【歴史秘話】第2次大戦中、日系人のふりをして進んで収容所に入ったアメリカ人がいた
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ニューヨークタイムズ 世界の話題
第2次大戦中、日系人のふりをして進んで収容所に入ったアメリカ人がいた
2019.08.16
第2次世界大戦中に日系米国人の友人たちが収容所に連行されるのを見て、ラルフ・ラソはとっぴな行動に出た。同行したのだった。
1942年の春、ロサンゼルスの高校に通っていたメキシコ系米国人のラソ(当時17歳)は列車に乗った。行き先は、カリフォルニア州東部のオーエンズバレーにある「マンザナール転住センター(日系米国人強制収容所)」だった。
前年12月、日本が真珠湾を攻撃していた。42年2月19日、米大統領令が出て、米本土10カ所に日系人の強制収容所が開設された。いずれも、不毛の地に建てられ、46年にかけて米西部の日系人計11万5千人が閉じ込められた。その3分の2は、米国市民だった。
その一つ、マンザナール日系人強制収容所に、ラソはいなくてもよい存在だった。知られている限り、日系人を装った唯一の事例で、自分で望んで留め置かれることになった。
それから2年半、ラソは自由を奪われた身となった。コールタールを塗った紙で覆ったバラックでの寝泊まり。仕切りもない仮設トイレやシャワー室。食事のたびに食堂には長い列ができた。敷地は鉄条網に囲まれ、監視塔の見張りが目を光らせた。
いったいなぜ、そうまでしてラソはそこにいたのか――友人たちと一緒にいたかったからだ。
「高校の日系人の友人たちは、家から立ち退くように命じられていた。だから、一緒に行くことにしたんだ」。ラソは44年、ロサンゼルス・タイムズ紙にこう語っている。
マンザナール収容所を出てすぐの発言だった。社会性に目覚めるようになり、日系人が味わっていた屈辱への怒りが膨らんでいた。
それは、その後の人生を決めた原体験でもあった。社会的弱者により多くの教育を受けさせ、収容された日系人への補償を求める活動に取り組むようになった。
しかし、当時のほとんどの米国人は、政治家やメディアがあおった反日感情に流されていた。真珠湾が攻撃されると、ロサンゼルス市警は市中心部にある日本人街リトル・トーキョーの事業所を閉鎖させた。日系人の生徒が、学校で米国への「忠誠の誓い」を唱えることも禁じられた――米国人ジャーナリストのリチャード・リーブスは、2015年に出した自著「アメリカの汚名〜第2次世界大戦下の日系人強制収容所(原題:Infamy: The Shocking Story of the Japanese American Internment in World War U)」でこう述べている。
1941年12月のクリスマスのころには、FBI(連邦捜査局)の担当官が法的手続きもなしに日系人の家に踏み込み、身柄を拘束するようになっていた。カリフォルニア州の知事や司法長官らは、たとえ米国生まれで米市民権があっても、日系人を拘束することを認めた。
米国務省の委託で(訳注=真珠湾攻撃の1カ月ほど前に)まとめられた「マンソン報告書」が、日系人に安全保障上の脅威はないと結論付けていたにもかかわらず、当時のルーズベルト大統領は42年2月、日系人強制収容の大統領令に署名したのだった。 反日ヒステリーが吹き荒れる中で、日系人を擁護する言動はほとんどなかったとエリック・ミュラーは語る。この問題に詳しいノースカロライナ大学(UNC)チャペルヒル校のロースクール教授だ。
(リンク先に続きあり)
44年、収容所内で日系人の友人たちと写真に納まるラソ(中列右端)=Japanese American National Museum via The New York Times/©2019 The New York Times。全米日系人博物館提供
https://public.potaufeu.asahi.com/7ebb-p/picture/17547265/17f638f0d29049e58322cb836e55239c.jpg
1944年当時のラルフ・ラソ。写真は、ロサンゼルス中心部のリトル・トーキョーにある全米日系人博物館提供=Japanese American National Museum,gift of Rose Hanawa Tanaka via The New York Times/©2019 The New York Times
https://public.potaufeu.asahi.com/8e1d-p/picture/17547264/fb8a7ba26c5ce6cb49979fefdb25e75c.jpg つかアメリカ人も適当だよな
普通なら勝手についてきたら
追い返すだろw
あと邪推甚だしいが徴兵逃れじゃないだろうな。。。 >>1
同じ敵国なのに
ドイツ系人やイタリア系人は
収容所に送られない
人種差別的に
日系人だけ強制収容所に送った。 今ごろ日系の収容所を批判的に書いてるのは中国系。
今度は自分たちが収容所に入れられないように予防線だよ。 ドイツ系やイタリア系は強制収容されたなかったから人種差別だとよく言われるが
それはあまりにも人口が多すぎたため
実際ハワイでは日系の人口が多かったから強制収容はされなかった >>14
日系人収容はインディアン虐殺と並ぶアメリカ人の原罪だからね。
いまでもあまり触れたがらない、
逆に移民のほうがちゃんと向き合えるんだろうな >>2
戦争中だけじゃないぞw 戦後の朝鮮に戻った連中までいたぞ >>21
戦場に行かないのとどんな関係があるんだ? 日本人の振りをして悪い事をする朝鮮人とは大違いだな ルーズベルトとトルーマンの墓にクソぶっかけてやる。 日系人は、真珠湾攻撃でようやく米国に忠誠心を持つようになっただけなのに 四十年代のころから隣の奴の頭にピースするのあったのか 真珠湾攻撃がなかったら日系人はいつまでもスリーパーセル、危険分子
天皇に忠実なサイレントテロリストだったのに 日本人がザイニチのふりしてナマポ受給するようなもんか 戦争によって米国人になれたんだから
日系人は、今や反日原理主義者 >>4
日本人装ってヘイトスピーチしてんじゃねぇ。 日系人は日本人ではないうえに反日だから
日本に来られても迷惑だな
在日が朝鮮半島に帰らない理由と同じ、日本人でもない日系人とか >>13
日系人は志願しない限りは、収容所内で生活となった
逆に、一般的なアメリカ市民は、普通に徴兵されていったから
徴兵されたくない場合、わざと収容されるってのも一つの方法 ふと思ったんだけど
アメリカを叩くニュースってあまり見ないよな
何で? >>40
日本人は徴兵されるのに朝鮮人や台湾人が徴兵されないから差別されたのと似てる これってちゃんとした賠償されてないよね?
最近になってあのときはゴメンね(テヘペロ )程度の談話が出たくらいでしょ?
