭国の覇者になれた理由だろう。 アホだな
半島南部に前方後円墳が沢山ある
しかも日本より小さくて時代も新しい
で、高句麗の好太王碑文に百済と新羅は倭の属領と書いてる
答え明白だろ >>133
逆で半島が日本の支配下にあったんだよ。そもそも今の朝鮮人とは民族が違うけど 堺の古墳てデカ過ぎてまともに見れない。
神戸の五色塚古墳ぐらいがちょうどいい 関西人には縄文人の遺伝子はまったく入っていないと遺伝学者が言っていたな ○レヴィン(旧ソ連の人類学者)
『シベリア抑留者1万人を調査した結果、近畿人は朝鮮人とほぼ同じだが、東西へ向かうに従い日本人となっていく』
○梅原猛(愛知県出身。初代国際日本文化研究センター所長)
『近畿人は日本人全体からかけ離れて朝鮮人に近い。東大の埴原和郎先生は近畿人は日本人じゃないと言う。』
○池田次郎(京都大学名誉教授・自然人類学)
『畿内人は韓国朝鮮人と同じグループに属し、日本人から最も離れている』
○岩本光雄(京都大学名誉教授・霊長学)
『畿内人と大陸人、とりわけ朝鮮人は人種的につながっている』
○埴原和郎(東京大学名誉教授・自然人類学)
『近畿人、特に畿内人は目立って朝鮮の集団に近く、日本人からは外れている。帰化人たちは、ほとんど全部が大阪京都奈良に根を下ろしたといってよい』
○欠田早苗(兵庫医科大学名誉教授・解剖学)
『大阪を中心とする近畿地方の人たちは、百済地方の人たちと匹敵するほど頭の形が丸い』 天皇も韓半島から渡ってきたんだ?ろネトウヨどうするの?? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています