【古代】「阿波風土記」が裏付ける“邪馬台国四国説”…卑弥呼を連想させる徳島県の特徴、後継者とも関連が?★2
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
https://iwiz-cmspf.c.yimg.jp/c/cmspf/91/95/43/28/d84db72ed4bf9740d5e41e0436f8eed1.jpg
前回、日本史の謎の一つである邪馬台国の位置について、実は阿波にあった?という衝撃的な説を書かせて頂いた(https://netallica.yahoo.co.jp/news/20190706-19057772-naigai)。
今回は幾つか残る『阿波風土記』の断片のうち、興味深いものを紹介しよう。その内容は、空から大きな山が阿波国に落ちてきた。その山が砕け散り大和国に落ちて、天香久山になったとされているのだ。これは何の比喩なのか。阿波で成立した国家が奈良に移動したととれないだろうか。
不気味なことはまだある。阿波出身の国学者である池辺真榛は、延喜式の研究を行い、自分の故郷である阿波国が日本のルーツだと確信した。その後、池辺は阿波藩政を非議したという罪を被せられ、文久3年(1863)に身柄を拘束され、阿波藩邸に監禁され、不審な死を遂げている。
また、日本神話において、一番最初に生まれたのが淡路島であり、その次に四国である。この四国は四つの顔を持って生まれたと言われた。讃岐と土佐は男の顔で、阿波と伊予は女の顔であった。つまり、徳島は卑弥呼を連想させる女の顔の国であったのだ。さらに、同じ女の顔とされた地域、伊予が卑弥呼の後継者「いよ(壹與)」と同じ発音なのも気になる。
徳島県阿南市椿町に位置する蒲生田岬には「因幡の白兎」伝説があり、出雲大社の元となった社も、伊勢神宮の元となったとされる社も徳島には存在する。日本神話のルーツは阿波なのであろうか。となると、悪神に殺されたヤマトタケルの御霊が讃岐まで飛んできた上、白鳥になったということは祖霊の地である四国に死後に帰還したという暗示ではないのだろうか。つまり、神武東征とは、邪馬台国が四国から畿内に攻め込み、その後、畿内に定着し大和朝廷となった事実を意味しているのではないだろうか。
それから、邪馬台国の条件の一つに、“柑橘類のある土地であった”というものがある。特別に記述したということは、ただ単に柑橘類が採れたという程度ではないだろう。かなり、柑橘類が豊富な土地であったという意味にとれる。この条件は様々な種類の蜜柑が育つ柑橘王国である徳島は申し分ない。
さらに、魏志倭人伝の記述によると、邪馬台国の山には丹があるとされている。この丹とは水銀のことを指しており、徳島は水銀の産地である。つまり、邪馬台国の候補地には水銀丹(朱)の出る山がないといけないのだ。水銀産出跡地に関しては、徳島以外でも三重や和歌山でも確認できる。だが、どれも小規模なものであり、鉱山と呼ぶには程遠い。だが、我が徳島には、邪馬台国時代から続く水銀鉱山と呼ぶべき大きめの遺跡が阿南市にある。それが若杉山遺跡である。これこそが証拠の一つではないだろうか。
しかも、不気味なことに、この遺跡の周辺には、ヒルコ神社が二十数箇所鎮座しているのだ。ヒルコ(蛭子)という異形の神が守護するこの遺跡には、何か深い意味があるように思えてならない。このように蜜柑、水銀など、状況証拠は十分にある。
そして、邪馬台国の時代から続く「阿波忌部一族」も徳島の特殊性を裏付けている。1800年続くこの一族は、一時期中断してきたが、古代から現在まで天皇家が大嘗祭で着用する麻の衣服を献上してきた。阿波こそが天皇家のルーツ。邪馬台国である証拠ではないだろうか。(山口敏太郎)
2019/7/7 23:00
https://netallica.yahoo.co.jp/news/20190707-87446039-naigai
★1:2019/07/11(木) 22:59:41.95
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1562853581/ >>851
お前が嘘ついてるんじゃないか?
どんな根拠で否定できるんだ?
説明してみろ なぜ尊大かって、隋唐を「北方異民族の国」と見下してたからだよ
だからこそ、白村江なんて無茶までやったわけだ
日本は「呉の太白の後」を自称してたからね >>853
説明になってない
膜椋は考古学的に邪馬台国ではない
と言ってるようなもので
お前はこの文章で納得できるのか? >>853
説明になってない
纏向は考古学的に邪馬台国ではない
と言ってるようなもので
お前はこの文章で納得できるのか? >>852
黙れウソつき野郎
纒向は西日本全域から土器が集まっているが
九州のものは僅かしか無い。
征服者としての九州勢の面影は全く見ることが出来ない。
東征も東遷も無い。
纒向遺跡が考古学的に否定した。
春秋戦国の呉の後継国家が日本で
そのときの渡来人王族を「天御中主」としてるんだよ
朝鮮半島経由できた渡来人第二弾(たぶん公孫氏)が「タカミムスビ」で
この系統がアマテラスでしょ? >>853
畿内説の京大捏造連中の工作かw
ほんと科学とか文献とか全く無視して妄想だけで決めつけるとか
日本の恥だよなw否定する材料しかないのに
基地害の頭では確定になるとかw
考古学じゃなくて捏造学の間違いだろうがw >>856
何だこのイキり近畿パーは?
wwww
纒向は明らかに考古学的に邪馬台国じゃ無いだろが。
楼閣も無い、人が住んだ気配も無い。
時代も違う。 >>857
日本人は昔から舶来品が好きなんだよ
九州の人間が畿内に移動して
九州の品物を扱うよりも他国のものを使う方がうれしい
単にその程度だ
と言われて反論できないだろ? 阿波については後世の古語拾遺の忌部氏による起源捏造に引っ張られたと言う方が強い
彼らは藤原氏に対抗するために自らの勢力を過剰なくらい大きなものに見せようとしている
房総半島の安房のコジツケも本来の支配者の阿倍氏の伝承を乗っ取って自らの一族の功績のようにしている
実際、阿倍氏の事跡は遡れるが、忌部氏の事跡は古語拾遺よりも遡ることが出来ない
そしていわゆる祭祀の為の材料を集める職掌の品部としての忌部の分布を忌部氏そのものの勢力であると誤認している人がそれを真実であると誤解している
これが阿波説の全容
確かに邪馬台国成立期に讃岐に近い土地としてその文化的な影響を相互に交わらさせている痕跡はあるが、
これも上で書いた通り「連合の影響下にある土地はその文化の一部が見つかる」と言う程度の物に過ぎない >>860
近畿パーって
畿内説の馬鹿の事じゃないの? >>861
お前の妄想が根拠?
は?
バカ?
ww >>863
東遷は国譲りと同じように
畿内勢力が、征服した国の事をそのまま征服したと言わずに
表現を変えたんだと思ってるよ >>865
ほら
お前は否定できずに暴言を吐くことしかできない
畿内説とは所詮その程度なんだよ >>864
近畿パーはそもそも真面目な議論をする気が無い。
議論を誤魔化しケムに巻くのが近畿パーの目的。
だから学会で「近畿では鉄が溶け易いんですキリ」とか
やるし
「邪馬台国なんてどうでもいい」とほざく。 >>873
別の国なのに東遷なんかするかキチガイwwww >>831
邪馬台国は「やまたい」とフリガナ付けらえているが
「やまと」が正しいと言う説がある
やまとなら山門で日本によくある地名
大和は吉字の当て字でもとは山門であったとされ
大和王権の由来となった奈良盆地の地名と一致する 異常にレベル低い書き込みばっかりだなと思ったら、
九州説のバカ2人でやり合ってんのか >>877
基本的に古い日本の地名は漢字の訓読み由来なのよね。
阿波国の語源は粟がよく採れたからだし、吉備国の語源は黍が採れたから。
中国語読みである音読みから、地域の関連性が出てくるのは、奈良時代の好字令以降の話し。
邪馬台国、邪馬壹国がヤマトの語源だとするのは、無理があるし九州北部は山門と呼べる土地でもないのよな。 >>862
忌部氏自体が特別にすごい氏族という感じではない。
天皇の祭祀用具を作る担当という感じで
阿波だけでなく各地に担当がいるわけで、たまたま服の担当が阿波の忌部氏だったというイメージではないか? とにかく日本側からほとんど根拠らしきものを示せない九州説も畿内説もまったく好奇心をそそられない
この四国説はけっこういける >>883
「青玉(サファイア)」はどう説明する? >>840
多分邪馬台=ヤマトで合ってる
各地の豪族がこの周辺に集合した過程はよくわからんけど 纏向遺跡って鎧が出土したんだっけ
どう見ても邪馬台国と時代が合わないよな 「空から大きな山が阿波国に落ちてきた。その山が砕け散り大和国に落ちて、
天香久山になったとされている」
これって九州から巨大な軍勢が来て阿波を攻め、そして大和も攻めたということでも
辻褄は合うよな? もうファンタジーでもなんでも、
とにかく古いものは事実って感じで扱うんだなww
邪馬台国も大変だねえ
九州から四国や近畿に飛ばされてさーww
ほんと、頭のおかしいジジババが多すぎるわ 異常にレベル低い書き込みばっかりだなと思ったら、
近畿パーのバカ大勢でやり合ってんのか 大和が中心地として選ばれた理由はおそらく3点
@大和は弥生時代を通して銅鐸の生産、材料の供給地として地域の中心的存在を担っていた
A大和の立地は各地域に行くのにとても都合のいい中間点にあった
B纏向周辺は縄文からあまり人の住んだ痕跡のない荒れ地で広域連合の中心地として利害のぶつからない都合のいい場所だった
これが大和に邪馬台国の中心が出来上がった理由だろうと思われる
大和と言う土地そのものは弥生時代を通じて近畿地方の要地
纏向周辺は「何もなかったから選ばれた」場所でここに最初から何かがあったわけではない 東遷も東征も無い。
纒向遺跡が考古学的に否定した。 >>897
>>861でお前の言い訳は否定されている 邪馬壹國←普通に読めば「ヤマトゥコク」だし
ヤマトだろがヤマタイとか呼ぶな!台の字充てるじゃねーよ >>842
中国の属国だった過去と高天原の神の委任による天皇統治は矛盾する為、
前者は消去された
あと藤原が力を持つようになり、ライバルである忌部の歴史は綺麗に消された
歴史は勝者のもの、勝者に都合よく改ざんされる 纒向遺跡からは九州の土器は僅かしか出土していない。
他地域のものはたくさんあるが。
征服者としての九州勢の面影は全くない。
東征も東遷も纒向遺跡が考古学的に否定した。
>>904
日本人は昔から舶来品が好きなんだよ
九州の人間が畿内に移動して
九州の品物を扱うよりも他国のものを使う方がうれしい
単にその程度だ >>892
違うよ
奈良盆地には古代、奈良湖という広大な湖があって
そのために縄文時代の遺跡は標高の高いところにしかみられない
(古代主要道として有名な山辺の道はかなり高い山際を通っている)
弥生時代から湖の水が引きだしたために人々は盆地の中央部に降りて
湿地帯に適した稲作を始めた
纏向は三輪山を中心とするやや標高の高い場所にある政治と祭祀の中心地で
人々は稲作に適した低湿地帯に定住したため生活の場とは少し離れていた >阿波こそが天皇家のルーツ
どゆこと? 神話とごっちゃにしてんの? >>882
出入り業者は普通近所に作る
海で離れた島のさらに山奥の秘境に三木家を作る理由って何 つうか580年も途絶えていた麁服の調進を復活できた三木家(阿波忌部氏)ってすごいよな。
先に打診はあったんだろうけど、どうやって製造法とか残してあったんかね? >>659
ウィキみてたなら、この辺りも見てるはずなんだがなあ
大分郡(おおいたのこおり) - 景行天皇が巡幸した際に、地形を見て、広く大きいので碩田国(おほきたのくに)と名付けたのが訛った。
速見郡(はやみのこおり) - 景行天皇が巡幸した際に、この地で女王の速津媛(はやつひめ)に迎えられたことから名付けられた。
国埼郡(くにさきのこおり) - 景行天皇が海路で巡幸した際に、「彼(そ)の見ゆるは、若(けだ)し、国の埼(さき)ならむ」と言ったことに因んで名付けられた。 考古学的に東遷も東征も否定されている
まず九州→畿内への文物の移動は驚くほど少ない
特に大和は須玖式と言う初期の土器の一かけらが見つかるだけで発見とされるレベル
逆に弥生時代後期後半から終末期にかけて畿内や瀬戸内海東部の影響が九州全域に色濃く広まる形になっている
九州への影響は弥生時代を通じて大きいが九州からの影響はかなり希薄
東征は無いと言える >>882
大嘗祭に使われる米以外の作物の調達も、
阿波と紀伊の担当だったんだよ。 >>915
金印は「漢委奴国王」なんで、委奴国か奴国は間違いなく博多周辺だったのであろう。 前方後円墳は大和で独自に生まれたものじゃない
吉備や出雲の特徴を備えており、その中心には被葬者とともに筑紫様式の副葬品が眠る
纏向に九州の土器が少ないから九州の勢力とは無関係と断ずるのは、九州に畿内の土器があるから九州は畿内の傘下だと主張するのと同じくらい浅薄な権力理解だと思う
すでに倭国は君臨はするが入植はしないという冊封体制を経験している
同様の振る舞いを九州倭国が東の倭種の国々にしたとておかしくはない
これで畿内で誰が鏡を配ったか分かっただろう >>916
若狭や伊勢の方が近く、新鮮な魚介が手に入るのに
わざわざ徳島から古い魚を取り寄せるんだよね、一番大事な大嘗祭でね
これでルーツでないなら何なんだってな >>877
ヤマタイコクという読み方は本居宣長がヤマト王権が中国に朝貢する筈がないという国粋主義的にヤマトとは別の国としていい始めたことだからな
それまでは本居宣長も新井白石も邪馬台をヤマトと読んでる 纒向遺跡からは九州の土器は僅かしか出土していない。
他地域のものはたくさんあるが。
征服者としての九州勢の面影は全くない。
東征も東遷も纒向遺跡が考古学的に否定した。
なんで邪馬台国があったくらいの栄えた土地に電車がないの? >>915
それは倭奴ね。
ただほぼ決まりだが。
(だから近畿パーが金印は偽造だと必死でほざくわけでwww) >>927
糞食って死ねどうでもいいカスwwwww (これか?w)
>>915
それは倭奴ね。
ただほぼ決まりだが。
(だから近畿パーが金印は偽造だと必死でほざくわけでwww) 邪馬台国は連合国
なので連合の影響下にある地域からは当然邪馬台国の痕跡が見つかる
単に一部の痕跡を取り出して拡大解釈して「ここが邪馬台国」等と言い出すのは見当違い
日本に来れば日本の文化をあちこちに見出すことなど当たり前なのと同じ >>915
それは倭奴ね。
ただほぼ決まりだが。
(だから近畿パーが金印は偽造だと必死でほざくわけでwww)
近畿パーがうんこをいつものように美味しく頂きながら感極まって一句
↓ 大和朝廷は神話的なつながりをもって連合の紐帯としていたので地方豪族に対しても神話的血縁にあると朝廷は主張をしていた
なので
×「神話的なつながりがあるから起源」
〇「神話的つながりを根拠に取り込まれた」
と言うのが実態
地方豪族と中央の繋がりは影響の拡大とみる方が自然 >>923
ならば東海の土器がたくさん出てくるから纏向は東海の勢力が制圧した地域ということになる
土器の出土に関しては、単に交易や人の行き来ががあった程度に考えるべきだろう 纏向の土器の出土は双方向の物
各地に畿内初の土器が広まる形
邪馬台国の中心として交易、祭祀の中心地として機能しているのだから周囲の土器も入ってくるのは当たり前
別勢力と考えられるすぐ隣の狗奴国の土器が交流の結果は行ってくるのは当然
九州のように在地土器が消滅して畿内の土器に変わる変化とは別物
纏向に全国的な政治、交易の中心が出来たことは疑いはない 近畿パーがうんこをいつものように美味しく頂きながら感極まって一句
↓↓ >>938
いまメイドインチャイナの食器や服が世界中に広まってるけど
中国が文化の中心となってるかね?
ただの下請け工場じゃないか? むしろ畿内以西が畿内式の土器に塗り替わる形で変化している中で、強い個性を維持して存在している東海系の土器の存在は
「邪馬台国と狗奴国」と言う二大勢力の存在を示唆する傍証として考えることが出来る >>938
邪馬台国時代に畿内が九州を制圧したという説はちょっと古い説で、北部九州が特に戦乱もなく栄えていたことがわかってきた最近は劣勢。前方後円墳の発生が早いことからも、女王共立の連合に積極的に参加したとみるべきだろう 近畿パーがうんこをいつものように美味しく頂きながら感極まって一句
↓↓↓ 弥生時代後期後半から終末期の土器の変化は単なる土器の輸出入の話ではない
「在地の土器を畿内の方式に塗り替える」変化
そんな中で逆に隣にいるのに畿内式に変わらずに、強い個性を維持している勢力が存在し続けることは
土器の変化が単なる交易の変化などではなく、政治勢力的な背景を持っていることを示す証拠となる 近畿パーがうんこをいつものように美味しく頂きながら業を煮やして一句
↓↓↓ レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。