徹底的にやったらいいのに、でもそれだと韓国人と変わらんか、しかし受けなくてもいい差別と過酷な生活を強いられたんだからやっぱり徹底的にやれ ルーズベルトがゴミだから仕方ない
無駄な戦争を誘い込んで米国人もたくさん死んだ 日本の新聞も白人を鬼畜米英といって
憎むように戦争を激しく煽っていた
中国ソ連米の赤がスパイに入っていて
今の中国と南北朝鮮みたいに
新聞やラジオで反日ヒステリーで煽っていたんだろうよ
それが戦後は、日本の侵略で日本が悪いと
全てに捏造して
日本人にとっては
もう存在価値もないマスゴミでしかない アメリカよりひどいのが韓国人
韓国は非常に悪質で卑劣で醜悪 いくらアメリカを批判の的にしたところで、
日本社会の敵は津田大介ら在日韓国人という事実は変わらない >>21
民族学校では日系人収容をそういった風に教えてんの? ジャーナリストの潜入が2事例くらいあったと思ったが >>41
ロシアとかイランのニュース見に行けばいくらでも見られるぞ 何かに洗脳されたわけでもなく
お金で動いたわけでもなく
自分の頭脳で考え
自分の意志で決めた
彼はすごい 当時の日本は当時の欧米からみたらそりゃあ異常のなかの異常だったろうとは思う
とくに表面的にニコニコして礼儀正しい日系人だったろうから腹黒い奴らとみなさ
れても仕方なかったんだよ まぁ実際西海岸上陸計画が日本側にあったし、その際には日系人たちが日本軍に協力する段取りがあった
根こそぎ強制収容はやり過ぎだが、ハワイや米本土の日系人がスパイとして日本軍に協力していたのは事実 日系人は現地で従順な羊を装いながら沖縄日系人を差別することは忘れなかった 日露戦争で日本が勝ったニウス聞いて
アフリカ系アメリカ人が狂喜しているのを見て
白人支配層が日本に危機感持ったって説もある >>40
単なる徴兵逃れならもっと楽な道はいくらでもあったろw 収容所で撮ったのに集合写真ずいぶんとにこやかだね悲壮感が無い >>5
> 1982年、アメリカ議会に任命された調査委員会は、日系アメリカ人強制収容が、
>適当な国防上の理由で行なわれたものではなく、その真の理由は人種差別であり、
>戦時ヒステリーであり、政治指導者の失政であった、と結論をくだしています。
http://www.janm.org/jpn/nrc_jp/accfact_jp.html つーか、徴兵拒否した人は戦後日本に帰されたんじゃね?
たしか収容所に放り込まれたことでアメリカに不信感を持った日系市民の
いくらかは、忠誠を拒否して戦後の日本に送還されたはずだよ。 >>60
人間の強さ、美しさ、崇高だよね。
日本人もこういう祖先の美徳をもっと見習えばいいのに >>12
収容人数はずっとすくなかったけど、ドイツ系米国人強制収容所、
イタリア系米国人強制収容所はあったらしい
米国上層部にはドイツ系がけっこういたから、強制収容がやりにくかったのは確かだろう 日系人達は真珠湾攻撃で嫌われたというのはデマであり、実際には前々から差別されていた。
昔のアメリカ人のヒエラルキーは白人でもアングロサクソンがトップで、続いてユダヤやアイル・スコットランド系、準白人としてのラテンアメリカが並び。
日本人などの有色人種は最下層で動物と同じだった。
むしろ日本人は大戦以降に白人達にようやく人間として認識、戦前と戦前でここまで世界の認識を変えた民族はいない。 当時収容された連中や子孫が言うならわかるが外野が騒いでどーすんのよ しかし、
昔も今も、
集合写真でおちゃらけてる奴って、
必ず居るんだな!( ´∀`)
ダチが気付かない頭の上でピースとか。
当時みんな希望捨てず誇り捨てず前向きだったんだね。
で、今では米国の自動車メーカーが他国で製造し、
敵国であった日本のメーカーが米国本土の工場で製造し米国民の雇用を助けてる。
アメリカよ。
本当の真の敵を見極めろ。
見間違うな。 >>65
うちの古い親戚(日系米国人、マンザナール収容経験)から「あったらしい」と昔聴いただけなので場所は知らないが、
今wikipediaで調べたら(「敵国人」)ドイツ系強制収容所については一応地図も出ている
読みにくい地図で、見てもどこなのかわからないけど 当時米国に駐在していた日本人外交官も指定ホテルに強制的に収容された
まあ一般人とちがって外交官だから待遇はわるくなかったけど、軟禁状態
米国人配偶者も日本人と同じ扱いでホテルに軟禁
一般人と違い財産没収はされなかったらしいけど >>68
民族的な連帯は、体験を共有することも可能なんじゃね?
二十年前だったか、アメリカの黒人暴動で韓国系市民が標的に暴行された
時には、韓国政府は調査のために人を派遣してる。
イスラエルは、建国前のナチ犯罪者を処罰したではないか?
管轄権でいうなら、微妙なはずだぞ。 考えたら戦時中最も安全な場所なんじゃないか?>収容所 >>1
みてみろ
人の頭の上に指たてるとか
いまの日本の卒業写真と何ら変わらない
DNAてのはすごいなwww >>70
収容したのは、ドイツ国籍を持ってる人だったんじゃないかな?
ドイツ系ってことで収容なんて不可能なはずだ。 >>41
アメリカが世界を支配してて
日本はアメリカの実質属国だから
いまだに属国だから ヒトラーの甥っ子は、アメリカに移住していて第二次大戦は米海軍兵士だったはず。 韓国との戦争になったら収容所など作らず
船に乗って出港して頂こう 歴史上、日本と日本人にとって最大の敵はフランクリン・ローズベルトだ >>67
差別はあったけど、日系の場合は、一世の学歴が低かったことが相当関係している、なにしろ米国は学歴社会だから
まあ日本で食い詰めて向こうにわたった人が多かったから、英語も話せず低学歴なのもしかたない
それを身にしみて知ったので、一世は商売などで努力して、せめて子どもたちには高い学歴をつけて米国社会で出世できるようにした
だから二世には軍人、医師、弁護士などの専門職についた人が結構いる
以前は、日系人は連邦政府の専門職にはつくことができても、ジェネラリストの管理職にはつけないといわれたが、
今はそれも変わっているんじゃないかな >>75
wikipediaの地図にはGerman American Civiliansとあるから、そのまま素直に読めばドイツ系米国人になるね >>75
ソースがwikiってw
あれ、誰でも編集できるから嘘ばかりだぞ >>64
ドイツ系アメリカ人やイタリア系アメリカ人の強制収容所はないよ。
だからアメリカ政府も人種差別と認めたわけで >>18
あれ…朝鮮戦争っておわったっけ?
まだ終戦してないよね? >>81
バカ杉w
1世に学歴があっても関係ねーだろ そりゃ当時の日本人見てりゃ金政権に忠誠を誓うような連中と一緒だしな >>87
第二次大戦前は、アメリカにおいてドイツ系住民を中心としたナチスシンパの政治団体が
設立され一定の規模を有していたが、彼らは米独開戦後に収容されたのかな? あのアメリカですら非を認めているんだから正当化する必要もない
ホワイトハウスとマスコミが一体となって仕立て上げた人種差別事件 >>67
どうでもいいが、日本人含めてアジア人は有色人種、カラードじゃない
座席や水飲み場も白人と同じ >>9
今ではアメリカ人もこの件は恥としているんだよ。
無学だから知らないんだろうけど 日本民族、日本人の歴的体験への共感全くゼロな人々がなんで日本に住んでるのか。辛くね? ドイツ系イタリア系の場合は拘束されたが短期間だったもよう
日系の場合ほど大規模な収容所はなかったとも(日系人のような財産没収があったかどうかは不明)
そして欧州系敵国人と違うのは、終戦後も1952年まで市民権をとれなかったこと
これらについてレーガン大統領が人権侵害として正式謝罪 >>67
>日系人達は真珠湾攻撃で嫌われたというのはデマであり、実際には前々から差別されていた。
確かにね。結局それが日米戦に繋がった。
ハルノートは飲めず戦うしかない、となった。
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日本人が移民として渡ってきたのはそれからしばらく後、アメリカの民主主義が大きく成長し、
平等思想というものに触れた頃のことであった。ただし、反対も多かった。
例えば、日本人の子女が同じ学校に入るのに反対した。偉そうなことを言っても、いざ実践となると
「総論賛成。各論反対」というわけだ。
コヨーテと思ってきた中国人とは争いは起こらなかったが
学校に入ろうとする日本人とは対立が始まった。
家来扱いされても平気な中国人に対して、日本人はプライドが許さないからである。
暗黒大陸中国の真実 ラルフ・タウンゼント 第九章 日本と中国人
−−−−−−−−−−− 日本国籍を持つ在米日本人だけ強制収容ならばまだわかるが、米国籍の二世三世日系米国人まで強制収容したのだから話にならない
スパイ行為をやることをおそれたんだろうけど、自国民を強制収容とはまったく恥そのもの >>95の続き
>ハルノートは飲めず戦うしかない
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東郷茂徳は東京裁判の口述書でその時の我方の反応を
「ハル・ノートに対する出席者全員の感じは一様だった思う。
米国は従来の交渉経緯と一致点を全て無視し、最後通牒を突きつけてきたのだ。
我々は、米側は明らかに平和解決の望みも意思も持っていないと感じた。
蓋しハル・ノートは平和の代価として日本が米国の立場に全面降伏することを
要求するものであることは我々に明らかであり、米側にも明らかであったに違いないからだ。
日本は今や長年の犠牲の結果を全て放棄するばかりか、極東の大国たる国際的地位を棄てることを
求められたのである。
これは国家的自殺に等しく、この挑戦に対抗し、自らを護る唯一の残された道は戦争であった」と述べている。
これは軍部の見解ではなく、文官たる外務大臣の意見であることに注意すべきである。
無論、東條首相の宣誓供述書も殆どこれと同趣旨である。
即ち連絡会議の結論は
(1)ハルノートは明らかに最後通牒であり
(2)米国は我国が受諾できない事を知りつつ、しかも関係国との緊密な了解の上に通知してきて居り
(3)米側はすでに対日戦争を決意しているが如くである。
「大東亜戦争への道」展転社 中村粲 >>95
フランスがドイツに敗北した結果の親ナチスのヴィシー政権誕生に乗じて、
日本が仏印に進駐したからハルノートがつきつけられた
ドイツが負けることはないと日本上層部は考えたのだろうが、判断ミス
南部仏印進駐で完全に英米を敵に回し、ほぼ日本の敗戦決定 >>98の続き
>日本は今や長年の犠牲の結果を全て放棄するばかりか、極東の大国たる国際的地位を棄てることを
>求められたのである。 これは国家的自殺に等しく、
現在ならば国力を失っても国家的自殺にはならないだろう。
どうして当時はそうなるのか?
戦前は植民地主義で人種差別があからさまに行われていた。
そんな中で国力を失ったらどうなっていたか。
日本が人種差別撤廃を国際連盟規約に盛り込もうとして拒否された事実は
人種平等の現在からすれば考えられない事であろう。
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■1.われわれ黒人は日本に最大の敬意を払う■
全米1200万の黒人が息を飲んで、会議の成り行きを見守っている。
1919年、パリ講和会議。第一次大戦の惨禍を再び繰り返すことのないよう、
国際連盟創設のための議論が進められていた。米国の黒人たちが注目していたのは、
国際連盟規約に「人種平等の原則」を入れるという提案を掲げて参加した日本であった。
『われわれ(米国の)黒人は講和会議の席上で「人種問題」について激しい議論を戦わせている日本に、
最大の敬意を払うものである。』
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h12/jog132.html >>99
東京裁判でのその矛盾が指摘されたな。
北部仏印と南部仏印は数日で行ける距離だ。
何故北部の時に騒がなかったので、と。
それに南部仏印撤退ももちろん話し合われていた。 >>99
えーと日米交渉って知ってるよな?
日本が南部仏印進駐でハルノートが突き付けられたとか思ってる? >>92
戦争があったんだから強制収容とかあって当然
むしろよくここまで相互理解が進んだと思う かくして、日本は、自らの「生存権」(生きる権利)を賭けて、「対米開戦」と言う「カード」を選んだのです。
つまり、アメリカは、日本に好むと好まざるとに関わらず、「対米開戦」と言う選択を取らせたと言う事です。
それを物語っているのが、『ハル・ノート』が日本側に突き付けられた翌日、11月27日の朝、ハル国務長官が、
スチムソン・陸軍長官に言った言葉、
「私は日米交渉から足を洗った。今やこの問題は貴方とノックス(海軍長官)すなわち陸海軍の手中に落ちた」
(ベアード『ローズヴェルト大統領と戦争の到来』)
だったのです。つまり、ハル国務長官は、日本が『ハルノート』を到底受け入れない事、
そして、否応なく「対米開戦」に踏み切るであろう事をはからずも「吐露」しているのです。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/hull_note.html >>1
このメキシコ系米国人少年は、いったいどうやって日系人強制収容所に入ったのだろうか
当然、身分証明を要求されただろう
強制収容の日系二世三世の中には父か母が白人で見た目は白人の日米混血もいたから、メキシコ系が入れたのはありえる
身分証明書の偽造か何かしたのだろうか
だとしたら日系人かどうかの米国側の人別も相当杜撰なものだったのでは ハル・ノートの過酷な要求が戦争を誘発したとの批判は米英の識者の間に当初からあった。
英国では、戦時中の1944年6月、保守党内閣の重鎮であったオリヴァー・リトルトン生産相が
ロンドン米人商工会議所で
『米国が戦争に追い込まれたと云うのは歴史を歪曲するも甚だしい。
米国が余り酷く日本を挑発したので日本は真珠湾攻撃の止むなきに至ったのだ』と述べて
英米間の問題になり、国務長官弁明まで飛び出す始末であった。
「大東亜戦争への道」展転社 中村粲
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東京裁判最終弁論でブレークニー弁護人は主張した。
「日本が真に重大なる譲歩を行ったのは東條内閣が交渉の再検討をした最初の成果、即ち甲案に於いてであった
証拠の分析は、日本がただにあらゆる点に於いて譲歩したに止まらず、譲歩に譲歩を重ね、
遂に譲歩の極に到達したことを証するものである」極東軍事裁判速記録393号
「大東亜戦争への道」展転社 中村粲 一方日本人の連行された日本人街に住み続けた中国人たちは胸に自作のアイムノットジャパニーズのワッペンを縫い付けていた 日本が対ドイツ包囲に役立てる地理的位置だったら、アメリカの対応ももう少し
変わったんだろうけどなぁ。ソ連はついている。 >>43
アメリカ人が民主的に一部のアメリカ人を迫害しただけだから、謝るべき主体がいない >>43
日系強制収容所 賠償
これでググれば出てくるじゃないか。
何で書く前に簡単なチェックしないんだ? 当時の日本円で200万円だったかな。賠償。小型車くらいしか買えないw 国連決議を無視して満州国の不法占領を続けてるんだから
日本が一方的に悪いのは間違いない
日系米国人の強制収容とは別の話 三十年後、西岸地域占領したイスラエルには、アメリカは何の咎めもしない。差別だーw >>113
>国連決議を無視して満州国の不法占領を続けてるんだから
不法じゃないな。
九か国条約では「独立を奨励(強く勧める)するような事は禁じていただけ。
宣統帝溥儀も満州族も独立したがっていたし。
満州国の建国の正当性を知らないの? >>117
ならなんで決議を不服として脱退したんだよ −−−−−−−−−−−
問題は極度に複雑だから、いっさいの事実とその歴史的背景について
十分な知識を持ったものだけがこの問題に関して決定的な意見を表明する資格があるというべきだ。
この紛争は、一国が国際連盟規約の提供する調停の機会をあらかじめ十分に利用し尽くさずに、
他の一国に宣戦を布告したといった性質の事件ではない。
また一国の国境が隣接国の武装軍隊によって侵略されたと言ったような簡単な事件でもない。
なぜなら満洲においては、世界の他の地域に類例を見ないような多くの特殊事情があるからだ。
(リットン報告書)
全文リットン報告書 ビジネス社 渡部昇一 解説編集
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リットン調査団は日本の権益が侵害されたことは確認し、
事変前の状態には戻さずに列強の共同管理で日本の権益を守るという事になった。
結局リットンは十分な知識を持っていなかったので満州国建国の正当性が分からなかった。
ジョージ・ブロンソン・レーに聞けば簡単に分かったんだが・・・残念 マイク=ホンタクも収容所出身だと言ってたんだっけ
何処を探してもそんな記録は見つからなかったらしいが >>119
共同管理は建前で満州利権を分け合おうというものだったし、
結局中国人はいつもながらの戦法 「夷をを以て夷を制す」で日本は満洲から追い出されていただろう。
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「日本は凡ゆる正当なる法律並びに戦争法規に基づき、
支那が日露戦争に参加した事に対し支那から現金を以って賠償を受くるか或いはその代りに
1895年に正式譲渡し後に至って還付を余儀なくせしめられた満州の土地を
受くる権利があると確信するものである。」
「然るに日本が其の正当なる法律上の要求権を放棄して満州国の絶対独立及び主権を承認し、
其の独立を擁護する事を声明したことは著者の目から見ると侵略行為とか領土征服どころではなく、
近世史上における最も特筆すべき自制的及び利他的行為であるのである。」
「満州国の独立及び主権を現に尊重する事が日本の根本的政策であると日本は世界に表明して居るのであるから、
其約束の言葉を疑い、日本の真意を疑い其動機を彼是言う事は、
恰(あたか)も米国がフィリピン独立の約束を疑うのと同一であって理由のないことである。
ブロンソン・レー「満州国出現の合理性(田村幸策訳、1936年)」
http://www7b.biglobe.ne.jp/~senden97/syokuminchisyugi3.html >>122
>満州国の絶対独立及び主権を承認し、
反日左翼と4年議論したけど、最後はこれで終わった。
すなわち 「満州国は日本の傀儡(かいらい)」 を撃破した事だ。
ではその時の模様を再現 差別差別
ただの差別
ドイツ系やイタリア系は好き勝手暮らしてたんだから
それが真実 まあ「特定民族」を強制収容所に送っちゃったってのは、近代国家としては汚点でしかないワケで、こういう「美談」が出てくるのも頷ける 歴史に無知な書き込みといい感じでQ&Aになってて
良スレだな >>123の続き
反日左翼たちは満州国は「日本の傀儡(かいらい)」と言う。
傀儡とは「操り人形」という意味。
満州国の主権は皇帝の溥儀にあった。
つまり溥儀を「操り人形」にしていたと反日左翼は言うわけだ。
しかし溥儀が日本に来日した時に昭和天皇が東京駅で出迎えている。
当時天皇は現人神であって、東京駅に出迎えるなんてのはウルトラスペシャル待遇なわけだ。
当時の日本人がこの意味を理解したわけで、絶対に「操り人形」などとは思わなかっただろう。
また溥儀から「三種の神器を見せて」と言われ見せたという話もある。
そして溥儀は満州国に帰国してに関東軍や日本人官僚に訓示をした。
−−−−−−−−−−−
「もし大満洲帝国皇帝に不忠であれば、それは天皇に不忠であり、天皇に不忠であれば満洲皇帝に不忠となる」
「wikipedia 愛新覚羅溥儀」 より
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客観的に見れば操り人形であるはずがない。
そして最後に溥儀の意見(主観)が出た。
この資料を貼った時、複数いた反日左翼たちとのレスがピタッと止まった。
私はPCが壊れたと思い、何度も再起動を繰り返したのを覚えている。
4年にわたる満州国議論に終止符が打たれた。
それでは最後にその資料 >>43
日系人の強制収容 - Wikipedia
1988年にロナルド・レーガン大統領は、
「市民の自由法(英語版)」(日系アメリカ人補償法)に署名することとなり、
「日系アメリカ人の市民としての基本的自由と憲法で保障された権利を
侵害したことに対して、連邦議会は国を代表して謝罪する」 として、
強制収容された日系アメリカ人に謝罪し、
現存者に限って1人当たり2万ドルの損害賠償を行った。
また、日系アメリカ人や日本人に対する強制収容についての教育を
アメリカ国内の学校で行うために、
総額12億5千万ドルの教育基金が設立された[30]。
なおレーガン大統領は、
第442連隊戦闘団
(強制収容所の被収容者を含む日系アメリカ人のみによって
構成された部隊 ヨーロッパ戦線で大戦時のアメリカ陸軍部隊として
最高の殊勲を上げダッハウの強制収容所付属の
フルラッハ衛星収容所解放も行った[31])に対しては、
「諸君はファシズムと人種差別という二つの敵と闘い、
その両方に堂々と勝利した」と特に言及し讃えている。
1992年には再びジョージ・H・W・ブッシュ大統領が国を代表して
謝罪すると同時に、全ての現存者に2万ドルの賠償金が行き渡るように
4億ドルの追加割り当て法に署名し成立させた。
1999年に賠償金の最後の支払いが行なわれ、
11年間に総額16億ドルが82,210人の収容された日系アメリカ人、
もしくはその子孫に支払われ賠償を終えた[32]。 >>122
国連での日本軍の満州からの撤退勧告決議に反対したのは日本のみ
棄権したタイを除く全ての国が賛成してる
国際社会との協調を拒否した日本が、他国からの制裁を不当だと
主張するのは身勝手すぎる >>128の続き、の前に訂正
>この資料を貼った時、複数いた反日左翼たちとのレスがピタッと止まった。
この資料を貼った時、複数いた反日左翼たちのレスがピタッと止まった。
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ttp://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200612160326.html
■ 「ラストエンペラー」溥儀の自伝、完全版が刊行へ 2006年12月17日
溥儀は遼寧省撫順にある戦犯管理所に収容中の57年から自らの罪を語る形で「わが罪悪の半生」の執筆を開始。
「わが半生」はこれをもとに、中国当局や専門家が内容を削除・修正し、64年に出版された。
すでに187万部近くに上り、日本語訳も出ている。今回出版されるのは、
当時削除された16万字近い内容を加えるなどしたものだ。
東京裁判では、溥儀が日本の傀儡(かいらい)政権「満洲国」の執政に就任したことについて、
日本人戦犯の弁護側が「自発的だったのではないか」と主張し、
その証拠として溥儀が南次郎陸相(当時)にあてた「宣統帝親書」を示した。
裁判に証人として出廷した溥儀はこれを「偽造だ」と否定した。
完全版では、うそをついたために日本の行為の徹底的な解明を妨げたと認めて「私の心は今、
彼(キーナン検事)に対するおわびの気持ちでいっぱいだ」と明確に謝罪している。
64年版では「証言を思い出すと非常に遺憾」となっていた。
また45年のソ連軍進攻の際、日本軍への支援を満洲国閣僚らに命じたことについて
「すべてを関東軍と吉岡のせいであるかのようにしたが、事実はすべて私が自発的に行ったことだった。
法令でも命令でも私が自発的にやらなければ、考えられないものだ」と告白している。
中国政府による戦後の尋問でも、当初は、「(中国)政府をだました」という。
64年版でも満洲国「皇室御用掛」だった吉岡への責任転嫁について触れていたが、
完全版は命令に対する自らの関与を直接認め、強く反省する形になっている。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− >>131
傀儡(かいらい)とは「操り人形」という意味
満州国皇帝として溥儀が来日した時の様子はとても日本の操り人形というものではなかった。
そして上記資料(溥儀の証言)でそれは裏付けられた。
反日左翼は関東軍がいろいろと決めていたというが、
それは経済、軍事の細々(こまごま)とした事。
それは溥儀が皇帝として「よきに計らえ」としていたものだ。
しかし重要な事は
>法令でも命令でも私が自発的にやらなければ、考えられないものだ」と告白している。
満州国の主権は皇帝の溥儀だけにあった。
溥儀は傀儡(操り人形)ではなかった。
すなわち満州国は傀儡ではなかった。 >>130
その後はきちんと説明してバチカンや多くの国が満州国を認めた。
>国際社会との協調を拒否した日本が、
だからリットン調査団とかが無知だったんだよ。
無知を根拠にした決議を受け入れないのも自由。
十分な知識がリットンとかに無かったわけで
もっと長い時間をかけて議論すべきだったね いや、国際社会がブチ切れたってか日本に対する宥和的な考え方を捨てたのは盧溝橋事件と日中戦争開戦
満洲うんぬんあたりは、だいぶ日本側に譲歩してたし、民国の要求もド無視w ドラマ化はされてるね
Stand Up for Justice: The Ralph Lazo Story (2004)
http://www.youtube.com/watch?v=CfCjfa75h-U
結局軍に召集されて、フィリピンの戦いに参加
Staff Sergeantまで昇進、銅星章授与 >>40
ソース嫁、下司。
> ラソは太平洋戦線に従軍し、46年に除隊した。 >>130
当時と今は違う。
賛成するのなんか当たり前、白人が世界を支配してたんだから。
タイがノーコメントなのは仕方なしで精一杯の譲渡だよ、英仏からの半独立状態なのだから。
当時において孤立をするなということは「白人に逆らうな」と言うこと アッー!
彼氏と離ればなれになりたくなかったんだな。 人種差別主義者で優生保護支持者でもあった、ルーズベルトが「偉大な」方の大統領に入っちゃってるのが、アメリカの間違いだなw
勝利のための国家総動員計画のスタッフやアイゼンハワー、スティルウェル、マッカーサーの副官だったウェデマイヤーは、日本を締め上げて早期にヨーロッパの戦争に参戦した事を批判してるし。
結果勝者のはずのアメリカも大きな中国とヨーロッパの東半分を失って、社会主義国を育てただけだった。
第二次大戦に勝者無しと結論づけた。
共和党や被害甚大だった軍は、そんな見方の人が多いね。
ナチスは非難されたけど、アメリカやソ連も胸を張れるような戦い方をしてきた訳じゃ無いぞ。 >>2
戦前憧れの国ソ連を見に行って日共の幹部が、ソ連でスパイと見なされてぬっ殺された阿呆がいる ドイツでユダヤ人は収容所送りになった
アメリカで日系人も収容所送りになった
朝鮮人は収容所送りになったか?
否、成ってない! >>83
何で被害者実名を晒せとマスコミ側なんだよ、上級になったつもりか?
ゲスなひきこもり虚言癖ババア
135 名無しさん@1周年 2019/08/21(水) 19:48:57.58 ID:Q4QLiEGN0
あほだな、君はどうやってこの被害者をセカンドレイプすんだよ?
自分で人間のクズだと思わない?
146 名無しさん@1周年 2019/08/21(水) 19:50:43.20 ID:Q4QLiEGN0
人間として意識するでしょ?
死者○○人と、○○さんが亡くなりました、では違うんだよ。
誘拐捜査なんかでも使われるセオリー
186 名無しさん@1周年 2019/08/21(水) 19:56:22.74 ID:Q4QLiEGN0
あるよ。○○名死亡と、○○さんが殺されましたでは違うんだわ。
それが今学校で教えてること
199 名無しさん@1周年 2019/08/21(水) 19:58:38.19 ID:Q4QLiEGN0
犯人や他人が○○人だとモノとして扱う。
しかし、名前を出せば人として見る。わかる? ちなみに自称愛国者にして自称国家の軍師ネトウヨは
このアメリカ当局も反省する論外な日系人強制収容を
リアリズムの名のもとに絶賛マンセーしている
とんでもない民族主義者さまだからねwww
戦略的に妥当なタクティカルだか何だか知らんがw
じゃあ同じ枢軸国のナチスドイツ系移民を排斥したか?
ドゥーチェのイタリアが敵国だからってリトルイタリーを閉鎖したか?
そんなことはしてないだろ? それがすべてさwww
まあネトウヨ軍オタのリアリスト様はね
原爆投下でも市街地無差別空襲でもアメリカ様のなさることはスベカラクマンセーだからw
どうしようもないよねw 誇りを失ったプライドレスな病身倭猿はwww ところで戦争と日系人ネタだけど
スペイン内戦のいてコミンテルンの指導の下、
多国籍の左派義勇兵から組織される国際旅団に
日本人の存在は確認されている範囲ではないんだけど
日系人は一人いるんだってね。ジャック・シライくんがそれだ。
詩が作られるほど勇敢であったそうだが、残念ながら名誉の戦死をとげていますな。
で、その英雄的な死に、日本の自称愛国者が評価するかといえば、これはないだろうなあ。
なんせネトウヨ軍オタはスベカラク全員反共のファシストだし
で、あればフランコ将軍派を全員支持しているだろうからなあwww 収用されている間に死んだ人も居るだろうな。
収用されていた日系人の死体はどう処分したのかな?
偽装して潜り込んでガス室送りにならなくてよかったね。 >>63
父親は元米軍人で日本の国会議員だとアホな嘘をついてる君は
醜い虚言癖ババアだな
721 名無しさん@1周年 2019/06/14(金) 16:47:23.45 ID:s4eb26PB0
戦争はやったらみんな負けだよ。アメリカ人も負け。
うちの父親はアメリカの戦艦に乗って横須賀沖まで来てたそうだが、やっぱりアメリカ人も負けなんだよ。
620 名無しさん@1周年 2019/07/01(月) 17:19:41.95 ID:goNQe+4y0
親が国会議員やってると、学校に提出する親の職業欄「無職」って
書くのよ。なかなかいやだよw (・∀・;)アメリカのために欧州で戦った日系人もいたんだよね >>135
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渡部昇一に靖国問題で論破された中国大使
慮溝橋で最初に発砲し、攻撃を仕掛けたのは中国側であるということ。
それが上海に飛び火して戦火が拡大していくのだが、
この上海の飛び火は中国側の正規軍が日本人居留地を攻撃したものであること。
これらを私は事実をあげて述べた。東京裁判もこれを認め、
日本のシナ事変の開戦責任を問うことはしなかった。それを問えば、
戦勝国である中国側の責任があらわになってしまうからだ、とも述べ た。
王毅大使はじっと聞いていたが、それだけだった。
これについて、なんの発言もなかったのである。
.melma.com/backnumber_256_3152291/
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王毅大使は現在の中国の外相だね 日本は北京議定書(中国側呼称・辛丑条約)という国際条約に従って
中国に駐兵していた。
その日本軍を攻撃するという事は例えれば
現在、日米安保条約で駐兵している米軍に自衛隊が攻撃するようなものだ。
全くとんでもない事を中国はしでかしたんだよ
しかしこんな事は普通起こりえない。
日米安保で駐兵している米軍に攻撃するくらいなら
日米安保を破棄して米軍に出ていってもらえば済む事だからだ。
では何故中国はそうしなかったのか?
