【歴史】「江戸時代は鎖国」という教科書の間違い 江戸時代からグローバル化に巻き込まれていた
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■教科書の記述は「その時点の多数派説」
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■江戸時代からグローバル化に巻き込まれていた
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かつての教科書には、「江戸時代の日本は鎖国していた」と明快に書かれていた。「貿易は長崎の出島のみを通じ、清とオランダだけに制限していた」「江戸時代の日本人は世界の情勢に暗く、それがペリーの来航によって慌てふためいた挙げ句、何とか幕末維新を成し遂げた」という解説が常だった。
しかし、最近ではこうした説には大きな修正が加えられている。長崎を通じて日本の金や銀が大量流出し、それ以前の「資源大国・日本」ではなくなったほどだ。江戸の銀相場が、スウェーデンの市場をも動かすほどだった。経済に関しては、グローバル化に巻き込まれていた部分もあった。逆に江戸後半、8代将軍吉宗の頃からは西洋の文物も流入し、知識人たちは海外事情をかなりの程度、理解していた。
では、こうした状態を「鎖国」と呼ぶのは適切なのか。もちろん、幕府が主導した貿易統制はあったので、近代のように国を完全に開いていたわけではない。そこで最近の教科書では、カギカッコをつけて「鎖国」と表記したり、「いわゆる鎖国」「鎖国と呼ばれる状態」という表現にしていたりする。あるいは2014年度用の山川出版社「新日本史B」のように、鎖国という用語そのものを用いず、「江戸時代は国を閉ざしたのではなく、唯一の開港地長崎に渡来を特許したオランダ・中国商人と貿易し、(中略)東アジアの諸国・諸民族とのあいだに、自国を中心とした通交・貿易体制を築いていた」と記述する例もある。
なお、清・オランダと貿易していた長崎の他に、対馬(朝鮮)、薩摩(琉球)、松前(アイヌ)を合わせ、「四つの口」と表記するのが通例だ。大清帝国や西洋の覇権国家であるオランダと、一地域にすぎない琉球、同じく一部族にすぎないアイヌを同等に扱うのには違和感がある。また、清とその属国だった李氏朝鮮を対等に扱うなど、両国が存在した時代にはありえなかった。しかし、現時点での学界の通説である以上、教科書にはそう記さざるを得ない。
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江戸幕府初期、ポルトガルとスペインの両国に「来るな」といえる実力があったので、「鎖国」は可能だった。その後、元禄繚乱以降の平和ボケで国防努力を怠ったので、ペリーが来た時にはマトモな軍事力を持っていなかった。だから「鎖国」が不可能となった。
これとて、ポルトガルとスペインの侵略を防げる実力が当時の日本にあったとは教科書には書いていないので、自分で考えるしかない。しかし、この点に関しては良書が公表されているので自分で勉強することができるし、気の利いた教科書なら「戦国時代の日本は世界最大の鉄砲保有国だった」くらいの事は書いてあるので、想像はつく。
しかし、その軍事力がどこへ消えたのか。いつの間に、どの時点で、とは教えてくれない。
■欧州5大国「七年戦争」の日本史的意味
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1853年のペリー来航の時。アメリカは日本よりは強国だったが、しょせんは新興国だった。英露仏墺普のヨーロッパの五大国の誰にもかなわない。そんなアメリカよりも日本は弱体だった。
よくよく日本史の教科書を読むと、隣国のロシアの脅威を感じながら、まともな国防努力をしていない。18世紀後半から19世紀前半の話だ。それどころか1808年には、屈辱的なフェートン号事件が起きている。イギリス船が長崎を荒らしまわり、日本は無抵抗のまま何もできなかったのだ。ナポレオン戦争の最中のことだ。この時、既に「鎖国」など不可能になっていたのは明らかだ。タマタマ、欧州列強が日本にやってこなかったからだとわかる。
では、そうなったのはいつか? 世界史の教科書には書いていないが、資料集には載っていることもある。
1762年 マニラ陥落。
欧州五大国が戦っていた七年戦争において、イギリス(イングランド)がスペインの植民地のマニラを攻略したのだ。
この時点で、日本の「鎖国」は不可能となっていたと考えるべきだろう。既に戦国から150年が去り、天下泰平を謳歌して武器を捨て去っていた日本が、世界中に飛び出て常に自分より強い国と戦っていたイングランドに勝てるだろうか。ペリーが来たのが、約100年後。白人列強が日本にやってこなかったのは、タマタマにすぎない。
七年戦争が日本の歴史にとって重要だと説く教科書はおろか、論者も知らない。しかし、私は極めて重要な事件だと考えている。(続きはソース)
5/31(金) 9:15配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190531-00028821-president-soci 金銀流出するんで、やべえ!!てんで、金貨の質を落としたり……。
国内では散々だけど、貿易から見れば、あれは良い手だった1面もあるのよね。 江戸幕府の役人が通貨交換比率の問題で
欧米相手にやり合った過程を見ていると
決して無能ではなかったことがわかる
しかしこの問題がインフレを引き起こし
維新へと繋がっていく様は非常に興味深い >>199
軍艦は難しくてド級戦艦クラスはいいとこ大正期じゃないの? >>200
幕藩体制が確立したが、日本列島の地理的制約上、完全に閉じることはなかった。
列島の周縁部においての交流を管理するうえで、幕府は4つの口を置いた。
みたいな感じじゃね。単にゆるいわけではないと思う。 >>179
はあ?
何十年前から常識
北国ロシア
対馬半島
長崎オランダ
沖縄中国 トンキンすごいをやりたいがために事実を捻じ曲げるいつものパターン
実際の穢土時代は最悪の暗黒時代
太平洋戦争で惨敗したのもトンキンの馬鹿どものせいだし >>203
只の竹細工職人がオランダの蒸気船を見せてもらい、構造を理解して作っちゃった。
風雲児たち より >>207
大東亜戦争で日本は負けていない。
負けたのは米国。 >>27
ただ、日本の場合は島国ゆえにそうそう外国と戦争するわけに行かず
国内の各藩に力をもたせたままなら
確実に内乱のタネになったろうね 赤鬼青鬼などもある
青色人種は女性が弱く子供をさらうところから伝説ができている
御輿はまさにユダヤ人の行動そのものであり失われたアークは日本にあるとも言われている >>197
船も飛行機もない時代にそう行き交いはできないだろうし >>1
この人「鎖国」と言ってた昔と、変わったことも新しいことも何一つ提示してないじゃん。
そんなの中学生程度でも、昔から知ってたよ。
その上で鎖国って言ってたんだよ。
鎖国って言いたくないってのは、筆者のイデオロギーの問題なんでしょ。
>>205
意味不明 >>202
いきなり改鋳して、てへっと行こうと思ったら
思いっきりクレームきて、大変だったというあれですか?
まあ、江戸時代は金銀銭と国内で3つの通貨単位があって、
交換レートが変動するし、米の先物取引はあるしと、
楽しい経済だったからな。 今、すごいことに気づいたwww
江戸幕府「コメがないならサツマイモ食いな!」
メイジ政府テンノー「コメがないなら大根飯食いな!」
ひでえwww
ぎゃははは >>197
失われたユダヤの三支族が日本に流れついて青森にキリストの墓を建ててるんだ
秋田美人はその末裔 日本の近現代の歴史に欠けてる観点は、
・当時の経済はAuとAgの産出量に制限があったこと
・間氷期・大地震・富士山噴火と大きな自然災害が続いた影響
これらだね。 アワ&ヒエ「お、おらたちは?・・・」
ぎゃははwww いや鎖国だろ?
幕末期に外国船が来たら
外国船打ち払い令が出されたんだし
下関が占領されたり薩英戦争起きたりしたし
最近歴史の書き換えがひどすぎる >>223
給料が米ではなく、「任せた領地はそれだけの米が取れるはずだから、それに見合う家臣を養え」という意味ですね。
土地の実力に見合わない石高を宣言し、農民を痛め付けて発生したのが島原の乱。
藩主は切腹ではなく、罪人として斬首された。 聖徳太子こと厩戸皇子は実はキリスト教信徒で、その功績を崇められてキリストの生まれ代わりとしてイエスキリストのプロフィールそっくりに記されているんだ >>223
武士の給料は米です。
なので米→お金に交換してから、買い物をします。
いろいろ面倒くさいので、そこらへんを一手に引き受けて
手配してくれるのが札差屋さんでございます。 ほんとこれ
サヨクのクソみてぇな教育に洗脳されすぎ
そもそも鎖国時代だって海外と交易してたっての クルクルパー歴史学者「貿易してから鎖国ではなかった!(キリッ」 外交してないし極端の貿易統制だし
鎖国といっていいだろ 医者は全然違う歴史観だな。西洋医学を信じてなかったみたいな(´・ω・`) 豊臣秀吉がキリスト教弾圧した理由もちゃんと教えろよ
まるで悪人扱いじゃん >>225
交易地として人が集まるので交配が複雑で優勢遺伝子が発現し易いだけだよ
現代の横浜とか神戸、博多みたいなもの >>220
アレおもろいな
前半の主題は、黒船来航でなぜ日本はパニックになったか?
後半の幕末編は、なぜ徳川幕府は滅んだか?になるのかな?
冒頭で関ケ原と薩長の始まりと、会津に関して触れてだけに
点と点を結ぶ線を描く事で、全体像や流れがよく分かる 今の人は東洋医学を信じてないけど、昔は西洋医学を信じてなかった(´・ω・`) 今現在、グローバル化したせいで日本だけじゃなく世界中がほんとひどいことになってるからなぁ
鎖国までは行き過ぎだけど、ある程度の規制は必要だわ >>86
江戸幕府体制がそういう拡張政策=朝鮮出兵の否定としてできてるから無理なんやで
応仁の乱からずーーーーーーーっと戦争してるんや
「もうええわ」となるのが普通 >>242
バベルの塔には雷が落とされると決まってます >>237
王である秀吉よりデウスを神として崇拝する宗教と宣教師に激怒したんだよ サヨク教育は、士農工商が差別制度とか、でたらめも教えてたからね
今は無くなったらしいけど・・・
ほんと酷いな >>244
秋田、本荘、能代とか藩毎の港があるね
北前船は南北に行き交っていたはず 西洋人が日本人を奴隷として売っていたので、
激怒した秀吉がキリシタン禁止令を出したのが発端。
ちなみに隣のフィリピンはスペイン植民地になって
マニラから宣教師が来日していた。
それからわかるように西洋の植民地化の脅威に対抗するのが目的。
外国との交流を幕府が管理するようになっただけで「鎖国」とは全く違う >>239
みなもと太郎は自分で言ってるが、経済の観点が若干弱い。
Auの国外流出を問題にしたり、田沼意次の重商主義を賛美するなら、天才的な勘定奉行 荻原重秀に焦点を当てる必要があった。 >>247
差別制度だなんて昔も今も教えてないけど。身分制度だぜ。まさに封建時代だ。そこに結果として差別があったのは事実で
修正前後どちらもわかってないからそんな間抜けな発言になる。ちゃんと勉強せえ ペトロパブロフスク・カムチャツキー包囲戦
↑
こんな局地戦が北の海で行われていりゃ、
そりゃ、幕府も慌てるわ
時は1854年、明治維新の14年前 >>248
なるほど。いつか、東北いってみたいわ。 >>247
どっちかって言うと明治の歴史学の影響なんだけどね。 >>251
正確には制度として士農工商という差別は無かった。単なる職業分類だった。 >>249
キリシタンが奴隷を売っていたからってのは数ある理由のうちの一つに過ぎない。秀吉が出した朱印状でも真ん中あたりでようやく出てくる程度
一番の理由は自分(中央政権)がキリシタンに染まった大名をコントロール出来なくなる恐れが増したから。これに限る >>253
東北は縄文から遺跡があるし、巻向遺跡にも土器が出ているから日本海側の文化圏てなめちゃいけないんだよ 医学史は怪我や病気との戦いで、まったく別の進化を遂げてる(´・ω・`) >>247
今はネトウヨ教育で江戸しぐさだろ
江戸時代は公共マナー、道徳心に優れた素晴らしい国だったと >>255
維新後に士族救済事業がいろいろと立ち上がるわけだけど
これは優遇されたと捉えるべきなのか? ただ、穢多非人は存在したが、社会的に劣位に置かれただけで、経済的には裕福だった。
牛馬の死体を無料で手に入れ、皮革製品を専売する特権があった。
社会的に劣位に置かれた理由は、うざい仏教界を骨抜きにするため。 >>259
どちらかというと、江戸時代のメリットよりも
デメリットの方が大きい
そう思うと、江戸時代は日本の暗黒時代 >>9
密輸じゃん
鎖国してなければ、密輸ではなくもっと大規模に貿易できた
「アイヌを介した交易をやってた」とかそんな例外的な話もあるが、
そもそも昔からアイヌ、琉球、対馬、長崎では交易が行われていたことは知られていた
その状態をどう評価すべきかというところで、前時代の戦国時代や後の明治維新と比較して鎖国と言わざるをえないんだよ
そもそも海外旅行も禁止されてたからな
一般民衆の外国との接触を徹底的に禁止していた江戸時代はやっぱり鎖国なんだよ >>257
なめてません。そもそも知らないのです。すいませんが。 >>262
暗黒時代に市民文化は華開かんのやで
何を以て暗黒とかほざいてんのか知らんが >>255
農民には重い年貢を納めさせる一方で
商人からは税金を取っていなかった
エタヒニンには特定の職業に就かせていた
つまり、職業によってれっきとした差別があった 田沼意次の改革が成功してたら
どーなってたんだろうね 徳川幕府のお陰で、日本は世界で唯一の統一国家になれた。
弊害は東京一極集中ぐらいで、それも間もなく解消される。 >>255
> 単なる職業分類だった。
当時、職業選択の自由なんてあったのかい?
養子縁組とかいったレアケースを除いてだよ。 >>255
>>251を見てなんでそんなレスが来るのかさっぱり意味不明
差別するための制度ではないし昔からそう教育されてもいないし、結果的に差別はあったって言ってんだぜ
百姓は田畑捨てて逃げられねーんだ わずかでも外国との交流があったのなら「鎖国」という言葉を使うのは認めない!
って主張はかまわないけど
それじゃあ幕末の黒船来航以降の「開国」云々の話はどう説明するの? 今では田舎の対馬も、江戸時代は貿易で大儲けしてたんだよな
長崎や鹿児島は言わずもがな >>260
実質失業しちゃったわけだからねえ。退職金だけもらって。 >>95
同感です
例えば、戦争中に生きていた人はほとんど戦争に賛成だったのに、今は軍部だけが悪者にされている >>262
暗黒とはおもわないが、質素な家康より
信長秀吉のまんまだったらまた日本人の資質も違ったろうな >>263
正確に言えば、鎖国を意図する幕府の政策は無かったということ。それを鎖国状態と呼ぶことはできるがな。 >>271
江戸時代に徳政令なんて発布されてませんがな
棄悁令と勘違いしとりゃせんか?それにしたって棄悁令は武士に対して行われた借金チャラ制度だぞ >>265
そういう意味じゃないのよ。
日本列島には縄文時代に文化が花開いていたんだよ。
徳に津波が少ない日本海側はその継続が感じられる。
弥生期になると米の流入から一気に耕作地の暖かい西日本に人口異動が起きて東日本が寂れてしまう。
そのまま中心地として栄えたのが関西であり、巻向でもあり、大和国家の基礎なんだよね。
そして東北は忘れられて蝦夷の土地になってしまうのさ。 >>275
士業ってなんだったのだろう。という。
スレ違いかもしれんが。 >>267
それ職業差別であって身分差別ではない。一番のポイントは士農工商の間で人の移動が相当に自由だったことだ。
ヨーロッパ的な身分制度ではありえない話。 >>276
今は良いんだよ。それ言えるんだから
戦後すぐだよな。酷いのは
ほんと軍人達が気の毒 >>280
名称はともかく、当時の経済はAuとAgの総量で決まってたので、過大な負債は成立しない。 >>270
士農工商の間で人の移動は普通にあった。農民が商人になったり、商人が武士になったり。 >>272
それは欧米で言う身分というものを理解していないから、そう思うだけ。 >>273
「開国」と言っても湊と居住区などを増やしただけだから
「貿易緩和」ぐらいが正しい。逆は「貿易制限」かな >>273
そうではない。幕府の政策を指す用語として鎖国は使えない、というだけ。 >>285
名称も知らずに実態や内容を知るわけがないがな…マジで何を宣っとんねんw
天候に左右される百姓農民が銀相場のおかげで負債を食らわず困窮しない?????
お前はマジで何を宣ってんの???
それならお救い米もいらんし大量の餓死者も出てないで >>281
ごめんなさい。縄文のころの文化の花開く様子はよくわからんので
実際に行って山並みとか島並みとか見てみたいだけです。 >>282
>>282
司馬遼太郎が
開拓農民が必要から武装するようになり
数が集まって軍となった為に脱農民化して
政治軍事を司るようになり平和になって官僚となった。
みたいな事書いてたよ >>263
例外的なケースばかりを抽出して「だから鎖国じゃない!」て喚いてるだけで
全体像がなんら見えていないんだよなあ
ただ通説に異を唱えて名を売りたいだけのインチキ歴史家
でもこういう連中ほど声だけはやたら大きいから影響力は侮れないんだよなあ
半端なインテリ気取りとかが、こういうのに食いつきやすいしねえ >>291
お主は極めて単純な事を理解していない。
例えば、当時流通していたAuの総量を1tとし、それから得られる金貨を100万両としよう。
負債総額が1000万両…これって意味ある? 鎖国で良いだろ
鎖国政策していたのは事実だろ?
これが鎖国じゃ無いなら、鎖国ってなんだよ? >>291
それは米という食料だったから。
AuやAgは食べられない。 穢多非人は徳川時代は顕著にならんかった
武士がおわった四民平等から。明治以降だよ
貧乏武士が悔しがってあいつらよりましと吹聴した
商人も一緒くたにされんのやだから陰口吹聴した >>2
鎖国という言葉で閉鎖的、孤立している
って印象が間違っていると言いたいんですよ
個人で例えたら、あまり人と接しないからって
孤立していると思われている人でも
実はそれなりの人との付き合いはある
無駄な付き合はしなかった、ってだけ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています