【地域・出版】どうして新宿二丁目にゲイバー街が生まれたのか? を歴史的に探究した興味深い1冊!
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2019年の春ドラマでは、LGBTを主人公にしたドラマが賑わいをみせていた。7月9日配信の日刊ゲンダイDIGITALによれば、
「専門誌『ザテレビジョン』のウェブサイトがSNSなどを独自調査した人気ドラマランキングを見ると、1位にテレビ東京系『きのう何食べた?』が輝き、NHK『なつぞら』を2位に退けている」そうだ。
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さらに、「昨年大ヒットした『おっさんずラブ』(テレビ朝日系)もゲイの恋愛を描き、話題になった。
そのヒットを受けた今年も主人公がゲイの教師の『俺のスカート、どこ行った?』(日本テレビ系)、『腐女子、うっかりゲイに告る。』
(NHK)などが放送され、ドラマ界でLGBTはすっかりブームの様相だ」と報じていた。
諸外国に負けず劣らず、LGBTを擁護する風潮が高まりつつある日本だが、今や世界を代表するLGBTのサードプレイス(自宅、仕事場に次ぐ第3の居場所)に成長したともいわれるのが、新宿二丁目である。
ところで、現在の二丁目界隈には、いったいどれくらいの数のLGBT系飲食店があるのか?
■400軒ものLGBT系飲食店がひしめく新宿二丁目
『新宿二丁目(新潮新書)』(新潮社)の著者で、ゲイカルチャー雑誌『クィア・ジャパン』の編集長なども務めた評論家・作家にして、ゲイバー「A Day In The Life」を経営する伏見憲明氏は本書に、
「正確な数は誰にもわからない」としながらも、さまざまな根拠からの推測で「400軒くらい」だと記している。
その内訳は、レズビアン向けバーがおよそ15軒、女装系が10数軒。その他にも少数派だが、ストレート客OKのゲイバーである「ミックスバー」、一般客向けの「観光バー」や外国人専用系、
韓国系、中国系など、多様化はしているものの、大多数を占めるのは昔も今も変わらず、男性同性愛者向けのゲイバーという構成だという。
さて、こうした二丁目の現況にも折々に触れる本書だが、主眼としているのは、「どうして二丁目にゲイバー街が生まれたのか?」という疑問に対する歴史的な考察である。
本書はその二丁目研究の導入編であり、江戸時代から1960年代までの男性同性愛者向けゲイバー&ゲイカルチャーの変遷を、さまざまな生き証人たちへの取材と資料精査に基づいて記した内容だ。
そのため、レズビアンやトランスジェンダー、女装などのカルチャーに関する言及はほとんどなく、また70年代から現在に至るまでの二丁目トピックスなどについても、「新たな機会に委ねたい」としている。
■新宿二丁目と芥川龍之介の奇妙な関係とは?
それにしても、ストレートである筆者などが読んでも、本書が教えてくれる事実はじつに興味深い。
前半部では、セックス産業・カルチャーとかかわりが深い新宿の妖土のルーツを江戸時代にまでさかのぼっている。
それが1698年におかれた「内藤新宿」という宿場だ。現在の四谷三丁目付近から、新宿三丁目付近までに広がったこの宿場には、738軒の店が軒を連ね、その中には旅籠屋や茶屋も多数ある。
江戸時代、宿場町の旅籠屋の飯盛女や茶屋の茶屋女といえば、風俗嬢的な役割を担うこともあったそうで、つまり「セックスで儲けようとする新宿」の妖土は、この頃からつくられてきたそうだ。
さらに、著者が引用する資料『新宿 考現学』(深作光貞著1968年)が驚きの事実を教えてくれる。
それは、江戸時代から新宿の守り神である花園神社が経営上の理由から芝居小屋を建てさせており、その舞台に上がっていた当時の歌舞伎役者たちが男娼と化し、
「遊女なみの高料金をとり、茶屋を舞台に、倒錯した情事(つまり男性同士のセックス)が花園神社を中心にして新宿でもくりひろげられた」のだそうだ。
こうした新宿の特殊な磁場を二丁目に絞ると、これがまた興味深い。じつは1918年まで二丁目には大きな農場があったのだそうだ。経営していたのは、なんと芥川龍之介の父だった。
それが立ち退いたことで1922年に誕生したのが「新宿遊郭」で、二丁目界隈の妖土の歴史はここから始まるようだ。
https://news.livedoor.com/article/detail/16896401/
2019年8月7日 19時0分 ダ・ヴィンチニュース
