ルーツは「萬古焼」 ゴム手袋型製造の「シンコー」

https://www.chunichi.co.jp/article/mie/20190504/images/PK2019050302100210_size0.jpg
形や加工が微妙に違う手型を紹介する鈴木社長=四日市市京町のシンコーで

 国内で生産されるゴム手袋の手の型のほとんどが、実は四日市市にある。国内唯一のゴム手袋の手型製造会社「シンコー」が開発した型は二千五百種以上。ルーツは四日市の伝統工芸「萬古焼」だ。その彫刻技術を生かし、原料の薬品に強いセラミックス製手型を作り出した。時代に合わせた製品を作って販路を広げ、今や手型以外でも商機をつかむ。

 天井に向かって伸びる無数の白い手。工場に広がる不気味な光景。その手はゴム手袋の型となる。同じような手型に見えるが、指の付き方や表面のざらつきなど微妙に違う。ゴム手袋は長さが五ミリ違うだけでサイズが変わるため、手型の厚みや重さの点検は厳しい。

 手型は、石こうや樹脂に彫刻して手の形をした原型を作る。原型の周りを石こうで固めた後、原型を取り除いた上でセラミックスの土を流し込んで焼く。商品を卸した先の手袋メーカーが、手型にゴムの原料や薬品を付着させて固める。固まったゴムをめくるように引き剥がせば手袋の完成だ。

 創業は一九三六(昭和十一)年。初代は萬古焼の彫刻師で、人形の原型を生産。陶芸作家の二代目鈴木常雄会長(87)になると、花瓶を手掛ける製陶所に変わる。転機が訪れたのは六八年。国内の手袋メーカーからセラミックス製手型の製作を頼まれた。当時の手型製造業界の主流は金属製だったが、手袋の原料になる酸やアルカリ性の薬品に弱く腐食が早かった。

 三代目鈴木規子社長(55)は「彫刻技術があっても、誰でも手型が作れるわけではない。『やってみよう』という二代目のものづくりの魂が、運命の分かれ道だった」と話す。違和感があれば使われない手袋は、細やかな彫刻技術が不可欠だった。

 今、世界でセラミックスの手型を作る会社は増え、技術は簡単にコンピューターで模倣される時代。「だからこそ品質に力を入れたい」と鈴木社長。自ら県工業研究所の窯業研究室(四日市市)に通い、強度の高い土の作り方を学んだ。最近は、医療用ロボットの部品や犬用ブーツでも注文があるという。「いつでも求められるところでやっていく」。時代に合わせて変化し、歴史ある技術を受け継いでいく。

 (高島碧)

https://www.chunichi.co.jp/article/mie/20190504/CK2019050402000031.html
2019年5月4日  中日新聞