【PC-98/88】売上高は20年間で半分程度に…迷走「NECはどこへ行くのか」の答え ★2
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NECの看板商品だったパソコン「9800シリーズ」 中国のレノボに売却した
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NECは7月に創業120周年を迎える。平成時代の30年間は、ちょうど最後の4分の1に当たる。この間、トップ交代は6度あり、経営は時計の振り子のように大きく揺れた。連結売上高は2001年3月期にピークを迎えたが、ITバブルの崩壊や韓国、台湾などとの競争激化により、おおむね20年間で半分程度に縮小した。「NECはどこへ行くのか」とも言われ、迷走する中で、13年ころにターンアラウンド(方向転換)に着手。戦う場所と戦い方を変え、社会価値創造を目指す企業へと変貌を遂げている。
■6度のトップ交代
平成が始まった1989年、NECは80年以降の拡大路線のさなかにあり、ハイテク産業の雄として、バブル経済の波にも乗っていた。この成長をけん引してきたのは中興の祖でもある関本忠弘氏(当時社長)で、94年に経営を金子尚志氏に引き継いだ後も、会長として影響力を持ち続けた。
だが、成長の階段を一気に駆け上がってきた反動は大きかった。連結売上高は01年3月期に5兆4097億円と、過去最高を記録したものの、急成長に伴う歪みが経営を圧迫していた。日米半導体摩擦や00年のITバブルの崩壊、半導体投資のリスク拡大などにより、バランスシートの毀損(きそん)が広がった。
看板商品だったパソコン「PC9800シリーズ」の牙城も、世界規格の「DOS―V」の上陸や「ウィンドウズ95」の登場によって、きしみが生じ、さらに米デルによるBTO(受注生産方式)でのユーザーと直接結びつくビジネスモデルとの戦いも厳しかった。
■拡大路線にブレーキ
拡大路線にブレーキを掛けたのは99年にトップ(社長)に立った西垣浩司氏。赤字だった米国のパソコン事業や家電からの撤退、02年の半導体事業の分社化などの経営改革を相次ぎ断行し、業績を立て直した。
ただ、改革に伴う社内での軋轢(あつれき)も大きく、改革半ばで西垣氏は03年に一線を退き、西垣氏と同じくITソリューション出身の金杉明信氏にバトンタッチした。金杉氏はIT・ネットワークの統合時代に向けて経営のかじを切った。“双子の赤字”と言われた半導体と携帯電話の両事業の再編でも奮闘していたが、病に倒れ、無念の降板となった。
急きょ登板となったのは、ネットワーク出身の矢野薫氏。IT・ネットワーク統合のコンセプトを「次世代ネットワーク(NGN)」へと進化させ、新たな方向性を示した。
だが矢野時代も激動だった。08年にリーマン・ショックに見舞われる一方で、子会社の不正会計を受けたガバナンス(企業統治)強化や、米ナスダック上場の廃止、半導体事業の切り出しなどに奔走した。
大規模な構造改革を経て、経営を託されたのが遠藤信博氏(現会長)。遠藤氏は選択と集中を徹底し、NECのかつての顔でもあったパソコン事業や、インターネットサービスプロバイダー(ISP)の「ビッグローブ」事業を売却、スマートフォンからも撤退した。
※省略
■日本産業界の縮図
NECの経営改革の変遷は、日本のハイテク産業の栄枯盛衰の縮図と言える。80―90年代前半までは量産型のボリュームビジネスの全盛期。半導体がその象徴であり、設備投資の規模や市場シェアの占有率が勝負の決め手だった。
だが、半導体投資のリスクは1社では負いきれないほどに膨らんだ。さらに韓国、台湾、中国勢の追い上げが年々激しくなり、半導体、パソコン、携帯電話と、いずれもトップを走っていたNECへのダメージは大きかった。
選択と集中で問われたのは、競争が厳しく利幅の薄いハードウエア事業の存続問題。NECは粘り腰で相次ぐ難題を切り抜けてきた。結果として残ったのは、原点の「コンピューター&コミュニケーション(C&C)」に他ならない。その力を社会ソリューション領域に適用することは、国連の持続可能な開発目標(SDGs)や日本が掲げる「ソサエティ5・0」の方向性とも合致している。令和時代に飛躍するための発射台は整いつつある。
以下ソース先で
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2019年05月03日
ニュースイッチ
https://newswitch.jp/p/17514
★1が立った時間 2019/05/03(金) 14:32:33.29
前スレ
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1556861553/ 製品寿命の間にガッポリ儲かった98は大成功
続くヒット商品を開発できなかっただけ 社員が無能すぎて外注出さないと仕事が回らないから利益ないんだよね >>364
それは買い方が悪いんだろ
デルだが3年の訪問修理付にしてたから、例えば月曜に連絡すれば木曜日には訪問修理で完了だぞ NECは中国には行かんよ、サムスン電子と事業提携して、その後飲み込まれる。 >>410
確かCPUは32ビットでも
データバスが16のままの
なんちゃって32ビット
だったような
少し安いから結構売れてたような >>10
マジで残ってない。
現存するPC-98オタ結集させた方が早いレベル。 最大メモリが640KB時代はメルコなんかが拡張メモリボード出してたな。バンクメモリとか言ってたっけ >>571
それもあるが、上級定年組(時代は一般派遣開始かな)が子会社(基本的には別の派遣会社)を作りそこから人員を入れてるから普通の社員がいらなくなっているが正解 工場用途だと、98のエミュレータ使ったほうがいいんじゃね? >>552
国が1円入札を認めたのが終わりの始まりだったかもな
あれのせいでNTTや日立、富士通、NECによるピラミッドこうぞが出来上がって業界全体が硬直してしまった >>577
中古屋ウハウハだよ今、いつまで持つかはしれないけど >>581
その後の個人情報保護法で少人数のソフトハウス(でも大企業に入り込んでいた)が信用問題(いざという時保障出来るのか?)でなくなったな。
あれ、なければ今頃は軽井沢で仕事してるのに、インフラは完全に整っているというのに。 核戦争でEMPで世界中の現存のPCが全滅した時に
生き残った堅牢なPC98とフロッピーがブレイクすれば
ワンチャン? >>548
ICM、緑電子、Justy、テクサ、Plextor、Canopus…
サードパーティーは死屍累々 NECにあまり関わらなかったサン電子はまだ生き残っているな >>245
内蔵ソフトは一太郎、花子、ロータス1-2-3かい? >>83
NECが嫌いなら、なんでその人事は辞めて他に行かないのですか? PC98の頃は飛ぶ鳥を落とす勢いだったよな。PC98にあらずはパソコンにあらず
って感じだった。DOS/VがNEC王国を崩壊に導いたんだろうな。 その割には任天堂みたいに10年間以上売り上げ0でも社員に給料払える位の
強固な財務体質を築けた訳でもないし、何やってたんだろうね。 日本勢の電機メーカーの衰退が止まらない
革新的な技術とかここ20年、開発してねえんじゃね
隙間狙いの下請け部品で食いつないでるね >>589
いいなそれw
一太郎はVer.4.3あたりで。 >>595
日本は観光産業にシフトしてます
うちの近所も外国人に魂を
売りました 超大手のゼネコンの試験装置や、建材試験センターとかではPC98は制御用に現役で稼働しているよ。
俺は捨ててあるのかと思って、踏み代替わりに使用してたら後で御怒りの電話を頂いた。
パソの上に付いた靴跡で俺が犯人だと特定されたそうだわ!
まぁ、こういう言う事も有ろうかと予備機を確保しており、修復整備済みのPC98は、今でも即納で入手できるそうだ。 大学に入学するときだけNECのパソコンを買ったな。
それ以降はHPとBTOのパソコンばっかり。 NECのVシリーズプロセッサーの発表と発売はインテルを激怒させて、訴訟が起き、
NECに対するインテル製の新規プロセッサの供給は停止されたために、
i286が回ってこなくなったために、NECのPCは一時足踏み状態だった。
そのあたりから、だんだんとおかしくなっていった様な気がする。
おもえばMS-DOSの時代は長かった。OS/2が出るぞ出るぞと言われて
出はしたが、ちっとも普及せずにMS-DOSの時代が長く続いたが、
もしもあの時期に、日本のどこかが大型計算機のOSの技術を持っていた
りしたのだから、それを投入してずっと先進的なマルチタスク、
マルチユーザーでデーター管理保護機能付きのOSを作って広めていれば
あるいは歴史は変わったかもしれないと思うが、アプリが付いてこない
リスクがあるからか、どこもそういうのには乗らずに、ひたすらOS/2の
普及を待ちわびて、いつの間にかWindows3.1というMS-DOSに皮を
被せただけのシェルが普及してしまい、せっかくの32ビットアドレス
空間を持つマルチタスクマルチユーザーのOSであったOS/2もぽしゃり、
ACE構想も消え、MS-Windowsのひとり勝ちになってしまった。
その大きな理由はIBMが馬鹿だったからだ。OS/2を大型機のインテリ端末
として位置づけていたし、アプリの開発用キットが馬鹿高かった。 >>388
当時はFDDがクソ高かった
翌年には10万円近く値下げされたPC-8801mkIIFR
が出てるし徐々に値下げが始まった時代 1980年代後半から、本格的に銀行ATMが普及し始めて、
料金の自動引き落としなどを利用する人が増え始めた。
治安のよい日本では無人ATMの普及がアメリカに先行した。
それまでのタンス預金が一気に金融機関に集められ、
金融機関がそれを投資に回したので、インフレが止められなくなった。
インフレを止めるために政府は公定歩合を上げ、株と公定歩合のチキンレース状態になった。
そこへ投機的な海外からの資金も流入してしまったため、
1989年後半には金融バブルで株価がピークに達した。
1989年の株価上位のほとんどが銀行なのはそのため。
数年前の株価(約4分の1)で計算すれば、いまと似たような順位にしかならない。 >>418
漢字ROMって知らない?
MSXとか低価格ホビーマイコン以外は載ってて
当たり前 >>420
Macintoshの場合LCシリーズなんかはHDD搭載の
国産パソコンと比べるとそんなに割高感がなかった
如何に国内流通のHDDが高かったか DOS-V機の攻勢に、日本語は特殊な言語だからその処理能力が高い日本製は大丈夫だろうという致命的な判断ミス >>245
MZ-80Cのミニパソは出てた。
PC-8001やFM-7も試作されたみたいだけど発売されずに終わった。
需要は無かったんじゃないかな?
https://www.famitsu.com/news/201807/26161405.html >>423
それは漢字VRAMの方だよ
漢字VRAMのあるX1turboは漢字表示がPC-9801並
に速かった
逆にPC-8801mkIISRはクソ遅かった >>435
文豪アルデータは名機だと思う
アレは買って後悔してない NECが売れに売れた頃に、技術のことなんか判らないぼんくらの文系の
営業とか販売がぶりぶりと威張りだして、傲慢になっていったのが良くなかった。
NECが馬鹿売れしたのは、不発に終わったPC-100の時にサードパーティだった
ジャストシステムが開発した一太郎がPC98シリーズのキラーアプリになったから。
ワープロ専用機が普及する前は、事務作業のある企業はみな、PC98シリーズに
違法コピーで入れた一太郎を載せて、NEC製のドットインパクトプリンター
をつないで使っていた。 >>442
一時期ずっと誤植だと思ってたよw
確かに店頭でPC-8001mkIISRを見かけたことはない >>456
エプソンがNECより高性能で低価格の互換機を
作れたのはそこなんだろうね
PC-9801が儲けすぎてた >>468
DOS/Vで専用ハードを用いず日本語表示が出来る
ようになったけどDOS画面では漢字ROMにまったく
太刀打ち出来なかったもんね >>532
DOS/Vな
Windows3.1もあったけど >>614
何台売れたのかね。万台単位はなさそう。 >>601
これは衝撃的。てか平成元年の日本は力あったんだな。 >>613
ワープロ専用機にはいかんかっただろ。
一太郎全盛の頃は他社とメールの添付ファイルで直接やりとか無かったから関係無かったけど、ジワジワとWordというかOfficeが普及してきて、紙ではなくてファイルでの外部やり取りが必要になったところで終わったのかな。鎖国の終焉。未だに自治体では一太郎バリバリだけど。 緑電子のSCSIボードをFAXで注文して買ったな
スルーボードを買うかどうか本気で悩んだ
あんなものがあの値段今では考えられんね 甥っ子がPC98で組まれた業務アプリをwindowsに移植する仕事やってたな。
今後PC98の保守料のほうが高くなるから、けっこう需要があるらしい。 >>436
トヨタはあらゆる先端分野にアンテナを張ってるからな
自動車以外のビジネスを模索しているようにも見える >>192
元々新日電→NEC-HEで別会社じゃね
PCエンジンやパピコンやってた会社 >>284
NEC純正なんてぼったくり価格だし
変なプロテクト(SCSI)掛かってるわで
いいイメージないな
86音源はコンパックショック後で
NECが危機感持ってからやからマシやけど 86音源は、デジタル部とアナログ部の
パターンがはっきり作り分けてあって
感心した覚えがあるな。
クリエイティブメディアのやつは
アナログ部もデジタル部も
同じ細いパターンだった。 どこへ行くのかっていうかm、まだいたのかった感じが先に来るのが・・・ NEC never die, they simply fade away. >>301
株式市場が異常だったのと円が高すぎただけじゃないの? >>634
どのへんが右ハンドルなんだ?って話はあるな。
掛け声だけだろう。 98とかは今でも現役で需要あるんじゃなかったっけ? 東芝とか日立でもそうだが、なんもかんも売ったくって
国や公共のインフラみたいな税金にぶら下がる仕事の方向ばっかり >>626
ただのアプリならエミュでよくね?
実機より十分速いかと
制御系とかCバスがいる機器は困るけど >>51
1台辺りでの俺の最高額がXaだな
高かったからメモリ128MBにしたりVRAM増設したりして長く使って元取ろうと頑張った覚えがある
初期ロットの奴だったからCPU交換しても認識せずorzした覚えがある >>613
でも一太郎はAXにもFM-RにもJ-3100にも出てたけど
B16やif800版もあった記憶が
ウンズやX68は記憶にない。あったかもしれんけど >>650
ソケット式だった80386DXユーザーは得したな
RAとDAと386GSくらいか
386SXはハンダ付けだったから交換困難
遅れて上から被せて乗っ取るの出たけど >>649
B16とかROMに乗って無かったけ、一太郎のシステムが。
フロッピで使っていたPC-98より全然早かった気がする。 >>652
J-3100のROM辞書は使ってたから知ってるけど
B16は流石に覚えてない
J-3100(の一部の機種?)は
ATOKの辞書をROMで持ってて変換速かった
(当時は変換のたびFDDをがちゃがちゃして変換してた)
でもHDDになってからはROM辞書は語数少なかったんで
結局HDDのラージ辞書に移行 官公庁にゴミを売りつけるクズ業者
電子カルテのシステムとか、ホントに酷い出来 >>649
元々IBM JX専用ソフトJX-WORDが出発点 >>655
そうですか。
職業訓練校でB16の教室とPC98の教室があってPC-98の一太郎バージョンアップしたら
すげー遅くなって「PC-98の教室どうすんだこれ?元からB16に負けてたのに・・・ワープロ検定の1か月前なのに・・・」って
先生に相談されて「ラムディスクを使いましょう」って提案して導入してやっとB16より少し早くなった。
B16はあんまり触らなかったから不確かなんですけどね。辞書だけロムに乗ってたのかも・・・ ハンドヘルドかラップトップかパームトップは別会社だっけ >>623
MSがシェアとるためにコスト度外視してバンドル版で普及させたからだよ
一太郎(ジャストシステム)はついていけなかった
DOS時代はもっといろいろなワープロソフトがあったんだけどね〜 先輩から譲ってもらったPc-9801RX2。
内蔵HDDがSASIって他にどこにあるんだって話。
EMSメモリ積んで、FMサウンドボード積んで、CPUアクセラレータつんでCX486SLCにして、大戦略3が追いつけなくなったりしたな。 >>658
こんな所でB16の名を目にするとは
日立関連以外でおいてる所なんてあったんだ 目の付け所だけは良い会社
PC98といい折りたたみ携帯とか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています