鯨漁の姿今に伝える捕鯨砲を寄贈
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鯨組主中尾家屋敷に新たに展示されている小型沿岸捕鯨で使用した捕鯨砲=唐津市呼子町
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塩見伊一さんと今回寄贈した捕鯨砲=昭和32年ごろ、興福丸船上(塩見さん提供)

 昭和30年代まで唐津市呼子町の小川島漁場でクジラ漁に使った捕鯨砲が、同町の鯨組主中尾家屋敷に寄贈された。寄贈したのは鹿児島県霧島市の塩見伊一さん(81)。塩見さんが砲手として実際に使用したもので、漁の記録も一緒に伝えた。砲はさびを落とし塗り直すなど補修して展示、盛んだった捕鯨漁の姿を今に伝える。

 小川島漁場での小型沿岸捕鯨船による捕鯨は、1939、40(昭和14、15)年ごろに始まった。同船は主にミンククジラを狙ったため、ミンク船とも呼ばれた。戦後は食糧難もあり、全国的に同船が出現。小川島でもいくつかの個人船が操業し、活況を呈した。やがて国際的な捕獲制限で船は減少、昭和30年半ばには姿を消した。

 小川島に移住した塩見さんの父伊十郎さんが戦後、捕鯨に従事した。展示の砲は昭和30年代、興福丸に搭載、使用していた。ノルウェー式小型捕鯨砲で口径40ミリ、砲身長114センチ、全長173センチ。尾栓など一部が欠失していた。

 砲は長らく小川島の小中学校に展示していたが、近年は痛みがひどく、塩見さんが鹿児島に持ち帰っていた。ことし2月、県立名護屋城博物館の安永浩学芸員が捕鯨に関する聞き取りのため、塩見さんを訪ねたところ、砲の寄贈が決まった。

 小川島漁場で使われた小型捕鯨砲は現在、6基が確認できる。うち一般展示は県立博物館と県玄海水産振興センターの2基だが、詳しい来歴は分からない。今回の砲は使用砲手の聞き取りが残る。

 安永学芸員は「和歌山以西の海で最後まで小型沿岸捕鯨を行っていたのは佐賀だけ。砲はそのころの歴史を知る貴重な資料」と言い、塩見さんは「小川島での捕鯨の歴史を広く知ってもらえれば」と話す。