https://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/5/2/520c7_1235_804b2ecd_04b9da0a.jpg ■伝説的なゲイバーとそこに出入りしていた国内外の著名人も登場する
さて、本書はこうした新宿の磁場の歴史を振り返りつつ、ゲイバー・ゲイカルチャーの歴史にもフォーカスをしていく。
「夜曲」「ユーカリ」「イプセン」「ブランスウィック」etc. これらは戦前からあったゲイバーのルーツだが、いずれも場所は二丁目ではない。
本書には、他にも多数の歴史的なゲイバーと、出入りしていた国内外の著名人たち(三島由紀夫、美輪明宏、アラン・ドロン他)のエピソードなども登場する。
こうした点の数々が、線で結ばれつつ、やがて1960年代に入ると、ゲイカルチャーの発信源は二丁目という磁場に引き寄せられていくのである。
そこには「ハッテン場」と呼ばれる、ゲイカルチャー独特の出会いと行為の場との関係性や『平凡パンチ』など、60年代に花開いた男性向け雑誌の影響もあったようだ。
本書はゲイの歴史を学ぶ上でも、新宿という街研究においても、貴重な資料と論考を提供してくれる。つくづく思うのは、性の多様性はじつは古い時代からあったということ。
そして時代はいま、そうした人々の多様な本能を受け入れつつある。本書もさらなるLGBT理解に対して、一役買ってくれる1冊である。 丸善ジュンク堂バイトの俺が暴露する
「新潮社の営業は態度がデカイ!」 よし、子供の夏休み自由研究の題材がここにあった。
これで行こう! 昔新宿通りを四ツ谷方面に歩いてて、新宿2丁目界隈を過ぎたら
角のところに美輪明宏がいた。
ホスト風の若いチャラあんちゃんと抱き合っていました。 新宿なんてハングレだの、中国人だの、ゴミためだからだろ 芥川龍之介の息子が俳優だったなんて知らなかった。
芥川なんとかってナレーターでよく見かけてたが。 在日の男日雇い労働者をタコ部屋地区に隔離したら男同士で変異してホモになった
それがたまたま新宿二丁目だった
いわば山谷がホモ地区になった 歌舞伎のおやま
宝塚の男役
新宿二丁目
中性大好き日本。 ガキの頃近所の小さな本屋に普通に
変な雑誌が2冊いつも置かれていたが
その雑誌を手に取ることはなかった。
あぶなかったと今では思う。
いつも店番をしていた店の若旦那の色白い
肌が醸し出す妙な雰囲気に呑まれるとこだった。 梅沢氏が玉三郎を
存在感で越えられたのは
強面のおっさんが
美女に化けられるところだな。 フレディーマーキュリーも大喜びで日本語覚えたんだぞ ホモは
危険だよ。
狂ったように
多人数と
セックス
やりまくる。
そろそろ
すべて
潰して
もっとまともな
都市計画をするべきだ。 >>10
俺は若い子と手を繋いで歩いてる林家木久蔵(現木久扇)師匠を見掛けたわ
ハンチングかぶってサングラスしてたけど着物着てたからバレバレだった 梅沢氏は鶴太郎と違い
喧嘩に強そうだから
ボクサーごっこっていう
迷宮街道に陥らずに済んだよ。 90年代初頭の二丁目は賑やかだったわねぇ、毎週末がお祭りのようで。
ルミエールでユーミンも写真撮ったりして。 >>27
笑点はホモの巣窟だったのか
先代円楽もあの馬面で… おかまに殴られた警察署長の話か
あれは浅草だったかな >>31
木久扇師匠は息子(二代目木久蔵)いるからバイだと思う 簡単だよ
二丁目も三丁目も、夜のクズ商売しか出来ないまま高齢になり、その界隈でしか住めなくなったのが、うじゃうじゃ。
新宿の夜の仕事の行く末は、ホームレスw
だからあの辺マンションとか住み込みのジジイとか殆ど夜のカスばっかでプライド持ち多いw >>1
新大久保に近いから、元々はこっちが朝鮮人のシノギだったんだろ? たった数十店舗あるだけでしょ
どっかの地方都市で10店舗も出せばすぐゲイバー街になるよ ま、あるとしても見た目男のゲイのマスターが会員制のバーとかでひっそりやってたりするから気づかんかもしれんけどね
そういうのが数軒あっても「ゲイバー街」とは呼ばれないだろうし インディゴなんちゃらたフジの深夜ドラマ濃厚ホモでやばかったな 目黒に牛の屠殺場があったんだよな
新宿なんて当時から都会だと
思ってたが二丁目まで行くとのどかな
もんだったのかな >>18
二丁目は新宿から遠いんよ
今は地下鉄で便利だけどさ んんー正せばアカ、とか云うんだろうけど、なかなか実感することも少ないんだろうか >>1
黄色い髪のおっさんになる前、すんごい美男子だった時代
あの子も立ちんぼしてたしねってゲイバーのママに聞いたな >>38
でも彼の作る歌メロはシェンカーにぴったり合ってて好きよ。 「新宿遊郭」は後の「赤線」地帯・・・・・「売春防止法」施行(1958年(昭和33年)3月)まで
「公認」で売春が行われていた地域だったのよな。 芸事は昔から政府の認可制
大正時代で変化したけどそのあと昭和でまた認可制に戻って従わない奴はアカってことで特攻警察(今の公安)が弾圧江戸の文化なんてそんなもん つまり政府の工作員にならないと芸事は出来ないってことです 例えば表現の不自由展は政府の認可が降りなかったから中止でしょ? 読むのめんどくせえから要約してここに書いてよ
内容的にポイントだけ抜き出せば400じぐらいの話だろ 90年代までは質屋とか弓道場とかあったな。ラシントンパレスの一階にあった牛丼屋とか当時まだ都内にはあまりなかった餃子の王将でメシ食ってから飲みにいったなー とにかくかつての赤線地帯とか連れ込みとか立ちんぼとか昭和の妖気が濃厚に残ってたな >>34
ゲイは女性とセックスできないと思ってるかもしれんが、普通にできるよ。
三島由紀夫も世間体のために有名な画家の娘と結婚して、子供を2人作ったからな。
ゲイ仲間には「トライ、トライ、トライだよ」と笑いながら話してたらしい。 小説家や芸術家って言われてる
世界の人間は特殊だもんな >>65
酷い話だよ
こどもの立場からしたら出生に疑問を持ってしまうな
子供もゲイならそんなことないのかもしれないけど >>68
三島由紀夫の子供(姉と弟)
(1)外国人の日本文学研究者が三島の同性愛を詳述した評論を発表
↓
版元の新潮社に「三島の版権を全て引き上げる」と圧力をかけて出版停止に追い込む
(2)作家の福島次郎が三島との同性愛関係を暴露した私小説を発表
↓
「小説の中で三島から送られた手紙を引用してるのは著作権侵害だ」と裁判所に訴えて出版停止に追い込む >>15
芥川比呂志
弟が作曲家の芥川也寸志
ナレーターの芥川隆行は芥川龍之介とは関係ない この辺、再開発で今はオフィスビルだらけだよね
歌舞伎町もゲイタウンもみんな綺麗になってしまったw
ある意味つまらんよ そう考えると平幹二朗さんてすごいね
奥さんも子供さんも >>65
>ゲイは女性とセックスできないと思ってるかもしれんが、普通にできるよ
そういうのは人によるから。
女とできるバイ気味もいればまったく無理な人もいる。
言い切るのはよくない。 マツコデラックスは新宿2丁目は出入り禁止
これ豆なw 今は偉そうにしてるけど
歌舞伎役者って元々男娼なんだね >>83
普通の男と、男としかできないガチホモの間はその傾向が連続的に変化してるんだぞ
途中のがほとんどだから出来るやつの方が多いわw >>82
日本では大多数のゲイは結婚もしてるし、子供も奥さんと作っている。
自分もいわゆる既婚ゲイだが、子供は欲しかったし、奥さんも可愛いし愛してはいる。
ただ、女よりも男が可愛く見えるし、そこそこイケメンな息子が可愛くてたまらんわ! >>87
お前とほぼ同じのがおれの知り合いにいる
なんか態度が変だなって印象を持つくらいだったが
あるときアメリカ人の友人が遊びに来てそいつとも会った
あとでそのアメリカ人があいつはゲイだぞって
一発で見破ってたなw 同窓会のドラマの頃のzipはいい男がいっぱいで楽しかったなぁ >>86
フレディーマーキューリーも結婚してたしな 夜中に道訊かれた事あったなぁ。
ホモに喧嘩売りにいくからって。 >>78
同性愛に関心のない人、だと思う
「ストレート」と「ノンケ」って、同じ意味なんだろうか 【文化】ゲイの世界遺産...ハッテン場発祥の地「竹の家旅館」探訪記
https://daily.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1406965816/
当時は同種の施設がなかったこともあり、経営は大当たり。大阪や東京のみならず
日本全国からゲイが集まり、個室も大部屋も常に満員御礼の状態だったという。
噂は外国まで飛び、「グリーンハウス」として、その道の人々の日本必訪スポットとなった。
有名人の常連では、三島由紀夫はもちろんのこと、ラジオでも活躍した大物俳優、
一世を風靡したファッションデザイナー、レジェンド級のプロ野球選手なども足しげく通っていたそうだ。
死んでるからって一人だけフルネームで書かれる三島 >>87
ていうか、子供さんがマトモに育った上に
父親のこと理解してるみたいだから凄いねと
書いたんだよ
三島由紀夫のところは、子供が父親の性癖を
認めてないぽいじゃん 明治までは男色は一般庶民レベルで浸透してたのに、西洋化で倫理観も大きく変わったな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています