百済金銅観音像は、1907年忠清南道扶餘郡の寺跡に埋められた鉄の釜の中から発見された。
後の行方がはっきりしたが、2年前、再びこの世に出た。

日本にいる所蔵者と返還交渉をする途中決裂した百済金銅観音像が、中国に搬出されたことが分かり文化財庁が確認に乗り出した。
中国側から買い付ける可能性も提起され、買い戻しがさらに厳しくなるのではないかという見方が出ている。

7日、文化財庁の関係者はイーデイリーに「百済金銅観音像が展示のために中国上海に持ち出されたと知られ、当地の専門家などを通じて確認をしている」、「返還の過程に新たな変数として作用するか注視している」と話した。
百済金銅観音像の中国の持ち出しは今月5日報道を通じて知られた。

百済金銅観音像の今回の中国搬出は、上海博物館常設展の出品が目的だという。
一部では韓国を排除し、中国と日本の主導の下で仏像を公開するという点で憂慮を示している。
戦時以降、中国博物館や民間などで買い付ける場合返還はさらに難しくなる可能性もある。

文化財界のある関係者は、イデイリーに「もし中国側が巨額で百済金銅観音像を購入する場合、交渉対象者が変わるが、この過程で単価自体が上がる可能性がある」とし「韓国の文化財を中国で先に一般に公開することも問題」と憂慮した。
百済金銅観音像は7世紀初めに百済で作られた仏像である。

1907年忠清南道の扶余野原で一人の農民が発見したことが分かった。
日帝強占期当時、日本人が搬出した後行方がはっきりしなかったが、2年前に分かった。
以後、文化財庁が所蔵者と接触して還収を試みたが、金額の差が大きく決裂した。

当時、所蔵者は15億円を提示し、文化財庁は専門家諮問の結果、4億円以上払って買うのは無理だと判断した。
文化財庁は、交渉決裂後別の方向に返還を推進してきたという。

鄭在淑(チョン・ジェスク)文化財庁長は、昨年開かれた国会文化体育観光委員会国政監査で、「百済金銅観音像の返還交渉中、価格が急騰した」と難色を示した。
「本当に価値があって買いたい遺物は予算を超えるものが多く、だからといって価値のないものを金額に合わせて買いたくはない」とし、むしろ競売を通じて購入すると述べている。

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https://news.v.daum.net/v/20190508060012665
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