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【福岡】伊都国と奴国テーマに論議、邪馬台国の謎に迫る 飯塚で古代史講座 「伊都国の平原遺跡の被葬者が卑弥呼ではないか」
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0001樽悶 ★
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2019/08/05(月) 23:30:20.66ID:/gAVnMcC9
伊都国や奴国がどんな国だったか討論する高島忠平氏(左から2人目)ら
https://www.nishinippon.co.jp/uploads/image/192565/large_IP190803JAA010821000.jpg

 考古学者の高島忠平氏が監修する古代史連続講座「古代から未来のトビラを拓(ひら)く〜遠賀川の古代文化と邪馬台国」の第2回講演会が3日、飯塚市のイイヅカコミュニティセンターであった。中国の史書「魏志倭人伝」に記述がある北部九州のクニ「伊都国」と「奴国」に関する近年の研究について2人の研究者が講演し、邪馬台国の謎に迫るヒントを探った。

 伊都国について糸島市教育委員会文化課の岡部裕俊課長は、北部九州の軍事掌握や、中国に発送する文書検閲などを担った「一大率」が所在していたという説を紹介。遺跡から中国製の土器や貨幣が出てきたことから、大陸と直接交易をしていた可能性があり「政治的な重要地点だった」と指摘した。

 福岡市埋蔵文化財課の常松幹雄主任文化財主事が、福岡平野を中心とした奴国について紹介。「漢委奴国王」と刻まれた金印が作られたのは57年で、魏志倭人伝に登場する奴国は3世紀ごろだとみられる。2世紀ほどの隔たりがあることから、魏志倭人伝に記された奴国の首長が金印を下賜されたとする解釈は「ふに落ちない」と強調した。

 講演後、2人と高島氏が公開討論。伊都国の平原遺跡の被葬者が卑弥呼ではないかとする高島氏の説に対し、岡部氏は「祭祀(さいし)に関わった特殊な力を持った女性を想定する」、常松氏は「被葬者が男性とする根拠はなく、女性と考える」と応じた。

西日本新聞 2019/8/4 6:00
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/532555/
0002名無しさん@1周年
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2019/08/05(月) 23:38:46.88ID:A4DWnBP90
このスレは伸びる
0004名無しさん@1周年
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2019/08/05(月) 23:44:57.04ID:JsFO0vUV0
九大の新キャンパスが古代都市として甦る超展開に期待
0005名無しさん@1周年
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2019/08/05(月) 23:46:17.30ID:l/Xja/eb0
言った者勝ち
0007名無しさん@1周年
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2019/08/05(月) 23:47:49.81ID:CEVH3zue0
邪馬台国は纒向遺跡でほぼ決着じゃねーの?
今更九州はないわ。
0008名無しさん@1周年
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2019/08/05(月) 23:50:20.83ID:++Ao4HXi0
飯塚といえば、幸三
0009名無しさん@1周年
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2019/08/05(月) 23:52:00.78ID:DcqEyGvQ0
邪馬大国は大宰府でいいよね。政庁跡も地層が複数層あり、水城も想定より地層が複数で古いんだよね。 現在の水城の反対側の小郡あたりにも水城跡があるんだよね。中央政庁の地方の出張所の割にはそれ以上の物が中央から発見されないよね。
0010名無しさん@1周年
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2019/08/05(月) 23:52:31.68ID:pS2sHVpF0
日数と距離から換算して南海の孤島にあったよ
ララ・クロフトも行ってたし間違いないよ
0012名無しさん@1周年
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2019/08/05(月) 23:56:10.07ID:3AJ35il50
伊都国 → 伊都国
奴国 → 奴国
これらは伊都国であり奴国なので邪馬台国にはなりません
0013名無しさん@1周年
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2019/08/05(月) 23:58:44.76ID:lls3+0BP0
こいつらいつも講演してるな
0014名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 00:00:00.70ID:GGY01BW80
伊都国には2回別々の使者が来てる
すり合わせて中国の史記に間違いがあるとは考えにくいし
直ぐ隣で水行陸行1ヶ月もかからない
みんな大好き魏志倭人伝により
伊都国(糸島市)と奴国(福岡市)は邪馬台国ではない
0015名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 00:00:58.28ID:R7+6mUC20
だけど、大宰府は日本の政庁ではなかったかもしれないよね。なかったことにしたほうがいいかもね。
0016名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 00:04:07.08ID:uV0KQdnV0
元々九州王朝と大和王朝が別物ってのには同意するけどね。
筑紫国造磐井はそもそも大和じゃない。
0017名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 00:04:32.29ID:CK4c/EvL0
博多に一大卒、遠賀川流域一帯が奴国かな
0018名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 00:10:02.06ID:GGY01BW80
魏志倭人伝
>伊都国に到る。(略)世、王有り。
伊都国には代々王あったよ

新唐書日本伝
>其王姓阿毎氏、自言初主號天御中主、
>至彦瀲、凡三十二世、皆以「尊」為號
>居筑紫城。
>彦瀲子神武立、更以「天皇」為號、
>徙治大和州。

其の王、姓は「阿毎」氏、自ら言うところの初主は「天御中主」と号し、
「彦瀲」に至るおよそ三十二世、みな「尊」を以て号と為す。
筑紫城に居れり。
彦瀲の子・神武立ちて、更に「天皇」を以て号と為す。
大和州に徙(うつ)り治む。

筑紫城の王
初代 天御中主 筑紫城
?代 金印もらった漢委奴国王 筑紫城 ←
32代 彦瀲 筑紫城 神武パパ
33代 神武 大和州 初代天皇

これは遣唐使が唐に倭国の成り立ちを説明したものと考えられる
7世紀中ごろの倭人は自らの歴史をそう考えていた
0019名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 00:12:32.10ID:ykZRzVP80
山ト国=ヤマト国=邪馬台国
山国川流域が邪馬台国で女王の都は東側に海
つまり宇佐
0020名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 00:14:19.51ID:5cXA0Kop0
孫権が目指した亶州は九州の王朝だという話があるけどどうだろう?
0021名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 00:17:33.91ID:GGY01BW80
当時の中国人が考えてた東側の海の地図
 ○
○ 対馬

  ○壱岐

     ○奴国(倭国の極南の界 後漢書)



   ○○
   ○○亶州(ときどき漂流者がたどり着く 呉書)



   ○○
   ○○
   ○○
   ○○夷州(衛温と諸葛直が数千人連れ帰る 呉書)
0022名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 00:17:39.94ID:AceavmH50
ここから出た鏡の多くが二世紀末から三世紀始めの中国鏡と分かってからは
畿内説の研究者ですら邪馬台国は畿内のままにして
この遺跡が卑弥呼の墓だとかいい始めてる。
0023名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 00:18:27.68ID:W3CR24tf0
>>1

> 常松氏は「被葬者が男性とする根拠はなく、女性と考える」

こいつらのぶっ飛び感覚が酷すぎる
被葬者が男性とする根拠がなければ女性なんだってさw

頭おかC
0024名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 00:22:39.48ID:mPA62gi10
鏡とか古墳とか物質的なモノが出土する時点で、歴史が浅いんだよ。
ほんまもんは、全く何もない地域に存在した、と考えられる。
0025名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 00:26:21.22ID:GGY01BW80
遣唐使は魏志倭人伝の時代から
ずっと中国は東の海について勘違いしていたことを説明する

新唐書日本伝 冒頭から途中まで
>日本、古倭奴也。
>去京師萬四千里、直新羅東南、在海中、島而居、
>東西五月行、南北三月行。
>國無城郛、聯木為柵落、以草茨屋。
>左右小島五十餘、皆自名國、而臣附之。
>置本率一人、檢察諸部。

日本は、古(いにし)えの「倭奴」である。
京師を去ること萬四千里、新羅の東南に直(あた)り、海中に在る。
島にして居る。
東西五月行、南北三月行(の広さ)である。
国に城郭無く、木をつらねて柵落と為す。
草を以て屋を茨(おお)えり。
左右の小島五十余、みな自ら国と名付け、これを臣付す。
本率一人を置き、諸部を検察せり。

(略)

彦瀲の子・神武立ちて、更に「天皇」を以て号と為す。
大和州に徙(うつ)り治む。
0026名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 00:33:52.38ID:3laS+AC70
なんで日向の卑弥呼が糸島で埋葬されんだよ?馬鹿チョンか?
0027名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 00:34:20.19ID:tr+5g0kh0
邪馬台国本国は宇佐で卑弥呼の墓の上に宇佐神宮が建ってる説あるけど
宇佐で大規模な遺跡が見つかったことあったっけ?
0028名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 00:37:03.10ID:EyLQ77ic0
ほらほら平原遺跡だと俺は何度も言ってるだろーが
0029名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 00:38:03.22ID:49+ht53B0
プリウスに跳ねられる系のイベント?
0030名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 00:42:37.45ID:HGJicEzh0
>>27
宇佐神宮って欽明天皇32年(571年?)に分社して現在の場所になった。
本宮は福岡県飯塚市の大分八幡宮だそうです。
福岡県築上郡築上町にある矢幡八幡宮(現金富神社)の分社としいう説もあり。
なのでどちらの説でも本体は筑豊周辺でそこから分社して作られた神宮。
この時代の神社は兵の駐屯地の意味も有るから。筑豊方面面から豊後地区を
侵略する拠点として作られた可能性が有る。
0031名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 00:51:26.52ID:W3CR24tf0
>>22
平原の被葬者が卑弥呼と言うのはちょっと早合点だよ。

1.小さすぎる。
卑弥呼の墓は径百余歩だとされており直径130〜150mくらい。
平原遺跡の墓は直径10mくらいしかなくサイズが小さすぎる。

2.殉葬者がいない
卑弥呼の墓には100人の奴婢が殉葬されたとあるが、平原にはそんな形跡がない。

3.大型内行花文鏡の関係性が不明
卑弥呼は百枚の銅鏡を貰ったとあるが
大型内行花文鏡5面については触れられていない。
何が問題なのかと言うと、銅鏡百枚の下りは制詔の中の記述だが
ここは下賜する品物を種類ごとにやたらと正確に書いてある。
大型内行花文鏡5面が下賜されたとすると、他の銅鏡と分けて
明確にわかるように記述しているはずが銅鏡百枚としかない。
同型同サイズの銅鏡百枚が下賜されたと明確にわかる。
大型内行花文鏡を卑弥呼が下賜された鏡とするには、別のソースが要る。
0032名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 00:56:27.25ID:OyrNLQ+A0
>>31
距離も人数もサイズもだいぶ盛ってて、十分の一にすると正確らしいよ。
村落の戸数は正確。なぜなら潜在的な兵員動員能力に係わるから。
鐘と人を使って資料を編纂するってことは、渡海して制圧する可能性も考慮に入れてるってこと。
0033名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 00:57:51.24ID:tb8GnzE40
発掘調査されてるから結論はででる。
伊都国の平原遺跡の被葬者は卑弥呼ではない。
邪馬台国よりも古い時代の遺跡だよ。
0034名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 01:03:06.73ID:bYA7gV9j0
>>1
伊都国が邪馬台国の都で、奴国は邪馬台国の一部だという珍説の否定だな
当たり前だけど
0035名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 01:06:17.15ID:uV0KQdnV0
その単位の換算を変えたら成立する論なんだけど、なんでその考え方を魏志東夷伝に書かれてる他の国への距離に当てはめて検証してみないんだろ?
0036名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 01:06:19.05ID:jd4bARPo0
>>9
でも太宰府は北(博多湾を上陸してくる外国軍)からの守りはつよいけど、南から攻められると弱いと聞いたことがある。
だから邪馬台国は太宰府の南にあるんじゃね?
0037名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 01:10:22.16ID:bYA7gV9j0
糸島にあった国は伊都国であり、邪馬台国ではない
福岡にあった国は奴国であり、邪馬台国ではない
0038名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 01:15:08.64ID:k5svuF4a0
>>36
その通り。
「やまと(邪馬台)」は、その名の通り、山手のクニが起源。
そこから筑紫平野を支配し、力をつけ、
半島の倭人(弥生人末裔・日本語話者)やら漢の帯方郡と
と話を付け、鉄利権と朝貢利権を手中に収め、
「みなと」勢力から倭国盟主の座を奪う。
(そのお話が、海幸彦・山幸彦)

で、起こりの地を探すと、日田盆地しかないわな。
最盛期は大宰府が政治経済の中心地だったはず。
今の日本に例えると、日田=京都、大宰府=東京
0039名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 01:25:32.49ID:jol/SaLAO
近畿も半島だしこれも半島なんだろ?縄文人もちっと頑張ってくれよ
0040名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 02:06:09.68ID:kjcI5lRY0
俺の推論では卑弥呼は元々は伊都国王だったが狗奴国(熊本県北)との戦争の為に
邪馬台国(筑後地方)に住んで戦争の勝利祈願などをしておりそこで亡くなった
から祇園山古墳に埋められた。跡を継いだ壹與の時代に戦争は終わり壹與は伊都国に
戻り伊都国王になった、平原古墳は大勢の殉葬跡が無いから卑弥呼の墓では無くて
壹與の墓と言う事になる。祇園山古墳も平原古墳も楽浪郡に多く見かける墓と同じ
種類だから卑弥呼は先祖が楽浪郡の漢人かそれとも楽浪郡と交流があったから
向こうの墓を真似たのかどちらかだろう。
0041名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 02:28:03.52ID:GA0jTxno0
祇園山古墳が卑弥呼の墓に妥当なんじゃないの
魏志倭人伝の「棺はあって郭はない」(石室はなく石棺のみ)
「百名余りの殉死者」(祇園山古墳は少なくとも66体)
に該当しそうなのがそれ以外あるんだろうか
だいたい殉死者ある古墳が他にどれだけあるというのか
0042名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 02:33:38.92ID:fLZrPtrC0
卑弥呼なら俺の横で眠ってるよ
0043名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 02:42:21.39ID:3Aa7l2JH0
コレは重要だと思う。
邪馬台国がどことかは結構どうでも良くて、卑弥呼は伊都国にいたと考えることは十分にできる。
0044名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 02:42:44.29ID:GDv4jgT70
>>13
講演というよりプロパガンダ
朝鮮が日本に中国文化を教えたニダ
と同じ
0045名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 02:43:03.21ID:kjcI5lRY0
支那人は1,3,5,7などの奇数を好むし数字を大きくするクセがあるから
例えば邪馬台国は七万戸の家があったと言うのは実数は五〜七までの事
を指している、もしかしたら五万戸よりも少ない可能性もある。
白髪三千丈などの使い方をする国民だからな。
0046名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 02:43:24.59ID:UeBd0Cnk0
飯塚って、宇佐八幡の発祥の地なんだよね
0047名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 03:36:58.30ID:uJ0AiI0i0
細かい話はともかくとして九州北部の地理からするに筑紫平野が居住しやすく奥まった所にあり守りやすく都とするのに適切であったと見るのが自然だろう
0048名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 04:33:33.86ID:ykZRzVP80
>>27
宇佐神宮の本殿が建つ亀山は径百歩
本殿の地下に石棺が埋まっている
宇佐神宮の近くに百人の殉葬者を祀る百体神社がある
宇佐神宮の元宮である大元神社がある身許山の山頂には古神道の太陽を使った祭祀場の磐座がある
卑弥呼の墓である亀山=宇佐神宮は6世紀に秦氏に乗っ取られて八幡宮の総本社となる
宇佐周辺は古墳が300程見つかっている古墳過密地帯で日本最初期の前方後円墳もある
自称神武は秦氏系
道鏡事件のように大和朝廷では宇佐神宮の託宣が最高レベルの威力を持っていたり天皇が即位の度に宇佐神宮に神託したり大和朝廷より権威としては上の立場にあった
他にそのような場所が存在しないということは
つまりそういうことだ
0049名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 05:12:40.80ID:GDv4jgT70
>>48
>自称神武

おいおい、神武は生前「神武」を自称したことは無いんだが
吸収派は頭おかしいのか
0050名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 06:04:22.84ID:NewWQPEj0
平原遺跡から内行花文鏡や珍しい副葬品出てるし卑弥呼と同等の女王がいたに違いない
0051名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 06:41:13.33ID:ykZRzVP80
>>49
東征した神武のモデルになったうちの一人は狗奴国の卑彌弓呼
リアル神武は神武を自称していない
つまりそういうだ
0052名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 06:43:15.68ID:jol/SaLAO
宇佐はあり得なくもないな、垂仁に殺されて鏡を奪われた。
0054名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 07:05:02.45ID:g2bUNxJE0
出雲国などの大国は判明してるんでしょ
倭人伝の言う邪馬台国があったかもすらあやしい
0055名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 07:14:59.69ID:kjcI5lRY0
殉葬者数も百名となっているが、この数字も信用は出来んし、径百歩と言うのも
数字を大きくしていると考えた方が良い。祇園山古墳や平原古墳がちょうど頃合いの
大きさになる。
0056名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 07:17:26.34ID:OksK+m8C0
平原の被葬者は伊都国の歴史のなかでも重要な、後の時代の卑弥呼にも匹敵するきわめて有力な女王でしょうね。その名が記録されていないのは残念です。
倭国大乱、邪馬台国との戦争に伊都国は敗戦し、邪馬台軍がここに進駐してきたのですよ。
千戸と戸数が他の国と比べて一ケタ少ないのは伊都人が大量に殺戮されたか奴国あたりにほとんどが移住させられ
現代の沖縄のように軍事拠点として機能させられていたからでしょう。卑弥呼は肥巫女、肥の国系の女王ですよ。「
0057名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 07:46:49.68ID:5nwn4TXr0
邪魔大国は沖縄だよ
こんな島国に大国を築くわけがない
だから沖縄だよ絶対
0058名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 07:52:47.51ID:3Aa7l2JH0
>>22
邪馬台国が近畿の場合は九州から近畿(ささらに関東)までが一つの連合国になるだけ
墓の位置を巻向にする必要なんか最初からそもそもない。

じゃあなぜ卑弥呼の墓と言うかと言うと、国から予算を取るため
0059名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 08:05:21.67ID:tr+5g0kh0
>>56
以前読んだ古代史本では日本神話でいう高天原は北九州で
アマテラスは卑弥呼、狗奴国王の卑弥弓呼はスサノオ。
平原遺跡の女王はイザナミのモデルだ。なんてこと書いてたな。
0060名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 08:05:47.57ID:V0hnS/VE0
邪馬台国畿内説で予算を取り
二百回ほど発掘したがめぼしい出土物はなく、
しかし予算を頂いた以上
何らかの結果を出さなければならない。

その結果が桃の種や魚の骨や花粉だ。

流石に結果が出ないまま続けることは
難しくなってくるが、発掘に関わる
人員を切り捨てるのは難しい。

現在は纒向学に名前を変え、これらのあまった人員を
桜井市纒向学研究センターを作って収容している。

ここが僅かに畿内説の名残を残している程度で、
他では畿内説を言及することも無くなり、
基本的に、邪馬台国畿内説は
なかったことになっている。
0061名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 08:13:31.95ID:KIq9frOV0
>>1
完全に支離滅裂だな

遺跡から中国製の土器や貨幣が出てきたことから、大陸と直接交易をしていた可能性があり

「漢委奴国王」と刻まれた金印が作られたのは57年


北部九州一帯は、後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ
それから150年間以上、倭の国王として君臨し、大陸との交易を独占してきたんだから

【邪馬台国ではなくても】普通に遺跡から中国製の土器や貨幣が出てきて当然

つまり

北部九州一帯で遺跡から、中国製の土器や貨幣が出てくるのは【邪馬台国の論拠にはならない】
0063名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 08:19:06.48ID:NewWQPEj0
>>59
姪っ子のトヨもトヨウケビメのモデルよな
制圧した国の歴史もまるっと頂いてるんだろう
0064名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 08:29:08.87ID:KIq9frOV0
九州説は完全に支離滅裂だ

>遺跡から中国製の土器や貨幣が出てきたことから、大陸と直接交易をしていた可能性があり

>「漢委奴国王」と刻まれた金印が作られたのは57年


北部九州一帯は、後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ
それから150年間以上、倭の国王として君臨し、大陸との交易を独占してきたんだから

【邪馬台国ではなくても】普通に遺跡から中国製の土器や貨幣が出てきて当然

つまり

北部九州一帯で遺跡から、中国製の土器や貨幣が出てくるのは【邪馬台国の論拠にはならない】

なのに、それを知っていながら、バカな市民を騙す詐欺師
0065名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 08:31:38.56ID:Ywmka4KD0
伊都=糸島
末盧=松浦

という決めつけを考え直す時がそろそろきている。
0066名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 08:33:35.31ID:AjB0faIU0
平原遺跡の墳丘墓群は、非常に貴重な墓ゆえに、発掘経験豊富な組織(技師)によって調査されていれば、
様々なことがわかったであろうだけに、かえすがえすも残念
学者や技師などの資格を持たない素人(これはゴッドハンド藤村新一と同じ)が宝探して的な発掘調査を行い
鏡などの副葬品以外にはろくな成果を出せず、まともな報告書も出せなかった
0067名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 08:35:50.68ID:KIq9frOV0
九州説は完全に支離滅裂だ

>遺跡から中国製の土器や貨幣が出てきたことから、大陸と直接交易をしていた可能性があり

>「漢委奴国王」と刻まれた金印が作られたのは57年


北部九州一帯は、後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ
それから150年間以上、倭の国王として君臨し、大陸との交易を独占してきたんだから

【邪馬台国ではなくても】
大陸と直接交易をしていたし、普通に遺跡から中国製の土器や貨幣が出てきて当然
【邪馬台国の論拠にはならない】

なのに

大陸と直接交易をしていた可能性や、遺跡から中国製の土器や貨幣が出てきたことを【邪馬台国の論拠】にし

バカな市民を騙す詐欺師
0068名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 08:40:56.59ID:R4dx9Lcu0
>>60 纒向学研究センターはいろんなとこに協力してもらってる

国立民族博物館がJCal(C14日本版較正曲線)を用いて
桃の種の年代を測定した結果215〜255年

同様に土器を測定して
庄内3式は200〜240年
布留0式は240〜260年
布留1式は260〜330年として
布留0式がでた大型建物は240〜260年とした
魏志倭人伝の卑弥呼の時代と合う
0069名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 08:48:52.05ID:H5XPrknn0
肥前風土記によると、当時は土蜘蛛のうち3割くらいが女酋長の村だったらしい
つまり、どこもかしこも巫女の女王だらけ
0070名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 08:49:31.28ID:AjB0faIU0
>>68
予算が具体的にどういう根拠で誰が誰に出している金かも説明できない(つまり発掘調査がどのような手順で行われるのかの知識もない)
知識が浅いお爺さんにまともなことを言っても無駄だよ(以前に問うたことがあるが彼は何一つ説明できなかった)
どうせ無茶苦茶な難癖をつけてくるだけ
こういうスレでは、もうまともな九州説論者はいない
自説を押しつけることと、罵倒することが最終目的だからね
0071名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 08:50:08.30ID:KIq9frOV0
九州一帯は、後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ
それから150年間以上、倭の国王として君臨し、大陸との交易を独占してきたんだから

【邪馬台国ではなくても】

大陸と直接交易をしていたし、
普通に遺跡から中国製の土器や貨幣が出てくるし
吉野ヶ里のような集落があるし
渡来人が来ていた痕跡もバカスカあるのは、当然

【それらは邪馬台国の論拠にはならない】

つまり、九州説には、邪馬台国の論拠がなにもないのだ

だから

国立歴史民俗博物館

Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?

Answer 大多数の考古学者は大和説です
http://www.rekihaku.ac.jp/contact/faq01.html#c
0072名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 08:51:26.92ID:H5XPrknn0
>>61
少なくとも紀元前後くらいは北部九州に中身があったようだ
その後、銅鏡の分布が九州から畿内中心に遷移するからなぜか中心部が移動したようだが
0073名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 08:52:12.39ID:oBWKdGnN0
異論極論あってもいいと思うが
ただ難癖付けてるだけのコピペ張りまくってるキチガイは両論とも排除すべき
0074名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 08:53:35.20ID:R4dx9Lcu0
たしかに昭和52年の段階では教育委員会を主体にしたものだったが
40年で180回の発掘をやってるぞ
発掘作業については問題ないだろ
それを素人扱いしてるそっちの方が暴論言ってるって
0075名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 08:53:54.81ID:un7RZFnj0
>>37
糸島にあった国は伊都国であり、邪馬台国ではない
福岡にあった国は奴国であり、邪馬台国ではない
邪馬台国は伊都国、奴国(女王国)を中心とした北部九州の小国の連合体である。
0076名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 08:55:22.01ID:un7RZFnj0
>>65
伊都国は糸島市の南東部
末盧国は松浦市及び糸島市西部
である。
0077名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 09:09:01.92ID:R4dx9Lcu0
国立民族博物館は95%この範囲におさまると言っているから
統計学を使ってだしたと思われる
95%信頼区間て義務教育で習っただろ

つまり間違ってる可能性は5%てことだが
箱根のスギや長野のヒノキで出したJcalだけどまだブレがあって
統計学で補正したんだろう

その程度のものだからまだ信頼できるとはいえないが
間違ってるというのもやはり根拠が足りない
0078名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 09:10:27.40ID:KIq9frOV0
>>72
たとえばだ

ホワイト国合戦で、日本との貿易が、朝鮮から台湾に移る
それは朝鮮の中心が台湾に移るのか?
だから朝鮮は無くなるか?

つまり

大陸との貿易が
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられた九州王権から
240年に「親魏倭王」に任じられた畿内王権に移ったからといって

九州王権の中心が九州から畿内に移るわけでもなく
九州王権が無くなるわけでも無い

神武の東征にしても、神武は九州王権の第4皇子であり【九州王権の王では無い】

神武が大和に移り天皇を名乗り住んでも
九州には、九州王権の王である、山幸彦の息子の彦瀲尊(ひこなぎさのみこと)「ウガヤフキアエズ」が座しており

九州王権が畿内に移ったわけでは無い
0079名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 09:28:11.62ID:tb8GnzE40
>>72
北部九州の王都は伊都国だったが
奴国の奴国王が金印を授かったことにより、奴国王の地位が伊都国王よりも偉くなっちゃったわけ。

奴国王は近所の伊都国王と争うよりは
畿内に遷都してそこを首都にすることを選んだ
0080名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 09:29:15.28ID:KIq9frOV0
アマテラスが、国譲りをさせた出雲にしても

大国主が、最後の出雲の王ではなく、大国主の後も9代、出雲の王は続いている
0081名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 09:29:53.18ID:un7RZFnj0
>>78
古墳時代に北部九州地域から日本列島全体に現代日本人が広がった事がDNAの研究で判明して来ている
神武東征もこの流れの一つ。
0082名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 09:30:26.55ID:tb8GnzE40
九州王の年表

(紀元前2世紀) 奴国の吉武高木遺跡
(紀元前2〜1世紀) 奴国の須玖岡本遺跡  
(紀元前1世紀の王・王妃墓) 伊都国の三雲南小路遺跡
(紀元1〜2世紀の王墓)伊都国の井原鑓溝遺跡 ←遺跡調査によってこの頃に漢鏡流通の核としての機能が停止(首都機能の喪失)したことが判明
(紀元2〜3世紀の女王墓)伊都国の平原遺跡 ← 遺跡調査によって平原遺跡の衰退時期であることが判明(魏志倭人伝によると邪馬台国の一大率に支配されていた時期)

※『日本書紀』によると4世紀頃、伊都国の王は仲哀天皇の完全な家来になった。 ←伊都国の九州王家滅亡
0083名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 09:32:27.63ID:tb8GnzE40
>>81
ウソつくな
科学的な遺伝子解析は終わってる

日本人が朝鮮半島で爆発的に増えた形跡はあるけど
朝鮮人が日本列島で爆発的に増えた形跡はない
0084名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 09:32:45.26ID:un7RZFnj0
>>79
金印を授かったのは倭奴国
倭奴国⊃伊都国で
倭奴国の王宮がある地区が伊都国、庶民の暮らす地区が奴国。
0085名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 09:34:10.13ID:ivUmdViO0
まともな頭ならば、邪馬台国は九州だよ。
なんで近畿がしゃしゃり出るんだw
0086名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 09:35:34.78ID:tb8GnzE40
>>84
根拠は?
奴国は福岡が定説だが
0087名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 09:35:40.25ID:H5XPrknn0
北部九州の勢力は弥生中期から半島南部に根拠地を持っていた痕跡がある。
弥生末期には戦乱で乱れた中国から逃れた多くの人たちを北部九州経由で手引きしたのだろう
三国から五胡十六国あたりの中国は春秋戦国並みのカオスだったようだし
0088名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 09:36:55.22ID:KIq9frOV0
神武が大和に移り天皇を名乗り移り住んだあとにも、九州に座していた
山幸彦の息子の彦瀲尊(ひこなぎさのみこと)「ウガヤフキアエズ」からの九州王権の王



アマテラスが、国譲りをさせたあとにも9代続いた
大国主からの出雲の王も

ヤマトタケルの西征で、討伐されたのだ
0089名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 09:36:55.81ID:ivUmdViO0
最後の氷河期が終わってから
朝鮮半島は4000年間無人地帯だった。

そして今から6500年前に北の豆満(tomam)江方向から
沿海州の縄文人が無人の朝鮮半島に南下した。
今から6000年前、対馬から東三洞・釜山周辺に
縄文人が無人の朝鮮半島に住み着いた。

北や南からの縄文人の定住は、ほぼ同時期だと思う。
それぞれ海岸沿い、川沿いに定住地を広げて
朝鮮半島全土に広がった。
日本列島も朝鮮半島も縄文人の土地だった。
0090名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 09:37:54.61ID:ivUmdViO0
>>89 つづき
今から2800年前に、西の中国方向から来た
縄文人とは異なる人種集団が
渤海岸沿いに、朝鮮半島を南下した。
その後500年間で朝鮮半島の縄文人は居なくなった。
人種の交代が起きた。
箕子(きし)朝鮮・衛満(えいまん)朝鮮だ。
0091名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 09:38:05.94ID:H5XPrknn0
>>79
筑前風土記では伊都と神功皇后が同族ということが示唆されている
前方後円墳の発生が早いことを考えると、北部九州は畿内となんらかの繋がりがあった可能性が高いかな
0092名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 09:38:35.13ID:ivUmdViO0
>>90 つづき
その後、今から2300年前に、海を渡って
弥生人と呼ばれる集団が、
縄文の九州北部に上陸した…弥生時代の始まりだ。

彼らは九州北部に上陸し瀬戸内海を東進して
近畿地方に侵入した。
当時の大阪は「おおしこうち」と呼ばれる湾で
奈良盆地は「やまと」という湖だった。

当地の地名研究家によると大和の地名は
縄文時代の奈良旧湖の湖岸沿いに、
大字大和、字大和というように
環状に点在しているそうだ。
そりゃそうだ、湖の真ん中に地名はできない。
0093名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 09:38:43.80ID:un7RZFnj0
>>86
奴国は福岡市周辺だよ
伊都国は糸島市西部。
0094名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 09:39:35.68ID:KIq9frOV0
>>81
神武が大和に移り天皇を名乗り移り住んだあとにも、九州に座していた
山幸彦の息子の彦瀲尊(ひこなぎさのみこと)「ウガヤフキアエズ」からの九州王権の王



アマテラスが、国譲りをさせたあとにも9代続いた
大国主からの出雲の王も

ヤマトタケルの西征で、大和王権に討伐されたのだ
0095名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 09:40:10.16ID:90hSLciF0
平原は腕輪とか耳飾りが出土してるから女性であることは間違いないね。
邪馬台国に埋葬するとは限らないし。
0096名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 09:40:32.99ID:H5XPrknn0
伊都は吉備真備が怡土城を築いたように、古来から大陸との玄関口
対馬の金田城などと同様城としてはあまり活用されなかったようだが
0097名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 09:40:51.18ID:un7RZFnj0
>>91
日向峠付近から神武は東征に出発してるから
天皇家は元々北部九州出身なんだ。
0098名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 09:41:30.44ID:tb8GnzE40
年表

〜57年 伊都国王の時代(平原遺跡)

新王朝スタート
57年 金印「漢委奴国王」を授かったことにより、奴国王の地位が伊都国王よりも上になった。
57年 奴国王が初代天皇(神武天皇)に即位
57年 神武天皇の兄が新羅王に即位
※漢委奴国王(神武天皇)が畿内に遷都
107年 倭国王帥升等(第6代・孝安天皇)が後漢に朝貢
177年 第10代・崇神天皇が即位
181年 ニュージーランドのタウポ大噴火
181年 崇神5年、疾病の流行。『崇神紀』によると「倭国の人口の半分が死んだ」
181年  『後漢書』によると「空が黄色くなり太陽が覆われた。」 「6月に雹が降った。大きさは鳥の卵ほどもあった。」
181〜184年 倭国大乱
181〜184年 タウポ大噴火による大飢饉や疾病の流行などの影響で崇神天皇の権威消失
184年 黄巾の乱が勃発し、漢が衰退した。漢から授かった金印の権威消失
王朝終了

新王朝スタート
184年頃 祈祷の力で倭国を大飢饉から救った卑弥呼が女王になった。
※銅鐸文化の廃止
0099名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 09:46:25.96ID:tb8GnzE40
>>97
神武天皇の兄の脱解尼師今は丹波国(京都)の出身であることを考慮すると
神武天皇も畿内出身だと思うよ。
神武天皇は福岡で即位したけど、出自は畿内。

証拠
・日本で編纂された『新撰姓氏録』には神武天皇の兄は、新羅王の祖であると書かれている。
・『新羅本記』によると西暦57年、倭人の脱解尼師今が新羅王に即位した。
・『後漢書』によると西暦57年、倭奴国王が金印を授かった。
※西暦57年、金印を授かった神武が初代天皇になり、金印の威光によって神武の兄が新羅王に即位したと考えられる。

『新羅本紀』によれば、
新羅には朴氏・昔氏・金氏の3姓の王系がある。
昔氏の始祖が、西暦57年に新羅王に即位した倭人の脱解尼師今である。

脱解尼師今は丹波国(京都)の出身だが
神武天皇は丹波国(京都)に近い奈良県橿原市に都を造った。
0100名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 09:48:21.89ID:KIq9frOV0
>>98
すまんな

伊都国は糸島なんてちっさいところではなく

出雲だ

古の
東出雲王国(松江市)が末廬国で
西出雲王国(出雲市)が伊都国だ
0101名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 09:48:34.26ID:tb8GnzE40
>>93
倭奴国は、伊都国説?それ間違いだから
0102名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 09:49:34.03ID:tb8GnzE40
>>100
伊都国に大王の遺跡があるから
0103名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 09:53:16.21ID:tb8GnzE40
>>89
それで合ってる

中国の歴史書でも朝鮮半島南部には倭人の国があったことになってるが
倭人が侵略したというよりも朝鮮半島南部に初めて国をつくったのは倭人と考えるほうが納得がいく
0104名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 09:53:42.88ID:KIq9frOV0
>>102
出雲の出雲大社より立派なのか?
0105名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 09:55:33.34ID:tr+5g0kh0
>>72
神武東征、つまり九州勢力の畿内進出は史実?
0106名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 09:55:43.54ID:H5XPrknn0
平原遺跡は甕棺墓ではなく木棺だから、旧来の弥生人ではなく大陸系か大陸系の影響が強い王族だろうな
怡土の県主は自らを天日槍の末裔と名乗っているが
0107名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 09:56:19.61ID:R4dx9Lcu0
倭奴国は奴国だろう
昔王族は奴国(福岡市博多区中央区)に住んでいたが
西に移動したと思われる
福岡市西区(吉武高木遺跡)→糸島市(平原遺跡)
つまり時代が進んで一般人と王族で住む場所を分けた
住民が増えたのと王族が強くなったからと考えてる

一般人ガ住まないがゆえに伊都国は
>郡使往来し常に駐する所 になりえたと思われ
0108名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 09:59:46.90ID:90hSLciF0
北部九州の倭人は呉の末裔だと言ってるが、他に半島から来た倭人も居たはず。
それが鳥取など日本海沿岸から入植した畿内や東海の政権だと思う。
0109名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 10:02:35.65ID:3Aa7l2JH0
そもそも九州も近畿も邪馬台国である必要がない
伊都国や奴国が中国とつながりがあっただけ
0110名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 10:03:07.01ID:KIq9frOV0
ちなみに

アマテラスが出雲に国譲りを迫ったとき

出雲の主王が西出雲王国(出雲市)の「大国主」
出雲の副王が東出雲王国(松江市)の「大国主」

アマテラスに唯一反抗した「建御名方」は
スサノオの国、出雲の根之堅洲国にある須賀(すが)の地(中国・山陰地方にある島根県雲南市)の王
0111名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 10:04:23.19ID:KIq9frOV0
訂正

ちなみに

アマテラスが出雲に国譲りを迫ったとき

出雲の主王が西出雲王国(出雲市)の「大国主」
出雲の副王が東出雲王国(松江市)の「事代主」

アマテラスに唯一反抗した「建御名方」は
スサノオの国、出雲の根之堅洲国にある須賀(すが)の地(中国・山陰地方にある島根県雲南市)の王
0112名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 10:04:36.87ID:un7RZFnj0
>>105
古墳時代にあった史実だよ。
0113名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 10:05:01.53ID:3Aa7l2JH0
>>105
東征はない
間に吉備と出雲が存続してるなかでワープして侵略することは不可能
0114名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 10:08:38.97ID:H5XPrknn0
>>105
北部九州を経由して吉備に滞在したという流れはあったのだろう
ちょうどこの時代、高地性集落の分布が瀬戸内海沿岸の西から東へと遷移している
0115名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 10:08:53.12ID:jai9IxII0
まだアホ学者がこんなこと言って。
卑弥呼は孝安天皇の兄の嫁。和邇家の祖となった。
孝安天皇は卑弥呼の義理の弟となる。この時代天皇家の力が弱く豪族同士で
もめた時元々天皇家の血を引く葛城・尾張の女性が統合の象徴として担ぎ出された。
この一族の墓から魏から贈られた刀剣が出ている。
天皇家が力を持つのは10代崇神天皇の頃から。
伊都国は神武天皇が東征する前にこの地域を治めていた高産木の一族と協力して奴国を
滅ぼした。そして伊都国に天皇家の一大率を置いて間接支配した。
神武天皇の時代から伊都国は天皇の力が及んでいた。魏志倭人伝にもそう書いてある。

もう学者はいい加減欠史八代などと言って天皇家の歴史を矮小化するのをやめろ。
福岡あたりから先に東征したのはニギハヤヒ一族で天皇家ではない。
ニギハヤヒ一族とは天皇家は大和で同盟するんだ。
何も矛盾はないからな。
0116名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 10:11:41.65ID:CmY6FexK0
日本のどこかには自分は卑弥呼の子孫だと気付かず生きている人がいるんだよな
0117名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 10:15:22.60ID:tb8GnzE40
福岡から畿内への「遷都」はあったと思うけど
「神武東征」は無かったと思うな。
「神武東征」は天武の九州からのクーデターを正当化・神格化するために作られたお話だろう。

記紀を書かせたのは天武だし。
神武が東征やってるんだから天武がやっても問題ないでしょと主張したかった
0118名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 10:15:52.38ID:DtsZoVBD0
>>86
奴国が金印を貰った根拠っていうのが漢委奴国王を「かんのわのなのこくおう」っ
て読む 江戸時代の誤読だろ。
中国の印文に読み方はない。
「かんのわぬこくおう」が正解だろ。
倭奴国連合の盟主が伊都国王だったのだろう。
根拠は同時期の南小路遺跡から金銅四葉座飾金具や
ガラス壁など、古代の中国皇帝が王侯に下賜したものが
出土している。
奴国は早良平野辺りの小国だよ。
0119名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 10:17:57.37ID:tb8GnzE40
>>108
朝鮮は銅印だったことからわかる通り
そもそも朝鮮が倭国よりも国力上だったことってないよ。
0120名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 10:18:54.24ID:tr+5g0kh0
神話における高天原は現実の北九州の反映説根強いよね。

だとしたら後世の大和朝廷がなんでそんなこと知ってる?
0121名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 10:25:15.88ID:tb8GnzE40
>>118
>中国の印文に読み方はない。

あるよ
「漢帰義羌長」印

漢委奴国王も「かんに委ねられたなこくおう」と解釈するのが正解
中国だとこの読み方だ主流だし
0122名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 10:26:26.69ID:DtsZoVBD0
>>118
中国の印文にそんな読み方はない
に訂正
0123名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 10:26:34.62ID:KIq9frOV0
日本の記紀では

初めの主、天御中主(あめのみなかぬし)から
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)伊邪那美命(いざなみのみこと)が生まれ

伊弉諾尊からまず
天彦尊(あまつひこのみこと)綿津見大神(豊玉彦)が生まれた

天彦尊(あまつひこのみこと)綿津見大神(豊玉彦)が統べていたのが筑紫城・・つまり九州

後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」の印をもらったのが
この、九州の綿津見大神(豊玉彦)の筑紫国(海神の国)

ここまでが九州王朝

つづく
0124名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 10:26:40.06ID:v+V9XC+x0
広島の厳島神社は古くは「伊都岐島神社」と呼ばれていた

つまり・・・
0125名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 10:27:00.97ID:KIq9frOV0
>>123 つづき

その後

天照大神尊(あまてらすおおみかみのみこと)
月読命(つくよみのみこと)
素戔烏尊(すさのおのみこと)

が生まれて

伊弉諾尊から

天照大神尊は、高天原(畿内)を統治せよと言われ
月読命は、伊邪那美命の根之国(出雲)を統治せよと言われ
素戔烏尊は、豊玉彦の筑紫城(九州)を統治せよと言われた


たがそれを断ったため、伊弉諾尊から勘当されて

奈良の天照大神尊の「高天原(畿内・邪馬台)国」に立ち寄って、そこも追い出されて

出雲に素戔烏尊の「葦原中国」を造った

つづく
0126名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 10:27:54.46ID:jai9IxII0
欠史八代の時代の記録が少ないのは蘇我氏が滅びる時焼かれてしまい。
系譜のみ残ったから。豪族に残ったそれぞれの系譜は各豪族の入り組んだ婚姻関係
が矛盾なく記録されており欠史八代を造作という左翼学者の主張は成立しない。
そんな複雑な造作をできるはずがないからね。
まず大学にいる歴史学者は地方の公共施設にいる学芸員の頭を変えない限り真の歴史が
見えてこない。 
埼玉の行田の学芸員は有名な鉄拳の碑文に書かれれている大彦のことを 大彦とは一般名で
崇神天皇のおじさんではありませんだとよ。怒鳴りつけてやったよ。
0127名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 10:28:29.56ID:3Aa7l2JH0
>>121
「わのなの」って読み方は中国からみたら無茶だよな
「委ねる」か「委奴」で2音の国の名前かのどっちか
0128名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 10:33:10.02ID:KIq9frOV0
>>125 つづき

その後

出雲の「葦原中国」を、出雲の第八代主王「大国主」が天照大神尊の高天原(畿内)に国譲りして


魏(220年 - 265年)から240年に「親魏倭王」の印をもらったのが
この、奈良の天照大神尊と出雲の素戔烏尊の連合国

そして

出雲に派遣していた、天照大神尊の孫の天彌聞尊(あめのににぎのみこと)の
息子の炎尊(ほむらのみこと)火遠理命(山幸彦)が九州の綿津見大神(豊玉彦)の筑紫国に亡命して、筑紫国の王となり、

その孫の神武が
魏(220年 - 265年)から240年に「親魏倭王」の印をもらった
天照大神尊と出雲の素戔烏尊の連合国をのっとって
天皇を名乗った
0129名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 10:36:22.79ID:90hSLciF0
>>119
倭国大乱後は中国派の半島南部〜北部九州30ヶ国と独立派70ヶ国に分裂していると思われる。
前者が邪馬台国で、後者が狗奴国とすれば、その後の流れも辻褄が合う。
最終的に狗奴国が邪馬台国を制して、ヤマト政権の基盤となったんだよ。
0130名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 10:38:11.94ID:KIq9frOV0
>>127
んなことねーよ

後晋(936年- 946年)に書かれた『旧唐書』945年

【倭国伝】
倭国とは古の倭奴国なり。
0132名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 10:40:55.95ID:90hSLciF0
>>130
その倭奴国が北部九州であり、邪馬台国=女王国とすれば、狗奴国が後のヤマト政権だよ。
だから旧唐書がまさにヤマト政権の誕生時期を示していると言える。
0133名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 10:43:11.82ID:3Aa7l2JH0
2文字の国家説を俺は推したいけどね
奴(な)国ではない。委奴(おと?いと?わな?いぬ?)国
0134名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 10:44:30.39ID:DtsZoVBD0
>>122
「帰義」を術語としたものだね。
中国の天子に忠実であるという。
帰義の術語としての使用例は他にもあるけど、
「委」を術語として用いた例は他にあるの?
旧唐書にある倭奴国という記述を考えると
倭奴が国名と考えるのが正解と思うのだけど。
0135名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 10:45:23.38ID:KIq9frOV0
結局、3世紀は、日本も

九州の綿津見大神(豊玉彦)の筑紫国
山陰の素戔烏尊の出雲王国
畿内の天照大神尊の邪馬台国



三国志

だったのさ
0136名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 10:47:15.88ID:3Aa7l2JH0
委ねる説は撤回するよ。俺の趣旨は「わの」ではないってこと
0137名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 10:47:47.98ID:KIq9frOV0
>>131
>>127
んなことねーよ

後晋(936年- 946年)に書かれた『旧唐書』945年

【倭国伝】
倭国とは古の倭奴国なり。


漢文の「倭奴国」を日本口語で読むと

わのなのこく
0138名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 10:47:55.21ID:I6jg5vdQ0
魏志倭人伝書いたやつが適当だったからこんなことになってる
0140名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 10:50:20.51ID:KIq9frOV0
>>136
最近の学生は漢文の勉強しないのか?

漢文を日本口語で読めない・・なんて邪馬台国の平民みたいだな
0141名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 10:52:33.21ID:un7RZFnj0
魏志倭人伝の女王国って伊都国と奴国のことだよ
邪馬台国の首都圏のこと。
0143名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 10:55:14.14ID:PpSP3UmG0
地政学的に言えば日本が半島に進出している時代は北部九州が最大勢力であったが撤退した後は九州山陰が防衛最前線になるわけで奈良を都に統一国家としたと推測できる
0144名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 10:55:16.32ID:DtsZoVBD0
134は>>121
0145名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 10:57:12.40ID:jai9IxII0
奴国は呉人の国

伊都国は徐福の一族で楚人、越人の国

天皇家は縄文人の国だが楚系呉人の太白の子孫とミックスしている。
0146名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 10:57:21.05ID:3Aa7l2JH0
漢文を踏まえた上で「かんのわのなの」が成立しないって意味だぞ。かんの「委奴」のこくのが自然だろ
2文字の国
0147名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 10:59:36.20ID:un7RZFnj0
>>140
後漢書には倭奴国って書いてあるからな。
0148名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 10:59:42.55ID:tb8GnzE40
>>137
そもそも「倭」の画数を減らして「委」にしたというのが無理があるんだよ
「倭」と「委」は音が異なるし
0149名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 11:00:01.75ID:A6Qspez/0
前々から言われてね。九州はあちこちに女王伝説があるから特定が難しいって話もあるね。
畿内は簡単でいいね、箸墓1択だもんw
0150名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 11:01:40.74ID:v6oEgSjd0
後漢書「倭奴国は倭の南極界である」
旧唐書「倭国は後漢時代の倭奴国である」
少なくとも倭国と認識されていたのは北部九州に限られるはずだぞ。
0151名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 11:04:06.25ID:KIq9frOV0
>>132
だからさ

その倭奴国が北部九州

だからむ

北部九州は邪馬台国じゃねーんだよ

倭奴国=北部九州は、邪馬台国が240年に「親魏倭王」に任じられる150年以上も前から、渡来人が行き来して、居住している大都会

へたすりゃ、倭奴国=北部九州を訪れる大陸側の人々は、九州の地図すら持っている可能性がある

そんな九州に邪馬台国があれば、そこまでの距離や方位は間違えようもない
それどころか、どこが邪馬台国になったのかは周知の事実なので、そこまでの行き方を、『魏志』に詳しく記録として残す必要すらない

150年間以上も渡来人が行き来して、居住している倭奴国への行き方を、詳しく記録した史書が無いようにね
0152名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 11:05:21.99ID:KIq9frOV0
>>142
おっ、自分がバカなのを理解したのね(笑)
0153名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 11:10:52.12ID:nBg+fkql0
>>151
>>150の通り倭奴国が倭の南極界なんだぞ?
その中に邪馬台国がなきゃ話が成立しないわけよ。
0154名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 11:13:57.07ID:un7RZFnj0
>>132
邪馬台国=女王国じゃないからね
>>151
魏志倭人伝の距離や方位は間違えてないよ
間違えてるのは読み手側の解釈
北部九州に邪馬台国は在ったってことだよ。
0155名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 11:16:27.77ID:nBg+fkql0
その倭奴国が東征して魏の頃には畿内まで領地を広げていたとして、仮に奈良が邪馬台国だとすれば、
北部九州から奈良までの道のりは把握しているわけで、方向を南などと間違える事も無いはずだ。
(邪馬台国の記述は倭人の報告に基づいて書かれたと仮定)
0156名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 11:17:24.89ID:KIq9frOV0
倭奴国=北部九州は、邪馬台国が240年に「親魏倭王」に任じられる150年以上も前から、渡来人が行き来して、居住している大都会

へたすりゃ、倭奴国=北部九州を訪れる大陸側の人々は、九州の地図すら持っている可能性がある

なので、中国の史書は、倭奴国=北部九州の王が居る「筑紫国」への行き方なんか、詳しく書く必要が無い

そんな九州に邪馬台国があれば、

どこが邪馬台国になったのかは、倭奴国時代から150年以上、北部九州を訪れている大陸側の人々にとっては周知の事実

そこまでの距離や方位は間違えようもない
それどころか、

そこまでの行き方を、『魏志』に詳しく記録として残す必要すらない
0157名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 11:23:05.53ID:KIq9frOV0
>>153
なんで?

>>150の通り倭奴国が倭の南極界なんだぞ?

里という単位も、文字も、方位磁石も、持っている大陸側の人間は、倭の隅々、倭の南極界まで、150年間以上も行き来していたわけだ

その中に邪馬台国があれば、距離も方位も間違うわけがなかろうが
0158名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 11:27:36.82ID:8DDm2wRP0
>>157
畿内説の言い分では伊都国への行き方も間違ってるんだぞw
0159名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 11:27:48.84ID:ivUmdViO0
>>103
朝鮮半島に先住していた縄文人は
中国からの侵略に押されて、
ドンドン後退南下していったんだな。
0161名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 11:32:15.44ID:tb8GnzE40
>>150
それはお前の解釈
旧唐書の時代に倭国が九州のわけない

どちらかというと旧唐書は倭国の中心は大和と認識してたわけだから
倭奴国(首都は福岡)と倭国(首都は大和)は同じ国だよって意味の記述だね

暗に遷都を認めている
0162名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 11:34:05.92ID:nBg+fkql0
>>158
壱岐対馬の関係を南北と書いてあるのだから、呼子→前原付近なら東南で間違いないのでは?
0163名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 11:34:47.80ID:KIq9frOV0
>>158
伊都国が出雲なら間違わない

魏(220年 - 265年)の時代  
対馬國 − 一大国(隠岐)−末廬国(松江)−伊都国(出雲)−奴国(因幡)−不弥国(摂津住吉)−投馬国(近江)を経て邪馬壱國(奈良)

奈良の邪馬台国なんて、クソ田舎の、内陸の、大陸の人間なんか誰も行ったことがなかった小国が

出雲を植民地にして統治して、急に大陸に行けるようになっちゃった 

ので

邪馬台国がまだあるときに書かれた『魏志』倭人伝(280年完成)が

たった二回しか行っていないのに、無理矢理行き方を記述したので距離や方位や里数が無茶苦茶
0164名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 11:34:49.29ID:tb8GnzE40
>>134
さすがに「帰義」よりも「委」のほうがメジャーな言葉では
0166名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 11:37:09.28ID:etrm8Uko0
どうでもいいから箸墓掘らせろ
0167名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 11:37:15.48ID:tb8GnzE40
>>134
逆に聞くけど
「倭」を「委」にしてケースって他にあるの?
似たようなケースでもいいよ

音が違う、一般的ではない画数の減らした文字を採用した印は他にどれ?
0168名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 11:38:48.99ID:nBg+fkql0
>>161
琉球伝に記述されているが、たまたま中国を訪れていた倭人が、捕虜にされた琉球人の服装について説明している。
この使者が小野妹子だとは思えない。
0169名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 11:40:22.82ID:Ywmka4KD0
>>120
神武、応神天皇あたりが北九州出身だから
0170名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 11:41:27.17ID:3JKZ/edE0
>>162
西晋(265年 - 316年)の時代に成立した、『魏志』(280年から297年)の【一大国】と

唐(618年 - 907年)の時代に成立した、『梁書』(629年完成)の
【一支国】が

なぜおなじ(壱岐)だと思うのか?根拠は?

対馬に一番近いからなんてバカ理論か?
0171名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 11:43:16.93ID:Ywmka4KD0
>>160
指南車は孔明の罠……ではなく指南魚ってのが三世記にあったらしい
0172名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 11:43:43.69ID:nBg+fkql0
>>170
お前の中では一大国≠壱岐なのか?
お前の勝手な想像より一般論の方が正しいだろうよ、俺は。
0173名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 11:45:52.60ID:tb8GnzE40
>>120
日本書紀で高天原が使われるのは奈良だけだから奈良でしょうね
まあ、ここらへんは神話ですな
0174名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 11:46:24.90ID:etrm8Uko0
指南車は任意の方角をずっと指す道具
最初に設定した方角をずっと指す感じ
0175名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 11:47:19.58ID:nBg+fkql0
>>171
指南魚を開発していたのは知ってるよ。
しかし運用出来ていたかの記録は無い。
0176名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 11:51:03.73ID:DtsZoVBD0
中国の印文に用いられた例を挙げてみて
0177名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 11:52:47.90ID:3JKZ/edE0
>>172
一般論って、根拠も何もないデマで【論】ですらないぞ

ならば

南朝梁(502年から557年)と隋(581年 - 618年)は【わずか24年しか離れていない】のに


唐(618年 - 907年)の時代、太宗の命で編纂された

『梁書』倭人伝(629年完成)
帯方郡−一支国−末廬国−伊都国−奴国−不弥国−投馬国を経て邪馬臺国


『隋書』倭国伝(636年完成)
百済−竹嶋−耽羅国−都斯麻国−一支国−竹斯国−秦王国−十余国を経て難波津−奈良

と、国の名前が違うのは?
0178名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 11:53:29.23ID:Y8xhMJHB0
イトちゃんのその後だけでも知りたい
0180名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 11:56:53.74ID:3JKZ/edE0
>>179
おなじ唐(618年 - 907年)の時代、太宗の命で編纂されたのに?
0181名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 11:58:31.29ID:etrm8Uko0
梁書倭伝
有獣如牛名山鼠 又有大蛇??此
蛇皮堅不可斫其上有孔乍開乍閉時或有光射之中蛇則死矣
牛みたいな山鼠って名の獣がいる。またこれを呑む蛇がいる
蛇の皮は固くて破れないが上(額か)に穴があって開いたり閉じたり光を放ったりする
ここを射れば蛇は死ぬ

日本やべえよ、、
0182名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 11:59:10.19ID:tb8GnzE40
>>176
親魏倭王の「親」
漢委奴国王の「委」
漢帰義羌長の「帰義」

中国との関係性をあらわすよくある使われ方
0185名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 12:03:16.74ID:3JKZ/edE0
>>184
だから

一般論は

国立歴史民俗博物館

Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?

Answer 大多数の考古学者は大和説です
http://www.rekihaku.ac.jp/contact/faq01.html#c
0186名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 12:05:18.15ID:nBg+fkql0
>>185
それはボケ老人の会だから。
学会ではなく、協会だぞ。
教会とも言うらしいがw
0187名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 12:06:32.36ID:KIq9frOV0
九州一帯は、後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ
それから150年間以上、倭の国王として君臨し、大陸との交易を独占してきたんだから

【邪馬台国ではなくても】

大陸と直接交易をしていたし、
普通に遺跡から中国製の土器や貨幣が出てくるし
吉野ヶ里のような集落があるし
渡来人が来ていた痕跡もバカスカあるのは、当然

【それらは邪馬台国の論拠にはならない】

つまり、九州説には論拠がなにもない夢物語

「一般論」ですらない
0188名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 12:09:18.62ID:2w0FvWMC0
>>6

川崎、神戸(尼崎)、京都は在日朝鮮人の巣窟
凶悪犯罪を繰り返す在日朝鮮人・帰化人がわきまくってるし


パンスト朝鮮顔を整形しまくったネトエラ(ネット工作の在日朝鮮人)がものすごい勢いで暴れまくってるからな。


日本に密入国してきて図々しく居つき、
生活保護を受給しながら性犯罪を繰り返し、
日本人になりすましネット工作を続ける在日朝鮮人。

在日朝鮮人はスパイそのもの。
帰化人を含めて 朝鮮人全員をいったん強制送還するしかない。


●●● ネトウヨ連呼厨( ネトエラ)の正体 ●●●
http://karutosouka2.tripod.com/uyokusyoutai.htm

.
0189名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 12:10:03.93ID:nBg+fkql0
>>187
畿内説はもっと悲惨だけどな。
何の記録も残っていないんだから。
それゆえに言いたい放題なわけで。
0190名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 12:12:00.85ID:Ywmka4KD0
ちなみに「海人津見」から来ているらしい「安曇(あずみ)」にどうして「曇」の字があてられてるんだろう?
0191名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 12:12:15.85ID:KIq9frOV0
九州は

大陸と直接交易をしていたし、
普通に遺跡から中国製の土器や貨幣が出てくるし
吉野ヶ里のような集落があるし
渡来人が来ていた痕跡もバカスカある

しかしそれらは「漢委奴国王」の痕跡であり

「親魏倭王」の痕跡では無い
0192名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 12:14:44.53ID:KIq9frOV0
>>189
いんや

九州説のほうが悲惨だぞ

九州は

大陸と直接交易をしていたし、
普通に遺跡から中国製の土器や貨幣が出てくるし
吉野ヶ里のような集落があるし
渡来人が来ていた痕跡もバカスカある

しかしそれらは「漢委奴国王」の痕跡であり

「親魏倭王」の痕跡では無い

0193名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 12:15:05.12ID:KIq9frOV0
国立歴史民俗博物館

Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?

Answer 大多数の考古学者は大和説です
http://www.rekihaku.ac.jp/contact/faq01.html#c
0194名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 12:17:43.03ID:yr2v4BHk0
畿内説を本気で信じてる学者は1人もいないよ

金と地位のため。学者のプライドなどない。
官僚学者だしな
0195名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 12:17:57.73ID:e0CxMI0G0
その内過去にタイムトラベルできるようになるんだからその時まで待て(*>д<)のかよ早漏ども
0196名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 12:20:55.25ID:JZKFN9bb0
九州説がこの先生きのこるには?
学問を否定し、物証を否定し、魏志倭人伝の曲解をごり押しすればよい
0197名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 12:21:06.63ID:KIq9frOV0
>>194

>>1 を見てみろよ

九州は
大陸と直接交易をしていたし、
普通に遺跡から中国製の土器や貨幣が出てくるし
吉野ヶ里のような集落があるし
渡来人が来ていた痕跡もバカスカある

しかしそれらは「漢委奴国王」の痕跡であり当然だ

ということには一言も降れずに

九州は
大陸と直接交易をしていたし、
普通に遺跡から中国製の土器や貨幣が出てくるし
吉野ヶ里のような集落があるし
渡来人が来ていた痕跡もバカスカある
から「親魏倭王」だ

というのが九州説
0198名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 12:21:18.51ID:nBg+fkql0
>>191
漢委倭奴国の金印は福岡で発見された。
後漢書「倭奴国は倭の南極界である」
旧唐書「倭国はかつての倭奴国である」
邪馬台国の倭国は北部九州で合ってるじゃん。
ちなみに倭奴国と同じ時代に、滋賀にも国(伊勢遺跡)、畿内にも国(唐古鍵遺跡)があったというだけ。
そしてそれらは魏志倭人伝では倭種の国と書かれた。
単にそれだけのことだ。
0199名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 12:24:34.66ID:un7RZFnj0
>>198
魏志倭人伝の倭種の国は山口県付近のことだよ
関西は裸国や黒歯国のことだよ。
0201名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 12:24:42.76ID:KIq9frOV0
>>198
「親魏倭王」ではなく

「漢委奴国王」は北部九州

0202名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 12:26:28.12ID:nBg+fkql0
要するに、文字が伝わり魏志倭人伝などが読めるようになった頃、畿内政権はその魏志倭人伝の倭国と一緒にされたくなかったから、日本と名乗った可能性もある。
天武が「嘘の歴史」と罵ったのは邪馬台国の歴史のことかと。
0203名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 12:26:59.61ID:7/9qJz7D0
難升米なしめ→奴締め

弥纏やまとい→ヤマト、まとめる・まつる国
0204名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 12:27:26.22ID:KIq9frOV0
>>198
漢委倭奴国の金印は福岡で発見された。
後漢書「倭奴国は倭の南極界である」
旧唐書「倭国はかつての倭奴国である」

「漢委奴国王」は九州で合ってる

けれど

邪馬台国「親魏倭王」は九州は合ってない
0205名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 12:30:52.95ID:nBg+fkql0
>>201

>>204
のちの筑紫国の東は秦王国。
つまりその頃は西日本統一政権などは存在しなかった。
魏志倭人伝の頃の倭国は北部九州までを指し、畿内含めてそれらは倭種の国だった。
0206名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 12:31:22.29ID:KIq9frOV0
>>198
漢委倭奴国の金印は福岡で発見された。
後漢書「倭奴国は倭の南極界である」
旧唐書「倭国はかつての倭奴国である」

「漢委奴国王」は九州で合ってる

だから九州の

大陸と直接交易をしていたし、
普通に遺跡から中国製の土器や貨幣が出てくるし
吉野ヶ里のような集落があるし
渡来人が来ていた痕跡も

「漢委奴国王」の痕跡で、九州にあって当然のもの

邪馬台国の「親魏倭王」の痕跡だという証拠はどこにもない

ということには一言も降れずに

九州は
大陸と直接交易をしていたし、
普通に遺跡から中国製の土器や貨幣が出てくるし
吉野ヶ里のような集落があるし
渡来人が来ていた痕跡もバカスカある
から「親魏倭王」だ

というのが九州説
0207名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 12:32:47.29ID:JZKFN9bb0
九州説がこの先生きのこるには?
開き直って、ファンタジー小説として、月刊ムーの中で生きていく道もある
0208名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 12:33:32.92ID:7/9qJz7D0
纏向珠城→まとめむかうたまく
纏向日代→まとめむかい聖る
0209名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 12:34:05.41ID:AkatfcUr0
>>115
大和国の最初の王であるニギハヤヒは三河県豊橋市出身の可能性が高い


天孫降臨は倭国大乱時期
天孫降臨ルートは三河→伊勢→熊野→河内(天孫降臨)→大和(纒向)



三河県豊橋市の石巻山は三輪山の奥の院であると大神神社の社伝に書いてある

神社の拝殿は三輪山の正面に向いていない、三輪山の南側にズレている

実は三輪山の奥の院、三河県豊橋市の石巻山(神山(ミワヤマ))に向いているわけだな
0210名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 12:35:54.06ID:AkatfcUr0
建国以来、三河のランドパワーの強さは異常


日本の歴史(中世〜近世)

◆鎌倉幕府(1185〜1333年)◆
【勝者】源頼朝:藤姓熱田大宮司一族(本貫地/三河国額田郡乙見)
・藤原季兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮宮司)→由良御前(源義朝の室)→源頼朝

◆室町幕府(1338〜1576年)◆
【勝者】足利尊氏:三河守護
・足利将軍家以外では、足利一門として吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)、今川氏(本貫地/三河国碧海郡今川)、石橋氏(本貫地/三河国設楽郡石橋)が将軍継承権を有した
・守護職は本貫地を三河国にする者が最大人数
・奉公衆(江戸幕府の旗本に相当)は、本貫地を三河国にする者が最大人数、又三河国の奉公衆も最大人数

◆応仁の乱(1467〜1477年)◆
【勝者】細川政元:細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・ ”東博本洛中洛外図”には当時の権力者として細川氏邸、額田氏邸(細川氏被官)が描かれている

◆明応の政変(1493年)◆
【勝者】細川政元:細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・半将軍と呼ばれ、幕政を完全に掌握、事実上日本のトップに立つ

◆関ヶ原の戦い(1600年)◆
【勝者】徳川家康:本貫地/三河国加茂郡松平

◆江戸幕府(1603〜1868年)◆
【勝者】徳川家康:本貫地/三河国加茂郡松平
・大名の5割が三河国出身
・附家老の8割が三河国出身
・旗本の4割が三河国出身、高家筆頭は吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)

◆大坂の役(1614〜1615年)◆
【勝者】徳川家康、徳川秀忠:本貫地/三河国加茂郡松平
0211名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 12:36:16.15ID:tA9fqMX70
纏向遺跡は、出土品を見て分かる通り土木事業に専念した臨時施設。
何度も作り変えを行った痕跡があるので、古墳を築造するたびに作業者が大量に集められた場所だろう。
先入観なく遺跡を見ればそういう解が出てくる。
0212名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 12:37:30.84ID:KIq9frOV0
>>205

のちの筑紫国も
その東の秦王国も

「漢委奴国王」の痕跡で、九州にあって当然のもの

だね

邪馬台国の「親魏倭王」の痕跡だという証拠はどこにもない
0213名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 12:41:08.00ID:JZKFN9bb0
九州説がこの先生きのこるには?
学問を自ら否定しているので、九州説を学問と位置付けるのは矛盾している
やはりエンタメ路線が現実的であろう
0214名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 12:41:14.97ID:KIq9frOV0
漢委倭奴国の金印は福岡で発見された。
後漢書「倭奴国は倭の南極界である」
旧唐書「倭国はかつての倭奴国である」

「漢委奴国王」は九州で合っている

だから九州の

大陸と直接交易をしていたし、
普通に遺跡から中国製の土器や貨幣が出てくるし
吉野ヶ里のような集落があるし
渡来人が来ていた痕跡も

「漢委奴国王」の痕跡で、九州にあって当然のもの

邪馬台国の「親魏倭王」の痕跡だという証拠はどこにもない

なのに

九州は
大陸と直接交易をしていたし、
普通に遺跡から中国製の土器や貨幣が出てくるし
吉野ヶ里のような集落があるし
渡来人が来ていた痕跡もバカスカある
から「親魏倭王」だ

というのが九州説
0215名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 12:42:07.73ID:nBg+fkql0
>>212
秦王国は隋の時代だぞ?
数百年の差が同時期という感覚なのか?
倭奴国の時代から継続して、各地に地方政権が存在していた事を示しているという意味なんだけど?
その一つが北部九州の倭国であり、邪馬台国だという話だ。
絞り込みが出来るんだからその範囲で探せばいいだけ。
0216名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 12:43:14.58ID:un7RZFnj0
「漢委奴国王」の最後の所有者が卑弥呼
倭國亂とは「漢委奴国王」印の争奪戦
卑弥呼は魏に入朝するに際して「漢委奴国王」印を使用し
新たに「親魏倭王」印を貰う
「親魏倭王」が出れば壹與の痕跡。
0217名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 12:44:22.75ID:JZKFN9bb0
九州説がこの先生きのこるには?
その前に、爺さんばっかりで信者の高齢化が懸念される
0218名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 12:45:44.03ID:ykZRzVP80
纒向は生活の跡がない土木作業事務所
もしくは古墳造成要員のハロワ
0219名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 12:46:01.47ID:7/9qJz7D0
ヤマトは政治拠点
伊都は朝鮮出兵軍事拠点
0220名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 12:46:58.66ID:KIq9frOV0
>>215
漢委倭奴国の金印は福岡で発見された。
後漢書「倭奴国は倭の南極界である」
旧唐書「倭国はかつての倭奴国である」

「漢委奴国王」は九州で合っている

だから

九州に渡来人の集落ができて、それが国になっても、なにもおかしくない

「漢委奴国王」の痕跡で、九州にあって当然のもの

邪馬台国の「親魏倭王」の痕跡だという証拠はどこにもない
0221名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 12:48:07.42ID:tA9fqMX70
これか。

旧唐書より
倭国と日本(ヤマト政権)が別記されている。
https://i.imgur.com/LMs5IbV.png

■倭國条 〜631年 (倭国時代末期)
「倭國者,古倭奴國也。」
(倭国はいにしえの倭奴国である。)
 倭奴国とは、漢委奴国王の金印を貰った国。
 
■日本条 701年〜 (ヤマト政権時代)
「日本國者,倭國之別種也。」
(日本国は倭国の別種である)

畿内ヤマト政権自身が倭国と同一で無い事を意味する発言をしている。
「日本舊小國,併倭國之地。」
(小国だった日本国が倭国を併合した)
0222名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 12:48:23.40ID:ykZRzVP80
魏志倭人伝には九州北部のことしか書いてない
畿内は論外
0223名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 12:48:55.28ID:jol/SaLAO
平安紀にデカイ古墳は廃止しましょだからデカイ古墳はその時期から少し前の話だろ、倭人伝注釈で倭人の祭祀には天神は関わりがなく倭人伝馬韓条弁韓条には、半島の祭祀には天神を祀る、大和朝廷と卑弥呼は関係ないよ。。
0224名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 12:50:14.00ID:KIq9frOV0
訂正

>>215
漢委倭奴国の金印は福岡で発見された。
後漢書「倭奴国は倭の南極界である」
旧唐書「倭国はかつての倭奴国である」

「漢委奴国王」は九州で合っている

だから

九州に渡来人の集落ができて、それが国になっても、なにもおかしくない

むしろ、57年に「漢委奴国王」になってから、何百年も行き来していれば、それぐらいできるだろう

「漢委奴国王」の痕跡で、九州にあって当然のもの
邪馬台国の「親魏倭王」の痕跡だという証拠はどこにもない
0225名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 12:53:17.40ID:7/9qJz7D0
外交官は伊都に居るのが利にかなう
伊都から先は女王まで通さないから
距離→日数(伝聞)に変わる
0226名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 12:54:18.32ID:nBg+fkql0
漢委倭奴国→邪馬台国→筑紫国だから、
卑弥呼の時代は北部九州で合ってるね。
0227名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 12:54:32.84ID:ykZRzVP80
古神道の三輪山の磐座と、畿内派が唱える纏向の祭祀スタイルは全く相容れないからな
畿内派が卑弥呼が祭祀に使ったと力説してる中国式の桃の種とかカエルの骨とか、もうアホかバカかと
0228名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 12:55:05.41ID:JZKFN9bb0
九州説がこの先生きのこるには?
インタネット上で工作活動もよい方法
Wikipedia情報の捏造やデタラメ編集はすでにやっているようだが
0230名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 12:56:46.54ID:jol/SaLAO
漢倭奴国の金印落ちてたの考えると海に逃げようとしたんで九州勢に襲われてるわな。
0231名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 12:56:51.34ID:Ywmka4KD0
>>200
子供がいないって記述はあったけ? 
「年寄りで夫はいないが弟がいる」とは書いてあるけど。
0232名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 12:59:05.17ID:ykZRzVP80
>>230
江戸時代に黒田家に有ったんだけどな
発見のされ方が二転三転するなどおかしいからヤラセが濃厚
0233名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 12:59:22.39ID:tA9fqMX70
>>227
>卑弥呼が祭祀に使ったと力説してる中国式の桃の種とかカエルの骨
そのあたりの話を学者が100%想像論で説明しててワロタ。
この種の学者はいわゆる妄想家だよ。
権威ある考古学者やらが、仮説や推論の枠を超えて妄想を膨らませて、その意外性に惑わされるボケ老人たちが集うのが畿内説。
とことん想像説だから笑えるw
0234名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 13:05:01.82ID:liU0BH2G0
日田だろう 小迫辻原が居館址 墓は日隈・月隈・星隈三社の交点 今は破壊されて平地にされて無くなった
0235名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 13:08:02.69ID:ykZRzVP80
箸墓は鐙が埋まっていたから渡来系が馬を使って造成した
その時にモモとかの中国の果物や文化や宗教も伝わった
箸墓は5世紀なら全てが合う
モモソの墓が有力
0236名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 13:12:02.85ID:ykZRzVP80
>>234
女王の都は東側が海
日田から山国川を下った河口の宇佐に卑弥呼がいた
日田も含めて豊前と豊後が邪馬台国
後のトヨの国である
0237名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 13:14:18.78ID:tA9fqMX70
これが女王国30国のうちの一つだったらどれに該当するんだろう?

富の原遺跡/長崎県大村市
(弥生中期初頭〜後期前半)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E3%81%AE%E5%8E%9F%E9%81%BA%E8%B7%A1

特に鉄戈の分析から得られた情報は大きく、原料鉱石として磁鉄鉱が用いられ、 錆分析から推定される
鋼の炭素量は0.5から0.6パーセントで、刃部には真鍮を削れる程度の硬度があり、別の鉄戈の棟部の錆び
から調べられた炭素含量は 0.1から0.2パーセントであり、棟部が軟鋼であることが確認されている。
すなわち刃部に高炭素の硬鋼を使用し、棟部に低炭素の軟鋼を組み合わせる「合わせ鍛え」の技法
(日本刀や農工具に用いられる技法)が弥生期から確認された。
0238名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 13:22:04.77ID:nBg+fkql0
>>236
女王の都の東ではなく、女王国の東に海があり、その海を渡るとまた倭種の国があると書いてある。
女王国というのは魏志倭人伝に書かれているように「女王に属する」国々をまとめての総称。
0239名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 13:22:09.33ID:CMAN6k5n0
出てきた花粉は紅花花粉で
日本に入って来たのは5世紀以降と
言われています。
0240名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 13:24:51.30ID:KIq9frOV0
>>237
漢委倭奴国の金印は福岡で発見された。
後漢書「倭奴国は倭の南極界である」
旧唐書「倭国はかつての倭奴国である」

「漢委奴国王」は九州で合っている

57年から「漢委奴国王」は九州にいたのだから

長崎で鉄戈と鉄剣が出土するのは当然だな

「漢委奴国王」の痕跡で、九州にあって当然のもので
邪馬台国の「親魏倭王」の痕跡だという証拠はどこにもない
0241名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 13:27:28.72ID:KIq9frOV0
>>238
女王国の東に海があり、その海を渡るとまた倭種の国があると書いてある

本当にあったみたいだね

東日本最古の「墨書土器」を展示 平成16年8月11日
https://www.city.nagareyama.chiba.jp/contents/23140/23405/35347/035465.html

流山市立博物館で東日本最古の「墨書土器」が展示され、来館者から好評を博している。

今回展示している墨書土器は、財団法人千葉県文化財センターが発掘調査を実施した流山市西初石の「市野谷宮尻遺跡」で出土したもの。
これまで東日本で出土された墨書土器では、七世紀後半のものが最も古いとされていたが、この土器は、それより400年も古い、「古墳時代前期(3世紀末)」のものと見られている。

財団法人千葉県文化財センターでは、

「今回の文字の発見は、文字に熟練し筆を所有していた人物が存在していたことが大きな意義と思われる。土器に文字を書くだけの目的で筆を所有していたとは考えられず、他の目的で筆を所有していたのであろう。
律令時代のように文書による伝達が行われていない時代であり、おそらく外交や交易に携わった人物が文字の書き手となったものと思われる」と話してる。

https://www.city.nagareyama.chiba.jp/contents/dbps_data/_material_/_files/000/000/035/465/1602.jpg
0242名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 13:32:42.32ID:KIq9frOV0
>>240
むしろ

「漢委奴国王」なんかいなかったのに、急に大陸のモノの出土品が出てくる地域が邪馬台国

畿内だね
0246名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 13:39:09.43ID:ykZRzVP80
>>238
違うよ

自女王國以北、其戸數道里可得略載、其餘旁國遠絶、不可得詳〜
0247名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 13:39:55.69ID:DtsZoVBD0
>>182
それだと旧唐書や後漢書にある倭奴国との関係がわからなくなるね。
倭国と並ぶ最大の蛮族だった匈奴が、
新の皇帝から送られた印文が「新匈奴単于章」で、
同じく率善や帰義といった単語が使われていないから、
必ず帰義や親という単語が入るわけじゃない。
0248名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 13:41:03.52ID:nBg+fkql0
>>242
失敗したのか?w
畿内説の書き込みのほとんどが自演だと聞いてはいたがw
0249名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 13:44:47.20ID:8DDm2wRP0
>>242
珍獣鏡は大陸のものじゃないからw
0250名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 13:45:41.13ID:nBg+fkql0
>>246
その場合の、其餘旁國遠絶,不可得詳(その他の国々は遠くて詳細不明)は、
以北ではない方向=南方を指すはずだよ。
鹿児島や奄美とか琉球のことでしょう。
0251名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 13:46:00.13ID:8DDm2wRP0
>>248
そんなこと言って
奥山くんがID変えたらどうするんだよ
0252名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 13:47:05.73ID:tr+5g0kh0
>>238
邪馬台国本国の位置がどこであれ北九州が連合国の構成国と確定な以上、
その豊後水道越えた東にも倭人の国が四国西岸になるよね。佐田岬半島付け根あたりかな。
そこから南に進み女王国から4000里にある侏儒国は足摺岬まわって土佐中村あたりと推測。

だから東南に船で1年の裸国、黒歯国は四国沿岸をどんどん進むことになる。
室戸岬、淡路島と進んで明石海峡にいくか和歌山に渡るかは定かではないけど
太平洋岸を黒潮に乗って東は間違いない。
0254名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 13:55:31.91ID:nBg+fkql0
>>251
奥山って5chで畿内説のデタラメ版を拡散しようとしてる引きこもりだって聞いたw
なんでそんなに必死なんだろうねw
0255名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 14:03:22.06ID:nBg+fkql0
>>252
投馬国、邪馬台国への水行はそれぞれ下関側と長崎側だと思う。
大分が邪馬台国なら長崎が投馬国といった感じかな。
0256名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 14:23:13.65ID:8YW+unbf0
ここが新たな飯塚幸三スレか
0257名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 15:09:15.95ID:kjcI5lRY0
倭国(百余国)の中に三十余国の邪馬台国連合国家があり、その東は海に面し
海を渡る事1千余里で倭種の国がある。1千余里とは早朝から夕方まで船を漕いで
到達出来るほどの距離(40〜50km)ほどなので豊予海峡くらいだな。
従って邪馬台国は九州内、連合国家の中には宇佐国もあるから宇佐国の東は
豊予海峡。邪馬台国本国は筑後地方にあったと言う事になる。
0258名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 15:24:23.16ID:trdG0I/j0
中国、台湾の学者達は九州だもんなw
利権癒着に関係ないから素直に出せる答え だねw
0259名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 15:26:08.71ID:AjB0faIU0
同一文献の中で、自説に都合の良い文章は真実で、都合の悪い文章は信用できない
と疑う行為をチェリーピッキングと呼びます
大学で論文指導を受けてない人間がよくやります
指導を受けていても、論理的思考ができない人間もよくやります
いずれにしても素人とみなされ、信用を得るのは困難です
0260名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 15:26:41.30ID:jol/SaLAO
でもねえ珍種のおじちゃんの言うこともいい線なんだよ、丹は力になったからなあ、今悩んでんだよ、そのうち出てくるよ。出てくると喧嘩になるけどね。
0262名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 16:03:24.24ID:JZKFN9bb0
九州説がこの先生きのこるには?
いろいろ模索してみたが、九州説が存在できる場所は月刊ムーと5ちゃんねるだけのようだ
0263名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 16:13:22.27ID:tA9fqMX70
畿内説説がこの先生きのこるには?
いろいろ模索してみたが、畿内説が存在できる場所は月刊ムーと5ちゃんねるの自作自演だけのようだ
0264名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 16:14:30.28ID:P/GPvlak0
狗奴國は筑紫野から甘木朝倉だからなぁ
0265名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 16:58:50.02ID:3JKZ/edE0
>>248
別に失敗でもなんでもないが?
0266名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 17:01:23.35ID:3JKZ/edE0
>>252
漢委倭奴国の金印は福岡で発見された。
後漢書「倭奴国は倭の南極界である」
旧唐書「倭国はかつての倭奴国である」

「漢委奴国王」は九州で合っている

だから九州の

大陸と直接交易をしていたし、
普通に遺跡から中国製の土器や貨幣が出てくるし
吉野ヶ里のような集落があるし
渡来人が来ていた痕跡も

「漢委奴国王」の痕跡で、九州にあって当然のもの

邪馬台国の「親魏倭王」の痕跡だという証拠はどこにもない

なのに

九州は
大陸と直接交易をしていたし、
普通に遺跡から中国製の土器や貨幣が出てくるし
吉野ヶ里のような集落があるし
渡来人が来ていた痕跡もバカスカある
から「親魏倭王」だ

というのが九州説
0267名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 17:21:04.33ID:un7RZFnj0
「漢委奴国王」印は倭奴国王の証であり、漢が認めた倭国の支配者の証である
漢代には代々の倭国の支配者に引き継がれ最後の所有者が卑弥呼なのである
倭國亂とは「漢委奴国王」印の争奪戦であったが、卑弥呼が共立され収まった
卑弥呼は魏に入朝するに際して「漢委奴国王」印を使用し自らの正当性を証明したのであった
漢が滅亡した為に新たに魏から倭王と認められた証として「親魏倭王」印を貰う必要があったのである
不要となった「漢委奴国王」の印が博多湾岸で発見されたと言うことは卑弥呼が福岡市周辺に居た証拠である
「親魏倭王」が出れば次の壹與の痕跡なのである。
0268名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 17:23:01.12ID:un7RZFnj0
>>258
日本の7割も九州説なんだ
畿内説なんて言ってる人は特殊で異常な人達。
0270名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 17:27:13.61ID:3JKZ/edE0
>>267
それはおかしい

ならば、詳しい行き方など記述せず

邪馬壹国とは古の倭奴国なり

で済むはずだ
0271名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 17:30:19.51ID:upZjwbmX0
>>268
学校で畿内説が有力と教えるようになったから
そんなのすぐにひっくり返るだろ
1192つくろう鎌倉幕府なんて言ってる人もういないだろ
0272名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 17:32:01.97ID:3JKZ/edE0
国立歴史民俗博物館


Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?

Answer 大多数の考古学者は大和説です
http://www.rekihaku.ac.jp/contact/faq01.html#c
0273名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 17:34:28.41ID:un7RZFnj0
>>269
黒田家藩内で発見されたことは確かだな。
>>270
倭奴国の詳しい行き方を説明した書物が魏志倭人伝の前にはないから記述したんだよ。
>>271
そんなことはないよw
0276名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 17:44:23.37ID:3JKZ/edE0
>>273
だから

倭奴国(九州)の詳しい行き方を説明した書物が魏志倭人伝の前にはない

のは当然だっつーの

57年から150年以上来てるんだから、いまさら記述する必要がない
倭奴国(九州)では無い地域が邪馬台国だから記述したんだよ。
0277名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 17:45:24.61ID:3JKZ/edE0
>>275
1000人の素人が、なんだって?
0279名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 17:56:04.64ID:un7RZFnj0
>>276
>いまさら記述する必要がない

それまで記録が無く新たな情報なんだから記述するのが普通だよ。
0280名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 17:58:39.01ID:H5XPrknn0
俺、今まで秘密にしてたけど卑弥呼の時代に生きてた古代人の子孫なんだ
0281名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 17:58:55.81ID:tA9fqMX70
>>276
>倭奴国(九州)の詳しい行き方を説明した書物が魏志倭人伝の前にはない
魏略は知らんてか?
0282名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 17:59:24.14ID:3JKZ/edE0
畿内が出雲を植民地化して統治して、
57年から150年以上行っていた、倭奴国(九州)では無い畿内が皇帝から「親魏倭王」に任じられたから記述

魏(220年 - 265年)の時代  
対馬國 − 一大国(隠岐)−末廬国(松江)−伊都国(出雲)−奴国(因幡)−不弥国(摂津住吉)−投馬国(近江)を経て邪馬壱國(奈良)


九州狗奴国の第32代目国王「ウガヤフキアエズ」の第4皇子の神武が
自分が王になれる国を求めて狗奴国の軍隊と共に、九州から吉備に滞在して畿内に入り、一支国(壱岐)から分岐して邪馬台国にも行けるようになったので記述

南朝梁(502年から557年)の時代
対馬國 − 一支国(壱岐)−末廬国(松江)−伊都国(出雲)−奴国(因幡)−不弥国(摂津住吉)−投馬国(近江)を経て邪馬壱國(奈良)


ヤマトタケルが西征して、九州に入り、竹斯国(筑紫)が使えるようになったので記述

隋(581年 - 618年)の時代
百済−竹嶋−耽羅国−都斯麻国−一支国(壱岐)−竹斯国(筑紫)−秦王国−十余国を経て難波津−奈良
0283名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 18:01:06.42ID:8DDm2wRP0
>>276
畿内説の言い分では魏志倭人伝は
邪馬台国伝ではなくて倭人伝だから
北部九州の事ばかり書いていてもおかしくない
ってことだろ。
今まで150年も来てたのに、
どうして今さら魏の時代になって北部九州の詳しい風俗なんか書き記したの?
大陸の人ならみんな知ってるはずだろ?
0284名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 18:02:31.09ID:3JKZ/edE0
>>279
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ
それから150年間以上、倭の国王として君臨し、大陸との交易を独占していた

倭奴国=九州

への行き方なんか、新しい情報のわけがねーだろ
0287名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 18:06:43.29ID:3JKZ/edE0
>>283
全然違います

邪馬台国は

後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ
それから150年間以上、倭の国王として君臨し、大陸との交易を独占してきた

倭奴国では無い

から

魏志倭人伝(ぎしわじんでん)つまり
中国の歴史書『三国志』中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条
に書かれている
0288名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 18:07:47.84ID:3JKZ/edE0
>>283
全然違います

邪馬台国は

後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ
それから150年間以上、倭の国王として君臨し、大陸との交易を独占してきた倭奴国では無い

から

魏志倭人伝(ぎしわじんでん)つまり
中国の歴史書『三国志』中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条
に書かれている
0289名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 18:08:09.83ID:tr+5g0kh0
>>255
なるほど、それもありかもね。
ある人は邪馬台国は大分で投馬国は山口県瀬戸内海側としていた。

伊都国から投馬、邪馬台国と続けと読むから投馬の位置が分からなくなるんだよな。
よくあるのは投馬国は宮崎説。
0290名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 18:10:47.79ID:VTcd9zoI0
伊都国の平原遺跡ってあるし、邪馬台国ではないのになんで卑弥呼に飛躍するわけ?
伊都国なんだから伊都国の王か女王でしょ。卑弥呼は邪馬台国の王。
0291名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 18:16:58.06ID:dA2KXa8O0
>>290
伊都国は卑弥呼の前に代々王が居たと書いてある。
そして女王を立てたとくるから、伊都国王は男王だったと推測できる。
0293名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 18:33:14.76ID:gxAlfayD0
>>71
それってその博物館の学者は大和説ってだけで
日本の学界の認知とはいえないよね
0295名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 18:43:02.11ID:4dajFZ3r0
>>293
畿内説は学者も皆そんなのばっか。
纒向遺跡も大集落とか言ってるけど、実際は住居跡がほとんど見つかってないし。
それを指摘されれば、人が住まない場所だからこそ、高貴な人が寄り合う場所であり、まさに邪馬台国だって。
史書には邪馬台国は7万戸と書かれているのによ。
0296名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 18:43:55.28ID:un7RZFnj0
>>291
世有王は代々王が居たは誤訳で
魏代に王が居たの意味だよ。
0297名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 18:54:48.55ID:tb8GnzE40
『古事記』の崩御年は正確というのが定説である。
しかし『古事記』には架空の天皇の崩御年が書かれているので
架空の天皇を削除して崩御年をずらしてみると面白いことがわかる。

古事記の記載
崇神天皇 戊寅    ←実在
垂仁天皇 記載なし  ←実在
景行天皇 記載なし  ←実在
成務天皇 乙卯    ←架空
仲哀天皇 壬戌    ←架空
神功皇后 記載なし  ←架空
応神天皇 甲午   ←実在

※架空の天皇を削除して崩御年をずらしてみると、実在の天皇の正確な崩御年がわかった。
崇神天皇 戊寅(198年)
垂仁天皇 乙卯(235年)
景行天皇 壬戌(242年)  ←卑弥呼の死亡は242〜249年と一致
応神天皇 甲午(394年)  ←実在、学者の間でも新王朝説が有力

卑弥呼の死亡が242年で
景行天皇の崩御年も壬戌(242年)であることがわかる。
景行天皇は、卑弥呼死亡後の後継者争いで死んだ。そして台与が女王になった。

翌年の243年に朝貢しているが、卑弥呼の死亡と新女王・台与の誕生を魏に伝えるための朝貢と考えられる。
0298名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 18:55:44.16ID:un7RZFnj0
>>281
魏略に邪馬台国は書かれていないよ。
0299名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 18:57:48.67ID:8DDm2wRP0
>>288
でも魏志倭人伝に書かれてるのは絹とか鉾とか北部九州の事ばかりで、
畿内のこと一言も書かれてないよ。
0300名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 18:59:35.20ID:tb8GnzE40
前方後円墳が「定型化」されたのは箸墓であるというのが定説である。

晋書 巻3 武帝紀 武帝=西晋初代皇帝 司馬炎
>泰始2年(266)11月
>倭人、来たりて方物を献ず。
>円丘・方丘を南・北の郊に併せ、ニ至の祀りをニ郊に合わせたり。

倭国から朝貢があって
前方後円墳らしきことが書いてある。

卑弥呼が亡くなったのが242年
箸墓の完成に20〜30年かかったと考えられているのでピッタリ一致
最新の研究では箸墓は240〜240年頃に作られたもの。

すべてが一致。通説通り箸墓が卑弥呼の墓だろう。
0301名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 19:02:35.93ID:kURgcxzE0
>>292
巫女である可能性だけで、女王とはかぎらない。

古代日本、倭人居住地域においては男女一対の指導者を頂いての統治の痕跡が多くみられる。
しかし、魏志倭人伝においては巫女が完全に従であるかのような記述がみられることから、
中華世界に、かなりの影響を受けた政教分離が進んでいたことも伺われる。
しかし、これは従である巫女の存在を否定したものであるとは言い難い。
そのような当時の世情の中、あえて女王が立てられた、または卑弥呼がクローズアップされた
事情は大変興味深い。
0302名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 19:03:21.24ID:tb8GnzE40
黒塚古墳は公式報告書で3世紀後半
https://www.sankei.com/region/news/181017/rgn1810170027-n1.html

黒塚古墳は箸墓を参考にして作られている。
黒塚古墳が3世紀なら箸墓も3世紀。
纏向遺跡の真北に黒塚古墳があり、
纏向遺跡の真南に箸墓がある。

※黒塚古墳からは難升米に授けられた「黄幢(黄色い旗さし)」が出土している。

完全に箸墓が卑弥呼の墓です。
0303名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 19:03:49.09ID:bHJEJRTD0
>>1
もういいよ
そんなもんで飯食うなよ
0304名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 19:04:32.13ID:rEqUio/H0
>>299
当たり前だよ、魏使は北部九州に合った邪馬台国の出先機関までしか来てないんだから。
北部九州の風俗しか記録出来なかったんだよ。
邪馬台国の本拠地は畿内、出先機関が北部九州。
これは後の時代までずっと続くルールでしょ。
0305名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 19:05:34.36ID:4dajFZ3r0
>>298
ということは、魏略が書かれた頃にはまだ邪馬台国は無かったということだよ。
0306名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 19:05:56.10ID:un7RZFnj0
>>302
※黒塚古墳からは難升米に授けられた「黄幢(黄色い旗さし)」が出土している。

正体不明の銅器が出土したのを黄幢とか捏造したらいかんよw
0307名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 19:07:25.81ID:tb8GnzE40
>>306
黄幢とは断定できないが黄幢と考えるのが妥当な金具だよ
0311名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 19:12:28.94ID:4dajFZ3r0
>>309
知らんがなw
というのが正式見解と言える答えだ。
黄色い旗が付いてた訳でもないのに誇大妄想も甚だしい。
0312名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 19:14:26.91ID:hPehgY8V0
>>299
絹とか鉾とかが、なんで北部九州だけの事

なの?
0313名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 19:14:39.75ID:VoJmogBk0
邪馬台国は、太宰府付近である不弥国から見て南にある。

不弥国
 ↓水行20日
投馬国
 ↓水行10日
 ↓陸行1月
邪馬台国

これを満たすのは、宮崎県しかない。

投馬国=久留米まで宝満川
久留米から日田まで川、日田から宮崎県南部まで徒歩
0314名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 19:14:45.77ID:Z2/yz+IJ0
黒塚古墳のは黄幢だろうな
金具の形が旗さしの絵と一致してるしね
0315名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 19:15:58.15ID:8DDm2wRP0
>>300
鎧で一発アウトw
0317名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 19:17:23.82ID:8DDm2wRP0
>>312
弥生時代の絹が出土するのは北部九州だけ。
弥生時代の鉄鉾が見つかったのは北部九州だけ。
0318名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 19:17:44.33ID:un7RZFnj0
>>314
してないよw
0319名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 19:17:55.75ID:cT3zGRLz0
>>315
鎧は箸墓の外部から出土したものだから
鎧からは完全時期は確定できないよ
0320名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 19:18:04.72ID:VoJmogBk0
>>317
倭国から絹が見つかれば良いわけで。
0321名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 19:18:42.18ID:tb8GnzE40
>>318
知らないの?一致してるよ
0322名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 19:20:07.82ID:tb8GnzE40
>>317
北部九州は邪馬台国(奈良)の領土だったんだから問題ないよ
0323名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 19:23:26.17ID:VoJmogBk0
水行が川なのか海なのか、中国人にも随分聞いたが、どちらもありなんだ。
だが、九州に上陸して東南、つまり内陸に内陸に入った後の水行は、川しかない。
そして、街道がある程度整備された江戸時代でさえ、博多と久留米をつなぐ舟運(河川交通)があった。

馬や牛のいなかった邪馬台国の時代、不弥国からの水行は舟運である。
そして、久留米は江戸時代まで妻郡という地名だった。これが投馬国である。
0324名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 19:25:45.50ID:8DDm2wRP0
>>322
大陸の人が150年行き来して大陸の人はみんな知ってるから北部九州の事は書く必要が無いって
>>288が言ってるよ
0325名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 19:31:09.27ID:piKHp1Ad0
>>30
神功皇后が応神天皇を生んだ宇美八幡と大分八幡近く(九郎原駅あたり)までの峠道をショウケ越えという
ショウケというのは応神天皇を載せた竹で編んだカゴのこと

んで筑豊には仲哀天皇や神功皇后や応神天皇の伝承が多い
0326名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 19:32:03.39ID:un7RZFnj0
>>321
単なる思い込みだよ。
0327名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 19:33:16.19ID:H5XPrknn0
肥前風土記によると、土蜘蛛の集落の3割が女王。女系だった古代日本ではさほど珍しいものでもなかったようだ
0328名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 19:33:16.96ID:un7RZFnj0
>>322
当時の奈良は未開の地だよ。
0329名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 19:34:42.81ID:hPehgY8V0
卑弥呼が亡くなったのが242年
台与が朝貢したのが266年

『魏志』は
西晋(265年 - 316年)の時代に編纂され
280年から297年に完成した

すべての国の名も、訪れる国の順番も、里数も、行程も

九州は対象外
0330名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 19:37:14.22ID:VoJmogBk0
江戸時代、博多から宇美(ここが不弥国とも言われる)を経由して、久留米まで河川交通があった。
2つの川をつなぐ舟運だから水行20日だ。2つだからだ。
現在の地図でも、それが可能なことはわかるだろう。
https://i.imgur.com/tRKtvNQ.jpg
https://i.imgur.com/eCcEjdm.jpg

そして、確かに、宇美から見て久留米は、魏志倭人伝の不弥国から投馬国の記述の通り、南にある。
0331名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 19:39:20.81ID:hPehgY8V0
>>328

>当時の奈良は未開の地だよ。

大陸の人たちには、自分が西に向かっているのか、東に向かっているのかも
何里歩いたのかも、全くわかんねーだろーな

『魏書』東夷伝の倭人条(魏志倭人伝)に書かれてる行程みたいに
0332名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 19:43:49.32ID:Fe8J5LvU0
違う
うちのオヤジ
0333名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 19:43:52.88ID:8DDm2wRP0
>>331
そして奈良のことは何も書かれていないw
0334名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 19:44:58.82ID:yubtnieP0
グーグル翻訳日本語→中国語

倭国王帥升等→皇家女王等 

日本国王朕→日本皇家女王

今は誰かが修正したらしく、この訳にならないから真実は葬られた
0335名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 19:45:44.30ID:hPehgY8V0
>>333
奈良だと書かれている証拠が

>>331
0336名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 19:46:48.85ID:yubtnieP0
国王朕なら日本では男性のことだけど
中国語の翻訳では女王と訳される
当然古代中国は国王朕の事を女王と聴いてるはずだ
0337名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 19:48:06.88ID:8DDm2wRP0
>>335
証拠ならんw
それなら阿波でも埼玉でもあてはまる
0338名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 19:50:24.54ID:sQkcB6690
懲りない奴らw

邪馬台国は↓この視点で見て「南」の方角。
https://i.imgur.com/t1La2wr.png

九州説:陸行「一月」は「一日」の転記ミスである
畿内説:方角の「南」は「東」の勘違いである
0339名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 19:50:25.82ID:hPehgY8V0
卑弥呼が亡くなったのが242年
台与が朝貢したのが266年

『魏志』は
西晋(265年 - 316年)の時代に編纂され
280年から297年に完成した

『魏志』は、邪馬台国が無くなってから何百年も経ってから、書かれた史書では無い

『魏志』は、邪馬台国とほぼオンタイムで書かれている
0340名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 19:51:57.40ID:hPehgY8V0
>>337
そ・う・だ・よ

なんで「九州に限定してる」の?

バカなの?
0341名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 19:55:14.45ID:yubtnieP0
九州説が有力なのは金印が出ただけでなく
帥升が皇室に関係ある役職名だということ
もう論破しすぎて反論が怖いな。
0342名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 19:57:36.29ID:8DDm2wRP0
>>340
九州の絹、鉾がでてくるから。
奈良の根拠なんて何もない。
君の当時の奈良が未開の地だというのは
根拠にならんw
0343名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 20:00:26.76ID:hPehgY8V0
>>338
対馬から

一大国
見島か
隠岐を

経由して

出雲だな

一支国
壱岐が使えるようになるのはもっと後
0345名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 20:01:56.25ID:hPehgY8V0
>>342
絹、鉾がでてくるが

なぜ

九州の と限定しているの?
0346名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 20:03:06.68ID:yubtnieP0
グーグル翻訳 中国語→日本語
漢委奴国王印→漢王朝印刷
0347名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 20:05:38.83ID:8DDm2wRP0
>>345
弥生時代の絹と鉄鉾が見つかったのは九州だけだから。
0348名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 20:06:09.06ID:yubtnieP0
金印は漢王朝を意味してるから
漢委奴国とは漢王朝という意味
0350名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 20:08:36.12ID:hPehgY8V0
>>347
んじゃ

弥生時代の絹と鉄鉾が、九州以外から見つかったとたん

九州説は崩壊しちゃうね
0351名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 20:12:03.34ID:WG4BNZ/t0
日本に文字がなくて特定できない予感
0352名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 20:14:46.85ID:0fDLs5qf0
>>349
古代の川の流れを復元してみてくれ。

江戸時代、江戸と川越は舟で結ばれていたことはよく知られている。
鬼平を見ている人ならお馴染みだろう。

明治に鉄道が開通するまで、栃木、千葉、埼玉、群馬は舟運で結ばれていた。
巴波川舟運だ。
船着場付近でもこの程度の川だ。
http://candeo-times.com/tochigi-yuurannsen-1950.html

実は、私の祖母の母は、群馬の藤岡までこの巴波川舟運を使い、そこから馬に乗って群馬に嫁入りした。
0353名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 20:14:48.15ID:8DDm2wRP0
>>350
破綻まではいかないw
候補として残るw
0354名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 20:16:38.06ID:hPehgY8V0
九州説者にのせられて

伊都国だ、なんつってる糸島市教育委員会や糸島市や

福岡平野を中心とした奴国について紹介なんかしている福岡市埋蔵文化財課は

一瞬にして笑い者だな
0355名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 20:18:23.72ID:0fDLs5qf0
>>352
宇美から久留米への御笠川、そして宝満川を巴波川と比べてみよう。

宝満川は広いので、舟運があったことに納得するだろうが、狭いと思われている御笠川を見てみよう。
https://blog.goo.ne.jp/mapfan01/e/d488bc85dd043686278e2abd55b2045b

巴波川舟運の川、川越の川と比べて、十分な広さだ。

江戸時代でもそうだったが、流れのある川を遡る時は、川岸の人夫が綱で舟を引く。
0356名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 20:20:54.15ID:0fDLs5qf0
不弥国から水行。

不弥国をどこと考えると、いきなり海になるのか?
そして、海であれば、九州島に着いたその船を使えば良いのである。九州島内を無駄に歩く必要はない。
0357名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 20:21:23.23ID:hPehgY8V0
>>342

当時の奈良は未開の地

と言ったのは、この人

328 名無しさん@1周年 2019/08/06(火) 19:33:16.96 ID:un7RZFnj0
>>322
当時の奈良は未開の地だよ。
0359名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 20:22:01.42ID:sQkcB6690
卑弥呼の時代とは2世紀末〜3世紀半ばです。

・    〜2世紀末: 唐古鍵最盛期
・3世紀半ば〜4世紀半ば:纏向最盛期
・4世紀末〜:↓纏向の南で最盛期w
 
■最古の大壁建物跡か 奈良・高取の遺跡で発見
「建築年代は4世紀末〜5世紀初めと推定され、最古の大壁建物跡の可能性もある。
渡来人が入植を開始したのは5世紀後半と考えられていたが、大幅に早まる可能性が出てきた。」
「同町では、朝鮮半島式の床暖房装置(オンドル)を持つものを含めて約40棟見つかっている。」
 
「白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館名誉館長は、
建物の時期についてはさらに検討が必要としながらも、(現場に)居館や祭祀施設など渡来系の人たちが
営んだ重要な施設があったことは間違いないとみている。」

https://www.sankei.com/west/news/181128/wst1811280010-n1.html
0361名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 20:25:32.35ID:piKHp1Ad0
>>330
あの辺から筑後川まで繋がってるのか
知らなかった
0362名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 20:26:10.71ID:yubtnieP0
どこかで、中国語の訳しかたを知ったら
言われるままに漢委奴国王一大率とか名乗るのを恥じたかやめたんだろうな
それなら畑に棄てられていてもしかたない
0363名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 20:26:27.92ID:JZKFN9bb0
九州説がこの先生きのこるには?
捏造とインチキをすればよい
短里を捏造したり、紀元前まで遡った出土品を証拠ということにしたり、
ド素人のトンデモ年代をでっち上げたり、何もないところに国があったことにしたり
0364名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 20:28:19.35ID:yubtnieP0
どちらにしても、中国からは日本人が漢の奴隷王とか思われてた
しかも一大率とは奴隷王の大部分
普通に考えたら諸国をひきいた王のことだけど
0365名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 20:28:34.73ID:piKHp1Ad0
>>362
志賀島から発見されたのはなんでだろう
ちな、見つかったのは江戸時代
0366名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 20:29:14.66ID:hPehgY8V0
>>359
卑弥呼が亡くなったのが242年
台与が朝貢したのが266年

『魏志』は
西晋(265年 - 316年)の時代に編纂され
280年から297年に完成した

『魏志』は、邪馬台国が無くなってから何百年も経ってから、書かれた史書では無い

『魏志』は、邪馬台国とほぼオンタイム

渡来人の入植前だから、

渡来人には、自分が西に向かっているのか、東に向かっているのかも
何里歩いたのかも、全くわかんねーだろーな

『魏書』東夷伝の倭人条(魏志倭人伝)に書かれてる行程みたいに
0368名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 20:31:06.73ID:nfiEqrg20
>>364
孫権が「日本へ人(奴隷)を狩りに行こうぜ」とか言ってたらしいから
土人以下にしか見ていないのは明らかだな
0369名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 20:32:03.51ID:5BaDNDME0
伊都国は近世で言う横浜や那覇、みたいなもんだろうと推測する。
海から突然賊が来て荒らされたら1日で滅亡しかねない。津波も然り。
それにあの当時の感覚として、そんな港正面に都を構える感覚なんてない。
時代を下ったって、大和や京都、大宰府がそうで、便利だからと港に都を持ってきたのは難波京と清盛の大輪田泊くらい。

だから一大率という行政長官が居て、実際こいつは執政みたいなもんだったと推測する。
連合国家の神聖なる女王は、多数の狼藉者がいたら困る場所ではなく、もう少し内陸にあったのが自然だと思う。
0370名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 20:33:40.36ID:0fDLs5qf0
>>330
そして、久留米から南に位置するのは宮崎県南部であり、そこに行くには、日田付近まで水行(舟運)した後に、長い距離を歩く必要がある。これが陸行1月だ。
https://i.imgur.com/uvlu5dG.jpg

ちなみに、日田では有名な鉄鏡鏡が見つかっているが、それは福岡から日田まで川で運ばれたとも言われている。
古代の舟運だ。
0372名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 20:34:29.66ID:un7RZFnj0
>>356
魏志倭人伝の行程通りに進むと内陸に向かうい不弥国に海とか無いよな
不弥国から水行するんじゃなくて帯方郡からの水行だな。
0374名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 20:39:37.84ID:un7RZFnj0
>>373
奴国・・・下々の人々の国
伊都国・・・伊の都の国(伊とは霊的な能力持った人の意味)卑弥呼の都
0375名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 20:39:52.86ID:yubtnieP0
漢委奴国王一大率→漢奴隷王の大部分

漢奴隷王の割合が高い→漢奴隷王のほとんど
0378名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 20:41:43.78ID:un7RZFnj0
>>361
繋がってません、江戸時代に繋ごうとしたが失敗している
川の水量が少なすぎるんだ。
0381名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 20:46:39.82ID:bYA7gV9j0
>>290
九州には卑弥呼の墓の候補になりそうな墓がまったくないからだよ

平原1号墓は2世紀末で、卑弥呼の死亡した時期と半世紀もズレてるし、
12m x 14mの四角い墓で、大きさも形も全然違うし、
副葬された鏡は、100年も200年も前の漢鏡が2枚と残り38枚は国産鏡で
魏鏡は1枚もなく、魏志倭人伝に書かれた卑弥呼の墓とはかけ離れてるけどね

九州には卑弥呼の墓はないと正直に言ったら議論に負けてしまうから
他国である伊都国の墓を持ち出してきて、屁理屈をこねてるわけ
0382名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 20:47:11.96ID:8DDm2wRP0
>>357
しっかりそれに乗ってレスしとるやん
0383名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 20:49:52.03ID:R7+6mUC20
邪馬台国は大宰府だったけど、それを邪馬台国と認めると未だに魏の属国となり独立してないことになるから、別の国である日本が近畿にあったことにして、王族の繋がりがないことにしなきゃダメだろ。
0384名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 20:53:19.08ID:yubtnieP0
藤原とか官職名でとか、NHKで聞いたような気がするから
役職についた人は藤原氏の名前を名乗るとか
伊都国も官職の集まる国という意味だったのかも
0386名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 21:01:10.43ID:0fDLs5qf0
なぜ、宮崎の南部(どんなに北でも宮崎市以南)がそれほど強大だったか? 口数も多かったか?

それは都市と田舎を考えれば納得できる。
田舎は領域が広い。北海道は青森より広く、それによって人口も多い。

暴力団組織の例だと、分裂前の山口組を見てみよう。
大阪、神戸には強力な組織もあるが、それぞれの支配地域は狭い、
名古屋市に本拠を置く弘道会は、名古屋で唯一の暴力団だそうだ。支配地域は広く、それによって大阪の組織よりはるかに強力。
神戸の組織も、神戸以外の傘下組織を除けば、名古屋の弘道会より小さいだろう。

名古屋という広い地域で唯一の弘道会は、それによって山口組を支配し、組長は名古屋に住みつつ、神戸の山口組本部を本部として全国の山口組を支配していた。
神戸の山口組本部が、魏志倭人伝にいう一大率である。
0387名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 21:04:08.43ID:bYA7gV9j0
>>317
九州で弥生終末期の絹は福岡で出土したが、福岡は奴国に比定される
奴国から絹が出たことを九州説の根拠にしてしまうのが九州説論者の特徴
奴国からの出土は畿内説の根拠にもなりえるもの

九州で鉄鉾が出たのは弥生時代中期まで
邪馬台国の時代と200年以上も差がある
弥生時代ならどの年代でもいいから証拠品として持ち出してくるのも九州説論者の特徴
要するにインチキ
0389名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 21:08:17.46ID:W3CR24tf0
そもそも一大率とは何なのか?
字面をそのまま読むと一人の大きな兵士。
率とは兵士や軍人の事で行政官に使う文字ではない。

なので、何もフィルターせずに読むと
「特置一大率檢察」は、特にガタイのいい兵を一人置いて検察させたとなる。

大率を部隊の単位とすると、伊都国に一個大隊を置いて検察させたとなる。

若しくは一大率はそう言う個人名であった可能性もある。

通説化している一大率と言う魏にも過去の中国にも存在しない役職があったとして
何の注釈も無く出張報告書に書くわけもない。
0390名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 21:14:58.25ID:RBil3ETY0
>>323
有明海

>>353
分水嶺を越えることまではできないだろう
もっともその積み換え距離が短ければ、なかったことにして記述するのかもしれんが
0392名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 21:25:10.62ID:RBil3ETY0
様々な理由から調査されてない遺跡がたくさんあって、全く未発見の遺跡すらありそうなのをわかっていて、「候補がない」と言うことに意味があるとは思えないな
日本考古学特有の変な思考様式だ
0393名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 21:31:52.30ID:8DDm2wRP0
>>387
横からうざいな奥山くんは。
奴国の比定地ってはっきりした場所はわからんだろ。
当時博多より発展した場所はどこにも無かったんだから、倭国の中心が博多だったと考えるのは当然。
鉄鉾に関しても、200年前でもなんでも鉾を武器として使用していた痕跡があるのは北部九州だけ。銅鉾なら圧倒的な製造拠点だった。
ちなみに畿内では祭祀用の鉾さえ見つからない。恐らく当時畿内の人は鉾という概念さえ知らなかった。
0394名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 21:34:08.32ID:bYA7gV9j0
>>392
卑弥呼の墓は径百余歩、つまり直径約150m
九州には古墳時代になるまで巨大な墓は一つもない
邪馬台国とは違う文化圏ということを意味する
0395名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 21:41:15.78ID:ykZRzVP80
宇佐神宮の本殿の亀山は径百歩
本殿の地下に石棺が埋まっている
魏志倭人伝に卑弥呼の墓は槨が無く棺のみで土を盛っただけの簡単な塚と書いてある
スペックは完全に合致している
宇佐神宮の近くに百人の殉葬者を祀る百体神社もある
0396名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 21:43:45.37ID:ykZRzVP80
箸墓は鐙が埋まっていたことから分かるように
馬を使って造成した石積みの前方後円墳
魏志倭人伝のスペックとは全く違う
5世紀以降の古墳
モモソの墓
0397名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 21:55:43.15ID:bYA7gV9j0
>>393
祭祀用の銅矛を兵が武器として使うと言い張るのが九州説
要するにインチキ
0398名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 22:04:49.53ID:yubtnieP0
邪馬台国卑弥呼→箱根大国
邪馬台国卑 弥呼→Yamataikoku 卑 Wataru ko
邪馬台国卑 弥呼→Yomadai Kunisaki
邪馬台 国卑弥呼→Kyomadai Kuni Himiko
邪馬台 国卑 弥呼→Komadai Kuniyoshi
瓦????科→ワタルコ
0401名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 22:17:16.56ID:I6jg5vdQ0
宮内庁が陵墓掘らせてくれたら一発で解決すんじゃないの、これ
0405名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 22:32:40.55ID:3JKZ/edE0
ということで

【大陸から畿内へ】【畿内から大陸へ】のルートは、

魏(220年 - 265年)の時代  
対馬國 − 一大国(隠岐)−末廬国(松江)−伊都国(出雲)−奴国(因幡)−不弥国(摂津住吉)−投馬国(近江)を経て邪馬壱國(奈良)

奈良の邪馬台国なんて、クソ田舎の、内陸の、大陸の人間なんか誰も行ったことがなかった小国が

古代出雲を国譲りで、一大卒を派遣して統治して、植民地にして

急に大陸に行けるようになっちゃって、「親魏倭王」にもなっちゃった

んだね
0406名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 22:35:44.59ID:kURgcxzE0
>>344
日本神道の古層は所謂アニミスムにあり、巫女を通じての託宣のカタチといい世界中を
照らし合わせても特に特別なカタチというわけではない。
ただ、現在琉球地方にのこる巫女祭祀のカタチは古代の信仰・祭祀の面影を探る稀有な例といえるだろう。
0407名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 22:36:28.31ID:3JKZ/edE0
んな感じで「親魏倭王」になっちゃったもんだから

民主党政権とおなじように【長続きしなかった】

のね
0408名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 22:40:08.86ID:YTTbTJ370
卑弥呼はムー大陸の女王だよ
日本は海に沈んだムーの生き残りだったんだ
0409名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 22:43:07.95ID:YTTbTJ370
一大率はメルキドを守るゴーレムみたいなものだよ
卑弥呼は魔術使いだからね
魔法で泥人形に命を吹き込んだ
0410名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 22:44:08.10ID:kURgcxzE0
>>395
宇佐説を否定するわけではないが、百体神社の件は少々信憑性に欠けるかな。
0411名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 22:45:20.77ID:8DDm2wRP0
>>397
言ってない。
北部九州では邪馬台国よりも200年も昔から鉄鉾を武器として使用していた。
鉾よりも進化した歩兵用の武器が見つからない限り、邪馬台国時代も歩兵は鉾を使用していたと考えるのが合理的
0412名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 22:46:26.25ID:kURgcxzE0
>>396
それはよく言われるが、「埋まっていた」と「埋めていた」は全く違う。
ただ、箸墓が卑弥呼の墓かというと、私は疑問が残るがね。
0414名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 22:49:06.93ID:kURgcxzE0
>>401
残念ながら陵墓・及び陵墓参考地は目立つところにありすぎるから、既に盗掘・破壊の可能性が高いな。
0415名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 22:51:48.66ID:8DDm2wRP0
>>399
福岡の弥生銀座で見つかった全国の青銅器鋳型の6割を占める工業地域とか、全国の銅鏡の7割が福岡にあったとか、幅6mの貫通道路とか、幅20mの運河とかあったの?
0417名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 22:55:27.01ID:3JKZ/edE0
>>415
妻木晩田遺跡

妻木晩田遺跡(むきばんだいせき)は、鳥取県西伯郡大山町富岡・妻木・長田および米子市淀江町福岡にある弥生時代の集落遺跡。
国の史跡に指定されている。

遺跡の面積は156ヘクタールにもおよぶ大規模なものである。

集落関係では竪穴住居395基、掘建柱建物跡502基、墳丘墓(四隅突出型墳丘墓含む)24基、環壕等が検出されている。
一連の集落は弥生時代後期を中心に中期終わり頃から古墳時代前期初頭にわたって営まれている。

遺物は、土器、石器(調理具・農工具・狩猟具・武器)、鉄器(農工具・武器)、破鏡等が出土している。

鉄器は鉇・斧・鑿・穿孔具・鍬鍬先・鎌・鉄鏃等、
弥生時代のもののみで197点が出土しており、大陸性のものも確認されている。
0418名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 22:57:40.72ID:8DDm2wRP0
>>417
無いんだね
0419名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 22:58:51.26ID:8MhIXf2U0
委奴国は糸島はもちろん福岡一帯のことやろ
それ以外に金印の説明がつかん
0421名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 23:06:21.88ID:yubtnieP0
卑弥呼→那公高貴、瓦????科
卑弥呼→那??高??、瓦????科

とても高貴なワタルコ
0422名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 23:10:39.30ID:3JKZ/edE0
>>418
福岡の方がしょぼいじゃん
0423名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 23:13:09.86ID:R7+6mUC20
俺達の属国ニダとか後世の連中もうるさいから、奴国王の金印は捨てたんだよ。黒田さんが宝物みたいに握ってるから。元の時代に怒って博多を取り返しに来たら台風に負けたのよ。全国の武士が集結協力して博多湾で戦った良い話やな。
0425名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 23:16:01.02ID:YTTbTJ370
金印は返すものなんだが
漢の倭国王 あれ、いつ頃もらったんかな
王莽のときに返しそびれたんかな
0426名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 23:17:23.32ID:XXkJYkVh0
後漢書、北史では、 倭奴国なんだよな。
隋書、唐書では倭国だな。途中で倭奴が日本になったと有る。
倭奴国が朝廷に繋がってるんじゃないかな。
魏志に至るまで、倭人の国は複数あることは記述されてるし。

邪馬台国は魏志倭人伝にしか出てこない名前なんだよね。
単に奴国まで行ってないだけじゃない?
統一政権の史書に名前が出てくる程の勢力ではなかったんだろう。
0427名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 23:26:21.33ID:8DDm2wRP0
>>420
鉄器がないくせにあったはずって言ってる
どこかの狂信者集団みたいだよなw
0428名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 23:27:45.52ID:8DDm2wRP0
>>422
キナイセツ眼鏡でみたらそうなるのかな?
0429名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 23:38:08.10ID:R7+6mUC20
よって、日本が中国の属国になるまで、邪馬台国と卑弥呼の歴史は明らかにされない。知る必要のないことは置いといて、アメリカと仲良くやろうや。
0430名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 23:42:39.43ID:tb8GnzE40
>>412
それ以前に鎧が埋まってたのは、箸墓の外側だから騙されるな
0431名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 23:49:55.64ID:jol/SaLAO
ひょっとしたら卑弥呼は最後の王、女王かもしれん。どう考えてもこの後百済にこの4つの島は乗っ取られとる。日本の貴族に現地人がおらん
0432名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 23:49:55.82ID:tb8GnzE40
>>389
魏志倭人伝に「佐治(サチ)」という言葉が登場するが
卑弥呼の政治を助ける「佐治(サチ)」と呼ばれる職業があったと思われる。
実際にこの時代は、垂仁天皇(いくめいりびこいさち)などサチが名前につく人物が多い。

伊都にいる佐治は、伊都佐治で
伊都佐治(イトサチ)=一大率(イッタイソツ)
0433名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 23:50:59.17ID:tb8GnzE40
>>431
アホか。銅印の小国あどうやって金印の大国を占領するんだ
0434名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 23:51:54.21ID:kURgcxzE0
山陰から北陸・播磨・近江地方に至る地方には半島東部を含む一大文化圏があった事は
確かだよな。
そしてそれが筑紫地方を中心とする文化圏と時期的に近い時期に存在したという事は、
何らかの形で文化交流があったと考えるほうが自然だな。
0436名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 23:52:36.20ID:sQkcB6690
魏志倭人伝に記述のある植生を見るとクスノキ科の木が多数記載されています。

■卑弥呼の時代に確実に存在していたクスノキをピックアップすると

樹齢3000年
・柞原八幡の大クス:大分県大分市八幡
・川古のクス:佐賀県武雄市若木町川古 日子神社
樹齢2000年
・衣掛の森(クスノキ):福岡県粕屋郡宇美町宇美八幡宮
・武雄のクス:佐賀県武雄市花島
・老松神社のクス:山口県防府市お茶屋町老松神社
・阿豆佐和気神社のクス:静岡県熱海市木宮木の來宮神社

樹齢1800年あたり
・未確認

やはり九州など温暖な地域が浮かび上がります。
0437名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 23:55:18.33ID:kURgcxzE0
>>431
日本の貴族に現地人がおらん

というのはどの年代のことを指しているのか、現地人をどう規定するのか不明だが、
そのことを証明するにはかなりの労力を必要とするが・・・大丈夫か?
0439名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 23:56:27.68ID:tb8GnzE40
>>436
魏志倭人伝って九州の風俗・文化を書いてる部分が多いよ。
九州は邪馬台国(奈良)の支配地域だったから
九州のことが書いてあるからといって邪馬台国が奈良ということにはならないけどね
0440名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 23:57:23.50ID:kURgcxzE0
>>432
ふむ。続きはあるのか?
0441名無しさん@1周年
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2019/08/06(火) 23:58:21.16ID:tb8GnzE40
>>438
ぜんぜん違うよ
0442名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/06(火) 23:59:51.85ID:8MhIXf2U0
>>427
実際のところ
火薬のない時代の戦いに鉄器も青銅器も竹やりも変わらないんだけどな
歴史学者は喧嘩をしたことが無いようで、鉄器がないと戦いに勝てないと思っている
0443名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 00:00:01.88ID:tGlXe+Yf0
>>438
明日香地域を中心に、プレ大和王朝があった時代のこと以後をいいたいのか?
0444名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 00:00:13.41ID:4xTTby550
邪馬台国は中国の歴史書に載るほどだからかなりの強国だったんだろう。絶対に遺跡があるはず。
0445名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 00:01:48.41ID:pLyXwRnR0
3世紀時点で鉄が流通していなかった奈良は倭国圏外です。
 
■魏志韓伝より
國出鐵韓穢倭皆従取之,諸市買皆用鐵如中国用銭,又以供給二郡
(国には鉄が出て、韓、穢、倭がみな、従って
これを取っている。 諸の市買ではみな、中国が
銭を用いるように、鉄を用いる。 また、楽浪、
帯方の二郡にも供給している。)
 
■重要事項
・3世紀頃は鉄は通貨として使えるほど貴重だった。
・九州では武器や農具に鉄を利用されていた。
・この時代の畿内からは鉄が出土していない。
 ↓分布図
 http://imgur.com/OK8GwzA.jpg

■推測されること
・畿内は取りに行ってない
・畿内は九州に鉄を分けてもらえなかった
・畿内説によると北部九州に一大率を置いていたと言うが、
 鉄が畿内まで流通していなかったという事実。←矛盾
 
■結論
・北部九州と畿内の関係は希薄だった。
・一大率や大倭は畿内政権とは無関係だった。
・畿内は鉄が不足していたので海外と交易できなかった。
 
■関連
 纏向遺跡では九州や半島産の土器が出土していない。
 学者も畿内の鉄の少なさは認めており、これがヤマト政権成立の謎を深めていると言う。
 
0447名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 00:06:29.62ID:pLyXwRnR0
畿内説による歴史ゴッドハンド炸裂

■ニュース:2001年12月
「箸墓の周濠から、馬具と布留1式土器が同時に出土した。」
奈良県桜井市箸中の箸墓古墳の周濠から、乗馬の 際に足を掛ける馬具、
木製の輪鐙(わあぶみ)が見つかり、桜丼市 教委は三十日、
「輪鐙は4世紀初めに周濠に投棄され たと推定され、国内最古の馬具
である可能性が高い」 と発表した。
 
■木製輪鐙の出土状況
周濠の底の堆積層に埋もれていました。
 
■畿内説の説明
・箸墓は3世紀の卑弥呼の墓。
・きっと木製の鐙は後世で周濠に流入したものです
 (木製品が沈むのが謎)
 
<参考1>
半島で見つかった最古の鐙が5世紀のもの。
国内各地で出土した鐙も5世紀のもの。
 
<参考2>
鐙のルーツは西晋時代の中国もしくは満州に在り、確認できる最古の物は
各々302年と322年に埋葬された鮮卑と東晋の墳墓から出た陶馬俑であり、
実物として最古の物は北燕貴族の馮素弗の副葬品である。
そのため鐙が発明されたのは西暦290〜300年頃とされる。
5世紀には木製の鐙が普及し朝鮮半島や日本でも使用されていた。
0448名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 00:08:14.60ID:tGlXe+Yf0
>>442
それには同意だな。
ただ鉄器に鍛造という技術が加わってくると、背景にある科学技術の蓄積が変わってくるという
問題もある。
ただ、2-3世紀における争いは一定の技術水準にある国同士なら、鉄器・青銅器にかかわらず人数の問題になるだろうな。
0449名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 00:11:16.64ID:pLyXwRnR0
>>448
武器じゃなくて金としての価値があったと記述されている。
つまり政権の財力を示す指標だ。
0450名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 00:12:09.49ID:qC/fJ7yHO
卑弥呼がどちら側かは解らんけど、死んですぐに少しずつ水が染まり出してるんだよ。どう考えても、室に入りて戈を操るなんだよなあ
0452名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 00:13:37.15ID:pLyXwRnR0
学者による見解

「北部九州では紀元前1〜2世紀、朝鮮半島から鉄の素材が入り、加工して流通するようになった。
弥生時代、倭で最初に本格的な金属器社会に入った地域だ。
初期の国家について「鉄が権力をつくる」との説を私は支持している。
ではなぜ鉄の一大生産地だった九州に比べ出土品も少ない近畿に大和政権ができたのか。」

2018年2月10日 もっと九州掲載

松木 武彦(まつぎ・たけひこ) 大阪大文学部卒、同大学院博士課程単位取得。
専門は日本考古学。日本列島の古墳研究や考古学を通じた戦争、国家形成論などを研究。
2014年から国立歴史民俗博物館の研究部門教授。
0453名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 00:15:24.05ID:pLyXwRnR0
>>451
副葬品として墓に詰め込んだから遺跡からは鉄が出土しないのかw

流通度を示すものとしては使い捨てとなる鏃や鉄製の農具が一番だな。
0454名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 00:16:44.34ID:EJOMT/lt0
>>447
>箸墓古墳の周濠

箸墓の外部から発見されたと書いてあるだろ。
箸墓の建築時期の特定には使えない。
箸墓完成後の祭祀などに使われた馬具と思われるので
0455名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 00:17:24.81ID:pLyXwRnR0
九州が畿内の傘下であったのなら、土器のように鉄が同レベルで流通していたはずなんだがなw

土器様式によって勢力圏を判断するという畿内説的思考で考えると、
東海政権がTOP政権となってしまう件www

■畿内説曰く
3世紀に入ると九州で畿内式土器が出現する。
これは畿内政権が北部九州を傘下においていた事を意味する。

■九州説曰く
それは畿内が北部九州に納品(献上)していた物であり、
逆に纏向では九州産の土器は出土しない。
畿内は北部九州の傘下にあったとも考えられる。

■東海説曰く
同時期の纏向遺跡からは東海式土器が大量に出土する。
これは纏向が東海政権の傘下にあった事を意味する。
0456名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 00:18:12.27ID:pLyXwRnR0
>>454
>祭祀などに使われた馬具と思われるので

これはまた初耳だwww

今考え付いたのか?w
0457名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 00:18:32.07ID:tGlXe+Yf0
>>448
うむ。楽浪郡と交易するには貨幣が必要だっただろうな。それは国の財力を示す指標にはなりえるが
日本の歴史において貨幣経済の普遍化はずっと後代だ。九州地方と機内・東国を比較したときそれが絶対的な
国力の指標となりえるのかは、疑問なのだ。

ちなみに私は九州・機内どちらの説にも組みしていない。
古代のあるがままの姿を知りたいのだ
0458名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 00:19:30.68ID:EJOMT/lt0
>>463
鉄が多いだけだと根拠が弱いね
大王の墓は畿内に集中してるわけだし
0460名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 00:20:50.23ID:pLyXwRnR0
奈良は意外と狭いんだぞw

可住地面積
(人が住むことの出来る土地)
奈良県 853(km2)
福岡県 2773(km2)
佐賀県 1332(km2)
熊本県 2732(km2)

弥生時代の耕作可能な土地
[畿内]
奈良盆地:450km2
河内平野:200km2

[九州]
福岡平野:250km2
筑紫平野:950km2
中津平野:180km2
宮崎平野:800km2

30万人が生活すると仮定すれば
最低でも700km2は必要。
0461名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 00:21:16.05ID:tGlXe+Yf0
>>449
アンカミスだ  >>457
0462名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 00:21:58.32ID:EJOMT/lt0
>>464
馬具が祭祀に使われてたのは有名だけどね
といかく箸墓の外部から発見されたものだから箸墓の建築時期の特定には使えない
0463名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 00:22:39.83ID:pLyXwRnR0
纏向遺跡は一体何なのか???
日本史板で結論が出ました↓

1、突然現れ、纏向古墳群ともに終焉を迎える
2、わずかであるが、15%が搬入土器であり近隣の出稼ぎ労働者がいたと思われる
3、生活用具が少なく土木具が目立ち、巨大な水路(環濠では無く)が築かれ大 運搬用の水路と畿内説の学者も認知
4、集落跡が未だ未発見・・巫女千人??
5、斎場(死者を敬う祭場でも、神社でもいいだろう)と見られる掘立柱建物がある。・・強固でなく付け焼刃の建物(柱穴跡は細く、石や砂利で固めた 形跡無し)
6、鉄鏃無し・・兵は少ない???
7、近隣に古墳多し
8、番場であろう煮炊きした炭化物の土器出土
9、葬儀や祭事に欠かせなかっただろう桃の形跡在り

よって、纏向は古墳造営基地局と言える
0464名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 00:23:28.55ID:CHnrKXgz0
>>445
鉄デマしつこい
あらためて、嘘を指摘しておく

・弥生終末期の九州には十分な量の鉄はなかった

・だから、畿内勢力が北部九州に進出すると、あっという間に飲み込まれてしまった

・畿内勢力が北部九州へ進出した直後から畿内でも鉄が出るようになる

・九州説が自慢してる九州の鉄なんて、畿内の3世紀の古墳3基から出土した分だけで上回ってしまう

・3世紀の北部九州と畿内の関係は希薄だったと書いてるのは大嘘で、実際は北部九州は畿内政権の傘下
0465名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 00:24:24.46ID:EJOMT/lt0
>>455
とにかく鉄だけでは弱いから諦めろ
鉄の出土量が多いのは大陸と交流が盛んな港の近くだし
0467名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 00:24:42.80ID:xqbuSy2l0
>>18
まあ九州が出雲とか近畿を滅ぼして回ったか移動したんだよな
熊襲はしぶとかったから後回しにしただけで
0468名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 00:24:52.88ID:qC/fJ7yHO
だから祭祀は卑弥呼と近畿では内容が違うだろって、卑弥呼は鬼術で天神を祀るなんて何処にも書いてないし、倭人伝の高句麗条馬韓条と祭祀は異にすると注釈がついてる、その上宮廷祭祀は八神でアマテラスじゃないぞ。
0469名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 00:25:53.80ID:pLyXwRnR0
>>462
4世紀の土器と一緒に埋もれていた。

何を意味するかというと、4世紀の土器が5世紀に埋められることも有り得るとなった場合、
現在の纏向編年はデタラメである可能性も出てくる。

だからゴッドハンド使ってでも隠蔽しなきゃならないんだよw
0470名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 00:27:09.74ID:EJOMT/lt0
>>463
妄想の域を出てないね
0471名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 00:27:10.51ID:pLyXwRnR0
>>464
デマでは無いことを、畿内説の学者も認めているんだが?
畿内ありきで考えてるからそんな宗教染みた考え方になるんだろうw
0472名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 00:28:30.03ID:EJOMT/lt0
>>471
99%の学者は畿内説と言われてるのは何故?
0473名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 00:28:58.27ID:pLyXwRnR0
>>470
@阿波の傑作だw
纏向の出土品が土木用具、炊き出し用の土器、大型建物(寄宿舎)とくりゃもう土木事務所しかないだろw
0474名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 00:29:27.08ID:tGlXe+Yf0
>>459
レスに書いてあるように
貨幣が出土したとして、それがどの方面に使用されていたかだ。
まさか3世紀の倭人居住地帯で一般に貨幣経済が普遍化されていたとするわけではないだろう
0475名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 00:30:12.94ID:CHnrKXgz0
>>445
九州が総力を挙げて必死に鉄をかき集めても、畿内の古墳3基だけで上回ってしまうのが現実なんだよ
九州説は鉄を自慢してるが、実際にはしょぼい量しかなかった

ホケノ山古墳
素環頭大刀 1口、鉄製刀剣類 10口、鉄鏃 約60本、鉄製農工具

黒塚古墳 
刀剣類27口以上、鉄鏃170本以上、小札、U字形鉄製品

椿井大塚山古墳 
武器:鉄刀7本以上、鉄剣十数本以上、鉄矛7本以上、鉄鏃約200本、鉄製甲冑1領、
工具農具:鉄鎌3本、鉄斧10個、鉄刀17本、鉄製ヤリカンナ7本以上、鉄錐8本以上、鉄ノミ3本以上
漁具:鉄銛十数本、鉄ヤス数本、鉄製釣針1本
0476名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 00:30:16.59ID:EJOMT/lt0
>>469
論理が飛躍しすぎ
箸墓の外部に埋められてたものだからそうはならない
0477名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 00:30:31.24ID:pLyXwRnR0
>>472
飯食う為だから。
旧石器時代捏造事件から考古学会の体質が変わっていないという事だ。
0478名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 00:31:10.74ID:7oFC9pHm0
卑弥呼の墓なら100体ぐらい奴隷も埋められてるはずだから
大量の人骨が出てくるはずだが・・・
0480名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 00:32:09.32ID:gmnexdLf0
>>1
卑弥呼なら墓石に卑弥呼と書いてあるはずだ!
0481名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 00:32:30.97ID:EJOMT/lt0
>>473
ああ、あの阿波説の人か。じゃあ、確実に妄想だね
0483名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 00:33:47.43ID:EJOMT/lt0
>>479
そこまで言うなら具体的なソースとデータを出さないと
0484名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 00:35:57.05ID:EJOMT/lt0
>>482
まったく意味ないし。やってることがアホすぎるw
0485名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 00:37:25.55ID:EJOMT/lt0
>>477
それは、ただの思いこみ
九州説のほうが金になる
町おこしのお金が回ってくるから
0486名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 00:38:22.92ID:tGlXe+Yf0
>>478
そうなのだ。箸墓に比定した場合、その問題もでてくる。
私は卑弥呼の墓は所謂前方後円墳ではないと思うのだ。
0488名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 00:39:02.84ID:pLyXwRnR0
>>483
中国で馬を導入したのが4世紀に入ってから。
半島で発見された最古の馬具は5世紀と判明。
奈良で発見された馬具も5世紀のもの。

なのに箸墓の鐙が何で4世紀初めなんだよw
奈良は中国や半島より馬の導入が早かったのか?w
0491名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 00:41:15.24ID:pLyXwRnR0
>>485
桜井市の財政を圧迫する畿内説w

読売新聞YOL
21.11.2018
邪馬台国の候補地?見学施設、財政難で建設延期 社会

奈良県桜井市は、邪馬台国の有力候補地として注目される纒向(まきむく)遺跡で、
2020年度中の完成を目指していた「ガイダンス施設」の建設延期を決めた。
財政難が原因。整備を進める史跡公園の核となる施設で、遺跡見学の拠点として
期待されていたが、新たな完成時期は未定だ。
0492名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 00:41:21.66ID:EJOMT/lt0
>>488
しつこいね
箸墓の「外部」の鎧だから証拠にならない
誰が埋めたかわからないやつ
0493名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 00:42:10.49ID:BZbQo+rK0
>>445
出雲国譲りで併合したので問題ないな
0494名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 00:43:30.64ID:EJOMT/lt0
畿内には大王に墓や神社や出土品(鏡)など物的証拠がそろってるし
鉄と馬具じゃ弱すぎるw
0495名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 00:43:40.94ID:pLyXwRnR0
土器様式によって勢力圏を判断するという畿内説的思考で考えると、
東海政権がTOP政権となってしまう件www

■畿内説曰く
3世紀に入ると九州で畿内式土器が出現する。
これは畿内政権が北部九州を傘下においていた事を意味する。

■九州説曰く
それは畿内が北部九州に納品(献上)していた物であり、
逆に纏向では九州産の土器は出土しない。
畿内は北部九州の傘下にあったとも考えられる。

■東海説曰く
同時期の纏向遺跡からは東海式土器が大量に出土する。
これは纏向が東海政権の傘下にあった事を意味する。


■纏向遺跡出土土器の産地
伊勢・東海系:49%
北陸・山陰系:17%
河内系:10%
吉備系:7%
近江系:5%
関東系:5%
播磨系:3%
西部瀬戸内海系:3%
紀伊系:1%
0496名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 00:43:53.91ID:CHnrKXgz0
>>482
・弥生時代を通算した出土量をインプットデータ使い、数を水増しするインチキ
・後漢鏡を魏鏡にするデータ捏造
・倭人一般のこととして魏志倭人伝に書かれているものを邪馬台国ことにすり替える文献改竄
0498名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 00:46:56.19ID:EJOMT/lt0
>>497
データ改ざんして楽しいの?w
0499名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 00:48:42.90ID:W+h7P+4n0
鉄に関しては卑弥呼の時代だと丹波あたりが盛んだったようで
もっとも、この時代の製鉄はまだまだ原始的だが
0500名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 00:49:10.83ID:BZbQo+rK0
>>497
それは

後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ
それから150年間以上、倭の国王として君臨し、大陸との交易を独占してきた痕跡で

240年に「親魏倭王」に任じられた邪馬台国のモノでは無い

0501名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 00:49:15.86ID:pLyXwRnR0
纏向では文書を運用していなかったのかな?

福岡で出土した硯
https://i.imgur.com/k2XPkk7.jpg
年代:1〜2世紀
サイズ:長さ15・3センチ、幅6・3センチ、厚さ0・9センチ

佐賀で発掘された硯
https://i.imgur.com/SjYEHJz.png
1つは
長さ7.8センチ幅5.2センチの「石硯」、
もう1つは
長さ3.8センチ幅3.5センチの墨をすりつぶす
ための道具「研石」と見られています。
0502名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 00:50:32.44ID:pLyXwRnR0
理系の人ならわかるでしょうw
ここまで畿内説の論理的反論はゼロ件w
0503名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 00:51:11.03ID:BZbQo+rK0
>>497
それは

後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ
それから150年間以上、倭の国王として君臨し、大陸との交易を独占してきた倭奴国のモノで

240年に「親魏倭王」に任じられた邪馬台国のモノでは無い

0509名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 00:56:23.00ID:ORPv+wPr0
>>506
あなたまだ論理的な説明
一回もしてないよ
こじつけやデータの改ざんばかり
0510名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 00:58:16.69ID:pLyXwRnR0
ヤマト政権は渡来人の協力を得て、5世紀からスタートした可能性大と判明。

・    〜2世紀末: 唐古鍵遺跡
・3世紀半ば〜4世紀半ば:纏向遺跡
・4世紀末〜:↓奈良・高取
 
■最古の大壁建物跡か 奈良・高取の遺跡で発見
「建築年代は4世紀末〜5世紀初めと推定され、
最古の大壁建物跡の可能性もある。
渡来人が入植を開始したのは5世紀後半と
考えられていたが、大幅に早まる可能性が出てきた。」
「同町では、朝鮮半島式の床暖房装置(オンドル)を
持つものを含めて約40棟見つかっている。」
 
「白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館名誉館長は、
建物の時期についてはさらに検討が必要としながらも、
(現場に)居館や祭祀施設など渡来系の人たちが
営んだ重要な施設があったことは間違いないとみている。」

https://www.sankei.com/west/news/181128/wst1811280010-n1.html
0513名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 01:00:48.29ID:BZbQo+rK0
>>501
併合した出雲(伊都国)で使っていたよ

田和山遺跡 島根県松江市 弥生後期(2世紀前半)
出土の石板が朝鮮半島の北部のすずりと判明している
0514名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 01:03:11.14ID:CHnrKXgz0
>>497
魏晋鏡の種類を中国人学者が定義したが、それは後漢時代から魏晋時代まで作られていたもの
したがって、鏡の名称からは魏晋鏡なのか後漢鏡なのかはわからない
個々の鏡を検証しなければ判別できない
九州で出土する鏡はほとんどが後漢鏡
魏晋鏡と同じ名称の後漢鏡をグラフに載せて、九州は多いと騙そうとしてる

一方、畿内で実際に出土してる魏晋鏡は意図的に除外するインチキ
0515名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 01:04:24.77ID:Zb+7ZqwX0
>>475
それ北部九州勢力に侵略された証だから

清水眞一氏
私は二十年間、大和の中央部・桜井市で「邪馬台国は何処」とのテーマを持って、
発掘調査に従事してきた。その結果として、邪馬台国が成立して女王卑弥呼を
擁立するまでの弥生時代中・後期に、大和には他地域を圧倒するような「ムラ」
や「墓」が見られないことに気付いた。
代表的なムラである唐子・鍵遺跡も、畿内の同時期の池上・曽根遺跡や
田能遺跡などと比較して、飛び抜けて大きいムラとは思えなかった。
逆に、墓に関しては、西日本各地と比べて遅れた地域との思いも抱いたことだった。
であれば、その次の古墳時代に入って、纏向の地に百メートル以上もの巨大古墳が、
なぜ突如として築造されるのか。これは、大和の地に別の地域の人々が入って
来たと考えざるを得ない状況とみた。
では、誰が何処からきたのか?考古学の資料からは、特定の地域が限定できない。
となれば、卑弥呼の邪馬台国は、北部九州のどこかではないかと思われる。
0516名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 01:04:25.84ID:BZbQo+rK0
まっ、九州から出土する遺物、集落の痕跡は

すべて

57年から150年間以上、倭の国王として君臨し、大陸との交易を独占してきた「漢委奴国王」の倭奴国のモノで

240年に「親魏倭王」に任じられた邪馬台国のモノでは無い

と見て良いだろう
0517名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 01:08:04.92ID:pLyXwRnR0
「參問倭地、絶在海中洲島之上、或絶或連、周旋可五千餘里。」
@半島:郡から狗邪韓国までが7千里
A倭国:対馬、壱岐を渡って3千里
B倭国:北部九州を巡ってX千里
郡から女王国まで1万2千里

X=2千里なので末盧国から南に半径2千里の範囲が倭国ですね。
ちょうど北部九州が収まる範囲です。
0518名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 01:09:32.60ID:oKBnSJKu0
>>515
北九州の勢力がそんなに強かったとすると
その頃に北九州の遺跡が衰退してる理由は?
0519名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 01:11:04.09ID:W+h7P+4n0
>>515
最後の一行以外は概ねわからんでもないが、もし他地域から入ってきたとしたら卑弥呼の時代より前
0520名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 01:11:30.44ID:Zb+7ZqwX0
>>516
全て漢代の物ってw
畿内説っていちいち狂気に満ちているんだよな
0521名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 01:11:38.12ID:pLyXwRnR0
>>514
3世紀の魏は銅を調達出来なかった。
だから三角縁神獣鏡は呉産の銅が使われている。
そして呉産の銅を使った鏡が流行したのが西晋の時代以降だとさ。
どちみち4世紀の文化だ。
0522名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 01:11:41.72ID:oKBnSJKu0
>>516
北九州の遺跡は発掘調査されてるからね。

北九州の全盛期は邪馬台国よりも古い時代で
邪馬台国の時代には九州が衰退してることが
はっきりわかってる
0523名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 01:12:50.68ID:Zb+7ZqwX0
>>518
倭国大乱
0524名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 01:13:42.38ID:x2pv9kjs0
>>313
ある人はフミ国から海路20日の投馬国は山口県の山陽、
同じくフミ国から海路10日or陸路一月の邪馬台国は宇佐としていた。

倭人伝は方向がずれてて南との記述の実方向は南東。
だから南東にある宇佐のことを南と書いてるのは妥当。

また投馬国は福岡からみて決して「南」とは言えずかっこ「東」に近いのだが
関門海峡越えて豊前沿岸右手側に見ながらを邪馬台国に南下したら、
左手側の山口県沿岸に投馬国が見えるためその名を載せたんだとか。
0525名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 01:14:09.60ID:pLyXwRnR0
古墳の形式について

■魏志
・韓伝,夫余伝:「槨あって棺なし」
・高句麗伝:「石を積みて封となす」
・東沃沮伝:「大木の槨を作る、長さ十余丈」
・倭人伝:「棺あって槨なし。」←卑弥呼の墓

■畿内説が卑弥呼の墓と言い張る
 箸墓古墳(前方後円墳)の形式は
 「棺あって槨あり」
 ※ちなみにホケノ山古墳は
 「木槨あり木棺あり」
 

横穴式石室は「九州型」と「畿内型」に大きく
分けられる。
■「九州型」は
4世紀末頃から福岡・佐賀県沿岸部を中心に
前方後円墳の埋葬施設として築造され、その後
5世紀には九州各地へ拡がっていく。
普及する過程で「肥後型(熊本県)」や
「地下式横穴(宮崎県)」などに変化し、
地域色がみられるようになる。
九州外へもわずかに拡散するが、肥後型石室の
構造をよく残しているのは岡山市の千足古墳である。

■「畿内型」は
5世紀終わり頃に出現するが
6世紀はじめに前方後円墳に採用されて、
その後各地へ普及していく。
0526名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 01:14:46.94ID:CHnrKXgz0
>>515
北部九州は畿内の文化に塗り替えられてしまい、
弥生時代から何百年も続けてきた祭祀も畿内様式に乗り換えて
ヤマト王権の傘下に入るのだから、その妄想は誤り
0528名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 01:15:19.95ID:EJOMT/lt0
>>523
倭国大乱後も九州が勢力回復できなかった理由は?
0529名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 01:17:47.70ID:EJOMT/lt0
遺跡調査から判明してる九州王の年表

(紀元前2世紀) 奴国の吉武高木遺跡
(紀元前2〜1世紀) 奴国の須玖岡本遺跡  
(紀元前1世紀の王・王妃墓) 伊都国の三雲南小路遺跡
(紀元1〜2世紀の王墓)伊都国の井原鑓溝遺跡 ←遺跡調査によってこの頃に漢鏡流通の核としての機能が停止(首都機能の喪失)したことが判明
(紀元2〜3世紀の女王墓)伊都国の平原遺跡 ← 遺跡調査によって平原遺跡の衰退時期であることが判明(魏志倭人伝によると邪馬台国の一大率に支配されていた時期)

これは遺跡調査とは関係ないが
※『日本書紀』によると4世紀頃、伊都国の王は仲哀天皇の完全な家来になった。 ←伊都国の九州王家滅亡

遺跡調査結果と『日本書紀』の記述には大きなズレはない
0530名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 01:18:59.56ID:W1tfqjOU0
>>4
伊都キャンパスとか謳うけど元の志摩郡なので志摩キャンパスに変えて欲しい
0531名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 01:19:43.12ID:j7zbBx8C0
>>526
お前こそ妄想の塊にしか見えないぞ

>>528
倭国大乱後は、
北部九州30国からなる邪馬台国連合と、その他70国からなる狗奴国連合に分裂。
そして卑弥呼時代末期に狗奴国が邪馬台国を制圧→吸収した。
0532名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 01:21:48.54ID:CHnrKXgz0
>>521
三角縁神獣鏡は3世紀の古墳からも出土するのだから、その作り話は誤り
しかも、4世紀は空白の4世紀と呼ばれ、中国との交流が途絶える時期だが、
そんな時期に中国と交流してたという主張はただのトンデモ
日本で教育を受けているなら知ってるはずの基礎知識だぞ
0533名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 01:21:48.99ID:W1tfqjOU0
>>17
遠賀川の水源を越えると朝倉郡、その南に筑後平野
0534名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 01:21:49.73ID:Zb+7ZqwX0
まあ平原が卑弥呼の墓で決定だよ。
大型の仿製鏡が畿内で見られるのが4世紀頃だから、
作成元の北部九州には少し早くからあっただろう
0535名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 01:22:18.84ID:pLyXwRnR0
奈良県立橿原考古学研究所の関川 尚功は、魏志倭人伝
によると、卑弥呼は魏に頻繁に使いを送り、また魏からも
使いや軍人が渡ってくるなど半島や大陸と活発に交流して
いたが、纒向遺跡の搬入土器は北九州由来のものは非常に
少なく、また半島や朝鮮との交流を示す漢鏡、後漢鏡や
刀剣類などが北九州で大量に出土しているのに対し、
纒向遺跡ではまったく出土していないことから、
魏志倭人伝にみる活発な半島や朝鮮との交流は証明されて
おらず、纒向遺跡は邪馬台国の遺跡で無いとしている。

■纏向遺跡出土土器の産地
伊勢・東海系:49%
北陸・山陰系:17%
河内系:10%
吉備系:7%
近江系:5%
関東系:5%
播磨系:3%
西部瀬戸内海系:3%
紀伊系:1%
0537名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 01:24:47.39ID:W1tfqjOU0
>>26
日向峠知らんのか素人め
0538名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 01:25:30.61ID:pLyXwRnR0
>>532
中国と交流しなくとも銅鏡は民間交易で買えたはずだ。
だから三角縁神獣鏡には半島の銅が混じったものが多数ある。
0539名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 01:29:07.71ID:EJOMT/lt0
科学的な分析がおこなわれて本物だと判明したから
三角縁神獣鏡の偽物説ってあんまり聞かなくなったな
5ちゃんねるくらいかな。今でも真顔で偽物説を語ってるのは
0540名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 01:30:16.00ID:CHnrKXgz0
>>538
だから3世紀に出土してると書いてるだろが
時系列が逆転することはない
0541名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 01:30:55.83ID:Zb+7ZqwX0
>>526
元々の畿内の集団祭祀の銅鐸文化は滅んで
北部九州の首長祭祀の銅鏡文化に塗り替えられた。
前方後円墳は北部九州と吉備勢力の墓制を合わせたもの。
畿内の墓はショボかったと清水眞一氏も仰ってる。
そもそも畿内には北部九州を制圧するような強力な王がいた
形跡がない。
0542名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 01:31:05.81ID:EJOMT/lt0
>>534
平原遺跡は発掘調査されていて
漢(邪馬台国よりも古い時代)の遺跡だと判明してる
0543名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 01:32:22.27ID:pLyXwRnR0
>>540
だからその3世紀と言うのがゴッドハンドだと言われているんだろうよw
0544名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 01:33:47.94ID:Zb+7ZqwX0
>>528
その後また内乱があったと倭人伝に書いてる
0545名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 01:39:11.68ID:Zb+7ZqwX0
>>542
アクセサリーが3世紀のものとする説がある。
まして仿製鏡の編年をしてない。
4世紀に大量に仿製鏡が出回ることを考えたら
それに近い年代だろ。
簡単に結論付けることはできない。
0546名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 01:40:28.63ID:W1tfqjOU0
>>76
末廬国広過ぎwww。
唐津中心の松浦郡一帯だろう。
0547名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 01:49:11.21ID:CHnrKXgz0
>>541
九州からの東征はない
纒向から出土する外来土器は全国各地のものが、出るが九州はほとんどない
九州から東征したという主張は、物証に矛盾したただの妄想

>そもそも畿内には北部九州を制圧するような強力な王がいた
>形跡がない

3世紀には纒向型前方後円墳も造られ、王の存在を裏付けている
しかも九州を制圧したという説ではない
古墳時代前期は祭祀連合の時代だ
この辺は高校レベルの知識のはずだがw
0548名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 01:53:04.16ID:EJOMT/lt0
>>545
とにかく定説だと3世紀中頃までの遺跡だよ
卑弥呼の墓の可能性はゼロ
0549名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 01:56:15.82ID:Zb+7ZqwX0
>>547
>九州から東征したという主張は、物証に矛盾したただの妄想
だから鏡を大量に副葬する支配者層の文化が伝わってるだろ。

>3世紀には纒向型前方後円墳も造られ、王の存在を裏付けている
繰り返しになるけど・・・

その次の古墳時代に入って、纏向の地に百メートル以上もの巨大古墳が、
なぜ突如として築造されるのか。これは、大和の地に別の地域の人々が入って
来たと考えざるを得ない状況とみた。
0550名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 02:16:24.89ID:CHnrKXgz0
>>549
鏡を副葬する文化は西日本全体に伝わっており、単に文化の伝播に過ぎない
北部九州勢力が日本列島全体を制圧したのではない

北部九州は中央の政治にも参加しておらず、一方的に畿内の影響を受ける側
0551名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 02:25:59.37ID:Zb+7ZqwX0
>>550
>単に文化の伝播に過ぎない
>北部九州勢力が日本列島全体を制圧したのではない
土器は違うのかいw

>北部九州は中央の政治にも参加しておらず、一方的に畿内の影響を受ける側
畿内の影響って?
前方後円墳は単に文化の伝播だし、元は北部九州と吉備の文化だよね。
0552名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 02:29:59.12ID:Zb+7ZqwX0
>>548
3世紀中頃なら卑弥呼の墓だよ
0553名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 02:33:10.14ID:CHnrKXgz0
>>551
要するに、ヤマト王権なんか存在しなかったという超トンデモを主張してるわけだよな
日本古代史を根底から否定するデンパさんには付き合いきれない
最低限の共通認識がないと議論にならない
0554名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 02:35:36.79ID:CHnrKXgz0
今どき九州説信者で残ってるのは、こういう頭のネジが外れたやつしかいないってことだな
0555名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 02:38:49.26ID:Zb+7ZqwX0
>>553
ヤマト王権が無かったなんて言ってない
3世紀の時点ではまだ西日本統一王権は出来てなかった
という話だろ
九州説は
0556名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 02:41:54.02ID:Zb+7ZqwX0
ヤマト王権を無理やり3世紀に持ってきて
邪馬台国と結びつけるからこんなガバガバ理論になるのだな
0559名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 02:48:59.96ID:Zb+7ZqwX0
>>557
日中の記述が一致してる8世紀以降は間違いなく
存在してただろ。
0560名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 02:50:55.76ID:Zb+7ZqwX0
>>558
高校生の教科書にも結論は書いてないだろw
0561名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 02:51:11.40ID:CHnrKXgz0
>>559
だから、ヤマト王権が存在した根拠は何?
証拠は何?
と聞いてるんだが
0563名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 03:00:05.43ID:Zb+7ZqwX0
>>561
日中の史書

>>562
統一王権は別
0564名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 03:03:01.85ID:CHnrKXgz0
>>563
それはヤマト王権が存在したことを伝えているに過ぎない

聞いているのは、ヤマト王権が存在した根拠は何?証拠は何?
ということ
答えられないんだな
0565名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 03:10:08.78ID:Zb+7ZqwX0
>>564
何故史書が根拠にならないんだ?
律令制以降ヤマトに宝物が集められたことや
大仏が作られたことは証拠になるだろ
ていうかこっちは働いてる身なんでもう寝るよ
0566名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 03:11:03.07ID:u9tzqdR80
卑弥呼の墓は箸でオマンコを突いて死んだ箸墓だろ
0567名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 03:13:39.39ID:kxP9sPZC0
対象の定義なしに存在非存在の根拠論争をしていると聞いて飛んできますた。
0568名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 03:16:59.00ID:CHnrKXgz0
>>565
証拠もなしでヤマト王権が存在したと認める人はいない
文献だけではいつから存在したかも不明
どの範囲かも不明
前方後円墳を否定してしまったから、幼稚な言い訳を言うしかないってことだなwww
0569名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 05:53:16.77ID:JFKqKk4F0
畿内の銅鐸勢力は九州から東征してきた古墳勢力に乗っ取られて銅鐸は銅鏡に作り替えられた
だから畿内の銅鏡に半島の銅が混ざっている
原料は色々混ざっているが鏡自体は国産
卑弥呼や邪馬台国がどのような形式の鏡をもらったか魏志倭人伝には書かれていないから銅鏡がみつかれば全て卑弥呼の鏡と捏造するのが畿内派
0570名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 06:00:07.11ID:JFKqKk4F0
ヤマト王権は明確に書いてあるだけでも物部神道派が蘇我仏教派に乗っ取られ、さらに藤原氏のクーデターで入れ替わっている
名前はヤマト王権と名付けられているが、銅鐸勢力から古墳勢力に乗っ取られて以降だけでも勢力は何度も入れ替わっているので畿内では万世一系は成り立たない
最後に東征して歴史を塗り替えた一族が天皇家
0571名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 06:04:49.50ID:oLWsZe8R0
>>89
朝鮮半島は未だに無人地帯だよ。
住んでいるのはチョウセンヒトモドキ
0572名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 06:25:25.01ID:JFKqKk4F0
何度も入れ替わっている畿内が半島の鉄利権と海洋交易の利権を牛耳っていた九州勢力を統治し続けていたという低レベルの妄想をしているのが畿内派
0573名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 06:35:43.12ID:JFKqKk4F0
九州の弱体化は5世紀以降。それまでの古墳の数や出土品は畿内は相手にならない。
出雲でたたら製鉄が始まり出雲勢力が先に鉄が無かった畿内を制圧し、さらに東日本に及ぶ勢力にまで拡大した。
一方で白村江の戦で半島の鉄利権と大部分の戦力を失った九州勢力は急速に弱体化して畿内勢力に取り込まれる。
0574名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 06:50:35.41ID:lInzMpRA0
>>573
白村江の戦いって7世紀(663年)やで?
その前に磐井の乱ってのが527年にあって、それで北九州はヤマト王権にフルボッコにされてる。
0575名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 06:55:26.53ID:hY1oy47L0
福岡と奈良の鉄の出土量は
現在にいたるまで福岡のほうが優位。

逆転されたことはない。

飛鳥時代から奈良時代あたりには
糸島に大規模製鉄遺跡があり
それ以降は久山
近代ですら八幡製鉄所ができる。
0576名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 07:02:02.58ID:hY1oy47L0
磐井の乱で大和朝廷に追われたというのは疑問で
筑後の磐井は筑豊に逃げ、
福岡の糟屋の息子が降伏するのだが

筑後の南から追われて、北や本州側に
逃げているように見える。
0577名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 07:08:17.67ID:JFKqKk4F0
>>574
北九州の半島と繋がっていた勢力は半島内の内戦に巻き込まれて5世紀から徐々に体力を失っている
九州全体としては日本最大の西都原古墳あたりが5世紀から6世紀に日本最強レベルになっている
西都原は考古学者には都合が悪いらしく僅かしか発掘調査されていない
0578名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 07:10:38.83ID:JFKqKk4F0
磐井の乱はヤマト王権が相手ではない罠
九州内の勢力争い
0579名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 07:20:54.73ID:lInzMpRA0
>>578
筑後国風土記ですら戦った相手はヤマト王権ってなってるよ。
0580名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 07:22:55.64ID:hY1oy47L0
磐井の乱もいろいろいじってそうだな。
0581名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 07:53:33.22ID:Q84NvI/J0
魏志倭人伝から言える事は北部九州には倭人が住んでいたが本州や四国、南九州
などにはどんな民族が住んでいたのかは判らない。倭人が正式な日本人なので
北部九州以外の人間を日本人と呼ぶのは間違っていると思う。
0582名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 08:56:33.95ID:tGlXe+Yf0
古代日本においてまず、中華世界型の封建制統一王権が存在したか?
の問題がある。
ここの書き込みを見ているとそこのところを混同している人が多いようだ。
0583名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 09:01:37.68ID:HUiKBgnP0
甕棺Xfがあるから
祇園山遺跡の一番でかいのができたのは
ちょうど卑弥呼の時代と考えられるし
周囲に66人の墓があり甕棺3基、石蓋土壙32基
ここまではいい

・甕棺編年はあってるのか?
・これは方墳だし 23.7m×22.9m >径百 に合わない
・祇園山周辺遺構から最盛期は紀元前1〜2世紀
・女王台与の墓はどこ?
・水行必要ない 陸行一月かからない
0584名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 09:02:49.80ID:TLu/O6LE0
>>581
魏志倭人伝が伝えている事は、北九州が孤立していた事。

九州説の一部の頭のおかしいやつ的に書くと

倭国が北九州から孤立してる。

って事だ。
0585名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 09:04:29.16ID:tGlXe+Yf0
>>582 続き
そもそも3世紀においては半島南部から列島において、統一王権など無く、魏志倭人伝に描かれるように
一定の規模の自治権を持った国の合議制連合体であるということだ。
モチロン当時は日本という国など無く、半島南部にも百済・新羅という国家など存在しない。
0586名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 09:15:39.19ID:tGlXe+Yf0
>>585 続き
そして その分立した小国家がより其々、地縁により結ばれた集団であるのか、
血縁により結ばれた氏族集団であるのか、という問題だ。後の歴史の流れをみるに、
磐井の乱とは「筑紫地方」と「大和地方」の地縁による集団の争いというよりも、
「磐井の一族を中心とする氏族集団」と「大和地方の其」との争いと見るべきかもしれない。
0587名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 09:16:39.05ID:W+h7P+4n0
神武の出発点が日向峠からという説は割と有名だし面白いと思う
実際、大陸からの渡来氏族は安曇氏などの手引きで北部九州に渡り、そのあと東九州や瀬戸内海方面に移動していったのだろう
0588名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 09:22:03.29ID:JFKqKk4F0
>>579
筑後国風土記が書かれたのは磐井の乱の時代ではなく
ヤマト王権が九州を支配してから
磐井の乱以降も奈良では少なくとも物部、蘇我、藤原と勢力が入れ替わっている
つまりそういうことだ
0589名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 09:24:51.30ID:tGlXe+Yf0
>>586続き
それが何を指すのかというと、筑紫統一政権などというモノは存在せず、
大和の其もある程度の形でみられるのはの少なくとも早くとも5世紀以後、7世紀付近まで待たなければならないだろう。
0590名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 09:28:48.69ID:8PXFdDZz0
2019年4月空港・海港別日本人出国者数
関西KIX  337,994人
福岡FUK   94,745人
博多港HKP   5,746人
(h)ttps://www.tourism.jp/tourism-database/stats/outbound/
0591名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 09:30:57.85ID:j7zbBx8C0
3世紀からヤマト統一政権だったなどと妄言を吐く畿内説は、名前を脳内説に変えろって話だなw
社会を知らないボケ学者が社会を語るなって話もある。
0592名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 09:33:06.85ID:EJOMT/lt0
>>552
徐々に衰退していって3世紀中頃までだから
卑弥呼の墓の可能性はゼロだよ
2世紀には衰退がはじまってるから邪馬台国の可能性もゼロ
0594名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 09:38:34.64ID:EJOMT/lt0
>>573
遺跡の発掘調査で九州の衰退時期は1世紀頃と確定してるよ

(紀元前2世紀) 奴国の吉武高木遺跡
(紀元前2〜1世紀) 奴国の須玖岡本遺跡  
(紀元前1世紀の王・王妃墓) 伊都国の三雲南小路遺跡
(紀元1〜2世紀の王墓)伊都国の井原鑓溝遺跡 ←発掘調査によって1世紀頃に漢鏡流通の核としての機能が停止(首都機能の喪失)したことが判明
(紀元2〜3世紀の女王墓)伊都国の平原遺跡 ← 発掘調査によって1世紀頃から衰退がはじまってこと判明
0595名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 09:41:08.36ID:tGlXe+Yf0
まあ、現代人の脳では後世でいう中華世界的統一国家の対立・支配を考えるほうが
創造力を掻き立てられるのだろう。
だからココでもそういう思考基盤に乗っ取った書き込みが散見される。
だが、そこは仮設を立てるにあたり慎重に吟味していかないと、トンデモ物語が出来上がってしまう。
0596名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 09:47:37.83ID:oKBnSJKu0
99%の学者が畿内説
学問的には畿内でほぼ確定したが
負け組の九州説が5ちゃんねるでがんばる
0597名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 09:48:20.53ID:oWJGHeZ+0
>>594
>確定してるよ
幻覚症状まで併発したかw
お前は糖質確定だから病院池w
0603名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 09:52:56.85ID:oWJGHeZ+0
>>601
畿内説なんて居ないからと、何度も何度もID変えて自演大変だなw
昨日は自演失敗してバレてたらしいなw
0604名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 09:58:46.64ID:oWJGHeZ+0
弥生時代の象徴である「鉄」が出土しない畿内に弥生時代はあったのか?

■魏志韓伝より
國出鐵韓?倭皆従取之,諸市買皆用鐵如中国用銭,又以供給二郡
(国には鉄が出て、韓、?、倭がみな、従ってこれを取っている。
諸の市買ではみな、中国が銭を用いるように、鉄を用いる。
また、楽浪、帯方の二郡にも供給している。)
 
■重要事項
・3世紀頃は鉄は市で通貨として使えるほど貴重だった。
・九州では武器や農具に鉄を使えるほど潤っていた。
・しかしこの時代の畿内からは鉄が出土していない。
↓鉄の出土状況
https://i.imgur.com/eRF3Zza.png

■推測されること
・畿内政権は鉄を取りに行っていない
・畿内政権は九州に鉄を分けてもらえなかった
・一大率は畿内への鉄の供給を行わなかった
 
■結論
・3世紀の北部九州と畿内の関係は希薄だった
・一大率は畿内政権とは無関係だった
・畿内は倭国ではなかった(女王国の東にあった倭種の国か?)
 
■裏付け
 纏向遺跡では九州産や半島産の土器は出土していない。
 もと歴博の館長もやった佐原真いわく、
「近畿圏では鉄は溶けやすいので、残っていないのだ」(開き直り)
0605名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 10:00:41.32ID:78xBJ9pB0
>>604
大王の墓はなんで畿内に集中してるの?
大王の墓よりも鉄って大事なの?w
0607名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 10:06:16.47ID:zmsMshzu0
鉄については発掘資料の増大によって今までが過大評価だったと言うのが分かってる

肝心の開墾道具としての鋤や鍬が登場するのは、弥生時代の後期後半後葉で古墳時代の直前
しかも数がとても少なくとてもじゃないが社会を変化させるような効果を及ぼしたとは言えない

鉄=耕地拡大→貧富の差が出来る→権力者誕生→王権→古代国家成立

と言う図式は80年代くらいからもうすでに否定されている
弥生時代の鉄は補助的な工具程度の意味を持たない

鉄の量は国力や強大な勢力の存在を示さないと言うのが今の流れ
0608名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 10:12:38.53ID:oWJGHeZ+0
>>605
生活より墓が大事なのか?w
 
耕作地の方が重要であり、耕作不可能な土地を墓場にしていた。
纏向遺跡では土木用具は出るが、農具は出ない。
そして住居跡もほとんど見られず耕作の痕跡もない。
 
よって、奈良盆地は霊園であり、纏向遺跡は古墳造営基地。
0609名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 10:13:24.35ID:tGlXe+Yf0
>>589続き
では磐井グループと継体グループはどの様な関係にあったのか。
大和朝廷による記録からみると、継体グループが圧倒的に上であることは明らかだが
ここでそれを全て信じるような人はいないだろう。
継体帝というと、近江・北陸と関係が深く描かれており、その地方は日本海を通じて
新羅地方と古くから関係の深い地域でもある。
乱以前は新羅百済の勢力の増大によって、半島利権を失いつつあった磐井グループと
継体グループが、利権回復のための方法論での対立と解すべきか。
半島側の情勢ではいまだ多数の倭人集団の存在と倭人勢力の散発的な侵攻に苦しんだ記録もあり、
磐井グループと継体グループの半島利権の争奪戦の側面もあるのかもしれない。
0611名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 10:17:57.53ID:oWJGHeZ+0
そもそも古墳が沢山ある場所が重要な都だったなんて誰が言い出したんだろうな?w
やっぱり学者は馬鹿しかおらんという事だw
0613名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 10:21:40.77ID:wNFe663Q0
九州説「生活のほうが大事なので、畿内の大王の墓は無視してOK」
0614名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 10:22:48.31ID:MINwHJnm0
飯塚、さっさと自決しろや、死にぞこないが!
人殺しておいて、のうのうと生きるな!糞爺!
忖度警視庁、早くしろや!
0615名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 10:23:37.15ID:qC/fJ7yHO
徐々に百済王族に食われて行く姿しか見えてこんよ、卑弥呼のときですらどちらとも言えない共立状態。奈良なぞ論外、まだ吉備河内のほうがまともなくらい、出雲、北陸は半島だよ。
0616名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 10:26:38.92ID:qC/fJ7yHO
倭五王の武の上奏文で渡来系にコントロールされてる。この時点で乘りかわってる。
0617名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 10:28:31.42ID:j7zbBx8C0
>>615
俺が畿内説だったら河内を推すけどな。
なんで奈良なんだ?
やはりヤマトこじつけのためかw
迷信好きの文系日本人が考えそうな事だw
0619名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 10:39:58.68ID:F9NkFAcj0
磐井は安曇族への入り婿だぜ
吉備氏の乱同様、初期ヤマト王権に関わった豪族同士の権力闘争だろう
0620名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 10:47:51.91ID:tGlXe+Yf0
なんか、ヤマト説がかわいそうだな。

大和盆地の弥生遺跡は3世紀半ばに突然途絶えるといわれているが、その後の纏向などの遺跡の存在から
大きな社会変動があったとかんがえられるだろう。
遺跡分布の点で考えると大和湖の名残とその周辺湿地帯、古代において、重要な交通経路であった水路、河川でつながっている河内湖、山城地域にあった
巨椋池周辺の湿地帯と合わせて広大な地域だ。
半島東部と山陰・北陸を通じての交流を考えても、邪馬台国はともかく文化的素地、生産地的素地は充分であろう。
それは後の発展が証明している。
それに纏向遺跡の特徴として、主要用途が土木施設であるとの説があるが、
ではその土木施設を誰が運用していたのか。という問題がある。
あれだけの施設を運用していたからには相応の勢力の存在が考えられるのだ。
0622名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 10:50:01.38ID:oWJGHeZ+0
>>620
>相応の勢力の存在が考えられるのだ。

東海勢力の傘下でしょうね。

纏向遺跡で出土した土器の産地
伊勢・東海系:49%
北陸・山陰系:17%
河内系:10%
吉備系:7%
近江系:5%
関東系:5%
播磨系:3%
西部瀬戸内海系:3%
紀伊系:1%
0623名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 10:55:24.54ID:tGlXe+Yf0
>>615
まず、百済王族など3世紀には存在しない。扶余族の本格的南下はもう少し時を待たなければならない。
もっとも倭人との混住地帯であった可能性はあるが。
出雲・北陸が半島東部の文化的影響が強かったことは認めるが政治的影響となると別問題だ。
むしろ、半島からの政治的、軍事的影響を嫌っての大和地方の発達の可能性もある。
0624名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 10:58:15.97ID:tGlXe+Yf0
>>622
うむ。琵琶湖や宇陀地方を通じての伊勢・東海地方との関係も見逃せない。
0625名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 11:06:20.88ID:oWJGHeZ+0
>>624
近江、奈良の古墳で埋葬形式が共通していたが、のちに周辺国の形式に同化する。
それが伊勢・東海政権の影響なのかはわからないが、少なくとも奈良盆地は墓地として周辺国が共用していたと見なすべき。
0626名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 11:11:25.69ID:JFKqKk4F0
>>620
平城京でさえ百年もたず京都に移転
アマテラスも三輪からさっさと去って伊勢に
奈良は今も昔もド田舎のサイテーな場所
カエルと鹿しかいない
0627名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 11:13:33.85ID:JFKqKk4F0
>>625
箸墓は5世紀だと畿内での違和感が起きない
常識で考えたらモモソの墓だな
0628名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 11:17:40.35ID:tGlXe+Yf0
>>625
おおむね同意なのだが、他の地方と比較して墓地専用地としての奈良盆地とするのは疑問だ
どのくらいの範囲で想定しているのかは聞いてみないとわからないが
利便性と生産性のある土地を霊園化するなら、それ相応の共通した聖性がなければならない。
0629名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 11:19:40.44ID:x2pv9kjs0
>>577
神話におけるニニギから神武までの日向三代と
西都原古墳群を築いた日向国有力者とは関係あるんだろうか?

記紀神話が皇室の正当性を訴える内容だからこそそのまま史実ではなくとも
何らかの根拠がなければ皇祖は日向出身とは書けないと思うんだが。
0630名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 11:25:14.21ID:F9NkFAcj0
日本の古代史は概ね新羅(辰韓)系と百済(馬韓)系の争い。
初期は新羅系(そもそも倭人が初期の王)が優勢だったのが、百済系にとって変わられる感じ。そもそも新羅自体異民族に乗っ取られるけど
0632名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 11:32:30.11ID:x2pv9kjs0
>>621
ふと思ったが女王国から東に渡った倭人の国、そこら南への侏儒国は
豊後水道こえて四国西岸、そこから足摺岬岬を回って中村じゃなく、
国東半島から周防灘こえて山口県光、侏儒国へは周防大島や瀬戸内海を島伝いに伊予西条とかはないんだろうか?
0633名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 11:36:07.76ID:x2pv9kjs0
>>624
大和国は西とは交通の便はいいけど(大和川水運が使える)
東側は山で交通の番が良さそうかは思えないんだよね。

だから纒向は東海勢力が築いたかも?と聞いた時にすごく疑問に感じた。
0634名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 11:37:30.79ID:S+0H2zgX0
ワシおっさんだがこの話ずーっと論争続いてるな
いつ終わるの?
0635名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 11:42:15.73ID:F9NkFAcj0
安曇というか北部九州は特に辰韓系と関係が深かったんだろう
伊都の県主五十迹手も神功皇后も新羅系というのは多分そういうこと
0636名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 11:45:49.17ID:oWJGHeZ+0
>>628
奈良盆地は今でも利便性、生産性は悪い土地だと思うよ。
大和川はすぐ氾濫してしまう災いの元なんだし。
0638名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 11:59:50.59ID:oWJGHeZ+0
>>632
んーどうかなあ。
いま時点、侏儒国の最有力候補は種子島の広田遺跡だとか。
0639名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 12:02:07.49ID:tGlXe+Yf0
>>633
そうだな。その東海勢力とは如何なるモノだったかを考えるのは重要だ。
纏向と関係が深いと思われる前方後円墳だが東海地方にも草創期のものがあるのだ。
それと上にあった土器の分布状況、弥生中期以前の銅鐸の出土状況。補足として記紀の東国との繋がりからの推測にすぎないからな。
0640名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 12:08:16.04ID:zmsMshzu0
良く勘違いされてるけど纏向の外来土器の比率は「搬入土器の中で多い」ってだけだから

別に纏向の土器が40%東海と言うわけじゃない
0641名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 12:08:53.24ID:wsHQwC5H0
伊都国にある一大率っていうのは関門海峡の警備が主な役目だった可能性がある。
つまり伊都国とは今の門司あたりを含む北九州市のあたりにあったはずである。
0642名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 12:12:23.61ID:CJuotyy20
>>626
奈良の古代人はカエルを食ってたんだよね。
ウエッ
0643名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 12:13:01.17ID:wsHQwC5H0
>>642
カエルくらい中国人どころかフランス人も喰っとるぞ
0644名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 12:16:26.37ID:CJuotyy20
卑弥呼がカエル食ってたら、額田王も食ってるよね。
紫式部も清少納言も食ってるよね。
主食ってそうそう変わんない。
0645名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 12:21:25.73ID:JFKqKk4F0
>>629
神武が誰かはさておき、西都原辺りの勢力が隼人に追い出され日向から宇佐に向かっている。
宇佐は邪馬台国=ヤマト国だったが、台与の時代で邪馬台国は消滅し、秦氏に背乗りされていたが、そこにやってきた神武は秦氏と組んで東征。
神武はその後、筑紫、安芸、備前に寄っているが、そこで軍団を引き連れている姿が後に桃太郎伝説になる。そして淡路島を拠点に畿内を攻めていく。
0646名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 12:22:49.95ID:tGlXe+Yf0
>>630
いつの時代を想定しているのかは知らないが、3世紀時点では新羅も百済もそんざいしない。
三韓時代の列島への文化的影響が大きかったことは肯定するが、軍事的にはむしろ列島を中心とした
倭人勢力の侵攻に悩まされ続けている。

三国史記の記述を信用しているのなら、まず其の書自体の古代の部分の信頼性には疑問があるだろう

絶対史として教えている学校もあるかもしれないが、無用なナショナリズムを歴史に持ち込むのは感心しない。
0647名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 12:25:40.79ID:JFKqKk4F0
>>644
魏志倭人伝にカエルの記述は全くなく
倭人は海産物と生野菜が主食
カエル食べてたのは奈良に逃げてきた渡来系やな
0649名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 12:28:22.46ID:Q6pmal160
>>640
東海政権の墓だから東海の人員が集結したと言う事だろ。
纒向は古墳造営施設なんだから、古墳設置場所を決めて埋葬時の祭祀を行うだけ。
あとはドカタの世話ぐらいか。
0650名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 12:29:59.14ID:JFKqKk4F0
半島系の日本の考古学者は
歴史を全て新羅や百済をベースにしているから
辻褄が合わない
0651名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 12:30:53.96ID:x2pv9kjs0
>>641
それは大陸との対馬ルートを監視する国防や貿易統制のための機関だと思う。
0652名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 12:33:02.18ID:qC/fJ7yHO
そりゃあ時期ははっきりしないが阿直岐王仁が王子連れてやってくんだし、やたら百済の為に兵送る時代がくんだから、倭五王武の上奏文は渡来人の教養ある奴じゃないと書けないよ、孔子儒教だよな。卑弥呼位は日本島の出でいてくれよな。
0653名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 12:34:10.25ID:F9NkFAcj0
>>646
新羅が存在しない時代のことがなぜ新羅と記載されているかというと、記紀が編纂された時代にはすでに新羅が存在していたからに過ぎない
辰韓は秦からの遺民が多く稲作が行われていたと言われているが、ここからやってきたのが秦氏でもある。
半島南部は弥生中期から倭人の根拠地があり倭人領域だったとも言われているので、半島南部との関係は切り離せないだろう
0654名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 12:35:42.57ID:JFKqKk4F0
女王国勢力は対馬壱岐ルート
安曇宗像出雲勢力は沖ノ島ルート
女王勢力は本州と繋がっていなかったから魏志倭人伝では本州の国々はよく分からない国にされてしまう
0656名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 12:41:08.40ID:U6958PCU0
>>592
衰退の根拠が王墓なら3世紀後半の平原を
見る限り衰退したとは言えないな。
むしろ仿製鏡を大量生産して全国に配布できるくらいの国力があった。
0657名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 12:43:10.56ID:tGlXe+Yf0
>>653
韓国の考古学の研究成果は日本に伝わりにくいからな。
ナショナリズムも昔の日本のようだ。
彼等が純粋に歴史を研究してくれることを望むよ。
0659名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 12:45:07.68ID:3Xd3RXhU0
筑紫城に漢委奴国王一族が代々住まう

倭国大乱で逃亡(近畿のド゙田舎の山中に流れ着く)

九州北部の空白地帯で卑弥呼擁立(九州邪馬台、女王国連合、親魏倭王)


↓卑弥呼の死亡


漢委奴国王一族が復権して覇を唱えるも総スカン食らう

どこぞの女児連れてきて
「この子は卑弥呼の親戚の子で二代目の親魏倭王な、俺が後見人になるわ」と宣言して実権を握る

近畿ヤマト王権の始まり(倭国と書いてヤマトと読ませる背乗り開始)
0660名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 12:47:57.69ID:F9NkFAcj0
そもそも平原みたいな円墳って新羅の方にわさわさあるんだよな
天馬塚古墳なんかが有名だが、頻繁に行き来してたり侵攻してたんだから似るのは当然でもあるが
0662名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 12:48:53.08ID:x2pv9kjs0
>>645
それだと東征は3世紀末だよね。
個人的にはそれを支持している。
北九州を知る勢力が神武陣営の有力な協力者かつ王位にも関与している?からこそ
日本神話の舞台が北九州ライクでアマテラスは卑弥呼のイメージなんだと思っている。

だけど東征が3世紀末だと西都原古墳群はそれよりも後になんだよな。
大和朝廷とパイプがあるからこそ勢力拡大と大古墳建設が可能になったと考えらのが自然か?
0663名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 12:49:39.06ID:F9NkFAcj0
>>657
そもそも古代朝鮮半島南部が倭人領域だったという視点で研究すれば随分変わってくるんだろうけど、あっちはイデオロギーが先に来るから難しそうだw
0664名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 12:50:34.02ID:j7zbBx8C0
もうこれでええやろ。

對馬國:有千餘戸(対馬)
一大國:有三千許家(壱岐)
末廬國:有四千餘戸(呼子〜唐津)
伊都國:有千餘戸(前原〜早良)
奴國:有二萬餘戸(福岡市一帯)
不彌國:有千餘家(宇美)
投馬國:可五萬餘戸(筑紫平野)
邪馬壹國:可七萬餘戸(筑後平野)
狗奴国:規模不明(熊本)

田畑を掘り返さない限り、邪馬台国なんて出てこないってこと。
0665名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 12:50:54.45ID:qC/fJ7yHO
この邪馬台国ってのにも問題あるよね、台は臺になってるしねえ、臺は中央政府だろ、別に決まった国である必要性もないとも言える。
0666名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 12:54:57.73ID:aWsXdyJ50
>>664
良くない。
当時の北九州は人口4万人位しかいない。
九州全域で10万人位。
0667名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 12:56:12.99ID:oWJGHeZ+0
>>664
>伊都國:有千餘戸(前原〜早良)

かなり小規模な国だから早良区だけだと思うな。
やたら硯が出てくるのは文書を運用する機会が多かったという事だろう。
0668名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 12:59:11.24ID:7A8lJDph0
魏志倭人伝には邪馬台国の東の海の1000里には「倭種の国」(倭人とよく似た人達の国)があり、
その南の邪馬台国から4000里の場所に侏儒国があったと書かれている。
そして侏儒国は「小人の国」という意味で、背が低い人種が住んでいたと書かれている。

現状、邪馬台国九州説も、畿内説も「小人の国」や「倭種の国」がどこにあったのか説明できていない。
「小人の国」は種子島だという説もあるが、 そうすると今度は邪馬台国の東の海の1000里にあった「倭種の国」がどこかわからなくなる。
だが「小人の国」が、九州の北にある壱岐島であるとするとすんなり説明がつく。

「小人の国」は「倭種の国」の南にあったのだから、「倭種の国」の場所は壱岐島の北。 地図を見ると対馬とわかる。
そして「倭種の国」は邪馬台国からは「東の海の1000里」にあったのだから、邪馬台国の場所は対馬の西側、ちょうど朝鮮半島の泗川にあった事になる。

長崎大学の研究チームによる発掘調査によれば、壱岐島からは小柄な縄文人種の人骨が見つかっていて、彼らは卑弥呼の時代の後まで小柄な縄文人種が住んでいた事がわかっている。
この発掘調査の事実からも邪馬台国が朝鮮半島にあったことはほぼ間違いないと思われる。
0669名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 12:59:12.25ID:j7zbBx8C0
>>666
白髪三千丈の中国の史書だから真に受けない。
規模の比率と見なせばいい。
0670名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 13:03:11.49ID:aWsXdyJ50
>>669
そう思うならわざわざ書くなよ
0672名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 13:08:25.31ID:zmsMshzu0
なんかこう邪馬台国のスレって意味不明な妄想を叫んでる奴しかいないな

基地外の妄想ノートでも見ちゃったようなうわぁ・・・って書き込みばっかだな
0674名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 13:11:16.94ID:F9NkFAcj0
>>671
朝鮮人というよりはこの時代は中国大陸からの避難民がメインだな
馬韓が秦からの難民に東の地域を与えたと記録にあるし、これが秦韓(辰韓)
安曇は吸収北部が本拠地で半島南部までが支配領域だったといわれている
0676名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 13:15:49.23ID:zezgyQ2D0
水行二十日としか書かれてない投馬国は海岸沿いだよね
日本の古代道路図に宮崎と鹿児島の県境辺りに当磨国あるからそこだと思う
0678名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 13:16:37.47ID:aWsXdyJ50
>>668
小人の国は山海経からパクった妄想だから存在しないよ?
歯黒国も同じく山海経から。

今となれば妖怪百科事典みたいな内容の書物だよ。
0679名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 13:18:57.38ID:oWJGHeZ+0
>>674
そういや邪馬台国は半島南部にあったとも考えられる。
日付表記の行程は帯方郡起点であり、そこから水行で辿りつけるのは半島南部しかないんじゃないかと。
そして女王国とは、半島南部に居た卑弥呼女王が預かった、北部九州一帯を指すと。
こう考えると魏志倭人伝の行程の矛盾がほぼ無くなる。
ちなみに魏志韓伝によると、馬韓には卑彌國や不彌國、xx卑離國など似たような国名もあるし。
0680名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 13:20:34.01ID:Z3lqna1Y0
>>672
妄想書いてるやつは日本史の基礎知識がないんだろう
知識の乏しさは九州説のやつら全般に言えることだけど
0681名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 13:23:22.68ID:oWJGHeZ+0
>>679関連

>>849日本@名無史さん2019/07/29(月) 20:19:30.88
>魏志
>馬韓 鬼神を祭る 卑弥国がある
>邪馬台国 鬼道により卑弥呼が統治する
0684名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 13:26:34.16ID:F9NkFAcj0
そもそも邪馬台国は半島経由で魏まで使節を送ってるんだから、半島と繋がりのある勢力なのは間違いない
九州の山奥の熊襲の女酋長じゃ無理
0686名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 13:28:54.03ID:q5qu8r2u0
そもそも邪馬台国は半島経由で魏まで使節を送ってるんだから、半島と繋がりのある勢力なのは間違いない
奈良の山奥の女酋長でも無理だな、北部九州地域に邪馬台国は在ったんだ。
0687名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 13:30:04.64ID:aWsXdyJ50
>>683
お前の間違い>>664を指摘しただけじゃん?
0688名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 13:32:28.43ID:q5qu8r2u0
>>666
福岡市周辺に在ったと考えられる奴国だけで二萬戸
1戸5人として10万人になるんですけど?
0690名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 13:36:01.86ID:q5qu8r2u0
>>664
對馬國:有千餘戸(対馬)
一大國:有三千許家(壱岐)
末廬國:有四千餘戸(呼子〜糸島市西部)
伊都國:有千餘戸(糸島市南東部)
奴國:有二萬餘戸(福岡市一帯)
不彌國:有千餘家(那珂川市)

投馬國:可五萬餘戸(朝鮮半島南部)
邪馬壹國:可七萬餘戸(九州北部)
狗奴国:規模不明(九州南部)

投馬國:邪馬壹國:狗奴国は単独の国ではなく小国の連合体だな。
0691名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 13:36:04.28ID:F9NkFAcj0
ただ、紀元前後は北部九州中心に鏡が出土するが、卑弥呼の時代には畿内中心に遷移してるんだよな
少なくとも古墳時代には中心が畿内に移っているので、遷移した時代ときっかけが今後の研究課題
0693名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 13:38:36.77ID:q5qu8r2u0
倭種は山口県、侏儒國は四国、裸國や黒齒國は関西方面だな。
0694名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 13:40:06.09ID:q5qu8r2u0
>>691
畿内中心が移るのは7世紀からだよ
古墳時代に北部九州地域からの大量の移民があったんだ。
0695名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 13:54:23.70ID:JFKqKk4F0
>>679
魏志倭人伝に邪馬台国は帯方郡から一万二千里と書いてある
さらに帯方郡から半島南端の狗奴韓国まで7千里と書いてある
邪馬台国は半島ではなく九州
0697名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 14:01:38.68ID:bZRvrnW+0
どう解釈すれば九州説になるのか不明
ストレートに考える人なら奈良ですよ
0698名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 14:10:59.42ID:JFKqKk4F0
>>662
西都原あたりは神武が逃げ出した後、隼人が統治して5〜6世紀に最大になる
隼人は7世紀に秦氏がバックについたヤマト勢力に滅ぼされる
秦氏の拠点は宇佐八幡
ヤマト王権は天皇即位の度に宇佐に神託
つまり宇佐の秦氏がヤマトをコントロールしていた
0699名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 14:12:53.96ID:oWJGHeZ+0
>>695
魏志倭人伝には邪馬台国までじゃなくて女王国までが1万2千里と書いてあるからね。
女王国は半島南部の卑弥呼が預かった北部九州一帯だとすれば、特に問題は無い。
0700名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 14:14:09.84ID:F9NkFAcj0
宇佐は吉備と同族だし、吉備も秦氏の拠点
あと、西都原は早い時期に前方後円墳が出現しているから北部九州同様初期ヤマト王権の連合勢力だろう
0702名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 14:14:30.09ID:JFKqKk4F0
>>697
魏志倭人伝に邪馬台国は帯方郡から一万二千里、
帯方郡から半島南端の狗奴韓国まで7千里で対馬、壱岐、九州北端がそれぞれ千里と書いてある。
九州北端までで一万里で残りは2千里。
九州以外は不可能。
0704名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 14:18:13.65ID:F9NkFAcj0
そもそも八幡は新羅の神だと言われてるから、まぁここにも渡来系の影が。奴国の春日大社も新羅だし
0706名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 14:21:00.91ID:q5qu8r2u0
>>697
魏志倭人伝の記述通りなら北部九州地域で奈良までは行けないよ
どんな頭してたら奈良とか考えるんだ?
0707名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 14:23:01.75ID:Z3lqna1Y0
宇佐厨も毎日同じ糞コピペ貼って何をしたいんだかw
嘘も100回を実践してるわ
0709名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 14:35:06.80ID:aWsXdyJ50
>>688
そんなに3世紀に人がいなかったんだからガセだよ。
0710名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 14:38:07.37ID:aWsXdyJ50
>>689
そんなうっすい理由でかよ!
はぐろこくで、変換したらそう出るやん?
0712名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 14:49:20.93ID:q5qu8r2u0
>>709
実際に日本に訪れた張政等の報告書も基に魏志倭人伝は書かれている
今考えてる以上に北部九州地域は3世紀には人口が多かったんだよ。
0714名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 14:52:32.85ID:E38fHRwW0
毎度毎度推測に推測を重ねた上にまた推測を重ねたようなことしてるわ
0715名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 14:53:05.10ID:j7zbBx8C0
>>711
畿内説が確率の低くても都合の良い部分だけを選んで発表してるのは有名な話w
0716名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 14:57:34.38ID:CHnrKXgz0
>>711
いろいろな試料で年代測定をしてるが、中には異常値を示すものがある
その異常値を示したものを持ち出してきて難癖付けてるだけだな
0717名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 15:01:53.55ID:j7zbBx8C0
>>716
畿内説でありながら畿内説のデータを見たことがない奥山くんは、よくそう言って難癖つけるよなw
0718名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 15:09:36.13ID:oWJGHeZ+0
>>716
は?w
畿内説はわざわざ異常なデータを公表したということですか?w
0719名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 15:17:54.06ID:aWsXdyJ50
>>712
そんだけいたとするソースがないやん。
0721名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 15:31:08.57ID:mx2CekYm0
平原遺跡は重要な場所だが、そこに卑弥呼が眠っているのは話が飛躍しすぎる。
0722名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 15:33:39.67ID:Q84NvI/J0
邪馬台国奈良説や宇佐説のおかしい所は南へ行くのに東に行っている事。
邪馬台国の東には海があり海の向こうには倭種の国があると記載されているが
奈良説や宇佐説では東は北になり、奈良の北にも宇佐の北にも海は無い
伊勢湾や豊予海峡は東であり、北では無い。倭人伝の読み方は
邪馬台国(連合国家)の東には海がありその向こうには倭種の国がある
と考えれば良いだけ。邪馬台国本国は海に面している必要は無い。
0723名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 15:39:58.35ID:JFKqKk4F0
>>722
宇佐説の方角は魏志倭人伝の通り
何を勘違いしてるの?
東側に約千里で四国で合ってる
0724名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 15:58:44.77ID:F9NkFAcj0
魏志倭人伝にある習俗はわりと日本の漁師にありがちな習俗ばかり
流石に現代では減ったが、昭和の時代くらいまでは漁師の刺青なんて珍しくなかったからな
ただ、奴国不弥国の後の距離がぶっ飛んでて倭人からの伝聞になっっているようなので、使者は北部九州までしか行っていないと思われる
0725名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 16:09:29.01ID:EzBC1gig0
伊都国って言われる辺りはもっとほじくり返すべきや
怪しい場所やどう見ても古墳よね?
ってのがゴロゴロ放置されてる
0726名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 16:26:46.40ID:oWJGHeZ+0
畿内ボケした学者にそそのかされて桜井市財政悪化w

読売新聞YOL(21.11.2018)
邪馬台国の候補地?見学施設、財政難で建設延期 社会

奈良県桜井市は、邪馬台国の有力候補地として注目される纒向(まきむく)遺跡で、
2020年度中の完成を目指していた「ガイダンス施設」の建設延期を決めた。
財政難が原因。整備を進める史跡公園の核となる施設で、遺跡見学の拠点として
期待されていたが、新たな完成時期は未定だ。

新手の詐欺事件みたいだなw
0727名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 16:28:43.35ID:F9NkFAcj0
伊都の高祖神社なんかは主神が天日槍だと言われてるな
まぁ新羅と出雲や瀬戸内海への中継地点だから半島の影響が強いのは当たり前だけど
0728名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 17:01:12.05ID:j7zbBx8C0
>>726
纒向は今年に入ってから物凄くトーンダウンしてるが、
フェードアウト中かな?w
0729名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 17:29:42.53ID:Z3lqna1Y0
>>711
九州説による畿内説批判は恣意的にデータを選んで文句つけてるだけとバレたな
0730名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 17:44:00.35ID:ZeoL4Dp40
>>725
基本的に北部九州は遺跡破壊が
確実なところしか発掘しないからね。
土台が深いビルとか高架道路の土台部分とか。

浅いところしか掘らない道路や駐車場みたいなところは見つかっても埋設保存。
必要がないところは次世代に残しておく。

発掘の予算も人員もたらん。
0731名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 17:52:58.57ID:j7zbBx8C0
>>729
30年幅の時代を特定できる畿内式年代特定教の信者さんですか?w
文系にも満たない精神論は学問じゃないからw
0732名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 18:09:04.38ID:oWJGHeZ+0
>>731
粉末の大きさを巻尺で測って30ミクロンですって言ってるようなものだからねえw
絹も出土していないのにベニバナの花粉を見つけて絹の染色技術が伝わっていたとかも言ってたっけ?w
畿内説は総じて拡大解釈のオンパレードだw
0733名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 18:17:12.00ID:HUiKBgnP0
邪馬台国まで一万二千里とは書いてない
女王国まで一万二千里な
>自郡至女王國 萬二千餘里

「女王国」と書かれているのは5ヶ所
「邪馬台国」と書かれているのは1ヶ所だけ
>南至邪馬壹國 女王之所都

それらを読むと「女王国」=「邪馬台国」ではないという解釈もできる
0734名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 18:22:01.41ID:s0yRUq9v0
>>733
だから邪馬台国は半島南部の倭国領域の事でしょうよ。
他に卑弥呼の出身地説というのもあったかな。
0735名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 18:30:46.11ID:x2pv9kjs0
>>698
西都原は隼人の作った古墳なのか?
0736名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 18:40:10.38ID:x2pv9kjs0
興味持って邪馬台国ネタの古代史本を読んでるけどトンデモ説すごいな。

特に九州倭国は7世紀まで存在していて冠位十二階も17条憲法も遣隋使も
そこの功績であって畿内大和朝廷のものではないというそれ。
0737名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 18:46:29.72ID:s0yRUq9v0
>>736
謎が多いからじゃね?
7世紀初頭までの朝貢者が誰なのか分からないんだよ。
もちろん記紀にも記載されていない。
しかしあちらには記録が残っている。
0738名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 18:50:46.15ID:xEX92dfh0
新羅の海人が日本人の先祖だ
0739名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 18:53:28.51ID:q5qu8r2u0
>>733
「女王国」は伊都国、奴国のことで邪馬台国の首都圏のことだよ。
0740名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 18:56:42.48ID:W+h7P+4n0
>>736
割とトンデモ本が多いからな
博物館の特別展の冊子なんかは一番まとも
0741名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 19:02:32.23ID:W+h7P+4n0
恐らくは伊都国や奴国は半島とのパイプを持った種族というか、半島のから北部九州を勢力圏とする種族。
そしてここの海運ルートを経由して中国大陸の遺民が瀬戸内海や畿内に流れ込んだのだろう。播磨風土記の天日槍の記録がそれ。
記紀の記録より弓月氏の渡来が早かったのかもしれない
0742名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 19:13:43.96ID:HUiKBgnP0
最初の使者梯儁の報告に邪馬壹國や卑弥呼の文字はない
女王国、女王とだけで固有名詞はない
二人目の使者張政が邪馬壹國や卑弥呼と書いてる

使者二人とも伊都国に来たと考えられるけど
梯儁の役目は返礼品を現地まで届けることで
伊都国の一大率に渡してすぐに帰ったと思われる
同行の通訳がいなくていろいろ聞けなかった可能性もある

その後倭国の使者が帯方郡にきて狗奴国と戦っていることを伝える
援軍を派遣できない魏は二人目使者の張政を派遣する
張政の役目は軍事顧問
比較的長く滞在して倭国についてあれこれ聞いたと思われる
そして邪馬壹國や卑弥呼や壹與の名前が残る
0743名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 19:32:11.13ID:HUiKBgnP0
>南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月
これを書いたのは張政

>政等以檄告喩壹與
張政は台与に手紙を送った

>壹與遣倭大夫率善中郎將掖邪拘等二十人 送政等還
そして台与は20人を派遣して張政が帰るのを遅らせる

張政は滞在期間がかなり長かった可能性がある

狗奴国との戦いにケリが着いたなら
出世したい張政はそのことを間違いなく書くはずだが
書いてないので戦いは継続されたと思われる
つまり成果がないのに帰国が遅かった
0744名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 19:32:46.13ID:pLyXwRnR0
>>741
>記紀の記録より弓月氏の渡来が早かったのかもしれない
確かに早かった模様w

・    〜2世紀末: 唐古鍵最盛期
・3世紀半ば〜4世紀半ば:纏向最盛期
・4世紀末〜:↓思ったより早く弓月君ご到着
 
■最古の大壁建物跡か 奈良・高取の遺跡で発見
「建築年代は4世紀末〜5世紀初めと推定され、
最古の大壁建物跡の可能性もある。
渡来人が入植を開始したのは5世紀後半と
考えられていたが、大幅に早まる可能性が出てきた。」
「同町では、朝鮮半島式の床暖房装置(オンドル)を
持つものを含めて約40棟見つかっている。」
 
「白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館名誉館長は、
建物の時期についてはさらに検討が必要としながらも、
(現場に)居館や祭祀施設など渡来系の人たちが
営んだ重要な施設があったことは間違いないとみている。」

https://www.sankei.com/west/news/181128/wst1811280010-n1.html
0745名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 19:36:53.35ID:HUiKBgnP0
ここからは私見だが伊都国で張政は酒と女で
接待をうけてたのではないか
以下張政の報告

>人性は酒を嗜む。
人は酒を好む

>その俗、国の大人は、皆、四、五婦。
>下戸は或いは、二、三婦。婦人は淫せず、妬忌せず。
その習俗では、国の大人はみな四、五人の妻を持ち、
下戸でも二、三人の妻を持つ場合がある。
婦人は貞節で嫉妬しない。

張政→4、5人
部下→2、3人
帰りたくない張政ら
0746名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 19:45:07.71ID:HUiKBgnP0
張政は狗奴国との戦いで決着とはいかず
特に何も無いまま遅い帰国となったと思われる
当時は戦時中
このままでは張政の立場が危うい
張政は倭国経由で呉の都建業を攻める作戦を提案する
>まさに会稽、東冶の東に在るべし。
そのために南海にあるように距離と日数を合わせる
0747名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 19:49:46.81ID:HUiKBgnP0
間違えた 方角と日数を会稽東冶の東に合わせた
そして遅く帰国した原因を壹與へ出した手紙の
返事を待ってたとも捉えられそうな感じに報告書を書いた
都合よく壹與が見送り20人を派遣してくれたのでそれにも乗っかった
0748名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 19:56:28.36ID:U6958PCU0
日本最古の王墓である吉武高木遺跡
から西へ日向峠を超えたら伊都国。
前原道路なんてない当時は日向峠が交通の
要所だったのだろう。
0749名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 20:03:11.64ID:W+h7P+4n0
>>744
今は4世紀くらいになってるけど、実はもっと早かったのかもしれんね
0751名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 20:04:15.47ID:HUiKBgnP0
張政出国→伊都国到着→台与に手紙を書く
→倭人が邪馬台国に届ける
→台与の使者20人が贈り物を持って伊都国の張政へ
→使者20人と共に張政帰国

張政が上司に怒られないようにするにはどうすればいいか
頭だけはいい張政は考えた
出国から帰国までの期間が長すぎても短すぎてもいけない
そういえばちょうどいい距離に
呉の衛温と諸葛直が夷州から数千人連れ帰ったという話があったな
二人とも獄死したけど
記憶力だけはいい張政はこのネタを使った
張政「夷州は倭国だったんだよ!」
0753名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 20:07:28.29ID:bZRvrnW+0
九州説の弱点は
その後の大和朝廷との関連性
矛盾を無理矢理説明するために
更なる矛盾である九州王朝説を打ち出した
それが九州説なんですよ
一方、畿内説は大和朝廷との関連性がストレートに繋がっていて、矛盾が無い
0754名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 20:08:34.76ID:IRDPVLc00
>>725
この前親戚がヤバめのもの掘り当てたけど届出も出さずに埋め戻した
下手に当たりが出ると家潰したり謎の義務とか発生するから暗黙の了解みたいになってんだろな
0755名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 20:10:11.52ID:U6958PCU0
>>753
関係性が無いと考えればいいのでは
0756名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 20:13:37.80ID:qC/fJ7yHO
タイヨの共立には必ず3韓が含まれる、シロ国新羅の神話は13の天才、男王たてて不満に思ったのは、シロ、それで13を引っ張りだしてきただけ。もうこのころから半島とは繋がっている。室に入りて戈を操る、倭五王武の上奏文も春秋佐氏伝、百済だよ。
0757名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 20:14:42.45ID:U6958PCU0
>>754
ヤバめの物って親魏倭王の金印?
糸島で農作業してたら翡翠みたいなのとか
普通に出るらしいね。
0760名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 20:22:54.21ID:J7gLMwid0
九州説も言われてみれば解らんでもないんだけど、じゃあどうやって大和調停に繋がったの?って言うのが難しいよね。
ミッシングリンク的な。
0762名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 20:28:22.31ID:y56pZGan0
日本考古学における祭祀とか祭りだとか信仰だとかって、真面目に受け取らなくていいよな
0763名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 20:31:26.59ID:U6958PCU0
>>759
支石墓?
流石に自分が引き当てたら引くなw
0764名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 20:40:59.61ID:W+h7P+4n0
>>754
そういえばうちの畑も古墳だったから土器やら石室やらザクザク出てたな
0765名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 21:04:09.01ID:lInzMpRA0
>>760
繋がっている必要もないけどな。
畿内説の場合つながっているかどうかに関わらず、記紀にその痕跡がなさ過ぎる説明がつかない。

九州説の場合、主に北九州に比定するが、大和朝廷のルーツは九州南部なので繋がっている必要がない。

天孫降臨は日向国だしゴールは鹿児島。
後漢の頃に奴国があったのも倭国の南端。
北九州の邪馬台国と争ったのも南の狗奴国。
0766名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 21:04:38.92ID:y56pZGan0
オスマントルコが滅びるまでに何度も何度もヨーロッパに負けてるが、負け続けた数百年のあいだ、国自体が滅ぶことはなかった
0768名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 21:30:14.66ID:ESCQ/tKU0
漢委奴国王金印を倭人はどんなものと見なしどう扱ったかだが、現代人が想像するようなものでないのは確かだ。現代日本人はこの金印に関して魏人と同じ視点しか持ち合わせていない。
そして漢委奴国王金印は江戸時代の出土なものだから、金印に対する倭人の視線、埋納目的とか埋納時期などなどを推定しようにも無理と来ている。ちと残念な所だ。
0769名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 21:43:36.49ID:EJOMT/lt0
>>741
つーか、15%の確率で卑弥呼・台与の時代と一致してるじゃん
0770名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 21:49:42.61ID:EJOMT/lt0
>>768
その時代の資料が残ってるよ。

・漢委奴国王を授かったのが57年
・57年、『新羅本記』によると倭人の脱解尼師今が新羅王になった。
・日本で編纂された『新撰姓氏録』には神武天皇の兄は、新羅王の祖であると書かれている。

※西暦57年、神武が初代天皇になり、神武の兄が新羅王の祖になったと考えられる。

『新羅本紀』によれば、
新羅には朴氏・昔氏・金氏の3姓の王系がある。
昔氏の始祖が、西暦57年に新羅の王になった倭人の脱解尼師今である。
0771名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 21:54:03.73ID:EJOMT/lt0
>>768
伊都国に代々の九州王がいたが
奴国王が金印をもらったことにより伊都国王よりも偉くなったと考えられる

金印の威光によって
倭人が新羅王になったのも出雲の国譲りもおそらくこの時期

漢委奴国王が初代・神武天皇だが
「カミ」の語源もおそらく「漢委」
アイヌ語では神を「カムイ」と発音するが「漢委」なら「カミ」とも「カムイ」とも読める
0772名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 21:56:40.75ID:ESCQ/tKU0
>>768
おっと間違いを訂正

現代日本人はこの金印に関して漢人(X魏人)と同じ視点しか持ち合わせていない。
0773名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 21:57:28.71ID:jyD3wS3g0
伊都国は静岡にあり。川勝が観光資源にしてくれるだろう
0774名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 22:05:15.31ID:ESCQ/tKU0
>>771
俺は一世紀ともなると言わば「日本朝鮮の史料からは正確な事は何も分からないだろう。お手上げです」派です。
0776名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 22:13:28.67ID:W+h7P+4n0
馬具といえば、↓が面白かった
新羅から送られた装飾馬具が福岡でみつかっている
ttps://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3440/1.html
0777名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 22:15:53.17ID:JJdbcbAT0
>>775
5ちゃんねるだと推理推論だらけだけど
物的証拠はあるからね。

だから学者はほとんど全員、畿内説
0778名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 22:39:56.90ID:tGlXe+Yf0
>>770
なんていっていいかわからんが、
三国史記とか新羅本記がどういう資料かわかってるのか。
Wikiでいいからみてみろ。
古代の、三韓の部分はファンタジーだぞ・・・
0780名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 22:45:22.93ID:EJOMT/lt0
ダイワとしか読めない「大倭」をヤマトと読ませるのは
魏志倭人伝の「大倭」に由来するとしか考えられない

・魏志倭人伝では邪馬台国を「大倭」と表現した
・倭国ではヤマト(奈良)に「大倭」の漢字を当て字した

邪馬台国が奈良ではないとしたら
この2つが偶然の一致ということになってしまう。
奈良が邪馬台国だからヤマトに魏志倭人伝の「大倭」の文字を採用した。
0781名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/07(水) 22:48:19.06ID:JJdbcbAT0
三国史記とか新羅本記は
今は失われた古い資料を参考にしてるので
貴重な資料だよ
0782名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 23:01:57.04ID:BGuTRM5EO
神武の兄貴が新羅の始祖ならばさ

最初から多元王朝じゃんかよと
0783名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 23:11:22.63ID:EJOMT/lt0
>>782
そりゃそうだよ

金印よりも格下の倭王・武ですら六カ国を任されてるよ。
「使持節 都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事 安東大将軍 倭王」
0784名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 23:13:12.83ID:tGlXe+Yf0
>>779

もう・・・はなしかけないでくれ。
いや、突っ込んだ私がわるかったのか。
私がゆうのは三韓の頃なのだがな。
君が・・・いやもういい。
0785名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 23:16:20.15ID:tGlXe+Yf0
>>781
今は失われた古い資料を

その資料がどんな資料かわからんのにか。
目新しいからとびついたんだろうが、参考資料にすぎないな。発掘データが伴っているならともかく。
0786名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 23:18:48.84ID:etRmsUeu0
>>765
記紀には卑弥呼にそっくりな人は書いてあるのは
トヨスキイリヒメなんだが
トヨスキイリヒメや倭姫は斎王というものの伊勢に差し出された人質と言った方が当てはまる存在で
伊勢が斎王の名をつかって勝手に倭国の代表を騙って中国と取引してた可能性の方が高いように思える。
だから天皇家は知らないのではないだろうか?
0788名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 23:25:21.74ID:etRmsUeu0
伊勢や尾張は中国文化の総本山みたいなところで、下戸遺伝子もポリネシア遺伝子がなぜかもっとも濃く、徐福や神仙思想の濃いところである。
古墳時代も陶器の一大生産地は尾張だ。
九州よりもつながりが濃そうな感じ。
0789名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 23:30:33.45ID:etRmsUeu0
飛鳥時代にも欽明天皇が最初に寺を創建したのもなぜか伊勢の金剛證寺であり、志摩の伊雑宮からは馬子や聖徳太子の書いたと言われる先代旧事本紀大成経が出てきたりしている。
これらも大陸とのつながりを示しているのではないか?
0790名無しさん@1周年
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2019/08/07(水) 23:48:25.29ID:etRmsUeu0
神功皇后のころには志摩宿禰というなぞの人物が朝鮮と外交をしていたと言われており、蘇我氏というのはひょっとするとその後裔なのではないかと言う気がしている。
それは馬子などは自らを嶋大臣と名乗っており、自宅の島の宮に庭園に池をつくりそこに荒磯を作っていることなどがある。
0791名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 00:02:58.49ID:DTzMGVby0
神功皇后も新羅だし伊都も新羅だし(高祖神社)奴国も新羅だし(住吉)なんか新羅だらけだな
当時は新羅成立前の秦韓だから、中国からの避難民というべきかもしれんが
0792名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 00:09:54.30ID:8EEjubgD0
志摩市は安曇族だと言われており古墳なども九州式の古墳がつくられている。
神功皇后の時福岡の志摩から三重の志摩市に移住してきたのかもしれない。
夫婦岩もそれで作ったのかもしれない。
0793名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 00:25:13.69ID:9KihRu8n0
安曇族って呉の人達だよね。海運に優れてるし製鉄技術もってる。福岡の志賀島あたりから、長野まで痕跡がある。
0794名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 00:41:25.10ID:wvVfTCEE0
>>793
横穴式石室を持ってきた人らだと思うのだが
蘇我氏なんかも横穴式石室
蘇我氏だけ他の竹内宿禰の子孫とは違って大和に拠点がないというか、稲目は欽明天皇に明日香に土地を与えられてそこに住んだ。
じゃあ元はどこにいたんだって話で
先祖は武内宿禰じゃなくて志摩宿禰なんじゃないかと言う気がする。
0795名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 00:48:35.66ID:wvVfTCEE0
蘇我氏の名前の付け方が高麗とか朝鮮ぽかったり、稲目の娘の子孫は堅塩媛とか菟道貝蛸姫とか尾張皇子とかものすごく東海ぽい名前の付け方
朝鮮と外交してた志摩宿禰だとまあ分かる。
0796名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 01:02:48.13ID:DTzMGVby0
日本に新羅や百済の痕跡が多い一方で、半島南部は倭人が幅をきかせてて新羅や百済が隷属してたりもするんだよな
なかなか面白い関係
0797名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 01:12:18.55ID:4+e3RFaG0
>>796
新羅王が倭人なくらいだから
新羅や百済の王族は倭人系で、だから日本に新羅や百済の痕跡があるだけだよ

新羅や百済の王族の倭人が、倭国に新羅や百済の文化をもちこんだ。
半島南部で倭人が幅をきかせてて新羅や百済が隷属させていたのがその証拠
0798名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 01:17:58.82ID:4+e3RFaG0
>>795
馬子、高麗、尾張、堅塩、菟、貝蛸、入鹿
すべて蔑称に見える。
高麗や尾張も蔑まれてる地域だったのでは。
0799名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 01:22:42.18ID:Ped27vEH0
>>780
「使大倭監之。」
大倭を使って監視させた。
ヤマトは小国だったから使われる身だったんだね。
0801名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 01:33:52.59ID:wvVfTCEE0
>>798
人質をとったりとられたりする間柄だったんじゃないか?
あまりお互い信用してないけど同盟してるみたいな
大和と尾張伊勢は
当時天皇ですら宮川より伊勢に入れなかったらしいから
持統天皇が初めて入って以降近年まで入れてもらえてないでしょたぶん
0803名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 01:40:40.04ID:wvVfTCEE0
>>802
元々蔑称じゃなかったのが蘇我氏の名前だから後で蔑称になってしまっただけかもしれんけどね
0804名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 01:42:14.98ID:Ped27vEH0
>>800
後漢時代のその大倭王が金印を貰った倭奴国王でしょ。
しかし結局は卑弥呼女王を上に立てる事で統制が取れたという話で。
0805名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 01:44:43.12ID:rbsy6sGL0
>>802
尾張とか高麗も蔑称なの?
尾張は世界の果てみたいな意味だったか
0806名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 01:45:47.15ID:DTzMGVby0
最近の主流は吉備というか瀬戸内海連合の百襲媛が畿内に共立されたのが卑弥呼って感じなんだっけか
吉備氏の乱も磐井同様新羅がらみだし、本当に新羅よく出てくるなw
0807名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 01:52:00.21ID:wvVfTCEE0
持統も元明も蘇我の娘だから伊勢に入れたのかもしれんし
0808名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 02:53:27.71ID:ZO+u2M5P0
>>803
馬子、入鹿親子で、馬鹿ってやつは結構言われるね。

随分とちっさなイタズラだと思ったが、当時は名前そのものの力みたいな風習もあったし
名前を蔑むってのは、その行為自体で相手を弱められると思っていたのかもね。

魏志倭人伝や後漢書倭伝の国名、卑弥呼や国々の官、副官の名前、使者の名前、ありとあらゆるものが
文字の改変や蔑称だらけなのも、同じ意図が中国側にもあったんだろうね。
0809名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 06:03:28.93ID:vSFbZYIp0
大和王権は物部から蘇我に乗っ取られて、さらに藤原氏によるクーデターで入れ替わっている
勝者の立場で書かれたのが記紀以降
一方で中国に残った史書は倭人の発言を当時の中国人の発音で当て字をしたのだが、今も昔も中国では他国に関することは蔑ました字を当てた
中国3千年の歴史で一貫している伝統だな
0810名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 06:35:10.20ID:ywGAv5m9O
天智治世では左大臣は蘇我赤兄であり右大臣は中臣金、御史太夫3名が蘇我果安紀大人巨勢人。このころには、完全に半島制圧下。やっぱ卑弥呼もダメか、とよもか、初代整形女王か
0811名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 07:16:41.59ID:YU9XcsOu0
漢倭奴国王を「漢の倭の奴の国王」
て読むのは無茶苦茶だな
教科書とか博物館も未だにこのままとか、
歴史学って保守的なのね
0812名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 07:40:25.50ID:/zB8D3zm0
ソフィストケートされたトンデモとただのトンデモの違い
0813名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 07:49:59.10ID:rbsy6sGL0
>>794
横穴式石室が九州から畿内に伝わるまで
100年かかってるんだよな。
旧唐書の記述とおり倭国と日本国とがあったのだろうな。
0814名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 07:51:04.53ID:4s3rXQZ+0
>>811
伊都国王?
0815名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 08:00:04.61ID:YU9XcsOu0
>>814
ワヌコク=古の倭国かな
ワヌコク(倭国)連合を統べていたのが伊都国王だろう。
0816名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 08:01:49.30ID:4G3g34Ra0
>>815
後漢に朝貢した奴国は倭国の南端
伊都国にあるはずがない。
0817名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 08:07:45.14ID:YU9XcsOu0
>>816
>>811
0818名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 08:09:15.84ID:4G3g34Ra0
>>817
後漢書倭伝を読むといいよ
0819名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 08:20:15.28ID:D1Xq0VXr0
>>818
だから奴国じゃなくて倭奴国だと
倭奴国(30連合国の総称)=古の倭国
0820名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 08:20:37.34ID:RB5T4P3j0
>>1
伊都国は糸島市じゃないよ。
方角が全然違う。

少なくとも九州説は方角を重視した説なんだから、
伊都国を糸島市に比定してはいけない。

方角を重視して短里で考えれば、伊都国は小城市あたりになる。
0821名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 08:38:06.79ID:4G3g34Ra0
>>819
倭奴国の呼称が存在するのは後漢書倭伝。

後漢から金印を印綬されたのは倭国100国の最南端にあった倭奴国
倭国北限に近い伊都国とは違う。

後漢の頃、倭国には100国ほどあったんだよ。
0822名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 08:47:12.02ID:mYhtVWuq0
>>813
横穴式石室とか大和朝廷がとっくにできた後から入ってきたもんだから
別に倭国のものでも何でもない
0823名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 09:12:06.45ID:4s3rXQZ+0
しかし福岡の神功皇后伝説、強引すぎ
0824名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 09:14:46.26ID:C/kei92I0
大和と邪馬台国が同じだとするなら余りにもその痕跡が少な過ぎるんだよね
故地に何も残さないってのが考え辛い
0825名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 09:16:29.07ID:eCyhDvKj0
神功皇后は福岡市付近の豪族だろうな。
応神天皇つれて畿内に帰るけど
これは福岡から畿内に攻め入っていることを
示しているのではないか?
0826名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 09:20:01.67ID:eCyhDvKj0
神功皇后の爺さんが筑後の景行天皇で
妹が佐賀のヨド姫
糸島には建て直した高祖神社に
糟屋には応神天皇を産んだ宇美八幡宮

本拠地は福岡だと思うよ。
0827名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 09:54:03.57ID:DTzMGVby0
福岡というか伊都と神功皇后は同族
お盆に関西から帰省した親戚みたいなもん
0828名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 10:07:34.97ID:A6vwiORc0
>>824
普通にあるだろ
景初や正始といった魏の年号が入った鏡は畿内に多く分布してるし
正始元年鏡の同笵鏡は桜井茶臼山古墳でも出た
古墳を真円で造る土木技術も中国から伝来したとしか考えられない

逆に聞くが、九州に何かあるの?
皆無だろ?
0829名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 10:14:18.30ID:ywGAv5m9O
認識として北九州が最南端であったかもしれんし、分裂したかもしれんし。しかし漢倭でかみはいいよな、気にいっちゃったよ、成る程ねぇ
0830名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 10:18:57.94ID:0R1PblnG0
本当に九州説とか言い出す奴はどうしようもないことしか言わねぇな
0831名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 10:20:18.56ID:eCyhDvKj0
そもそも鏡に年号を入れる習慣があまりなく
中国での数少ない年号鏡は呉の領域から出る。

そもそも神獣鏡が呉の文化。

そこに魏の年号を入れ、あまつさえ
間違った年号まであるとなれば

呉の鏡職人が日本で作って
年号を間違ったと考えるべき
0832名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 10:20:42.85ID:ywGAv5m9O
畿内には何かおったかもしれんが半島移民が押し寄せて来た後の話だろ、なんで山奥の海に出るのに歩いて何日もかかる所に支配されとるアホがおるんじゃ。吉備、河内、阿波なら解らなくもないが。
0834名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 10:43:50.92ID:A6vwiORc0
>>831
黄初、太和、正始、甘露、景元といった魏の年号の入った鏡は中国にもある
そもそも、神獣鏡が呉の鏡なんて言ってるんだから、30年前の古い知識で反論してるだけだろ?
景初四年は晋書にあるから景初四年鏡は中国製の可能性もある
中国製か国産かは不明だが、仮に国産だとしてもタイムラグなしに製作したということになる

実際にモノがあるんだから畿内と魏との繋がりを否定することはどうやっても不可能
九州説のやつらって、目の前の証拠を突き付けられても、認めないと言い張ってるのと同じなんだよ
0835名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 10:58:04.17ID:DTzMGVby0
弓月君のご到着が紀元前後から紀元2世紀だったらそれが神武東征のモデルかもな
0836名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 11:05:06.39ID:vuHGSmpu0
邪馬台国は奈良でも九州でも大和朝廷には繋がらないんだよな。

奈良だと倭人伝記述と大和朝廷との風習や制度の差が違いすぎるし
九州だとそこからそこから大和朝廷に発展したことは否定されてるし。
0837名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 11:09:46.27ID:vuHGSmpu0
>>834
鏡は多く出土しているなか年号が入ったそれは数が限られているのだけど、ほとんどが
邪馬台国時代(中国文献による卑弥呼即位の180年あたりからトヨが朝貢した266年まで)かつ、
日本各地の遺跡から出ているんだよな。

邪馬台国は西日本一帯を支配した大国家だった?
まさかね。
0839名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 11:21:56.38ID:4MTQ1JjX0
>>821
倭の範囲が朝鮮半島南部から北部九州地域までなんだ
だから極南海の倭奴国は福岡市周辺に存在した。
0840名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 11:23:46.27ID:4MTQ1JjX0
>>839
訂正
誤 極南海
正 極南界
0841オレンジ・エア
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2019/08/08(木) 11:48:11.12ID:xgpSoCKP0
卑弥呼の塚は久留米御井の祇園山古墳

神功皇后は息長たらし姫、ルーツは新羅
0842名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 11:49:34.04ID:4G3g34Ra0
>>839
それでは百国も入るわけがない。
0843オレンジ・エア
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2019/08/08(木) 11:49:38.62ID:xgpSoCKP0
みたらし団子の由来は神功皇后
0844名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 11:56:16.47ID:vSFbZYIp0
三角縁神獣鏡は4世紀以降の古墳から既に540面以上見つかっているのに、邪馬台国の時代である3世紀の墳墓からは1面も出土しておらず、年代が合わない。
三角縁神獣鏡は中国国内では1面も出土しておらず、中国の鏡ではないと中国の学者が述べている。
改元されて実在しない中国の年号の銘が入った鏡がある。
卑弥呼に下賜された銅鏡は100枚だが、それをはるかに超える数の三角縁神獣鏡が出土している。
0846名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 12:06:54.36ID:4G3g34Ra0
>>841
残念ながら祇園山古墳由来とされる三角縁神獣鏡が33面高良大社にある。
0847名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 12:17:04.47ID:A6vwiORc0
>>837
紀年銘鏡は古墳から出土してるから、鏡を配布した主体はヤマト王権で間違いないであろう
三角縁神獣鏡の配布と同様であるので、紀年銘鏡に限って地方豪族が独自に入手したとは考えづらい

ただし鏡は伝世してるが、ヤマト王権側で伝世したのか地方豪族側で伝世したのかは不明
鏡を入手(あるいは製作)したのはヤマト王権の前身ということになる

仮に地方豪族が紀年銘鏡を独自に入手したとしても、少なくとも、畿内で出土した鏡、
および桜井茶臼山古墳出土の同笵鏡である正始元年鏡は、ヤマト王権の前身が入手(あるいは製作)したのが確実

ヤマト王権の前身あるいは初期ヤマト王権が邪馬台国ということ
0848名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 12:19:00.10ID:coVHMM1L0
>>711
これは酷いね
日本の考古学界はレベルが低過ぎる
0849名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 12:23:53.18ID:aHkNJ/6a0
>>844
>卑弥呼に下賜された銅鏡は100枚だが、それをはるかに超える数の三角縁神獣鏡が出土している。


魏の水銀朱が使われた萩原古墳群出土の画文帯神獣鏡

同じく魏の水銀朱が使われた天河別神社古墳群出土の斜縁二神二獣鏡

この画文帯神獣鏡か斜縁二神二獣鏡 このどちらかだろうね 魏から下賜された鏡は。   @阿波
0850名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 12:24:42.67ID:DTzMGVby0
>>847
結局、鏡の分布年代みるとどう考えても邪馬台国時代には畿内に中心が移ってるんだよな
0851名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 12:29:42.38ID:aHkNJ/6a0
>>850

碌な遺跡の無い畿内に、邪馬台国が在る訳がない。 以上御終い。   @阿波
0852名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 12:41:36.16ID:T9zfUHr80
原始ヤマト≠邪馬台国 という認識が足りない人が多いね
0853名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 12:44:41.49ID:OUkmuYvU0
>>722
あの時代曇っていたら方角わからなくなるんじゃね
しかし瀬戸内海や四国の南を陸沿いを回れば方角がわからなくても目的地にたどり着けるから問題はない
0854名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 12:54:12.52ID:ywGAv5m9O
3韓だけで百近くあんだよ、半島南部とかいってるが高句麗にもおったんだぞ、特に戦争するたんびに互いに捕虜(生口)集めしてたんだから
0855名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 12:58:20.08ID:vSFbZYIp0
魏志倭人伝と同じ方角と距離にあるのが宇佐
どちらも間違っているというのが畿内派
0856名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 12:58:23.41ID:aHkNJ/6a0
>>849

三角縁神獣鏡のお手本鏡は、天河別神社古墳群出土の斜縁二神二獣鏡だろうね。   @阿波
0858名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 13:07:03.93ID:vSFbZYIp0
邪馬台国の東側に千里ほど海を渡った先にある倭種が住んでいたのが阿波を含む四国
邪馬台国を滅ぼした東征勢力と合体して畿内を制圧したのが阿波や備前
桃太郎伝説の犬の中の人が阿波
0859名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 13:11:04.33ID:ynq6SUVq0
>>828
真珠あるよ。当時は志摩ではとれてない。
九州で採れてた。奈良盆地では真珠は不可能。
0861名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 13:17:39.30ID:vSFbZYIp0
青玉は当時の中国では緑もしくは青の黒曜石を指している
宇佐の海上に浮かぶ姫島は黒曜石の産地である
0862名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 13:18:57.79ID:aHkNJ/6a0
>>858
>邪馬台国の東側に千里ほど海を渡った先にある倭種が住んでいたのが阿波を含む四国

違う! 邪馬台国=倭国(阿波)であり、東へ紀伊水道を渡ったところが倭種の国。  以上御終い。   @阿波
0863名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 13:19:29.87ID:YU9XcsOu0
>>842
倭奴国連合は30国。
残りは倭種の国。
魏志倭人伝と後漢書よく読んで。
0864名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 13:21:59.87ID:vSFbZYIp0
記紀の国生みで淡路島を筆頭に四国や本州や九州が生まれていく中で、一般的には無名の姫島が入っている。
当時、姫島が非常に重要な島だったことが分かる。
0865名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 13:32:54.99ID:4G3g34Ra0
>>863
んな事は書いてないわな?

倭国百国の代表の倭奴国が倭国の南端にあり、光武帝から印綬を受けた。
倭国百国の南端はつまり九州南端の鹿児島県だ。
0867名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 13:45:53.92ID:YU9XcsOu0
まだ珍獣鏡を魏鏡とか言ってるのか
・中国での出土ゼロ
中国の怪しい骨董市で見つかっただけ
・中国鏡で径20cmを超えるものは稀なのに
珍獣鏡は20cmのものばかり
・詩壇を形成し、文学を重んじた魏の皇帝が贈ったものとは思えないような酷い銘文
・皇帝の名の下に贈ったら皇帝の面子丸潰れの粗悪な鏡ばかり
・珍獣鏡は江南で製造された鏡
華北で製造されたのは内向花紋鏡など
0868名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 13:46:34.72ID:YU9XcsOu0
>>867
20cm超えのものばかり
0869名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 13:47:25.89ID:aHkNJ/6a0
>>867

三角縁神獣鏡のお手本鏡は、天河別神社古墳群出土の斜縁二神二獣鏡だろうね。   @阿波
0870名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 13:47:47.60ID:iklxNdxT0
鏡は銘文が重要だからな
0871名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 13:48:04.26ID:A6vwiORc0
>>859
真珠は倭国内のどこかでとれたと書かれてるだけで邪馬台国とは関係ない
0872名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 13:48:25.35ID:YU9XcsOu0
>>865
書いとるよ。
後漢書よんでみな。
0873名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 13:49:09.83ID:+4cCb2En0
>>864
やっと国生み神話がでてきたな。
国生み神話がいつ、どのような集団で発生したかは不明だが、
国生みの順番・生まれた国から、瀬戸内航路に重大な関心を持った集団であることがかんがえられる。
0874名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 13:49:46.13ID:u/I68Fdy0
残念だが北九州は無関係
0875名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 13:55:42.16ID:/zB8D3zm0
鏡の制作年代と埋蔵年代?とはどっちが重要なんだ
遺跡にとって重要なのは埋蔵年代の方だろ
0876名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 13:56:14.12ID:A6vwiORc0
>>867
神獣鏡には三角縁神獣鏡しかないと勝手な思い込みでトンチンカンなイチャモン
0877名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 13:57:00.09ID:aHkNJ/6a0
>>870

「萩原1号墓から出土した獣帯同向式神獣鏡」 

萩原1号墓出土の銅鏡は鋳上がりがよく、中国の鏡作り専門の工房で作られた鏡であることがわかる。    徳島県埋蔵文化財センター展示説明文書写

萩原1号墓の鏡の銘文は以下の通りです.

吾作明竟 天王日月

幽凍三商 統徳序道

配象萬京 天王日月

敬奉賢良 天王日月

曾年益壽 子孫番昌

天王日月 與天無亟

天王日月 見師命長
0878名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 13:57:43.82ID:+4cCb2En0
>>859
真珠は今は宇和島とか、対馬・志麻で養殖されてるけど数十年前にはもっといろんなとこで
養殖されてたんだ。真珠といってもアコヤ貝だけじゃないし。
当時は海も綺麗だったから、もっとイロンナ所でとれただろうな。
それと、奈良盆地ではとれないが、奈良盆地を含む勢力圏のどこかで真珠が取れた可能性はあるな。
0879名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 14:02:05.60ID:IBKQ/udM0
魏志倭人伝に429年までに裴松之が加えた注釈
現在では魏略は失われている

>魏略曰 其俗不知正歳四節
>但計春耕秋収 為年紀

魏略いわく、その習俗では正月(陰暦)や四節を知らない。
ただ春に耕し、秋に収穫したことを数えて年紀としている

平原遺跡の穴の跡から想定される柱跡と鳥居の配置
https://pds.exblog.jp/pds/1/201011/18/61/c0222861_22575659.jpg
0881名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 14:03:54.21ID:aHkNJ/6a0
>>878
>それと、奈良盆地ではとれないが、奈良盆地を含む勢力圏のどこかで真珠が取れた可能性はあるな。

それ、こどもの言い訳だよ。 わはははは。   @阿波
0883名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 14:06:19.29ID:vSFbZYIp0
魏志倭人伝では青玉が真珠と同列に書かれている
宇佐が有る大分は青い真珠が取れる
奈良では真珠が取れないし志摩でも青い真珠は取れない
0884名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 14:06:34.06ID:aHkNJ/6a0
>>882

奈良大和の東は、笠置山地や布引山地など、山ばかり。

「女王國東渡海千餘里復有國皆倭種」にあきらかに矛盾している。   @阿波
0885名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 14:09:00.45ID:+4cCb2En0
>>881
最初にいっとくが、私は畿内信者じゃないからな。

九州信者は、邪馬台国は九州全域を勢力圏と考えるくせに、畿内政権の勢力圏は奈良盆地周辺でしか考えない不思議。

で‘@阿波というのは君は阿波信者なの?
0886名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 14:09:35.47ID:cLrwFcok0
>>864
国津神の国産み神話(畿内ヤマト)と天津神の神話(九州狗奴国)(奪邪馬壹国)は、別々の神話を合体させたもの
神話を分割しないで推論しても、益々混乱することになる
0887名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 14:13:14.38ID:aHkNJ/6a0
>>882
>九州王族は 引越し先の纏向でも同じことをやった

ジメジメした所が大好きな九州王族は、湿地帯の奈良盆地で、ムツゴロウの代わりにドジョウを好んで捕っていたとさ。 わはははは。   @阿波
0888名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 14:15:13.39ID:+4cCb2En0
>>883
万葉集 抜粋 https://art-tags.net/manyo/terms/shiratama.html

伊勢の海の 海人の島津が あわび玉 採りて後もか 恋の繁けむ

近江の海 沈く白玉 知らずして 恋ひせしよりは 今こそまされ

紀の国の浜に寄るといふ鰒玉拾はむと言ひて.......(長歌)


志麻でも青い真珠は普通にとれるよ
0889名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 14:16:14.16ID:aHkNJ/6a0
>>885

倭国(阿波)は、逆立ち・し・て・い・て・ も、どの説にも負けない。  反論・で・き・る・人・は、はい、どうぞ。   @阿波 
0891名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 14:19:28.09ID:+4cCb2En0
>>889
反論しようとはおもわんが。
少数派だ。がんばってくれ。
0893名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 14:21:31.79ID:+4cCb2En0
>>890

そうか。一般常識にソースを要求されるとは思わなかった。
真珠を知らないのに真珠を例に出すのはやめような。
「真珠」でググれ。それくらいのこと。
0894名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 14:22:55.30ID:aHkNJ/6a0
>>891
>反論しようとはおもわんが。

それが無難だね。  大やけどするよ。   @阿波
0895名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 14:25:12.69ID:4b6ut7s10
平原で同じ場所から観察して山の稜線のどこから太陽が昇るかをみて
九州王族は暦を支配していたと思われる
住民たちは王族から種まきや収穫の時期を教えてもらって
住民は見返りとして納税していて
困ったり病気になったりしたら王族の巫女が祈祷したり
鏡を反射させて患部に当てたり米をあげてたりしたと考えてる
0897名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 14:38:28.49ID:+4cCb2En0
>>894
自信満々そうなので興味がでてググってしまったよ。
5角形の祭壇が面白いな。あと、鏡の光通信とか。
0898名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 14:41:58.14ID:+4cCb2En0
>>896
私は畿内信者じゃないというのに。
それに真珠のことなんか一般常識だぞ。マジでしらないのか?ホントにしらないのか?
与えられる情報だけじゃなく、少しは自分で調べる事もしたほうがいいぞ。
0899名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 14:45:39.59ID:7HKHhlgu0
反論されなければ勝ちと思い込むのは強度のメンヘラによくあること
気をつけよう
0900名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 14:48:42.13ID:aHkNJ/6a0
>>895
>平原で同じ場所から観察して山の稜線のどこから太陽が昇るかをみて

碌な遺跡の無い九州に、卑弥呼が居る訳がない。 以上御終い。   @阿波
0901名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 14:49:06.33ID:4b6ut7s10
卑弥呼の鬼道を2世紀後半の中国で興った道教の一派である
張角の太平道と張魯の五斗米道の
いいところを合わせたものだと勝手に考えてみる

・種まきや収穫時期を教えてあげる
・民衆は王に年1回五斗(20リットル)の米を収める
・兵役、労役でも可
・犯罪は3度目までは許す
・犯罪4度目からは肉体労働させる
・病気の人には巫女が祈祷をしてあげる
・豪華な貢物を持参した場合はVIP待遇で王族の巫女が祈祷する
・その際日光を鏡で反射させて患部にあてるおまじない(倭国オリジナル)
・善行を積めば長生きできると教える
・静かなところで瞑想を奨励

病気になるとどうしようもないと困ってた民衆は
この緩やかな支配にそれほど反発しなかったんじゃないかな
そして王族は力をつけた
0903名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 14:52:25.06ID:5MeUrGzN0
>魏志倭人伝と同じ方角と距離にあるのが宇佐

ID:vSFbZYIp0
この宇佐厨はこんなこと平気で言ってるんだから相手にする必要ない
毎日5ちゃんに同じウソ貼り付けてるマシーンみたいなもん
0904名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 14:53:18.48ID:aHkNJ/6a0
>>901

大麻(麻)の繊維は、日本では古くからしめ縄、祓い具(おはらい)としての神事の大麻(おおぬさ)などに用いられてきた。

また、麻から作った大麻(マリファナ)は薬理作用があり、紀元前から古代人が嗜好品、また医薬品として用いてきた。

大麻(マリファナ)は喫煙、気化、飲食により成分を摂取する。

麻といえば、阿波忌部。 

『名曰卑彌呼事鬼道能惑衆』  『名を「卑弥呼」といい、「鬼道」に仕えて人心を惑わしている』

卑弥呼は大麻(マリファナ)を利用して「鬼道」を操ったのだろう。   @阿波
0905名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 14:53:37.67ID:4b6ut7s10
・占いの善し悪しはその人のこれまでの行いによる

ちょっと神道ぽいこともあったかも
0906名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 14:57:29.78ID:aHkNJ/6a0
大麻(麻)の繊維は、日本では古くからしめ縄、祓い具(おはらい)としての神事の大麻(おおぬさ)などに用いられてきた。

また、麻から作った大麻(マリファナ)は薬理作用があり、紀元前から古代人が嗜好品、また医薬品として用いてきた。

大麻(マリファナ)は喫煙、気化、飲食により成分を摂取する。

大麻といえば、阿波忌部。 



『名曰卑彌呼事鬼道能惑衆』  『名を「卑弥呼」といい、「鬼道」に仕えて人心を惑わしている』

卑弥呼は大麻(マリファナ)を利用して「鬼道」を操ったのだろう。   

神道といえば、阿波忌部。   @阿波
0907名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 15:07:07.00ID:4G3g34Ra0
>>872
ちゃんと読んだか?
魏志倭人伝のコピペ部分で喜んでるぞ?
0908名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 15:11:40.82ID:+4cCb2En0
>>902
真珠も知らないお馬鹿さん。
日本語読めないお馬鹿さん。
自分で何も調べないお馬鹿さん。

特殊な事項でも何でもないんだから自分でググれ。
常識のない自分を恥じろ。
メンドイから寝てろ
0909名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 15:18:59.41ID:ywGAv5m9O
ほら暴れだしたよ、おじちゃん炭鉱を都にしないでしょ、奴婢がうろうろする見苦しい場所は少し減点。
0910名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 15:23:53.28ID:s4hApy1a0
白村江で大敗して大宰府は唐に占領されているんだよな
筑紫城の王が捕まり筑紫城の王唐で捕虜にされている
その後は記紀を作って唐の傀儡の藤原氏が歴史を捏造しまくったのが
一応の日本の歴史となっている
0911名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 15:28:19.33ID:0R1PblnG0
九州説のバカ丸出しの妄想見てると笑いしか出てこないな
0913名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 15:59:03.60ID:aHkNJ/6a0
>>882
>九州王族は 引越し先の纏向でも同じことをやった

ジメジメした所が大好きな九州王族は、湿地帯の奈良盆地で、ムツゴロウの代わりにドジョウを好んで捕っていたとさ。 わはははは。   @阿波   
0915名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 16:12:31.25ID:iCXozd4m0
倭国100国が倭国大乱後、
北部九州30国からなる邪馬台国連合と
その他70国からなる狗奴国連合
とに分裂したんだぞ。
そして、最終的に邪馬台国卑弥呼の死とともに消滅し、狗奴国連合に吸収された。
それが日本国だ。
0916名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 16:16:39.73ID:4s3rXQZ+0
まあ魏志倭人伝に九州以南のことしか書かれてないからしゃーない
本州四国は倭種だし
0917名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 16:19:37.95ID:aHkNJ/6a0
>>916

「丹」の採れない九州に、邪馬台国など在る訳がない。  以上御終い。   @阿波
0918名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 16:40:44.37ID:4s3rXQZ+0
四国の話題など一切出てこないので、そもそも認識されてないよね
倭種ですらないかも>四国
0919名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 16:43:03.67ID:4s3rXQZ+0
本四架橋とかフェリーで本州・九州と四国の両岸が視野に入ると、いかに四国が僻地か痛感させられるよ・・・
0920名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 16:44:44.07ID:UUQB8pag0
>>911
九州説がやってることは、証拠なしで魏志倭人伝の曲解やこじ付け読み
だから百人百様で珍説奇説のオンパレード
0921名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 16:46:31.52ID:vSFbZYIp0
>>917
大分は大量に丹が取れるし熊本長崎でも取れる
真っ赤な宇佐神宮は豊富な丹朱の象徴だった
0923名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 16:51:14.92ID:vSFbZYIp0
空海は丹を探す為に四国を何度もくまなく探したがあまり成果が上がらず高野山に行ってやっと丹を見つけて以後高野山を拠点にした
0924名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 16:53:53.16ID:4s3rXQZ+0
あー・・・可能なら四国に金剛峯寺建てたかっただろうね
0928名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 16:57:57.62ID:iCXozd4m0
>>920
魏志倭人伝に整合した物がザクザク出土している九州は倭国であった事は間違いないので調査対象となり得るが、
それらがほとんど出土しない畿内はまず倭国の対象外だから、調査する必要もない。
趣味でやる分には構わないが。
とりあえず巣に帰れ。
0932名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 17:09:09.33ID:aHkNJ/6a0
>>918

碌な遺跡の無い九州や畿内のトンデモ説に、邪馬台国が在る訳がない。 以上御終い。   @阿波
0933名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 17:11:20.25ID:aHkNJ/6a0
>>921

聞くところによると、大分や熊本、長崎の古墳には、ベンガラを副葬するらしいとさ。 ワハハハハ。  @阿波
0934名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 17:13:20.13ID:aHkNJ/6a0
>>928
>魏志倭人伝に整合した物がザクザク出土している九州は倭国であった事は間違いないので

碌な遺跡の無い九州に、倭国が在る訳がない。 以上御終い。   @阿波
0935名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 17:17:34.65ID:kkB1k5Pv0
魏志に出てくる倭国は、半島で鉄を取るのに夢中だったようです。
ということは、鉄の流通している範囲が、当時の倭国の範囲です。

■魏志韓伝より
國出鐵韓?倭皆従取之,諸市買皆用鐵如中国用銭,又以供給二郡
(国には鉄が出て、韓、?、倭がみな、従ってこれを取っている。
諸の市買では皆、中国が銭を用いるように、鉄を用いる。
また、楽浪、帯方の二郡にも供給している。)
 
■重要ポイント
・3世紀頃は鉄は市で通貨として使えるほど貴重だった。
・九州では鉄を武器や農具に使えるほど潤っていた。
・しかしこの時代の畿内からは鉄が出土していない。
↓鉄の出土状況
https://i.imgur.com/eRF3Zza.png

■わかったこと
・畿内政権は鉄を取りに行っていない
・畿内政権は九州に鉄を分けてもらえなかった
・一大率は畿内への鉄の供給を行わなかった
 
■結論
・3世紀の北部九州と畿内の関係は希薄だった
・一大率は畿内政権とは無関係だった
・畿内は倭国ではなかった(倭種の国?)
 
■裏付け
 纏向遺跡では九州産や半島産の土器は出土していない。
 もと歴博の館長もやった佐原真いわく、
「近畿圏では鉄は溶けやすいので、残っていないのだ」(開き直り)
0936名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 17:20:28.51ID:aHkNJ/6a0
>>935

「倭国(阿波)は鉄器王国」

倭国(阿波)では遺跡発掘が少ないにも関わらず、阿波一国だけで現在、阿波各地7か所の弥生時代鉄鍛冶炉遺構がある。  

「拝原東遺跡」・「光勝院寺内遺跡」・「矢野遺跡」・「名東遺跡」・「庄・蔵元遺跡」・「加茂宮ノ前遺跡」・「芝遺跡」   @阿波
0937名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 17:22:21.45ID:aHkNJ/6a0
>>935

古墳の副葬品ではなく、「集落遺跡」から出土した鉄鏃

・矢野遺跡(弥生時代) 徳島県最大級の弥生時代の集落

・樋口遺跡 弥生時代後期〜近世にかけての複合集落遺跡   @阿波
0939名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 17:27:29.11ID:aHkNJ/6a0
>>928
>魏志倭人伝に整合した物がザクザク出土している九州は倭国であった事は間違いないので

碌な遺跡の無い九州や畿内に、倭国が在る訳がない。 以上御終い。   @阿波
0940名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 17:28:39.48ID:iCXozd4m0
>>937
奈良は墓場専用地として共用されていたので、古墳から出る鉄製品はその被葬者の出身地のものである。
よって奈良で鉄が流通していたとは言えない。
0941名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 17:35:05.66ID:aHkNJ/6a0
>>940

古墳の埋葬品ではなく、「集落跡」から出土した中国鏡

「庄・蔵本集落遺跡」から中国鏡「異体字銘帯鏡片」(前漢代 紀元前206年〜紀元後8年)が出土   @阿波
http://tokudaimaibun.jp/s_rist.html
0942名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 17:39:25.22ID:iCXozd4m0
>>941
>古墳の埋葬品ではなく、「集落跡」から出土した中国鏡

うっかり落としたか、盗人が埋めて隠したもんだな。
0943名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 17:39:57.17ID:aHkNJ/6a0
>>940
>よって奈良で鉄が流通していたとは言えない。

いや、「忌部はん」 たちが漸次、持ち込んでいるよ。  湿気の多い、奈良盆地の湿地帯では残っていないだけ。   @阿波
0944名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 17:42:31.05ID:aHkNJ/6a0
>>942
>うっかり落としたか、盗人が埋めて隠したもんだな。

なんなら、すこし遺跡 お分けしようか?  わはははは。   @阿波
0948名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 18:01:02.90ID:4b6ut7s10
九州から奈良へ引越ししてしばらくは
九州の関係者にしか持ってきた鉄を使わせなかった可能性はあるね
土木管理者が道具も支配してたと考えられる

纏向勝山遺跡の西で年代は不明だが
九州のかまぼこ型のフイゴの羽口が見つかってる
奈良と九州北部が関係がないと結論付けるのは無理がある
0949名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 18:04:47.81ID:kkB1k5Pv0
>>947
鉄の出土地:出土数[弥生中期以前 / 弥生後期 / 古墳時代初め]

北部九州:[300 / 500 / 450]
畿内:[ 2 / 10 / 100]

ざっくりこんなもんだ。
0951名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 18:08:54.08ID:4b6ut7s10
>>948 それ古いやつだな
布留式0がでたホケノ山の130個を
弥生後期にいれるか古墳時代に入れるか
九州と桜井市で揉めそう
ホケノ山の周囲の円墳が箸墓の殉葬に見えなくもない
0952名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 18:11:19.39ID:kkB1k5Pv0
>>948
>九州のかまぼこ型のフイゴの羽口が見つかってる
そういうのがあるから、九州→畿内への東征説や東遷説というのが出てくるんだろうよ。
実際にはもっと複雑で流動的だったはずだ。
そして一般物流や宗教の浸透は必ずしも政権勢力とはリンクしないんだよ。

畿内説は言い換えれば土器統一国家、宗教統一国家説のような奇説だ。
0953名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 18:14:03.51ID:4b6ut7s10
九州北部から奈良へ引越ししたと考えると
近畿で銅鐸が消滅して銅鏡が現れたことについて
説明がつくんだよな
0954名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 18:15:17.75ID:e5sshTY+0
私はバカですとこんなに一生懸命主張しなくてもいいのに
0955名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 18:15:33.56ID:4G3g34Ra0
>>953
南部から引っ越しだよ
0956名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 18:22:11.30ID:DTzMGVby0
>>953
銅鐸を鋳つぶして銅鏡をつくった形跡も認められるらしい
後に文教がふきゅうしたとき、装飾に勾玉砕いて使ったのと同じ
0958名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 18:29:55.51ID:4b6ut7s10
近畿式銅鐸と三遠式が融合した大岩山遺跡の135cmの銅鐸のような
共立と思われるものもあるし
2世紀末の平原遺跡銅鏡40枚
弥生時代の九州の副葬品が豪華な墓はこれが最後
そして近畿で3世紀はじめから銅鐸の消滅と銅鏡の普及がはじまる

九州北部でやっていた銅鏡を使った宗教が近畿にきた
そして九州北部の王族が消えた 消滅か移動かどちらか
0959名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 18:30:16.93ID:aHkNJ/6a0
>>956
>装飾に勾玉砕いて使ったのと同じ

その勾玉も、倭国(阿波)の専売特許だから、 お忘れなく。 ワハハハハ   @阿波
0960名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 18:38:21.73ID:4b6ut7s10
135cmの銅鐸を作っておきながらあっさり銅鏡に鞍替えした近畿の人たち
何らかの大きな力によって近畿で宗教改革が行われたと考えると
九州から王族が引っ越してきたと考えるとしっくりくる
0961名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 18:42:40.23ID:4G3g34Ra0
>>960
それを神武東征と言うんだよ?
みんな知ってる
0962オレンジ・エア
垢版 |
2019/08/08(木) 18:47:11.45ID:xgpSoCKP0
>>959
日ユ同祖論きたな
0963オレンジ・エア
垢版 |
2019/08/08(木) 18:49:14.90ID:xgpSoCKP0
奥山さんが畿内説スレから来てるのか?

Q&Aが長すぎるんだよ、トンデモだらけ
0964オレンジ・エア
垢版 |
2019/08/08(木) 18:51:11.59ID:xgpSoCKP0
邪馬台国の開祖は徐福である!

樹齢2200年のビャクシンは徐福が植樹した
0965オレンジ・エア
垢版 |
2019/08/08(木) 18:52:29.34ID:xgpSoCKP0
銅鐸民族は越からやってきた
0967名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 18:55:18.02ID:4s3rXQZ+0
いろんなとこから来てるさ
0968名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 18:55:24.38ID:MNOBjtOJ0
>>935
「近畿圏では鉄は溶けやすいので、残っていないのだ」
と言ってるが、福岡に溶けた鉄(の堆積層)を見に行ったはずだ。
そして鉄錆で赤く染まった層の厚さに絶句してたよな。
畿内に鉄が普及していたなら、溶けたにしてもそれと分かる証拠が残っているはずなんだが(笑)
0969名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 18:59:10.73ID:e5sshTY+0
バカのレス消して置いたらスレがスカスカで吹いた
どんだけバカが湧いてんだか
0970名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 19:01:12.09ID:gMDMFck90
>>968
>そして鉄錆で赤く染まった層の厚さに絶句してたよな。

それ、ベンガラww
水銀朱が使えなかったからベンガラを使ってただけ
鉄錆じゃなくて、赤土w
0971名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 19:08:36.69ID:4MTQ1JjX0
>>970
ベンガラは塗料だから赤く染まった層とかにはならないよ
堆積層は鉄が錆びて出来たもの
反射的に思い付きで書き込むなよwww
0973名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 19:12:05.05ID:aHkNJ/6a0
>>971
>ベンガラは塗料だから

赤土だよ、九州お得意の!  わはははは   @阿波
0974名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 19:13:33.35ID:e5sshTY+0
このまま透明あぼーんだらけで何も見えないままスレ終わりそうで笑う
どんだけアホな事喚いてるだか
0975名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 19:15:29.52ID:aHkNJ/6a0
見ている証拠だね。  わはははは   @阿波
0976名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 19:20:24.96ID:4s3rXQZ+0
阿波って言われてもピンと来ないけど、
どこが中心なんだ?徳島市?徳島市ってあるよね?
0977名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 19:21:55.23ID:4s3rXQZ+0
なるスカのパーキングから見た鳴門の海の絶景だけは忘れないけど
0978名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 19:22:36.49ID:aHkNJ/6a0
>>976
>阿波って言われてもピンと来ないけど、

考古学の素人だね。  わはははは   @阿波
0979名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 19:25:12.71ID:aHkNJ/6a0
>>977

速吸の門(鳴門海峡)も絶景でしょ?  わはははは   @
0980名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 19:25:54.12ID:aHkNJ/6a0
>>977

速吸の門(鳴門海峡)も絶景でしょ?  わはははは   @阿波
0981名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 19:26:45.60ID:YU9XcsOu0
纏向→無関係

箸墓古墳→無関係

珍獣鏡→無関係

て今さら理解してセンチメタル奥山さんw
0982名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 19:30:38.29ID:YU9XcsOu0
最後の拠り所の土器が否定されたら
どんな奥山さんがみれるか興味ある
0983名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 19:32:52.88ID:TZXB0LJe0
それは間違いないな
邪馬台国はヤマト国だから九州しかありえない
0984名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 19:34:08.66ID:aHkNJ/6a0
>>982

勘違いをしてはいけない。

畿内第V様式土器はあくまで、厚型重量弥生式土器。 そんなものの文化斉一性に意味はない。

文化的斉一性が見られるのは、軽量薄型丸底土器。 いわゆる「東阿波型土器」なのである。   

鮎喰川下流集落群では、弥生終末期には軽量薄型の土器が生み出される。

中・東部瀬戸内から大阪湾岸地域、淀川地域・山城地域に搬出された阿波を代表する土器であり、東阿波型土器と呼んでいる。

企画性が強く、器壁内面にヘラケズリと指頭圧痕を残す製作技法に特徴がある。 土器製作専業集団によるものだろう。

類似技法による土器は讃岐・吉備に拡がり、薄型土器の南北軸を形成している。   @阿波
0985名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 19:37:48.91ID:YU9XcsOu0
>>984
九州で流行ったのは丹波あたりの土器だって
何かでよんだけど。
大和じゃなくて丹波。
大和じゃなくて丹波。
大和じゃなくて丹波。
0986名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 19:40:41.61ID:ZMJk04e90
ふと最近の邪馬台国スレを見て思ったが、ひょっとすると「阿呆」の語源は阿波ではないか
0987名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 19:41:41.72ID:4MTQ1JjX0
>>973
言ってる事が意味不明w
0988名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 19:43:13.55ID:aHkNJ/6a0
>>986

ふと最近の邪馬台国スレを見て思ったが、ひょっとすると「倭」の語源は阿波ではないか   わはははは   @阿波
0989名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 19:45:43.18ID:ZO+u2M5P0
>>980
速吸之門は豊予海峡だろ。

日本書紀の神武の移動ルートは
速吸之門→ 菟狹→ 岡水門→ 安芸国埃宮→吉備国高嶋宮→難波之碕
速吸之門が鳴門海峡だとかありえん。
鳴門海峡を通過してからかなり西に行かなきゃならん。
0990名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 19:47:04.58ID:A6vwiORc0
>>952
>畿内説は言い換えれば土器統一国家、宗教統一国家説のような奇説だ。

とうとう九州説は、日本の古代史を根底から否定するようになったか
いくら九州説をごり押ししたくても、邪馬台国とは直接関係ない範囲の日本史まで
否定してしまったら、それはもう学問ではない
古代史を題材にしたフィクション小説にすぎない
0991名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 19:49:22.36ID:4s3rXQZ+0
阿波ってのは、全国に多く存在する青島・大島と同義だと思う
龍宮の入り口、経由地
0992名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 19:50:35.46ID:aHkNJ/6a0
>>989
>日本書紀の神武の移動ルートは
>速吸之門→ 菟狹→ 岡水門→ 安芸国埃宮→吉備国高嶋宮→難波之碕


誇大妄想。 卑弥呼の時代に大軍を率いて西日本一帯を戦い歩くことなど不可能。 あまりにも兵站を無視しすぎ。   @阿波
0993名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 19:56:53.75ID:ZO+u2M5P0
>>992
夢見がちなメンヘラのお前にだけは言われる筋合いはない。
日本史板みたいに、巣に帰れとしか反応して貰えないよりかは、相手してもらえて嬉しいだろ?
0994名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 19:58:31.43ID:aHkNJ/6a0
>>993

碌な遺跡の無い九州に、卑弥呼が居る訳がない。 以上御終い。   @阿波
0995名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 20:09:49.37ID:ZO+u2M5P0
>>994
話を故意にズラす所がメンヘラ扱いされてる所以

速吸之門は邪馬台国も卑弥呼も関係ない。
日本書紀に出てくる神武東征の一コマであり、鳴門海峡ではなく豊予海峡の事だ。
0996名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 20:11:12.20ID:aHkNJ/6a0
>>995

倭国(阿波)は、逆立ち・し・て・い・て・ も、どの説にも負けない。  反論・で・き・る・人・は、はい、どうぞ。   @阿波 
0997名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 20:12:11.55ID:4s3rXQZ+0
場所が悪いよね>阿波
大陸から見たら、どこやねんて話
0998名無しさん@1周年
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2019/08/08(木) 20:13:13.11ID:aHkNJ/6a0
>>995
>速吸之門は邪馬台国も卑弥呼も関係ない。


神武東征の参謀役となった速吸の門(鳴門海峡)の大人・宇志比古尊が「宇志比古神社(鳴門市大麻町大谷)」で祀られている。

何の縁も所縁も無ければ、こんなところに 「宇志比古尊」を祀るはずがない。  後は推して知るべし。   

こんな事実を示せるのは、なぜか倭国(阿波)だけ。   @阿波
0999名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 20:13:57.06ID:4MTQ1JjX0
@阿波くんが頭がおかしい事だけは事実だな
1000名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/08(木) 20:14:24.49ID:aHkNJ/6a0
>>997

帯方郡
↓【南】海岸水行7000里(500km)1里=71m
狗邪韓国
↓【南】海渡1000里 (70km)1里=70m
津島国(方400里、千戸)(対馬上対馬か)
↓海渡1000里 (50キロ)(50km)1里=50m
一支国(方300里、三千家)(壱岐郷ノ浦か)
↓海渡1000里 (対馬→壱岐と近似)(70km)1里=70m
末盧国(四千戸)(福津市辺り)
↓【東南】陸行500里 (25キロ)1里50m 福津市→八木山峠越え→直方
伊都国(千戸)※大率が置かれる (直方辺り)
↓【東南】100里 (15キロ)1里150m
奴国(二万戸)(田川辺り)
↓【東】100里 (25キロ)1里250m
不弥国(千戸)(築上町辺り)
↓【南】水行20日
投馬国(五万戸)(宿毛)
↓【南】水行10日又は陸行1月(旧土佐街道)
《邪馬台国》女王・卑弥呼(七万戸)
↓【東】海渡1000里(50km)1里=50m
女王国東渡海千余里復有国皆倭種 (阿波から東へ1000里渡海→奈良周辺)

帯方郡→女王国(阿波)万二千里(900km)1里=75m

∴1里=70mは、概ね妥当。   @阿波
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