そうしなかったと言うよりできなかった。
まず中国に於ける日本の権益は国際的に完全に認められていたという事
その日本の権益を治安の悪い中国政府が守る事が出来なかったから、
中国国内に日本軍がいたというわけ。(他国の軍隊もいた)
もし日本軍に出ていってもらいたかったら、
治安を回復して日本人が安全にいられるようにするか、
9カ国条約締結国を招集して、条約改正の手続きを取るしかなかった。
それがができなかったので日米安保の米軍を日本(自衛隊)が攻撃するような暴挙に出た。 >>154の続き
盧溝橋事件についてはどちらが発砲したなどというのは問題ではない。
(中国共産党工作云々も含めて)
その後にどちらが戦争をやる気満々だったかという事だ。
そちらが仕掛けたという事でいい。
日本側から何度も停戦協定を結んでも、ことごとくそれを破って戦線を拡大したのは中国側だ。
蒋介石「抗日全軍将兵に告ぐ」を読めば分かるし、
状況的に見ても↓
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支那軍はすでに前年末頃から第一次上海事変停戦協定(昭和7年)に違反して、
非武装地帯の要塞化と軍隊配備を行なってきていたが、昭和12年、盧溝橋事件以後、
上海周辺への軍隊集中はいよいよ顕著となり、八月に入ると、蒋介石は中央軍を
上海方面に増派し、その兵力は十個師団にものぼった。
「大東亜戦争への道」中村粲 展転社
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国共合作の道は出来ていた。
つまり中国共産党軍が発砲したとしても、戦争やる気満々だが、ビビっていた蒋介石の背中を押したという事だけ。 >>155
日本側から停戦協定を結んでも何度も破られ、その度に日本は忍耐強い行動をしていたが
上海において民間の日本人が攻撃されるに及び、ついに堪忍袋の緒が切れ戦争が始まった。
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海外メディアの報道
1937年8月30日のニューヨーク・タイムズでは一連の事件について「日本軍は敵の挑発の下で最大限に抑制した態度を示し、
数日の間だけでも全ての日本軍上陸部隊を兵営の中から一歩も出させなかった。
ただしそれによって日本人の生命と財産を幾分危険にさらしたのではあるが…」と上海特派員によって報じた。
またニューヨーク・ヘラルドトリビューン紙は9月16日に
「中国軍が上海地域で戦闘を無理強いしてきたのは疑う余地は無い」と報じている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E4%BA%8B%E5%A4%89 街中にいても、みんな怖がるだろうし確実に差別されるだろうから、収容所に入れてもらった方が安全でいいかも。 >>52
世界大戦の異常な状況で、よく自分を貫いたとは思うね。 42年春だと日本が快進撃を続けていて、アメリカは本土決戦に備え西海岸を捨て
ロッキー山脈に防御ラインを引いて守る防衛計画を立てていた。
日本人を収容したのも本土決戦を見据えたものだろう。 日本人だって、差別されてもしょうがない人たちがだいぶ多いと、いえなくもない
中国人だって、差別されてもしょうがない人たちがだいぶ多いと、いえなくもない
韓国人だって、差別されてもしょうがない人たちがだいぶ多いと、いえなくもない
アメリカ人だって、差別されてもしょうがない人たちがだいぶ多いと、いえなくもない
差別する人だって、差別されてもしょうがない人たちがだいぶ多いと、いえなくもない WW2で資産を倍増したものが 犯人
今も、一族は江戸城にいる >>83
ソース出されると
こーいうこと言い出す奴って卑怯だわ アメリカはその点で加害者だったかもしれないけど、当時日本と戦争をしていたんだし、
日系人に対して不信感を持つのは当然だろう
そうだろう?? >>163
ドイツ人は収容されていない。故に戦争が原因ではない。まあ、国民のストレスに対するガス抜きとして利用されたってところだな。 >>163
国籍はアメリカ人。
日本に置き換えたら、韓国との戦争で帰化してる韓国系日本人を財産没収して収容所に放り込んだ。 メキシコ系の17歳ならあり得るな。
終戦まで一緒に居たとかよっぽど事情がありそうだが >>1
自称日系人は結構いる。この人のようなアジア系じゃないのは稀だけど。
マイクホンダ議員もそうだろう。
>>41
叩く必要もないのに捏造してまで叩こうとするのは隣の奴らだけで十分だよ ボクらが在日になりたいっていっても
なれないのに。 >>165
でも日本だって朝鮮と戦争になったらたぶん在日の身柄を取り押さえるんじゃないかな
スパイになられたら困るもん >>92
NHKのクローズアップ現代で「尊厳の芸術展」を見て、藝大美術館に観に行ったよ
強制収容所暮らしの中で、日系人たちが製作した椅子やブローチ
7年前か
尊厳の芸術展
抑圧の生活に見る、創作の原点
https://www.museum.or.jp/sp/report/228 >>1
こんな昔から写真のときに頭にピースやって角つける文化があったんだな ナチスの思想にかぶれたドイツ人は放置で、善良な日本人は収容所行きという大きな間違いはアメリカの恥。
アドルフというドイツ名を持つ、戦後の占領軍のチャールズ・ウィロビーは、得意のドイツ語を駆使して、日本の元軍人たちを利用して反共活動 日系人はアメリカ人だろ
アメリカの問題で日本は関係ない >>182
日本の食糧援助に日系人は限られた財産を叩いて寄付した。
国籍は違えど同じルーツを持つ民族だぜ?(つーか、この時代なら親戚レベル)
感情によって左右される人間なら、共感や同情を覚えるはずだ。 >>180
ルーズベルト大統領呪詛の祈祷は実際に行われて、その効果が有ったかどうかは定かではないが、
ルーズベルト大統領は急死した。
大統領が急死しても、即、副大統領のトルーマンが大統領に就任し、対日、対独戦は滞りなく遂行された。 戦後沖縄人粗全部約30万人をアメリカが強制収容したが日本政府は同意し収容中に
放火ブルドーザで村々破壊で基地強化に乗じて本土は基地縮小、海兵隊も本土から沖縄に
移転。アメリカの日系収容所批判で沖縄人約30万人強制収容は日本経済防衛の為の
沖縄棄民これが日本の正義どす黒い歴史は見て見ぬふり >>184
いや、ルーズベルトの死がなければ今頃日本人は動物園や研究機関で少数飼育されるだけの存在になってたよ
どれだけの費用と犠牲を払っても日本人を根絶するというのが彼の持論だったからね
つまるところ、ルーズベルトが死ななければほぼ間違いなくダウンフォール作戦は決行されてた >>184
大日本帝国は、呪い殺しておいて、追悼のメッセージとか送ってたのかよ。何たる偽善w >>1
こういう良い奴ってごく偶に出てくるんだよな 17歳の高校生なら親が黙っていないと思うが……
それに収容所で身元確認とかしなかったのか
疑問の多い話だな 沖縄の日米戦では米兵より日本兵を恐れた沖縄住民。沖縄若者が駆り出されてる間に
日本兵は沖縄各地民家に押し入り老人子供女性を強盗虐殺、多くの沖縄系と米兵は壕の中
から多くの沖縄人を助け出し米軍支配地に連れ帰り治療食料の手当て、アメリカ食携帯の
住民を狙い虐殺したのも日本兵 >>193
それは疑問に感じたけど、リンク先の記事のつづきに書いてあった
父親(母親とは死別)には「キャンプに行ってくる」と言って出掛けたのだと
「キャンプ」には収容所の意味もあるけど、父親はどう受けとったかわからないが、止めなかった
たぶん息子の気持ちを理解していたのかもしれないし、親が止めてもおとなしく従うような性格の息子ではなかったのかも
手続きは自主申告だったとのこと、まさか日系人以外の者が進んで強制収容所にはいるとは、係官も
夢にも思わなかったのだろう >>194
略奪に走ったのは独立混成第44旅団第2歩兵隊第3大隊
この部隊はタカ412船団遭難により兵の大半を失ってて沖縄現地召集で再編した部隊 >>194
まぁチョンがそういうのなら、それは嘘ってことだろう 元日本兵が沖縄各地でおおくの沖縄住民を虐殺した事は多くの元日本兵の証言が有る
マスコミ前で沖縄一家子供幼児老人丸ごと虐殺したが日本人として正しい事をやったの証言
米軍の投降呼びかけに応じた住民達を後ろから琉球土人を生かすな殺せで背後から銃殺
したのは北海道からの部隊、 >>197
もっともらしく日本兵弁護が更に醜い、現地招集された沖縄兵は最も危険な使い捨て
陸軍中野学校卒が現地少年達で護郷隊を造り暴力で人格破壊で米兵と仲良くさせ情報
入手で子供先頭の夜襲攻撃、米兵達が翌朝見たのは子供の死体の海この事や日本兵の
住民偽装が米軍の無差別爆撃を招いた 黒人少年を1万人の白人で囲み木につるし、火をつけ熱さから木に登る少年の腕を切り落とし焼き殺した残忍な白人。
収容所に隔離されてなかったら、白人に牙向く日本の血はアメリカで虐殺されてたと思う。収容されることで守られてた気がする。 >>1
アメリカの強制収容所に送られた人が
収容施設を描いた絵を見せて貰ったことがあるが、
荒涼として薄暗かった。
アメリカがやったことはナチスと大差ない。 >>203
大差はある。
餓死させたり、毒ガス室に送ったりしてないだろ。落ち着けよ。 >>199
日本人に成りすましたチョンが殆どだけどね。w >>201
黒人少年の焼殺は残忍だけど、
たしか、この黒人少年も相当残酷な犯罪をやらかしたはず。 >>207
ジェシーワシントンは冤罪の可能性大。生きたまま性器、腕、鼻を切り落とされ。生きたまま二時間火に落とされ吊り上げられの繰り返し。
奇妙な果実の歌にあるように、そこら中のポプラの木にぶら下げられた多数の黒人の死体。多数の写真が存在するが昔の白人は残虐だよ。 多くの元日本兵が沖縄住民虐殺を告白してるし人生終末を迎えて懺悔の沖縄訪問など証拠
は溢れるほどある、ある日本兵は老人子供幼児女性家族皆殺しを日本人として彼らスパイを
殺したのは日本人として正しかったと告白した、懇願号泣の中順番に刺し殺すその周りを取り
囲む日本兵、銃剣での刺殺や生殺し放置の為苦しみ死に逝く住民もいた 写真撮る時隣のやつの頭にピースするいたずら
この時代からあったのか
なんか親近感 >>210
嘘も百回かよ。w
さすが土人ミンジョク。 >>163
つまり、在日朝鮮人、在日韓国人、帰化した朝鮮人、帰化した韓国人も同じ扱い…… >>212
嘘ではない沖縄人も大っぴらに発言や主張しない本土人の反感が怖いから以前マスコミで
住民虐殺の元日本兵が告白した時追及した沖縄マスコミに多くの抗議が来たから
しかし隠し切れない多すぎる日本兵の住民虐殺証拠や証言も多い、否定しずらいとチョン
沖縄人がやったの醜い嘘、沖縄人は戦前迄琉球土人扱いされてた明治時代帝国博では
琉球土人として見世物にされ本土人の虚飾を満足させた、ましてや戦中は使い捨て沖縄人 >>200
はい、アホ。元々ぺりリュー、硫黄島で日本軍の遅滞防御戦闘はかなり評価されてる
火力入れれば十倍以上の戦力をもって日本軍との負傷後走入れたキルレが1:1
米軍がこれの対する対策として考えたのが、日本軍のいそうな家屋、洞窟、洞穴は
陣地かどうか確認せずに吹っ飛ばすか、出入口潰して生き埋めにするブロー&トーチ
大体沖縄の住民巻き添えは在郷軍人会の仕業じゃねえか >>215
もうそういうのはやめようよ。
恥ずかしい事だよ。 戦後生きのこった沖縄人三十数万人の中男は多くの障害者老人含めて40%で極端な
男不足で本土以外の周辺国男性の協力で人口が増え145万人、本土と沖縄の人口推移が
違うのはその為 >>215
ソース成り証拠出して言おうね。
後から証言だけ出てきても、何の証拠にもならん。
記録画像や一次資料が全くない。w >>216
戦争巻き添えじゃなく元日本兵が直接多くの沖縄住民を虐殺した、アメリカ兵が住民に配給し
た食料欲しさに住民虐殺をした日本兵、陸軍中野学校卒日本兵が沖縄各地で住民を弾圧
虐殺、波照間島では全住民を着の身着のまま西表に強制疎開させ家畜全部を奪ったのも
陸軍中野学校卒日本兵、波照間島民は飢えやマラリアで多くが亡くなった 17歳の決意、異民族の友達と背負わなくてもいい苦痛と苦難を分かち合う決断をするとはな、この心底腐った人類世界で本当にあった実話なのかすこし不安だ メキシコ系って先住民の人でしょうかねマヤとかアステカとか >>220
二俣分校出身者と書いてくださいよ 普通の諜報員が気の毒だ >>201
収容所という場所は何千何万と民間人を詰め込むので
感染症とか食料の遅配などが起こると大量死しやすいんだよ >>209
★米軍の遺体損壊は連中の十八番おはこ★
マキン奇襲とは、第二次世界大戦中の1942年(昭和17年)8月17日から翌日にかけて、ギルバート諸島
ブタリタリ環礁(当時の呼称はマキン環礁)で、アメリカ軍が日本軍に対して行ったコマンド作戦
アメリカ軍は潜水艦で海兵隊を送りこみ、マキンに駐屯していた日本海軍陸戦隊を壊滅させて引き上げた。
日本軍は太平洋戦争開戦直後にマキンを無血占領して以来、守備隊は約70名しか置いていなかった。
大隊長のエヴァンズ・カールソン中佐は、日中戦争中に中国共産党軍の軍事顧問として活動していた、
ゲリラ戦の専門家である。
次席指揮官のジェームズ・ルーズベルト少佐は、当時のアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトの長男であった
アメリカ兵による日本軍戦死者の遺体陵辱行為[編集]
この作戦でアメリカ兵による日本兵の遺体に対する陵辱行為が発生した。
(米軍兵による日本軍戦死者の遺体の切断)
8月22日、日本軍戦死者の遺体収容にあたった谷浦英男大尉は、下腹部を露出し仰向けに倒れた不審遺体15-6体を
発見するも腐敗が激しく、この時点では陵辱行為の有無は不明だった。[13]。
後年、作戦に参加したアメリカ兵の1人が、テレビ番組(戦線Battle-Line)のプロデューサーである
シャーマン・グリンバーグ(Sherman Grinberg)に対し、戦死した日本兵から男根と睾丸を切断し口中に詰め込み、
記念撮影したことを告白し、 蛮行の実態が明るみに出た。
↑大統領の息子の部隊が猟奇レイシスト!!!! <<<<<<<1
日米は、まったく別の戦争をした…
アメリカ → 人種(差別)戦争
大日本帝国 → 亜細亜解放戦争(聖戦)
米兵がお土産として家族や恋人に送った日本兵の頭蓋骨(1944年5月22日の「ライフ」誌掲載)。
http://www.aubetec.com/~rimbaud/blog/WindowsLiveWriter/df849f3ccc27_EA1D/skull%5B4%5D.jpg
”Arizona war worker writes her Navy boyfriend a thank-you note for the Jap
skull he sent her”
アリゾナ州フェニックスの軍需工場労働者ナタリー・ニッカーソン(20歳)が、ボーイフレンドから贈られた
日本兵頭蓋骨のお礼の手紙を書いている。
戦利品の日本兵頭蓋骨を送られた恋人 (タイム誌) >>227
それさー
先住民の歴史本の戦争・虐殺記述でも出てくるから
アメリカ合衆国軍の伝統 >>220
>戦争巻き添えじゃなく元日本兵が直接多くの沖縄住民を虐殺した
そんな記録、当時尋問したアメにもないのだが。w >>223
沖縄出身兵の多くは危険な最前線使い捨ての間に老人女性子供の住民宅に強盗虐殺した
のは本土兵、戦前迄沖縄県政は常に沖縄人を琉球土人として蔑視してきたその流れで沖縄戦
の住民虐殺や子供自爆兵など十数万人沖縄人の犬死 >>230
ああ、GHQが原爆投下による虐殺を相殺・相対化する為に持ち出した「バターン死の行進」な
「バターン死の行進」ユダヤ人団体が文春に抗議 (読売新聞2006年1月14日)
【ロサンゼルス=古沢由紀子】日本軍が捕虜米兵らを炎天下歩かせた「バターン死の行進」に
ついての月刊「文芸春秋」の記事が「歴史を誤って伝えるものだ」として、ユダヤ人人権団体
「サイモン・ウィーゼンタール・センター」(本部・米ロサンゼルス)は13日、当地で抗議の記者会見
を開き、文春側に元捕虜らへの謝罪を求めた。
記事は、同誌の昨年12月号に掲載された「『バターン死の行進』女一人で踏破」。ジャーナリスト
の笹幸恵さんが、フィリピンで行進のルートを4日間かけてたどり、「栄養失調気味の私ですら
踏破できた」と報告。「日本軍による組織的残虐行為」との批判に、疑問を投げかけた。
行進を体験した元米兵でアリゾナ州立大名誉教授のレスター・テニーさん(86)は、文春側に
抗議文を送付。会見で、「水や食事をきちんととって歩いた彼女の行程は、当時の状況と
かけ離れている」と批判した。
同誌編集部は「抗議文などを見ておらず、現段階ではコメントできない」としている。
同センターは1995年、文芸春秋社の月刊誌「マルコポーロ」の「ナチスのガス室はなかった」と
する記事に抗議し、同誌は廃刊になった経緯がある。
記事は、同誌の昨年12月号に掲載された「『バターン死の行進』女一人で踏破」。ジャーナリスト
の笹幸恵さんが、フィリピンで行進のルートを4日間かけてたどり、「栄養失調気味の私ですら
踏破できた」と報告。「日本軍による組織的残虐行為」との批判に、疑問を投げかけた。
笑…
そういえばぜんぶつながるんだよな
反日ユダヤ、そうかと仲良し、チョンバンク、罪日 >>234
なにせ、トラックとかもなかったし、歩いて行くしかなかった。
飲食も同じ条件の日本兵は、背嚢(50Kgくらい)背負って銃器も持っていたから、
日本の兵隊さんの方がよほど過酷だったはずなのだが。w >>233
すっかり沖縄兵の存在忘れてて
涙目で慌てて必死に嘘妄想でっちあげお疲れ様ですwwwwwwwww >>233
琉球土人とか言うのは、腐れ白丁朝鮮土人だけ。w
沖縄県民斯ク戦ヘリ 大田實海軍中将を見れば、
どれだけ沖縄県民を思いやって居たか分かるわ、 中野学校云々も全部大嘘だよな ふざけやがって
だいたいその兵士が中野出身って証拠が何処にある
ゲリラ戦は住民を味方につけないと成り立たない
嘘だらけだな 中野出身じゃなくて陸軍中野学校卒日本兵が沖縄各地で住民を恐怖に陥れた
琉球土人として差別してきたのは真実沖縄県庁や官舎では琉球土人呼称が飛び交ってたし
帝国博では琉球土人の王女として沖縄女性が醜さを強調されて大阪人に優越感を提供した
戦中は米兵の呼びかけに応じた沖縄住民を後ろから琉球土人は口が軽い生かすな殺せで
後ろから銃撃虐殺したのは北海道からの部隊 メキシコ系というから、インディオ系で見た目が日本人に似てるのかと思ったら、ぜんぜん白人じゃん 明治時代大阪の帝国博で沖縄売春婦を琉球土人の王女として見世物に。昭和初期沖縄各地
で中世琉球人の人骨約百体を墓荒らし盗掘したのは日本人人類学者、現在の返還要求に
当時沖縄県の許可を得て合法盗掘したので返還義務はないと拒否した京都大の学者
このように戦前迄沖縄は県知事以下政治行政警察全て本土人のやり放題だった山ほど
合法的にやり放題の沖縄支配。戦中の日本兵の沖縄住民虐殺も法に触れることは無かった >>162
項目によるが、マジで怪しい。
多数意見が正義なんだし 収容所の中で笑顔で写真ww
一緒に居たいからどこにでも付いて行く
たこ八郎みたいな人だったんたろう 結局、米国人は日本人嫌いで、中国人や韓国・朝鮮人が好きなのです。
日本人相手にキリスト教を布教できないとの米国人の読みは正しかったのです。
日本人の道徳性が米国人よりも遥かに高いということを米国人が認識したからです。
宗教に関しても、日本仏教、鎌倉期に起こった日本式の仏教には凄まじいものがありました。
性欲を抑制するために睾丸を摘出したり、即身仏になったり、日本には無名のキリストが大勢いたのですよ。
よって、そのような宗教性のレベルの高い国でのキリスト教の布教は無理と彼らは認識しました。
中国人や韓国・朝鮮人は道徳性が低いので、キリスト教化できると彼らは認識しました。
以前も、今も、米国人は日本人の抹殺を企んでおります。自分たちが超えることが出来ない高い道徳性を日本人がもっているからです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています