安倍首相がイランを6月中旬に訪れる可能性が出ています。
米国とイランの関係がこじれているため、
イランと「伝統的な友好関係」(安倍首相)にある日本が仲介役を務めようということのようです。
日本とイランの友好関係ってそんなに深い、伝統のあるものなのでしょうか。

イラン問題に詳しい慶応義塾大学の田中浩一郎教授と、
テヘラン在住2年になる朝日新聞の杉崎慎弥テヘラン支局長に聞きました。

田中教授
――イランと日本の友好関係はいつ始まったのでしょうか。

シルクロードの交易を引き合いに出し、奈良の正倉院にペルシャ(今のイラン)製のガラスの器などが保管されていることから、
大昔からイランとのつながりがあるという人がいます。一つの見方ではありますが、ちょっとノスタルジックな話。
一昔前ですが、日本の政治家がイランで
「古くから日本とイランはシルクロードでつながっていて」とスピーチすると、相手はきょとんとしていました。
ソ連崩壊後の中央アジアでもそう。つながっている意識が全然ないんですね。
でも、日本の関係者がスピーチでこの話を繰り返したため、イラン側も日本側に配慮して、
だんだんとこの話をするようになった経緯があります。

本格的な関係構築は、日本が高度経済成長期に入り、
モータリゼーションが進んだ1960年代後半からだと言えると思います。
このころ、日本は石炭から石油へとエネルギーの比重が移り、
石油関連の日本企業が産油国であるイランに進出し始めました。
イランとしては、輸出国であるだけでなく、もともと親近感や憧れを持っていた国なので、興味深くうつりました。

イランとは今年で国交樹立90年を迎えましたが、その間険悪な関係になったことは一度もありません。

――日本への「親近感」や「憧れ」ですか。

私が幼い頃、イラン人の外交官の子息と付き合いがあったのですが、彼の親たちが日本人の勤勉さについて話していました。
自動車や電化製品など洗練された製品を作り、やがて米国に次ぐ経済大国となった日本を見て、徐々に評価が高まり、
世界の最先端を行く国と感じるようになったようです。

自分たちと日本人が文化的に似ている部分があると感じているせいもあるかもしれません。
イランの人たちもあいさつや礼儀を重んじ、勤勉です。
さらに、イランはソ連やイギリスに実質的に占領され、石油利権を搾取され、「耐え忍んできた」という歴史があります。
そのため、第2次世界大戦で広島と長崎に原子爆弾を落とされ、焼け野原になった日本と自国を重ねるようです。
ちょうどイラン・イラク戦争(1980〜1988年)のころ、NHKのドラマ「おしん」がイランで放映されていました。
主人公の耐える姿はイラン人の心に響くものがあったでしょう。

■関係切らなかった日本

――友好的な絆が強まったのは何が要因なのでしょうか。

1979年のイラン革命と、翌年勃発したイラン・イラク戦争でイランが世界から孤立したとき、
日本が関係を切らず、ずっと維持し続けたことだと思います。
当時の安倍晋太郎外相が、紛争調停のためにイラン、イラクを行き来してもいます。
米国は国交を断絶し、英国も大使を引き揚げました。

日本としては、資源のある米国…

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