関根摩耶さん
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もしかしたら電車で隣に座っている人がアイヌかもしれない。そうだとしても、自分と「違うもの」だと身構えずに、自然と受け入れて欲しいーー。そう語るのは、アイヌにルーツを持つ慶應大学二年生の関根摩耶さんだ。アイヌは主に北海道に住む少数民族。今、このアイヌに注目が集まっている。

4月19日、アイヌを法律上初めて「先住民族」と明記した「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」(以下、アイヌ新法)が成立した。

アイヌ新法では、アイヌへの差別禁止が明記され、アイヌ文化継承や観光振興などにつながる事業を行う市町村へ、交付金制度が設けられた。

ハフポストのネット番組「ハフトーク(NewsX)」に出演した関根さんは、自身のこれまでの経験やアイヌ文化の魅力、そして「アイヌ新法」への思いを語った。【文・湯浅裕子/編集・南 麻理江】

■アイヌ語を話すおばあちゃんの口元。

北海道平取町(びらとりちょう)二風谷(にぶたに)という小さな町で育った関根さん。二風谷は、人口の7〜8割がアイヌ民族の血を引いていると言われており、「アイヌ」がマジョリティの環境で育った。

関根さんは、母親がアイヌの血を引いていることから、アイヌ文化に触れて育った。日本語を母語としながらも、傍らには常にアイヌ語があった。

そんな関根さんが、今でも強く印象に残っているシーンがある。

《小さい頃、おばあちゃんと呼んでいたアイヌ文化の伝承者と言われている中本ムツ子さんから、公民館でよく物語を聞かせてもらっていました。状況はあまり覚えていないのですが、おばあちゃんのアイヌ語を話す口元だけがぼんやりと、でも強く印象に残っています。おばあちゃんの思い出は、私にとって大事な思い出であり、温かい思い出です。》

アイヌは、文字を持たない民族と言われている。現在では、カタカナやアルファベットを用いて表記されるアイヌ語だが、それまでの術は、口伝えだ。アイヌは多くの物語を持ち、子や孫へと伝承してきた。

■アイヌ民族は「教科書の中の人」

その後、札幌市内の高校に進学。生まれ育った二風谷を出ると、アイヌの血を引く関根さんはマイノリティになった。

《家族から話は聞いていましたが、大人になるにつれて、アイヌの人たちが差別や偏見の対象となっていることを意識するようになりました。自分が直接いじめを受けていなくても、アイヌじゃない人たちが多い中では、次第にアイヌであることに引け目を感じるようになっていきました。》

アイヌは長きにわたって、結婚や就職などの際には根強い差別や偏見に晒されてきたと言われている。関根さんは、それまで何も思わなかった自分の出自について、周囲に隠すようになった。同時に、周囲のアイヌに対する考え方に違和感を募らせるようになっていったという。

《学校の教科書でアイヌの話が出てきても、アイヌは「教科書の中の人」「歴史の中の人」という雰囲気が教室中にあって、違和感を感じていました。アイヌの血を引いている自分が同じ教室にいるのに、いないみたいに扱われていると感じました。私自身も、そういう時はなるべく教室の中で目立たないように意識していました。》

アイヌの血を引く人たちの中には、自らの出自を隠して生活している人も多くいると言われている。関根さんも、同じだった。

■「アイヌってかっこいいじゃん!」がきっかけに。

自分の出自に対してモヤモヤを抱えたまま過ごしていた関根さん。高校3年生の時、友達との何気ない会話の中で、自分がアイヌであることを口にした時だった。

《友達に「私アイヌなんだよね」ってポロっと言ったら、「えっ!いいね!かっこいいじゃん!」と言われたんです。「自分の守りたいものがあるっていいじゃん」とまで言ってくれた人もいて。みんな偏見を持っていると思っていたので、正直、驚きました。同世代の人たちは意外と偏見がないんだなと思いました。同時に、アイヌを知らない世代なんだなって思いました。》

関根さんは、アイヌ文化やアイヌ語など、自分の根源となっている「アイヌ」に対して誇りを感じるようになった。自分に自信が持てるようになったことで、自然と自分の出自についても周囲に素直に話せるようになっていったという。

アイヌについて知らない世代が多いからこそ、ネガティブなことだけを伝えるのではなく、自分が思うアイヌ文化の良さを伝えていきたい。使命感のようなものが生まれていった。(続きはソース)

4/22(月) 17:10配信
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