【歴史】三国志の英雄・曹操、劉備、孫権は史実でも本当にすごかったのか ★10
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東京国立博物館の特別展で話題となっている「三国志」。現在発売中の月刊誌『歴史街道』9月号では、「三国志・男たちの五大決戦」と題し、官渡、赤壁、五丈原など5つの決戦を取り上げ、名将たちがいかに決断したかに迫っている。
(前略)ここでは、三国志研究の第一人者である渡邉義浩氏による解説を紹介しよう。
※省略
『演義』では悪玉とされる曹操ですが、史実においては、桁外れの行動力と変革力を発揮しており、規格外の「時代の変革者」と評せます。当代随一の兵法家でもあり、この時代における一番の天才といってもいいでしょう。
彼が成そうとした最大の変革として、「儒教の相対化」が挙げられます。漢の国教とされた儒教は、漢を「聖漢」、すなわち「聖なる漢」との教えを説き、その体制を支えていました。
しかし、そうした漢の体制が行き詰って、国が乱れているわけですから、曹操は新たな時代を創造するためには、儒教第一主義を否定しなければならないと考えました。
その手始めとして、「唯才主義」による人材登用を主張します。それまでの漢の官僚登用は「孝廉」、つまり人として優れていれば、官僚としての才能も保証される、という儒教理念に基づいて行なわれてきました。
それに対して曹操は、貪欲だったり、賄賂を受け取るような人物であっても、才能さえあればいいとしたのです。
あわせて文学を宣揚し、儒教に通じているか否かではなく、文学に優れているか否かを人事基準として、儒教を相対化しようとしました。
中国史上でも、儒教に異議申し立てをしたのは、ほかに近代以降の魯迅と毛沢東しかいません。曹操が果たそうとしたことは、それほどまでに革新的なことだったのです。
余談ですが、それによって儒教は打撃を受け、それまで普及していなかった仏教が後に広まる契機となります。それがなければ、日本への仏教渡来もどうなったかわからず、その意味で曹操は日本史にも影響を与えているのです。
それから曹操は、漢の土地制度と税制を根本から変える改革も行なっており、「中国史上屈指の改革者」と評して過言ではありません。
三国志の時代は、順当に行けば、袁紹による国家ができたことでしょう。名門の家系に生まれただけでなく、戦い方も王道です。彼は、漢と同じ国家像を志向しています。しかし滅びゆく漢と同じことをしても、無理があります。
そうした袁紹に対し、曹操は漢に代わる新たな国家像を提示できた。だからこそ、勝利を収められたのではないでしょうか。
なお、10年ほど前、中国河南省で西高穴二号墓が発掘され、曹操の墓ではないかと話題となったことは、記憶に新しいのではないでしょうか。発掘状況と文献を精査すると、曹操の墓で確実だといえます。
■劉備は諸葛亮に利用された
※省略
三国志の時代に、裸一貫から皇帝にまで上り詰めたのは、劉備ただ一人です。曹操は漢の高官の息子ですし、孫権も弱小とはいえ豪族の出身。何もないところから成り上がった劉備の能力は、やはり極めて高かったといえます。
劉備を支えた諸葛亮は、『演義』では天才軍師として描かれます。しかし、持ち上げられすぎているきらいがあり、それがために苦手という人もいるでしょう。
実際の諸葛亮は、自分の得手不得手をよくわきまえた人物で、経済政策を苦手としていました。ですから例えば、劉備に嫌われていながらも、経済手腕には長じていた劉巴を、何とか高い地位につけようとしています。
戦いの面で言えば、戦略と戦術に分けられますが、諸葛亮は戦術が苦手でした。戦術は騙し合いの世界なので、どちらかというと、人格者ではないほうが優れている。その点、諸葛亮はまっとうな人間であり、嘘や騙し合いの必要な戦術は、さほど得意ではなかったと思われます。
しかし、戦略には優れていました。よく「天下三分の計」といいますが、それ自体は、あの時代であれば考え得ることでしょう。むしろ特筆すべきは、劉備という存在に目をつけたことにあります。
諸葛亮は、漢を敬慕し、純粋に「漢再興」を目指していました。ですから、劉備に三顧の礼を受けた時、内心狂喜したのではないでしょうか。
諸葛亮は、劉備が漢帝室の姓を持つことと、彼が優れた武人であることに注目し、漢再興の旗頭として位置づけることを考え出した──。(続きはソース)
8/27(火) 12:14配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190827-00010000-php_r-pol
★1:2019/08/27(火) 23:45:46.81
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1567061607/ 年寄りの自慢と同じで絶対話盛ってるからw
ましてや中国人だろ
嘘大袈裟紛らわしいのジャロー案件 いい機会だから自分の読んだことない三国志を読んでみたい
本は吉川・横山は既読、漫画じゃなく小説系でオススメ教えてください 大河と言えるかすら微妙なしょうもない五輪物語を垂れ流すくらいなら、一年かけてじっくり三国志やって欲しかったわ >>1
三国志の人達も英雄だと思うけど、英雄の度合いで言ったら、李舜臣の方が格段に上だと思う。
自軍の100倍近い軍を、采配で見事に下し、韓国への侵略、略奪、女犯など、略奪者の魔の手から韓国を守った。
今後、何万年と歴史が続こうと、彼を超える英雄は現れないと、世界中から最大限の評価を受けている。 日本だって
左翼政権ができれば
香港みたいな大規模なデモが起きるよ
ようはアベが〜いうてる方が政権になってるのが
中国や北朝鮮なんだっていい加減わかれよ
だから支持されないし少数なんだよ
ばーか >>101
官渡で袁紹を騙して去って行く時の曹操がおちゃらけてて好きだな
赤壁後の悔恨シーンとか曹冲を曹丕が殺したと半ば知りつつ曹丕を許すシーンとか
非常に曹操を人間らしく描いている
劉備は善人過ぎるけど感情を面に出さず、忍耐強い劉備の人間性は抑制出てた
途中邢道栄やら孔明を担いで帰る関羽と張飛みたいな笑い処もあってほんとにいいドラマ >>92
信長ってそんな重税だったかしら?
島津と武田は地獄のような課税だったのは有名だが >>108
姜維伝が結構好き
ただ姜維を好意的に描き過ぎてるので創作物として楽しむならの話 >>115
村山政権のときも民主党政権のときもそんな大規模なデモ起きてないじゃん。
ま、デモが起きる前に自壊したかもしれんが >>116
あのお茶会は本当に傑作
赤壁の戦い後の曹操の演説とともに屈指の名場面 >>84
竹林の七賢て風流な名前だけど、
実際はドラッグキメてバカ騒ぎする連中だからなw >>15
赤壁らへんは事はあったようだけど、
詳細を記した資料がないようだ。
散逸したのか、誰も書かなかったのか知らんけどw >>100
史書って基本、転写じゃないの?
資料の選別が編者の仕事で独自の描写なんて
論讃くらいのイメージ >>79
竹林の七賢は、表じゃ言えないから、竹林で酒飲んで愚痴ってただけだぞw
「いやさー、酒のせいだから、よっぱだから、うっかり言っちゃったみたいな」
この時期は、孝廉等で、外戚と宦官の関係者ばかり推挙されるので、
地方の名士とかは、国家官僚になれずにあぶれているんだな。 >>114
無いねー
孔明の死後に才覚を発揮しなきゃいけない場面は幾らでもあったろ。 Three Kingdomでの曹操だが三国志演義での諸葛亮の性格を付与させていた。これでは曹操が面白い人物にならないわけがない。ある意味反則技だね。
三国志演義での曹操はこれでもかこれでもかと姦雄ぶりを描きながら大した人物だと思わせる部分を残している。
正史三国志だが、これは読み物としては全く面白く無いと言う定評があり、結局読まなかったし今後もその予定は無い。 >>126
そうか?
嵆康、阮籍なんて皇帝、三公クラスの人物に
直接意見出来るんだが >>125
資料集めて編纂するんだけど、
時々、勝手に加筆したりしてでっち上げてる内容もあるので、
チェックしないとだめらしい。
著者の政治思想や宗教観で捏造した部分を分ける必要があるとかないとか。 一応赤壁の記述は正史にあるよ。微妙に内容がずれてはいるけど
赤壁で曹操と劉備が対峙し、孫権が3万の援軍を送った
孫権軍は曹操の船を焼いた。曹操軍は疫病が蔓延して兵の多くが罹ったから撤退した
魏書蜀書では大体はこんな内容
呉書は詳しいのと、船焼いたときに曹操軍の兵をかなり倒してることになってるぐらいか 赤壁は江表伝っていう呉の歴史書に詳しく書いてあるんだけど
これが日本でいう太閤記とかと同じ感じで
成立時期は100年以内と早いんだが、誇張に誇張を重ねた内容っぽくてな 蜀の武将で好きなのは羅憲だな
蜀滅亡後永安に攻め込んできた呉の名将陸抗の大軍を防ぎきった名将だ >>114
洛陽は楽しくて蜀を思い出すことはありませんの逸話、一周回ってガチだと思う。
神輿、それも大半の人が劉備と諸葛亮しか見てない存在を40年以上強要されてそれが幸せかというとね。
滅んでなお義理建てする必要もあったかどうか。 信長の野望の大阪の陣シナリオってなんで人気あるの?
既に徳川の天下が決まりきってつまらないだろ >>131
今現在最も最有力とされてる場所、ていうかもう決まりだろ的な感じになってる場所の
水底からおびただしい数の鏃が見つかって、錆びの深さなどから三国時代の物とみられると。
鏃を投棄するのは考えられないから、規模はさておき戦闘はあったと思われ。 >>108
まず北方かな
その次に泣き虫弱虫諸葛孔明と陳舜臣作品
秘本→諸葛孔明→曹操→曹操残夢の順が個人的にお勧め
泣き虫〜は笑いが止まらなくなる場面が何か所かあるから電車とかで読むのはお勧めしないw
あとPHP文庫の「呂蒙」も良かったけど紙は絶版なので電子か中古か図書館でどうぞ 国土が広いと戦争も面白いね
狭い日本だと右に攻めるか左に攻めるかしかないから >>137
三国志演義が人気なのと同様に真田とかの創作話が人気だからじゃないか? >>117
信長は商売人に優しく、農民に他国と同様に厳しくだよ
農民に優しかったのは北条家 >>137
大勢力で俺TUEEEしたい人
滅亡寸前勢力を盛り返して俺TUEEEしたい人 >>108
大唐帝国
九品官人法の研究
正しくは小説ではないが小説のようなもので内容が面白い 歴史ヒストリアで曹操は白粉塗ってたと言ってたな
当時、男も御化粧するのが嗜みだったと
高貴な人限定だろうな >>147
化粧してると影武者使いやすいからな。
どうしてもそこに目が行く。 孫権が碧眼なのは演義、正史だと紫髯で胴長
曹操は黄鬚じゃない曹彰だ 光栄のルーチンはわざとバカにしてあるから勝てちゃうんだよね。
そーじゃないとほとんどの大名が無理ゲーになるから。 まあ、実際に黄色ではなく
単なる虎髭を黄鬚と呼んでいたかもしれない >>115
今だって 大規模デモが 起きてもいい状況なんだけどな 世界標準なら
けど 洗脳された 世界一支配しやすい国民性のせいで
オマエのような バカが はびこってるんだよ
オマエは ネットでえらそうにいうけど 香港の高校生以下だよ >>108
それこそ
正史の陳寿の三国志読んでみたら? 3人共あれだけけの国土と領民、軍隊を従えた奴らだ
すごくないわけがなかろう >>156
最後に漢中で粘り勝ちしただけで徐州、汝南、長阪と全部負けてる
ただ、全部逃げ切ってるとこが劉備の凄みでもある Three Kingdomsは本当に大傑作だからぜひ見るべき。
人間関係がよく描かれてる。
関羽を依怙贔屓して曹操の他の武将が文句言うとか、
諸葛亮を妬む関羽・張飛とか曹操の息子の関係とか
やたら孔明に敵意を持つ周瑜とか。
曹操と司馬懿の絡みも見もの。 >>79
本当なら洛陽で活躍すべき人材が、あれやこれやのせいで
地方に逃げてた時代なのよ
地方の先生はあれやこれやに従わなかった人たちとみなされて
それだけで箔がつく 羽扇って日本では孔明のイメージがあるけど
本来は公瑾のトレードマークだったんだよな >>2
そのビル、中は何が入ってるの?
オレオレ詐欺の事務所? 京劇だと曹操って白塗りのデブなんだよな
日本でのイケメンで強い曹操に衝撃を受けたらしいぞ
最近は曹操の再評価が進んでるみたいだけど >>164
三菱地所の事務所とか
そもそもビルそのものが三菱地所の持ち物 >>159
その意味では実は張飛が頑張ってる。
序盤は曹操配下の劉岱を「計略」で捕らえ、
中盤は有名な長坂橋にた偽兵、つまり「計略」で曹操の追撃を振り切り、
終盤も曹操配下の張郃を「計略」で破ってる。
演義仕様の脳筋張飛にこれだけ騙される曹操軍って実は……。 >>162
�ソ公なんかは曹操の荊州占領の際に声望高いので、召し出されそうになって、逃げてたね
今さら宮仕えがイヤだったのか
曹操がめんどくさそうなのがイヤだったのか >>37
日本の戦国武将だって、普通に信長、秀吉、家康とか呼び捨てじゃない。
信長の事を右府殿、秀吉を太閤とは誰も呼んだり書いたりしないぞw
呼び捨てがマジで失礼だと思うのであれば、曹孟徳、劉玄徳、孫仲謀と当時の呼び方(姓と字)をすれば良いんじゃないの?w >>168
ありゃ、文字化けしてるかな
ホウ徳公、孔明の姉ちゃんの嫁ぎ先です >>160
決起(桃園結義)からずっと一緒に辛苦をなめてきた
関羽・張飛からしたら新参にもかかわらず劉備が
もっとも頼りにしているのが自分達ではなく
孔明みたいな軍師の立場(水魚の交わり)になりつつあるのを見たら
たまらないかな。妬みがでるのもわかる。
しかし最期は三兄弟の間には孔明でさえも
立ち入れないというのが夷陵の戦いの前後で
ドラマの中によく現われていたと思います。 >>165
日本の近年の曹操の再評価は中国からの影響も大きいよ >>161
最初孫権がやった話だったのが演義で諸葛亮の手柄になった >>29
始皇帝も金髪碧眼だったそうだぞ
始皇帝以前に中国には戦車や集団戦闘みたいなものはなかったのでローマから流れてきた人物だったのではという説がある >>175
当時の戦車ってのは馬に鉄板で強化した馬車のなかから兵隊が弓矢で射つって感じのものね
ローマ軍がこれを使って領土を拡げた >>69
矢が届くかどうかの距離での威嚇でそれ以上のアクション無し。
夜なんだから火焚いてるとただの的になるからしないんじゃないかねえ?
とりま通常の矢撃って追い払っとけ的な? >>178
それは演義の描写だな
正史では珍しくて立派とか骨体が普通じゃないとか紫髯とか短足胴長とか大口で目が鋭いとか書かれてる >>176
戦車使って戦争してたのはインド
中国も古代では主力だった
ローマは重装歩兵が売りで、戦車は娯楽としての競技
>>174
そうだっけ?
無人の船じゃなくて、孫権自身が乗ってた船で
片舷に大量に矢を受けて船が傾いてしまったので、反転して反対側に矢を受けて
バランス取って帰ってきたって逸話だったはず
矢をせしめるのが目的ではない >>176
でもチャリオットは騎兵より弱いんだよな。
鐙が発明されたらあっという間に消えた。 >>109
>>112
>>118
>>124
>>141
>>146
>>157
アドバイス、ありがとうございます!
北方、宮城谷、正史ベースみたいで興味湧きました
晋の統一にも興味があり宮城谷をまず読んで見ようかと思いました >>175
殷時代に戦車あった気がするんだけど?
殷周戦争時に使ってなかったか? 北方三国志は呂布や周瑜がカッコよすぎてな
司馬懿は孔明から女装セット送られて悶喜ぶドMの変態だけど >>180
行きは長江を遡上して、帰りは反転して下るわけだから
実際は普通に針ネズミにされただけでは?
火矢で燃やされないように濡れた藁束で舟を覆っていたんだろう。 >>173
行ったり来たりだな
戦前まで曹操を評価してたのは日本、中国は劉備の世界
毛沢東とブレーンが曹操を評価
蒼天航路で日本に曹操ブーム
最近また中国で曹操の再認識 >>167
劉備の脳筋部分を引き受けたのが張飛だからな
張飛は関羽よりも優秀な武将だよ。関羽のほうが実は武力馬鹿 この時代の人たちって、言葉通じたのか?
たとえば幽州から蜀まで結構距離あるで。 前漢・後漢合わせて400年以上あるから、士大夫以上は言葉は通じたかもね
今のような言語分布になるのは、後の話だと思う >>183
戦車使い始めたのは殷(商)だな
その次の周王朝の時代、春秋時代は戦車戦がメインなんじゃないのかな 黄月英って演義でぶさいく設定なのに
なんでどの作品も美人ででてくるんだよ >>183
あるね
馬4頭で御者1人
左が高位で弓、右が勇者で戈を振り回す
なんて感じじゃなかった? >>182
全部読む気なら一番最初は「大唐帝国」がいいぞ
中国史の研究者が一般の人向けに書いた歴史の本だけど後漢から晋の統一とその後まで
長い歴史がひとつの物語として一冊にまとまっていて読みやすい
電子書籍化してて入手も簡単 >>192
月英美人派の言い訳は異国の子を養女として貰ったから金髪だったとかって話
当時の中国人は黒髪、黒瞳以外の変わった風貌を不細工と見ていたからとかなんとか
諸葛亮って贍を授かったのが45過ぎてからだから月英はほんとに不細工で子作りする気にならなかったのではないかと見ているw 戦車は色々問題あるから廃れたのはわかるが、兵員輸送用、機動作戦用の馬車として進化していかなかったのは何故だろう。
ああ、もちろん中国の話ね。 >>192
>黄月英って演義でぶさいく設定なのに
>
>なんでどの作品も美人ででてくるんだよ
色黒だと不細工で色白なら美人と言われた時代だから クレオパトラだってブスなのに現代の作品じゃ美女に描かれるだろ 不細工を嫁にしたって逸話がのこってるけど
やっぱり絵にならないから
不細工に扮してたけどやっぱり美人とか
インド系というか月英→
月氏→クシャーン系で
当時の中国基準だと色黒だから不細工扱いだけど本当は美人とか
色々試行錯誤してる >>182
宮城谷を勧めた者だが宮城谷三国志は色々読んでからの方がいいよ >>197
司馬炎の本妻の楊艶は色白とか当時の美人の基準を満たす不細工ばかり選んで夫に勧めたので
夫は本妻にばれないように美人探しをしたとか何とか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています