【古代】邪馬台国論争、議論は永遠の平行線★2
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考古学ファンの心を揺さぶる邪馬台国の所在地論争。先日、テレビで九州説と畿内説を対決させる番組が放送されていた。九州説の有力な手掛かりは硯(すずり)。畿内説の方は赤色顔料の原料、水銀だ。
ただ、硯は、福岡市埋蔵文化財課の久住猛雄さんが今春、大阪府泉南市にある弥生時代の遺跡出土品に含まれているのを確認している。一方、水銀の鉱床も畿内限定ではなく、「丹生(にゅう)」などゆかりの地名は九州にもある。お互い説得力はいまひとつだった。
折も折、九州説をとるミスター吉野ケ里こと高島忠平さんと、纒向(まきむく)学研究センター(奈良県桜井市)所長の寺沢薫さんによる対論が福岡県飯塚市で開かれた。寺沢さんは桜井市の纒向遺跡を邪馬台国=ヤマト国とみる研究者だ。
結論から言えば「議論は永遠の平行線」という印象だ。
重要な鍵は多様な土器が出土している纒向遺跡。遺跡の時期と重なる「庄内式」と呼ばれる土器が登場した年代を、寺沢さんは3世紀初めごろとする。中国の史書「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」にある女王・卑弥呼の共立時期と同じで、「卑弥呼の都」との見方が強まる。
高島さんは3世紀半ばとみる。卑弥呼が没した時期であり、纒向遺跡は無関係という解釈を導く。2人とも庄内式土器が用いられた時期と纒向に「都市」があった時期は一致すると考えているが、その土器が示す実年代のとらえ方に50年の差があり、対論でもなかなか縮まらなかった。
土器の年代は研究の積み重ねを基に設定されている。実年代に当てはめる場合は一定程度の推測が伴い、各研究者がそれぞれの尺度を持つ。放射性炭素14を使った科学的な年代分析法もあるが、概して従来の年代設定より古い数値が出ており、精度を疑問視し否定的な研究者もいる。
ちなみに庄内式土器も、炭素14測定では卑弥呼が生まれる前の2世紀−との数値も出ている。もっともこの分析法は「100年ほどの誤差を含み、10年、20年単位の判定には不向き」との指摘も聞く。
論争が袋小路に入るそもそもの原因は倭人伝の記述だ。文字通りに進めば邪馬台国は日本の南方海上になってしまう。数々の論者が自分流に読み換え、各地に所在地を求めた。これも永遠の平行線。ドイツ近代政治史が専門の九州大教授、熊野直樹さんは「攻めてくる恐れのある他国に、自国の地理情報を正確に伝えるはずがない」と、国際関係論をベースに邪馬台国側の意図を読み解いてみせる。
交わることなき論争。故に歴史ロマンが生き続けるのかもしれない。(文化部次長 古賀英毅)
西日本新聞 2019/7/27 10:40
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/530555/
★1:2019/07/29(月) 23:59:18.84
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1564412358/ >>2
不法投棄した粗大ゴミを持ち
おらーが正しいんやーとエラ張っている 魏志倭人伝でギシギシアンアン言ってる隣が襲撃してくると疑心暗鬼 グーグル翻訳、日本語→中国繁体
日本国王朕→日本皇家女王
倭国王帥升等→皇家女王等
という翻訳から倭国王帥升等は皇室に関係ある人達の事 「魏志倭人伝」そのものが適当なことを書いている、いいかげん
と主張している評論家もいましたね。 町おこしイベントだから決着なんてさせないでしょ
恥知らずの青森がでしゃばってくると予想 文字の記録が出ない限り永遠に決着なんてつかんだろ
それにして文字の記録(碑文とかでも)ってほんとないよな、古代の日本の遺跡って
7世紀ごろの飛鳥時代の古墳でもないんだよね
文様や壁画だけで
もうその当時は大陸との交流も結構活発だったろうに
不思議だわ 早く神武が存在していたのを証明しろよボケwwwww 奴国の遺跡
http://www.iokikai.or.jp/kodai.nakoku.html
後漢書には、『57年、倭奴国、貢を奉じて朝賀す。
光武賜うに印綬を以てす。』と、また『107年倭国王帥升等、
生口160人を献じ、請見を願う。』
とある。 あの『漢委奴国王』の金印で有名な奴国である。 九州から畿内に引っ越したみたいな話を聞いたけど
其れだとどっち説になりますか。 当時の邪馬台国は奴国が天皇の住む首都だったということ グーグル翻訳が、歴史の論争に終止符をうつとは思いもしなかった >>1
>>12
伝天皇陵の発掘調査の声も上げずに・・・
謎のまま利権? 九州なんじゃないの?
記録に書かれている方角が合ってれば九州、
距離が合ってれば近畿だと聞いた
星を頼りに航海していた時代に、距離の計測を間違うことはあっても
方角を間違えることはないでしょ ひと山越えた場所にあった割れた土器が合致する考古学なんて信用できません
もう邪馬台国は沖縄でいいじゃないですか こんだけ探し続けて決定的証拠が出ない⇒
邪馬台国は無かった という説が一番説得力ある
中国の史書の超マイナー部分の記述なんて物証の内には入らんだろ 証拠集めて目的達成するよりも
学閥抗争の手段にされてる感がある >>25
長里だと(一里が約400メートルなので、一万二千里だと4800キロになるので)日本列島を飛び出してしまう
ただ、帯方郡から万二千里てのが、凄く遠いっていう象徴的な値なら
日数やらから見たら、畿内ぽいところもある
ただ実際は判らん感じはする そこでアカシックレコードの出番ですよ
時の始めから終わりまであらゆる出来事が記録されているという虚空の倉庫
これにアクセスする手段が確立されれば全ての歴史論争に決着がつく 須珠(すぐ)岡本遺跡奴国の都だと推定されている。
岡本遺跡が奴国の都ならここが 倭国王帥升等(皇家女王等)がいたわけだ 実は九州で決着はついている。オラが村さの自治体に学者が忖度しすぎ。 おらが邪馬台国やってる奴らが消えない限りはそうだろうな 決定的な証拠が出ないと難しいやろな
箸墓掘ろうぜ! ヤマトトヒモモソヒメが卑弥呼だよ、別名が日女命とはっきり丹波地方の資料にも残ってるからな。 決定的なのは倭国王帥升等が皇家女王等という翻訳がされた事にある 土器の年代測定なら熱ルミネッセンスで直接土器の年代を計れよ
14Cなんて有機物しか計れないんだから、土器の測定に合わないだろ >>39
それなら記紀通りなんだが、宗教である畿内説はそれも認めない >>43
天造日女命(あまのつくりひめのみこと)
https://enkieden.exblog.jp/26615544/(参照)
>天造日女の別の読み方は「あめのみやつこひめ」があり、卑弥呼のことであると云う説がある
これのこと? >>47
日本の歴史書は本当の事が書かれてたんだな はいはい、もう論争は終わってますよ
学術的根拠のない九州説はエンタメの世界でどうぞ好きにやってください
国立歴史民俗博物館
Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?
Answer 大多数の考古学者は大和説です
http://www.rekihaku.ac.jp/contact/faq01.html#c 正直九州だろうが近畿だろうがどっちでもいい
なんやかんやあってヤマト王権になって朝廷が出来て今の日本に繋がってるでいいじゃん >>43
そんな若くして死んだ女が卑弥呼なわけない 日本国王朕→日本皇家女王
こういう翻訳がされるのを見ると女王は朕(天皇)の事になるから
女王だから女性の王ではない そのうち 日本か周辺国でなんかが出てくるでしょう
それまでは 決着 つかない 中国の正史「隋書」には邪靡堆(=邪馬台?)の記述がある
火を吹く阿蘇山とかいう不思議な山があるらしいぞ
阿蘇山とはいったいなんだろう > 951 名無しさん@1周年 sage 2019/07/30(火) 10:12:57.86 ID:jiEsiZRD0
> >>937
> 今の九州説は半島の工作絡みだけどなw
> 九州説なら倭のエリアを極小に出来るからだぞ。
このレスに畿内説支持者の本音がよく出ていると思う
日本は古代から巨大で偉大な国であって欲しいというイデオロギー的なバイアスがかかっている
記紀が正しくて天皇は万世一系で古代から途切れなく続いているという妄想とセットになっていて
魏志倭人伝に出てくる邪馬台国を大和と同一視しないとプライドが崩れ去ってしまうんだよな ┏( .-. ┏ ) ┓【フジテレビ真理教】No.e 続き
*フジテレビが、テロ攻撃(オーバーテクノロジー)を起こした際に
私が主にソフトバンクのネットニュースを見て
それらの件に抗議をしたりすると、そのテロ攻撃に参加している大企業、他が
フジテレビ&Googleに対して
私を超伝導素粒子の針(石)礫にて口封じを依頼します
その依頼料金は、数十万〜数百兆円になっております
彼等の稼ぎの大半になっています
*タイムマシンが合った頃に、
各大企業が過去世界から強奪して荒稼ぎした物です
(仮想通貨、プライベートバンキングが預金を保護)
--
*他、主にAndroid(安倍ドロイド)陣営や、メディア側に
フジテレビ&Googleが大枚を支払って
私に関する異常な名前付けの製品を発売させたり
(臭い、尻、ゴミ箱、チーズおろし器)
気味が悪いレベルの仄めかし作品を発表させる事によって
7. 羞恥刑
8. 永久的かつ重度の外見損壊をほのめかす脅し
等の精神的な拷問状況に起き続けております
*Android陣営も、メディア側も
フジテレビから大金を受け取ってるので
仄めかせば、売れる製品や作品を作らなくても良いとか... at 平行線だよこれは、宮内庁が絶対自信あったら徹底的に調べさすし、記紀に確り出てないから関係ないんだよ、卑弥呼わ。 畿内説は要するに
おらが村に邪馬台国を
ってことだろ 累系的には列島内では坂東国がそれ関連じゃないかな? >>17
焚書され、碑文も破壊されたのでしょう。
簒奪者の中大兄と鎌足、不比人らによって。 普通の知能が有れば畿内説(笑)は100%ありえないのに
観光資源や学閥のプライドとかで必死に捏造しているからなあ いい加減な文書に書いてあるものが正しいわけがないだろ
まともに論争するだけ無意味 いくら奈良が有力と言い張ったところで
確定できる証拠が見つからない限り「有力な仮説」に過ぎないからなあ
明確な物証が出てくるまでは「永遠の水平線」なのは学問的には当然であり、健全な状態 >>57
隋書って遣隋使とか冠位十二階とか日本史でお馴染みの日本側の政策用語がかなり出てくるんだよね 台湾あたりのことを言ってるんだろうけどファンタジー要素が強め >>64
帯方郡から水行で行けると考えて、投馬国と邪馬台国は半島南部の倭国だったと考えるのが普通だよな。
そして卑弥呼が治めていた女王国は北部九州一円。
その女王国にフォーカスを当てて記録されたのが魏志倭人伝。
やたら女王国と出てくるが、邪馬台国という国名は一度しか出てこないしね。 決定的な証拠となると、金印か銀印、その封泥、魏から貰った数々の贈り物と確定出来るもの
まあそれはともかく、箸墓掘ろう 其死有棺無槨 封土作冢
その死には、棺有りて槨無し。土で封じ冢を作る。人が死ぬと、棺に収めるが、(その外側の入
れ物である)槨はない。土で封じて盛った墓を造る。魏志倭人伝に卑弥呼の墓は石室が無く土
を被せただけと書いてあるから箸墓古墳の可能性はゼロ。
魏志倭人伝に出てくる邪馬台国という前提だと箸墓や纏向は明らかに邪馬台国ではないん
だよね 北部九州以外にあり得ない。卑弥呼の墓は、棺はあるけど室はないから。 石室がな
い前方後円墳なんてないから。 その墓制にぴったりなのは福岡県糸島市の平原遺跡。
なぜ邪馬台国と結び付けるのに必死かって?
邪馬台国、卑弥呼ってキーワードが無いと発掘と研究費用が出ないから
邪馬台国ってのは桜井市ではもう町興しのキーワードだから "邪"馬台国の"卑"弥呼
日本って最初から邪で卑しい国だったんだな 子供の頃近くのダムができる前にダムの底に行ったら大きな石墳がいくらでもあった
それが誰の古墳なのかなんもわからず今では水の底そんなもんだよw >>50
多数決で学問的な問題の結論を出すほど愚かで非学問的な話は無い 一体何が出土したらここで間違いないと言える
証拠になるのだろう。 >>71
畿内説にとっての根拠とは「想像」のことだから。
「きっと東を南だと勘違いしたんだろう」という想像に始まって、
同じ時代の遺跡が見つかったら、
「きっとこれが邪馬台国なのだろう」と妄想する。
これの繰り返しだから、妄想を起点としたさらなる妄想でしかない。 中国の鏡も金印も出たのに証拠にならなかったのが不思議 俺はあまり興味ないが
俺のDNAが九州だ、と言ってるわ
日本人の多くは本能的にそう感じているんじゃないかな >>86
志賀島の金印は時代が150年くらい古いからしょうがない >>75
仮に印が見つかったところで、それが魏志倭人伝に記述されたのと同年代の遺跡からでなくては
決定的な証拠とはなり得ない 奴国王の墓
http://www.city.kasuga.fukuoka.jp/towninfo/kasuga/nakokustory/oubohakken.html
発見後しばらくして、ある考古学者が岡本を訪れ、
小室のレンガの壁の一部を崩して、その内部を調査しました。
この墓のことが学界で発表されると、多くの学者たちが調査に訪れ、
貴重な遺物があちこちに持ち去られてしまいました。
その結果、出土遺物の内容がはっきり分からなくなってしまったのです。
天皇の墓は荒らされてしまいました。 ┏( .-. ┏ ) ┓
【フジテレビ真理教】No.f 続き
*私の考案した物を、本人の許可無く
安倍首相やフジテレビが好き勝手に売却して
私がそれに対して少し怒った思考を持ったら
アイデアをパクらせた企業側から、私の口封じ代金を稼ぎ
私に対して、超伝導素粒子の雨あられ攻撃を激化させてきます
*私には、Twitterに記載してないパクられた製品が無数にあります
--
*考案した物の一つが、数百兆円で取り引きされた時にも、私には一円も入って来ないばかりか
国内外からの私に対する援助金約35兆円を、三菱UFJ銀行が抑え込んでしまったらしい
私宛の振り込みに関して、フジテレビ&日本政府が別口座に届く仕組みにしていた
*フジテレビは私に対する募金詐欺も世界各国で展開している(預貯金が少ないとか、身体が弱いとかである)
*他、私は親族では無いので受け取る積もりは一切ありませんが
複数の方が遺産を譲って下さると云う話もありましたが
それ等は、フジテレビが書類を破棄して揉み消したと云うか
正しい縁者に渡さずに身内に使わせてるらしいです az >>85
その被葬者が卑弥呼であると断定できる可能性は限りなく低い 役付きが毒にも薬にもならない駄文を記名入りで書く,さすが西日本新聞wwwwwwwww これが出土すればほぼ決まり。
封泥↓
https://i.imgur.com/IPLRQyR.png
卑弥呼が魏とやり取りしていた手紙などを
封じていた封泥が落ちていれば、そのあたりに
卑弥呼が居たということ。
印影が魏武王のものなら確定でしょ。 >>90
卑弥呼の金印はともかく、部下の貰った銀印が墓から出たら
墓の他の埋葬品と比較する必要はあるにしても
大体その埋葬者が貰ったもの、でいい気はする
そういう意味では黒塚古墳はもしかしたら、があったけど結局出なかったのがなあ、、
まあ封泥が遺跡から出た方がより確定的だけど
それはともかく、箸墓は発掘されるべき >>1
ひみこ
139
十三湖
ぶっちゃけ十三湊ですよね? 窓口としては九州が最適ではあるんだが
九州の遺跡掘っても、それらしいのがでてこないんだよな >>98
金印などは価値あるものなので移動している可能性があり、決定打にはならない。 図書館にある古代史本を何冊か見る限り、
もし邪馬台国が大和にあったとしても
どう大和朝廷に移行したのかとかその辺りがアヤフヤで根拠弱いんだよな。 イトちゃんのその後どうなったか知りたい
ほぼ無理だろうが 当時の日本列島の大部分は殷文化の影響が強かったんだろう
獣の肩甲骨を使った卜占、動物や人の生贄、殉葬、酒を使ったトランス状態で神託をきく、太陽神の末裔、
邪馬台国の記述や纒向遺跡の祭祀遺構に合致する
殷では女性は巫女として政治に参加し、戦争の最前線で活躍するなどその地位は非常に高く、飲酒は神事であった
桃の種は大量の酒を作った跡だろう
卑弥呼のいた邪馬台国、ヤマトは【畿内征伐】の最前線
纒向遺跡は、対狗奴国の前線基地
河内、和泉の狗奴国と争っていたんだろう
邪馬台国、初期のヤマト政権は、征服王朝でありいわば天照とスサノオの王朝だろう >>84
それを言い出したら、邪馬台国は海の上に存在したムー大陸レベルになるぞ
九州説にせよ畿内説にせよ、「きっと○○を勘違いしたんだろう」
「きっと××を誤記したんだろう」という想像になるんだから。 >>100
宇佐神宮を掘るといい
答えが埋まっている >>100
九州派そもそも掘ってない。
田畑の方が大切だから。 >>101
だから金印はともかく、て言ってる
ただ部下が貰った銀印は、基本的にその人のものだから
(魏の役職の印綬だし)
貰った奴が死ねばその墓に入った可能性は高いと思う
荒らされて盗まれたらおしまいだが
まあ、箸墓掘ろう >>107
想像が一階層であればまだ仮説と言えるレベルだが、畿内説は何階層にもおよぶため妄想と表現したほうが適切だ。 >>109
掘るだけの根拠になってないから、掘ってないだけじゃね?
機内なら、遺跡優先だぞ
工事中に遺跡が出たら、工事ストップして遺跡調査やるからな 壱岐とか筑紫とか対馬とか今でも残る九州地名がたくさん出てくるのに、なぜか畿内地名はいっさい出てこないのも不自然よね >>110
誰か体張って箸墓を盗掘でもやってくれりゃハッキリするのになw >>112
九州説も同じやん
アレはコレの誤記で、単位は当時使われなかったはずの短里で
何も発掘されていないし証拠も存在しないのに九州なんだ、ってことなんだから
妄想以外の何ものでもないだろ 痔眠党のass hole太郎
とか言ってるのと同じレベル いきなり日本列島の中心に日本で一番大きな国が出来るわけないだろw
どっからそれだけの人間と技術や知識が湧いてくるんだw
畿内説を言ってるやつは日本人の祖先は日本列島で誕生したと言ってるようなもんだぞ?
あたま大丈夫かよ?w >>20
どっちにもならない。
・卑弥呼のほうは西暦170年代から250年あたりまで生存してた人物と確定してる。
・だが、ヤマト政権が九州から畿内に東遷した年代は、まったく不明なのが実情。
(古事記・日本書紀の記述を鵜呑みにすれば紀元前660年だが、そんなヨタは誰も信じていない。) >>113
福岡の朝倉の調査で遺跡の一部が出てたけど、住宅が多すぎてそれ以上は掘れないってコメントしてた。 >>94
「卑弥呼の墓」って彫ってある墓石が出たら終わり。 『若』狭の水、『若』草山の山焼き、若草山の山頂にある牛塚
若、水、火、牛
牛の火を若の水で鎮めるということかもな
若、【ワカ】
インカ帝国では、【ワカ】は川や泉などと結びついた聖なる存在
アイヌ語で【ワッカ】は清らかな水
インカ帝国はy染色体ハプロタイプはQ系
殷もQ系だったらしい
日本にもQ系は1%弱いる
インティはインカ帝国の太陽神
殷の王族は太陽の末裔
殷の王はシャーマンであり鬼神を崇拝していた
稲荷はイネカ→インカ
廣瀬大忌神、若宇加能売命、稲荷は殷系の渡来人と関係あるのだろうか?
若と牛、若と牛頭天王の関係は?
牛鬼伝説
古い海神であった牛鬼は石に敗れ、以後牛鬼の娘は石の子を産むようになる
牛頭天王の原型じゃないか?
母は古い海神、父は石
古いという言葉
インカ文明のケチュア語ではマチュ、
アイヌ語ではマク
マチュは年老いた
マクは奥、時間的に奥、古い、年老いた
『松』のことなんじゃないか?
八坂神社などで見られる天王祭、蘇民祭
牛頭天王、鬼子(殷は鬼神を信仰)、牛玉紙を奪い合う(牛鬼の娘を奪い合う?)
牛鬼伝説や殷と関係がありそうだ
邪馬台国、初期のヤマト政権は、殷の残党と【石】の王朝だったんじゃないか?
卑弥呼亡き後内乱があり、石が殷の残党を裏切り乗っとったのでは? >>113
工事中に遺跡が出てきたら発掘調査するのは
畿内とか邪馬台国問題とか関係なく、日本の常識ですよ 使者がヤマトをヤマタと聞き間違えた
そしてヒミコは一般名詞で当時ヒミコと呼ばれる者が複数存在した
=当時はいくつか国があって、それらには共通文化があり、大和が最も栄えていた
というのを三十年くらい前に学研の別冊だかで読んだ
思い返せば折衷案かなこれは なぜ魏志倭人伝にも記紀に合致する三重県が候補でないのかはなはだ疑問
斎王から真珠から水銀からなにからなにまで一致してるのに >>120
いままさに絶賛掘ってる最中じゃん
いつまでかかるかわからないから、事業が最低でも半年遅れるけど、もっと遅れるかも宣言してるし ヤマト政権は、畿内を征伐した稲荷と石の王朝だったが、卑弥呼亡き後内輪揉めし石が稲荷を倒し乗っとったのかもしれない 周囲5000里の島なので近畿ではない
九州か四国か台湾 >>114
ふと思ったが、筑紫は倭人伝では奴国、後恐らくは不弥国になってる
隋書になって初めて筑紫(竹斯)が出てくる
改名したのだろうか >>124
それだけ大事なことなのに、何故か九州説となえてる学者は調査しないのがおかしいよね、って話だぞ? >>116
女性が手厚く葬られていた古墳は九州では珍しくない。
つまり女王文化の痕跡は濃厚だ。
それと何より鉄器の分布だ。
もし九州が畿内の傘下であったのなら、同時期に同じだけ鉄が流通していたはずだ。
鉄器の出土量が桁違いなんだよ。 >>115
盗掘は流石にw
前に箸墓は宮内庁の許可を得て、端っこをちびっとは掘ってるんだし
それなら主体部も掘らせて欲しいところw 魏志倭人伝を想像を加えずに読んでください
合わせて晋書などの中国古典を それと女王というのは女国の王って意味だと思うそっち扱いだと近畿になる可能性もあーるーかも? >>134
なんで「同じだけ鉄が流通してるはず」ってことになるのかわからん
その理論でいけば、機内には全国各地からの土器が出土しているから
もし、機内が九州の傘下であるなら、同時期に同じだけの土器が出土してなきゃおかしくね?
でも、九州で出土してるのはほとんどが地元のものだけ。
そこら辺から考えると、九州は「鉄の産地」として成り立っていた地方都市の可能性のほうが高くね? >>136
せんせい!
海の上にでますっっ!日本にすらたどり着けません!!(涙目) いや?女国=アマゾンだとしてやっぱ東北だなアルダナリーシュバラ
イザナギ・イザナミ 東北を司る天だ >>132
いや、普通に日本全国どこでも、邪馬台国とか関係無く発掘調査はされてますよ
あなたがご存じないだけで >>141
日本全国発掘調査がされているのに
九州からはそれらしいものが出てこない時点で、話終わってね? >>138
畿内は土器を九州に献上していたという話だなw
後漢時代に100国だった倭国が、魏の時代には30国しか交流が無い書いてある。
つまり倭国大乱ののち、北部九州30国の邪馬台国連合と、その他70国からなる狗奴国連合とに分裂していたと思われ。
要するにもともと全国付き合いはあったんだよ。
倭国大乱による分裂後は北部九州しか交流がなかったということだ。
そして台与の時代に狗奴国と合流しただけだろ。 >>142
そりゃあ、まだ見つかってない遺跡が土の中に眠ってる可能性だっていくらでもあるからねえ
今見つかってるものが全てのわけが無い
それが学問ってもんですよ >>146
全国付き合いがあったのに、地元の土器しかでてこない九州が邪馬台国ってこと?? 邪馬台国の南方には小人の国があると書いてある
んで、九州の南方にある種子島で見つかった弥生時代の人骨には極端な低身長の特徴があるという >>147
学問ってのは「今みつかってないけど将来みつかるもの」を前提としてやるもんじゃないですよ
それはただの妄想作文
現状みつかってないものは見つかってない、という現実を受け入れた上で学問を論じましょうよ とりあえず、なんにしろ
まだ結論が出てないものを安易に断定させたがる人は
邪馬台国問題以前に学問というものが理解できてない >>151
意味がわからん
九州は証拠が残って無くても良い理論、説明して? >>152
そこまで、このスレで必死で九州説主張してる人をdisらなくても・・・ >>97
普通にどっちの説も考えた結果、わからんという結論にしかならんかったよ。
畿内にせよ九州にせよ魏志倭人伝と矛盾や無理が必ず見つかる。 >>148
皆が共通した祭祀土器を使っているなどと魏志倭人伝に書いてあるのか?w
妄想はなはだしい。 長崎新幹線のために佐賀平野を掘ればなんか出てくるだろう
長崎新幹線の価値はそこにある >>150
畿内だって、まだ確定できる証拠は見つかってないから
それを将来見つけるために発掘調査しているんですがねえ
九州説を攻撃したくて夢中のあまり
畿内説を証明するために研究されている学者まで侮辱していることに気づいてないのでしょうか? 記紀には魏の話が出ないのがな(神功皇后のは除いて)
一番古いのは、10代崇神の晩年に、任那の人が朝貢した記事
11代垂仁や13代仲哀やらでは新羅が出てくるし
神功皇后では三韓(高句麗新羅百済)を従えるが
三国志時代の三韓(馬韓辰韓弁韓)も、帯方郡も楽浪郡も出てこない >>158
両方違うと理解してるだろうにプロレスすぎる… >>57
佐賀なら阿蘇山は見えるらしいね
やっぱりあのへんだったんじゃないのかな >>154
グーグル翻訳で女王が日本国王朕の事だと有力な説が出たから
悔しいのかもしれない >>155
どっちにもあったと考えたら辻褄合うんじゃないの?
どっちが中枢かは別として >>156
じゃあ、邪馬台国に大量の鉄器があるって魏志倭人伝に書いてあるの?
他の地域と交流もないって書いてあったっけ? >>158
その発掘調査すらほとんどしていないのが九州説という現実を一度直視したほうが良いのでは? 私は昔は北九州説だったけど
現在は畿内説だな
理由は簡単
邪馬台国に値する大規模な集落、卑弥呼の墓に相当するような巨大墳墓
魏から下賜されたと考えられる多数の銅鏡
これらの条件が満たされるのは畿内以外にはないだろう
九州には大規模集落は発見されているが、いまだもって畿内のような
巨大墳墓はないし >>165
市で金として使える鉄を、使い捨てになる「鏃」に使えるほど潤っていたんだぞ。
女王国の東の海を渡ると、また倭種の国があるとだけ紹介されているのが要するに畿内だろw 結局古墳を掘るしかない
盗掘されまくってるだろうけど
陪塚も掘ってしまえ
つう訳で箸墓も掘れ 邪馬台国と対立していた狗奴国の男王の名前が卑弥弓呼。卑弥呼と名前が似ているし興味深いんだよな。 >>169
うん。で魏志倭人伝のどこに「邪馬台国には大量の鉄があって、周囲の国とは交流がなかった」って書いてあるの?
それとも「魏志倭人伝にのってない、俺の妄想邪馬台国にピッタリなのが九州」って話?
寝言でも言ってんの? >>172
■魏志韓伝より
國出鐵韓?倭皆従取之,諸市買皆用鐵如中国用銭,又以供給二郡
(国には鉄が出て、韓、?、倭がみな、従ってこれを取っている。
諸の市買ではみな、中国が銭を用いるように、鉄を用いる。
また、楽浪、帯方の二郡にも供給している。)
■重要事項
・3世紀頃は鉄は市で通貨として使えるほど貴重だった。
・九州では武器や農具に鉄を使えるほど潤っていた。
・しかしこの時代の畿内からは鉄が出土していない。
↓鉄の出土状況
https://imgur.com/eRF3Zza
■推測されること
・畿内政権は鉄を取りに行っていない
・畿内政権は九州に鉄を分けてもらえなかった
・一大率は畿内への鉄の供給を行わなかった
■結論
・3世紀の北部九州と畿内の関係は希薄だった
・一大率は畿内政権とは無関係だった
・畿内は倭国ではなかった(縄文人?)
■裏付け
纏向遺跡では九州産や半島産の土器は出土していない。
もと歴博の館長もやった佐原真いわく、
「近畿圏では鉄は溶けやすいので、残っていないのだ」(開き直り) >>19
倭奴国(博多)と帥升倭国は別だぞ
帥升倭国のほうは別の書で「倭面土国」と書かれてる
たぶん博多ではなく北九州とか 「オッケーグーグル」でも「ヘイシリ」でもいいから聞いてみると良いかもしれない 纏向遺跡は国内産とくに東海・伊勢の土器が大量に出土しており「女王国以北」や大陸と付き合いは希薄だったことを示している。 青銅器,鉄器の移行は地域差もある
日本は他文明圏と違って明白な青銅器→鉄器遷移を時代として持っていない
したがってその時に鉄器優勢だからといってもそちらが中央政府だとは限らない >>177
東海伊勢っていったら神仙思想のメッカだよ。
もろ大陸だよ だからさっさと宇佐神宮を掘ろうぜ。石棺の場所も判ってるそうじゃないか >>166
あなたの発掘調査してるしてないって主張は
あなたがニュースで見たかどうか、はっきり言えばあなたが聞いたことがあるかどうかってだけの話ですよね
九州は発掘調査してないなんて、多少なりとも考古学かじってれば絶対に出てこない主張なんですが
発掘調査をして、それがニュースになって、遺跡として保存されて観光マップに掲載されるなんて
全ての発掘調査の中でも、ほんのごく一部の話なんですよ >>42
そこから金印が出ても、持ち運べるもんだから邪馬台国東遷が証明されたって言われて終わり。 >>183
下手するとダムで沈めるどころか爆破するからなw 畿内説の人間は正確が悪すぎて、
九州説の悪口を言うことでしか畿内説を正当化できてないんだよなぁ
畿内説に自信のない証拠 古墳時代の稲荷山鉄剣のように、漢字が書いてある邪馬台国と関連のある鉄剣とか銅鏡が発見されればかなり解明されると思うんだよな。 宇佐の亀山は結構怪しいかも
宇佐神宮の周りには結構規模のでかい古墳群もあるし、最初期の前方後円墳もある
古代は結構栄えてたんだろな。神武天皇も寄る訳だ
(景行天皇の時は討伐されてるけど)
まあまずは箸墓からw ポリネシア遺伝子や下戸遺伝子はどこが最強だと思って
九州でも四国でもないよ
三重、愛知だよ >>171
むこうだって玄徳さんと孟徳さん
敵同士で似たような名前じゃねえか ビックバンの解明よりも科学的に難しいかもな
古事記に卑弥呼とか出てこないからな
なにかしら呼び名が違う人物が卑弥呼かもしれないが
まぁ古事記もある程度ファンタジーだからな 下戸遺伝子ってモンゴロイド特有じゃなかったっけか? 連想ゲームだから、
壇さん、大和田さん、壇さんて感じなんだよね。 畿内説の可能性はほとんどゼロになってきたのが時系列の最新研究だな 大和朝廷が作らせた偽りの歴史書 古事記や日本書紀に出てこないんだから奈良ではないことはわかってる 畿内説ってのはとことん史書の記述とは関係の無い話しかしないからな。
手元で出土したもので勝手に想像ベースの小説作って、史書はいい加減だとほざきやがる。 三国志魏志倭人伝には、対海国(対馬)、一支国(壱岐)、末盧国(松浦?)などと九州に比定される地名がかなり出てくるが、近畿地方に比定される地名はないんだよな。 福岡で最古級「導水施設」遺構の木樋「纏向」と同時期
http://rekishi-club.com/%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E3%81%A7%E6%9C%80%E5%8F%A4%E7%B4%9A%E3%80%8C%E5%B0%8E%E6%B0%B4%E6%96%BD%E8%A8%AD%E3%80%8D%E9%81%BA%E6%A7%8B%E3%81%AE%E6%9C%A8%E6%A8%8B%E3%80%8C%E7%BA%8F%E5%90%91%E3%80%8D%E3%81%A8/
九州歴史資料館(福岡県小郡市)は3月16日、
同県行橋市の延永(のぶなが)ヤヨミ園(その)遺跡から
九州で初めて出土した古墳時代の水の祭祀(さいし)遺構
「導水施設」の木樋(もくひ)が、3世紀中ごろ〜4世紀中ごろの
ものと判明したと発表した。
ヤマト政権発祥の地とされる奈良県の
纏向(まきむく)遺跡で出土した国内最古の
3世紀後半〜4世紀初頭のものとほぼ同時期で、
近畿で始まった水の祭祀が極めて短期間に
九州にも伝わっていたことになる。 この分布図の乾燥耳垢圏がまさに魏の時代の狗奴国領域だろうなw
↓
https://i.imgur.com/VqqGojH.png
湿潤耳垢:縄文系
乾燥耳垢:半島系 >>206
狗奴国がペルシャで邪馬台国全体としてはメディアじゃろ?そんで女王の話はだいたいマッサゲタイ >>205
>近畿で始まった水の祭祀が極めて短期間に
>九州にも伝わっていたことになる。
この思考回路がバカの証。
もともと同じ倭人文化圏なんだから似たようなことやってて当たり前なんだよ。 >>188
そういう意味では、魏の年代が記された紀年銘鏡ってのがある
いわゆる景初年号の入った三角縁神獣鏡の紀年銘鏡が有名
ただ、これらの鏡はみんな陳氏という氏族が作った事になってるが
陳氏作成の鏡は、中国からは出てない
恐らく日本に渡った工人の作では、と思う
ただ、銘文だけの三角縁神獣鏡の場合、王氏が徐州の銅で作った、なんていうような
中国産を示唆してるような銘文もあったりする
ただ中国での王氏作鏡は呉の支配地域から出てるが
後は日本と中国で共通なのは尚方作鏡だが
中国で出たのは楽浪郡なので魏か公孫淵かわかりづらい
http://www.ne.jp/asahi/isshun/original/mater10.html メシアげたい
というか
召し上げ台というか
邪馬台 導水施設は奈良発祥で同時代の九州に広まり
大和政権の時代にさらに広く全国に広まったと思われる 3世紀初めには奈良に銅鏡の宗教が入ってきて銅鐸が消滅する
同じ時期に前方後円墳が作られ始める
3世紀初頭の前方後円墳
奈良県桜井市 纒向石塚古墳
徳島県鳴門市 萩原1号墳、2号墳
3世紀前半の前方後円墳
滋賀県東近江市 神郷亀塚古墳
兵庫県姫路市 山戸4号墳
岡山県総社市 宮山古墳
宮崎県西都市 西都原81号墳
おそらく徳島は奈良の犬 中国の歴史学者の見解はどうなの。三国志魏志倭人伝を書いたのは中国人だし。 >>212
何かが何処かを中心として広まる時代じゃないんだよ、文字があったかも不確かで馬も無い時代なんだぞ。 どうでもよくね?
もう新事実なんて何も出て来ないでしょ
不毛な論議に終止符をうつべき バイアスありきの畿内説は重傷だよなw
■前方後円墳は奈良発祥では無い件
全国的には、
徳島県の萩原一号墳や鳥取県南部町の浅井11号墳、
福岡市博多区那珂1丁目の那珂八幡古墳など
3世紀の前方後円墳が多数ある。
近藤義郎によれば、全国の前方後円墳を築造された
時期別に畿内編年の1期から10期の10段階に分けて
整理すると、最も古い1期でもっとも多いのは
@筑前(福岡県北部)で9基、
A播磨(兵庫県)で8基、
B大和で6基、
以下備前、美作、備中、讃岐となっている。
さらに朝鮮には3世紀に石積みながら
前方後円墳が多数ある。
以上から、奈良が前方後円墳の発祥地とは言えない。 やまたいこくっていっちゃてるし もうそこに答えが・・・ ひみこって言っちゃてるし ひめみこやん もう答えは出とる 畿内政権が中国とは付き合いが無かった証拠だ。
旧唐書より
倭国と日本(ヤマト政権)が別記されている。
https://i.imgur.com/LMs5IbV.png
■倭國条 〜631年 (倭国時代末期)
「倭國者,古倭奴國也。」
(倭国はいにしえの倭奴国である。)
倭奴国とは、漢委奴国王の金印を貰った国。
「去京師一萬四千里,在新羅東南大海中。」
(新羅の東南一万四千里)
郡から京へと都の位置が変わった為、表記変更。
■日本条 701年〜 (ヤマト政権時代)
「日本國者,倭國之別種也。」
(日本国は倭国の別種である)
日本は倭国とは別物と言い切っている。
そして古代倭国との関係について
日本国使者があれこれ言い訳をする。
「以其國在日邊,故以日本爲名。」
(日出る国だから改名した)
「或曰:倭國自惡其名不雅,改爲日本。」
(字が嫌いだから改名した)
「或云:日本舊小國,併倭國之地。」
(小国だった日本国が倭国を併合した)
「其人入朝者,多自矜大,不以實對,故中國疑焉。」
(日本人は正直でないので中国はこれを信用しない) >>230
畿内説学者の子供じみた言い訳がこれだ↓
「箸墓より古い前方後円墳は多々あるが、定型化されたのは奈良だ」 銅鐸の終焉と古墳の始まりから近畿が中心になったってもう >>1の「攻めてくる恐れのある他国に、自国の地理情報を正確に伝えるはずがない」って
方角のほうが間違ってると言ってるようなもんじゃないか ヤマト政権の始まりを探る上で本当に重要なのは邪馬台国ではなく、
弓月君との関係だろ。
〜2世紀末 唐古・鍵最盛期(銅鐸終了)
3世紀後半〜4世紀半ば 纏向最盛期
4世紀末〜↓予定より早く弓月君ご到着↓
産経新聞(2018.11.28)
最古の大壁建物跡か 奈良・高取の遺跡で発見
https://www.sankei.com/west/news/181128/wst1811280010-n1.html
〜 大陸から来た渡来人の重要施設とみられる国内最大級の 〜
建築年代は4世紀末〜5世紀初めと推定され、最古の大壁建物跡の可能性もある。
渡来人が入植を開始したのは5世紀後半と考えられていたが、大幅に早まる可能性が出てきた。
〜 省略
白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館名誉館長(考古学)は、建物の時期についてはさらに
検討が必要としながらも、「(現場に)居館や祭祀施設など渡来系の人たちが営んだ重要な
施設があったことは間違いない」とみている。 確実な話だけ
・倭人は朝鮮半島にもいた
・邪馬台国連合は朝鮮の国も含んでいる
・対馬と壱岐はおそらく確定で見てよい
・女王国南端は北部九州の範囲にとどまるであろうとみてよい
ならば邪馬台国は筑紫平野、筑後平野、おまけで大分県 この辺しかありえん 余ほどの馬鹿じゃない限り>>206→>>235→>>231の順で読めば察しがつくだろ >>241-242
だいたいこのレールの上で隠蔽されてる流れw 魏志倭人伝に卑弥呼の墓は槨が無く棺のみで土を盛っただけの塚と書いてあり、石積みで槨が有る前方後円墳の箸墓は論外。 >>216
中国の人はみんな九州だと思ってるよ
畿内にあるとか馬鹿なこと言う中国人はいないよ
シビアにみてる >>234
頭下げて朝貢して、魏の使者に来てもらってるのは邪馬台国のほうなんだがなあw
他国との戦争のために、魏に後ろ盾になってもらってるのに
正確な場所を伝えなかったら困るのは邪馬台国自身なのだがw
ろくに倭人伝も読まずに「読み解いてみせる」三流学者が
売名のために口出しするので、余計に議論が混乱している >>238
西晋(265年 - 316年)の時代、280年から297年の間に成立した『魏志』
南北朝の宋(420年 - 479年)の時代、432年以降に成立した『後漢書』
唐(618年 - 907年)の時代、太宗の命で編纂された
『北斉書』・『梁書』・『陳書』・『隋書』・『周書』と『晋書』
後晋(936年- 946年)の時代、945年に成立した『旧唐書』
北宋(960年 - 1127年)の時代、1060年に成立した『新唐書』
このうち、
古くは「漢委奴国」と呼び、どんな時代もずっと中国と交易していた九州の国が【倭国】であり
日邊(日出の処)在るを以て、故に日本と名を為した
あるいは、邪馬台という名前が嫌で日本と言う名に国名を変えた
という大和の国【日本】は【倭国】ではなく、信用なら無い国だ
と
奈良の大和政権のことをディスっているのは
後晋(936年- 946年)の時代、945年に成立した『旧唐書』だけ
なぜ後晋(936年- 946年)は奈良をディスったかというと
奈良は唐(618年 - 907年)には遣唐使を派遣したけど、後晋(936年- 946年)には遣晋使を派遣しなかったから 99%機内だと答えは出てるけど
まあ平行線と言うことでいいよな 魏志倭人伝からわかること
伽耶(狗邪韓国)から北部九州の奴国(福岡市)まではほぼ確定
投馬国及び邪馬台国は北部九州から遠方にある。急に距離が日数になっていることから、恐らく使者は行っていない >>235
こいつは大和の事を何も知らないからこんな勘違いをする。
奈良は生駒山から山之辺辺りと奈良盆地、大和川から南だけでも全然文化が異なる。
クンナカとサンチュウといってごく最近でもはっきり別れてるんだからな。
三世紀邪馬台国とは河内胡周辺、信貴山周辺の国々、女王国とは瀬戸内海周辺の国々の事だ。
九州南部は倭人の国ですらないだろう。 ツチノコ論争みたいなもんだ
言った日本人が嘘をついてるかもしれんし
書いた中国人が妄想で書いた小説かもしれんし
これで飯を食える人が居るからいいんじゃないの? 魏志倭人伝に邪馬台国は帯方郡から一万二千里と書いてある
九州以外は不可能 >>245
三角鏡を国産だろうと判断した中国人は畿内説だけど? They said it was in India. >>253
また捏造かよ。
一万二千里は邪馬台国までではなく女王国だぞw
女王国とは瀬戸内海の国々だから何の問題もない。 九州説の連中は倭人伝なんてまともに読んだ事ないだろ?
読んでるのはその辺のムック本とか邪馬台国の会の詐欺まがいの資料だけだろ。
いい加減倭人伝を邪馬台国伝を混同するなよw >>256
じゃあ東北だな1の区の国はその辺り含む扱いか 韓国岳は天孫天皇家の高天原としての朝鮮半島
高天原から天降った邇邇藝命が
日本列島の未開な縄文人土蜘蛛どもを支配する正当性
奴隷として優秀な日本人を管理訓育する必要が我々の使命であることを史的に確認しよう
和の精神を倭猿に叩き込み日本社会の仕組みを叩き込もう
天津神天孫族天皇陛下万歳
大いなる支配者階級弥生人渡来人韓民族万歳 >>173
これだけ楽浪、帯方と密接なら北九州しか想像できんなあ
畿内から九州までを支配する大国だったとは思えないし 狗邪韓国――韓国・慶尚南道金海
対馬国――対馬島(九州玄界灘の島)
ここから
【北九州の漢委奴國王だった「狗奴国」に行くときは】
一支国――壱岐島(九州玄界灘の島)
竹斯国――筑紫(九州福岡)
【奈良の親魏倭王の「邪馬台国」に行くときは】
一大国――隠岐島(島根半島沖にある島)
末盧国――松江(島根県沿岸部)
伊都国――出雲
奴国――出雲の大国主の最初の妃「八上比売」の因幡(鳥取県鳥取市付近)
不弥国――田裳見宿禰(たもみのすくね)が治めていた摂津国住吉(大阪府大阪市付近)
投馬国――スサノオの長男の「アメノオシホミミ」が治めていた紀伊(和歌山県和歌山市付近) >>261
思えないのはただの君の感想だろw
北部九州は伊都があるんだから密接なのは当然。
現実に弥生中期の時点で大陸から鏡や貨泉が
河内まで来てる現実をみないとダメだぞ。 >>263
北九州には「王」がいない
「王」がいるという伝承があるのは出雲 記紀がある程度事実を内包してるなら、畿内が九州に征服事業を行ったのは12代景行から
13代仲哀は神託によって死んだが、一説には熊襲にやられたからとも
香椎宮で亡くなってるので、熊襲の勢力はかなり福岡市近辺まで迫ってたのかも
その嫁の神功皇后は高句麗新羅百済を従えた?が
これらの国は四世紀半ば辺りから出てくる。新羅と百済については、かつての三韓の一国が伸びて来てる
記紀には神功皇后の時代に百済の肖古王が出てくるが、これは四世紀半ばの王
大体その辺りからヤマト政権と半島との直接的な交流が始まった感じはあるかな
記紀がどこまで正しいかによるけど 狗邪韓国――韓国・慶尚南道金海
対馬国――対馬島(九州玄界灘の島)
ここから
【北九州の漢委奴國王だった「狗奴国」に行くときは】
一支国――壱岐島(九州玄界灘の島)
竹斯国――筑紫(九州福岡)
【奈良の親魏倭王の「邪馬台国」に行くときは】
一大国――隠岐島(島根半島沖にある島)
末盧国――松江(島根県沿岸部)
伊都国――出雲(大社に奉られる大国主という王がおり、奈良が派遣したニニギという一大卒がいる)
奴国――因幡(鳥取県鳥取市付近)出雲の大国主の最初の妃「八上比売」の国で出雲の奴国
不弥国――田裳見宿禰(たもみのすくね)が治めていた摂津国住吉(大阪府大阪市付近)
投馬国――スサノオの長男の「アメノオシホミミ」が治めていた紀伊(和歌山県和歌山市付近) >>262
なんで筑紫国が出てくるんだ?
魏の時代の行程で説明しろよ。
筑紫国の東は秦王国という別国があるんだが?
3世紀に統一されていたはずの西日本に海外の王朝が国を作れたのか?w
畿内説はことごとく矛盾だらけやな。 >>266
九州に一大率を置いてたのに半島から調達した鉄は供給してもらえなかったのか?w
畿内説はことごとく矛盾だらけやなw >>267
なんで
邪馬台国の時代にも、竹斯国――筑紫(九州福岡)はあった
と思わないのか? >>268
九州に一大率を置いてた
などとどこに書かれている?
一大率を置いてたのは出雲
一大率は、奈良が出雲に派遣したニニギ 5chは既に在日チョンに買収されているのをご存知ですか?
↓
2chの譲渡先、5chの代理人弁護士は通名のしばき隊員
http://irohamatumae.blog.jp/archives/19087374.html
5chの運営がチョンに買収されていると、とっくにバレている以上、完全記者制というシステム止めるべき
チョンに買収されている運営が全てのスレ立てをコントロールするとかありえない。チョンに買収されている日本の敵の5chを叩き潰そう!
【民主党=立憲民主党の正体】
韓国民団生野支部での民主党議員の挨拶【在日参政権を約束】
http://www.nicozon.net/watch/sm9751328
菅 直人(民主) 日本人拉致犯 シンガンス釈放署名
江田五月(民主) 日本人拉致犯 シンガンス釈放署名
千葉景子(民主) 日本人拉致犯 シンガンス釈放署名
岡田克也(民主) 「拉致被害者を北朝鮮に戻すべき」と主張
岡崎トミ子(民主) 慰安婦への謝罪と賠償法案 8回提出
福山哲郎(民主) 陳哲郎
白眞勲 (民主) 元韓国籍
土肥隆一(民主) 朝鮮京城に出生
中井洽 (民主) 吉林省長春に出生
辻元清美(民主) ピースボート創設(北朝鮮組織)
辻元清美(民主) 「私は国家の枠を崩壊させる国壊議員」
有田芳生(民主) 嫌韓デモの法規制 「ネットで書いたら逮捕!」
末松義規(民主) 「在日朝鮮人に選挙権を与えよう!」
角田義一(民主) 朝鮮組織から献金 2500万闇献金疑惑
前原誠司(民主) 「外国人参政権を成立させる」と民団で約束
安住 淳 (民主) 大震災の年に「韓国に5兆円支援」の財務大臣
山岡賢次(民主) (「金賢二」、通名は「金子賢二」、後に「藤野賢次」→「山岡賢次」)
↑
民主党政権の時の円高デフレ政策で、日本の輸出産業は壊滅寸前になる一方で、韓国の輸出産業はこの世の春だった。
民主党=立憲民主党は日本を滅ぼして、韓国が栄える為に政治をしている
安倍政権の韓国への経済制裁に一番反対しているのも立憲民主党
.
.
62465+546 韓国に対して 物言う吉本芸人を排除したがっている芸能界とマスコミの在日チョン勢力の手管が卑しすぎる!
在日チョン勢力の扇動に騙されないように!
重要なのは芸能界とマスコミに巣食う在日チョン勢力を叩き潰す事であって吉本を叩く事ではない!
ヤクザバーニングみたいなチョン系のヤクザ事務所のタレントこそ排除しよう!
ヤクザバーニングの庭の演歌界こそ、もっとも反社と強く繋がっているのに、一向に演歌界に飛び火しないどころか、吉本叩きの様相を呈してきてて、不自然すぎる!
演歌歌手がヤクザと写ってる写真なんて腐るほどあるだろ!
国歌斉唱を拒否し、沖縄の売国左翼に協力した反日クズ女の安室のバックのヤクザバーニングを叩き潰そう!
特に売国キチガイ左翼紙の沖縄タイムスと安室の癒着が酷い
醜悪な引退商法して無様に芸能界から逃げ出した負け犬安室のバックのヤクザバーニングを業界から完全に干しましょう。
メディアや芸能界が反社会勢力と繋がっているのが許される時代ではありません。バーニング系と癒着しているメディアの人間もどんどん逮捕していかないと
ヤクザバーニングは北朝鮮系です
あいみょんや新垣結衣や羽鳥慎一や北村一輝や島崎遥香といったヤクザバーニングのタレントを二度と起用させないようにしていきましょう
↓
http://www.officiallyjd.com/archives/430854/
宮根誠司、羽鳥慎一らが所属するバーニング系列事務所の黒い噂…肉弾接待、枕営業、所属タレントらも関与か
http〇s://hay〇abus〇a9.5〇ch.net/test/read〇.cgi/mnewsplus/1559599625/
【俳優】北村一輝はなぜ韓国「反日映画」出演を決めたのか?
htt〇ps:/〇/ww〇w.excite.co.jp/news/article/Cyzo_201504_post_18343/
「“芸能界のドン”は宅見組長が育てた」バーニング周防郁雄社長と暴力団“黒い交際”暴く衝撃ブログ
htt〇ps:/〇/hayabusa9.5〇ch.net/te〇st/read.cgi/mnewsplus/1563257041/
【元AKB48】島崎遥香、電車の優先席に座る会社員に苦言「韓国は素敵だったな〜健康な若者はみんな立ってた」★3
エイベックスもヤクザバーニング系です。エイベックスのトップの松浦の暴力団を使った脅迫行為など上場企業のトップとして決して許されません
↓
https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_2781/
エイベックスの問題はブラック労働だけじゃない! 金、パワハラ、暴力団を使った恐喝...背景に松浦社長の体質が
業界でもっとも黒い事務所と言われているライジングもバーニング系です。
ヤクザライジングのタレントを起用させないようにメディアを監視していきましょう!!
特にヤクザライジングと癒着が酷い日テレ関係者を逮捕に追い込んでいきましょう!
↓
http〇s://noma66.co〇m/womantalent/1743/
西内まりやの元事務所ライジングの闇!脱税やヤクザの悪評に圧力の黒い噂?!
.
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【芸能】佐藤浩市が難病の安倍総理を揶揄し炎上 ネット「ダサい人…」「脚本を変更させ反体制気取ってる頭の悪さに驚いた」 ★4
売国左翼の佐藤浩市を起用している反日企業を叩き潰そう!
佐藤浩市を起用している反日企業はこの三社です
↓
CM キャノンマーケティングジャパン
CM 三井住友信託銀行
CM コカ・コーラ『特選 綾鷹』
6342+64+19514+6 >>235
纒向説の学者が急にトーンダウンしたのはこれが原因だなwww
つながりを説明出来ないもんなwww >>270
大陸に一番近いから、邪馬台国も北九州から渡航したにちまいない
なんて、幼稚なガキの考えが九州説
邪馬台国は、220年に【魏】が出来てから、20年間【魏】にアプローチし続けて、240年にやっと「親魏倭王」に任じられた
しかし北部九州は、220年に【魏】が出来てからもずーーっと
後漢(25年 - 220年)から57年に任じられた「漢委奴国王」の勢力下
邪馬台国が「親魏倭王」になるために、北部九州一帯から渡航なんかできるわけがねーんだよ
んなこと「漢委奴国王」が許すわけがねーだろ
後漢は滅ぼされたわけではなく、国の名が、後漢から魏に変更されただけなので当然、
「魏となっても、倭の国王は【漢委奴国王】の我々だ」と思っているんだから >>276
邪馬台国問題語りたければ
最低限、遼東公孫氏のことくらい知っといたほうがいいですよ 支那や朝鮮は殷王朝や箕子朝鮮まで遡れるのに日本は手がかりすら見つけられんのか 九州説の鉄器についての意見をよく見かけるが正直40年は遅い考えで話している
鉄器を農耕具として用いだすのは実はかなり遅い
九州でさえも弥生時代後期後半後葉
この事から鉄製農具=生産力の向上と言う単純な図式は成り立たないのが分かっている
鉄器の需要は木製器具や工芸品の為の加工工具としての物が主流
その量は必要最小限があれば十分な物で必ずしも必要なものではなかった
鉄の量は社会の変化に大した意味を持ってないと言うのが今の定説となりつつある
鉄の存在は実態をみない観念的な想定からの過大評価であったと言うのが現在の見方
むしろ鏡や玉等の威信材の流通のネットワークにこそ畿内が大きな役割を果たしていたと考えられている
畿内の鏡の配布主体の存在、山陰に存在する玉の生産と配布の中心地の存在が近畿周辺のネットワークの存在を示している
鏡や玉の配布の拠点を持たない九州に当時の中心地を見出すことが出来ない 邪馬台国は徳島
阿波国風土記が明治政府により没収されてる。 明治天皇の意向で神武天皇の銅像が宮崎と徳島に建てられてる。
阿波忌部一族は1800年間続いてる。徳島は3世紀頃の日本で唯一の水銀朱生産地。
魏志倭人伝の航路は距離と方角から福岡〜愛媛〜高知〜徳島と考えると大体あってる。 >>49
移ったのが本当かはともかく九州に無視出来ない程有力な勢力があったのは確か
先祖が同じとされてる出雲なんて目じゃない程に >>277
おまえがな
公孫淵は三国一強盛にして自領と隣接する魏に臣従を装いながら、
一方では呉と同盟工作を行うなど密かに独立を謀っていた
公孫氏が倭の勢力が中国本土へ朝貢する道を遮っていた
完全に邪馬台国なんて新参者が北九州の港なんか使えません >>235
おまえ外国人工作員だろ
半島からの渡来人がヤマト王権を作ったことにしたいから、さっきから捏造ばっかりやってる
畿内説で決まってしまうと、日本人がヤマト王権を作ったことが確定してしまうから
捏造だろうとウソ連呼だろうと、どんな手段を使っても事実を捻じ曲げる >>280
鉄をどうのこうのするのではなく、財力の指標ってこと、半島との交易の証拠ってことだろう。
これが政権に重要だというのは畿内説の学者も異論無し。
じゃあ大和政権はどうやって統一政権までこぎ着けたのか?
これが学者の調整対象だ。 寺沢薫の「王権誕生」講談社学術文庫は抜群に面白かったな 鉄=先進、強大な軍事力、生産力が大きい、強い経済力
と言うのは1960年代の頃の「鉄器によって生産が増えて王が生まれて日本が統合された」と言う話は、
鉄器の発掘状況が少ない時代の「観念的想定」に過ぎないのが分っている
九州でさえも鉄製農具の登場は古墳時代直前で生産の向上にさほど寄与してないのが判明してる
また鉄器が民間の家から普遍的に見つかる事から威信材としても意味を持たず
鉄の量が権力の象徴でない事も指摘されている
鉄至上の史観は相当な時代遅れでいまだにこの観点で語る人はほぼいない >>277
おまえがな
公孫淵は三国一強盛にして自領と隣接する魏に臣従を装いながら、
一方では呉と同盟工作を行うなど密かに独立を謀っていた
公孫氏が倭の勢力が中国本土へ朝貢する道を遮っていた
それに協力していたのが
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ
それから150年間以上、倭の国王として君臨し、大陸との交易を独占していた北九州
完全に邪馬台国なんて新参者が北九州の港なんか使えません >>284
日本列島は1の区扱いですその上ででったりきたりしてるでしょ?あーうー >>284
>渡来人がヤマト王権を作った
当たり前の事だろw
階級社会を嫌った縄文人が大和政権を作ったとでも言い出すのか?
まるでネトウヨだなw >>287
ちゃんと調べたのか?
九州の鉄器文化は弥生中葉からだぞ? 鉄器農具の使用が相当に遅いことから生産の向上に寄与していない
普遍的に一般の民衆の家からも見つかる事から威信材としての扱いも受けてない
この事から従来考えられてきた「鉄の量が生産を増やし威信材として権力者を産みだした」と言う考えは全く現実にそぐわないのが分かっている
むしろ鏡や玉と言った特別な威信材の流通と配布を支配する存在がこの時代に権力者として伸長してきたことが指摘されている >>281の続き
中国の歴史書の人口推計は10倍ぐらい水増しされてる例が相当あり、信憑性低い。 >>292
お前がちゃんと調べられない情弱なのは分かったからw 畿内に大規模な環濠集落って無いやん
30もの連合ならそれなりの数の遺跡がでるはず やっぱり九州説には外国人工作員が相当混じってる
日本史についての基礎知識がないのは、日本の義務教育を受けてないからだろう 九州の弥生時代は鉄鎌とか農作業具が多い感じ
鉄鏃もそこそこ出てるな >>285
辰砂、水銀朱の価値の方が鉄なんかより遥かに高いからだよ。
三世紀から中国では道教が急激に台頭しているのに、当然倭も無関係な訳がない。
紀伊半島に権力が集中するのは宇陀の水銀朱の存在に他ならない。 2世紀末〜3世紀前半に九州から奈良に引越ししてた場合
奈良から伊都国を直轄できたことや
北九州の民が忠実だったことも説明できるよ
九州がアホみたいにすがってる古臭い昭和の土器編年を
最新科学の修正したものを採用するだけでいける
C14のズレは統計学で修正すればかなり畿内説に近づくだろうし
九州も反論できない
実際昭和の土器編年は間違いでそれは使わず
独自に年代をだしてる研究者も多い 鉄器の使用についてはまず前期に小型工具、斧などの工具、中期に武器、後期後半の最後の最後に農具が現れる
「鉄器」と一口にいう人が多いが実際の用途については上のようになる
鉄刃農具などの登場は一般的に勘違いされているイメージよりも相当に遅い
木製具の加工等に用いられた事が間接的に農業生産に寄与したことは想定できるが、鉄=優越性とはとても言い難い現実が判明している >>295
それなりの数なら畿内に充分あるが?
かなり古い資料しかみてないだろ。 >>298
また妄想かw
魏志倭人伝にそんな記述は無いなw >>301
纒向では釘一本すら出てこないと畿内説の学者が嘆いてたなw
無理すんなw >>302
奈良のって新しくない?
弥生時代のとか出てるの? >>300
そもそも14Cは土器の生成年代を直接計るもんではないのが問題
土器にこびりついてる有機物も土由来のものが混じれば古く出てくる可能性もあるし
発掘後の汚染も有り得る
年代較正もこの時期はかなり幅が広い
土器そのものの焼成年代を調べないと、確かな事は言えないと考えるかな >>264
北部九州には伊都津彦という男王の伝承が複数の資料である。
それが関門海峡を支配していたともあるぞ。 >>303
丹という単語が何回出るか数えてみろよw
鉄なんて殆ど出ないのに。 >>309
記紀的には、初めて畿内から四方に征服事業を始めた天皇って感じでは
晩年には任那からも使者が来てるし、かなりな勢力を築いた感じ >>256
百襲を神と崇めている吉備津彦信仰の地域か
吉備から奈良に女王を迎え入れたのかもしれんね >>310
貴重だとは書いてないだろ。ご都合解釈するな。
しかも大分も松浦でも丹はある。
つまり日本列島においてそれほど珍しいものではない。
松浦、佐賀には徐福伝説も多いだろ。
お前どんだけ薄いんねん? 纒向学研究センターは桃の種とか複数個の年代測定をして
95%信頼区間で135〜230年てのをだしてるぽい
統計学的にはこれを否定するのはほぼ無理なんだけど
おまえら統計学わかる?
纏向遺跡の桃の種が語るもの
https://syoki-kaimei.blog.so-net.ne.jp/2018-09-01
これはC14年代が95%の確立で1836?1812BPの範囲に入ることを意味している。 204年に、楽浪郡の南に帯方郡を設置したのち、後漢に服属し、
左将軍の官位を授けられた公孫氏は
後漢が崩壊し魏・呉・蜀の三国に分立し
互いに覇を競うようになってから
公三国一強盛にして自領と隣接する魏に臣従を装いながら
一方では呉と同盟工作を行うなど密かに独立を謀り
倭の勢力が中国本土へ朝貢する道を遮っていた
それに協力していたのが
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ
それから150年間以上、倭の国王として君臨し、大陸との交易を独占していた北九州
完全に「邪馬台国なんて新参者」が北九州の港なんか使えません
むしろ北九州は、238年に公孫氏の勢力の消滅後
伊都国――出雲 末盧国――松江(島根県沿岸部) 一大国――隠岐島(島根半島沖にある島) から魏に朝貢し
魏から親魏倭王に任じられた奈良の「邪馬台国」を目の敵にし続ける
北九州の漢委奴國王だった「狗奴国」です 周知のように弥生時代後期後半から九州では新式の完形鏡がほぼでなくなる
主体になるのは古い鏡を打ち割った破鏡
次に新式完形鏡が現れるようになるのは4後半〜5世紀の古墳出土鏡を待たねばならない
主たる威信材であった鏡の入手も生産も九州になかった事がここからも判明する
鉄器の存在が勢力の強さと大した相関を持たないと分かっている現在においては九州に特別な中心性を見出すとは困難と言える >>314
初めて知った。ありがとう。立派なのあるんやね >>316
C14を知らん奴はそうやってのめり込む馬鹿ホイホイなんだけどw 邪馬台国は九州で、東遷して大和朝廷につながるのがいちばん無難 つまりこんな感じで統計学を使えば間違った古臭い昭和の土器編年を
C14と統計学で書き換えることが可能だしするべきだと思うんだけど
九州とか橿原市とかが邪魔してる
真実>昭和の権威 まあこの時代、畿内では絹が出ないのがな
九州もショボくなるが、まだ出てるだけマシかw
後、倭人伝には倭人の風俗として親子兄弟は別々の部屋で寝る、てあるが
これに該当するのはほぼ九州にしか出ない花弁型竪穴式住居のみ
ただし鏡については九州は分が悪い
古いのがな。まあ古い鏡を由来があるとして崇めた?可能性もなくはないかもだがw C14だって日本国内版がでててそれでも誤差があるけど
それを統計学で95%信頼区間にいれるのよ
95%信頼区間てのはそのままの意味だし
C14そのものを否定するのも限界だと思うよ そもそも当時、首都という概念があったのかね?
王のいく先々を都と呼んでいたのじゃないか >>321
え、あんた名古屋大の専門の先生よりC14について詳しいの? >>320
纏向の影に隠れがちだが規模でも吉野ヶ里とほぼ一緒で、鉄器も出てるわ海人族との交易の痕跡もあるわで実は意外と凄い >>320
嘘だろ、吉野ヶ里の復元した建物も鍵唐古の絵図を参考にしたりしてるぞ。
後池上曽根遺跡位は調べてみればいい。 >>328
そいつが何て言ってるのか正確に読んでみ。
畿内説がどんだけ曲解しとるかw
わからんかったらレスすんなカスw >>315
うすいのは君だろ、貴重じゃないとお互い中国と倭で贈り合わないだろw
鉛丹や真丹であったり言葉を変えて出るし丹山にしても筆頭に書いてある。
大分や松浦は鉱山はあっても弥生末期の採掘跡や水銀朱の精製跡すら確認されてないんだからな。
紀伊半島や阿波とはレベルが違いすぎる。 ここで俺が「邪馬台国なんて無かった説」を携えて堂々たる佇まいでと議論に入っていったらどうなるかね >>6
邪馬台国バイストン・ウェル説は新しいかもしれないw
卑弥呼の鬼道はオーラバトラー。 まだやってるのか
畿内だ九州だとかまびすしいが
あんなのもはや街おこしのプロレスみたよな感もあるが
2ちょんのネトウヨ病身諸賢は今日もまた
こめかみとティンコに青筋たてて
ガチ討論しているんだねえwww
邪馬台国? 偉大なる大韓にあったにきまってんじゃねえかwww なあ?w >>330
鍵唐古自体もともと別の遺跡と考えられて
いたんだよ。発掘が進み同じエリアだと判って今に至る。
だから田原本周辺はまだ複数の弥生時代の遺跡が存在を確認されているから、実はもっと繋がりがあった可能性もあるんだよ。
巻向でさえ数キロの差だし、橿原方面にも弥生集落遺跡はあるからな。 >>334
「でも邪馬壹国はあった」説ではあるまいな?w 結局のところ、纏向遺跡は古墳造営基地局だという結論なんだけどなw
そのつち発表されるだろう。 畿内は朱丹を使う風習がなく
弥生時代の朱丹を使った遺跡は
福岡で33ヶ所、奈良で2ヶ所。
そのうちの奈良の一ヶ所は
朱丹を塗料として使う文化から
完全に断絶したようで
棺に粉のまま詰めてある状況であった。
これらの使用状況から考えると
各地の朱丹は北部九州に運ばれていたと
考えて良い。
北部九州は鉄を半島にまで取りに行く
実績があり、四国や三重まで
朱丹を取りに行くのは問題ではないだろう。 >>333
確認されていない≠無い
学問知らんのかw このように実際の発掘状況を踏まえて考えると九州と言う土地はかなり多くの誤解を元に語られる土地であると分かる
・鏡が沢山出る=後期後半から古い鏡を打ち割った破鏡と?製鏡に変わり新式の完形鏡は4世紀後半〜5世紀後半の古墳出土を待たねばならない(平原も同様)
・絹が沢山出る=最盛期の中期の13遺跡から激減の1遺跡。しかも麻布よりも粗悪な物でむしろ明らかな衰退の兆候となっている
・鉄が沢山出るから凄い=農具としての鉄器の登場は実は古墳時代直前で威信材としても機能しておらず、鉄の量が強大さの証明とは全くなっていない
・強大な国があった=後期後半から福岡を中心としたまとまりが消滅し、漢鏡を多数出していた王墓とされる墓も無くなっている
誤解されているような強大な姿はなく、むしろ邪馬台国の100年以上前から明らかな崩壊と衰退の道をたどっている状況が浮かび上がる 考古学のことはよく分からんが
ソースや根拠も示さずggrksで終えるようなレスするやつは大体間違ってる 各地の鉄の量は、
輸入窓口となった北部九州から
離れるのに比例して減少している。
技術も支配も関係なく
ただ単に距離が離れると
届きにくくなっただけだろう。 >>343
まさに、
「大いに乱れて仕方ないから卑弥呼を共立してなんとかまとまったものの、
南の狗奴国に負けそうなので魏に助けを求めに行った」
という斜陽のクニの姿やね。 丹生神社は北部九州の辰砂がある地域には
ほぼ全部あるが、丹生神社自体の伝承が
5世紀辺りまでしか遡れない。
大体、川の堆積した砂利から採取するらしく
川沿いに丹生神社が多く存在する。 >>27
さいきん韓国が日本人をユダ族扱いしだしたので旭日旗による発狂が終わるかも知れない 邪馬台国がどこにあったかって話はムー大陸やアトランティス大陸を探すのとあんま変わらんと思ってる 多くの人が「奈良は土地が広く都に適している」と誤解している。
可住地面積(人が住むことの出来る土地)
奈良県 853(km2)
福岡県 2773(km2)
佐賀県 1332(km2)
熊本県 2732(km2)
弥生時代の耕作可能だった土地
[畿内]
奈良盆地:450km2
河内平野:200km2(大部分が河内湖だった)
[九州]
福岡平野:250km2
筑紫平野:950km2
中津平野:180km2
宮崎平野:800km2
30万人が生活すると仮定すれば
最低でも700km2は必要。 >>349
魏志そのものが信用できないって言うなら三国志が無くなるじゃないか >>1
魏志倭人伝なんか信じるからこうなるんだよ
外国人が書いた簡単な旅行記だぞ
日本にはちゃんと日本書紀という歴史書もあり
魏志倭人伝についてもちゃんと魏への貢物を送った件の箇所がある
それによると神功皇后の時代
神功皇后は夫をなくしてからずっと独身を貫いた
しかも弟もいるし、台与にあたる豊姫も出てくる
魏志倭人伝は読めばわかるが半分本当で半分嘘でいい加減
それは邪馬台国の距離や方位でもわかる
元々邪馬台国自体が中国音の表現で卑弥呼もそう
日本人が大和大国を邪馬台国と読んだことは一度もなく
日女子=姫子=ひめこ=ひみこを卑弥呼と読んだ事もない
卑弥呼は本居宣長が主張したように偽女王つまり騙りだった
本当の神功皇后なら九州から関東までの精強の兵を従えており
参謀には武内宿禰がいる
魏の国に軍の支援を求めるというのはありえないから
しかも実際の弟とは仲がいい
しかし女王の名を騙った卑弥呼はそうではなかった >>346
まあ卑弥呼が死んで、男王が立ったのに乱れて千余人が死ぬ位だしな
台与13歳が立ってやっと収まった
狗奴国との争いも恐らく劣勢だった(その為に王殺しとして卑弥呼が死んだ可能性もある。倭人伝の書き方もなんか暗示的)
余り強い国家連合とは思えない感はある >>1
日本書紀が正しい場合には近畿説も九州説も正しいことになる
なぜなら神功皇后は近畿にも九州にも御所を設けていたからだ 「卑弥呼」て人は多分いないじゃん
それっぽい人はいたかもしれんけどその人の名前は「卑弥呼」ではないだろ 占術論的には『ナ○レオン -獅○の○○- 』には
邪馬台国末期戦の様相が写っているんやぞ。ヒミコがナポレオンだ いい加減、支那蔑称の邪馬台国じゃなく大和国に表記変えろよ >>352
俺は神功皇后こそがトヨだと思っている。豊玉姫。
一代盛っているが、始祖王神武を産んだ聖母だ。
つまり、実際の始祖王応神を産んだ神功の投影。
その本拠地は干満の差が大きな豊前海(周防灘)で、
潮満珠・潮干珠などの海を操つるマジカルパワーを持って東に
攻め上るのだ。
卑弥呼の宗女のトヨと関係あるかどうかは知らんw >360
だって邪馬台国だし?おそろしきもののうまとかと同じ扱いだから このグラサンか?オブシダンを削ったんだよ
ほら、お土産の土偶にキチンと形状が残っているだろう?(威圧) >>350
河内平野と大阪平野の違いに気づいてないよね?
河内部分を抜いても1000km2位あるよ? >>366
知らないのか?
面倒くさいから自分で調べてw この図を見て自分で探せ
https://i.imgur.com/t1La2wr.png
<魏志倭人伝の記述概略>
倭国は山や島に貼りつくように国を成していた
↓
韓半島を海沿いに南下し7000里で狗邪韓国
↓
はじめて海を渡りおよそ千里対馬へ
↓
また南へ海を渡りおよそ千里壱岐へ
↓
そしてまた海を千里ほど渡れば末盧国。
↓
南東500里に海外からの使者が立ち寄る伊都国
↓
更に南東100里にやや大きい奴国
↓
その東100里に不彌国
↓
〜ここから行程の表記が里数から日程に変わる〜
↓
南へ水行20日で投馬国
↓
南へ水行10日、陸行一月で邪馬台国※また南へとは書いて無い
↓
南に敵対する狗奴国有りつくように
↓
女王国まで一万二千里也。 モモソ姫を念頭に大体の脳内ストーリーが
出来てしまっているな自分は
炭素測定や年輪みたいな新技術で
更に年代観が変わるとかなら考え直すけど >>367
河内と言うのは大阪平野のごく一部分の事だからね?
河内湖、河内湾と言うのは、大阪平野の中の河内部分の湖や湾の事。
河内の北側と南側には普通に陸地があったのよ? ┏( .-. ┏ ) ┓
【フジテレビ真理教】No.h 続き
*電通やYahoo!が配信するニュース内容を
私の視覚を通して
国内外の一部AIや、電子飛翔体(AI搭載・非搭載)や
半ば強制的見せている仕組みになっている
*私の視野しか見えないタイプ、自ずから視野を持つタイプ
私と自分の視野を両方持つタイプと様々である
--
*フジテレビ電子飛翔体は違う仕組みになっている
古舘電子飛翔体は
私の見ている画面を「意識する」と云う状況である
*古舘電子飛翔体の目的とは
例えば私が□社の食べ物が美味しいと考えたら
その企業の社長を殺しに飛翔するのである
彼等は、私が□社に付いて思考したから
私が悪いと言い訳をする
*他、△国が日本に対して抗議したニュースが流れた時は
それを意識した電子飛翔体が、△国にリンチしに行くのであるcl >>370
だから大阪平野なんて出来たのは最近だからw
超初心者かよw >>372
この前世界遺産登録された百舌鳥古市古墳群なんかは、河内ではなく和泉国のエリアだよ。
縄文の遺跡もごく最近できたとでも?
知ってて河内に限定してたとしたら、完全に知った上でのミスリード狙いだね。 >>373とか>>372とか
やはり海と陸の間のバイストン・ウェルが…w 自分には九州としか思えん
畿内説の父とは葛藤がある >>376
オーラロードの先に邪馬台国があるんだねw 畿内説お得意の自爆説w
■畿内説曰く
3世紀に入ると九州で畿内式土器が出現する。
これは畿内政権が北部九州を傘下においていた事を意味する。
■九州説曰く
それは畿内が北部九州に納品(献上)していた物であり、
逆に纏向では九州産の土器は出土しない。
畿内は北部九州の傘下にあったとも考えられる。
■東海説曰く
同時期の纏向遺跡からは東海式土器が大量に出土する。
これは纏向が東海政権の傘下にあった事を意味する。
東海政権が一番トップという事だなwww >>379
大阪を奈良と一緒にすなボケ。
勝手に畿内に入れんなw 邪 馬 台 国 へ よ う こ そ
■廣志逸文の記述
廣志曰く、倭國東南陸行五百里、
到る伊都國(糸島付近)、又南、至る邪馬嘉(臺)国(筑紫平野?)。
https://i.imgur.com/bmslFbs.png
■アクセス
伊都国の南 徒歩すぐ >>382
大阪人を気取ってみてもお国が知れますよ?
大阪で摂津と河内、和泉の区別すら付かないやつはおらん >>384
当時は淀川流域か大和川流域のどっちかで、別国やから一緒にすなボケw 突っ込みどころ多すぎの奈良纏向説w
2001年12月
「箸墓の周濠から、馬具と布留1式土器が同時に出土した。」
奈良県桜井市箸中の箸墓古墳の周濠から、乗馬の 際に足を掛ける馬具、
木製の輪鐙(わあぶみ)が見つかり、桜丼市 教委は三十日、
「輪鐙は四世紀初めに周濠に投棄され たと推定され、国内最古の馬具
である可能性が高い」 と発表した。
<木製倭鐙の出土状況>
濠の底に埋められていました。
つまり箸墓古墳完成時期の物だということですね。
<箸墓古墳の年代>
間違いなく三世紀ですニダ!
<参考1>
半島で見つかった最古の鐙が5世紀のもの。
国内各地で出土した鐙も5世紀のもの。
<参考2>
鐙のルーツは西晋時代の中国もしくは満州に在り、確認できる最古の物は
各々302年と322年に埋葬された鮮卑と東晋の墳墓から出た陶馬俑であり、
実物として最古の物は北燕貴族の馮素弗の副葬品である。
そのため鐙が発明されたのは西暦290〜300年頃とされる。
5世紀には木製の鐙が普及し朝鮮半島や日本でも使用されていた。 「説」を唱えてる人って
自分の推してる場所だけが邪馬台国で他のところは絶対にそうじゃないと確信してるのか?
もうその時点で頭の働きが健全ではないと判明してる >>388
考古学者がそういう人間ばかりだからこうなるんだよ。
権威ある学者様様様には逆らえませんってw >>385
弥生時代に3つの国に別れてるわけ無いだろw
河内平野ってーのは、大阪平野のごく一部だ。
便宜上河内と呼ばてるだけ。
>>387
そろそろ語尾にお国柄が出てきてますよ?
ニダーランドへおかえりくださーい >>369
文献資料だけでもモモソは卑弥呼像を反映してるのは間違いない。
何しろ又の名を日女命と書いてあるんだしな。 >>388
俺の場合は、「纏向を認めるくらいならエジプト説にだって魂を売ってやる」説だから、
とても健全だよな。 >>389
九州説なんて日本史板行けばマジな基地害しかいないぞ、
他のスレ荒らすのは九州説の連中ばっかりだしw >>393
おやおやオンドル持参したニダー半島の方ですか?w
・ 〜2世紀末: 唐古鍵遺跡
・2世紀末〜3世紀半ば:不明(邪馬台国時代)
・3世紀半ば〜4世紀半ば:纏向遺跡
・4世紀末〜:↓奈良・高取
■最古の大壁建物跡か 奈良・高取の遺跡で発見
「建築年代は4世紀末〜5世紀初めと推定され、
最古の大壁建物跡の可能性もある。
渡来人が入植を開始したのは5世紀後半と
考えられていたが、大幅に早まる可能性が出てきた。」
「同町では、朝鮮半島式の床暖房装置(オンドル)を
持つものを含めて約40棟見つかっている。」
「白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館名誉館長は、
建物の時期についてはさらに検討が必要としながらも、
(現場に)居館や祭祀施設など渡来系の人たちが
営んだ重要な施設があったことは間違いないとみている。」
https://www.sankei.com/west/news/181128/wst1811280010-n1.html >>388
俺なんて畿内も九州も2周くらい回って、やっぱわからん!ってなった口。
ぐるぐる回った結果どっちの説もの穴や矛盾点が見えた。 >>395
以前から疑問なんだが君は本当に九州説なんて信じてるの?
もはや現状では絶対あり得ないと思うけどね。 >>398
畿内の平野部面積偽装工作員さんこんばんわ! 纏向遺跡は一体何なのか???
日本史板で結論が出ました↓
1、突然現れ、纏向古墳群ともに終焉を迎える
2、わずかであるが、15%が搬入土器であり近隣の出稼ぎ労働者がいたと思われる
3、生活用具が少なく土木具が目立ち、巨大な水路(環濠では無く)が築かれ大 運搬用の水路と畿内説の学者も認知
4、集落跡が未だ未発見・・巫女千人??
5、斎場(死者を敬う祭場でも、神社でもいいだろう)と見られる掘立柱建物がある。・・強固でなく付け焼刃の建物(柱穴跡は細く、石や砂利で固めた 形跡無し)
6、鉄鏃無し・・兵は少ない???
7、近隣に古墳多し
8、番場であろう煮炊きした炭化物の土器出土
9、葬儀や祭事に欠かせなかっただろう桃の形跡在り
よって、纏向古墳造営基地 >>395
どっちも不健全。
筑紫平野説のみ健全。 九州説はありえない。もうとっくに東大もギブアップw
235〜244の鏡が畿内を中心として分布するのは、この時期の畿内勢力が大陸と接触した物証。
九州説はこの事実を直視せず逃げ回っている。 >>401
八女だっつの! というか八女津媛。
もしかしたら学問ではなく宗教や恋愛の範疇かも知れないが、そこはそれ。 >>406
巻向遺跡は現状でも調査が終るのは50年先と言われてるのだがw
しかも肝心な部分が駅や集落の下なんだからな。 ┏( .-. ┏ ) ┓【フジテレビ真理教】No.i 続き
*話は変わって、このアレフガルドの世界では
若い女性や子供が虐げられて居る
一年前の錦糸町地下帝国で見せられた連日の悪夢で
オウガ民族と云う日本政府と極一部の大企業経営者が
美しい女性を伴侶として、彼女等の首をちょん切り
透明ケースに入れて象に跨り、敵勢力と戦う世界があった
生きている女性の頭部が象に踏み潰されたりした
その世界とは、10〜1,000層で出来ており
女性は頂点に登るのに最低100年掛かるとか
一度、頂点に登りつめた女性は
次回は最下層の黒い靄(死に掛けの魂)から、登り詰める等のルールがあった
初期の頃の人工AI女王決定戦でもあった
私は一回も参加した事が無いので、全くの伝聞のみである
--
*現在、オウガ民族の世界感は消えてますが
全世界の人類、人類(AI)、電子飛翔体の脳データベースは
この頃と同じ物を使用している為に
人類をゲームの駒♟以下、砂粒としか考えていない存在ばかりになってしまい
人殺しや大規模テロが増えている
*噂では、今日、松本零士さんが殺傷傷を受け
青池靖子さんのアシスタント?が行方不明になったとか... bc >>368
放射読みが正しい。
連続読みを言うやつは近畿パーと同じ。
議論を誤魔化しケムに巻くのが目的。 >>412
仮授されたものだから返却されてる。
少なくとも日本には無い。 たしか呉が台湾に兵員調達のため奴隷狩りに出兵したあと
倭に対しても上陸を試みて兵員調達をしようとしたがついに上陸できず失敗した
つまり大陸では倭が呉の東に存在するものとして認識されていた
これは殴り合いしながらも両国間で使者と密偵のやりとりがあったので魏から仕入れた情報とできる
当事の魏にとっては本当の倭の位置を公式記録としておくよりも
呉の背後を衝ける位置に在る国との修好がある事実を公式としておくことが重要であった
つまり公式記録をまとめて編纂した魏書のみではその正確な位置を特定できない
みたいなことを中国史学者がいってた希ガス。
燕や帯方郡あたりでは使者の取次ぎ中継点として実際の航行記録が残ってたはずなので
案外北朝鮮が金王朝から解放されたあと邪馬台国の追加資料が発掘されたりしてなw >>413
放射読みはありえない。
中国人に言わせれば、そんな無理な紛らわしい読ませ方などするはずがないと、あっさり切り捨ててたw
そんな謎解きみたいなこといい加減にやめろよw >>350
誰も唱えてないデタラメ畿内説を勝手にでっち上げて、イチャモンつけてるだけ
>>368
方位を捏造
>>380
史実として初期ヤマト王権が誕生していたことも無視して、頓珍漢なイチャモン
>>383
元ネタは魏志倭人伝と推測できるし、誤りが非常に多く信憑性も低いので、史料価値はほぼゼロ
>>387
濠の底に埋められていただの、箸墓古墳完成時期の物だの、いつものように捏造 >>410
もう掘る必要無いからw
奈良県立橿原考古学研究所の関川 尚功は、魏志倭人伝
によると、卑弥呼は魏に頻繁に使いを送り、また魏からも
使いや軍人が渡ってくるなど半島や大陸と活発に交流して
いたが、纒向遺跡の搬入土器は北九州由来のものは非常に
少なく、また半島や朝鮮との交流を示す漢鏡、後漢鏡や
刀剣類などが北九州で大量に出土しているのに対し、
纒向遺跡ではまったく出土していないことから、
魏志倭人伝にみる活発な半島や朝鮮との交流は証明されて
おらず、纒向遺跡は邪馬台国の遺跡で無いとしている。 鎮魂歌
卑弥呼→台与の頃を歌ったものだろうか?
邪馬台国、初期のヤマト政権は、石器作りや狩猟を生業にしていた勢力が主体だったことが窺える
また、「フル」、「アチメ」という言葉は大和言葉では意味が分からないが、朝鮮語では「流れる」「朝日」という意味になる
石上神宮の布留の謂れは、刀が【流れてきて】布で受け止めたら留まったというもの
初期のヤマト政権は、朝鮮半島と日本列島を行き来していた日本海側の勢力も関係していたのかもしれない
纒向遺跡の外来系土器から推測すると、初期のヤマト政権は東海山陰吉備が主体の征服王朝だったと考えられる
【アチメ】 オオオオ オオオオ オオオオ
天地ニキ揺ラカスハ サ揺ユラカス 神ワカモ 神コソハ キネキコウ キ揺ラナラハ
アチメ オオオオ オオオオ オオオオ
【石ノ上】 【布瑠】社ノ 【太刀】モガト 願フ其ノ児ニ 其ノ奉ル
アチメ オオオ オオオ オオオ
【猟夫】ラガ 持タ木ノ【真弓】 奥山ニ 御狩スラシモ 弓ノ弭見ユ
アチメ オオオ オオオ オオオ
上リマス【豊日霎】カ 御魂欲ス 本ハ金【矛】 末ハ木矛
アチメ オオオ オオオ オオオ
【三輪山】ニ アリタテルチカサヲ 今栄エデハ 何時カ栄へム
アチメ オオオ オオオ オオオ
吾妹子ガ、【穴師】ノ山ノ山ノ山モト 人も見ルカニ 深山カ縵為ヨ
アチメ オオオ オオオ オオオ
魂筥ニ 【木綿】取リシデワ 魂チトラセヨ 御魂上リ 魂上リマシシ神ハ 今ゾ来マセル
アチメ オオオ オオオ オオオ
御魂ミニ 去マシシ神ハ 今ゾ来マセル 魂筥持チテ 去リクルシ御魂 魂返シスナヤ >>405
あたり
>>410
もう掘らなくていいからw
ソース
読売新聞YOL
21.11.2018
邪馬台国の候補地?見学施設、財政難で建設延期 社会
奈良県桜井市は、邪馬台国の有力候補地として注目される纒向(まきむく)遺跡で、
2020年度中の完成を目指していた「ガイダンス施設」の建設延期を決めた。
財政難が原因。整備を進める史跡公園の核となる施設で、遺跡見学の拠点として
期待されていたが、新たな完成時期は未定だ。 82 :マジレスさん[]:2018/10/15(月) 04:53:25.16 ID:cJhBT4qv
>>52
同意
ノートをパクり、ハッキングするどころか
思考盗聴まで行って
アイデアをパクる
貴様らだけは絶対に許さん >>418
魏志倭人伝では2〜3年毎の行き来が3往復あっただけだぞ?
ついに魏志倭人伝の捏造にまで手を出したか、、、 >>417
どの文献のどこを探しても畿内のキの字も見つからないのが惨めな畿内説だなw >>416
そんなデタラメなことは言っていない。
ウソをつくなキチガイ。 >>409
まあマジレスするなら卑弥呼像とはかけ離れてるけどな、海人の女王でもないし弟王が国を納めた話もない。七万戸の国の女王としては儚すぎる印象しかない。
大陸と関係を持ってる形跡もない。
まあ印象は人それぞれだろうけどね。
魏志倭人伝では伊都国の紹介のあとすぐに全ての郡の使いがここに駐留すると明確に書いてある。
駐留すると言ってるんだから、それ以降を伊都国を基点として放射読みするのは
あったりまえ。
魏志倭人伝に記述のある植生を見るとクスノキ科の木が多数記載されています。
■卑弥呼の時代に確実に存在していたクスノキをピックアップすると
樹齢3000年
・柞原八幡の大クス:大分県大分市八幡
・川古のクス:佐賀県武雄市若木町川古 日子神社
樹齢2000年
・衣掛の森(クスノキ):福岡県粕屋郡宇美町宇美八幡宮
・武雄のクス:佐賀県武雄市花島
・老松神社のクス:山口県防府市お茶屋町老松神社
・阿豆佐和気神社のクス:静岡県熱海市木宮木の宮神社
樹齢1800年あたり
・確認できず
やはり九州など温暖な地域が浮かび上がります。
基本的に、比定地として確実に名乗ることが許されるのは、この地域のみと言えるでしょう。 >>414
卑弥呼のはその可能性はあるが、ただ印綬を返させた例は王莽が
格を落とす為に蕃族に印を返却させた例しか知らんのよね。王朝交代時に返させたのかが判らん
難升米は率善中老将、牛利は率善校尉の銀印を貰ってる。
最初は仮だが、後で掖邪狗は率善中郎印を貰ってるし
等、とあるからこの時難升米や牛利も銀印を貰ってる可能性は高い
特に難升米は老将って称号を貰うし、長政から黄幢を授けられるし、中々位が高かった可能性も
こういうのは親魏倭王と違って個人の印綬だろうから
死んだらそのまま墓に入った可能性はあると思うかな >>418
まあ俺は直接話聞ける立場だけどね、橿考研、奈文研に徳島の石野氏とも。 地名が似すぎてるから両方に同一勢力の都があったんだろ
両方の特徴混ぜて報告したらいい感じになる 九州に行くルートは元寇が来たルートが当然普通のルート、ゆえに九州までは正しいの。知らんが秀吉が行かせたルートも逆だが同じはず。記紀より前に書かれたもんを燃やす悪い奴が解らなくしたんであって、そいつらの残したもんを真に受けるわけにはいかない。 遺跡で「ここが邪馬台国です」って資料が出てこないとな
でもこれは勝手に陳寿が当てた字だろうし、日本側では違う文字で書いてるはずだな 日本に文字がなかったのが悪い
というか、文字がなかったころの日本の古代史は
それ以後にもまして、ほとんどデタラメ 魏志倭人伝は、
1. 伊都国基点の放射読みが正しい。
2. 陸行一月は陸行一日の単なる写し間違い。
筑紫平野のどこかで間違い無い。 お前ら知っとけよw
梯子はずされた間抜けが5ch畿内説の宣伝係やってるんだぞwww 十日だの二十日だの書いておいて、三十日だけ一月と書くと言うことは、駢儷文の観点から言って100%無い。
また、三世紀などという時代には川にはロクに橋が架かっておらず、陸行一月できる場所は事実上物理的に存在しない。そのような長距離は必ず水行するのであり、これは本居宣長が畿内説を否定した根拠でもある。
つまり、陸行一月は誤り。
百済伝で「其南海行三月有耽牟羅國」と書かれているものがあり、
耽牟羅國は済州島のことなので百済から三ヶ月も掛かる訳がなく、三日の誤植とされている。
このようなケースも実際ある。
梁書の倭人条は魏志倭人伝をほぼパクって作ったものだが、これには陸行一月日とある。
つまりこの当時すでに陸行一月の資料と陸行一日の資料とが両方あったのだろう。
陸行一月は陸行一日の単なる写し間違いである。 ヤマタイって博多弁だろ?
なら九州に決まってるじゃん
耶馬渓とかあそこらへんじゃねーの >>436
一応倭人伝には文書についての記述はあるけど
(伝送文書賜遺之物詣女王。一大率の仕事の一環として)
本当に限られた人にしか流通してなかったんだろな >>432
たしか橿考は5ch禁止のはずだったよなw >>257
この図のように倭人伝の方向はズレてるよね。
倭人伝でいう南の実方向は東南。
伊都国から南に海路の邪馬台国はやはり大分だな。
研究家の鷲崎ひろとも氏は伊都国、投馬国、邪馬台国は続けて読むのではなく、
邪馬台国は伊都国から宇佐へ、投馬国は伊都国から山口県沿岸へとしている。
関門海峡越えて邪馬台国に「南下」したら周防灘の対岸に投馬国が見えてからこそ
投馬国のことが書かれたと主張するがこの図を見てなるほどと思った。 >>441
耶馬溪自体は江戸時代の頼山陽の命名やからなー
それまでは山国
まあ、倭人伝にはその他大勢の国として、邪馬国(山国?)が出てくるけど >>436
口承があるべさ。
散文ではなく定型詩は、歌詞が旋律に固定されるからロバストで、
しかも定期的に祭礼で歌われることによってエラーチェックと
バックアップが同時に行われる優れものなんだぞ。
たとえば>>420のコピペ「阿知女法(あちめわざ)」もそうだぞ。
> また、「フル」、「アチメ」という言葉は大和言葉では意味が分からないが
折口信夫によると、「アチメ」は安曇なんだそうな。
安曇磯良(イソラ)が新羅のシラとか、いろいろ繋がるっちゃ繋がる。 山が大の国だからヤマダイコク
フジサンだな!
完 全 論 破 >>436
漢字って普通に日本人がつくったぽいっすよ? 放射読みで伊都国から水行十日陸行一日で御井辺りに着く。
帯方郡から伊都国まで一万五百里+アルファ
また帯方郡から邪馬台国まで一万二千余里
伊都国から太宰府近辺を通って筑紫平野の御井まで60〜70キロだからこれも合う。
また紹興市の真東(ただし魏志倭人伝で言う東は反時計回りに二十数度ズレているが)も筑紫平野。
御井は卑弥呼の墓である祇園山古墳がある。
全部ピッタリ合う。
┏( .-. ┏ ) ┓
【フジテレビ真理教】No.h 続き
*私は被害者的な中央格と云う立場の為か
私に対して、一度病気付けしたフリをしたあとに
その病気を卯の花線やWifi、電子飛翔体にて
世界中に豚コレラやインフルエンザや麻疹等を感染させて行きます
私の病気が、卯の花線やWiFiにて広まったとデマを流して
国内外から私を殺傷させようとします
*中央格から外さない理由とは
病気が拡がったのは自分達の責任じゃないと言い訳する為でもある
--
*主な感染症のスタート地区は
主に加計学園に近い名古屋や関西地方と思われる
*他、私とは無関係だが、東京都に癌患者を増やしたのは
馬鹿高い抗癌剤が売れるお金持ちが多かったとか
一本一千億円で闇取り引きされる癌治療薬が売れたからとか(効果不明)
--
*卯の花線やWifi経由で、脳味噌の記憶消去や人格改変
データビット化したウイルスを各個人に送り込む
その際、Wifiの場合は携帯等の端末経由の可能性がある
(Android端末)bu 陳寿以前は、九州に上陸したあと、東に進んだら倭国の都にたどり着けるって書いてあったんだよな
それなのに陳寿は、奴国の南に狗奴国があるという記述を見つけて、九州に上陸したあと南に進んだら狗奴国の都にたどり着ける、って改竄しちゃったんだよな
実際は奴国と狗奴国は瀬戸内海を挟んで争ってて、どちらの都も九州に上陸して東へ進んだところに有ったわけなんだけど とうとう九州説は、3世紀の日本列島は方位がズレてたと主張するようになったか
月刊ムーへ向かって一直線だな 勝手に誤読して魏志倭人伝はやれデタラメだの言っている。
近畿パーがウソつき野郎なだけ。
魏志倭人伝の謎はとっくに解けている。
>>453
↑
ほらさっそくウソww
精神病だろこいつらw >>426
これはさすがにアホすぎる
近畿の呼称は天皇制がきっちり確立されたあとの話だ >>456
正解!
自称研究家という畿内説宣伝係の奥山氏だからw >>455
ここで反三国志を知ってる人を初めてみたw あの倭人伝の行程、伊都国までしか使者(というか行程を描いた人)は行っておらず、
距離が里じゃなく日になってるため邪馬台国までは倭人から聞いたことだとされるよね。
なのに女王国より東に海を渡ること1000里の和種の国、その南に侏儒国。そこは女王国より4000里。
えっ、邪馬台国より先に進んだ中国人が存在するの? >>455
気を利かせて地図をつけてくれたら位置で迷うことなかったのに。 >>444
当たり前だが中の人ではないぞw
協力する立場だからな。 反三国志
司馬懿→地雷で爆死
司馬師→地雷で爆死
曹仁→地雷で爆死
曹洪→地雷で爆死
張コウ→地雷で爆死 >>460
全然違う。魏からの使いは少なくとも二度来ている。
一度は伊都国に留まり、奴国と不弥国は近くだから分遣隊を出した。投馬国と邪馬台国は倭人からの伝聞。
二度目は邪馬台国まで行っている。 九州北部、瀬戸内、近畿あたり全部邪馬台国領で良いだろ
何で、その地域だけって区切ろうとする? >>460
別に帯方郡から邪馬台国まで12000里という記述もあるし、
侏儒国より先の裸国や羽黒国まで水行一年という記述もあるし、倭人から聞いた距離から里数を推測したんじゃないの。
特に問題あるともおもえず。 >>215
その奈良の銅鏡の人達はどこから来て、どういうルートで奈良にたどり着いたとする?
そしてなぜ銅鏡なんかを宗教としたんだ?
ただの化粧道具だぞ
畿内派の人はどこから来たことにしたいわけ? 魏志倭人伝は、
1. 伊都国基点の放射読みが正しい。
2. 陸行一月は陸行一日の単なる写し間違い。
放射読みで伊都国から水行十日陸行一日で御井辺りに着く。
帯方郡から伊都国まで一万五百里+アルファ
また帯方郡から邪馬台国まで一万二千余里
伊都国から太宰府近辺を通って筑紫平野の御井まで60〜70キロだからこれも合う。
また紹興市の真東(ただし魏志倭人伝で言う東は反時計回りに二十数度ズレているが)も筑紫平野。
御井は卑弥呼の墓である祇園山古墳がある。
また伊都国から水行二十日で投馬国だから、これは西都原の妻のこと。
狗奴国は邪馬台国の南だから熊本辺りで、球磨国のこと。
全部キレイに合う。
>>471
> ただの化粧道具だぞ
ちょっと待てw >>432
そいつらに言っといてくれないかな、お前らバカすぎるって
まず、奴国と狗奴国の関係だが、それらは元は一つの国で、倭国大乱で分裂してただけだ
邪馬台国というのは、倭国大乱前の都で、その頃にはまだ大和は未開拓だったって 東は日と木が重なって出来た漢字。
日が昇る場所と言う意味。
水行は主に夏に行われたはずだから、夏の日が昇る位置を東と考えたるのは中国人の言語感覚ではごく普通のこと。 >>460
魏志倭人伝を全文丸々信じると混乱するだけだよ。
すんなり信じていいのは「制詔」以降の魏の公文書らしき部分のみ。
他は東方見聞録のような物。 纒向の発掘で邪馬台国論争にはそろそろ終止符かと漠然と思ってたら問題山積らしいが邪馬台国問題の何と難しいことよ。新井白石の古史通或問1716年が邪馬台国論争の始まりだとすれば既に300年経ちましたね。 御井から見て魏志倭人伝の言う意味での真南が実に熊本市。
何もかも無理無くピッタリ合う。
卑弥呼の墓は祇園山古墳で間違い無いし、邪馬台国も間違い無くその周辺にあった。
疑いは無い。 >>482
お前は精神病だろw
お前オレが市だと思ってたのか?
ww ぜんぜん難しくないよ
日ユ同祖論に繋げたい輩が畿内説を煽って議論をねじ曲げただけ >>483
新井白石よりネット時代を生きてる俺らの方がよっぽど多くの情報を得られる立場なんだよ
奴や本居宣長の妄想は頭の中から消し去って、一次情報だけから論理パズルを解いた方がいいぞ 邪馬台国はヤマト国で山門国のこと。
山門が発祥の地。
その後卑弥呼の時代に、恐らくは南の球磨国の圧迫と奴国とのバランスを取るため筑紫平野の軍事的要衝である御井へ移った。
卑弥呼の後、さらに甘木・朝倉に移り(安本美典の言う邪馬台国)、最終的には奴国と融合して太宰府に都を置き(倭京)そこで滅んだ。
邪馬台国と近畿日本は無関係な別王朝。
こういうこと。
>>487
俺らがアクセスできる一次情報(史料)の数は、たぶん新井白石の頃と変わらん気がするw >>488
マジもんのキチガイだったか
触ってしまってスマン
アボーンしたからもう絡むことは無いだろう
好き勝手に妄想を垂れ流しててくれ
邪馬台国はヤマト国で山門国のこと。
山門が発祥の地。
その後卑弥呼の時代に、
恐らくは南の球磨国の圧迫と奴国とのバランスを取るため
筑紫平野の軍事的要衝である御井へ移った。
卑弥呼の後、さらに甘木・朝倉に移り(安本美典の言う邪馬台国)、
最終的には奴国と融合して太宰府に都を置き(倭京)そこで滅んだ。
邪馬台国と近畿日本は無関係な別王朝。
こういうこと。
逆逆
新井白石の頃は日ユ同祖論とかなかったから
素直に読んだら九州説になったんだろ 探しまくって無いなら無いんだよ
そもそも中国の文献をアテにしたのが間違いの元
距離も方位も規模もデタラメだったってことだろう >>1
まともな学者は邪馬台国の比定をしないってのが基本だからな 俺は中国王朝の立場とか枠組み、ひいては中国正史の立場枠組みを疑っているので邪馬台国論争は決着しないのではないかと思っている。
しかし土器の編年の50年の誤差が縮まったら案外簡単に落着するのかも知れない。土器の編年が変ねん、では正確な議論が出来ない事は素人でも分かりまんねん。 大体、自分等の国の名前に”邪”とか、その統治者の名に”卑”とか、そんな文字を使うわけ無いだろ 熊本の山鹿には、方保田東原遺跡てのがある。そこそこでかい
ここは時期が邪馬台国に被る場所
邪馬台国が九州なら、この辺りが狗奴国か?
何故か庄内式等、畿内の土器が多かったりする 大和政権につながる系譜でなければ
かつてどっかに中国と交流した部族があった程度の話と思うけど
場所ってそんなに重要なんかね >>497
俺が中学校のころ「邪悪」という暴走族が居て、ガードレールとかに
誇らしげにスプレーで書いてたぞ。 日本書紀の作者が無理やり神功皇后と卑弥呼・台与とを絡めたのがあかんなw
あれが無ければ邪馬台国とヤマト朝廷は別物で良かったのに 自称研究家という頭の悪い奥山氏は、振り込め詐欺の余興に招かれて、畿内説という名の奥山説を、あつくあつく語ってしまい、社長にクビだと言われてしまうのでは、ないのかな。。。 >>501
クーデターによって台頭した新興勢力だとバレるのも、それはそれでヤバい
背乗りしとかないと >>501
読んでるほうが理解できないだけで書かれるのが正しいのだと思う 魏志倭人伝から考えてもどこにあったかわからないことから考えてもパッとしない国やな >>464
ガンダーラの歌詞のガンダーラを邪馬台国にしたいくらい >>504
神功皇后は4世紀の人でないと
三韓征伐した人がいなくなる >>504
神功皇后の事跡を見る限り、明らかに晋がおかしくなって
高句麗と新羅と百済が台頭する四世紀中頃の話なんよな、、
魏の時代の半島にあった、楽浪郡も帯方郡も馬韓辰韓弁韓も出てこない
無理やり合わせたからやろなー >>508
そのへんは洒落で漢字の意義のみ拾うてきな読み方をするやつだと思う 魏志倭人伝は、
1. 伊都国基点の放射読みが正しい。
2. 陸行一月は陸行一日の単なる写し間違い。
放射読みで伊都国から水行十日陸行一日で御井辺りに着く。
帯方郡から伊都国まで一万五百里+アルファ
また帯方郡から邪馬台国まで一万二千余里
伊都国から太宰府近辺を通って筑紫平野の御井まで60〜70キロだからこれも合う。
また紹興市の真東(ただし魏志倭人伝で言う東は反時計回りに二十数度ズレているが)も筑紫平野。
御井は卑弥呼の墓である祇園山古墳がある。
また伊都国から水行二十日で投馬国だから、これは西都原の妻のこと。
狗奴国は邪馬台国の南だから熊本辺りで、球磨国のこと。
また御井から(魏志倭人伝の言う意味で)真南が熊本市と西都原だから方角も合う。
全部キレイに合う。
邪馬台国は御井で間違い無い。
┏( .-. ┏ ) ┓【フジテレビ真理教】No.k 続き
*ただ、私の場合は、東京大学を始めとした
国内外の医科大学(🦑大学)や、研究所、医薬品・医療機器メーカーより
全身を実験体にされたり、薄い病気の感染、口腔癌、ALSや
脳科学の実験体にされた
*自閉症や発達障害偽った精神科医も無論
その発達障害の考案した物を
未だにフジテレビや日本政府やGoogleが売却し続けている
*四六時中、私の日常生活の思考や五感すらも売却し続けて来た
(これらは一時間辺り、最大で一兆円の頃もあったが
最近はモニターがゼロの時が多い)
それで巨額の資金を稼いで来たらしい
--
*ミクロの電子carの為の左脚の掘削は、二歳の頃からスタートしました
当初は優しく掘り進めたらしく、一年間に10mm程度だったとか..
痛みは感じた事はありませんでしたが
10代半ばになり、左脚が右脚より短くなった為か
NY滞在時にそれを誤魔化す目的もあって
カミカゼじゃあの電子体に脚の切断をされたとも思われます
*堀ちえみさんと同じ、口腔癌にさせるレーザーペンでの突っ付き
*脳挫傷は日常茶飯事
*AlSは、まだ未治療であるが
左脚で済んでいるのは、片脚以外のリンパ節が全部剥がされてしまったから
*お腹が膨れたのはリンパ節が無いからとか、貼り直しは出来る時代ではある
*卯の花線を全身の細胞核に繋ぐと、抜く時に細胞核が無くなった為に
細胞が循環出来ずにお腹が膨れて居る
正常な細胞が40%しか無いが、治療可能とも聞く
*他、大多数 bu 邪馬台国はヤマト国で山門国のこと。
山門が発祥の地。
その後卑弥呼の時代に、恐らくは南の球磨国の圧迫と奴国とのバランスを取るため筑紫平野の軍事的要衝である御井へ移った。
卑弥呼の後、さらに甘木・朝倉に移り(安本美典の言う邪馬台国)、最終的には奴国と融合して太宰府に都を置き(倭京)そこで滅んだ。
邪馬台国と近畿日本は無関係な別王朝。
こういうこと。
卑弥呼がもらったとされる鏡って何故か中国本土からは一枚も出土してないんだってな >>496
大多数の考古学者の土器編年の差は10年か20年の範囲内だろう
そういうのが教科書に載るわけだし
ごく少数の考古学者が50年、100年違う年代観を唱えてるだけ 中国人が食べた餃子の個数とかいちいち覚えてるわけねーだろ >>512
すまん。西都原は真南じゃ無かったな。
真南は都城だった。 まあ陳寿の記述の正確なことね。
さすが天才と言われただけある。 >>465
1度目はテイシュン、2度目はチョウセイだっけ? >>471
神武東征は史実でそれが畿内の銅鐸文化圏を征服って本当だろうか? >>518
みやこんじょ。
響きがちょっとかわいい。
にゅうたばるも可愛いw 情報は、有名大学と国立研究所の研究者だけのフィルタをかけてくんない
北九州の私大とか市町村の担当者、学芸員のほざきを同等に扱うべきじゃない >>516
編年と書いたが正確に表現すると土器の編年に絶対年代を割り付けると言う事になるかな。
絶対年代が10〜20年の誤差で確定しているなんて事はないと思うが。炭素14年代法とか年輪年代法とかその他ありとあらゆる年代測定法が試みられなくてはならない最も難しい状況にあるのが絶対年代の確定と言う領域なんだから。 魏志倭人伝は、
1. 伊都国基点の放射読みが正しい。
2. 陸行一月は陸行一日の単なる写し間違い。
放射読みで伊都国から水行十日陸行一日で御井辺りに着く。
帯方郡から伊都国まで一万五百里+アルファ
また帯方郡から邪馬台国まで一万二千余里
伊都国から太宰府近辺を通って筑紫平野の御井まで60〜70キロだからこれも合う。
また紹興市の真東(ただし魏志倭人伝で言う東は反時計回りに二十数度ズレているが)も筑紫平野。
御井は卑弥呼の墓である祇園山古墳がある。
また伊都国から水行二十日で投馬国だから、これは西都原の妻のこと。
狗奴国は邪馬台国の南だから熊本辺りで、球磨国のこと。
また御井から(魏志倭人伝の言う意味で)真南が熊本市と西都原だから方角も合う。
全部キレイに合う。
邪馬台国は御井で間違い無い。
邪馬台国はヤマト国で山門国のこと。
山門が発祥の地。
その後卑弥呼の時代に、恐らくは南の球磨国の圧迫と奴国とのバランスを取るため筑紫平野の軍事的要衝である御井へ移った。
卑弥呼の後、さらに甘木・朝倉に移り(安本美典の言う邪馬台国)、最終的には奴国と融合して太宰府に都を置き(倭京)そこで滅んだ。
邪馬台国と近畿日本は無関係な別王朝。
こういうこと。
いつも思うんだが
なぜ在日の考古学者やこう言った考古学研究所の在日所長とか
邪馬台国=大和王権と一緒にしたがるのか
実際は別もので
邪馬台も大和もヘブライ語
邪馬台はヘブライ語でマタイでキリスト十二支族のユダ族の民が由来で
イスラエル王国からアラビア海から海ルートで沖縄に
邪馬台国の民はユダ族の物部氏が由来でニギハヤヒがその民
大和もヘブライ語でヤマトゥは神の民
メソポタミアのシュメールのスメル族が神の民であり
メソポタミアからチベットから中国四川を経て朝鮮半島から渡来したヘブライ人の弥生人達こそメソポタミアのシュメールのスメル族
その大和の神の民のヘブライ人達弥生人率いるヘブライ語でイワレピコは初代天皇
その大和王権の初代天皇が神武天皇
全く別もの大和王権と邪馬台国 神話臭い話の場合って複数話あっても別にそれが年代別というわけでもなく
同じ話を別の配役で重ねて書いてる場合が実は多い… 土器なら直接焼成年代を調べられる熱ルミネッセンス測定をやって欲しいが
土器を壊さないといかんのがネックやな、、 やはり鉄が肝なのは畿内説の学者も認識してるんだな。
「北部九州では紀元前1〜2世紀、朝鮮半島から鉄の素材が入り、加工して流通するようになった。
弥生時代、倭で最初に本格的な金属器社会に入った地域だ。
初期の国家について「鉄が権力をつくる」との説を私は支持している。
ではなぜ鉄の一大生産地だった九州に比べ出土品も少ない近畿に大和政権ができたのか。」
松木 武彦(まつぎ・たけひこ) 大阪大文学部卒、同大学院博士課程単位取得。
専門は日本考古学。日本列島の古墳研究や考古学を通じた戦争、国家形成論などを研究。
2014年から国立歴史民俗博物館の研究部門教授。 >>532
うんうん。神武と応神だな。
西の海の女神の息子にして、ヤマト王権の始祖王。 >>528
例えば日本史の教科書に、古墳時代は3世紀中頃から後半に始まると書かれている
この辺が多くの考古学者が持ってる年代観ということだと思うが
これを3世紀末とか4世紀とか言ってる考古学者なんてほとんどいないだろ? 纏向は古墳造営基地局であった可能性が濃厚であり、箸墓古墳も卑弥呼とは関係ないと学者は判断したわけだが、畿内説の根拠って何やねん?
妄想か?w
箸墓で馬具発見!
木製鐙は4世紀半ば以降とする方が妥当である。
さらにこれが日本に伝わった時期を考慮すると
箸墓古墳の木製輪鐙は早くても4世紀後半ないし
5世紀以降とする方が望ましく、その特徴が後世的
であることもこれを裏付けるものとなっている。
研究者の年代観によって造営年代は若干の異同がある。
広瀬和雄はその時期を3世紀中期ないし後期としているが、
「魏志倭人伝にしたがうかぎり、箸墓古墳が卑弥呼の
墓であることの可能性は低い、というよりは証明しがたい」
と述べている
白石太一郎は3世紀中葉過ぎとしているが、
「3世紀半ばすぎというのは、卑弥呼は亡くなっているが、
その後継者である台与の時代である。」とも言っている 在日考古学者は確か天皇を朝鮮由来にしたがってるが
現実朝鮮人達のルーツの由来はシベリアエベンキのわい族で
1万年前に現れた新モンゴロイドの由来の民族でシベリアデニソワ人達との混血が朝鮮人や中国人達
全く別民族で
旧モンゴロイドの由来のヘブライ人が日本民族でありアイヌが縄文人であり弥生人で日本民族遺伝子を持つY染色体のD2遺伝子を持つ民族は日本人のみ
朝鮮人や中国人には全く存在しない
従って日本出雲族の百済新羅のヘブライ人達は日本人でありシベリアエベンキの朝鮮人ではない
百済王が日本の天皇陛下の由来なとわ全くのデタラメ
メソポタミアのシュメールのスメトラノミコトのヘブライ人が天皇家であり
スメラミコトとはヘブライ語で栄光の神を奉る人でイワレピコはヘブライ語で初代の天皇
メソポタミアシュメールのスメル族のスメトラノミコトの初代ヘブライ人の天皇こそ神武天皇
百済王とか全く関係ない ┏( .-. ┏ ) ┓【フジテレビ真理教】No.l 終
*首を狩って蹴鞠にしていた集団で、サッカーゲームして遊んでた
*オーム真理教のロゴと、この界隈の意匠は一致している
--
【オーム真理教(AUM)】
A=崇教真光教の屋根を逆にした、Amazonの矢印と間のma(悪魔、真、晋三)、弓(我妻由美、鮎)
U=統一協会の祝福の指輪、Ω、国連(UN)
M=悪魔、三(シ)、新機種のトリプルカメラ、八咫烏三本の脚、三本の矢
https://mobile.twitter.com/prettypumpkin71/status/1154670612125634560/photo/1
--
・フジテレビ基地外脳波放送は、369(弥勒)周波数帯使用
・麻原彰晃の歌(しょーこー、しょーこー)
・サティアン(安)は、富士山麓(フジテレビ&Googleで、F&G)
・警視庁長官狙撃事件の弾道が不明な点(透明な電子体攻撃)
・ソフトバンクの光通信(光の戦士)
崇教真光の光、麻原彰晃の晃=光、岡田光玉=光
教祖:岡田光玉 (安田と同じ静岡県出身)
・中央格は私の見ではない、数千人作る事が可能です ci
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>536
そこはまた特殊な例すぎる間柄なので…
政宗と輝宗の間柄扱いかな?と思う >>530
全くの間違いだね、鬼道使いの卑弥呼が都とする国は宗教的な場所。
邪馬なんて漢字が充てられたヤマとはインドヤマ教の影響下にある場所だろう。
そうなるとエジプトやインド辺りの知識を持つ大物主の祀られる国、奈良南部が一番相応しい場所なんだよ。
まあ今までの考古学者では説明がつかないのも無理はない。
もっとも最近は畿内説でもやっと神仙思想や水銀朱を今になってプッシュしているが。 >>363
>>365
なんで魏志倭人伝を信用するんだ?
https://www.google.co.jp/amp/s/www.mag2.com/p/news/251709/amp 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:7bff9ed63942b4cd01610d20b2c06e65) まあ何度も書いてきたが、ヤマトトトヒモモソヒメ、なんて何の事かわからない名前も、
ヤマトのトート妃モモソヒメと訳すると、
大物主=エジプトからインド経由のトート王の妃、モモソヒメとなる。
ちなみにトート王とはピラミッドの作り方を教えた、数学や音楽、様々な知識の神だからな。
三輪山に祀られたのもその為。つまり大物主は
物部の神の総称でもある。
大物主がクンピーラ、インドの神なのもその為だね。 邪馬台国も大和王権も全てヘブライ語
邪馬台はヘブライ語でマタイ
大和はヘブライ語でヤマトゥ
邪のヤはヘブライ語で発音せず
ヤマタイとヤマトのヤはヘブライ語で神の民
馬台はヘブライ語でキリスト十二支族の民
和は倭でヘブライ語でイワレでヘブライ人のこと
全てヘブライ語で意味がある >>173
弥生時代最大規模の鍛冶遺跡、五斗長垣内遺跡が淡路島にあるけど1世紀頃から100年間くらい繁栄して、邪馬台国の時代には忽然と消えた
貴重な鍛冶集団を攻め滅ぼすとは考えにくく、より高度な鍛冶施設を作って移転したのだろう
新たな鍛冶施設で使い古された鉄器が大量に打ち直されたので3世紀頃までの鉄器が少ないのだと思う この話題の時にいつも思うんだけど
魏志倭人伝はメイドイン支那だぜ? 皇室の正当性をうたう記紀で天孫降臨、日向三代、神武東征と
なんで天皇家は九州出身で大和国へは後発組と明言されてるんだろ?
天皇家は九州出身ではないとの否定論もあるけど、
王家の正当性をうたう重要なことに完全なウソは書けないと思うのだが。 赤壁で曹操側が勝利し、そのまま残りも制圧して中華統一→皇位簒奪
また、後継者である曹丕やその更に次の曹叡等が早死にせず、
魏が安定政権を築いてくれていたら、もっと情報残ってたかもなあ
呉や同時期の朝鮮半島や北方民族などの日本関連の資料ねえのか? トート王位は少し調べると東アジアに強い縁があるのもわかるよ。エジプトからインドを経てアジアの王になったという伝承だしな。
そもそもトートは朱鷺の化身で匕匕の姿の時もある。朱鷺は勿論日本のシンボルで匕匕なら猿田彦だろう。
モモソヒメの箸墓の逸話で昼は人が、夜は神が作った話もとする関連の逸話でよく似た話があるを 隋書倭国伝
「倭国の都は邪靡堆、則ち魏志に謂う邪馬臺である」
これで議論終了
遣隋使は飛鳥まで一緒に帰って来た裴世清に邪馬臺はヤマトのことだと言ってる
隋書は記紀より100年前、旧唐書より300年前の資料 トトヒモは鎖鎌の意味でメドゥーサとかヤマタノオロチとか清姫とかゼウスの扱いだと思う >>554
強大な敵だった隼人を兄弟ということにして慰撫した、
てなダジャレ的な解釈は昔からあるよね。 後ヤマ教も簡単に説明すると、ヤマとは黄泉の事だからな、つまりは閻魔。
閻魔は仏教では地獄の万人にされているが
元々は神から最初の人間になったという存在、
本来は神の立場だからな。
死んだ人間を選別して天に行けるかを選別する
のが閻魔だよ。
その場所が黄泉、つまりそこがヤマ。
だから日本ではヤマは後々高い場所を指す言葉になるのはその為だからね。
日本神話に唐突に黄泉の世界が出てくる理由もこれ。
ヤマは元々は天に行くのを待つ場所の意味、だから大きな古墳が集中するのも判るよな、魔よけの水銀朱に鏡を入れて。
これは神仙思想とも共通する話だ。 >>281
神武天皇像があるの日本で二つ、その一つが徳島で明治天皇の命で建立
イスラエルの大使が剣山訪問したり、いろいろ不思議な地域
あと北海道北東北も不思議多い インドに配置される動けない者 背猿
地獄扱いなので低いところに配置されるはず
応神扱い 三世紀邪馬台国は畿内でよいが、阿波、四国についてはヤマトを主導した立場の国だろう。
ミマキイリヒコは恐らく四国縁の人物。
ミマキイリヒコ、イリヒコは入婿の意味ではないよ。丹生を求めていた男の意味。 ぶっちゃけ九州以外の国々は、よくわからない国としてひとまとめ
こいつら↓
他に、遠くに在って国名だけしか分からない国として斯馬国、己百支国、伊邪国、都支国、彌奴国、 好古都国、不呼国、
姐奴国、對蘇国、蘇奴国 呼邑国、華奴蘇奴国、鬼国、爲吾国、鬼奴国、 邪馬国、躬臣国、巴利国、支惟国、烏奴国、奴国が記録されている。
また、南の狗奴国の男王卑弥弓呼とは不和との記録もある。
奴国は2回記されているが同一の国とする説と別の国とする説がある。 >>564
あんだとこら。
応神はユーラシア大陸の反対側の戦争と死の神オーディンである。。
詩神でもあるところが、神功皇后に応神を産ませた住吉三神(和歌の神)に通じる。
「だから何だ?」と問われたら、謝るしかないが。 初めは九州を統括した天照一族が畿内移住前に朝貢したのが第一次の卑弥呼で恐らく神武の祖母豊玉姫
その後卑弥呼の称号が豊姫に受け継がれたあと神武が畿内に到達し祭祀を統括する初代天皇になる
これは伝説ではない >>571
別に海底でもないけど竜宮城あつかいのときもある 見つからない方が邪馬台国関連の本が売れると、某教授談 >>554
事実だからでしょ
で、コピペ
日向国だから天孫降臨の地と言い出したのは宇佐神宮
宇佐神宮は自分の領地があった場所を高めようと色々捏造をしている
今の宮崎県民は神話の国というのを信じているが細かく調べればおかしな事ばかり
はっきり言って起源を主張するどこかの国のいうことと変わらん
これからは間違いは間違いと認めることが大事だと思う
続日本紀によれば昔の日向国は鹿児島宮崎を含む地域だった
記紀ではともに天皇家と隼人族は同族出身としている
日本書紀では特に阿多(薩摩半島南部)と特定している
ちゃんと調べれば分かることばかり
木花咲耶姫の本名である神阿多都比売
海幸彦の子孫は隼人族の阿多君
神武天皇の妃である阿比良比売は阿多小椅の妹
代々阿多(薩摩半島南部)の人間だらけ
おまけに鹿児島県南さつま市の上加世田遺跡からは久米と墨書された遺物が出土している
これは神武天皇の部下である大久米命との関連を思わせる
よって神武天皇の出身地は鹿児島県の薩摩半島
旧加世田市から旧金峰町にかけてと思われる
なお天孫降臨が現実にあったと考えるのは無理がある
それに山上に神が降り立つというのは北方系の神話
高千穂地名の変遷
日向風土記逸文(713、引用は続日本紀797)知鋪の郷(ちほと読めるから高千穂と言い出す。本当に原本にあったか?)
宇佐八幡宮託宣(765)高智保(たかちほと言ってるのが神主だと分かる。)
和名類聚抄(925) 智保(一般には広まっていないようで、辞書にはまだ高千穂は載らず。)
大日本史(1657〜) 日向国臼杵の郡、智保、今は高千穂の庄(虚仮の一念、岩をも通す。でも正式には智保。)
(参考)1889年(明治22年)三田井村、押方村、向山村が合併し高千穂村となる。(ようやく正式に高千穂) >>554
受け取り方の問題で困惑してるだけで書いてることは多分そのままなんだろうね >>575
日向コピペもブレないよなあ。
おおむね賛成ではあるが、高千穂町は好き。 魏志倭人伝に朝鮮半島南部が倭人の国と記載されていてこれが都合悪い人達が混乱させているのもあるんだろうな >>579
初期〜漢途中くらいまでは日本人の手引き臭い 出雲が瀬戸内海連合と手打ちして国を譲った相手が卑弥呼
北部九州も関係していたのか、この時期銅鏡の分布は九州から畿内中心に移動する 宇佐神宮で目撃されたという石棺が
学術的に全く無視されてるのが気になっている 弥生時代の話で稲作文化と認識されているから誤解が生じている
稲作地域の征服による統一と勘違いされがちだけど、多分実態は全然違うな
文明と物産の取引を競いあったのが本当の当時の姿だ
5世紀までは朝鮮半島を含めた海洋複合国家の形成を目指していた
ヤマト政権確立の6世紀以降で大陸志向から国内統一志向に大転換した 鉄に関してはこの時代はまだ本格的な製鉄が始まっていないかと
まともな鉄に武器は古墳時代の直刀だが、これもまだ切るというよりは刺すための武器 神武天皇は九州を統一してヤマトへ東遷したのではなく、
戦乱の九州からドロップアウトして、ヤマトに拾われたと解釈したほうが正しそうだ そろそろ考古学じゃない方法で探ってみたらどうや。
ナイトスクープかブラタモリ辺りで 考古学 宮内庁がストップ
史学 残る史書が少なすぎ
証拠が少なすぎて、ファンタジーに流れる数百年なわけよ >>589
そろそろ、防衛省に神武東征を研究してもらいたい
輸送と補給に着目した、リアルな古代軍事史 神武東征は考古学的に否定されている
そして中国の史書は神武東征は邪馬台国の前の時代として扱ってるので邪馬台国とも関係ない
九州からと言う一点をもって九州説が良く持ち出すが邪馬台国と結びつけるのは不可能 >>567
邪馬台国大分を支持する身からしたら
それらは佐賀や有明海側など北九州の内陸部や西側だと思う。
行程ルートの対馬、壱岐、松浦、伊都国、投馬国、邪馬台国は南北に連なってると倭人伝。、
つまり玄界灘、福岡湾、関門海峡越えて大分まで行くルート。
よって北九州の海側じゃない内陸部や有明海側。 畿内王権が滅んだヤマタイの名を借りたのよ
対支那にはそうしておく方が都合よかったのよ >>1
永遠の平行線は大袈裟すぎる
今いる九州爺さんが死んだら九州説は終わり
後継者がいないのだから、持久戦に持ち込まれたら九州説に勝ち目なし
かといって九州説には材料がないから自ら勝負を仕掛けることさえできない 高天原の元ネタ何処なんだろ?
空想じゃないなら
弥生人の故地なら、山東半島や朝鮮半島南部あたりか? 神武東征で重要なのは中国の記載
中国は日本からの資料で歴代天皇の系譜を採用しつつ自らの記録で修正を入れている
そこには筑紫城から神武東征で都が大和に遷ったとあり、
東征の後の大和にいる用明天皇の都が邪馬台国と同じであると書いてる
この時中国は使節を日本の都に派遣しているので当然その位置は把握しているので間違いはない
つまり神武東征の記載は邪馬台国は大和であると示す中国の姿勢を表す部分になっている
九州説は九州からと言う点だけで都合よく神武東征を持ち出すが、
神武東征の記載は「邪馬台国は大和」となっているので真逆の内容になっている 神武東遷のようなものがあったなら卑弥呼以前の時代だろう
ただ、応神仁徳あたりは九州との繋がりが深いから何かしら関係があるのかもしれない >>257
立地上の有利点からこれ見るに大分、中津、熊本、大穴で山口だな
山口説ってあるの?どうなん? 帥升らが前にいるから、東征後はつじつまが合わなくなるよ。ない話か後だよ、ただ天智は唐に降伏しとってその後どっと難民受け入れさせられて、配下同然でその後の記紀の話だからな。 >>596
タガーマ州ハッラーン
旧約聖書からパクったんだよ >>149
小人は日本住血吸虫感染者の可能性もあるぜ
大人でも140センチくらい 大和朝廷は、美しい歴史をねつ造するために、神武東征を飾ったんだよ
現実のジンムは国を失った武装難民のリーダーでしかなく、その数も千人程度じゃないかな
しかし軍事技術と船があったので、食糧を略奪しながら東へ向かい、ヤマト王権を乗っ取ったわけだ
こんなの正史にできないので、
九州で勝った神武天皇が、何年も正規戦をして瀬戸内海を征服して、大和に迎え入れられた、
という神話を作ったんだよ
吉備なんかの瀬戸内豪族を倒したのは、大和朝廷が成立して、ジンムたちがヤマト兵を動員できるようになった後の話
美しい神話なんか信じる方がバカ >>608
東(日本)に向ったのは逃げてきたんだよ?
東北あたりの地で養生した後に改めて戦いに向ったはず >>609
大和朝廷としての戦史は、ヤマトタケル神話として整理されたんだね これは大陸が繋がっていた時だよ
今の朝鮮であってもおかしくない >>554
日向の高千穂の宮から奈良に東征したのは「神武」
神武の父ちゃんは「ウガヤフキアエズ」
宮崎県日南市の鵜戸神宮で産まれ、鹿児島県鹿屋市の吾平山上陵に墓がある
ウガヤフキアエズの父ちゃんは「山幸彦」
海幸彦に出雲を追い出されて、海神国・・つまり北九州の狗奴国に亡命し
日向に高千穂の宮を建立して居住していた
ここまでが日向三代
山幸彦の父ちゃんは「ニニギ(邇邇芸)」
大国主がアマテラスに国譲りした後に、奈良から出雲に一大卒として派遣された
倭人伝では「伊都国(出雲)」の長官「爾支(にき)」として登場する
ニニギ(邇邇芸)の父ちゃんは「アメノオシホミミ」
スサノオが奈良にいたときに産まれた長男で、スサノオが奈良を追い出された後、アマテラスがひきとって自分の子にし、
出雲の大国主が兄弟の八十神からの迫害を逃れるために訪れた「木の国」(紀伊 和歌山県北部)を治めている
倭人伝では「投馬国」の長官「彌彌(ミミ)」として登場する
アメノオシホミミの父ちゃんは「スサノオ」で
奈良を追い出されて出雲にやってきて、巨大な怪物八俣遠呂智への生贄にされそうになっていた美しい少女櫛名田比売命と結婚し、出雲の根之堅洲国にある須賀(すが)の地(中国・山陰地方にある島根県雲南市)で暮らしていた
つまり「神武」は、産まれも育ちも九州で奈良では無いが
奈良のアマテラスと出雲のスサノオの直系
観光利権が絡めばこうなる罠。
全地域、邪馬台国候補地、で売ればよろしい。
仲良くやれw
中国あたりからそんなもんはなかったっていう証拠の古文書でも出てきちゃったらどうする?www
つまり、神武東征とは
素戔烏尊が奈良を出て、出雲に「葦原中国」を造って
出雲の「葦原中国」を、奈良の天照大神尊に国譲りした
そして
アマテラスによって奈良から出雲へ派遣された
スサノオの孫の「ニニギ(邇邇芸)」の
「一大卒」という地位の継承を巡って
「ニニギ(邇邇芸)」の二人の息子の海幸彦と山幸彦が大喧嘩
負けた山幸彦が出雲を追い出され、
海神国・・つまり北九州の狗奴国に亡命し
日向に高千穂の宮を建立して居住していた山幸彦一族の
第4皇子の神武が
海神国・・つまり北九州の狗奴国の軍隊と共に奈良に帰還した
という話なんだよ
大きなくくりで言えば
奈良から出雲に追放された(神逐)素戔烏尊の一族が
奈良に戻って初代天皇になりました
っつー話 天皇家は天照大神尊一族ではなく素戔烏尊一族
というところがミソだね 天皇家は「女王」天照大神尊一族ではなく、「男王」素戔烏尊一族
というところがミソだね >>281
東北に決まってる。
又は、邪馬台国ですタイ、ヤマテーコクのオワリ、ヤマトだーコクの大和など全国各地にあったのが正解。
木から落ちた秀吉が関白になったとか記している中国の文献がこの当時だけ正確だって言われてもw だから
魏志倭人伝に「親魏倭王・卑弥呼」の役人は
官有 伊支馬(いきま)
垂仁天皇「伊久米入日子伊佐知命」イクメ・イリビコイサチノミコト
次曰 彌馬升(みます)
皇后「氷羽州比賣命」ヒバス・ヒメノミコト
次曰 彌馬獲支(みまかし)
皇太子(後の第12代景行天皇)妃「美波迦斯毘賣命」ミカハシ・ビメノミコト
次曰 奴佳醍(ぬはだい)
皇妃「沼羽田入毘賣命」ヌバタノ・イリビメノミコト
なんだよ >>615 つづき
天皇家は「女王」天照大神尊一族ではなく、「男王」素戔烏尊一族
というところがミソだね
だから
魏志倭人伝の「親魏倭王・卑弥呼」の役人は
官有 伊支馬(いきま)
垂仁天皇「伊久米入日子伊佐知命」イクメ・イリビコイサチノミコト
次曰 彌馬升(みます)
皇后「氷羽州比賣命」ヒバス・ヒメノミコト
次曰 彌馬獲支(みまかし)
皇太子(後の第12代景行天皇)妃「美波迦斯毘賣命」ミカハシ・ビメノミコト
次曰 奴佳醍(ぬはだい)
皇妃「沼羽田入毘賣命」ヌバタノ・イリビメノミコト
なんだよ で
国立歴史民俗博物館
Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?
Answer 大多数の考古学者は大和説です
http://www.rekihaku.ac.jp/contact/faq01.html#c 魏志倭人伝は、
1. 伊都国基点の放射読みが正しい。>>429
2. 陸行一月は陸行一日の単なる写し間違い。>>440
放射読みで伊都国から水行十日陸行一日で御井辺りに着く。
帯方郡から伊都国まで一万五百里+アルファ
また帯方郡から邪馬台国まで一万二千余里
伊都国から太宰府近辺を通って筑紫平野の御井まで60〜70キロだからこれも合う。
また紹興市の真東(ただし魏志倭人伝で言う東は反時計回りに二十数度ズレているが)も筑紫平野。
御井は卑弥呼の墓である祇園山古墳がある。
また伊都国から水行二十日で投馬国だから、これは西都原の妻のこと。
狗奴国は邪馬台国の南だから熊本辺りで、球磨国のこと。
また御井から(魏志倭人伝の言う意味で)真南が熊本市と西都原だから方角も合う。
全部キレイに合う。
邪馬台国は御井で間違い無い。
邪馬台国はヤマト国で山門国のこと。
山門が発祥の地。
その後卑弥呼の時代に、恐らくは南の球磨国の圧迫と奴国とのバランスを取るため筑紫平野の軍事的要衝である御井へ移った。
卑弥呼の後、さらに甘木・朝倉に移り(安本美典の言う邪馬台国)、最終的には奴国と融合して太宰府に都を置き(倭京)そこで滅んだ。
邪馬台国と近畿日本は無関係な別王朝。
こういうこと。
魏志倭人伝は、
1. 伊都国基点の放射読みが正しい。>>429
2. 陸行一月は陸行一日の単なる写し間違い。>>440
放射読みで伊都国から水行十日陸行一日で御井辺りに着く。
帯方郡から伊都国まで一万五百里+アルファ
また帯方郡から邪馬台国まで一万二千余里
伊都国から太宰府近辺を通って筑紫平野の御井まで60〜70キロだからこれも合う。
また紹興市の真東(ただし魏志倭人伝で言う東は反時計回りに二十数度ズレているが)も筑紫平野。
御井は卑弥呼の墓である祇園山古墳がある。
また伊都国から水行二十日で投馬国だから、これは西都原の妻のこと。
狗奴国は邪馬台国の南だから熊本辺りで、球磨国のこと。
また御井から(魏志倭人伝の言う意味で)真南が熊本市だから方角も合う。
全部キレイに合う。
邪馬台国は御井で間違い無い。
邪馬台国はヤマト国で山門国のこと。
山門が発祥の地。
その後卑弥呼の時代に、恐らくは南の球磨国の圧迫と奴国とのバランスを取るため筑紫平野の軍事的要衝である御井へ移った。
卑弥呼の後、さらに甘木・朝倉に移り(安本美典の言う邪馬台国)、最終的には奴国と融合して太宰府に都を置き(倭京)そこで滅んだ。
邪馬台国と近畿日本は無関係な別王朝。
こういうこと。
>>621
この歴博の教授があの「近畿では鉄が溶けやすいんですキリ」で有名な佐原真。
近畿パーの典型。 >>591
イミフ。前半はよい。
九州倭国と近畿日本は別の王朝。 >>623
全く違います
北部九州一帯は、後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ
それから150年間以上、大陸との交易をしています
大陸の人々は、九州で商売をするために
文字を持たない倭人以上に、九州の地理、すなわち
九州の方位や距離に詳しいです
へたすれば「九州の地図」すら作っていた可能性があります
もしも邪馬台国が九州に存在していたら、方位や距離を間違えるはずもないですし
邪馬台国は、どこにあるかも広く知れ渡っており、どこにあるか隠そうとしても、隠しきれません
邪馬台国は、大陸の人たちがほとんど行ったことがなかった奈良にあったので
方位や距離を間違えたのです
どこにあるか隠そうとしたのです 『隋書』
>倭國、・・・・・都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也。
>倭国は、・・・・・都は邪靡堆、魏志の説に則れば、邪馬臺というなり。
『唐会要』
>倭國東海嶼中野人。有耶古。波耶。多尼三國。皆附庸於倭。
>北限大海。西北接百濟。正北抵新羅。南與越州相接。
>倭国は東海の小島の野人。耶古、波耶、多尼(ヤコ(屋久島)、ハヤ(隼人)、タニ(種子島)の三国がある。いずれも倭に従属している。
>北は大海が限界、西北は百済と接し、正北は新羅と抵触、南は越州に相接する。
>北は大海が限界
>正北は新羅と抵触
この箇所より、少なくとも邪馬台国は近畿では無いことが確定する。
なぜなら、近畿から見て、日本海が「北」で新羅が「正北」なわけが無いから。
これは明らかに九州+任那を倭国とした表記である。
またそのほうが耶古、波耶、多尼が倭国の従属国であるという記述とも合致する。
邪馬台国は、九州。
>>634
全く違います。ただの妄想です。
>>623で良いです。
唐会要に事実上邪馬台国は九州と書いてあるの知らなかっただろ?
こんな状態だぞ。
>>636
おまえのほうが妄想です
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ
それから150年間、大陸から様々な人々が、何度も何度も訪れている北部九州一帯
とは違い
邪馬台国が大陸と行き来したのは、たかだか40年ぐらいの時間でしかありません
大陸からの人々も、ほとんど訪れたことがなく、大陸の役人も出雲までしか入れてません
使者が数回、邪馬台国まで来ただけで、あっという間に大和・日本国になってしまいました
なので距離も方位もメチャクチャなのです 訂正
>>636
おまえのほうが妄想です
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ
それから150年間、大陸から様々な人々が、何度も何度も訪れている北部九州一帯
とは違い
邪馬台国が大陸と行き来したのは、たかだか40年ぐらいの時間でしかありません
大陸からの人々も、ほとんど訪れたことがなく、大陸の役人も出雲までしか入れてません
使者が数回、邪馬台国まで来ただけで、あっという間に大陸との行き来を中断してしまい、大和・日本国になってしまいました
なので距離も方位もメチャクチャなのです >>639
モモソ姫が卑弥呼だとすると
第10代・崇神天皇はモモソ姫(卑弥呼)と同時代の人だから
魏志倭人伝に登場する邪馬台国の役人は第11代・垂仁天皇の一家っていうのは合ってる
都市牛利(としぎゅり)は、崇神天皇の娘の「十市瓊入(としにいり)」だろうね >>619
彌馬獲支はどう考えても「みまわき」だろ
つまり側近の意味
奴佳醍はどう考えても中手(なかて)だろ
仲介者みたいな役職? もしも
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ
それから150年間、大陸から様々な人々が、何度も何度も訪れている北部九州一帯
が邪馬台国ならば、旧唐書のように
【倭国伝】
倭国とは古の倭奴国なり。
京師から去ること一万四千里、新羅の東南の大海中に在り、山島に依って居る。東西に五カ月、南北に三カ月の行程
と、九州の位置を書けば良いだけで
あっちに何日、こっちに何日なんて、詳しく書く必要なんかありません >>9
証拠っていうのは、議論してから発見するもんだ
>>53
アカデミズムの失墜だねえ
或いはゴッドハンド考古学の、か >>645
昭和天皇のことを本名のヒロヒトと呼ぶ日本人はほとんどいない。
当然、当時の役職名が皇族の名前として現代にも伝わってるはず。
垂仁天皇の名前の五十狭(イサチ)も役職名で
魏志倭人伝に登場する卑弥呼の政治を補佐してる「佐治(サチ)」だろうね。 邪馬台国時代に「佐治(サチ)」という役職があったはずで
伊都にいる佐治は、伊都佐治(イトサチ)になる。
つまり、伊都佐治(イトサチ)=一大率(イッタイソツ) >>116
当時使われなかったはずと言われても、現に使われてるんだからしょうがない
「ヤマトのことを邪馬台なんて書くはずがない」と言ってるのと同じ >>623は明らかに間違い
「放射読み」などという本場中国の学者が絶対に採用しない説を採用してる時点でトンデモ >>425
バカか?
朝鮮半島南部の狗邪韓国は既に倭国の領土だった。 >>131
魏の使とは別ルートを通ったのでは
もっとも魏志に列挙されてる国の中にもそれらしいのはないな
強いて言えば都支=tu・ksiとかか 近畿は邪馬台とは別国だよ。
そもそも記紀に書かれていないし
天皇なんて位は邪馬台には存在しない。 >>418
九州王の年表
(紀元前2世紀) 奴国の吉武高木遺跡
(紀元前2〜1世紀) 奴国の須玖岡本遺跡
(紀元前1世紀の王・王妃墓) 伊都国の三雲南小路遺跡
(紀元1〜2世紀の王墓)伊都国の井原鑓溝遺跡 ←遺跡調査によってこの頃に漢鏡流通の核としての機能が停止(首都機能の喪失)したことが判明
(紀元2〜3世紀の女王墓)伊都国の平原遺跡 ← 遺跡調査によって平原遺跡の衰退時期であることが判明(魏志倭人伝によると邪馬台国の一大率に支配されていた時期)
※『日本書紀』によると4世紀頃、伊都国の王は仲哀天皇の完全な家来になった。 ←九州王家滅亡 >>660
日本書紀だと神宮皇后紀に魏志倭人伝が引用されてるから
日本書紀の編纂者は邪馬台国は奈良だと思ってたのは明らかだよ。
日本書紀の編纂者にとって邪馬台国が奈良なのは当たり前すぎて疑問にすら思ってない >>657
いや確定。
少なくとも畿内説は否定証明完了済み。 多くの人が勘違いをしていますが
西晋(265年 - 316年)の時代、280年から297年の間に成立した『魏志』
は
南北朝の
宋(420年 - 479年)の時代、432年以降に成立した『後漢書』
斉(479年 - 502年)の時代、武帝(482年 - 493年)の命で編纂された『宋書』
より【200年も古い】のです
432年と言えば、允恭天皇(いんぎょうてんのう)の時であり
允恭天皇は倭の五王中の倭王済に比定されており
都はすでに奈良で、周知の事実
なので
斉(479年 - 502年)の時代、武帝(482年 - 493年)の命で編纂された『宋書』では倭国のことは
倭国は高句麗の東南の大海の中にあって、代々我が国に朝貢してきた
とあっさりしたもの >>662
仮に王朝が変わっても
神社などの歴史は途絶えてないから
日本の場合、歴史を乗っ取るのは不可能なんだよな
神社や日本書記によると邪馬台国は奈良 >>662
疑問に思っているから卑弥呼=神功皇后を言いながら断定しなかったんだよw 大体、邪馬台国を奈良だと思ってたんなら神武東征の捏造がイミフになる。 別件
今日も朝から書き込み激しいけど、ニュー速+はスレ立て依頼しないと次スレは立たないのよ。
昨日は2スレ目のスレ立て依頼したけど、今日は朝から外出するので依頼できるかどうかわからんので
誰か自主的に3スレ目のスレ立て依頼してね?
今の勢いだと、多分午前中に1000行きそう。 >>663
あなたが証拠として
放射読みしてる中国の書物を出せばいいだけ
ないけどね これより遥かに時代が下って戦国時代末の日本に関する記述でも出鱈目なんだけどね。
魏志倭人伝なんて正確な訳がない。
話半分のまた半分ぐらいに思わないと。
出鱈目を元に幾ら緻密に推理しても出鱈目しか出てこないでしょ。 カムヤマトイワレヒコ(神武)
カムは神。井沢の説で良い。王朝の始祖と言う意味。
ヤマトは邪馬台(山門)。
イワレは謂れ。
ヒコは王。
神武は近畿がヤマトと呼ばれる謂れとなった王であり、王朝の始祖である、
と言う意味。
言い換えると、神武以前は近畿はヤマトでは無かった。 魏の年号の書かれた銅鏡が全国の遺跡から出ている以上は畿内が優勢でしょ。
九州に都を起き北関東に遠征するのは当時の地理的条件では不可能。 >>677
放射読みのソース出せないからって逆切れするな 魏志倭人伝は、
1. 伊都国基点の放射読みが正しい。>>429
2. 陸行一月は陸行一日の単なる写し間違い。>>440
放射読みで伊都国から水行十日陸行一日で御井辺りに着く。
帯方郡から伊都国まで一万五百里+アルファ
また帯方郡から邪馬台国まで一万二千余里
伊都国から太宰府近辺を通って筑紫平野の御井まで60〜70キロだからこれも合う。
また紹興市の真東(ただし魏志倭人伝で言う東は反時計回りに二十数度ズレているが)も筑紫平野。
御井は卑弥呼の墓である祇園山古墳がある。
また伊都国から水行二十日で投馬国だから、これは西都原の妻のこと。
狗奴国は邪馬台国の南だから熊本辺りで、球磨国のこと。
また御井から(魏志倭人伝の言う意味で)真南が熊本市と西都原だから方角も合う。
全部キレイに合う。
邪馬台国は御井で間違い無い。
邪馬台国はヤマト国で山門国のこと。
山門が発祥の地。
その後卑弥呼の時代に、恐らくは南の球磨国の圧迫と奴国とのバランスを取るため筑紫平野の軍事的要衝である御井へ移った。
卑弥呼の後、さらに甘木・朝倉に移り(安本美典の言う邪馬台国)、最終的には奴国と融合して太宰府に都を置き(倭京)そこで滅んだ。
邪馬台国と近畿日本は無関係な別王朝。
こういうこと。
邪馬台の王は代々アマ氏性
王の呼称はオオキミである。
天日鉾の様に近畿はアマ氏を新羅人と呼び外来勢力とするところが海運ができない近畿の別国たる所以でもある。
そもそも屯倉も近畿が付けた呼称でのちに宮家に繋がるが、屯倉とは近畿にも置かれた祭祀場の倉庫であり
古代より近畿は九州の荘園として開拓されたに過ぎない。
人口規模からしても2世紀来から国家と呼べる程の都市は存在せずあらゆる面で魏志に書かれた時代の近畿は3世紀前半僻地でしかないし、それは隋書の600年まで変わらない。 204年に、楽浪郡の南に帯方郡を設置したのち、後漢に服属し、
左将軍の官位を授けられた公孫氏は
後漢が崩壊し魏・呉・蜀の三国に分立し、互いに覇を競うようになってから
公三国一強盛にして自領と隣接する魏に臣従を装いながら
一方では呉と同盟工作を行うなど密かに独立を謀り
倭の勢力が中国本土へ朝貢する道を遮っていた
それに協力していたのが
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ
それから150年間以上、ずっと倭の国王として君臨し
大陸との交易を独占していた北九州
完全に「邪馬台国なんて新参者」が北九州の港なんか使えませんから m9(^Д^)プギャー ID:PVnYmoP+0
多分今朝レスを一番消費してるのはあなただろうから、埋まったら次スレ立て依頼くらいよろしくね。 204年に、楽浪郡の南に帯方郡を設置したのち、後漢に服属し、
左将軍の官位を授けられた公孫氏は
後漢が崩壊し魏・呉・蜀の三国に分立し、互いに覇を競うようになってから
公三国一強盛にして自領と隣接する魏に臣従を装いながら
一方では呉と同盟工作を行うなど密かに独立を謀り
倭の勢力が中国本土へ朝貢する道を遮っていた
それに協力していたのが
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ
それから150年間以上、ずっと倭の国王として君臨し
大陸との交易を独占していた北九州
完全に「邪馬台国なんて新参者」が「魏に朝貢するため」に
北九州の港なんか使えませんから m9(^Д^)プギャー 邪馬台国は瀬戸内を囲んだ九州〜近畿一帯。北九州が入り口で母屋が近畿。それで納得だろ。古代の人間の行動力をどんだけ過小評価してるんだよ。 日本の神社の殆どは渡来人を祀るもの
それが近畿から見た九州邪馬台王権の姿となる。
そもそもおかしいのは神社は寧ろ近畿説を否定するもので
天日鉾所縁の地を辿ると列島全土に波及し
これは同時に九州から混血開拓者が列島支配に波及した痕跡でもある。 歴史学者はまったく生産性が無く無能でポンコツだが権威だけは欲しがるボンクラ >>692
いいえ
邪馬台国は奈良と出雲の連合国です 当時生き残ってた連中は奈良中心の連中だったんだろ、記紀を書いたのは渡来系であり白村江以降のGHQだよ。海神国と新羅、東征と出雲を入れたんだよ。奈良からいきなり中国開発が始まったんだよ >>693
神武東征とは
素戔烏尊が奈良を出て、出雲に「葦原中国」を造って
出雲の「葦原中国」を、奈良の天照大神尊に国譲りした
そして
アマテラスによって奈良から出雲へ派遣された
スサノオの孫の「ニニギ(邇邇芸)」の
「一大卒」という地位の継承を巡って
「ニニギ(邇邇芸)」の二人の息子の海幸彦と山幸彦が大喧嘩
負けた山幸彦が出雲を追い出され、
海神国・・つまり北九州の狗奴国に亡命し
日向に高千穂の宮を建立して居住していた山幸彦一族の
第4皇子の神武が
海神国・・つまり北九州の狗奴国の軍隊と共に奈良に帰還したという話
大きなくくりで言えば
奈良から出雲に追放された(神逐)素戔烏尊の一族が
奈良に戻って初代天皇になりましたっつー話で、
天皇家は「女王」天照大神尊一族ではなく、「男王」素戔烏尊一族
まったく問題ねーです 出雲、四国、近畿は方墳と銅鐸の異文化圏
紀元前に九州から分派したガラパゴス化した古い部族であるが
大陸朝貢で混血の進んだ北九州邪馬台とはかなり文化も乖離し後に剣と馬と須恵器を使う九州勢力に融合される >>698
まだ言ってる(笑)
204年に、楽浪郡の南に帯方郡を設置したのち、後漢に服属し、
左将軍の官位を授けられた公孫氏は
後漢が崩壊し魏・呉・蜀の三国に分立し、互いに覇を競うようになってから
公三国一強盛にして自領と隣接する魏に臣従を装いながら
一方では呉と同盟工作を行うなど密かに独立を謀り
倭の勢力が中国本土へ朝貢する道を遮っていた
それに協力していたのが
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ
それから150年間以上、ずっと倭の国王として君臨し
大陸との交易を独占していた北九州
完全に「邪馬台国なんて新参者」が「魏に朝貢するため」に
北九州の港なんか使えませんから
むしろ北九州は、
「邪馬台国なんて新参者」が「魏に朝貢する」のを妨害する立場です >>696
遺伝子で科学的な結果でてるだろ。
倭人が朝鮮半島で爆発的に増えた形跡はあるが
朝鮮人が日本列島で爆発的に増えた形跡はない
日本の弥生人の遺伝子は有史前の中国からの移住者だよ
(当時は水位が低かったため朝鮮半島は通過せず中国から直接日本に渡ってきた) 204年に、楽浪郡の南に帯方郡を設置したのち、後漢に服属し、
左将軍の官位を授けられた公孫氏は
後漢が崩壊し魏・呉・蜀の三国に分立し、互いに覇を競うようになってから
公三国一強盛にして自領と隣接する魏に臣従を装いながら
一方では呉と同盟工作を行うなど密かに独立を謀り
倭の勢力が中国本土へ朝貢する道を遮っていた
それに協力していたのが
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ
それから150年間以上、ずっと倭の国王として君臨し
大陸との交易を独占していた北九州
完全に「邪馬台国なんて新参者」が「魏に朝貢するため」に、北九州の港なんか使えませんから
むしろ北九州は、後漢が崩壊し魏・呉・蜀の三国に分立しても、自分が倭の国王として君臨しつづけるために
邪馬台国なんて新参者が魏に朝貢するのを、公孫氏と協力して妨害する立場
邪馬台国が九州にあるわけがねーんだよ 238年に公孫氏の勢力の消滅後、奈良の「邪馬台国」は、
北九州の妨害を避けて
伊都国――出雲
末盧国――松江(島根県沿岸部)
一大国――隠岐島(島根半島沖にある島)
からついに「魏」に朝貢し、卑弥呼は魏から親魏倭王に任じられた
公孫氏の勢力の消滅後も、邪馬台国なんて新参者が魏に朝貢するのを妨害しつづけていた
漢委奴國王だった北九州の「狗奴国」は
そりゃあ邪馬台国を目の敵にし続けるわな 魏志倭人伝は、
1. 伊都国基点の放射読みが正しい。>>429
2. 陸行一月は陸行一日の単なる写し間違い。>>440
放射読みで伊都国から水行十日陸行一日で御井辺りに着く。
帯方郡から伊都国まで一万五百里+アルファ
また帯方郡から邪馬台国まで一万二千余里
伊都国から太宰府近辺を通って筑紫平野の御井まで60〜70キロだからこれも合う。
また紹興市の真東(ただし魏志倭人伝で言う東は反時計回りに二十数度ズレているが)も筑紫平野。
御井は卑弥呼の墓である祇園山古墳がある。
また伊都国から水行二十日で投馬国だから、これは西都原の妻のこと。
狗奴国は邪馬台国の南だから熊本辺りで、球磨国のこと。
また御井から(魏志倭人伝の言う意味で)真南が熊本市と西都原だから方角も合う。
全部キレイに合う。
邪馬台国は御井で間違い無い。
出雲が伊都国とか冗談にも程がある
そもそも3世紀以前今より気温は2度は低かった時代に列島で半裸の状態で過ごせるわけがなかろう。
近畿は全く論拠に値しない。 >>706
箸墓掘るのは同意だけどそんなもん掘らなくても
畿内説は否定証明完了済み。
畿内説は無い。否定され切った。 まぁ邪馬台国関係無く普通に大和朝廷の方で分かる事は多いだろうよ>箸塚
だからこそ逆に都合は悪いのかもしれない ┏( .-. ┏ ) ┓【朝鮮半島への侵略行為(オバQ👻で友達の輪)】
*北朝鮮の軍関係者は、脳化学よって
フジテレビ&Google&日本政府に操られてしまった
*北朝鮮から、高性能なミサイルを発射させる事によって
朝鮮半島有事へ導かれて行く
--
*現在、韓国は世界中から意味不明な理由にて
「World trigger」 に掛けられ続けている
*北朝鮮も、ミサイル発射問題にて
海外からの援助を断たれつつ「World trigger」に置かれつつある
*世界中の人類の脳思考を書き換えて
朝鮮半島全域に悪意を抱かせて、攻撃させる手法である
--
*日本+朝鮮半島となり、対一路一帯(露)構想として
弓なりの様に、弧を描いて行く手法と考えられる
(現在、馬蹄かΩ型かもしれない
ハワイまで弧を延ばすかは別である)
【オーム真理教(アレフ)が勝利する】 dg
https://mobile.twitter.com/prettypumpkin71/status/1156344198603259904/photo/1
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>706
箸墓を掘らなくても
箸墓の2分の1の大きさで作られた黒塚古墳から
難升米に授けられた黄幢が出土してるから
箸墓は卑弥呼の墓で間違いない >>706
箸墓掘るのは同意だけどそんなもん掘らなくても
畿内説は否定証明完了済み。
畿内説は無い。否定され切った。 ここまでのまとめ
1. 畿内説は完全に否定され切った。文献的にも考古学的にも可能性はない。ゼロ。
2. 九州説は、卑弥呼の墓が祇園山古墳であることまで突き止めた。九州説の深刻な欠点は、御井周辺にある邪馬台国の具体的位置を突き止められていないことだけ。
あと全て謎は解けた。少なくとも深刻な矛盾はゼロ。何も無い。
>>713
何だか分からない銅の金具出土で現実逃亡、夢想してるな。 北部九州に邪馬台国が存在出来る訳がないのにw
行程と戸数で完全に否定されてるよ。
あり得ない話をいつまでもグダグタするな、時間の無駄。 >>716
生前の卑弥呼は伊都国(糸島市東南部)に居たから
卑弥呼の墓が祇園山古墳であることすると何でそんな離れた場所に墓が造られたかが問題だな。 卑弥呼とは百襲姫の事、奈良で大物主に嫁ぐ前は瀬戸内海の女王だからね。 >>716
邪馬台国とは北部九州全域ですね
狗奴国がどの辺で境がどの辺りかが未だ分かりませんね。 纒向古墳造営基地局を王都に仕立て上げる歴史捏造プロジェクトの関係者が、毎日5chに書き込みを行っていると聞きましたが本当ですか?
霊感商法と同様に、フェイク情報による思想誘導にも何らかの法整備が必要かと思われますね。 >>705
分岐説にも問題があります、日数の行程は里数の行程を再度説明しているだけです
日数の行程も帯方郡からのものです
伊都国が重要な事は確かですが、それは伊都国で分岐するのではなく伊都国が卑弥呼の居住地だからです
7000里に20日、5000里に11日掛かったのです。 >>184
九州カルトのキチガイはマジでそう主張しそうw >>720
>何でそんな離れた場所に墓が造られたか
祇園山古墳は周辺にも殉葬者とみられる墓がたくさんある。
霊園のように墓を造る区域を定める文化が定着していたのでは? >>187
せめてちゃんと日本語覚えてから書き込めよチョン >>725
箸墓を掘って金印なりが出てくればそれで終了。
出てこなければ振り出しに戻るだけだぜ?
どうせ盗掘されてるだろうし、何も残ってない可能性のほうが高い。
祇園山古墳も結局盗掘されてて卑弥呼と確定できるものも出てこなければ、卑弥呼を否定できるものも見つからなかった。
墓を開ければ確実に何か判明するなんて夢だよ。 >>729
祇園山古墳由来の三角縁神獣鏡があるのに、祇園山古墳説は潰えたわけではない。
何が出たら違うとか断定できないよ。 >>722
中国の教材だと北部九州まとめて邪馬台国だと解釈されてる。
5月に放映されたTBSの特番でも同じような事言ってたよ。
https://youtu.be/6Z0avSjgtHo >>730
7万戸もあるのに首都とかあり得ない
当時の日本に7万戸の街的なものは無いし現実に遺跡も無い
邪馬台国とは卑弥呼を共立した北部九州地域の小国の連合体の名称です。 >>643
なるほど、そういう解釈方法があるのか。 >>731
人骨が出ればC14で古墳の築造年代を特定できるしDNAでどんな人物かも分かるな。 >>729
馬具の出土って箸墓の外部からだけどわかってる? >>735
でつまり連合国のことが邪馬台国で本国は存在しないってことか?
それは無いなぁ。奴国や伊都国は女王国の構成国だと書かれている。
それでいて行程で邪馬台国まで何日だから本国は確実にあったよ。 >>716
九州説は、根拠が大陸に近いからしか無いガキの考え >>735
それは女王の領域のことだな。
確かにそこの箇所は魏志倭人伝は記述が少しブレている。 >>733
それはただの言い伝えに過ぎない。
多分ただの間違い。 >>643
そもそもモモソが卑弥呼じゃ無いからただの与太ですなw >>724
というか後に移ったとか支配範囲とかの話じゃなくて結局魏志倭人伝にある女王国ってどこだよって事だから
そこに関してはどっちかしか無いんだよ >>742
おまえが涙ふけよ幼稚園児(笑)
ほれ、反論してみろ
204年に、楽浪郡の南に帯方郡を設置したのち、後漢に服属し、
左将軍の官位を授けられた公孫氏は
後漢が崩壊し魏・呉・蜀の三国に分立し、互いに覇を競うようになってから
公三国一強盛にして自領と隣接する魏に臣従を装いながら
一方では呉と同盟工作を行うなど密かに独立を謀り
倭の勢力が中国本土へ朝貢する道を遮っていた
それに協力していたのが
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ
それから150年間以上、ずっと倭の国王として君臨し
大陸との交易を独占していた北九州
完全に「邪馬台国なんて新参者」が「魏に朝貢するため」に、北九州の港なんか使えません >>738
周濠含めて箸墓古墳なんだけど分かってる?
編年に使った土器もそこから出土したものなんだけど分かってる? 陳寿と言えども多少の表現のブレはあるよ。
例えば女王の領域の尽きる所の二十一国の奴国は宮崎県で邪馬台国よりは南のはずだし。
こういう多少のブレはある。 >>747
涙拭けよ幼稚園児wwww
反論して見ろ幼稚園児www
↓
邪馬台国畿内説は、否定証明完了済み。
卑弥呼の居た三世紀半ばは西日本は近畿や吉備や出雲などの有力な豪族が割拠し、緩やかに連合していた時代で、どの勢力も他の勢力を軍事的に統括出来ずに居た。
これは古代日本史の完全な定説で、誰も異を唱えるものなど居ない。
しかし、邪馬台国の命令で奴国などの北部九州を軍事的に統括していた伊都国は北部九州にある。
つまり、近畿に邪馬台国があったと主張することは、近畿は自分の周辺すら軍事的に統括出来ずに居るのに、中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。
これはバカが言う説であり、もはや学問の体を成していない。
邪馬台国畿内説は立論の段階で失敗しており、学説として成立していないただのファンタジー。
はい、論破w
>>747
それお前のただの妄想じゃねーかこのキチガイ野郎 >>751
自分が反論できないことは妄想ですか(笑)さすがオコチャマm9(^Д^)プギャー 畿内説はまず、魏志倭人伝に書かれた「南」が「東」の間違いである理由を突き止めるべき。
そこを単なる想像で取り繕えば何を言っても全て想像論で終わってしまうんだから。 277 名無しさん@1周年 2019/07/30(火) 18:20:00.53 ID:EcuHZlS70
邪馬台国問題語りたければ
最低限、遼東公孫氏のことくらい知っといたほうがいいですよ >>753
奴国の金印が志賀島にあったから、確かにそれは事実だけど
その奴国が果たして魏志倭人伝の奴国と同一なのかという議論から逃げるというな >>753
逆ですね
北部九州一帯は、後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ
それから150年間以上、大陸との交易をしています
大陸の人々は、九州で商売をするために
文字を持たない倭人以上に、九州の地理、すなわち
九州の方位や距離に詳しいです
へたすれば「九州の地図」すら作っていた可能性があり
隠す必要もなく、隠せることもありません
なのになぜ、
南北朝の宋(420年 - 479年)の時代、432年以降に成立した『後漢書』
よりも古い、魏志倭人伝に書かれた方位や距離、時間が間違いであるのかの理由を突き止めるべき。
そこを単なる想像で取り繕えば何を言っても全て想像論で終わってしまうんだから 比定されない方が、みんな予算が付いて嬉しいんだからw
このままのほうが、現実的旨み有り、ロマン有り で四方丸く収まるんだしw みんな、読めてないな。
魏志倭人伝で、倭国盟主のはずの邪馬台が大乱で負け、
権力剥奪(男王禁止=女王「共立」)されてる。要するに
大陸からは見えない別の覇権国から朝貢*させられ*てる。
そこから遡れば、その前の漢代は、邪馬台が影の覇権国で、
配下の奴国に朝貢させ、朝貢権益と権威を握っていたということ。
江戸時代に、幕府や薩摩藩が朝貢(=臣下になる)せずに、
配下の琉球を清国に朝貢させてたあの手法に似ている。
邪馬台の時代は、それに加えて、列島内が統一出来てないので
漢の権威が列島でマウント取るのに重要だった訳だ。
直接大陸の臣下にならずに、しかし利権と権威付けはいただくw >>676
あれ中国に存在しない元号があるんだってな
現代でいうと“平成32年”みたいな😂 つまりだ
南北朝の宋(420年 - 479年)の時代、432年以降に成立した『後漢書』
よりも古く、
邪馬台国について(倭国じゃないよ)「一番最初に記述した」
魏志倭人伝に書かれた方位や距離、時間が間違いであること
こそが
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ
それから150年間以上、大陸との交易をして
大陸の人々は、九州で商売をするために
文字を持たない倭人以上に、九州の地理、すなわち
九州の方位や距離に詳しく
へたすれば「地図」すら作っていた可能性がある
北部九州一帯に
邪馬台国は無かったことの証拠なのだ >>752
自分が反論できないことは妄想ですか(笑)さすがオコチャマm9(^Д^)プギャー
w >>753
いやそんなもの要らない。
もう畿内説は否定証明完了済み。
>>747
涙拭けよ幼稚園児wwww
それお前のただの妄想じゃねーかこのキチガイw
反論して見ろ幼稚園児www
↓
邪馬台国畿内説は、否定証明完了済み。
卑弥呼の居た三世紀半ばは西日本は近畿や吉備や出雲などの有力な豪族が割拠し、緩やかに連合していた時代で、どの勢力も他の勢力を軍事的に統括出来ずに居た。
これは古代日本史の完全な定説で、誰も異を唱えるものなど居ない。
しかし、邪馬台国の命令で奴国などの北部九州を軍事的に統括していた伊都国は北部九州にある。
つまり、近畿に邪馬台国があったと主張することは、近畿は自分の周辺すら軍事的に統括出来ずに居るのに、中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと主張することになる。
これはバカが言う説であり、もはや学問の体を成していない。
邪馬台国畿内説は立論の段階で失敗しており、学説として成立していないただのファンタジー。
はい、論破w
もう一度言うぞ
つまりだ
南北朝の宋(420年 - 479年)の時代、432年以降に成立した『後漢書』
よりも古く、
邪馬台国について(倭国じゃないよ)「一番最初に記述した」
魏志倭人伝に書かれた方位や距離、時間が間違いであること
こそが
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ
それから150年間以上、大陸との交易をして
大陸の人々が、九州で商売をするために
へたすれば「地図」すら作っていた可能性がある
北部九州一帯に
邪馬台国は無かったことの証拠なのだ 未だに畿内説を唱える奴って劣等感の塊なんだろうな
w >>758
なに本音ゲロってんの近畿パー?
wwww >>765
だから反論しているでしょ幼稚園児 m9(^Д^)プギャー
204年に、楽浪郡の南に帯方郡を設置したのち、後漢に服属し、
左将軍の官位を授けられた公孫氏は
後漢が崩壊し魏・呉・蜀の三国に分立し、互いに覇を競うようになってから
公三国一強盛にして自領と隣接する魏に臣従を装いながら
一方では呉と同盟工作を行うなど密かに独立を謀り
倭の勢力が中国本土へ朝貢する道を遮っていた
それに協力していたのが
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ
それから150年間以上、ずっと倭の国王として君臨し
大陸との交易を独占していた北九州
完全に「邪馬台国なんて新参者」が、伊都国なんて作れません
「魏に朝貢するため」に、北九州の港なんか使えません >>753
簡単だろ、当時は地図も海を渡っての計測手段がないから。
また地球自体が球体という認識がない。
中心は自分たちのいる場所であるという
中華思想。
遠方になればなる程正確な方位を認識する
事は無理だよ。 反論はまだあるぞ
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ
それから150年間以上、大陸との交易をして
大陸の人々が、九州で商売をするために
へたすれば「地図」すら作っていた可能性がある北部九州一帯
なのに
南北朝の宋(420年 - 479年)の時代、432年以降に成立した『後漢書』
よりも古く、
邪馬台国について(倭国じゃないよ)「一番最初に記述した」
魏志倭人伝に書かれた方位や距離、時間が間違っている
このことも邪馬台国は九州には無かったことの証拠 >>755
そもそも奴国かな?
金印は委奴国だからそれは伊都国の事だと主張する人も居るからなw
伊都国(糸島付近)は斯馬国(志賀島)に連なると書いてる文献もあるし。 >>737
多分それほどの正確さで年代測定できないんでない?
土器でも問題になってるやん?
同じことが起こって有耶無耶になる予感 >>695
地形的に交通の便が悪すぎて連合してもメリットがない。海に向かう側は防衛ラインになる。 金印は志賀海神社の御神体だったとも言われているが、安曇に入り婿した磐井が「君」という地方豪族の扱いだったりであまり地位は高くないんだよね
諸県君も然り >>643
そうすると、神武は紀元前後くらいになるのか。 >>772
当時は太陽が南から昇ることもあったのか?w
古代人を舐めすぎじゃないか?w >>748
箸墓規模なら通常は完成形まで15年程かかると見られてるよ、まして周りの溝なんだからな。
それに肝心の馬の骨とかが周囲に見つかってないのと、そもそも大陸から奈良へ人が行き来してた証拠な訳だが?
硯だって文字を持たない倭人の国から出てはいけない事になるぞw
二世紀の伊勢遺跡なんて数世紀遡る煉瓦技術まで確認されてるよ。この程度の通説が覆る事なんて不思議でもなんでもない。 >>739
邪馬台国連合の中心国は女王国と記さている伊都国と奴国だよ
この伊都国と奴国までが丁度12000里になる
女王卑弥呼の居た場所は伊都国で邪馬台国の中で最大の国が奴国。 結論
邪馬台国は九州には存在できない
>>771
>>773 >>774
後漢書には倭奴国へ金印を渡し倭国王に任じたとある
倭奴国⇒委奴国⇒伊都国じゃないかな。 >>779
そりゃ大平原で見る太陽と、入りくんだ海岸線や山々の国では季節により方角迷う事なんて普通にあるよ。
まともに外歩かない奴は知らないだろうが。
奈良盆地でも冬と夏で太陽の上がる位置は驚く程違う。 たしかに大和朝廷は畿内だ
邪馬台国と大和朝廷は別物だ
カレーライスとカレーピラフも別物だ 204年に、楽浪郡の南に帯方郡を設置したのち、後漢に服属し、
左将軍の官位を授けられた公孫氏は
後漢が崩壊し魏・呉・蜀の三国に分立し、互いに覇を競うようになってから
公三国一強盛にして自領と隣接する魏に臣従を装いながら
一方では呉と同盟工作を行うなど密かに独立を謀り
倭の勢力が中国本土へ朝貢する道を遮っていた
それに協力していたのが
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ
それから150年間以上、ずっと倭の国王として君臨し
大陸との交易を独占していた北九州
完全に「邪馬台国なんて新参者」が、「魏に朝貢するため」に、
伊都国なんて作れません、北九州の港なんか使えません 後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ
それから150年間以上、大陸との交易をして
大陸の人々が、九州で商売をするために、何度も何度も渡来して
もしくは様々な地方に定住し
へたすれば「地図」すら作っていた可能性がある北部九州一帯
なのに
南北朝の宋(420年 - 479年)の時代、432年以降に成立した『後漢書』
よりも古く、
邪馬台国について(倭国じゃないよ)「一番最初に記述した」
魏志倭人伝に書かれた方位や距離、時間が間違っている
邪馬台国が九州ならあり得ません 国譲りってのは出雲系の男王が合議の末瀬戸内海連合の女王に国を譲った話だろう
神話は色々な史実が多重的に書かれたりしてるからわかりづらい >>780
馬具の歴史から見て木製の輪鐙は5世紀のもの。
周濠の堆積層から4世紀の土器と埋もれていた。
卑弥呼が248年頃死んで墓が完成したのが280年てか?
畿内説は無理なこじつけが多すぎるぞ。
言い出しっぺの白石さんが否定してるぐらい年代が合わないんだから諦めろ。
台与の時代ならまだしも。 >>788
何回も書き込んでるけど日本語として意味が分からないよ
何が言いたいの???
頭の中を整理してかいてね。 >>776
メリットも何も出雲地方と奈良盆地は共通の伝承も考古学的繋がりも多いからな。
孝霊天皇の逸話が多いのは他でもない出雲地方だよ。吉野ヶ里より遥かに巨大な妻木盤田遺跡 弥生遺跡だって、名前の由来は孝霊天皇の嫁取り逸話からだぞ。 >>791
前方後円墳自体が4世紀以降のものだろな
ゴットハンドで年代を繰り上げてる。 >>785
現代人の感覚で考えるのが間違い。
羅針盤も無い時代に船で行き来していた古代人だぞ?
現代人より遥かに方向感覚は優れていた時代だ。 >>771
だからお前のただの妄想だろがキチガイ幼稚園w ID真っ赤で長文なのは読む価値がない
うまくまとめることが出来てないからね >>799
涙拭けよまとめられてしまった近畿パーwww >>796
それならなおさら
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ
それから150年間以上、大陸との交易をして
大陸の人々が、九州で商売をするために、何度も何度も渡来して、もしくは様々な地方に定住し
へたすれば「地図」すら作っていた可能性がある北部九州一帯
なのに
南北朝の宋(420年 - 479年)の時代、432年以降に成立した『後漢書』
よりも古く、
邪馬台国について(倭国じゃないよ)「一番最初に記述した」
魏志倭人伝に書かれた方位や距離、時間が間違っている
なんてことは、邪馬台国が九州ならあり得ないよね ここまでのまとめ
1. 畿内説は完全に否定され切った。文献的にも考古学的にも可能性はない。ゼロ。
(根拠が妄想w)
2. 九州説は、卑弥呼の墓が祇園山古墳であることまで突き止めた。九州説の深刻な欠点は、御井周辺にある邪馬台国の具体的位置を突き止められていないことだけ。
あと全て謎は解けた。少なくとも深刻な矛盾はゼロ。何も無い。
>>798
763 名無しさん@1周年 2019/07/31(水) 10:34:59.65 ID:rIsDCCZ60
自分が反論できないことは妄想ですか(笑)さすがオコチャマm9(^Д^)プギャー
w 吉備や纏向の神事を見ると古代中国の影響が強い
大陸からやってきた勢力なのかもな >>803
反論できずに必死にまとめてもーーー (笑)(笑)m9(^Д^)プギャー >>791
別に全然不思議ではない、古墳なんて整備し続ける物だしそれが女王クラスなら当然。
それにあの場所は大雨になると常に水没する可能性もある場所だぞ。
濠は大して判断材料にはならないよ。
大体三世紀半ばとされたのは墳丘上の土器等だぞ、讃岐の墓との祭祀具での判断だから。 日本書紀に書いてあるツチグモが邪馬台国の末裔だよね 近畿パーの目的は、議論を誤魔化しケムに巻くこと。
だから自分が妄想こいて、「反論出来ないんですねw」
といい、他人の根拠有りの議論はただスルーがまた妄想で「反論」。
これでも連中の内部ではちゃんと筋が通っている。
www >>794
畿内説は4世紀の土器と埋もれていたから輪鐙も4世紀のものと編年した。
14Cじゃそんな狭い年代幅は特定できないのを逆手に取って都合の良い時期で発表してる。
これあからさまな捏造だよ。
4世紀の土器が5世紀に廃棄され、その中に輪鐙が混じっていた、という可能性の方が遥かに高い。
しかし、これは土器編年システムそのものを崩壊させてしまう話なので、誰も触れないんだよなw >>809
だから、妄想だなんて言わずに反論してみろよ
俺はおまえの >>765 なんて妄想に
>>787
>>788
>>789
と反論し、全否定できましたよ >>813
お前のただの妄想w
根拠を上げろまずwww
捏造じゃ無くてだぞw
(近畿パーはキチガイだから説明を求められたら捏造を求められてると受け取るからなw)
>>761
景初四年は晋書にも出てくるから、実際にあったかなかったか不明
仮に実在しなかった年号だとして、それが何か?
そもそも、偽物は本物がないと作ることもできない
九州説のやつらは大抵、一部の鏡に偽物の可能性があることを「口実にして」、すべての三角縁神獣鏡を否定する
一つでも本物があることを認めたら、九州説は終わりだからな >>807
それ100%が畿内説ありきの想像だから。
誰も検証しないし。 >>813
早く反論しろよキチガイ幼稚園児ww
>>765 >>796
実際方角間違い例が当時の中国資料に多い時点で何言っても無駄w
それに行き来してたのは倭人で海人。
倭人伝は中国の役人が伝聞をまとめた資料。
大体正確に把握してるなら地図位作成するよ。
それに当時の中国の知識層での認識は
海の東、半島より東側は神仙の住む憧れの国なんだぞ。そこは神仙の住む男王の国。
女王の国、邪馬台国があってはおかしいだろwだから南だろうとした、その程度の話。
謎でもなんでも無いんだよ。 >>813
寝言こいて無いで早く反論しろキチガイ幼稚園児w >>814
結局、反論できずに
おまえの >>765 なんて妄想は
>>787
>>788
>>789
と、論破されちゃった 狂ったように同じ書き込みを繰り返し
より声が大きいほうが勝つと思っている
まんま朝鮮人の思考だな >>816
そりゃそうだろ、邪馬台国なんてヤマトの事しかあり得ないんだからなw いつも学者ガーッと騒ぐ畿内説が学者の見解を無理矢理否定してるあたり、こいつら単なる畿内教信者だろうなw ここまでのまとめ
1. 畿内説は完全に否定され切った。文献的にも考古学的にも可能性はない。ゼロ。
2. 近畿パーの目的は、議論を誤魔化しケムに巻くこと。
だから根拠無しの妄想でもお構い無しww
3. 九州説は、卑弥呼の墓が祇園山古墳であることまで突き止めた。九州説の深刻な欠点は、御井周辺にある邪馬台国の具体的位置を突き止められていないことだけ。
あと全て謎は解けた。少なくとも深刻な矛盾はゼロ。何も無い。
日本の記年鏡は中国にない年号が出てくるんだよね。
そもそも魏の領域では年号を入れた
鏡がないし。 そもそも邪馬台国が日本の最大の国じゃなかったろうし
九州あたりの小国連合だと思うし、まだ狗奴国の方が盛況だったっしょ
狗奴国に負けてて弱いから外国頼みのために使節送っただけで、
国家統一したわけでなし地方統一さえしてなかったろう
当時の日本に文字があればなあ。多分出雲だとか、関東でも毛野だとか
そっちのがイメージ強かったろうと思う 鉄に関してはこの時代丹波などがかなり多いんだよな
投馬国は丹波ではないかという説もあるけど >>821
すげーよな
自分の >>765 なんて妄想が
>>787
>>788
>>789
と、論破されちゃったんだから
反論しなきゃならないのは ID:rIsDCCZ60 なのに
逆に反論してこいとわけのわからないこと言うのは南朝鮮丸出しだわ >>818
そういう病気がある事を先に勉強しておけw
そして病院行けw >>828
出雲か丹波で合っているよ、行程の説明でも実際の人の流れでも。 >>830
当時の中国人に文句言えよw
まあ九州説なんて結局かなり古い資料と認識で
成立してる、情弱が嵌まりやすいバカな話なんだよw 巻向周辺は確かにあの時代の都市があっただろうけど、
纒向遺跡については何でもかんでも年代を邪馬台国にあわせすぎてる。
それで信憑性薄れたところを九州に揚げ足取られてるわけだけど、
かといって九州は妄想と揚げ足取りしかできてない。 ここまでのまとめ
1. 畿内説は完全に否定され切った。文献的にも考古学的にも可能性はない。ゼロ。
例えば>>765こんなもの一発で反論出来ず大破轟沈するようなシロモノ。ただの寝言。ネタ。
2. 近畿パーの目的は、議論を誤魔化しケムに巻くこと。
だから根拠無しの妄想でもお構い無しww
3. 九州説は、卑弥呼の墓が祇園山古墳であることまで突き止めた。九州説の深刻な欠点は、御井周辺にある邪馬台国の具体的位置を突き止められていないことだけ。
あと全て謎は解けた。少なくとも深刻な矛盾はゼロ。何も無い。
弥生時代の象徴と言えば鉄文化。
鉄の出土量といえば九州が圧倒的に多い。
■魏志韓伝より
國出鐵韓?倭皆従取之,諸市買皆用鐵如中国用銭,又以供給二郡
(国には鉄が出て、韓、?、倭がみな、従ってこれを取っている。
諸の市買ではみな、中国が銭を用いるように、鉄を用いる。
また、楽浪、帯方の二郡にも供給している。)
■重要事項
・3世紀頃は鉄は市で通貨として使えるほど貴重だった。
・九州では武器や農具に鉄を使えるほど潤っていた。
・しかしこの時代の畿内からは鉄が出土していない。
↓鉄の出土状況
https://i.imgur.com/eRF3Zza.png
■推測されること
・畿内政権は鉄を取りに行っていない
・畿内政権は九州に鉄を分けてもらえなかった
・一大率は畿内への鉄の供給を行わなかった
■結論
・3世紀の北部九州と畿内の関係は希薄だった
・一大率は畿内政権とは無関係だった
・畿内は倭国ではなかった(縄文人?)
■裏付け
纏向遺跡では九州産や半島産の土器は出土していない。
もと歴博の館長もやった佐原真いわく、
「近畿圏では鉄は溶けやすいので、残っていないのだ」(開き直り) 権威はあっても力はない。そんな小国が、文字のある中国での記載に乗ったってだけで
ずっと当時の日本の代表みたいに思われてしまっている
そこにすら結局内紛して滅んだ?みたいなこと書かれているし そもそも畿内説が拠り所とする鏡が肝心の中国から出土してないってのがね
成分を分析すると確かに中国由来の鉱物らしいが、位置的には魏じゃなくて呉のあたりらしい >>832
九州説は、
九州は大陸に一番近くて渡航しやすく、大陸との行き来の歴史も長いから
邪馬台国は九州
という幼稚な考えなんだけど、現実は
九州は大陸に一番近くて渡航しやすく、大陸との行き来の歴史も長いから
邪馬台国なんて新興国は、九州には存在できないし
邪馬台国なんて新興国は、40年ぐらいしか成立しなかった
のよね >>786
いきなり大和朝廷が誕生したてことはありえないわけで・・・
その前段階の政権があったのは自然な流れだからな
それが畿内にあったか九州にあったかの問題だね >>832
お前の根拠不明な持論は世間では妄想と言うんだぞw
わかってるか?w >>832
九州説は、
九州は大陸に一番近くて渡航しやすく、大陸との行き来の歴史も長いから
邪馬台国は九州
という幼稚な考えなんだけど、現実は
九州は大陸に一番近くて渡航しやすく、大陸との行き来の歴史も長いから
邪馬台国なんて新興国は、九州には存在できないし
邪馬台国なんて新興国は、40年ぐらいしか成立しなかった
のよね
邪馬台国は民主党政権みたいなもんだ >>840
よほどの証拠がない限り畿内にあったと考えるのが合理的だろう。 祇園山古墳といえば高良の神だが、その高良とは孝霊天皇だからなw
だから一夜山を貸してくれと言われてそのまま居座った伝承がある。方墳や三角鏡があるのはその為だから。
三角鏡を祀る鏡作神社は孝霊の出生地、田原本町にある事からも証明出来るからな。
つまり祇園山周辺はヤマトからの遠征先として
確保された場所なんだよw 3世紀半ば頃の古墳て列島には結構いろいろな場所に存在する。
けれどそれが国家になったとまで言えるような継続性は近畿を覗いてない。 >>841
大丈夫、10年後には普通の認識になってるよ。
俺は元々三角鏡は国内説だし水銀朱と神仙思想が畿内説の決め手になると依然からいい続けいたが、
最近の畿内説で主流になって来てるだろ? ここに違いないって畿内も九州も言い張るから
それでも平行線だから決定的に証拠が足らないんだよね
日本の文字史料の少なさがかなしいわ 邪馬台国がヤマト王権の前進である場合は邪馬台国は近畿に存在した可能性が高いわけだし、
そうでなく九州その他にあった場合は、支那の文献に偶然載ったあと滅びたんでしょう。
だから、邪馬台国の所在地はどっちでもいいという気はする。
ヤマト王権が近畿に誕生したこと自体は事実で疑いがないのだから。 >>835の状況も踏まえて、こういう事が言える。
後漢時代に100国あった倭国は倭国大乱で分裂し、魏の時代に交流があったのは30国となってしまった。
その30国が卑弥呼を共立した九州邪馬台国連合であり、その他70国が狗奴国連合となった。
卑弥呼の死後は狗奴国で統一されたと。 >>774
>>784
漢委奴国王金印がイトコク倭奴国(糸島)だとすると
畿内派が奴国が貿易の窓口だったとする希望が無くなってしまうぞ >>850
だから学者的にはどこにあろうと結局どうでもいいってことだそうだ
どっちかにあることで何もパラダイムシフトがあるわけでもなく
とはいえそのあとに「まあ畿内(九州)にあるんだけどね」と一言付け加えるわけだがw >>852
漢委奴国王の金印に関係なく、
博多に貿易拠点があったことは考古学的に確実なんだよ
その博多が奴国かどうかも関係ない 邪馬台国は筑紫平野
卑弥呼の塚は久留米御井の祇園山古墳
反論はないであろう 1万二千里=水行10日陸行1月
水行は一日航海千里の規定を適用
反論はないであろう 倭国の王は、倭国の選挙で決まるわけではなく、
中国に行って、中国の皇帝から「おまえが王」って言われたもん勝ちだったわけで
むしろ北九州の漢委奴國王は、後漢が崩壊し魏・呉・蜀の三国に分立しても、自分が倭の国王として君臨しつづけるために
邪馬台国なんて新参者が中国の皇帝に朝貢するのを、公孫氏と協力して妨害していたんだ
でも、238年に帯方郡から公孫氏の勢力が消滅後、対馬まで行けばなんとかなるようになった間隙を突くように
奈良の邪馬台国は出雲から対馬に渡って「魏」に朝貢し、卑弥呼は魏から親魏倭王に任じられたんだ
でも、倭の最大勢力は
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ
それから150年間以上、ずっと倭の国王として君臨し
大陸との交易を独占していた北九州
奈良の邪馬台国は、たかだか40年ぐらいで、あっという間に北九州にのっとられて大和政権になっちゃって、消滅してしまった
まさに民主党政権だね 邪馬台国は九州王朝の始まり
巻向政権は畿内王朝の始まり >>862
邪馬台国の東遷ということか
狗奴国の東遷といっていいだろう >>784
後漢書をきちんと読むことを勧める
・倭には百余の国がある
・倭の西北の端に狗邪韓國がある
・倭の南の端に倭奴國がある
・光武は倭奴國に印綬を贈った >>861
人の骨を調べてみると、男女の違いや年令、身長、さらには体つきや顔つき、栄養状態までわかるものもあります。
吉野ヶ里のお墓から見つかっている人骨はおよそ300体ありますが、その特徴を調べてみると、身長が高く、顔は面長で鼻が低いなど中国大陸から渡ってきた「渡来系」と呼ばれる人々と共通しているところがたくさんあることが分かります。
特に身長については同じ時代の関東や南九州で見つかる人骨と比べてみると、平均で10p位高いようです。
もともとこの地に住んでいた人々と大陸から渡ってきた人々とが一緒になり、次第に混血が進んでいったものと考えられます。
http://www.yoshinogari.jp/contents/c3/c503.html
吉野ヶ里が女王国ならば「そこまでの方位や距離や行程」を、間違えるわけがありません >>855
それはオケ。
>>858
それは間違い。正解は>>440 >>848
涙拭けよ否定証明完了済みの近畿パーww >>860
それも、多分違うと思う。
徐福伝説は多分狗奴国(球磨国)。 畿内説の問題は、神武東征後のヤマト王権では、政治と宗教の分離が始まり、
豪華な宗教施設が、首都から離れた場所に建設されたって事なんだよね
纏向遺跡は豪華な神殿だが、ヤマトの行政とは分離されていた
(ジンムは高天原の出身だから、ヤマトの土着宗教に冷淡だった)
九州説の問題は、九州の穀物生産の乏しさ 戦る気があっても兵糧が無い
統一国家が誕生しなかった九州からジンムら天皇家が誕生したのは、
既に経済大国だったヤマトに、ジンムら軍閥が政治的に婿入りしたのでしょう
広域行政が確立するとともに政府が世俗化し、土着勢力が冷や飯を食った時代を考えれば、
ヤマトの周辺国で何が起きたか、普通にわかると思いますよ
交通の要衝に国分寺を建設するブームは、既に始まっていたということ >>868
邪馬台国を作ったのは徐福集団である、甕棺墓はその証
徐福を語らない連中は歴史捏造者である! >>864
狗奴国の東遷の旗頭が
奈良の邪馬台国から出雲に神逐されたスサノオの子孫の神武
だったわけ 決定的な遺構がないからな。
100年ぐらい後に決定打になるように「ようこそ邪馬台国へ 卑弥呼🖤」の看板でも細工して埋めておけ。 >>867
倭は朝鮮半島南部から北部九州地域にかけてあり
北部九州の倭奴國が南の端だったんだな。 >>872
春秋時代の呉は滅亡の際熊本の菊池に移住した、菊池一族である
八代にあるオレオレデライタの言い伝えは呉人の渡来 >>875
なおさら
邪馬台国までの「方位や距離や行程」を、間違えるわけが無いですね >>875
多分ウソ。
近畿日本が邪馬台国を騙ったように、奴国が狗奴国の徐福伝説を騙った。
多分そんなこと。 >>864
九州の狗奴国の東遷の旗頭が
奈良の邪馬台国から出雲に神逐されたスサノオの子孫の神武
だったわけ
日向の高千穂の宮から奈良に東征したのは「神武」
神武の父ちゃんは「ウガヤフキアエズ」
宮崎県日南市の鵜戸神宮で産まれ、鹿児島県鹿屋市の吾平山上陵に墓がある
ウガヤフキアエズの父ちゃんは「山幸彦」
海幸彦に出雲を追い出されて、海神国・・つまり北九州の狗奴国に亡命し
日向に高千穂の宮を建立して居住していた
ここまでが日向三代
山幸彦の父ちゃんは「ニニギ(邇邇芸)」
大国主がアマテラスに国譲りした後に、奈良から出雲に一大卒として派遣された
倭人伝では「伊都国(出雲)」の長官「爾支(にき)」として登場する
ニニギ(邇邇芸)の父ちゃんは「アメノオシホミミ」
スサノオが奈良にいたときに産まれた長男で、スサノオが奈良を追い出された後、アマテラスがひきとって自分の子にし、
出雲の大国主が兄弟の八十神からの迫害を逃れるために訪れた「木の国」(紀伊 和歌山県北部)を治めている
倭人伝では「投馬国」の長官「彌彌(ミミ)」として登場する
アメノオシホミミの父ちゃんは「スサノオ」で
奈良を追い出されて出雲にやってきて、巨大な怪物八俣遠呂智への生贄にされそうになっていた美しい少女櫛名田比売命と結婚し、出雲の根之堅洲国にある須賀(すが)の地(中国・山陰地方にある島根県雲南市)で暮らしていた
「神武」は、産まれも育ちも九州で奈良では無いが、奈良のアマテラスと出雲のスサノオの直系 >>876
奈良の銅鐸民族は西出雲からやってきた
徐福の秦氏一族と折り合いが悪かったのが原因だそうだ 日本の歴史は騙りの歴史。
騙りの歴史が騙りで無い歴史と言うややこしい話し。
ウソが連綿と続いた歴史なら、果たしてそれはウソなのか本当なのか?
こんなこと。 >>876
ヤマトより先進国だった、イズモの動きも重要ですよね
ヤマトとは、一言でいえば田舎の金持ち国家だったのですw
瀬戸内海は海賊だらけで交易不可能だし、誰もヤマトが大国だなんて思っていなかったんだけど、
九州のタカマガハラでいつもの内戦があり、ジンムとかいうガキが兵隊を連れて亡命したんだけど、
そいつら、大和に婿入りして、金にあかせて暴れまわるようになったんだ;
そして瀬戸内海を平らげると、イズモどころか朝鮮南部まで征服しちまった >>881
嘘ではない
佐賀の樹齢2200年のビャクシンは徐福が植樹した 自分の邪馬台国の学説に都合がよかったので、東日流外三郡誌を擁護していた元先生がいたなーと >>880
1万二千里=水行10日陸行1月
1月は倭暦では2倍暦なので実質半月 >>886
奈良でアマテラスが高天原を建国して、その後、降臨した「天孫」は
奈良に居続けた邇芸速日命(にぎはやひのみこと)系統の【奈良天孫】
出雲にとどまった火照命(海幸彦)系統の【出雲天孫】
「漢委奴国王」の金印を持つ九州の狗奴国(海神の国)に亡命した火遠理命(山幸彦)系統の【九州狗奴国(海神の国)日向天孫】
の【天孫3系】があって、
神武は【九州狗奴国(海神の国)日向天孫】系統 帯方郡から末蘆国まで里程は1万里
行程は水行10日、水行は一日航海千里の規定による推定 結局のところ、まっとうな答えは半島南部説だな。
帯方郡から水行陸行すれば候補地は半島内に限られる。
そして卑弥呼が統治した北部九州一円が女王国。
その南に狗奴国。
あとは倭種の国。 自国の外に穀倉地帯をもち、広域経済を完成させた最初の国がヤマト
美濃や尾張については、まだ三輪山信仰で求心力を保てたが、
タカマガハラの暴れん坊、ジンムがヤマトの王座につくと、地域信仰じゃ役に立たない
それで纏向のような、常設の豪華な神殿が建てられるようになった
これはジンムたちが信心深かったのではなく、
あくまでもドライに、信仰を政治利用し始めたということだよ
だからヤマトの宗教施設は、未開の辺境を統治する道具であり、
占領地に巨大な神殿を建てるのが、ヤマトの常道となってゆく(出雲大社など)
だもんで、邪馬台国というのが大和の出先宗教機関だった可能性に、留意しないといけない
邪馬台国が琵琶湖だろうと阿波だろうと出雲だろうと、そして大宰府だろうと、
世俗化したヤマト政府の出先機関という性質なら、どこでも同じ意味になってしまう 天孫は宮崎の高千穂と一般的にいわれているが
畿内王朝は天孫族の東征である 公平に論じてる書籍無いの?
個人の与太話みたいな本ばかりに見えて >>893
本当に統治していたのか? という疑問も忘れずに
邪馬台国の実態が、
ヤマトの出先機関として全国に配置された『宗教機関』でしかなかったかも?
この辺は、田舎の行政は宗教と一致していたから、邪馬台国こそが政府でもあったから、たいへんに曖昧である 天神族は徐福の秦氏一族
天孫族は三国志時代の孫一族 紀元前210年頃江南から徐福集団が九州にやって来た天神の始まりである
280年呉の滅亡の際2万の大軍が九州にやって来た天孫の始まりである >>898 何が公平か? って問題さね
古事記日本書紀の原型となる神話を編集したヤマト王権にとっては、
後世の反乱のタネになるような事績を消すのが正しかった
神道による集権国家を目指した日本政府にとっては、
神武天皇が1000やそこらの難民を引き連れた悪ガキでは困った
いろんな立場があって、そこに公平公正がある 俺の投稿をよーーく読むといい
歴史の基本を書いている >>899
政府機関を伊都国に置き、宗教国家としての本部が邪馬台国、というのは俺が畿内説だった頃の説。 >>897
奈良でアマテラスが高天原を建国して、その後、降臨した「天孫」は
奈良に居続けた邇芸速日命(にぎはやひのみこと)系統の【奈良天孫】
出雲にとどまった火照命(海幸彦)系統の【出雲天孫】
九州の「漢委奴国王」の金印を持つ狗奴国(海神の国)に亡命し、狗奴国(海神の国)の王になった火遠理命(山幸彦)系統の【九州狗奴国(海神の国)日向天孫】
の【天孫3系】があって、
東征したのは
【九州狗奴国(海神の国)日向天孫】の末裔の
狗奴国(海神の国)の国王であるウガヤフキアエズの
第4皇子の「神武」と
九州狗奴国(海神の国)の軍隊 >>898
邪馬台国論争では学者と称する人の方が与太話しかしないからな。 何を持って邪馬台国とするかの議論がまるでないからな
ゴールがない状態
日本に考古学は存在しない。ゴットハンドが通用して当たり前のレベル >>893
半島南部に在ったのは投馬国
邪馬台国は北部九州地域
女王卑弥呼は伊都国におり、女王国とは伊都国と奴国のこと。 考古学者の諸君はぜひ俺の投稿に反論してくれ
無理だろうが みな自説のは述べるのはいいけど、ちゃんと根拠示して言わないとただのアホとしか思わんよ。 投馬国は帯方郡から水行20日、里程換算で2万里
宮崎の西都である 近代的wな広域国家となったヤマトは、首都から宗教勢力を追い出し、
豪華な常設神殿の纏向を建造した
つまり、建物だけ派手になって、巫女どもを首都から追い出したんだね
それでも、未開の地方へ行けば行くほど巫女たちは神様扱いだし、ヤマトの政治的庇護もあった
だから、地方の神殿建設がバブルになったんだと思うよ
これが一巡した後、今度は宗教機関に行政能力を持たせたのが、国分寺の建設ラッシュだね 里程の出発点は帯方郡
行程の出発点も帯方郡
あたりまえである >>908
仙人を見つけられなかったので別物やろ?w >>892
いやたしか邪馬台国から4000里離れた黒歯国とかで水行1年もかかるとか
書いてあったから1ヶ月→千里くらいだろう。
実際それだけの日数があったかは別として魏史の中では
そう表現してるのではないか。 箸墓古墳は大物主の塚でありモモソ姫は殉葬された
三輪山伝承より >>913
誰かが『正しい説』を言ってくれる、などと甘えない方がいい
いろんな情報、いろんな解釈があって、
それらを縦糸横糸にして、自分なりの解釈をすればいい
宗教だけじゃなく、経済や軍事の視点も必要だよ 特に輸送は大切だ
特に大和王権を理解するには、世俗政権と信仰の『キワ』を理解する必要がある
だから現代のトルコやイランの政治を理解する必要もあるよ 歴史って深い >>911
対馬海峡を渡るのに水行と表現するだろうか? つまり、神武東征とは
スサノオが奈良を出て、出雲に「葦原中国」を造って
出雲の「葦原中国」を、奈良のアマテラスに国譲りした
そして
アマテラスによって奈良から出雲へ派遣されたスサノオの孫の「ニニギ(邇邇芸)」の
「一大卒」という地位の継承を巡って「ニニギ(邇邇芸)」の二人の息子の海幸彦と山幸彦が大喧嘩
負けた山幸彦が出雲を追い出され、海神国・・つまり北九州の狗奴国に亡命し
海神国の王の娘と結婚して海神国の王になり日向に高千穂の宮を建立して居住していた
その海神国王の山幸彦の息子の「ウガヤフキアエズ」が、海神国王の座を引き継いで
その海神国王「ウガヤフキアエズ」の第4皇子の神武が、自分が王になれる国を求めて
海神国・・つまり北九州の狗奴国の軍隊と共に奈良に帰還した
という話なんだよ
大きなくくりで言えば
奈良から出雲に追放された(神逐)素戔烏尊の一族が
奈良に戻って初代天皇になりました
っつー話 >>918
水行1年は、水行12日⇒水行12月⇒水行1年で水行12日だろうな
距離で4000里、時間で水行12日かかる。 >>917
徐福はイザナギだと思っている
徐福の最後は富士古代王朝 >>919 そこが誤解かも?
神武東征によってヤマトが広域国家となり、世俗化した
世俗化における政治的な妥協として、首都の外に豪華な宗教施設が建てられた
こう解釈すれば、邪馬台国の方が大和王権より後なんだよ 大雑把に太平洋側の九州、四国勢力が狗奴国だよ、元は熊本辺り。
女王国が瀬戸内海周辺で邪馬台国はヤマトで畿内。
三世紀の状況はこんなもんだよ。 >>916
日本人だと南視点で考えてしまうが、あちらの史書なんだから基本的に北視点だよな。 邪馬台国が畿内にあったとしても、晋の調査員が日本のことを調べると考えれば
最初に上陸して調べた地域は地理的に九州と考えるのが
自然だから、その後、調査員は畿内まで案内されたてことになるよな
それを考えると九州も邪馬台国の支配地域の一部て考えると
邪馬台国はとても大きな国だったになるね >>922
対馬海峡を渡るんだから水行だろ?
何がおかしい? >>924
対岸が見えなければ測量できない
ゆえに便宜上水行一日は千里としている 各地の伝承をみても二世紀頃の倭王が孝霊、卑弥呼が娘の百襲だろう。百襲の逸話は台与を含む可能性はある。
崇神天皇は狗奴国系だな、その祖先が神武になるから初代にしてある。 >.928
帯方郡の南は九州である(あたりまえだが >>926
西日本全体に及ぶ広域国家は8世紀以後だろ
関西では文字も普及してなかったようだしな
古墳時代に北部九州地域や朝鮮半島南部から倭人が日本列島全体に拡散したってことみたいだしな。 ヤマトとヤマタイ
音が似ていることが全てを物語っている >>932
戦乱で領土範囲が変わったりもあるかも知れないからな。その辺は推測でしかない。
だがクニは狗奴国が由来だろう。
それなら卑弥呼が冷遇される理由も判る。 963
ヤマトとその台でかかとを捕ってるヤコブがヤマタイ扱いなんだな つまり、神武東征とは
スサノオが奈良を出て、出雲に「葦原中国」を造って
スサノオの娘婿の大国主が、出雲の「葦原中国」を奈良のアマテラスに国譲りした
そして
アマテラスによって奈良から出雲へ派遣されたスサノオの孫の「ニニギ(邇邇芸)」の
「一大卒」という地位の継承を巡って「ニニギ(邇邇芸)」の二人の息子の海幸彦と山幸彦が大喧嘩
負けた山幸彦が出雲を追い出され、海神国・・つまり北九州の狗奴国に亡命し
北九州の狗奴国王の娘と結婚して、狗奴国の第31代目の国王になり、日向に高千穂の宮を建立して居住していた
その狗奴国の第31代目の国王の山幸彦の息子の「ウガヤフキアエズ」が国王の座を引き継いで狗奴国の第32代目の王になり
その狗奴国の第32代目の国王「ウガヤフキアエズ」の第4皇子の神武が、自分が王になれる国を求めて
海神国・・つまり北九州の狗奴国の軍隊と共に奈良に帰還した
という話なんだよ
大きなくくりで言えば
奈良から出雲に追放された(神逐)素戔烏尊の一族が
奈良に戻って初代天皇になりました
っつー話 嘘つきの畿内厨、ネトウヨ、ネトサポは徹底的に叩き潰す 九州には大陸へ朝貢する小国がいっぱいあったが、
穀物生産が少なく、大軍を動かせる覇権国家が成立しなかった
西日本の覇権は畿内のヤマトが制したのだが、
行政が広域化し世俗化した結果、政府の宗教部門は地方へ移されてゆく
ヤマタイが国じゃなく、ヤマト政府の一部門だった可能性を排除しちゃいけないよ
その場所が九州であっても矛盾しないし、宗教センターは複数あっていい 畿内政権は狗奴国の一部だったんだろう。
後漢時代に倭国100国が倭国大乱で卑弥呼女王を共立した北部九州邪馬台国連合30国と、
男王を立てた狗奴国連合70国とに分裂した。
この時代の九州南部はまだ狗奴国に加盟していなかった。(四国まで)
だから後漢書には東の海の先に狗奴国と記述されている。
魏の時代に入ると九州南部まで狗奴国が遠征してきた。
やがて北部九州の邪馬台国も吸収され、卑弥呼は死んだ。
狗奴国に加盟した熊本の巫女「台与」を女王に立て平和が訪れた。
倭国100国は統一国家を目指し、台与は男王に王座を譲った。 あー徐福が途中から天皇家を名乗ってる可能性はあるのか >>930
魏志倭人伝では渡海で統一されている。
水行は沿岸に沿って船で移動する事を意味する。 あの当時近畿はクソ田舎
シナの皇帝がそんなとこに倭王の称号を与える訳がない 北朝は九州王朝系(宇佐神宮
南朝は畿内王朝系(伊勢神宮
中丸薫が卑弥呼の流れが北朝といっていた(ふーーーーーーむ 日本の歴史は騙りの歴史。
多分、邪馬台国の神話のアメノミナカヌシだのタカミムスビだのは奴国の王を神格化したもの。
そして、徐福伝説は多分狗奴国のもの。
近畿日本が九州邪馬台国を騙り、
邪馬台国が奴国を騙り、
奴国が狗奴国を騙り、、、
これが日本の歴史。
騙りの歴史が騙りで無い歴史。
これが邪馬台国論争が紛糾する本当の理由。
ウソをつき続けた歴史が、ウソ偽りの無い日本の歴史。
こういうこと。
九州王朝系、、、、、卑弥呼、道鏡、足利、明智光秀
卑弥呼を除いて畿内王朝からは逆賊扱いをされている 邪馬台国の場所議論で熱くなる声のデカい奴は
真実を知りたい人じゃなくて自分の利益を押し通したい人ばっかだからなぁ… 九州邪馬台国は結局は近畿日本に事実上禅譲したんだと思う。
それは、そもそも自分らが歴史を盗んで来たんだから
盗まれてもしょーがねー的感覚が何処かにあったのだろう。 >>946
九州は、綿津見大神(豊玉彦)の「海神の国」
出雲は、素戔烏尊の「葦原中国」
奈良は、天照大神尊の「大和(邪馬台)国」 オラの地元が邪馬台国のあった場所と言いたい人って何か誇らしいのか? そもそも魏志倭人伝ですら約40年後の人が書いてるわけで・・・
今で例えるなら、今の人が1970年代のことを書いても
どこまで信頼出来るものだろうか・・・ 始皇帝=秦=ヤマタイ=ヤコブ
徐福=ヨセフ=?
安期生=?? >>960
海神の国というのは越のこと
葦原中国、中原というのは筑紫平野のこと
奈良の大和政権は三国志時代の呉の復興
基本である!!! >>965
べつに他の神話扱いでも大丈夫やけどもなー?w
ようわ 順番に飛んできたんやろ?w 強い女と遠くへ飛ぶ女のペア扱いなんやな?w いうまでもなく秦氏の名の由来は秦の始皇帝からきている >>946
九州は、豊玉彦の「海神の国」
出雲は、素戔烏尊の「葦原中国」
奈良は、天照大神尊の「大和(邪馬台)国」
素戔烏尊は伊弉諾尊から、九州は豊玉彦の「海神の国」を継げと言われたがそれを断ったため、伊弉諾尊から勘当されて
奈良は天照大神尊の「大和(邪馬台)国」に立ち寄って、そこも追い出されて
出雲は素戔烏尊の「葦原中国」を造った >>948
水行は3回しか使われてないんだから
そんな事は分からないよw 狗奴国はひょっとすると東海地方の久努国との争いではないかという説もある
ここは物部系なので、瀬戸内海系の女王共立を認めなかったのかもしれない >>968
初めの主、天御中主(あめのみなかぬし)から
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が生まれ
伊弉諾尊からまず
天彦尊(あまつひこのみこと)綿津見大神(豊玉彦)が生まれた
天彦尊(あまつひこのみこと)綿津見大神(豊玉彦)が統べていたのが九州の海神国、つまり九州の筑紫城
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」の印をもらったのが
この、九州の綿津見大神(豊玉彦)の国
日本の記紀の基本だぞ朝鮮人 >>977
吉野ヶ里にいってみるといい、確信するだろう まず、記紀は藤原不比等が自分の権力基盤を強化するために作ったものであるということは頭に入れて置こうな。 卑弥呼て占い師のおばさんは権力て実際あったんだろうか?
真の権力者に言わされてただけてこともあるよな >>979
ネトウヨ君、トンスルでも飲んで落ち着き給え
俺の投稿をよーーーーく読むといい
歴史の基本を書いている >>939
いや、百襲姫は間違いなく卑弥呼を念頭にした存在だよ。 >>979
つづき
その後
天照大神尊(あまてらすおおみかみのみこと)
素戔烏尊(すさのおのみこと)
月読命(つくよみのみこと)
が生まれて
素戔烏尊は伊弉諾尊から、九州の豊玉彦の「海神の国」を継げと言われたがそれを断ったため、伊弉諾尊から勘当されて
奈良の天照大神尊の「大和(邪馬台)国」に立ち寄って、そこも追い出されて
出雲に素戔烏尊の「葦原中国」を造った >>980
武埴安彦の乱という説もあるので、どれも仮説に過ぎないけどね >>984
日本の記紀をちゃんと読めよ朝鮮人 m9(^Д^)プギャー >>981
その吉野ヶ里の復元に関わったけどねw
俺は畿内説だぞ。 文献あっての邪馬台国探究だからな。
翰苑(第30巻のみ大宰府天満宮に残る:唐の張楚金の編纂)
が引用している「廣志」に、邪馬台国の場所が記されている。
https://i.imgur.com/aoXGq7Z.png
邪は伊都に届き、傍らは斯馬國に連なる。
廣志曰く、倭国東南陸行五百里、到る伊都国。
又南、至る邪馬嘉(臺)国。
※伊都国:福岡県糸島市,福岡市西区あたりと言われている >>985
日本書紀では神功皇后を卑弥呼だとおもわせている 「明史日本伝」
日本は古来より王がおり、臣下では関白という者が最も尊いとされ
山城州の頭目、信長がこれになっていた。
ある日信長が猟に出ると木の下で眠る者がおり、跳ね起きて衝突しそうになった。
何者かと問い詰めると、名を平秀吉と言い薩摩州の奴隷で、雄健ですばしっこく口が上手かった。
信長はこれを悦び、馬の管理をさせ、「木下人」と名づけた。
後に重用され、信長のために策を尽くし、二十余州を切り取り、摂津州鎮守大将となった。
参謀に阿奇支なる者がおり、罪を得て、信長は秀吉にこれを討たせた。
にわかに信長は部下明智に殺される所となり秀吉は阿奇支をまさに滅した時に変を聞き
部将行長らと共に勝ちに乗じて兵を還し、明智を誅したので威名は益々振るった。
信長の三子を廃し、関白を僭称し、信長の衆をことごとく収めたのが万暦十四年である。
この記述から本能寺の変を解き明かせと言ってるようなもの、不毛の議論。 >>989
軍事的な理由で地理情報を隠したなら先ずそこを誤魔化してるだろな >>991
おやおや関係者でしたかw歴博かな?
まず徐福について語るといいでしょう このスレッドは1000を超えました。
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