【終戦】太平洋戦争の悲劇「インパール作戦」の生還者が語り継ぐ「75年の夢」
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前列中央が牟田口廉也中将。インパール作戦を指揮したが、戦後は敗戦の将として非難を浴びた
https://amd.c.yimg.jp/amd/20190814-00000004-courrier-002-1-view.jpg
太平洋戦争中、日本軍に甚大な被害をもたらしたインパール作戦から今年で75年。祖父が従軍者だったことから長年、生還者・遺族と交流してきた筆者は、彼らの色褪せぬ戦争の記憶と平和への願いにいまこそ目を向けるべきだと訴えかける。
■インパール作戦につながる「金属板」
庭で畑仕事をしていたら、出てきたのだという。
ミャンマー中部の町ザガインで、知人から板状の金属製品を見せられた。ミャンマーが「最後のフロンティア」ブームで騒がれる直前、2011年のことである。このとき私は大学院に在籍中で 、18世紀のミャンマー語碑文の調査のため現地に滞在していた。
小さい楕円形の板には、漢字の文字が縦書きで三行刻まれていた。「八九〇五」、「西六六」、「番九三一」とある。これが日本軍の「認識票」であることはすぐにわかった。
アジア・太平洋戦争当時、「ビルマ」と呼ばれていたこの国での戦闘や日本軍のことは若干の知識があったからだ。認識票は戦死した兵士を特定するものであるはずだ。ならば、この番号をたどれば持主にたどりつけるのではないか。そう考え、帰国後に改めて調べることにした。
ところが、それは考え違いだった。相談のために持ち込んだ資料館で即座に否定されてしまった。日本軍の場合は認識票が兵士個人と直接結び付けられていないのだという。
戦闘の前に認識票を与えておき、後で生還者から回収する。すると未帰還者の数だけは正確に把握できる。このような運用方法だったので、この三行の数字から持主個人の特定はできない。持主につながる手がかりに思えた認識票の実態は、兵士個々人の人生に無関心な発想が作り出した金属板に過ぎなかったのである。
それでも所属部隊の推定はできた。「八九〇五」という数字は部隊の通称号で、「菊第八九〇五」部隊を指すのだろう。ならば第18師団所属の歩兵第114連隊のことである。
昭和17年、日本軍は英国の植民地だったビルマに侵攻した。中国とビルマを結ぶ交通路を遮断するためである。第18師団は侵攻作戦に投入された師団のひとつで、古都マンダレーの攻略を担当している。昭和19年以降は北部ビルマでの戦闘で兵員の大半を失った。ただ、資料からはザガインと部隊との関わりが確認できず、認識票が埋まっていた経緯はわからない。
一方でひとつ、興味深い事実がある。侵攻作戦時の第18師団長は、後にインパール作戦を指揮する牟田口廉也(むたぐち・れんや)中将であった。
■死傷・重傷者4万人、大半が餓死や病死
インパール作戦は、インド・ビルマ国境に聳(そび)えるアラカン山脈を陸路突破し、連合軍の拠点となっていた英領インド・マニプルの中心都市インパールの攻略を目指す作戦だった。
昭和19年3月に第31師団、第15師団、第33師団という3個師団の約6万人以上が進軍を開始した。しかし、攻勢は連合軍の堅陣に阻止され、雨季の豪雨により補給も途絶。武器弾薬はおろか食糧や医薬品も欠乏した。しかし、軍司令部による作戦中止の判断は遅れた。
不信感を抱いた前線の師団長が独断で退却を開始するに至り、正式な撤退命令が下ったのは7月のことだった。約4ヵ月の間に参加兵力の約7割に相当する約4万人が死亡または重傷を負ったが、死者の大半は雨季の豪雨が続く山中で生じた餓死や病死だった。
この作戦は、日本軍指導部の無責任な組織運営と人命軽視の典型例として知られている。当初から作戦計画の不備が指摘されていたが、連合軍の戦力に対する侮(あなど)り、戦場となる土地の社会と自然環境についての認識不足、華々しい戦果予測への妄信などが重なり合い、最悪の結末を迎えてしまった。重要な意思決定の場で、正確な情報や明確な責任分担、関係者間の合意形成が常に欠けていた。
兵士たちは人知れず雨の山中に斃(たお)れ、身に着けていた金属製の装備品だけを残して、そのまま土に帰っていった。(続きはソース)
8/14(水) 20:30配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190814-00000004-courrier-int 世界最強の軍隊
アメリカの指揮官
ドイツの左官
日本の下士官
ロシアのコサック
日本は下士官だけは最強なんだが指揮官の質がなあ これに限らず、すべて日本兵の死因の7割は餓死か病死だもんな 牟田口の無責任精神は安倍が受け継いで国民生活をボロボロにしているだろ ソースより
>認識票の持主の特定はできないが、かつて同様の認識票を身に着けて戦った元兵士はいまも生きているし、その戦後の足跡をたどることもできる。
以後ただの左翼感想文
戦死者の遺品を単なる話のマクラに使っただけの記事 敗戦後
山下将軍は速攻で処刑されたが
牟田口は無罪だった
連合軍にとって有能な指揮官は憎悪の対象だが無能な指揮官は英雄だった >>1
牟田口が言ったという訓示
「日本人は草食動物である。この緑の森で飢えるはずがない」
「弾が無ければ手で殴れ。手が無くなれば足で蹴れ。足が無くなれば歯で噛みついていけ。」 実際イギリス側も結構死んでるからな
多だ守る側ってのは同じ程度の被害でもまだ余裕あるわけで 韓国を侵略し、人種差別や戦争犯罪を繰り返したから、その天罰かもね。 こんなにミジメなみっともない戦争したの日本だけだぞ
学校で歴史で教えろよ 85才の婆さんが東京大空襲で下町が焼け野はらになった時母親が目の前で焼夷弾で丸焦げにされたって インパールが凄いとか酷いとか原爆が凄いとか酷いとかじゃなくて戦争は全て酷いって 8/15終戦日嬉しくて万歳したって 憎いのは軍人上層部 天皇は相手にしないって ガダルカナルもほぼ同じ状態だったな
補給がないとそうなる インパールが取れたとして戦局が変わったのかな? その後ビルマ戦線は崩壊したしな〜 学生の頃は「インパール作戦なんて無謀な作戦がなぜ実行されたんだ? 当時の日本軍は
そこまで頭が悪かったのか?」と思ってたが、社会人になると、なぜインパール作戦が実行されたが
何となくわかるようになってしまった。 >>16
最終的にはアジア解放の礎になったんだから
むしろ作戦は成功だな! 生き残った人って
死んだ人の肉を食って生き抜いたんだっけ 牟田口かぎらず南方戦線では同じような話はたくさんあるのにどうして牟田口にスポットがあたるのやら。
山本七平の「下級将校の見た日本軍」でルソン島で戦いのことと組織論欠点を書いてるが
日本の組織全体に共通する現象だろ。 牟田口廉也…佐賀県人。徹底した精神論で不可能な攻略を厳命。戦後「兵が俺の言う通りに戦っておったら勝った」と弁明。
長勇…福岡県人。無謀な総員突撃・総反攻命令で沖縄戦の予備兵力を喪失。寝言でも「突撃!突撃!」と叫んだ。
九州男児はこういうのが基本なんだよなあ
「がむしゃらにやれ」とか「根性で勝て」とか >>27
なんとなく分かるって現代の日本にも当てはまるって事だからな、情けないよ >>31
それはまだマシな意見で牟田口は「日本人は草食だからそのへんの草を食べればよい」と
言ったんだぜ。 雨の中で倒れ、生きたままキノコだらけになったとか。
映画のマタンゴそのまま 上が決めたことだから従わざるを得ない
石塚ら上級国民に忖度して
逮捕できない日本と全く変わらない >>1
太平洋戦争って言葉は無いよ?
大東亜戦争な >>25
ガダルカナルは補給船を何度も送っているが
制空権がアメリカにあるので、ことごとく輸送船が撃沈される
何よりも、アメリカ軍を正確に分析せずアメリカ軍を舐めて日本軍の根拠無き机上の空論を取り続けるのが理解が出来ないわ pacific warを翻訳して太平洋戦争
日本はアメリカの世界大戦の片手間に始末されたにすぎない >>31
中国軍との戦闘ではそれができたんだけどな
敵が食料を置いて逃げて行ったからw >>28
この作戦があろうが無かろうが全体的にアジアアフリカは解放されてたよ。 基本、当初の対戦相手だった中国軍とイギリス軍の実力や戦訓から
日本軍は戦術をたてていた
彼らは後方を遮断されたら逃げた
だから日本軍はともかく包囲=勝ちと言う方程式にのめり込んでいった >>35
その結果、ウジを食べて飢えをしのいだ
インパール作戦から帰還した曽祖父から祖母が聞いた話 >>40
インパールに関しちゃ米英軍も少ないダコタをやりくりしてて、なんとかギリギリで補給を回していたりする。
元から平坦を伸ばして満足な戦争が出来るような土地じゃなかった。 >>31
誤解されてるが
食料は持って言ってる
3週間分な
3週間でインパールを落とせると甘い見積もりをしてる
3週間分の食料+輸送と食料を兼ねて牛など1万頭?を用意してる
が、ジャングルなので崖から落ちたり足手まといになり1万頭の牛は途中で居なくなる
持って言ってるんだよ!食料はな
甘い見積もりしてたから補給を考えてなかった インパールだけじゃないだろ
後半はすべて失敗だ
市民10万も巻き込んだ沖縄戦
男は殺される、女は犯されるとかいうデマゴギア
10万死んだ東京大空襲
もうね、軍部がマヌケすぎて話にならない >>40
ガダルカナル島を奪還するには
1万人単位の兵士と
戦車や大砲や機関銃などの武器と弾薬
そして必要な食糧や医薬品や日用品の輸送が必要だった
それには大輸送船団と護衛の艦隊と航空部隊も必要
それができなかった時点で敗北は決まっていた >>7
陸軍コスしたいのだけれど下士官刀のレプリカだけが売ってないんですよ ゆーても日本軍だけの失敗のように言われているが戦後にフランスやアメリカもベトナムで同様の失策を犯して粉砕されている >>33
戦争なんて合理的に考えないと勝てないのに、それを精神論でやったら終わりだな >>51
米英軍は米軍の豊富な輸送機で空中投下で
物資を調達出来た 人は記憶型と思考型に大別できる
インパール作戦なんか楽勝だぜ
海軍の全面協力があればね
では海軍は何をしてた
アメリカと戦ってました
陸軍は大陸で・・・
海軍は太平洋で・・・
各々が勝手に戦争をやってるんだ
勝てるわけがなかろう 米英軍は反撃開始移行、
各個に孤立して逃げるような状況に置かれぬよう、
完全に作戦を遂行する戦力と兵坦能力を保持して行動するようになった
日本軍はそれに気づかなかったため
包囲したら相手は逃げる方程式に固執した 今ちょうどアルキメデスの大戦に牟田口が出てるんだよな
やっぱり漫画でも無能だな >>60
発想が逆なんだわ。
合理的に考えたら勝てないが、それでも勝たなきゃならないから、勝てる理由に変数として精神論を持ってきちゃうんだ。
勝たなくてもいい方法を考えるべきだった。 インパール −>−>−> アベノミクス出口なき金融政策
これが自滅日本人のDNAかよ? wwww 日本は勝利条件どこに設定してたんや
さすがに終わらせ方考えずに戦争はじめたわけやないやろそこまで阿呆なわけないよな 牟田口くん「五千も死ねばインパールは獲れるだろww」 >>65
合理的に考えて勝てないものは、絶対に勝てないだろ?wwww >>55
ソロモン海戦で、日本海軍が米軍の戦艦や駆逐艦を駆逐したのに海岸線にいた輸送船に対して攻撃せず戻ってしまったので
ガダルカナル島に戦車や重機や豊富な銃弾や食料が上陸してしまった
この時に日本海軍が輸送船を叩いていれば、形勢逆転出来た戦いだった >>62 の続き
現在も各省庁が利権を貪りあってる
戦前と同じ
な〜んの反省も改善も為されていない そもそもインパールに戦略的な価値は無かった
イギリスがドイツに苦戦して本土爆撃を受けるなど著しく弱体化していたので、イギリスを攻撃すれば容易に勝てると侮ってしまった
またイギリスが大敗すれば終戦の糸口が掴めるという読みもあった
そんなに甘くなかった 日本軍は突撃(正面突破)にロマンを抱いていた
これは、相手の防衛戦に一ヶ所穴さえ開ければ
あとはじわじわ侵食して背後を遮断できるという発想に基づくが
正面から突っ込むため犠牲が多い
米英軍は圧倒的火力に支えられ、
逃げないため最終的にはただの大量自殺と化していた 牟田口に対抗
戦争時代のクズ将校たち
富永恭次陸軍中将:
フィリピンで陸軍の航空特攻を指揮。マッカーサー軍が迫ってくると、
司令部の許可なしに側近と芸者とウィスキー瓶のみを載せて台湾に逃亡。天寿を全うする。
菅原道大陸軍中将:
陸軍特攻の中心だった第六航空軍の司令官。10代の少年を特攻隊を次々を送り出し、
エンジン不調などで戻ってくると「卑怯者!俺も後で行く!」と殴り倒した。
敗戦で部下が自決をすすめたが「死ぬのだけが責任を取る事ではない」と逃げ回り、96歳で天寿を全うした。
倉澤清忠陸軍少佐:
菅原道大の部下で第六航空軍の参謀。特攻隊を次々と送り出し、機体不良で戻ってきた搭乗員を監禁して毎日毎日
「死ねないようないくじなしは特攻隊の面汚しだ。国賊だ!」と罵り殴りまくった。悔しさのあまり自殺したものもいる。
戦後は元特攻隊員の復讐を恐れてピストルを持ち歩き、寝る時は枕元に日本刀を置いて寝た。天寿を全うする。 >>65
精神論や根性論を振りかざす時点で
負けは確定してる 無駄口も無能だけど日本陸軍最大の無能は辻政信だろ
あんなのが作戦の神様な時点で旧軍の幹部育成の程が分かるわ 俺の爺さんは
インパールに行ったが
佐藤幸徳師団長の英断による
退却で生き残れた
ってよく言ってたな。生前。
牟田口廉也や川辺の言うこと聞いてたら
部隊は全滅だっただろう とも。。
佐藤公徳の墓参りもよく行ってたらしい。
東條英機、川辺中将、牟田口廉也は
戦後あったら
殴り殺したいぐらいだ
ってよく言ってた。 >>1
陸海の覇権・派閥・見栄・手柄争いみたいになってたからな…
そもそも戦争出来る体制じゃない(´・ω・`)
政治の堕落が招いた悲惨な事実
ドイツと同盟結んで詰めろ 補給を甘く見た大戦の反省から、自衛隊の補給は良い。
日本のどこでどんな災害があっても、支障なく自衛隊の救援部隊を出せる。 玉井浅一海軍大佐:
フィリピンで特攻隊員を次々と送り出す。
機体不良で戻ってきた特攻隊員たちが本土へ戻る事になると
「待て!お前は特攻隊で死んでもらう事になっている」と輸送機から引きずりおろし、
自分が乗り込んで本土へ帰っていった。 戦後は僧侶になり、天寿を全うした。
黒島亀人海軍大佐:
残酷な人間魚雷「回天」を立案。「必ず脱出装置を付
けます」と嘘をついて認可を得た。
戦後は会社社長として何不自由ない暮らしを送る。
宇垣纒の戦争体験手記を遺族から借り出し、自身に都合の悪い部分を破棄した。
天寿を全うする。
太田正一海軍大尉:
米軍コードネーム"BAKA"こと人間爆弾「桜花」の発案者。
「自分が乗るから開発させてくれ」と上層部に懇願して開発させたが、自身は「適性なし」として搭乗しなかった。
敗戦直後に逃亡し、名前と戸籍を変えて暮らす。天寿を全うした。 >>33
すごいな
北島康介と違った意味で「なんも言えねぇ」 >>7
給料下げすぎなんだよ
公務員の給料下げろで下から下げれば最低賃金下回るから下げれないから上を下げた結果職責に対して給料全然上がらないからなろうと思う人いない 牟田口の親戚とかっているの?
嫌がらせとかすごそうだが 旧軍の蛮行はサンフランシスコ平和条約で全部許したんだからいいの アベノミクスはインパール作戦とガダルカナル作戦をなぞってるな >>74
そこが分からんのよなあ
ガダルカナル島も最初米軍の偵察程度としか思わないんだよ
日本の大本営は米軍の本格的な反攻は昭和18年以降と勝手に思いこんでる
ガダルカナル島へは昭和17年
自分達の都合の良い解釈しかしないんだよ
大本営が
何でなんだろうか? >>77
正直そいつらに比べたら牟田口なんてかわいいもんだと思えるな
とくに特攻隊関係のクズという言葉すら生ぬるいほどのゴミどもは子々孫々まで虐げられて当然ほどの罪を犯してるのに
本人は天寿を全うし子孫は今ものうのうと暮らしている ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています