【考古学】「血の川」の記述 モンゴル帝国の古代ルーシ諸国への侵略とジェノサイド 「誇張」ではない事実を考古学者らが解明★2
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モンゴル帝国の初代皇帝で最大の征服者チンギス・カンの孫にあたるモンゴル指揮官バトゥの軍隊は、13世紀にルーシ諸国の領土を侵略し、古代の年代記に記述のように抵抗する兵士らを殺害したにとどまらず、文字通り親族もろとも、つまり現在のジェノサイドによって非武装の住民たちをも虐殺した。ロシア科学アカデミー考古学研究所とモスクワ物理・工学研究所の研究者らは、モンゴル人らの犠牲となった人々のヤロスラヴリ市の墓地を研究し、こうした結論に到達した。
1237年から1242年にバトゥの軍隊は、古代ロシア公国の領土に対し破滅的な行軍をなんどか行った。これらの行軍がいわゆるモンゴル=タタールの軛のはじまりと考えられている。タタールの軛は、モンゴル帝国による古代ルーシの征服期間であり、1480年までの約200年以上にわたった。
■焦土と化した大地
バトゥの軍隊による行軍の歴史は、古代ルーシの年代記に記録されており、侵略者たちが侵攻した土地で行った残虐行為が記述されている。モンゴル人らは抵抗する地域は住民とともに完全に焼き払い、井戸に毒を混入し、女性や子どもら多くの住民たちを捕虜にした。
歴史学者の中には、これらの残虐行為の大部分は愛国目的から年代記の著者たちが過大に誇張しているという意見がある。
しかし、考古学者らは、古代ルーシ住民の苦悩に関する年代記の記述は歴史的事実に合致する可能性があることを証明した。
■「まちが血の海に」
モスクワから約270キロに位置するヤロスラヴリ市。同市の墓地に眠るモンゴルのルーシ侵攻時の遺骸15体の研究が行われた。研究者らは、墓地で発見した55歳超の祖母と30〜40歳の娘、そして20歳前後と思われる若い男性の孫からなる三世代の家族を遺伝子分析によって調査した。彼らは刀剣で殺害されていた。
年代記では、ヤロスラヴリはバトゥの軍隊の行軍で破壊されたたくさんまちの1つとしてだけ記述されている。
「惨劇の現実的な規模が解明されたのはほんの最近のこと。2005年にウスペンスキー大聖堂の改修がはじまる直前に発掘が開始された」
研究者らによれば、ヤロスラヴリでの5年間で、年代記では言及されていない破壊行為に関係する最多数の墓地が発見された。墓地の数は9ヶ所にのぼり、非業の死をとげた遺骸300体以上が見つかっている。
「現在、これらのまちで何が起こったのかを調べるなかで我われが理解したのは、年代記の『血の海と化したまち』という隠喩はほぼ現実に起こったことだということだ」。
考古学者らによれば、「バトゥの軍隊の行軍はすべての国々に大きな悲劇をもたらし、残虐さと破壊に関しては他の事件とは比較にならない」。
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★1が立った日付2019/09/03(火) 23:38:01.39
前スレ
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1567521481/ >>1
「モンゴルと対話で平和的に交流できた」と主張する左翼学者に教えてあげてw 人間は利益のためならなんでもする
アメリカだってインド人虐殺して、しれっと知らん顔してキリスト教を愛する善人面してるし
日本もサイコパス侵略を反省してる人間なんて全体の一割もいない
人間なんてこんな生き物よ 原住ロシア人は死に絶えてバトゥ達の子孫が今のロシア人なんだろ >>9
つーか明らかにモンゴル人がスラブとかに生ませたのが今のロシア人だよなあ ある日、チンギス・カンは重臣の一人であるボオルチュ・ノヤンに「男として最大の快楽は何か」と問いかけた。
ノヤンは「春の日、逞しい馬に跨り、手に鷹を据えて野原に赴き、鷹が飛鳥に一撃を加えるのを見ることであります」と答えた。
チンギスが他の将軍のボロウルにも同じことを問うと、ボロウルも同じことを答えた。
するとチンギスは「違う」と言い、
「男たる者の最大の快楽は敵を撃滅し、これをまっしぐらに駆逐し、その所有する財物を奪い、
その親しい人々が嘆き悲しむのを眺め、その馬に跨り、その敵の妻と娘を犯すことにある」
と答えた。 相撲でモンゴル人に日本人が虐殺されんのは毎度のことやし チンギスハン英雄とかなんの冗談
お前ら韓国よりも中国よりもモンゴルとベトナムの方がクズだからな >>12
一体誰が誰をどうやって、なんの為に「虐殺」?
この辺りが科学的に検証可能な証拠によって明確にされない限り、安易にあったなんて断言出来ないのでは? >>19
むしろ「虐殺」の定義の問題だよ
あの程度を「虐殺」と非難されるなら
欧州戦線なんか「大虐殺」のオンパレード >>18
最終的に国が支配されず撃退できたから勝ったでいいんじゃね? >>19
便衣兵によるゲリラ戦術と、それに耐えきれなかった現地部隊の暴走(日本軍は残念ながらこの手の不祥事は後を絶たなかった)
あと南京や中国戦線にかぎらず
東南アジア全域において日本軍人の素行と評判がよくなかった >>22
しかも実力でな
台風は敗走中のモンゴル軍を直撃しただけだし >>12
文革による大虐殺?
共産党による国民党大虐殺? 非戦闘民含め300人だろ津山で30人
記録にも残らない集落単位の虐殺なんて日常茶飯事だった時代じゃねーの 日本は蒙古の英雄を ジンギスカン鍋にしてしまった 平和民族だな 「英雄の名前を使った料理は許せない」と言った教授が居たな >>23
それはシナの主張する「南京大虐殺」とは全く異なるものだな
連中は日本軍が軍令により組織的計画的に民間人虐殺をやったと主張してるわけで
ゲリラや捕虜の処刑なんて第二次大戦中どこの国もやってたから
そういう捏造ストーリーを作らないと、戦後の日本軍を裁けなかったのよ
東京裁判では否定されたけどなw 食い物がなければ、殺してでも奪う。
野生動物なら当たり前のことが、なぜ、批判されるのだろう。
立場が変われば、襲う側になるのだから、対等じゃん。
一方的に、殺されたのなら、単なる無能者。 >>23
そうでもないよ。欧米支配から解放されているよ。
マイナス面ばかり植え付けるあの国。 >>25
南京は太平天国の首都だったので、南京城にいた50万人が清軍によって全員虐殺されています。
骨とかなんか出てきたら殆どこれですわ 地域的には未曽有の変事だったろうけど、当時のロシアとか
まともな都市もないド過疎地帯だから実数としては多くないだろ。
それにこの時期のモンゴル軍は後世のイメージとは逆に従属はひろく受け入れていたので、
ここはヘタに抵抗して見せしめになったんじゃ。 今のモンゴルは中国の属国並み影の薄さだけどな。なんで発展しなかったのか 壱岐対馬で虐殺した元の根本のチンギス・ハーンに敬意を払えとか言うバカは何を考えているのか? >>31
シンガポールの華僑虐殺とかは参謀の「命令」によるもので、組織的と言われても
仕方がない。
欧米では参謀に命令権はないから、BC級戦犯裁判では下級将校の現場の部隊長が責任
を取らされた。参謀の放言は日本軍では命令だが、連合国には日本の組織が理解でき
なかった。 元寇はモンゴル軍が攻めてきたという間違った認識が多いね。
第1次元寇は、元の属国になった高麗軍が軍船を仕立てて2,6万人の大軍勢で
対馬、壱岐の島民を虐殺。奴隷にした。手のひらに穴をあけて縄をつないで
博多を急襲した際には船べりに人間の盾として使った鬼畜。結果、日本が徹底抗戦した事で
大損害を被り撤退。博多の街を焼き尽くした。
第2次元寇では、高麗軍4万、元に降伏した南宋兵と元軍の混成「江南軍」10万が合流。
14万の大軍勢で押し寄せるが、日本の築いた防塁を突破できるに海上で持久戦になる。
その内、疫病が発生して元の司令官は撤退を考えるが、高麗軍の将軍が侵略を主張。
大船団は久留米湾に移動した頃、台風が来る。鷹島の島陰に船団を鎖でつないで避難
させるが、久留米湾独特の地形により南風に煽られ大船団は連鎖して沈没。
生き延びた兵士は日本軍により壊滅。生き延びて朝鮮半島に逃げ延びた兵士は僅か数千人。
その後、第3次元寇も計画されるが、ベトナムで元軍が大敗北。第3次元寇は中止になる。
チョンはそれを認めず「元軍に抵抗していたニダ ウリが抵抗したので日本は防衛体制を
整えられたニダ」とウソを吐いている。
その後、李氏朝鮮時代に「応永の外寇」と言う世宗が率いる2万の朝鮮軍が対馬侵攻を
行うが、宗貞盛の率いる660人の守備軍に大敗北。将軍4人将兵2300人を失い、世宗は
糞を漏らして撤退したと言う。でも、古文書には「ウリが勝ったニダ」とウソ記述w >>3>>24
デマ言うなクズネトウヨ
台風のおかげで勝手に沈没してくれただけ カザフスタンの人はモンゴルに対して悪いイメージを持っていると聞いたことがある。 元寇× 朝寇〇
日本を侵略しようとしたのは高麗
チョンはいつでも日本の敵 >>42
南京の話をしてるんだが?wすり替えんなよ
シンガポールの華僑も、実際にイギリス側についてゲリラ活動していたから自業自得だよ
欧州戦線で処刑されまくったパルチザンやヴェアヴォルフと何も変わらない。
シンガポールという国はそうやってイギリス人に媚びた挙句
マレー人から嫌われまくった華僑が追放隔離されてできた国だと
知ってんのかよ?w >>45
違うよ
モンゴルの将軍が10万の部下を見捨てて逃亡した後に
台風が直撃したんだよ。 >>45
ま、モンゴルネタから元寇の話題になれば、その手下として暴虐を尽くした挙句
木っ端みじんに打ち砕かれた高麗の子孫たちがファビョって湧き出すわな >>14
チンギスに同意
むしろ将軍が枯れすぎている >>44>>47
ゴミは嘘つかなくていい
高麗自体が元寇前にモンゴル帝国に飲み込まれてる
そんなのも知らないカスが モンゴル帝国時代は、朝鮮人にとって朝鮮半島の人種が入れ替わった重要な時期。
朝鮮人が民族アイデンティティを生み出せない原因もこの時代にある。 >>45
攻撃されて陸に拠点を築けなかったら台風で沈んだ
もし上陸していたとしても補給を断たれて全滅
悔しかったら冬に来てみろマヌケ モンゴル人ってこんなんだからソ連(当時)と中国でサンドイッチにして2度と世界史の表舞台に登場できないように葬られたんだよな >>50
はい、嘘乙
元寇は博多から水城まで日本軍を追い込んでるから。
史跡もあるんだから間違いなく日本軍は追い詰められてる。
元軍が海上に撤退したのは元帥・劉復亨が戦闘で負傷と
季節的な意味合いによるもの。 >>58
それは随分あとのことだろ
馬が最強の機動力でなくなったらモンゴル人などカス 当時の日本の武士は戦乱に明け暮れていたので戦慣れしていたので、
モンゴルの戦術を即座に理解して打ちのめす事ができた。 >>50
・朝鮮人が数ばっか多いが戦力外、集団戦だけがとりえ。
・南宋水軍がいうこと聞かない
・モンゴル人船酔いと士気ガタ落ちもともと多くない上得意の馬が使えない
侵攻戦ボロ負けで船ににげたら台風直撃。 >>55
バーカ。
水城まで追い込んでるんだよ元軍は。
すでに上陸したうえで別にいつでも上陸可能と馬鹿にされて
舐めプで海上待機という手段を取られただけ。 >>59
夜襲を恐れたんだろうよ
なんで季節的に海上泊すんだよ >>63
陸上に拠点を築いてもないのに油断するとか
勝てるわけない >>60
遊牧民国家が覇権を失ったのは、軍用車両の出現よりもはるか前。銃の射程が伸びたことが最大の原因。 >>64
はいクソ無知乙
>当時の艦船では、博多-高麗間の北上は南風の晴れた昼でなければ危険であり、
>この季節では天気待ちで1か月掛かることもあった(朝鮮通信使の頃でも夜間の玄界灘渡海は避けていた)。
>>68
>>71
> 元軍は日本軍を破りに破り、佐原、筥崎、宇佐まで乱入したため、妻子や老人らが幾万人も元軍の捕虜となったという[181]。
> 日本軍は水城に篭って防戦しようと逃げ支度を始め、逃亡するものが続出する中、敗走する日本軍を追う左副都元帥・劉復亨と
> 思われる人物を見止めた少弐景資が弓の名手である馬廻に命を下して劉復亨を射倒すなどして奮戦したものの[182][183]、
> 結局、日本軍は博多・筥崎を放棄して水城へと敗走したとしている[181]。
> 10月21日の朝になると、元軍は博多湾から撤退し姿を消していたという[184]。
日本軍は水城まで追い込まれて憤死状態。
ただ元軍はあえてそれ以上は追い込まずに舐めプで待機して
大軍を集めてから滅ぼす作戦に変えた。
そこに台風が直撃して全滅クラスに沈没した。
完全に台風のおかげ。 アレキサンダーもモンゴルもインドのクソ暑さと湿度で侵略意欲なくなった言うし
案外日本も夏場の侵攻でモンゴル軍内に厭戦気分出てたんちゃうか 最後の遊牧民帝国ジュンガルの滅亡は18世紀半ば。
軍用車両の出現は20世紀初頭。 >>18
どっちが戦争目的を達成したかで勝利は決まる
ほとんどの地域で上陸を許さず、上陸された地点では迎撃し撃退、そのまま敵は嵐に巻き込まれた
そしてその嵐以後も大規模な軍勢は島に立てこもったが、攻め立てられ敗北
勝利以外の何物でもないと思うよ >>74
上陸戦にクソ無知なモンゴルが負けただけだろ
海洋国日本に地の利があった >>73
水城まで追い込まれたのが日本軍。
戦術として少人数であまりにも簡単に攻略できたが、
追い込み過ぎると補給路が間延びするので
大軍を編成して潰すという舐めプされた完全な日本の負け試合。 >>78
簡単に上陸させて水城まで退かされたのも知らないクソ無知。 >>79
いやだから上陸されてフルボッコされて
水城まで撤退したのが日本軍だよ。
モンゴル人のほうが遥かに強かったのは
歴史ヒストリアでも証明されてる。
日本武士は名乗って一対一で戦おうとするが
モンゴル人は複数人でボコボコにする戦い方。
勝てるわけがない。 >>74
上陸してても馬がなきゃ何もできないし
補給が途絶えて全滅
よく言われるガダルカナルだわ >>63
なにが海上待機だ
騎馬マヌケどもは台風の威力も知らなかったんだろw
おとなしく羊追ってればよかったんだよ おまえら現実の世界では戦わないのにこういう話好きだよな >>83
だからいつでも上陸できる手はずを整えて
海上で10万の大軍が来るのを待ってたんだよ。
そこに台風が直撃して沈没。 >>84
うん、だから台風のおかげで勝てたんだよ。
日本が強かったわけではない。 あとなんかモンゴル帝国を良くわかってない人いるけど
当時、世界最強の帝国だったんだぞ。
> またモンゴルのポーランド侵攻を食い止めようと、モンゴル帝国軍を相手にした
> ポーランド王国、神聖ローマ帝国、そしてテンプル騎士団やドイツ騎士団、
> 聖ヨハネ騎士団などのヨーロッパ連合軍はモンゴル帝国軍に手も足もでなかった。
> これが、後年ヨーロッパで恐れられ語り継がれていくレグニツァの戦いである。
欧州連合軍でも勝てなかったモンゴル帝国という世界最強国家からすれば
小国島国の日本を制圧するのぐらい屁でもなかった。
> 1281年(弘安4年・至元18年)、元・高麗軍を主力とした東路軍約40,000?56,989人・軍船900艘と旧南宋軍を主力とした
> 江南軍約100,000人および江南軍水夫(人数不詳)・軍船3,500艘、両軍の合計、約140,000?156,989人および
> 江南軍水夫(人数不詳)・軍船4,400艘の軍が日本に向けて出航した。
> 日本へ派遣された艦隊は史上例をみない世界史上最大規模の艦隊であった。
この15万人の最強艦隊が日本に襲来した。
それを守ったのが日本の守り神台風。これが由来で“神風”という言葉が生まれた。
> 30日夜半、台風が襲来し、元軍の軍船の多くが沈没、損壊するなどして大損害を被った。
> 東路軍が日本を目指して出航してから約3か月、博多湾に侵入して戦闘が始まってから約2か月後のことであった。
> なお、北九州に上陸する台風は平年3.2回ほどであり、約3か月もの間、
> 海上に停滞していた元軍にとっては、偶発的な台風ではなかった。
台風がなければ今頃日本という国がなかったのかもしれない。
当時のモンゴル帝国を軽視してるレスが多いのは本当に日本人の歴史認識が低いのを実感する。 >>82
だから日本に勝とうと思ったら少なくとも京都を制圧しなきゃいかんわけだが
馬もないのにはるかな道のりだぜ
瀬戸内海を行く間に数限りなき夜襲があるし
武士が面食らってる間に初っ端の戦果を挙げただけのこと
甘いわ >>81
読めば分かるはずだけど弘安の役の話してるんだよね 昔の人が現代人の感覚からすると残忍なことをしてたというのはどこの国でもあること。
モンゴル人が特に残虐だったわけではない。 成人指定のアニメ化して欲しい
監督はエロとグロ両方できる才能で頼む 赤坂の戦い 抜け駆けした菊池武房勢100余騎にボロ負けwww
鳥飼潟の戦い 白石通泰率いる100余騎が到着し、元軍に突撃を敢行し敗退www
百道原・姪浜の戦い 日田永基らが奮戦し百道原の戦いと姪浜戦いで1日に2度、元軍を大いに破ったwww >>75
インド北部はそんなに暑くない
ムガル帝国はテュルク・モンゴル系の血を継承する皇帝を戴き、ティムールが祖先との伝承があった(ムガルはモンゴルの意味)
皇帝や貴族はテュルク・モンゴル系だったが、統治を担当する官僚などには諸民族が混じり、
一般国民は土着のインド人だった 馬が時速500kmで走れるようになれば、遊牧民帝国が再び世界を席巻することも可能。 >>89
バーカ。九州と山口を拠点にすればいいだけ。
そこから勢力戦になれば
モンゴル帝国軍に日本が勝てるわけがない。
ヨーロッパ軍も滅ぼされたのに勝てると思ってるのか? >>88
モンゴル帝国を軽視なんかしてないだろ
戦には勝ったって話しかしてない
台風がなければとか言い出すなら戦争やる資格がそもそも無い
あらゆる事象を自軍有利に利用するなんて基礎中の基礎 >>80
全土制圧を意図しているのに
十数km内陸に進軍しただけで補給路が間延びするってありえないだろ >>88
九州さえ制圧できなかったじゃん
近畿関東なんて夢のまた夢だわ
金門島とれない中共が台湾尖閣を望むようなもんだ >>99
馬なしに勝てるのか?
モンゴル人が船で日本人に勝てるのか?
ムリ >>74
それ、恩賞が欲しい寺社が流した偽情報の方じゃないかw
加持祈祷のお陰で勝ったと誇張してる資料 >>87
ちなみにモンゴルが相手したのは九州の御家人だからな
鎌倉の主力本隊が到着する前に敗走w >>99
別に当時のヨーロッパが最強って訳じゃないしな
なんなら軍勢の規模でヨーロッパは不利
中国大陸や日本や欧州各国が抱えられたら兵士の数は全然違う モンゴルの顔見てるとロシアだけでなくだいぶ半島も征服したんだろうなとわかる
いきなり知りあいの人の家に上がり込んで冷蔵庫のもの喰うという
韓国もモンゴルも同じ風習があるらしいし
ただモンゴルはチベット仏教を受け入れて教科されたけど韓国は逆に宗教捨てたから
性格が糞になった 痛恨のアンカーミス。
>>6 じゃなくて >>5 だった。 >>99
モンゴルが最強だったのは馬のおかげ
馬なしでどうやって勝つ? 博多湾進入 東路軍は博多湾岸から北九州へ上陸を行おうとした。しかし日本側はすでに防衛体制を整えて博多湾岸に約20kmにも及ぶ石築地(元寇防塁)を築いており、東路軍は博多湾岸からの上陸を断念したwwww
6月6日、博多湾沿岸からの上陸を断念した東路軍は陸繋島である志賀島に上陸し、これを占領。志賀島周辺を軍船の停泊地とした。
6月8日午前10時頃、日本軍は軍勢を二手に分け、海路と海の中道伝いの陸路の両面から志賀島の東路軍に対して総攻撃を敢行した。志賀島の東路軍は日本軍に300人ほどの損害を与えたが、日本軍の攻勢に抗しきれず潰走するwww
6月9日、東路軍の張成らは防御に徹して陣を固め、攻め寄せる日本軍に対抗するなどして奮戦した。しかし、この日の戦闘も日本軍が勝利し、東路軍は敗戦を重ね、志賀島を放棄して壱岐島へと後退したwww >>82
フルボッコも何も日本軍の主力は遥か後方の六波羅で
地元の地侍勢力を撃破しただけじゃん 奴隷をたくさん連れてきてそのまま半島に放置して帰ってしまったモンゴル軍w つーか4世紀にゲルマン人を大移動させて西ローマを滅亡に追いやったフン族もモンゴル説有力なんだろ?
モンゴル帝国はそのあとを辿っただけ
なにげに紀元から15世紀までずっと最強だったんじゃね? >>91>>100>>103
だから台風のおかげ
モンゴル軍のあまりの強さにやべーって
博多湾に土塁を築き上げたのが弘安の役
そこで上陸を長引かせて台風のおかげでまたも勝利
日本人が強いわけではない >>121
必死なのはわかるけど
ボロが出まくってて笑わせるw 江南軍の平戸島・鷹島到着
6月下旬、慶元(寧波)・定海等から出航した江南軍主力は7昼夜かけて平戸島と鷹島に到着した。
壱岐島の戦い
6月29日、日本軍は壱岐島の東路軍に対して松浦党、彼杵、高木、龍造寺氏などの数万の軍勢で総攻撃を開始した。
7月2日、肥前の御家人・龍造寺家清ら日本軍は壱岐島の瀬戸浦から上陸を開始。瀬戸浦において東路軍と激戦が展開された。
日本軍の攻勢による苦戦と江南軍が平戸島に到着した知らせに接したことにより壱岐島を放棄して、江南軍と合流するため平戸島に向けて移動したwww 中国や朝鮮は日本にじゃなくモンゴルに謝罪賠償要求すればよいのに >>95>>105>>106>>107
馬なしのモンゴル軍に敗走して水城まで逃げて
上陸させない台風任せ大作戦をしたのが日本な
元寇防塁は20キロありますwwwwwwwwwwww
どんだけビビてったんだろうな? まあ捕虜にしても足手まといなだけだし、皆殺しが一番合理的 >>120
主体はモンゴル系の遊牧民族だったろうと推測されているよね
匈奴についてはわからないことが多くて正体不明らしいけど バトゥがテムジン抜かせば、モンゴル帝国で1位2位を争う強さだろ >>99
ヨーロッパ人ははじめはモンゴルを東にある伝説のキリスト教国だと
勘違いしてたんだぜ。
それにじゃがいも伝来前のヨーロッパなんてろくなもん食ってないぞ。
アジアは米食ってたから人口が多いんだよね。 >>108>>109>>116>>118
馬なしのモンゴル軍に水城にまで敗走して
防塁を20キロも構築したのはどこの国かな?
日本軍が強いなら陸上で対決しても余裕だろ?
結局やったのが台風大作戦って恥ずかしすぎる。 >>14
実話なので困る
なお、チンギスハーン自身も戦争に負けて嫁と娘を目前で敵に蹂躙された事がある
困った性癖はこのとき目覚めたのかもw 東路軍・江南軍合流
7月中旬-7月27日、平戸島周辺に停泊していた江南軍は、平戸島を都元帥・張禧の軍勢4,000人に守らせ、続いて鷹島へと主力を移動させた。東路軍が鷹島に到着し、江南軍と合流が完了する。
鷹島沖海戦
7月27日、鷹島沖に停泊した元軍艦船隊に対して、集結した日本軍の軍船が攻撃を仕掛けて海戦となった。戦闘は日中から夜明けに掛けて長時間続き、夜明けとともに日本軍は引き揚げていった。
台風
7月30日夜半、台風が襲来し、元軍の軍船の多くが沈没、損壊するなどして大損害を被ったwww
元軍軍議と撤退
閏7月5日、張禧は軍船を失っていた范文虎に頑丈な船を与えて撤退させることにした。その他の諸将も頑丈な船から兵卒を無理矢理降ろして乗りこむと、鷹島の西の浦より兵卒10余万を見捨てて逃亡したwww >>120
アッティラもモンゴル系か今で言うハーフという説があるね
コサック兵は王道楽土を夢見て一族郎党からラクダまで引き連れてこのカルスト大地に来たが、そのアジア系風貌を見て北イタリアの寒村では「伝説のアッティラ大王が来た」とパニック陥ったと言うエピソードも伝わっている >>130
さっさと上陸して陣地築いとけば台風の被害も抑えられたんじゃないの?笑 >>88
また朝鮮人が火病ってるのかw
弘安の役では蒙古軍は船から上陸すら出来てないからなw
しかも日本側の実戦兵は守備隊5千騎程度と言われてる
これに手も足も出ず逆に攻め込まれて敗走してる
六波羅探題の主力6万が援軍に向かってたが、これが到着する前に元軍は壊滅してるのよ
神風?
逃げようとしたら船があらかた沈められてご愁傷さまでしたwww
そりゃ高麗のボロ船じゃもたないわ
日本を攻めるように讒言して、対馬や壱岐で虐殺してイキってた高麗軍だけど残念だったね
日本が本気だしたら朝鮮が勝てるわけないでしょw >>121
意味が分からんな
防壁作って上陸を許さない戦闘力を発揮したのは日本軍だよな
モンゴル帝国に敗北した国々に城壁がなかったとでも?
日本の築いた防壁を長らく突破できなかったわけだが、その後突破できる見込み有った?
別働軍と合流すれば展開は変わるが、日本も膨大な援軍を差し向けてるからね? 歴史ヒストリアでもモンゴル軍の脅威に怯えた
日本は防塁を築き上げたと放送されてたよ。
ちなみに弘安の役で日本軍がやった作戦はウンコを投げることw
これで戦意を喪失させようとしたらしいw
これ事実だからなw
どんだけ日本軍が追い込まれてやけくそだったのかわかる。 モンゴル民族は1000万人くらいしかいない
そのうち半分は中国内に住んでいる 日本が水田多い上に道路インフラ脆弱なのも防衛上必要だったからかもしれんな。
去勢技術知ってても採用せんのもモンゴル侵攻が一因かもしれん >>9
南部ルーシに住んでいたロシア人は壊滅的になって、広大な荒野になった。
キエフの当たりはかつてはルーシの中心だったのに、今はウクライナ(辺境の意)なんてヘンテコな名前なのはそのため
今のロシアはモンゴルの進攻を一ミリも受けなかった北のノヴゴロドが源流
ノヴゴロド公アレクサンドル・ネフスキーが末息子をモスクワに封じ、モスクワ公国が成立
そのモスクワが回りのルーシどころか、源流のノヴゴロド、周囲のモンゴル、シベリア、東ヨーロッパなど次々と併呑しつくして出来たのが今のロシア >>135
だから補給路が間延びしないように
大軍が来るのを待って待機待ちしようとしたら台風が直撃
>>136
ファーストコンタクトの文永の役で勝負は決まるはずだった
台風のおかげで助けてもらったのが日本
弘安の役では博多に20キロの防塁を築き上げて
台風待ちの戦い方をしたのが日本な 閏7月5日、日本軍は伊万里湾海上の元軍に対して総攻撃を開始。元軍の軍船をほぼ殲滅したwww.
鷹島掃蕩戦
閏7月7日、日本軍は鷹島への総攻撃を開始。福田兼重・都甲惟親父子ら日本軍による鷹島総攻撃により10余万の元軍は壊滅し、日本軍は20,000?30,000人の元の兵士を捕虜としたwww >>130
戦争はスポーツじゃないからな
平地でお互いベストな状況で始めなきゃいけないとでも?
日本は水城まで敗退してたのに、そこを制圧しきる兵力まで用意できておらず、危険を冒して夜間に撤兵したのは日本が簡単に落とせないことを認識したからだろ >>58
イワン・グロズヌイがアストラハン・ハン国、カザン・ハン国、シビル・ハン国を次々に滅ぼしてから
500年間もモンゴル人はロシアの奴隷を続けてるんだよな
文字なんかモンゴル本国でもキリル文字を使わされてるし >>137
なんで文永の役忘れてんの?
そしてどっちでも致命的損害を与えたのが台風な
日本が勝ったわけではない なお現在のベトナム、インドネシア方面でも大敗北している模様 >>144
だから舐めプでわざと大軍が来るのを待ったんだよ
完全に日本は敗戦試合
台風のおかげ >>130
序盤苦戦したのは相手の戦闘スタイルを理解してなかったから
問答無用で集団で毒矢射かけられたらそりゃ苦戦もするでしょ
手の内知れてからはもう一方試合よw
モンゴルは最強というけど中身高麗軍だから、実態はもうおそ松そのものw >>126
その辺捕虜にして身代金払わせてたローマや欧州とは違う文化だな >>138
お前、城、鎧、防塁、塹壕、その他防御的な戦術は弱いからつけるってタイプ?
うんこを投げるのは欧州の大規模な攻城戦でも行われているな >>147
欧州でも1280年頃のかなり早い時期にリトアニアだかに負けてるんだよな
あまり有名じゃないけど ッティラを言語表記するとアキラと読むらしい 実に興味深い名前の響きである
モンゴルの最強説は馬のおかげ 圧勝するなら自分の好き勝手にできるという当たり前の話
生かす価値を見いだせなければそりゃ殺すわ >>146
君が土塁を築いた戦いを話してるから弘安の役の話をしたまで
自分の話したことくらい覚えてくれ
土塁築いたことを貶める意味も分からんな
守る側が掘りや防壁を築くことなんか基本だろ NHKの歴史ヒストリアでも日本武士はうんこを投げて
元寇に抵抗してたというのが放送されてたからな
博多に20キロの防塁を工事して作って
そのうえ誇り高い武士が下劣な手を準備してつかって
なりふり構わず戦った
モンゴル軍がいかに恐ろしかったのかわかるんだけどな
陸上決戦では絶対に勝つことは不可能だった もっと日本を馬鹿にするがいいよ
それに負けたモンゴル(笑) モンゴル帝国とかいうアジアの黒歴史
モンゴル好きの歴史ファンとか差別の対象だわ >>148
大軍が来るのを待ったってのは弘安の役の話? ルーシ諸国って、いわゆるルス族の国ってことだよね? >>142
文永の役では台風は来てません
日本の事に詳しくないようだが台風は冬には来ないのですよw
朝鮮人の戯言はもういいよw
いくら世界最強のモンゴル軍の威を借りたって、世界最弱の朝鮮兵が勝ち目などないw アッティラね
メソポタミア文明について言うとイラクのバグダッド陥落は、本当の最後の文明の終焉だったと言えるけど、あれをモンゴルのせいに出来ないんじゃないかなと
イラン高原を後背地とできなくてもメソポタミア地方がそれ自体で中心都市の後背地たりえた最後の都市がバグダット・・・セレウキアの建設でバビロンが急速に廃れる→
クテシフォンの建設でセレウキアが廃れる→バグダード建設でクテシフォンが廃れた→その流れの中で止めがモンゴル襲来だから リトアニア、ポーランドの配下に入ったルーシ人が
ロシアがリトアニア・ポーランドを併呑し、南ルーシを併呑したあとに
南ルーシの故地の荒野に移住して出来たのが今のウクライナ 実は現在のロシア人の98%にモンゴル人の遺伝子が混じっている。
ロシア娘が35歳を超えるとモンゴル人の血が色濃く出てくるので証明されている
右はどう見ても朝青龍
https://pbs.twimg.com/media/DYhonMGU8AE1l5o.jpg >>160
日本の守備防衛に日本の地に拠点作れずに海で震えて沈没したクソ雑魚やん >>149
バーカ。歴史ヒストリアでも紹介されてたが
日本の武士は名乗りを上げて一対一を挑んで首を取ろうとする
モンゴル軍の集団で一人を一気に襲う戦術に抵抗する力はない
日本軍は対等に戦っては勝ち目がないから海上で
弓矢で戦うぐらいしか戦果もろくに上げてない >>139
当時のモンゴル兵は全部合わせても17万程度と言われてる
それで世界中を暴れ回ったんだから凄いわな
必要以上に残虐さを喧伝して、体制を維持したって側面もあったでしょう U ・ω・) もしバトゥ率いるモンゴル遠征軍が
オゴタイ・ハーンの死を知ってモンゴルに引き返さずに、
そのままヨーロッパに攻め込んでたら……
今頃ヨーロッパは黄色人種と白色人種との混血だらけで、
世界は黄色人種の天下だったのにね。 >>164
ヴァイキングの一波なんだよなそれ
民族は完全にスラブなのに、頭目だけはヴァイキングの血を引いてる >>147
騎馬民族が南方のジャングルで勝てるとは到底思えない アッバース朝のバクダッドはモンゴルに屈するのだけど、「アラビア人は優秀」と判断したモンゴル人は中国支配にアラビア人を登用してるのね
モンゴル人>アラビア人>漢人>南人という序列 だから「タタールの軛(くびき)」ですな。
あの国が何かにつけて日本に言いがかりを付けてくるように、
ロシアにとってモンゴルに支配された歴史はトラウマになってまして、
とにかくモンゴル統治時代を悪い方向に誇張しがちなんですな。 >>170
だから序盤はそうやって手柄を争って個々で戦い、纏まりがなかったから付け込まれたんでしょw
で、後半はこれはまずいと体制を立て直した
何度も言うがその後は一方的な展開 >>175
つか、南越との戦いは海戦だしな
インドネシアにまで元が遠征したというのは初めて聞いた
どうせ嘘だろうけど >>160
> NHKの歴史ヒストリアでも日本武士はうんこを投げて
戦いの前には緊張からかなぜかトイレに行きたくなるらしいから、うんこは十分あっただろう。 元側の資料にも「日本に攻め入っても四方八方から大軍が襲ってくるし、大陸と違って援軍や補給がすぐ来ないから無理ゲー。そもそも攻め入っても得るものが少ないし」という感じの報告書が残ってるな。
島国の強み >>170
強かったのはファーストコンタクトだけだろ
せめて九州くらいとれよ
馬なしで京都ははるかな道のりだけどな() 奥州合戦 源氏 28万vs17万 奥州藤原氏
元寇・弘安の役 日本 25万vs15万 元 ←ショボッwww >>165
台風は11月も発生しますが?
昨年も3回発生してる。
幼稚園からやり直したら?
>公家の広橋兼仲の日記『勘仲記』によれば、乗船していた元軍が大風に遭う様子を伝聞として「賊船数万艘が海上に浮かんでいたが、
>俄かに逆風(南風)が吹き来たり、本国に吹き帰った」[202]と記している。
>元軍の遭遇した大風については『薩摩旧記』にも、「神風が荒れ吹き、異賊は命を失い、乗船が或いは海底に沈み、
>或いは浦に寄せられる」という記述がある[203]。また『歴代皇紀』では、10月20日に日本側の兵船300余艘が追撃したところ、
>沖合で漂流する元軍船200余艘を発見したことが記されており[11]、『安国論私抄』では、
>11月9日にユキノセという津に暴風雨により死んだと思しき元兵150人が漂着したという[19]。 日本の規模を把握してなかったんだろ
規模を把握していたら15万前後で攻めてこない
元寇の相手をしていたのも援軍前に決着が付いていたから九州の御家人の半分くらいらしいし >>175
ベトナムは別格だと思う
首都ハノイ占領されたら自ら国土焦土化しての兵糧攻めとか
モンゴルがマトモにみえるよもう・・・ >>147
モンゴル帝国は、ベトナムを支配して、そこを足係りにして、第三次日本征伐の準備をしていたらしいが、
ベトコンに船を全部燃やされて撤退した。
ベトナムが負けていたら、日本はやばかった >>184
欧州とかの攻城戦はもっとエグイで
疫病死した人間の死体を城内に投石機で投げ込むとかw まあ、古代から戦場になった敵地の都市での虐殺、略奪はよくあること 「南京大虐殺の人数が多い」と言う輩は、
セレウキアの建設でバビロンが急速に廃れる→クテシフォンの建設でセレウキアが廃れる→バグダード建設でクテシフォン→その流れでモンゴルのバクダッド包囲戦の結果、文明は終わる程の殲滅があった事は全く知らないだろう >>174
白人がインディアンインディオ大虐殺したというのは間違い
旧大陸の伝染病に免疫がなかったから大量死した >>159>>163
おれは初めから文永の役の話をしてるが?
>>169
簡単に上陸させて水城まで追い込まれたのに守備防衛とか大爆笑だな
>>179
防塁とうんこ投げつけ台風大作戦で一方的な展開w >>11
幕府から祈祷の依頼を受けた神社やら寺が、報酬を得るために後家人は効き目無しで俺らのお祈りで勝ったと言い出したためよ。 >>1
歴史を現代の感覚で取り扱うことは愚行とされる
まず歴史を知るにはそこから入る必要がある 元寇でモンゴル軍が成功するための条件はひとつ。
天皇や政府を敵視する日本人を味方につけること。
現代社会なら、反天皇を公言する日本人キリスト教徒に寝返り工作をしかけるだろう。 >>175
モンゴルが負けたのは海だな。
ベトナム湾岸にモンゴルの大船団を浮かべて攻撃の準備をしていたら、
闇に紛れてベトコンが海から畝に乗り込んですべての船に火をつけた
で、殆どの船が沈んでモンゴルは大敗した。 モンゴル軍はまったく見せ場無しwww
よわっちいザコwww >>171
当時の世界人口は4億人程度で、そのうち2億人以上がアジア人
ヨーロッパは全部足しても7千万程度と考えられている
しかもほとんどが農民か狩猟民か遊牧民で近代兵役もないし傭兵の比率も圧倒的に少ない
中国の三国時代の戦乱規模が異常なので錯覚しがちだが当時の軍の規模を考えたら17万でも相当な数だったと思われ >>186
防塁築いたのに上陸されたのが弘安の役な
文永以外でも弱かったのが日本軍 >>188
それ台風じゃないだろ
撤退中に暴風雨に巻き込まれて大損害受けたのは知ってるよw >>198
文永の役の話してるのになんで土塁築いた日本弱いって話をしてるんだ? >>160
>>NHKの歴史ヒストリアでも日本武士はうんこを投げて
>>元寇に抵抗してたというのが放送されてたからな
U ・ω・) 今のNHKは番組作ってるのが朝鮮人ばっかりで、
事実をねじ曲げたり極端な誇張をして日本を貶す事に血道をあげてるヤツらばかりだから、
NHKの番組は信じない方がいいよ。 >>193
> 疫病死した人間の死体を城内に投石機で投げ込むとかw
疫病の原因が病死体に含まれていると想像する程度には衛生観念があったのかな。
病原菌の存在までは知らなくても。 >>207
台風じゃない暴風雨って何?(笑)
冬だから台風が発生しないとか無知晒して
涙目の言い訳笑ったわ そういえばオリ・カーンて昔ドイツ代表のゴールキーはパーハーンの血統入ってる、なにしろ地球で一番多い血らしい >>198
あと文永の役で大軍が来る予定なんか無いだろ
もう矢も尽きるし、日本広いし、日本軍どんどん来るし、将もやられたし帰ろうって帰ってるのになんで大軍来るの待ってただけって話になってるんだ? >>142
>>188でWIKI引っ張ってきてるっぽいけど
なんで、元の撤退理由全部無視してるのw >>208
文永の役でフルボッコされて
弘安の役で20キロの防塁築いて
台風頼り戦術したのが激弱日本
しかもうんこ投げつけの準備までしたw >>196
インディアン戦争でググれ。アメリカはモンゴル軍並みに皆殺しをしている。
アメリカがモンゴルに親近感を抱くのは大量殺戮の成功体験があるからだろう。 モンゴル軍は動員できる兵力が少ない上に、
100騎200騎にボコられるほど弱いwww アフガニスタンにはハザラ族という少数民族がいるんだが、モンゴル系風貌で差別されてる
アフガニスタンではイスラム教スンニ派が多数を占めていて、ハザラ族がイスラム教シーア派
アフガニスタンのバーミヤンはチンギス・ハーンによる侵略とタリバンによるハザラ族虐殺が行われた場所でもある >>210
病気の人間から病気がうつる事は当然知っていた
病気じゃなくても死体をさっさと処理しないなら病気が広がることも知っている
戦争は病気との戦いでもあるからね >>205
だから弘安の役では船にくぎ付けで立ち往生してただけだって >>203
ヨーロッパ人にとってはモンゴルは今でも潜在意識に残っている恐怖だよ。
スタートレックのクリンゴン星人は、モンゴル人をイメージして作られたのは有名な話 ジンギスカンは源頼朝だろ
じゃあ日本の血がそうさせたとか
いや、待てよ過去に読んだ本で朝鮮半島人のルーツは
モンゴルのアルタイ地方らしい
DNA調査でわかるらしい
ってことはチョンの血がそうさせたとか 話し合おうにも威圧しようにも
国家元首は誰だよ〜って悩むよな日本は アメリカが没落してきたらモンゴルと同じ境遇を味わうことになるだろう。世界帝国の宿業。
イラン人は、よくわかっている。 >>201
マスメディアがなく、工作員に日本語教育もできない当時にそんな事は不可能
だが、現代は十分なる注意を要す もともと寛大で友好的な性格の民族だったが
タタールの軛によって性格が捻くれてしまったという >>220
それは賢かったかもね。
日本では平安時代くらいまで神様に願掛けすれば病気が防げるくらいに考えられていたでしょ。
それで疫病の蔓延が防げなかったという。 >>192
無理だよ
蒸気船以上の輸送手段がないと日本占領はふかの >>180
インドネシアにまで元が遠征したというのは初めて聞いた
どうせ嘘だろうけど
おまえが知らんだけやで >>224
>ジンギスカンは源頼朝だろ
そういうアホなこと言うのは、韓国人と同じだぞw
年齢からして違いすぎる
あと、今の韓国人はモンゴルの血が相当入っている
国のすべてを支配されて、男は虐殺女は強姦されてモンゴルの子供を産まさせられた。
だから朝鮮人のルーツと言うより、モンゴル支配の時代で
過去の朝鮮人のルーツは消えたと言ってもいい。 >>217
ググったが長過ぎる
いったい何万人殺したというのだ
先住民の死亡者の95%は疫病によるものだ (銃・病原菌・鉄)
そもそもモンゴルの侵攻は蛮族が文明国を侵攻したのだ
イギリスのアメリカ侵攻は逆だ
同じであるとは考えられない >>211
調べたら11月でも台風来ることあるみたいね
それは悪かった
たださ、文永の役の時に台風が来たって根拠は何?
暴風雨の件だって高麗の記録にしかないようじゃんw
それにしたって撤退中に巻き込まれただけだし、戦闘とは一切関係ない >>82
モンゴル人じゃなくて
やってきたのは高麗軍だぜ
民間人を襲わせたら世界一の虐殺力を誇る
自称「精鋭」 >>216
君それしか言わないね
文永で日本軍を水城まで追い込んだのは事実でも、そこに到るまでに元軍にも被害を多く出し、戦術物資も多く使い継戦能力に不安を来したのも一方で事実
わざわざ船に戻ったのも、危険を冒して夜間に撤兵したのも余裕の無さの証拠
君の言うようななめぷじゃない
あと文永で元軍が大軍を待っていたってのは何の話だ 糞尿を用いた戦いは楠木正成もやってるし割とオーソドックス。更には疫病死した家畜の死体を元の船に投げ込むバイオテロやってるからなw ユーラシア大陸完全制覇で交易路完全掌握
最強すぎるわ欧州ザッコザッコ ヨーロッパや中東ではモンゴル系の末裔でも東洋人っぽくない人は差別されないが、東洋人っぽい人が差別されてるんだよな
巨大なモンゴル帝国をあれだけ築いたのにモンゴル系の風貌であるハザラ人が差別されてるんだから >>230
途中の対馬は完全支配されたぞ。
男は手の平に穴を開けて繋がれて、女は全員強姦された
ちろん強姦役は、モンゴル帝国にへりくだった朝鮮人だけどなw >>238
モンゴル人は家畜の疫病には強そうな気がする 1275年(建治元年・至元12年)2月、クビライは杜世忠を正使派遣した
執権・北条時宗は使節団を鎌倉に連行すると、龍ノ口刑場において、杜世忠以下5名を斬首に処した。
同年6月、日本側は周福らが手渡した牒状が前回と同様、日本への服属要求であることを確認すると、博多において周福ら使節団一行を斬首に処した。 日本が支配されたら天皇家はどうなっていただろう
存在できなかったか? >>134
伝説ってことはその前にも来てるかもって事だよな
文字がまだ無いから歴史に残ってないだけで >>213
嘘つくなゴミ
大軍が車のを待つために待機してた
>>213
少数の軍でも余裕でボコボコにしてたが追い込み過ぎると
兵法の定石では厳しいだろうと会議をしてた
>クドゥン「孫子の兵法に『小敵の堅は、大敵の擒なり』[192]とあって、少数の兵が力量を顧みずに頑強に戦っても、
>多数の兵力の前には結局捕虜にしかならないものである。
>疲弊した兵士を用い、日増しに増える敵軍と相対させるのは、完璧な策とは言えない。撤退すべきである」[174][190]
> このような議論があり、また左副都元帥・劉復亨が戦闘で負傷したこともあって、軍は撤退することになったという[174]。
> 当時の艦船では、博多-高麗間の北上は南風の晴れた昼でなければ危険であり、
> この季節では天気待ちで1か月掛かることもあった(朝鮮通信使の頃でも夜間の玄界灘渡海は避けていた)。
> このような条件の下、元軍は夜間の撤退を強行し海上で暴風雨に遭遇したため、
> 多くの軍船が崖に接触して沈没し、高麗軍左軍使・金?が溺死するなど多くの被害を出した[174]。 >>240
破壊は一瞬
建設には長い時間がかかる
ジンギスカンは人類に対する罪を犯した >>235
台風じゃなくてもいいよ
自然災害のおかげで勝てただけ
ゴミなのが日本 >>249
チンギスハンが征服した地域など、大部分が草原なんだから、
馬が牧草を食べ尽くしたところで、また生えてくるだろうよ ミャンマーのパガンにあった王朝が滅んだのはモンゴルのせいじゃなかったか?
記憶違いか 日本軍が動員できる兵力45万以上
モンゴル軍17万www
しかも100騎200騎に数万のモンゴル軍敗退www
モンゴル弱すぎwww >>250
モンゴル人のクソのついたケツをナメてた高麗人の末裔の方ですか? 弘安の役で元軍が海上駐留してたってのは戦術的にいい方法なのか?
夜襲を恐れたって言うが夜襲食らってるじゃん 第二元寇の敗残兵の多くが琉球に上陸したが戦いは無かったと中国の歴史書に記録されてる
元兵の殆どは福建出身で負け戦帰還でモンゴル人の懲罰回避や厭戦気分での琉球上陸
だったかも言語も意思疎通できる人いただろうし、その時代に建設されてたりされた世界遺産
の中城城今帰仁城勝連城。中国高麗東南アジアが住み着き現在の沖縄人 >>250
>自然災害のおかげで勝てただけ
だからどんな自然災害だよw
撤退中に巻き込まれたって、それは敗因にならんぞ!
敗因は朝鮮人が弱すぎたことだw
事実はちゃんと受け止めようぜ >>250
日本が勝てたのは複合要因
日本軍が想定以上に海岸で粘ったおかげで
神風が間に合った。
日本兵がもっと早く負けていたら、上陸されて終わりだったし、
神風が遅くて持久戦になったら日本軍はやばかった。 >>168
確か韓国男の遺伝子の1/4はモンゴル由来とか
どこかで見たw 元に九州くらいまで占領され、和平に至っていたほうが日本のためにはよかったかも
当時の世界最強の元を破った遺伝子が悪さをして、アメリカに喧嘩打って逆にフルボッコに
されることもなかったかもw >>253
パガンに限ったことじゃないが、大なり小なりモンゴルの影響を受けて滅んだり、逆に下剋上を果たしたりした王朝はある >>237
いや簡単に1万数千人だけで打ち破ったが
それだけで侵攻するのは兵法の定石ではないからなんだが?
超少人数に攻め込まれてる現実理解してる?
その人数だけで日本全土を攻めるのは無理があるよね?
一時的に船に帰還するのは当たり前のこと。 モンゴル帝国は、キリスト教やイスラム教の教義に囚われた地中海世界の人々に世俗主義と啓蒙主義を広める文明国だった。 >>229
ペストが感染者を中心に広がるのは分かるからね
ただ何を経由するのか分からなかった
いずれにしてもペスト感染した死体が降ってきて巻き散らされたのは明らかにヤバいことは分かってた バトゥの軍は他とは比較にならない大きな悲劇をもたらした
しかしたぶんロシアの歴史の場合被害はこんな感じだろう
1 スターリン (ww2、大粛清、ホロドモル、ジェノサイド)
2 レーニン (革命と内戦)
3 ヒトラー (ww2)
4 ナポレオン(革命戦争)
5 バトゥかティムール(遠征)(サライ破壊) 元寇前後の朝鮮半島は、王族が島に引きこもっちゃって全土がヒャッハー状態になるわ、降伏した後は完全な属国で船や兵員用意させられるわ、南宋兵のための嫁を用意させられるわで結構悲惨。
そして高麗の後朝鮮を支配した李氏は女真系 >>261
1/4どころか、朝鮮半島は国を完全支配されていたからなあ・・・
その間、女は全員強姦されているし・・・ >>229
日本は庶民レベルならば幕末までほとんど医学知識はなかった
疱瘡神は赤色を嫌うというので、天然痘がはやると病人に赤い着物を着せたり、
戸口に赤いお札を貼ったり、
「お染風邪」という名のインフルエンザがはやると、(伝染するので「お染」)
歌舞伎芝居のお染の彼氏の「久松」から、戸口に「久松は留守(だからお染は来るな)」と書いた紙を貼ったり
英国からオランダ経由で種痘が日本にも来て幕府が種痘を接種させる政策をとっても、「牛になる」と怖がって接種を避けた結果、
あばた顔の人が大勢いた
これ全部幕末の江戸の庶民
「 >>263
アジアは大恐慌港に陥ったかもしれない
支配されれば貿易などで安定した地域になったんだろうが >>257
こと夜襲に関するリスクで言えば、上陸するより水上のほうがマシになる
上陸してしまうと、ただちに夜襲を食らうわけだが、
水上であれば、夜襲をかける側も小舟で繰り出す必要があるから、そこまで大規模なものはできない >>248
自分で引用したテキストが理解できないの?
そこ以外にもいっぱい書いてあるけど >>80
つまり拠点も築けず、補給もできず、奇襲も怖くて、海上泊ですかw
馬鹿すぎw >>252
文字もなかったけどな
占領地に教えてもらった >>269
モンゴルは支配した地の女を積極的に襲って混血作りに熱心だったとか
災難だな >>242
日本本土と離島は別だろ
結局、壱岐島の戦いで逃亡してるから維持出来てないし >>201
内輪でもめてるくせにやっぱ侍の頭目は源氏じゃなくっちゃねって
やたらとこだわる人たちをほいほいと味方にできるとは思えないぞw >>270
その代わりに古代から
宗教的理由からも衛生観念の発達した民族だったから
こんな狭い島国で欧州の黒死病のような破滅的パンデミックは起きなかったのよ その野蛮モンゴル人をして「奴らは人の心が無い」と言わしめた超絶鬼畜の鎌倉武士wwww 日本軍は宋を助けるために派兵する計画もあった。
負けるなんてとんでもないwww 持久戦になっても日本軍が勝った。むしろモンゴル軍が勝つ要素がない。
瀬戸内海を制圧するには、地理に精通した日本人の手引きが必要。 >>255
そう、日本を制圧するには兵力が少なすぎるんだよ
とすると武力を見せつけ属国化するのが目的なのかとも思える
でもなぁ高麗軍兵士は農具持ってきてるし
上層部の考えとは別に兵士には夢を見させるようなことを言って動員したか? >>274
たったの1万数千人でまさか日本全土を攻め落とせると思ってる?
大名同士の戦でも三万とか四万は当たり前
関が原とか10万〜7万の軍勢同士の戦い
様子見の侵攻だけで一気に上陸できて蹴散らせたから船に戻っただけ
そこで台風食らって沈没した >>276
モンゴルの伝統なんだけど、女は子供を生む道具なので
モンゴル人同士でも、女を誘拐して嫁にしていた。
ジンギスカーンの母親も元々は別の男の妻だったのに、誘拐されて盗賊の嫁にさせられて、ジンギスカーンを産んだ。 モンゴルは日蓮宗の信者を味方につければ、幕府や天皇を倒して日本で敗北革命を達成できたかもしれない。 元寇の鎌倉武士団打線
1(中) 壱岐対馬は最初から見殺して相手の戦法を見極めてた
2(二) 既に出兵5か月前に出兵の時期を想定し鎌倉武士団を大宰府に展開してた
3(一) 相手が人質を楯にして攻めてきても関係なく矢を射かけまくってた
4(三) 2度目は30キロの防塁を沿岸に、20キロの空堀を博多の南に、10キロの水堀を大宰府に築いていた
5(遊) 博多が略奪されてるのは目に見えてるので、敵が来る三日前に博多を略奪しつくしてた(鎌倉武士団が)
6(右) 2度目の時はモンゴルに倣って人質を楯にして攻撃してた
7(左) てつはうにあんまり動じずそのまんま徒歩で戦ってた
8(捕) 2度目の時は夜襲しまくって眠らせなかっただけじゃなく相手の船に牛馬の腐乱死体を積極的に投げ入れてた
9(投) 元軍が壊滅した後、取り残された元軍の内、宋人は助命したが高麗人、モンゴル人は負傷者も女性も含めて皆殺しにしてた >>257
鎌倉武士団がきちがい過ぎて上陸出来なかったんだよwwwwwwww
家畜の腐乱死体を元の船に投げ入れて細菌兵器で攻めたんだよ 略奪民族に破壊されまくった地域は、その後何百年経っても文化や民度の低下からなかなか回復できないと言われている
モンゴルに支配された地域は大体それに当てはまるから多分事実なんだろう >>281
神風の後漂着したモンゴル軍の内宋人だけは保護してるからね
モンゴル人高麗人は処理 >>284
九州の地侍と戦ってホルホルしてたの?
せめて鎌倉本隊が到着するまで持たせろよww >>288
死体やウンコ投げ込みは
古代中国や欧州中世の戦闘でも普通にやってる
籠城戦に対する常套手段だよ 日頃から天皇や神仏をないがしろにする発言をしている日本人を寝返らせれば、モンゴル軍は勝てただろう。
現代なら、韓国人はキリスト教のつながりを利用できる。あいちトリエンナーレの人脈は重要。 >>276
血を混ぜられた地域が
現代になって法を理解出来ない国々と被るのが面白い >>287
「威嚇のため討ち取った武将の首を晒しものにしたら、日本軍がそこめがけて突進してくるから大損害を受けた」ってのも追加で >>290
宋人は利用価値があるけど、モンゴル人と高麗人は利用価値無いからなあw >>264
一万数千人って元軍の喪失した人数だろ
3、4万で攻めてきてるわ
あと別に少数じゃない 当時としてなかなかの兵力だから
少なくともそれくらいの人数で他国を攻め落としてるぞモンゴルは
その日のうちに帰らなきゃいけなかったわけじゃないのは、元軍の中での戦略会議から明らか
彼らは明らかに自分たちが決して優位な訳じゃないと認識して引き揚げている
それは彼らの弱さじゃなく現実的で冷静な判断だがね
あと早く文永の役で大軍来るのを海上でなめぷしながら待ってたってのをソース付きで答えてごらんよ 文永の役でフルボッコされて
上陸させたらマジでヤバいと
博多に20キロの防塁を築いたのが日本
蒙古襲来と今でも語り継がれ
神風の由来が生まれるほど
恐れられたのがモンゴル帝国
風のおかげで勝てたのに
日本つええとか言ってる阿保に大爆笑
元寇に関しては史跡めぐりもして
関連書籍読み漁って番組も
歴史ヒストリア始め観まくりで
お前らより2000倍知識あります。 >>266
14世紀のボッカチオの「デカメロン」の話は、ペストの流行に対して、神に祈るというよりは、人の少ない
郊外に疎開する男女のエピソードからはじまってるから、それはある種の衛生観念なんだろうね。 >>295
ロシア、韓国、北朝鮮、中国でも満州の地域は、みんなメンタル似ているからなw >>299
でも、自分が張ったテキストの内容は理解できないんですね チンギス・ハーンの末裔と言われていても見た目はヨーロッパ化、中東化していたらパッと見じゃ分からない
アフガニスタンにいるハザラ人はチンギス・ハーンの末裔とも言われていて見た目は中東化してない。あんな何百年も前からアフガンにいるのに
古い時代に帝室と通婚関係にあった上旧貴族の中にはチンギス・ハーン家の末裔のモンゴル系貴族も少なくない >>284
元軍の斥候が、瀬戸内海を東進したらしいけど、どこまで行ったんだろ。 >>298
はい
日本を制圧するのは1万5000人のヌルゲーでした
> 『元史』世祖本紀では文永の役の元軍の軍容について「鳳州経略使・ヒンドゥ(忻都)、高麗軍民総管・洪茶丘等の将が
> 屯田軍及び女直軍(女真族の軍)、并びに水軍、
> 合せて15,000人、戦船大小合せて900艘をもって日本を征す」[13]と記している。 >>299
なんのためにそんな知識を蓄えてるの?
その筆頭がヒストリアというのもお笑いだが
いまさら何の意味があるの?
わからんわ
日本にマウントとりたいモンゴル人以外考えられない >>308
元寇は日本存続のターニングポイントだから
台風なければ今頃日本人は存在してないだろうな >>303
なにせこのモンゴル軍、実態は降伏した高麗軍だったから。 あいちトリエンナーレの人脈は重要。破壊工作の先兵を担ってくれる。 もう二度とモンゴル帝国が栄える事は無いだろうが念のためモンゴル人は皆殺し
しておいた方が人類の為になりそう。 ロシアは有名だけど、ロシア正教に改宗し白人化したモンゴル帝国出身の貴族がいてロシア帝国時代も貴族として生き延びたチンギス・ハーンの末裔がいた
ミハイル・クトゥーゾフもフェリックス・ユスポフも実はモンゴル貴族の末裔
ソ連大統領のレーニンも俳優のユルブリンナーもモンゴル系混血
俳優のチャールズ・ブロンソンはリトアニアのテュルク系タタール混血 チンギス・ハーンも壮絶な育ち方をしているからあれだけ残虐になれたんだよな
自分の母親は、別の男の妻だったけど今の父親に誘拐されて自分を産んだ。
父親は相変わらずあちこちから女を誘拐して子供作りまくり
生意気な腹違いの弟が自分の地位を奪おうとしたから殺しました・・なにか ?
そんな人生 >>260
長期戦になったらモンゴルのほうがヤバイ
元々騎兵の強さで世界展開したモンゴルに歩兵同士の日本刀相手の白兵戦は不向きだったろうし
夷狄相手となれば日本側は結束するし現地住民の協力は皆無
海を越えてこの数の兵に対する補給線を引く事も無理だったろういずれ矢は尽きる
略奪するにしても占領地を広げられなければ食料もいずれ尽きる
地図もないし言葉も通じないからどっちに進撃したらいいかすらわからない
仮に神風がなかったとしても最初のショックで日本側が降伏しないかぎり無理だったと思う 根本的な問題として日本を制圧するのは当時の軍事技術じゃ絶対に無理
秀吉が九州制圧に20万の軍勢を動員した
日本に大軍を送り込む方法が無い 元寇の主体は高麗とか女真とかの異民族だけど(2回目は南宋も)、指揮系統にはモンゴル人もいたらしい
モンゴル人は戦地に家族を連れて行くから、捕虜になった妻なんてのもいた そしてロシア人は満州と北方領土で日本人を虐殺しましたとさ。 高麗は元相手にボコボコに叩かれては時機を見てしたたかに奪いかえして
また怒られちゃしてて相当粘ってたんで
別に卑下することはないと思うけどな
今の泣き虫アイゴーアイゴーと同じ民族なのか? あれ抵抗するやつは皆殺しで従順なのには土地を任せてドンドン侵略していったんじゃなかったっけ? 三別抄の乱で済州島、珍島を攻略するのでさえ3年かかってるからな
モンゴル軍は渡海しての戦いは苦手なんじゃないの
当時の船じゃたくさんの馬は連れてこれないから得意の騎馬戦はできないし
馬があったとしても日本の地形じゃ草原でやるような戦闘はできないだろうし
ベトナムやアフガニスタンでは陸戦でも敗退してるね
モンゴル軍は決して無敵ではない ロシアから離れてEUに接近しようとしているウクライナやバルト三国は、モンゴル帝国の支配を受けていないという共通点がある。 戦争で虐殺と略奪は正義だったのだ。
処女だけ生かして連れ帰る。
モーゼもそう言っとる。 >文永の役は征服を目的とした侵攻では無く、威力偵察ではなかったかとの説もある[431]。
>モンゴル帝国の軍事行動では、事前に兵力100?10,000規模での威力偵察を数度行った後、本格的な侵攻を行うことがある。
>例えば、モンゴル帝国の外交交渉では、チンギス・カンからオゴデイの時代に掛けて行われた金王朝侵攻では、
>数度にわたり「軍事行動に先立ち、あるいは並行して使節を派遣し服属を呼び掛けていたことが知られており、
>侵攻した地域で掠奪や交戦は行われたものの、領土征服をせずに軍が撤退する場合もあった[432]。
ただの偵察の少数部隊で水城まで追い込んだのがモンゴル帝国
これで撤退したのを日本が追い返したとか言ってる馬鹿wwwwwwwwwwwwwwwwwwww
だから無知は黙ってろって言ってるんだよwwwwwwwwwww 日本軍は世界最大の長弓を騎乗でも船上でも使用できるように訓練されていた為、
騎乗で短弓のモンゴル軍を圧倒できた。 高麗が元のパシリやってたという理由だけで
モンゴル帝国の肩をもってるアホな雑魚がいるようだ
考えて見るとずっとパシリなんだよな朝鮮半島の朝鮮人
なんとか自主独立をやろうとしてるのは南よりも北の方なのが…
まあ北は北でファンタジー社会主義のオウム真理教みたいなわけだが >>321
海を渡るのだけでも大変だからな
エンジンもないし、木造船で外海を渡るのは想像以上に大変
そういう意味では陸でモンゴルに勝っているハルジーやバイバルスの方がすごいかもね ハザラ人というのは13世紀に侵入したモンゴル帝国の末裔なんだよね
チャールズ・ブロンソンのルーツって、モンゴル帝国の征西の時にヨーロッパに土着したリトアニアのリプカ・タタール人というけど、それでキャリアの初期はメキシコ人役をやらされた、ってえらいアバウトだな
メキシコ人っぽい雰囲気があったのは分かるけど 元寇の主役は高麗兵と江南兵
二流の軍隊
我々日本人はまだ蒙古兵の怖ろしさを知らない
ででんででんでん >>315
日本の歩兵とかゴミ
名乗り上げる一対一対決しかやってない日本が勝てるわけがない
モンゴル軍は集団でボコボコにする
しかも砲弾とか日本が持ってない武器も多くモンゴル軍は所有してた
勝ち目ゼロです、これは研究しておれは間違いなく断言する >>250
あの季節に長期間海上に留まる事自体が作戦ミスなんだが。 >>307
各種資料の中で一番少ない人数のを拾ったのかい
ほかの資料なら3〜4万で大抵その人数を採用してるけどね
んで、文永の役でなめぷしながら大軍待ってたって話はどこ行ったの? >>38
凶暴な遺伝子は外に広がり
中国、ロシアに強く残ってる >>332
水のないところに陣取って、水があれば勝てたというくらいに間抜けだよねw 1万数千人のモンゴル軍(偵察部隊)に
水城まで敗走したのが日本軍
そのときの恐ろしさから20万キロの防塁を博多に築き上げたw
今でも蒙古襲来、神風と語り継がれるw >>332
ミスというかそういう結果になっただけで、そうさせたのは日本軍だよね 侵略されたロシアの女性たちの事を思うと夜も寝られません。 >>330
元側の記録に騎兵は結束しと書いてある
日本の記録でも絵で密集しているのが残っているので間違いない >>324
威力偵察は追い返すもんだぞ
航空機のスクランブル警戒とかあるだろ >>330
じゃあなんでろくに上陸もできなかったの? タタールの影響度合い(N)
タタール人 N:33.0% R1a:24.1%
ロシア人 R1a:46.7% N:18.0%
ベラルーシ人 R1a:51.0% N:9.5%
ウクライナ人 R1a:43.2% N:5.4%
ポーランド人 R1a:57.0% N:3.7% 白鵬とか朝青龍みたいなのが鎧着て馬に乗って
向かって来たら恐怖で気絶する自信があるわ >>330
負けたくせにクドクド言い訳みっともないわ >>333
ああ、クソ無知おつかれ
兵隊や艦隊の人数なんかはその当事国が一番精密なのは
史学に精通してれば常識
元史が一番忠実というのが元寇を研究してる人にとっては当たり前 ウクライナ人「ロシア人の顔を見てごらん。スラブを裏切ってタタール側についた証拠だ」 ハザラ人はアフガンだけでなくパキスタンでも激しい差別と殺戮の嵐に晒されていることもあまり知られていない
ハザラ人の外見的特徴が東洋人であるために差別を受け、虐殺された歴史もある
ハザラ人の中には見た目が中東化していて見分けつかない人もたまにいるけど、13世紀の頃にモンゴルからアフガンへ侵入して8世紀も経ってるのにモンゴル系風貌もそれなりに多いから、あまり中東化してないとも言える 今の世界で一番多くの子孫を残してるのが
チンギスハンだったよね >>338
>>341
>>342
文永の役で簡単に上陸して水城まで
ヘタレ日本人はヒャッハーで追い込まれてる件
>>340
実施国ではない記録は当てにならん
日本側は一騎打ちをしてたと書いてる なんだディベートクズが久々に現れてんのか
以前はよく出没したもんだが >>330
モンゴル軍の記録では日本の武士の戦法について
「騎兵は結束す」とあるけどね
源平でも集団戦をやっていて名乗りを上げる一対一対決だけではない 大陸の戦争ってとにかく虐殺だよね
十字軍のはもっと酷いけど >>351
じゃあなんで文永の役で制圧されなかったの?
朝鮮とか制圧されてるじゃん 白鵬や朝青龍は体が大きすぎるので、馬がすぐに疲れてしまう。
前線に派遣されるよりも貴人の護衛任務になるだろう。 >>351
釣りだと思うけど日本と元の記録が一致してるのに? >>300
そのエピソードは知らなかったな
ありがとう
キリスト教国の衛生観念にどれほど反映されたかは微妙なとこだけど、旧約聖書で紀元前1500年くらいの時点ですでに伝染病患者の隔離や糞便の処理、死体の処理やそれに関わった者の一定期間の隔離は指示されているね >>330
もし日本兵がゴミだったなら仮に嵐が来てもモンゴルは勝っていた
陸に兵を上げればいいだけだもの
砲弾があっても補給が途絶しているからいずれなくなる
おそらく船にこだわったのはそこに物資があったから
だがそれもいずれなくなる
そして馬も持ってないから輜重部隊も貧弱、もしくは皆無
いずれ内陸深くに侵攻するのは指揮官が牟田口でも不可能だったと思われる
当時の技術では海を越えるだけで精一杯だったんだと思う >>270
幕末のころになると、日本と欧州の医学知識の差はけっこう開いていたと思う。
欧州の医学は19世紀に入ってから加速度的に進歩していくからね。すでに幕末のころには、古いものとして
忘れられつつある近代以前の医療の治療法を収集しておいて、近代医療のための何かのヒントとして使える
ようにしておこうという序文が書かれた本が出版されてる(Osiander, Volksarzneimittel …, 1865年)。 >>346
それ軍勢の人数じゃなく、純粋な兵士の人数では? >>351
日本側では一騎打ちをしたなんて書いてないぞ
当時武士は戦において自分のあげた手柄を幕府に申請し記録された
それを読むとその武士が一人で戦ったように読めるってだけ
当時の武士は集団戦で戦った
源平も太平記の時代も >>346
あと文永の役の大軍の話はいつしてくれるんだ? >>351
「てつはう」を砲弾とか書いてるようでは知識が知れてる >>360
なるほど、聖書にそう書いてあるならペストによる疎開は宗教から生じた行為という可能性も検討してみないといけないね。 >>346
途中まで、歴史ヒストリアをソースにしてたのに。
いつの間にか私学に精通とか……・
君 かっこわるいよ 遊牧民が現地人と何世代にも渡って混血し同化していたら見た目じゃ遊牧民なのか全く分からない
あまり同化してないモンゴル系は日本人、中国人、韓国人っぽい見た目だよ ち、オゴデイが死ななければ西ヨーロッパまで蹂躙できたのにな >>346
>元史が一番忠実というのが元寇を研究してる人にとっては当たり前
対馬で捕らえられた者が手に穴を開けられて船壁に並べられたというのは日本側の古文書の記録だけどな
しかもそれは男じゃなくて女で君は間違っているんだけどね アメリカでも、あまり混血してないインディアンや純粋的なインディアンは、やっぱり日本人とか中韓っぽい見た目
ビル・クリントンとかジョニー・デップも実はインディアンの混血
だからインディアンの混血の場合、蒙古斑が出ることもあるし、蒙古斑はモンゴルハンとも呼ばれる けれど、それはたとえようもない一枚の絵のようでした! >>369
ペストは単に経験則のような気はするんだけどもね モンゴロイドは北東アジアで出現したのではない。
北東アジアで寒冷地に適応したという学説は古い。
アフリカを出た時すでにモンゴロイドの特徴を持っていたアフリカ人が東方世界に広まったに過ぎない。 ヨーロッパでは言語の違いからフィンランド人=モンゴル系とからかうことがあるが、それは違う
フィン族がシベリアからスカンジナビアへ移動した時期はモンゴル帝国侵攻のはるか以前だからだ
フィン語、ハンガリー語、日本語が、「たまたま」世界から孤立しているのだ 世界で子孫が一番多いのはチンギスハンのようだが、日本はあまり関係なさそう
逆に中国北部や朝鮮ロシアあたりは多いんだろう 身長は銃火器以前の戦争ではどれくらい影響があったのか
現代除いて1番身長高かったのは鎌倉時代
フィジカル的には日露戦争、太平洋戦争の日本人よりも上
騎馬を使えない白兵戦になれば日本軍はモンゴル側より強そう >>270
そりゃ最初はそうなるのは当たり前
ジェンナーだって最初は批判された。 モンゴロイド・アフリカ誕生説は、故ネルソン・マンデラの東洋人顔っぷりを説明するのに適している。
人間の肌の色は環境に合わせて白くなったり黒くなったりするが、瞼や鼻の形はすぐには変わらない。 >>4
ジャップが一番ひどい
アジアで3000万人以上殺してる
殺しすぎてて戦後公文書をみんな焼いた
人体実験や毒ガス実験でもめっちゃ殺してるから
東京でも人体実験してて骨がわんさかでてきてるぞ ID:YXwEACLi0
なんか、モンゴル人の子孫の人がいるね
ウンコを食べるけど 皆殺しは遊牧民族はどこもやってる
そういうものなんだろ >>390
もっと少なければ公文書を焼いたりしてない
公文書やいてるジャップは言い訳できないよ ヨーロッパで日本人と同じモンゴル系の人種はハンガリー人とフィンランド人のみ、と言われてきたが、最近は覆された説のようです
根拠は、言語でしたがそれでは弱いと
フランスのサルコジはハンガリー系だけど全然、モンゴル系の風貌じゃない
ほぼ西洋人顔だが、ときどきモンゴル系風貌かハーフっぽい顔という程度 モンゴルてほとんどの韓国人の先祖ですか?
ある時はシナの属国、ある時はモンゴルの血を導入 >>389
戦争の時代にあってアジアで唯一人口が倍に増えた地域がある
朝鮮半島だよw ブリテン島に到達した最初の人類の肌は黒かったという新しい論文が出ている。
肌の色は環境に適応しやすいらしい。 >>353
>>359
>>364
はい、クソ無知乙
実施国の日本サイドから一騎打ち戦法をしてたと書かれてるよまぬけ
> 『八幡愚童訓』に記されているように、多くの書籍で元軍の集団戦法の前に一騎討ち戦法を用いる日本軍は敗退したと書かれている。 >>394
史料も証言もなきゃ歴史学にはならんよ。君がいうのはプロパガンダでしかない。 >>380
欧州人はインドの麻を知るまで夏でも毛皮のパンツを洗わず履くので蚤が蔓延するて聞いたなw >>361
だから本当に日本兵が強かったなら
防塁20キロで絶対に上陸させない作戦なんて実施しない
うんこ投げつけ作戦のような外道戦法の準備もしない
これに反論してみろやヘタレ >>367
てつほうを鉄砲と思ってるクソ無知バカ乙
歴史ヒストリア観てれば砲弾だとわかるんだがなあ〜 >>371
> 途中まで、歴史ヒストリアをソースにしてたのに。
> いつの間にか私学に精通とか……・
ヒストリア“のみ”をソースにしてませんが?
哀れっすねお前
あえて君じゃなくてお前って言わせてもらうよ >>401
結構残ってる
写真も
ただ、海外のサイトが多い
日本では隠蔽されてるからな
Japanese war crimes
https://en.wikipedia.org/wiki/Japanese_war_crimes ダンサーインザダークで有名になったアイスランドのビョークはモンゴル系風貌
ビョークも若い頃、日本人っぽいしてると、よく周囲から言われたと述べてたからモンゴル系末裔でも違和感がない どうでもいいけどゴーストオブツシマていつになったら発売するんや ウンコを食べる韓国人は、全然関係ない話してるね
興味がないなら来るなよ
半島に帰れ >>400
釣りだと思うけど有れは八幡神の功徳を誰にでも分かる様にと書かれた宗教書だから
基本的に何をやっても神様のおかげになってるぞ 征東行省の末裔が1匹顔真っ赤でコンプレックス爆発させてて笑えるw >>388
マンデラ氏はアフリカのネグロイドの中でもカポイド系にみえるから、
ちょっと別枠の感じがあるね
カポイドの顔立ちは日本の田舎のおじさんにありそうで、皮膚も黄色っぽくてモンゴロイド的だけど、
関係はまだ解明されていないのでは
ネグロイドは肌が黒いのでみんな似たような感じにみえるけど、実は変異が非常に多く、コーカソイドやモンゴロイドよりも多様らしい ヨーロッパや中東で突然変異的にモンゴル系な顔が生まれるのは隔世遺伝
アイスランドやグリーンランドには日本人そっくりな顔つきな人がたまにいるのは、イヌイットやエスキモーの血が混じっている >>402
そうなんだw
でも彼らの、世界中の良い物を自分たちの物にしたい!って欲求が大航海時代の原動力だしな 馬鹿にしたもんじゃない気がするわ 経緯を簡単に説明
めっちゃ考えるままに書いてるから
見落とすなよーいくぜー
@文永の役 モンゴル軍圧勝!!日本は水城まで撤退※完全な事実
↓
A日本ビビりまくって元寇防塁(20キロの防塁)を博多に設置※完全な事実
↓
B弘安の役 日本ビビりまくってうんこを投げつけて上陸を阻む※完全な事実
↓
C台風でモンゴル軍撃沈→神風の由来 ※完全な事実
完全に日本がヘタレのゴミでした。
反論あるなら聞くー。
どうぞー??(・∀・)ニヤニヤ >>403
>防塁20キロで絶対に上陸させない作戦
合理的な戦術だ
はい論破 >>411
はいはい気に入らないソースは理由つけて否定ですねw
歴史ヒストリアでも日本軍は一騎打ちだと紹介してた
涙目無知君どんまい 元軍は北九州に攻めて来たが、もし仮に元軍が北海道方面から攻めて来たらヤバかったと思う。 >>404
あのね、砲弾って大砲から発射するものなのよ
その人は鉄砲と勘違いしているんじゃなく、てつはうを砲弾とした君の無知を指摘してるわけ >>206
そんなに上手くいったかはわからん。
当時のベトナム(大越)は今の北半分くらいしかない。
南はチャンパ王国で、これが対モンゴルでは大越側について
援軍を送っている。
大越が滅びてもチャンパが抗戦した可能性はある。 >>422
余りにもモンゴル帝国が強すぎて日本が弱すぎるから
確かに合理的だよね
君が論破されたもその通りだと思うよ >>421
お前いつになったら文永の役に余裕だから船に戻って大軍待ってたって証明するの
都合悪すぎて無視決め込んでるけど >>395
言語は印欧語族とは別系統だけど、身体的形質はそれとは別だと思えるね
フィンランド人については知らないけど、ハンガリー人の赤ん坊では、蒙古斑があらわれる確率が
他の欧州人よりも高いらしい
でも現在のハンガリー人は普通に欧州人の容姿だよね
中にはモンゴル的な人が産まれたりするにしても、それを行ったら今の日本人だって、ハーフでもないのに白人ぽい顔の人や、
マレー系的な顔、朝鮮半島的な顔、中国的な顔、いろいろ見いだせる
日本人は国土が広くないわりに、顔が多種多様だと思う、やはりいろんな地域から来た人々の混血民族なのだろう 日本の弓と乗馬と相撲はモンゴル→高句麗→日本と伝わって来たのが分かる
この3つと一緒に鉄器が日本に入ってきた >>423
参加していない僧侶の記録を重視して実戦に参加した竹崎季長の記録を無視する根拠を聞かせて
https://i.imgur.com/dcx2x7S.jpg >>425
え?言葉遊びしたいだけの小学生?
意味は砲弾と同じだから
いろんな記事で砲弾と記されてる
> これまで鷹島近海で見つかるのは火薬を詰めた石の砲弾(てつはう)、モンゴル文字の
> 戦法の違い、強烈な兵器(毒弓や火薬をつかった砲弾) によって蒙古軍は一日にして圧勝し、箱崎や博多の町も戦火で消滅
>現在、長崎県松浦資料館において、これまで引き揚げられた船材の一部やいかり石、砲弾等の保存作業が行われている
手りゅう弾も弾丸ではないけど弾扱いだよニート君 >>403
馬鹿じゃないの?
防御力を強化して何でもやるのは強い奴のすることだぞ
信長とか見てみ 鹵獲された元軍の鎧や兜、武器等が未だに残っているが、これは奇跡だと思う。 >>436
さすがに20キロの防塁は前代未聞
たったの1万5000人の兵隊にここまでやるとか大爆笑 >>435
その辺面倒だから「てつはう」なんだろ
偉そうにいうならその辺分かれ >>439
だから名前関係ないんだけどな
砲弾と同じなのに馬鹿が無知晒しただけ >>421
台風シーズンの九州海上に長期停泊する事がどれだけヤバイかはモンゴル軍も知ってただろ
ヤバイの知ってても上陸出来なかった、推して知るべしだわ >>430
ハンガリー、フィンランドはアジア系的な言い方はもう古いかもね
日本語がウラルアルタイ系で朝鮮語と同系というのも今やかなり否定的 >>441
気象予想なんてない時代に何を言ってるんだこの馬鹿
まして大陸側の人間は知る由もない
あの周辺は低気圧が覆うので台風発生するかもしれないぞとか言うとでも?
これだからにーとはw >>7
インディアンっつーのは、インド人のことだとか、釣り? >>438
上陸地点が分からないなら長くするのは一つの手だろ
それを可能にする人員配置や資材調達が出来るのは強い証拠
弱いやつはそんな事出来ないんだから >>441
11月位じゃなかったけか?
台風シーズンは過ぎてると思うけど >>421
文永の役では日本武士が一騎打ちのために討ち取られたなんてどちらの資料にも記録が無い。
むしろモンゴル側の記録では「騎兵は結束す」とある。
日本側の記録を見ると、日本側が不利になったのは日本武士の一騎打ちに対してモンゴル軍が集団戦法だったからではない。
日本側は守護の指揮権が弱く命令系統もはっきりしていなかったので、一族郎党からなる各武士団がばらばらに戦闘したために戦力の逐次投入になってしまって、
大軍に対して小兵力がばらばらに挑んで各個撃破される結果になったのだった。
このため弘安の役では指揮系統をハッキリさせ防塁を築き全兵力が有機的に連携して当たったのでモンゴル軍を圧倒した。
日本武士が一騎打ちで討ち取られたと書いてるようでは小学生レベルの知識だな。 >>33
1つ勘違いしているから訂正しときます
”食い物がなければ、殺して(人を)食う。” >>421
@日本軍撤退は間違いないが、元軍も被害多く、矢も残り僅かな上に日本軍の援軍が来たら敗北するとして船に籠もり、夜間に危険を冒して撤退
A余りに普通 敵の長所を封じ自軍に有利な環境を作るなんて戦争の基本 壁作ったくらいで何言ってんだ
B余りに普通 船という閉鎖的な環境で敵の衛生を悪化させるのも普通 攻城戦で糞尿使うのも洋の東西を問わずありふれたこと
C日本軍の防衛で上陸出来ずにむしろ昼夜洋上戦を仕掛けられる始末 台風がとか言い訳 >>440
といっても「砲」って火薬エネルギーで弾を撃ち出す兵器って辞書にも書いてあるだろ
ならその弾を意味する砲弾は適切かと言われれば?だよね >>438
防塁を築いたのは弘安の役で元高麗軍5万、江南軍10万だろ
お前が大爆笑だわ >>44
モンゴル軍はモンゴル軍だろ
アホなこといってんじゃねぇよw
世界中どこでもモンゴル人が占領地域の人間を兵隊にして戦争してたのだから
その理屈だとモンゴル支配地がどこもかしこも支配地ではなくなってしまう
朝鮮はごく普通に武力で制圧されてごく普通に朝鮮人が戦争に動員された
それだけだ
フビライをたきつけて元寇を引き起こしたのはそうだろうけど、戦争をしたのはフビライであって
朝鮮人は単なる奴隷兵だからな >>440
てうはうは爆弾、焙烙玉
砲弾と同じじゃない
言葉遊びじゃないぞ
いいかげんお前バカみたい 皆殺しにしたのは、アラビア人やイラン人のしつこい
復讐をたつため、中央アジアで行ってきた戦法を
そのまま欧州に持ち込んだからだ >>403
来寇が予想されるなら防備を硬くしておくのは強弱に関わらず当然
もし本当に勝てないと思っていたらペリーの時のように最初から戦おうとはしない >元寇
>クビライが日本に使節を派遣する契機となったのは、
>1265年(文永2年・至元2年)、高麗人であるモンゴル帝国の官吏・趙彝(ちょうい)等が
>日本との通交を進言したことが発端である[58]。
出た
告げ口朝鮮人の反日 >>435
普通砲弾とは言わないわな
まあ駆逐艦だろうと何だろうと戦艦って言っていいってレベルならそれでもいいがね
あと手榴弾ので何が言いたいのか分からんが、弾は鉄砲から放つものって思いこみで言ってるなら違うから ユル・ブリンナーはスイスとモンゴルハーフの父親とユダヤ系ロシア母親でウラジオストク生まれなのに映画でドイツ軍人役をやっていた
映画「十戒」の時のユル・ブリンナー、辮髪みたいな髪型がすごい似合ってた
チャールズ・ブロンソンに比べると、あまりモンゴルっぽくない >>443
普通に商人が風を頼りに行き来していている時代に、どの季節にどんな風か吹くのかなんか必須の情報だわ >>445
たったの1万5000人の兵隊に怯えて20万キロ
どれだけビビったのかわかるな
防塁築いたから強いとか謎理論w 集史はいつになったら完成するのだろうな
いまいち資料が足りないのか小説になると井上靖の蒼き狼くらいしかなくね
ほとんど世の中これが認識の元になってる気がする
あとは北方謙三みたいなイロモノしかないw
歴史の本はべつとして >>447
残念ながら歴史ヒストリアでもはっきりと一騎打ちの日本が負けたと描いてたよ
お前が知ったかしても無駄っていう >>426
日本は二回
ベトナムは三回蹴散らしてる
ベトナム強しだ
アメリが軍でもなし得なかった
バグダッド一週間で
完全殲滅してるからな >>448
「人食なんて」と思いますが
中華史上では当たり前の習慣でした
中国でもモンゴルでもそうですが
日本の民話にある”姥捨て伝説”が無いと云うのが証左 野蛮というなら中世以降のヨーロッパといい勝負だな
ただしモンゴルは女を絶対に殺さない
多分殺したくないからそういうルールになってる
もったいないからだなw
気持ちはよく分かる >>449
日本は何度も過去に異国に攻められてるけど
あんな防塁築いたのは歴史上初な >>470
元寇の時も蒙古軍は殺した住民を吊して干し肉にしておったそうな モンゴロイドって破壊するだけで文明の発展には何一つ貢献しないからな
人類の足手まといだわ >>452
じゃあ手りゅう弾は?
「弾」って@ 鉄砲・大砲などで打ち出すたま。って辞書にも書いてあるけど?
どうぞどうぞw >>475
火薬を作ったのはモンゴロイドだろ
モンゴルがいなかったら鉄砲は生まれていなかった >>453
1万5000人にビビってって話だけど?(笑)
マジで頭悪すぎて草 >>472
あんな規模で攻められたのは元寇が初めてだわ
そして防塁作ったから日本弱いとか意味が分からん
あと文永の役で余裕だったから船に戻ったってのも意味が分からん >>456
それらを包括して砲弾というんだよ
低能無知哀れだな
砲弾の分類
化学エネルギー弾
榴弾(HE)
粘着榴弾(HESH)
対戦車榴弾/成形炸薬弾(HEAT)
多目的対戦車榴弾(HEAT-MP)
運動エネルギー弾
徹甲弾(AP)
徹甲榴弾(APHE)
被帽徹甲榴弾(APCHE)
仮帽付徹甲弾(APBC)
仮帽付被帽徹甲榴弾(APCBCHE)
剛性核徹甲弾(APCR)
徹甲焼夷弾(API)
高速徹甲弾(HVAP)
装弾筒付徹甲弾(APDS)
装弾筒付翼安定徹甲弾(APFSDS)
その他
焼夷弾(Incendiary)
曳光弾(Tracer)
核砲弾
照明弾(Illumination)
発煙弾(Smoke)
信号弾 - 彩光弾などがある。
榴霰弾(Shrapnel)
キャニスター弾(Canister)
複合弾(HEIAP)
フレシェット弾(flechette) 百済移民が日本の海沿いに朝鮮式山城作りまくってなかったか
九州から近畿あたりまで作りまくってた気がするけど >>462
多数の記事に砲弾って書いてますがなにか(笑)
「弾」って@ 鉄砲・大砲などで打ち出すたま。って辞書にも書いてあるけど?(笑) >>474
>>484
20キロ以上の防塁あるなら
ソースどうぞ >>473
桃太郎も元寇の直後に出来たお話しで
日本国内に取り残された
元寇の敗残兵が人里離れた山奥や古墳に潜み
三度の元寇に備えて隠れ住んでいた
そうなると大量の食料が必要なのですが
日本の野山には大型の草食獣は居ない
そうなると人をさらって食っていたてのが
日本各地の鬼伝説の元話になります
子供が行方不明になる神隠なんてのもね… >>484
古代山城の分布
ttp://www.i-manabi.jp/system/GIFDAT/2/EHIME_62_2_1_2_3_1.jpg >>480
白村江の戦いすら知らないクソ無知ヤバすぎw
60000の軍勢が来ても上陸阻止の防塁は作らなかった >>488
成立した時代が500年くらい隔たってるぞw >>476
手で投げる爆弾だから
鉄砲の弾丸から来てるわけじゃない
もともと弾は相手に害を与える玉の事だから >>475
新しいテクノロジーを
生み出したわけではないが
欧州がが心理的に東の黄色いやつらに
ビビったことは確かだ
故に西へ西へ海へ海へ向かい新大陸に繋がる
事前に使者を送り降伏か死を
選択させるだけでもマシ
スペインが南米で行ったことを思えば
モンゴルは文明的だ 白村江の戦で作ったのが水城や大野城
これらは陸地の城
20キロの上陸阻止の防塁を作ったのは元寇が初
陸地戦では歯が立たないからこういう戦略をとらざるを得ない >>493
無知可哀想
辞書より
だん【弾】の意味
1 たま。弾丸。また、それを数える語。 >>485
ほとんどの記事で砲弾なんて書いてないな
砲弾って書いてるのは少数
弾に関してはもう書いたからそちらからどうぞ >>492
実話からおとぎ話に500年てところですかね >>477
スペインの南米でやったこと
思えば可愛らしい問題 >>486
つい200年前に動力船が登場するまで、沿岸を遥か越えての海上交易なんて季節風や海流頼みやで。 古代の山城の石垣はとんでもなく規模がでかいぞ
あと街道もでかい
古いから規模が小さいと思ったら大間違いなんだよ 砲弾って書いてるのは少数とか笑うな
文化庁のPDFでも砲弾と呼んでるw
> 碇石・石砲弾・陶磁器片など多数の遺物が引き揚. げられた。その過程で、昭和 56 年 >>2
ヨーロッパの人は東方から攻めてくる
異民族をひどく嫌っているからな。 >>502
できないよ
馬鹿ですか?
>>503
風の吹く方向と気象変化を予測するのが同じだと思ってる馬鹿やばすぎ >>491
それは日本が攻めに行った側であって攻められた側ではない
戦後各地に城を建てている上に、日本は政治や軍事の改革すら行って逆襲に備えている >>504
山城と元寇防塁を同じだと思ってる馬鹿って痛すぎるな >>507
この季節にいつまでも洋上にいるのはヤバい、くらいの予報なら普通に立てられるって話をしているのであって、お前だけが馬鹿みたいに気象衛星レベルの話をしてるんだよ >>512
フィリピン、アカプルコ太平洋航路発見したスペインはすごいな。
全部アメリカに取られちゃったけど この野蛮な平たい顔族が始めた侵略戦争でユーラシア全体で4000万人が虐殺された
13世紀に4000万人だぞ 様々な記事や文化庁のPDFでも砲弾と呼んでるのに
ここの阿保は砲弾じゃないというらしいw >>511
ソース出せない涙目くん
必死の負け惜しみ モンゴル軍は極端に誇張した残虐非道を自ら喧伝しまくってビビらせてたっていう説もあるやん
抵抗しなかった都市は繁栄してるしな モンゴル帝国軍のジェノサイドは島国日本だけでなく、ロシアやイスラムまでトラウマ残したからね。 >>512
日本でも台風という言葉が出たのは100年前ぐらい
当時のモンゴル人が台風が来るから対策しなきゃと思うとか草生える >>520
確かに
モンゴロイドにとっては殺した数が多ければ多いほど自慢だもんな >>477
白人のほうがはるかに野蛮な事やってるけどな >>522
バグダード陥落とそれから先の破壊行為は
欧州を震え上がらせたらしいな 蒙古襲来や神風という言葉が今でも語り継がれる
というのが当時の日本人がどれだけモンゴル人を恐れてたか
物語ってるんだけど
史跡も20キロメートル以上の防塁は例を見ない
これでも日本が勝ったとかほざいてるアホマジでウケるな >>524
一人殺せば殺人者だが
100万殺せば英雄 >>525
白人は野蛮なこともするけど偉大な功績も多い
モンゴロイドは野蛮なことしかしてない 多くのメディア記事や文化庁のPDFでも砲弾と呼んでるのに
砲弾は不適切らしいぞw
なんでも大砲からでないと砲弾と呼んではいけないらしいw >>529
今の価値観で昔を裁くってのも
野蛮な行為なんだって自覚は
当然あるよな?
って皮肉の一つも言いたくなる キエフ大公国ってモンゴルが来るまでは
北欧白人みたいな人種構成だったの? >>516
4000万人虐殺は数字的に見てありえないな
だいたい古代〜中世は人口が少ないし、ヨーロッパではペスト流行とか魔女狩りやらあって暗黒時代だったじゃん
14世紀にヨーロッパで2000万から3000万死んだと言われるペストの流行が、自軍のペストによる死者を腹いせにカタパルトでキリスト教軍の砦に打ち込んだモンゴル軍の仕業だとすれば、初の生物兵器使用例
原爆の死者数20万や米軍の対日絨毯爆撃による死者数30万と比べ、桁違い 当時の文明の最先端だったバグダッドはモンゴルの侵略で完全に破壊された
虐殺された数は80万人
1つの街で起きた虐殺数としては未だに世界一だ
同じモンゴロイドとして誇らしい >>534
って言うか
昔の地図には
白ロシア
って表示がある
白ロシアがあるってことはだな、、、 >>267
スペイン人のピサロとコルテスは南米のインカ帝国を少数の兵力で滅ぼして住民も虐殺してる。 >>538
NZだか民族丸々絶滅させてるし、マジ悪魔ですわ >>514
話が分かってないな
弾は鉄砲が生まれてからできたものじゃないぞ?
手榴弾は手で投げる爆弾だから手榴弾なんだが >>535
つまり俺達モンゴロイドは500年以上も前にヨーロッパ人3000万人虐殺をやらかしたわけか
確かにこれに比べると原爆なんて可愛いもんだな 日本人はY染色体D系統の縄文系の末裔だからモンゴロイドと言っても東アジアの残虐非道な野蛮人とは遺伝子が違う >>5
あの曲いいよね
子供の頃に毎日のように聴いていた >>523
俺は風と言って台風とは言ってないがな
台風って用語が現代に生まれたって事の何がお前を喜ばせてるんだ?
そのときに吹いた風が現代では台風と呼ばれているものってだけの話だろ
そもそも台風かどうかも定かじゃないが
この時代の人間が、季節ごとに吹く風を知らずに航海していたと主張したいんならお前は間違ってるって言われてるだけだぞお前は で、これは本当かね?
元寇の鎌倉武士団打線(最新の研究)
1(中) 壱岐対馬は最初から見殺して相手の戦法を見極めてた
2(二) 既に出兵5か月前に出兵の時期を想定し鎌倉武士団を大宰府に展開してた
3(一) 相手が人質を楯にして攻めてきても関係なく矢を射かけまくってた
4(三) 2度目は30キロの防塁を沿岸に、20キロの空堀を博多の南に、10キロの水堀を大宰府に築いていた
5(遊) 博多が略奪されてるのは目に見えてるので、敵が来る三日前に博多を略奪しつくしてた(鎌倉武士団が)
6(右) 2度目の時はモンゴルに倣って人質を楯にして攻撃してた
7(左) てつはうにあんまり動じずそのまんま徒歩で戦ってた
8(捕) 2度目の時は夜襲しまくって眠らせなかっただけじゃなく相手の船に牛馬の腐乱死体を積極的に投げ入れてた
9(投) 元軍が壊滅した後、取り残された元軍の内、宋人は助命したが高麗人、モンゴル人は負傷者も女性も含めて皆殺しにしてた なんら文明に寄与していない
って買いた奴いたが
ハンバーガー食ったことないんかな? >>516
メチャメチャ話し盛りすぎ。20世紀に比べたら、虐殺なんて無いに等しかっただろうな。
考えてみろよ、ゴビ砂漠で軍事訓練してから、馬でパカパカ遠征するんだぞ。最強の戦術は、全く戦わずに帰順させることに決まってる。
服属すればいいことあると言って、支配を広げていったのだろうな >>537
それ赤軍ではない地域って意味だろ
共産主義ではないロシア人の地域って意味だぞ
ずっと共産主義と戦いつづけて終いには中華人民共和国とも戦った人達だ 抵抗しなければ信仰の自由なども認め寛容に統治し、抵抗したら皆殺し、というのは割かし普通にあったんじゃない? >>549
欧州人のヨーロッパの東の果て
オデッサ
意味わかるな? >>536
フレグが南下してメソポタミアに入り、1258年にバクダッドを陥落させ、最後のカリフ・ムスタースィムを殺し、アッバース朝を滅ぼした資料があるけど、正確な数字は分かってないんじゃないの
虐殺した数を多めに見せるのはモンゴル恐怖のイメージ宣伝戦略かと思ったりもする
南京大虐殺だって虐殺したことは本当でも正確な数字は分かってないじゃないか 白系ロシア人てすげーんだぜ
最後の最後までソ連と戦い続けていたらしいからな
もちろん第二次大戦も枢軸側で参戦してるし、その後もずっと戦いつづけた
逆にいうとソ連に追われ続けていた
ロシア人は良くも悪くも執念深いけどモンゴルの血のなせる技だろうかな 一人で70レス以上してるアホが居て気色悪いわこのスレ >>537
白ロシアというのは「ベラルーシ」でしょ、ベラが「白い」、ルーシが「ロシア」
革命より以前からある名称なので、反革命派とは関係無い
ちょっと調べたけど、民族衣装の色由来とか諸説あり ズールー戦争 日本ではボーア戦争と言われていた戦いの最後は織田・徳川連合軍が武田勝頼軍を
壊滅的打撃を与えた鉄砲3段撃ちををしてズールー軍
を壊滅的打撃を与えた。 ちなみにオデッサは地図みたら一目瞭然でソ連側に攻め込むならまず絶対に攻略しなければならない要衝の一つだ
バルバロッサ作戦に付随する作戦で激戦があったがドイツが攻略したはずだな
その辺の歴史はミリタリーオタクならみんな知ってるからボロが出ないうちにやめるけどw >>531
そりゃそうだ辞書で砲弾を引いて見りゃいい
もしやりたければ砲弾(てつはう)とすべき 日本が平安時代のままだったら滅んでたな
結果的に武士の時代になっててよかったかも >>556
それはポーランド系じゃなかったかな
騎馬系の人達がそうよばれていたのではなかったか なお、現代モンゴル軍はイラク戦争で派遣された時にかつてのモンゴル帝国軍と違ってイラクをテロによる破壊から守った >>476
手で投げる榴弾だろ
なんの問題がある
ちなみに大砲じゃない小型装置で撃ち出すのは擲弾だぜ 通常白系ロシアといったら反共産主義の人達を指す
ソ連(スターリンだと思うが)は一部民族まるごと追放したりしてる
殺しすぎて後付けで民族融和を旗印にするようになったけど 砲は発射機構を持つ装置。てつはうは弾であって砲ではない。 >>563
大河ドラマ北条時宗の第一次元寇の文永の役の冒頭、モンゴル帝国軍はカタパルトで
投擲したてつはう(神天雷と言われた)で幕府(日本)軍を吹っ飛ばしている。 遺伝子を調べたら8億だか9億だかのアジア人にモンゴル人の特徴があるんだよな
どんだけレイプして孕ませたかわかる >>521
捕らえた敵将の目玉に煮立った水銀を流し込むという刑は実際にやったと思うな ベラルーシ(白ロシア)と白系ロシア人に何の関係があるんだね 韓国人はレイパーの末裔で、今でもレイパー
ウンコも食べるし >>555
邪馬台国スレでは一人で数百レスしてる奴とかいるぞw 日本でも大虐殺をしようとやってきて逆に大虐殺にあったモンゴル軍 >>523
実際対策したから二回目は時期をずらして来たんだろ >>567
中国は13億人の人口
ハンガリーの昔話には「犬頭のタタールの暴れん坊」という怪物があちこちに登場する
ワーウルフの伝承は別に古くからある土地だが、タタール人は犬頭人の怪物だというイメージ印象も強く出来上がった
指輪物語のオークという怪物もモンゴル軍がモデルだし、やはりモンゴル帝国の襲来・タタールの軛は遥か後の現代にまでイメージの尾を引いている 現代朝鮮人はほとんどが元寇の蒙古兵か女真兵、南宋兵の子孫だから他人事じゃないんだろう >>569
日本は侵略されてないから薄いんでないっけ
モンゴル系の血が混ざった中華やシベリア系が入ったりはしたけど直接の血筋は薄い
遺伝子的に日本と中国はモンゴルと一致率が低くてモンゴルが近いのは朝鮮(エベンキ) 美しい白人少女たちが醜い顔の卑しいモンゴロイドにレイプされまくったと思うと
勃起が止まりませんな 「侵略したモンゴル人たちは金髪で青い瞳の白人少女たちを非常に好み
モンゴル人の王族たちにこぞって献上されたという」
という話はないの? >>582
アラブ商人が好んで売買したという話なら残ってるけど >>560
モンゴルの得意戦術ってのが
誘引→包囲→矢で殲滅だから
地続きで機動力活かす戦いされるとやばかったんじゃね
海があってよかったね >>582
モンゴルではあまり聞かないな
モンゴルは、自らの弱体化を恐れて、農耕民族との同化を拒絶する傾向があったし
後のオスマン・トルコは、ウクライナあたりで奴隷狩りやってるね キリスト教化まえのルーシはドイツ騎士団による略奪行の標的で奴隷の供給源でもあった。
木材や銀と並んでスラブ娘はアラブ世界に高く売れる商品で、ステータスシンボルとして好まれたんよ。 >>14
チンギス・ハンは親子丼が好きだったんだな
これからは親子丼のことをジンギスカンと呼ぼう どこの国でも性奴隷は存在したし、中東諸国で金髪碧眼がたまに存在するのはアレキサンダーが率いたような兵士が遠征して住み着いたとか奴隷貿易で誘拐拉致してたから
西欧が奴隷制を始めたきっかけは、オスマン帝国やイスラム王朝下で白人自身が奴隷として扱われていたからだそう
また、中国では宋代に一度奴隷制が廃止されたものの、元代に復興されてしまったので、そのモンゴルを倒して建国された明朝が盛大に奴隷制をやるわけにもいかなかったのでしょうね 300人程度で血の海なら30万人殺された南京事件はすさまじいい状況だったのだろう モンゴル帝国の兵士にはグルジア人とかもいたそうだ
金髪碧眼かつ褐色ってファンタジーカラーの定番な気がするけど中東には実際にいる。褐色っていうかほぼ日焼けなんだろうけども
パキスタンの集落には金髪碧眼っていう部族も >>567
ロシア、東ヨーロッパも合わせれば20億。 遺伝的影響の広さ多さの理由は征服時のレイプとかいう一過性の事件でなくて、
チンギスの子孫たちが数百年のあいだ征服王朝の支配階級として
多くの配偶の機会に恵まれたことが主因でしょ。 欧州人に本当の意味で恐怖を与えたアジア人はチンギスハーンだけ(´・ω・`) >>595
中央アジアも。中央アジアはコーカソイドとモンゴロイドのミックス
サモア・ポリネシア系はモンゴロイドなのに身体能力が高い
細かく言うとモンゴルが新モンゴロイド、サモア・ポリネシアは古モンゴロイド
アメリカで今天下とってるザ・ロックもモンゴロイドの血を引いてるし 単なるレイプなら、堕胎したり、子供を殺したりするからね
子孫が残るってことは、保養されてるってことだ エジプトや北アフリカでモンゴロイド的な顔の人間が稀にいるが、此れはモンゴロイドの影響のあるウズベキスタン等の中央アジアから奴隷として連れて来られたマムルークの影響が有ると言う事なのかどうだか
東アフリカだかマダガスカルにもモンゴロイドの影響がそれなりにあるというし、肌が黒いだけで造形パーツは東洋的なアフリカ人 皆殺しはともかく井戸に毒を入れたら馬に水をやれないと思うんだが。 >>582
そういう話が流布されているのは帝政ローマだね
ローマの貴婦人には金髪が少なく、金髪は贅沢品として重宝された
ローマに食い込んでいたゲルマン人たちがスラブ民族居住地域を襲撃し、金髪碧眼の少女を選んでローマの奴隷市場にかけた
通説ではそうなっているけど、武力で襲撃しなくても、カネで釣って貧しいスラブの少年少女がローマに売られたほうが多かったんじゃないかな、
とも想像できるね
中世の農業改革以前のスラブ民族の農村は貧しかっただろうし https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%AF%87
wikiの元寇の記述では日本側が力押しして勝っているけど。昭和の教育では神風で勝ったことにされていたみたいだね。 >>607自己レス
要するにスラブ民族の金髪女奴隷の髪でローマの貴婦人がカツラをつくったと
中国からはるばると絹がローマまで輸出されたのも、貴婦人が贅沢品として喜んだからと言われている
東西交流のきっかけは貴婦人のぜいたくにもあったと >>606
陥落した都市内の井戸だけに毒を投入し、
馬に与える水は都市の外にあるカナート(イランでいえば)などを利用したんじゃないかな、
カナートは沙漠であっても、見ただけでわかるから利用できるのでは
あくまでも想像だけど
敗北都市の住民は包囲されているから井戸しか利用できないから全滅と 西欧の集落に連れてこられた、あるいは住み着いたモンゴル系の子孫がいても全く不思議ではないよな
実際、スペインのセビリア近郊に日本人移住者の子孫がいるし、日系なのにモンゴロイドの面影が薄かったり
スペイン選手のダビド・シルバは日系混血なのにその面影がない ロシアのニュース見たらモンゴルにロシア大統領の大外交使節団が行ってるじゃないか
すごい規模だな モンゴロイドはヨーロッパだけじゃなく中東でもインドでも嫌われてる >>400
八幡愚童訓、あれは神社勢力のプロパガンダで嘘っぱち
八幡神の信仰の力で神風が吹き一夜にして元を撃退したというのはデマだけど
神社(仏教を含めて)が必死で流布させてやがて定着してしまった
実際は戦いは一週間程続いたが、一夜にして敵が全滅したのは上陸初日に筥崎宮が焼き払われたので、
神罰が下ったということにしたかったから
あと水城まで日本軍は逃げたとあるが撤退したのは少弐景資たち司令部のみで
かなりの部分が博多に残り戦いは継続されていた
(元軍の資料によると撤退を決めたのは日本軍300騎の夜襲もその一因とあるよ)
博多は敵味方入り乱れる危険地帯で矢の回収、食料水などがままならないから撤退したのだろう
中世の数万の大軍が一夜で撤退するのは不可能だからね
服部さんの著書蒙古襲来にもあるけど物理的に無理、彼が防衛庁の専門家と討論した結果そう結論づけている >>610つづき
攻める都市の井戸に毒(モンゴル人の毒がどういうものかには興味がある)を投入することをあらかじめ想定し、
そこに行き着くまでのカナート系の施設で水を大量に補給し、
皮革製の頑丈な鞍袋などにいれて携帯すれば、短期間ならばもったと思う
足りなくて馬が斃れるのも予想の範囲内でその準備はしていっただろう モンゴロイド中、コリアンはヨーロッパだけじゃなく中東でもインドでも嫌われてる >>573
反日だの朝鮮起源だの壊れたカセットテープのように延々と同じ事を・・・
誰に何言われようが黙々と続けてるから恐れ入る
ああいうのって金もらったりしてるのかねえ >>1
フレグの方がもっとひどいだろ。
バグダードの戦いでは、1日あたりの死者数は世界記録だろう。イスラム世界が今にいたるまで長期低迷する要因となった。 >井戸に毒を混入
やっぱこれ大陸の北方モンゴロイドのやり方なのかね? >>284
それただの海賊じゃんw
日本を制圧しに来たんじゃないの?w
なんで海辺だけで満足して舟に帰ってんだよw
んで、また上陸するたびに不利な戦い繰り返すの?w
拠点作れよw
馬鹿すぎw
ちょっと休憩〜wって
ピンポンダッシュして満足ですかそうですかw
馬鹿すぎw 日本だと戦争は農地や領民の奪い合いだったから勝利後は自分らが使うって事で
井戸に毒を投げ込むってのはまず無かったよね
日韓併合後の最初の大きな災害だった関東大震災で突然話題になった モンゴルは東欧まで制服したけど、当時から金属製の武器で武装した
ギリシャにぼこられて、急激に衰退した。 モンゴルは降伏した人間には割と寛容だった
ルーシ諸国の中で当時は弱小だったモスクワは、真っ先にモンゴルに恭順したことで
他より優位な立場に成りあがったんだよね クズのような人間が生き残る淘汰が起きた結果が、モンゴル帝国だった国々の今の姿。
アフリカ諸国でも似たような苛烈な淘汰が起きたのかもしれない。 >>129
伝説の救世主プレスター・ジョンの国だと思ってたんだよな
救世主どころか地獄の使者だった >>1
チンギス・ハンなのか
ジンギス・カンなのか
チンギス・カンなのか
チンギス・ハーンなのか
ジンギス・カーンなのか
チンギス・カーンなのか
どれが正しいのよ オリバーカーン
のカーンって?もしかして
とか考えたことがあったら
まじで同じ由来なんだよな >>54
その時代に北方狩猟民族の流入があったそうやな
李氏自体sageが女真族又は関係氏族とかいう説あるそうやしな >>54
80年くらいやられているからな
そのころの寿命をを考えれば
三世代四世代
そりゃすっかり入れ替わるよな 孔子韓国人よりジンギスカン韓国人の方が信憑性高いのか。 >>541
話わかってないのがお前。
辞書を盾にしてるから
それで論破されてるんだよ間抜けゴミ。 >>545
元が>>441の話でそれに首を突っ込んできた猿のまぬけがお前
話に横から入ってきたくせにおれは台風とは言ってないがなとか
気違いだろお前
まあID変えてるゴミクズだから仕方がないかw モンゴル帝国は病気の大流行、あるいは異常気象のようなものだと
世界史の先生が言っていたの思い出した >>563
はいボロが出た。
> デジタル大辞泉 - 榴弾の用語解説 - 比較的薄肉の外殻の中に大量の炸薬(さくやく)を充?(じゅうてん)した破壊力の強い砲弾。
榴弾=砲弾な。
馬鹿がてつほうは大砲から発射してないから砲弾ではないと述べた。
でも手りゅう弾も大砲から発射されてないのに砲弾なんだよ。
見事な完全論破だな。
そもそも文化庁のPDFでもてつほうを砲弾と呼んでるわけで。(笑) まぁ現実朝鮮人や中国人やモンゴル人は全て1万年前に発生した新モンゴロイドのシベリア民族
シベリアのデニソワ人との混血だからなのか非常に残酷な民族
人を平気で殺して
死体を串刺しにして鳥に食べさせていた民族
それがトーテンポールの名残り
シベリア民族の流れがシベリアからアリューシャン列島をへてアメリカ大陸へ
インディアンやインディオのトーテンポールの名残りが朝鮮エベンキと全く同じ >>576
二回目も台風食らってるのに対策してきてるとか
マジで大爆笑だな。 >>614
たったの300騎の奇襲とかで一万あまりの大軍が撤退とか
都合のいいソースだけで構成したゴミ駄文。
一部の残党だけが博多に残ったからそれがどうしたんだよバーカ。(笑) >>623
モンゴル帝国は第一陣は偵察隊を送るのが普通。
>モンゴル帝国の軍事行動では、事前に兵力100?10,000規模での威力偵察を数度行った後、本格的な侵攻を行うことがある。
>例えば、モンゴル帝国の外交交渉では、チンギス・カンからオゴデイの時代に掛けて行われた金王朝侵攻では、
>数度にわたり「軍事行動に先立ち、あるいは並行して使節を派遣し服属を呼び掛けていたことが知られており、
>侵攻した地域で掠奪や交戦は行われたものの、領土征服をせずに軍が撤退する場合もあった[432]。
ただの偵察の少数部隊で水城まで追い込んだのがモンゴル帝国
これで撤退したのを日本が追い返したとか言ってる馬鹿wwwwwwwwwwwwwwwwwwww
だから無知は黙ってろって言ってるんだよwwwwwwwwwww あの台風は日本の偉いお坊さんがお祈りをして導いたんだろ? こっちは十数年も元寇について
調べてるのにド無知バカが知ったかして論破されて
クソ笑えるな。(笑) 朝鮮の人々はなまじ古代朝鮮半島に起源を求めるのをやめて、
モンゴル人が強姦して産ませた子供が韓国朝鮮人であることを誇りとして、素直にモンゴル人と名乗ったほうが精神衛生上も良いのではないかと思う。 モンゴル帝国のすげーところは
宗教的背景や知恵を盗もうとかが全くないことだよな
水よこせ飯よこせ女よこせ街燃やせだもん
この辺がすっばらしい >>14
こいつ、賢者タイムとかなかったのかな
一時的な感情に振り回されてバカな奴w モンゴル帝国の少数部隊に水城まで撤退させられ
恐れなして20万キロの防塁を博多に作った日本
しまいにはウンコを投げ入れる戦術を敢行していたのも
事実として発見された
ちなみに文永も弘安もどちらの戦いでも
結局一度もモンゴル敵国に大きな打撃を与えることはできなかった
全部が台風頼りってマジで笑えるんだが まぁ世界の人の記憶にも記録にも
ユーラシアにおけるモンゴル帝国をガチで撃退したのは
シリア、ベトナム、んで日本だけ
ってのは認識されているのだ このスレ、ずっとスレバトルしてるな
早く世界史板で延長戦しろ >>1
二代皇帝オゴデイがもう何年か長く生きてたら、西欧まで全部滅ぼされてモンゴルになってた。 チグリス川でも
ttp://rank119.gozaru.jp/img/roma/img19/17.png
ttp://rank119.gozaru.jp/img/roma/img19/18.png >>629
モンゴル帝国は樺太侵攻もしてるね
この時、北海道にアイヌが逃げて来たのでは すでに読んだ人も多いと思うけど、おススメの一冊。
世界史の誕生─モンゴルの発展と伝統 (ちくま文庫) 文庫 - 1999/8/1 岡田 英弘(著)
http●s://www.am●azon.c●o.jp/dp/4480035044/
世界史はモンゴル帝国とともに始まった!地中海文明と中国文明の運命を変え、
東洋史と西洋史の垣根を超えた世界史を可能にした、中央ユーラシアの草原の民の活動。
モンゴルの発展と伝統から世界の歴史を読み直す。 ttp://rank119.gozaru.jp/img/roma/img19/19.png
天皇、将軍、ローマ教皇、神聖ローマ皇帝が無事で
京都、鎌倉、ローマ、コンスタンティノープルが無傷
日欧の攘蒙が、いかに奇跡的だったか >>654
間違いなく歴史は変わっていたよな
ポーランド
とんでもなく弱かったらしいよな
あいつら歴史上主役になったことがないよな ロシア人美女を犯しまくれるなんて
勝者側にいたら絶対やるよな
人間なんてそんなもんだよ ロシア人が日本人好みの顔が多いのはモンゴロイドが混じってるからだよな
アングロサクソンより明らかに彫が浅いし >>640
>榴弾=砲弾な。
それはデジタル大辞泉が説明不足だ。
投擲する爆弾は大砲の出現よりずっと以前に出現した。
大砲が出現したとき砲弾は実体弾で炸裂しなかった。
16世紀に炸裂する砲弾を撃つ臼砲が発明された。
この炸裂する砲弾も投擲する爆弾も日本では明治の軍隊で榴弾といった。
だから手榴弾と言うのである。
現代の砲弾はほぼ榴弾であるが、戦車砲は敵の戦車の装甲を貫くため炸裂しない運動エネルギー弾も使用する。
このように砲弾=榴弾ではないし榴弾=砲弾でもない。
資料を見る限りモンゴル軍が使用した「てつはう」は投擲する爆弾であるから砲弾とは言わない。 >>659
ポーランドは「モンゴルに国を焼かれた!」と言っていたが
実際に火を放ったのはポーランド王…
モンゴルが攻めてくるってんで、焦土作戦をやろうとしたんだよね >>656
北海道と樺太ではアイヌの人口が違いすぎる
北海道のアイヌ語は方言の種類も豊富だが
樺太アイヌ語は2種類の割と近い方言しかない
アイヌが基本的に北海道を本拠地として長くいて、
樺太はその出先でしかなかったことの証 >>1 >>2 >>100
日本人の血税を使って、
しばき隊メンバーなど在日朝鮮人を大量採用し、韓国に媚びる番組やニュースを垂れ流しまくる反日NHK。
>NHK(特殊法人日本放送協会)の平均年収が1606万円(40.9歳 平均・日本人平均の4倍)だということをみなさんは ご存じですか。
【NHKのスクランブル化を実現させよう】
http://www.ystseo.net/ngnhk/
. >>633
へー、そうなんだ
目が細いのはモンゴロイド由来か? >>650
>20万キロの防塁を博多に作った日本
日本すげーな
地球1周が約4万キロ
地球5周ぶんじゃん >>591
なるほど、そうだったのか
でもヒョードルとかミルコもスラブ系でしょ
アングロサクソンより肌がもち肌でぷにぷにしてるのはモンゴロイド由来なのかな そもそもフン族に蹂躙されてるじゃん
ゲルマンだかも >>580
日本人好みの外人さんやな
日本に来たらいいのに >>650
お前が心の底からウンコ大好きな朝鮮人なのはよくわかったよwww
ウンコ話になると目の輝きが違うよなwww
正確にはウンコも投げたが牛馬の死体も船に投げ入れてバイオテロ起こしてた。
でもそんなのは些細な話で戦術を把握したら長弓の長射程を生かして近寄せない、
近接戦では貧弱な鎧ごと刀で両断する、人質を取っても人質ごと矢の集中砲火を
浴びせるなどの鬼畜ぶりで「あいつら何なの、人の心持ってないやん」とドン引きしてただろww >>659
ポーランドは中世の大国なので大規模な戦いでドイツ騎士団を撃破してちょっとした主役になったことはある
結果的にドイツ騎士団の歴史的ターニングポイントとなった
あとポーランドはウィーン包囲のときオスマン帝国を撃破した時に大貢献していて
このとき撤退したオスマン軍のおいていった荷物にあったコーヒーがヨーロッパに広がったといわれる >>648
チンギス時代はね
クビライは全然違うよ
チベット仏教徒のパクパに文字を作らせ、チベット仏教寺院も沢山建てて、財政難に陥る程
攻め取った漢地も牧草地にせず、農地にしていたし
だからクビライはモンゴル保守派から伝統を蔑ろにしていると散々、批判されていた モンゴル軍の侵入によって朝鮮半島では頭蓋骨で道路が敷き詰められたとあるからな 戦ったのは九州の一部御家人だけで主力の島津は間に合わなかったんだろ
上陸しても同じ結果だったはず >>258
そんな話は聞いたことがないな
資料で見ると歴史時代以降に沖縄に最初に来たのは倭寇
戦闘民族倭寇により沖縄の戦国時代が始まった >>677
モンゴルをきっちり撃破
したところは、狂った戦いし
ているやつらばっか
ベトナム、アフガン、シリア、んで日本
ボコボコにされたやつらはその後も
いろんな国からボコられてる 同じ草原の民であるタタールを皆殺しにしたことはチンギス・ハーン最大の汚点。 高麗がモンゴル人達に日本を攻めるようにしつこくそそのかして
元寇が起きたらしいな モンゴルとの混血によって血も涙もないおそロシア人は生まれたのじゃ >>184
ただのウンコじゃなくて、煮詰めたりいろいろ工夫してたって話だったな
苦悶してる蒙古兵か描かれた合戦図もあったような >>659
ポーランド騎兵は三十年戦争で活躍したグスタフアドルフを負かしナポレオン戦争でもナポレオン側として活躍。ヨーロッパ各国はポーランド騎兵を真似し、ポーランド人部隊を作った。 モンゴロイドの中でも東アジアの日本 韓国 中国そして本家本元のモンゴル
この4か国の民族は明らかに人類離れした独特の容貌してるよな >>666
樺太攻め込んだ奴らは
つまんなかったろうな
そもそも人いない
犯す女いない燃やす街もない 蒼き狼って、誤訳らしいね
正確には白黒斑
大ハーンが羽織る狼の毛皮のマントは白黒斑なんだよな
絵にも描かれている
でも、蒼き狼の方が格好良いけどね 朝鮮人てエベンキとモンゴルのハーフらしいな
だから世界最悪のキメラゴブリン >>690
ダセー
主体性ないじゃん
領主奉じて西に進んで
ドイツの街燃やし東に進んで
スラブの女犯して北の漁場荒らして
南進してとか勇ましい話ねーのか ロシア人もハンガリー人もフィンランドもモンゴロイドの血なんて完全に否定してるよ
そりゃそうだよな、せっかく白人として生きてきたのにいきなり「モンゴロイドの血が入ってる」なんて言われて受け入れられるわけがない モンゴロイドは人類のガン細胞だね
見た目は醜いし野蛮だしアホだし モンゴロイドは常に歴史上の悪役だな
文明の敵といえばモンゴロイド チンギスハンの子孫は1500万人ぐらいいると
なんかで見たことある気がする >>696
フィンランドはフン族末裔だから
それはシャーない
ハンガリーは
モヒの戦いで歴史的大敗してるじゃん
タタールの軛は誰もが知る言葉だし
そこ否定できんだろ 東欧はもうとっくにモンゴロイドの穢れた血なんて浄化してるだろ
モンゴル支配なんてもう500年以上も昔だし、しかもモンゴル人はもともと数が少ない >>653
日本大好き過ぎる約一名がスレ違いの話題で暴れてるだけだぞ >>702
900年前だ
それでもユーラシア各地に残るトラウマ
爪痕傷跡悲劇
永遠に癒えないよ
本当勝ってよかったよ
マジで 毛沢東、スターリン、ブーチンなどはやはりモンゴルの血を引いているからああなったのであろうか… >>695
ポーランドは黄金の自由っていう貴族共和制で王権を激しく阻害したから主体制なんかないわな。
ヨーロッパ各国が衣装まで真似してたんだが?全くださいと思われてないぞ? >>701
スミオ(フィン人)もマジャル人(ハンガリー人)も遺伝的にモンゴル系・トルコ系ではないことが分かっている。
ただしハンガリー語にはトルコ語の影響がみられる。
フィンランド語もハンガリー語もウラル語だが、ウラル語とアルタイ語は文法的類似は偶然であって言語学的には別系統だと考えられている。
ただしハンガリー語にはトルコ語の影響がみられる。
以上から、フィン人もハンガリー人もフン族の末裔ではないと考えられる。 >>689
> 苦悶してる蒙古兵か描かれた合戦図
蒙古襲来絵詞らしいな。たしかに船上のモンゴル兵が鼻をつまんでる。
>>693
> 蒼き狼って、誤訳らしいね
> 正確には白黒斑
へえ、そうなんだ。まさに『元朝秘史』の冒頭の一節だよね。近年モンゴル語テキストからから de Rachewiltz が
英訳したやつでは依然 "a blue-grey wolf" となっていて、こりゃ物議をかもしそうだな。 >>647
古代朝鮮と言えば一部の百済系統が日本の源流だから
日本人こそが朝鮮文明の真の後継者である U ・ω・) 読書家の諸兄には陳舜臣著『チンギス・ハーンの一族』を、
ゲーマーの諸兄には光栄の『チンギスハーン・蒼き狼と白き牝鹿IV』を、オススメする。 杉山正明先生の本がいいよ
遊牧民に対する見方が180度変わる >>648
どこが素晴らしいの?
こんなケダモノ連中にやられ放題だったとは情けない >>680
>>258が間違ってる。
元側の史料では琉球ではなくて琉求だったはずだ。
これは台湾の事だと言われている。
元は2度の元寇の後に琉求(台湾)も攻撃して敗れているから、その話が場所以外事実なら
元は台湾人に助けてもらった恩を仇で返した事になるな。 >>716
こんなもの信じてる時点でお前はバカ
モンゴルってのは、超弱小勢力だったんだよ
それがあんなに大きくなったってのは相手を受け入れたから
実際は大して殺してない バトゥのでる 外国で売れている本がなんかすごかった。
新聞によるとロシアとモンゴルが ノモンハン80周年式典で
いろいろっていうから
ロシアも韓国のように歴史問題に熱心だなというかんじもする。 >>718
超弱小というより数が少ない。
だからこそ、抵抗してきた奴に勝ったとき皆殺しにしとかないと、後でやられる。
次回また勝てる保証は何もないからだ。 耶律さんがいなかったら中国も都市が破壊されて同じようになってたな 元寇のときの絵で武士たちが土塁に座って談笑してるようなやつすげえ好き
馬が闊歩してるやつ
人の顔も馬の模様も全部違うし武士たちがすげえ生き生きしてて当時の人たちが
生きてるように感じられる
あの絵書いた人すげえ才能だわ 要するにモンゴル人は少数でも生かしておいては危険なんだよ、四方から包囲網を
狭めて1人残らず殺してしまうのが人類の為になる。 >>721
は?
皆殺しにすると、増えないぞ
何考えてんの? >>723
見てみたいから題名か何か特定できる情報を押してくれないか? 西夏の都が滅ぼされ、しばらく後にそこへいったら辺り一面白骨だらけだったと書いていたのは誰だっけ モンゴル人って水の中とか氷の上で戦うのが得意なんだよな確か 蒙古襲来絵詞は世界史の中でも稀に見る貴重な資料
中世以前で脚色なしに事象をありのままに正確に記録しようとする意図で描かれた絵画は殆どない
竹崎季長は晩年になって、世話になった安達氏を弔う為にも、元寇の様子をありのまま何の装飾もない
正しい記録した資料を残したいと思うようになる
鎌倉行きもそうだけど思い立ったらすぐに行動するのが竹崎、博多でも一流の絵師に依頼し絵師につきっきりで指示して絵巻を作る
本当は写真で残したかったんだろうけど、当時は記憶を掘り起こして絵巻で残すしかなかったから >>734
安達って大河ドラマ時宗で柳葉がやってた役か >>735
はい
文永の役の後に竹崎には何の恩賞もなかったので鎌倉まで直訴に行く
その時に竹崎の訴えを聞いて地頭にしてあげたのが安達泰盛
竹崎はそのことを恩に感じていたから、安達を弔う意味でも絵巻で後世に記録を残したと思う >>723
絵師的表現を排して出来るだけ正確にありのままの姿を描いてくれというのが竹崎の指示
中世の絵画的なデフォルメがなくだから表情までが写真的で生き生きとしている >>736
時宗死後に平某に粛清されちゃうんだよな 新選組や水戸の天狗党も近くは連合赤軍とか、この北条一族の争いもそうだけど関東系組織の内紛は惨いのが多い
関西系、西日本の組織にはあまりないけど たかが数十人の遺体の
調査で大虐殺の証拠には
ならない。
せめて数十箇所の調査で
どこも同じ年代に多数の
子どもを含む多くの
刺殺死体が集団で発見され
なければジェノサイドの
証拠にはならない。 >>736
その安達一族は弘安の役直後に鎌倉の内戦で粛清されてるのが草も生えん。
辛うじて後継がいて族滅は免れたが。 日本軍なんて倒すの楽勝だから海上泊笑える
楽勝なら陸上に悠々と拠点作るだろ モンゴル帝国がなせ
巨大な領土を占領出来たか
理由は三つあると言われる。
一つは騎馬戦が得意で
機動力があったこと。
二つ目は火薬爆弾を積極的
に使用したこと。
三つ目は、戦術として
戦った敵が全面降伏したら
その敵を戦力に入れて次の
戦いに備えたこと。
全面降伏しない場合は
敵の女子どもを皆殺しに
して敵に見せつけたこと。
古代ルーシ諸国は全面降伏
しなかったのだろう。 >>739
北条氏自体、婿と実子を謀略で滅ぼして実質天下を取ったんだから修羅の筆頭w
しかも将軍不在(初期は皇族の適当な奴をお飾り将軍にしてたが記録にも残らなくなった)
の状態で執権(副将軍)のまま実質将軍としての職務を平然とやってたから恐ろしいw
(将軍は天皇から直々に指名される名誉職だから副将軍が勝手に将軍を名乗れない) 将来竹崎季長を大河ドラマにしてもらないかな
没落→文永の役先駆にも関わらず恩賞なし→鎌倉に直訴→地頭に出世→弘安の役→蒙古襲来絵巻の作成
と沢山あるし一年間のドラマになるくらいのエピソードは十分あるだろう
どうやってあの絵巻を作らせたのか、あるいは肥後から鎌倉にどうやって旅したのかとか、
興味はつきない ある国の英雄は隣国にとっての悪魔なのはどこも変わらん まあ、ヨーロッパ諸国も植民地支配の過程で
数十族以上の諸先住民族を完全絶滅させてるからなあ。
南米なんか、種族全員をレジャーの狩りの対象にして
食料も何もない岩だらけの孤島に数万人を置き去りにして、虐殺を楽しんでるわけだし。 モンゴル帝国が大して人を殺していないというのは、歴史修正主義。
実際に多くの人々が殺されている。
識字能力があり歴史文化を担ってきた都市住民が優先的に殺害されたので、後世への影響は甚大。 >>747
鎌倉時代の武士は重装弓騎兵という世界的に珍しい兵種
騎兵の持つ弓は短弓というのが世界的な相場なのに馬上で操る弓は長弓
長弓を馬上で操る為に弓の下1/3の部分を持つという独特なスタイルを生み出した
室町になって徒弓兵という兵種が誕生しても不思議なことに弓を持つ位置は変わらなかった
イギリスのロングボウは和弓と同じ長弓だけど弓の中央部分を持つ
(弓は歩兵が持つ武器だからそれが普通)
それをナイトではない独立自営農民(ヨーマン)が操り当時無敵だった長槍の重装騎兵を打ち破り、
英仏百年戦争の初期の主要な3つの戦いの勝利の立役者になった
弓の歴史は面白いもんだね 歴史上ではソ連中国を始めとする共産主義が一番酷いのが明らか >>693
「蒼」ってのが真っ青じゃなくて灰色(雲がかかった空の色/青灰色=テングリ)をさす場合がある。 人を直接殺していなくても
死刑の罪に内乱外患があるけど
元寇にそのルーツがあるって穿ってるかな?
水先案内人(高麗w)はいたけど
内側からの手引きがなかったのは
助かったのかもな 一方、日本に残る血の川伝説では暴風雨から長崎の鷹島へ逃れた10万人のモンゴル兵を激昂した島民が夜間に襲撃
モンゴル兵は2万人が捕虜になり残りの8万人は殺害されるか逃げようとして海に飛び込み溺死したという
首除(くびのき)、首崎、血の川、血崎、血浦、刀の元、胴代、死浦、地獄谷、遠矢の原、前生死岩、後生死岩、供養の元、伊野利(祈り)の浜などの地名が代々伝わっている モンゴル軍は進軍しては女だけ奴隷にして犯しまくった。もう少しこの事を詳しく知りたい >>753
歴史的にモンゴルにチンチンにされた
地域とかぶるのは偶然か? こういう歴史スレってどうして毎回日本コンプのキチガイが湧いてくるの? 元寇に敗れたフビライカーンは海に近い大都では日本軍の逆襲に遭うと恐れ、北方の応昌府へと遷都したと言う ロシア人のロシア史研究は、愛国心が強すぎて当てにならない
と杉山正明氏は言っていたが、どうなんだろうね
中央ユーラシア史を研究するためには、漢語、ラテン語、ペルシア語の史料を
全て読めないといけないから、研究者を育てるのが大変だとか
どれか一つだけだと、やっぱり内容が偏るから 武士道と弓 ナショナルジオグラッフィック
で検索すると和弓とロングボウの威力を比較した映像が見られるよ
ロングボウに負けないくらい和弓の威力も凄いのが分かる
弓矢の威力は物理の位置エネルギー(mgh)にもにて T×Lで表せる(戦争の物理学から拝借)
Tは張力(弓を引く力でgに相当)でLは弦が矢を押す距離(位置エネルギーの高さに相当)
和弓は短弓よりも矢を長く押せるからその分矢の推進力が増すことになる
更に和弓は中央部分が屈曲しているのでその分押す時間が増える >>758
モンゴルの遺伝子汚染のせいとしか思えんよなあ >>749
モンゴル人は人類にとっての悪魔だね
なんでこいつらが今なお生かされているのかが不思議でならん >>764
略奪民族に徹底的に滅ぼされた地域は、その影響が数百年後も残るといわれている ……で、アイヌみたいにK国人がでてきて子孫を名乗るんだよな
謝罪と賠償のネタが出来てよかったな >>724
同意
対モンゴルについてだけは中共を支持せざるをえない 甲信各地群雄割拠の源氏の得意技は繰り引きと乗り崩しだが
パルティアンショットな伏兵殺し間誘い出しと囲師必闕
精鋭奇襲な半包囲中央突破の戦法は実は言うと蒙古軍も
得意技なんだよね。
鎌倉幕府執権の北条を始めとする関東平家団は平将門の乱の
痛恨教訓もあり源氏の娘婿を気に入り度転したわけだし
九州御家人衆こと九州平家団和睦派は虎口となる関門海峡
壇ノ浦で繰り広げられた船上騎馬戦の八艘飛びは深刻脅威を
感じて屈服せざるを得ずその対策くらいは練っていただろ。 >>682
ベトナムは潮の満干を利用したトラップ仕掛けたんだんだったよな >>694
エベンキ厨は後から後から湧いて出るな
エヴェンキ人にあやまれ >>389
ハイハイまた捏造か
怪しげな写真、全然関係無い写真持って来て反日
お前等それしかやる事ないのかよ >>765
ジャップだって絶やされてないだろ?
疑問に思うのなら吊れよwwwwwジャップ >>389
敗戦時に発狂して書類燃やしまくったのはそういう事か >>682
ジャップ戦では当時の技術の限界から大型兵器も馬も持込てねーぞ
ジャップが戦ったのは数は多いがやる気の無い南宋の降兵だ 日本国内の火薬の戦史というか小銃擲弾の焙烙火矢は戦国時代からで
鎌倉時代は薙刀が廃れていく課程だし蒙古軍鉄砲部隊を相手にして
女竹笹の茎稈工芸品と長弓を駆使して善戦したとも言える。 >>756
高々千匹程度のジャップが十万人相手にねえ………
大方島に漂着した直後は隠れ潜んでいて、モンゴル兵が飢えと渇きに苦しんで戦えなくなったところを卑劣にも虐殺したんだろうよ >>777
そうか、そりゃ全て
馬鹿チョン国の造船技術の
拙さが原因だな?
www >>772
自分達のトーテム文化を維持している人々と
何でもパクって横取りしようとするヤツらを同一視するのは
朝鮮人以下だと思う このスレでトーテムといわれているのはオボーのこと? 文永の役
日本
総大将・少弐景資手勢 500余騎
肥前御家人・白石通泰手勢 100余騎
肥後御家人・菊池武房手勢 100余騎
モンゴル
総数 27,000?39,700人
700vs4万wwww
弱い、弱すぎるー クロスボウは威力絶大だが下馬しないと精度が得られず60秒毎だし
日本列島各地では附子や硫砒の毒鏃の仕掛け罠式弩アマッポの
複数設置くらいしか使い道が無かったよ。
流鏑馬は緩斜面ガレ場でも馬が合うほどの両手を綱から離した
手綱捌きと精密狙撃など個人技量と訓練度に大きく左右されるが
直径5〜20mmの初速55〜65m/sが5秒毎だね。 赤坂の戦い
赤坂に陣取る数万のモンゴル軍を博多の息の浜で迎え撃とうとしたが、
肥後御家人・菊池武房手勢 100余騎が抜け駆けしてボコボコwww 鳥飼潟の戦い
鳥飼潟で体制を整えて反撃しようとするモンゴル軍を
肥前御家人・白石通泰手勢 100余騎が突撃でボコボコwww 百道原・姪浜の戦い
敗走するモンゴル軍を豊後の御家人・日田永基らが追撃して、
百道原・姪浜で1日に2度撃破www >>1
騎馬民族の凶暴性は本物だろう。
絶対的権力と武力を所持していた始皇帝ですらビビりまくって、騎馬民族対策のために万里の長城を建てたんだから。 弘安の役
日本
西国御家人25万騎
モンゴル
総数 140,000?156,989
やっぱりボコボコwww >>3
元寇の戦闘の推移の詳細をある本で読んだけど
日本軍の組織的抵抗で撃滅されている
ほとんど敵側が戦意喪失しているまで追い込んでいる
台風とかはほぼ戦闘で元・高麗連合軍の敗退が決定的になってからのこと
神風というのは宗教勢力の誇張がおおきい 博多湾進入
日本軍が大宰府から移動した隙を突いて一気に大宰府を占領しようとするも、
博多湾岸沿いに築かれた元寇防塁を見て断念www 9/2
辺真一『韓国人を舐めないでくださいモンゴルに80年も抵抗した末に全てを奪われるような民族です(泣)』
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1567424574/ 蒙古の軍船がつく数日前から海岸には異臭が漂っていたらしい
数万の軍勢をすし詰めにしてて、いわゆる奴隷船みたいなもんだからな 志賀島の戦い
博多湾沿岸からの上陸を断念した東路軍は陸繋島である志賀島に上陸するも、
海と陸の両面から日本軍の総攻撃を受けて撤退www >>799
抵抗というよりは王族が島に引きこもってて本土は蹂躙されまくりだったんだけどな 壱岐島の戦い
壱岐島に撤退して体勢を整えるも、
松浦党、彼杵、高木、龍造寺氏などの数万の軍勢にボコボコwww 元に勝て独立を保てたのは日本と西欧のみ
ベトナムも優勢ではあったが結局飲み込まれている
封建制度が確立していた日本と西欧のみが元に打ち勝てたのは必然的だと思う
契約原理に基づく組織を構築して、組織的に戦えるのだから
古代型軍事組織と中世型の軍事組織の戦いであったわけだ
同じ構図が21世紀に再現されているのは面白い
今度は近代型国家と中世型国家の衝突だ
歴史に後戻りはない
中国の敗退は必然的だ 日本は古代から人口密度が高過ぎ。
冬は雪が降り海上は荒れる、夏は高温多湿。
やってられんよな。 >>799
しかも負けたらモンゴルに日本も侵略しましょう!とお願いしまくりの高麗王。 鷹島沖海戦
壱岐島から撤退し平戸で江南軍と合流し、鷹島沖へ進軍
集結した日本軍の軍船が攻撃を仕掛けて日中から夜明けまで、長時間戦闘になる。
日本軍が引き揚げていった後に台風が来て船が沈没www まだ、文永の役で神風吹いて元軍が壊滅とか妄想を
語っているのが居る。
太陽暦11月に北九州を直撃する台風なんて今までにあったか
考えてみたか。
当時、襲来したのは、元と高麗連合軍で三万人ほどで多くはない。
元には、最初から橋頭堡を築き上げ、博多方面を占領する計画はなかった。
元の主攻勢方面は南宋で、文永の役は、日本武士の戦法、博多の地形を
知るための大規模な威力偵察で、それが済むとサッサと予定通り撤退した
のが真相。当時の愚童八幡記にも台風が吹いたなんて記載されていない。 白鵬の土俵上での振舞いを見てると解るわ
あいつら野蛮だわ 御厨海上合戦
10万の兵を置き去りにして、残った船に自分たちだけ乗り込んで
撤退しようとするモンゴル軍に総攻撃を仕掛けて元軍の軍船を伊万里湾から一掃www 鎌倉政権はモンゴルを撃退したが、根幹の社会システムが壊されたから戦略的には敗北
一方、元側は南宋と朝鮮の兵士を大量に体よく処分し政権を安定させた
勝てば征服地が広がり、負けても危険な南宋の兵力を削減できるという両得だった
鎌倉政権は勝ったようで実は負けたのである >>14
チンギス・ハーンってこんな奴だったの??、、! 鷹島掃蕩戦
鷹島に残った10万のモンゴル軍に総攻撃を加えて血祭りにwww
ついでに捕虜20,000?30,000人をゲットwww
ついた地名が首除(くびのき)、首崎、血崎、血浦、刀の元、胴代、死浦、地獄谷、遠矢の原、前生死岩、後生死岩、供養の元、伊野利www チンギスハンだかを漫画でちょっとおちょくっただけで外交問題にするぞと息巻いて謝罪に追い込んでいたな 馬上で世界最大の長弓を集団戦術で駆使する日本軍は、
モンゴルを遥かに凌駕する世界最強軍団であった。
また日本刀の技術が鎌倉時代初期に確立されており、
2日で7〜8万人を切り刻む実績を上げた。 モンゴルに滅ぼされてるのに
中国4000年とはこれいかに ユーラシアの国で
元寇は大なり小なりじゃなく
大なり巨大なりにトラウマ残してる >>687
なんかすげー納得
レイプされて産まれた子って残酷に育つんじゃね にしてもなんで2回とも秋口だったんだろうな
繁農期だったら大半半農武士ばっかだった
戦力は相当手薄になったはずだが >>696
なんかそれもどうなんだろ
御先祖様の血を否定しても意味がない
リスペクトしないと >>822
産んだ母も
産みたくて産んだ子じゃないから
愛情は注がないかもな >>824
いやいやいや
黄色い血が混じってる
ってのは本当嫌みたい
欧州がロシアに距離を置くのは
あいつら半黄って忌避感
だからバルト三国とウクライナ
までが欧州って意識 >>826
ウクライナこそ半分黄色やん
国旗からしてw
ウクライナ人が日本人から見て美人が多いのって
アングロサクソンみたいにゴツくないからだと思う
それこそモンゴロイドの柔らかい顔立ちの血が混じってるからじゃね
カザフスタンの美人バレーボール選手とかは完全にモンゴロイド系なのわかるが
すげーかわいいし ちょっと前にモンゴル人が
チンギスハーンは天皇と同じくらい神聖な存在!肉料理の名前にすんな!
とか言ってたよね チンギスハンは殲滅した敵の頭骸骨で
ピラミッドを作っていた。 モンゴロイドが混じってこそかわいくなる
白人度合いが強い方がよっぽどゴツい
ttps://30dai-saishiari-tensyokushite-ie-kaimashita.com/volleyball-player-sabina-altynbekova/ 鼻見りゃわかる
純血白人は眉間から鼻が出てる
ロシア人やハーフが日本人に馴染みがあるのは眉間から出てないから
でも整形した日本人は眉間から鼻が生えてるからロボットみたいで違和感があるw こんな話をカミカゼとしてでっち上げるから勝てもしないケンカを売ることになったわけで 当時、中央アジアには、アサッシン教団(暗殺教団)という国がったんだぜ。
その暗殺教団を滅ぼしてくれたのが、
正義の味方のモンゴル帝国だ。 暗殺教団というとなんか神秘的だけどただのイスマーイール派の分派の一つで特別危険だったわけではないんだよな >>833
何かの技術が発達したとか
こんな文化が生まれた
ってより心因的な影響がでかいわな
びびって引きこもる(高地にテヘラン)
陸は怖いから海へ出る(大航海時代)
黄色は怖いって意識(黄禍論)
俺たちゃ不滅神の国(神風) 預言者ムハンマドと同じく世界帝国を創始したモンゴル帝国のチンギス・ハーン。
殺戮と略奪をほしいままにする啓示宗教の法則性をここでも見出すことができる。
チンギス・ハーンの即位式では、霊媒師を通じて以下のような天の神の宣託が下った。
「永遠なる天の命令であるぞ。天上には、唯一の永遠なる天の神があり、地上には、唯一の君主なるチンギス・ハーンがある。
これは汝らに伝える言葉である。我が命令を、地上のあらゆる地方のあらゆる人々に、馬の足が至り、舟が至り、使者が至り、手紙が至る限り、聞き知らせよ。
我が命令を聞き知りながら従おうとしない者は、眼があっても見えなくなり、手があっても持てなくなり、足があっても歩けなくなるであろう。これは永遠なる天の命令である。」 チンチン・ハンってかいて炎上してたのふと思い出した 赤ん坊の頃に、尻にモンゴル班があったら、先祖がモンゴル人 >>834
山の老人くらいでモンゴル軍を倒せないだろ 島民の人質を盾にした蒙古軍に対して容赦なく矢を射る鎌倉武士、弘安の役ではそれに倣って蒙古軍捕虜を盾にした鎌倉武士に対して躊躇した蒙古軍て話は本当かね?
あとは日本刀の斬れ味が凄まじくてお互いに矢が無くなり白兵戦になったら蒙古軍が鎧の上からバサバサ斬り殺されて逃げ出したとか シーザーサラダ
ロッシーニ料理
カール
ナポレオンケーキ
オマール料理 >>846
侵略者はダサくない
果敢に戦い燃やされた方もまたダサくはない
侵略者に手先になって隣国を攻めるって
めちゃくちゃダサいよな >>844
鎌倉時代の日本刀は非常に質が良くて後の時代も珍重された
今でも当時の技術を復元するのが難しいらしい やられた方はどう教育してるのかね?
屈辱の歴史だろうが、それはそれで
きちんと伝えんとな >>82
だったらそのまま上陸後の侵攻を続ければよかっただけ
日本側がそれをさせなかったのは強かったからだ馬鹿チョン >>82
名乗って一騎討ちが通じないと分かると、すぐに蒙古軍と同じ戦い方に変えたって話だよ
弘安の役では陸でも海でも蒙古を上回るえげつない戦いで相手を物理的にも精神的にも消耗させたと
敵前上陸の時点で不利だから鎌倉武士が強かったとは言い切れないけどさ >>650
高麗弱すぎWWWWWW WWWWWW WWWWWW WWWWWW >>854
確かその名乗りも周りに仕事しましたよって宣言で相手が聞いてるかとかは問題にしてなかったはず >>36
でも南京の地下から骨なんて出てきてないでしょ 南京は結構骨出てきてるよ
過去何度も大虐殺やらかしてるし >>859
記録にも残ってるが、太平天国の時の天京(南京)大虐殺がえげつなかったらしい >>696
ハンガリーの右派って、それが拠り所なんだけどさ
ヨビック
https://en.wikipedia.org/wiki/Jobbik#Platform_and_ideology
]あるレベルで、党はパン・チュラニズム、ハンガリー人はウラル・アルタイ系人種
に由来すると主張するイデオロギーを固守しています。 >>680
元寇以前の琉球に多くの高麗人移住して年号入り高麗瓦を製造した浦添中山城跡から大量
に発掘されてる、首里城浦添城などは中国人が赤瓦製造伝授するまで高麗瓦を製造してた
沖縄全域に大陸や朝鮮系の多くの城が点在して本土系文化は上陸してない。中城城址
からはモンゴル製弾丸も発掘されてる、後年モンゴルの皇子が明によって琉球に従者と共に
島流し。琉球の文化や人は大陸と密接だった、世界遺産の城12世紀から15世紀は本土や
和寇のの影響はない。沖縄の戦乱の時代は只の小競り合い程度、人が少ないので共倒れ
親玉が逃げれば終わりや大概内紛崩壊、世界遺産の中城城や勝連城座喜味城が統一後
六百年たっても状態よく残ってるのは徹底的に戦ってなかったからと日本軍常駐が無かたので >>863
それはスウェーデンが独立するときの話だからモンゴルや古ルーシと関係なくないか? >>844
鎧と言ってもモンゴルのは革製だから、日本刀なら容易に斬れる >>42
完了の手口と同じ
口頭指導 言うこと聞かないと見せしめに逮捕
聞いて問題になると証拠がないので不起訴
かつ訓令なのでやった現場の人が悪くなる >>89
第一地図がない、2に協力者がいない
3、道は悪路、山道、峠、
4、瀬戸内海とおると
常に側面を水軍にさらす大縦列
5、京都が落ちても箱根、鎌倉まで落とさないと征服にならない
6、当時は民衆も荒々しいので、1回劣勢になると竹槍もって落武者がり
幕府の軍勢は30万 落とせない 追撃せんもされてないのを敗走とは言わん
一時撤退 兵力を再終結しようとしたら
元が逃げた >>59
当時の水城の位置は?
海からの距離とか
平安海進と言って当時は暑かった時期だから、海は今より1m高いぞ
そもそも勝ち戦で勝利を放棄するなんでないんだよ
何しに来たんだ
アホか >>871
そもそも元側が
我々は嵐に耐えたが
日本に敗れた
と書いているんだが >>872
耐えてないだろ
逃げる時に嵐が来てやられたんだよ
そもそも耐えたとかなんだよ
じゃ占領しろよ
強行偵察とか数十人単位だぞ
それは単なる強がり モンゴル化したルーシ、ロシアこそ騎馬民族征服王朝だった >>867
下級はレザーだけど。
上級士官はラメラーアーマーだよ。日本と同じ構造の。 三万も来てなんもしないで帰るとかないからね
欧州なんかでも侵略はそんな程度でやってる モンゴル帝国の侵略を退けたのは日本、ドイツ(実質は負けたけど)、ベトナムと現代戦争で軍隊を強化し得た国々 朝鮮は国王が服や髪型までモンゴル式を真似て媚びて生き延びたんだっけ
賢いなあ >>878
ま、もともと強いんだろうね
あと、モンゴルに征服された所は後に十分な民主主義が発達してない
それが理由なのか結果なのか分からんが >>812
鎌倉が負けたのは国内政治だよ
徳政令出したりして
日本史上の最大の事件だったし
それは関係ないな 南北朝鮮の寒冷地帯適応顔はモンゴル帝国にレイプされたからなの? >>881
似たところはあるけどちょっと違う
戦闘員の失業対策にはなったけど秀吉は本気で征服して大陸に遷都するつもりだったし、明も朝鮮を助けたからといって大損害ではない
秀吉の件がなくても北虜南倭と腐敗政治ですぐ王朝末期の農民反乱だっただろう >>883
壬辰倭乱の時に大量の倭猿が半島の冬に耐えられす凍死した 恒常的に冬に耐えられす凍死してた朝鮮土人が
秀吉が残した唐辛子を有難がった >>880
たぶんズルズルと文化を引きずったまま本国が倒れたから放免された状態になったのと
ヘイトぶつける相手のモンゴルがショボすぎて
打倒してコンプレックスから抜け出す段階を踏めなかったのが未熟な精神を根付かせたんだと思う でも今のモンゴルって何の力もないじゃん
そんな頑張って人々を虐殺したり、征服した意味なかったね
やっぱユダヤみたいに宗教を利用して世界を掌握しないとダメだよ アシュケナージユダヤがハザールハン国だってバレたから何かロシアに仕返ししてるんだな >>878
シリア わしら一回で勝った
日本 二回とも撃滅や
ベトナム 三回ボコってやったぜ >>888
13世紀の主役は間違いなくモンゴルだぜ
地球の主役になった国家はそうはない 残虐さでいえば広島、長崎、東京大空襲にくれべりゃかわいいもんだろ >>867
今までは革製の鎧でも鎧の上から斬り殺されることはなくて刀の重さでぶん殴られる感じだったから日本刀にはビビリ驚いたとどこかで読んだ >>864
元は明の軍が来るより以前に皇帝を始め皆で都を放棄して逃げたのに、皇子が捕まったって
どういうわけなんだろうか。
引用は明実録から?縁者かもしれないけど皇子ではないと思う。
元の記録には無いようだしね。
明という王朝は、こと元に関しての記述が色々といい加減なので。 ロシアのドラマ
The Golden Horde | 2019 Drama Series | Official English Trailer | Mongol Empire
http://www.youtube.com/watch?v=smKlnlFFKnM
ヤロスラヴリ大公の養女が献上されてるシーンがある >>896
なんで日本はこんなドラマ作れないかね
予告編だけで日本のドラマ12本分の金がかかってそうだ >>883
蒙古に逆らった三別抄は済州島に逃げたがこの島はモンゴルのDNAが特異的に濃い
明らかにやられたんだろう
ちなみに三別抄は鎌倉幕府に手紙で助けを求めたがしかとされてるw 海がなけりゃ日本も蹂躙されてた 天然の堀で、悪天での大波つき
海に感謝しないと
対馬が蹂躙されて、人が手に穴開けられ綱で繋がれ奴隷として海外に売られるという悲劇がある エリツェン、プーチン体操のシュシュノワ姐さんの目を見てタタールの軛を実感した。 >>850
正確に言うと当時の作り方が現代でもよく分かってないw
後世のように砂鉄を溶かして鋼と軟鉄を作って、鋼の芯材を軟鉄で包んで鍛えるという
凝った製法は当時はやってなかったし、そもそも砂鉄で作ったかも疑わしいw
だからナマクラなクソ駄作も山程作られたけど、ごく一握り物凄い高性能な物もできたという
命懸けの壮絶なガチャの賜物だったんでは。 済州島は、馬を飼育するために直轄地にされてる
モンゴルや漢人の役人が入ってる >>898
>>899
島に籠もれる人数が少ないと海越しでも勝てないのな >>896
のドラマの中でも、ロシアが女を献上する一方で、
モンゴル側も女を贈ったりしてる
一方的なものじゃないよ ある日、チンギス・カンは重臣の一人であるボオルチュ・ノヤンに「男として最大の快楽は何か」と問いかけた。
ノヤンは「春の日、逞しい馬に跨り、手に鷹を据えて野原に赴き、鷹が飛鳥に一撃を加えるのを見ることであります」と答えた。
チンギスが他の将軍のボロウルにも同じことを問うと、ボロウルも同じことを答えた。
するとチンギスは「違う」と言い、
「男たる者の最大の快楽は敵を撃滅し、これをまっしぐらに駆逐し、その所有する財物を奪い、
その親しい人々が嘆き悲しむのを眺め、その馬に跨り、その敵の妻と娘を犯すことにある」
と答えた。
以上の話を聞いた鎌倉武士は「蒙古の皇帝は女色に溺れる暗君である」とあざ笑ったという >>899
日本側が攻撃してるんだが
知らんのか
あと対馬は山ばかりだから逃げるのは容易
壱岐がやられてるはず >>910
隕鉄は鋼と呼べない位に炭素量が少ないからそもそもまともな刃物にならんぞ。
ただ儀礼的な意味で隕鉄由来の刀は作られてきた(鋼の心材を隕鉄で包んで鍛えたそう) 陸上の会戦だけでモンゴル軍に勝ったマムルーク朝が周辺国では最強ってことかも 912名無しさん@1周年2019/09/05(木) 22:12:47.05ID:Q26nx2OO0
>>899
日本側が攻撃してるんだが
知らんのか
あと対馬は山ばかりだから逃げるのは容易
壱岐がやられてるはず
対馬が壊滅したのを知らんのか
お前みたいな、幻想をもつ馬鹿が太平洋戦争で敗戦に導くのだ
勝手に常勝の軍団に脳内で書き換える 文屋の餌食、いいお客さんで終わりなら結構 >>912
日蓮の記述
>去文永十一年(太歳甲戊)十月ニ、蒙古国ヨリ筑紫ニ寄セテ有シニ、
>対馬ノ者、カタメテ有シ総馬尉(そうまじょう)等逃ケレハ、
>百姓等ハ男ヲハ或八殺シ、或ハ生取(いけどり)ニシ、女ヲハ或ハ取集(とりあつめ)テ、
>手ヲトヲシテ船ニ結付(むすびつけ)或ハ生取ニス、一人モ助カル者ナシ、
>壱岐ニヨセテモ又如是(またかくのごとし)
日本を貶したいのは分かるけど史書にもある記述を主客転倒させるのは頂けないね
文章の理解が逆になっちゃうほど必死なのか? >>51
700年遡ってもやっぱりクズ民族だったという無慈悲な指差し確認w いきなり俺勇者で突っ込んでくる武士に、ファンタジーロールプレイのごとくキチンと5人分隊の矢槍剣チームを組んで対応するモンゴルか >>866
北欧はモンゴルと絡みがなかったね
南欧も西欧もだけど 十字軍に恐れられたアラムートもあっけなく壊滅したしな 韓国人と高野和明はジェノサイドと日本人ヘイトが大好き!!! フン族の中には既にゲルマン人とかも取り込まれてたとか最近の研究であったな >>916
日蓮のは聞きかじりだよ
直接聞いたわけではないし、知る立場にはいない
あと、対馬は山ばりだから
壱岐は平地ばかり
どちらが逃げやすいかわかるだろら
やられたのは壱岐だよ
日本を貶したいのはわかるって何のこと?
チョン答えろ 中央アジアからヨーロッパ東部における餃子料理の分布が
そのままモンゴルの勢力圏に当てはまるそうだよ
ジョージアやロシアのペリメニや、ポーランドのピエロギは
モンゴルのパオズとよく似ている >>202
1288年4月初め、ウマルが指揮する船団は、騎兵の護衛を伴いつつ白藤江を遡上した。
戦船が杭を打ち込んだ地点に差し掛かると、陳軍の軽舟が出撃し、
すぐに負けを装って後退した。懸命に追撃した元軍が伏兵された地点にたどり着くと、
両岸から何千もの陳軍の小舟がなだれ込んできた。
ちょうど潮が引きはじめた時刻だったとされている。元軍の船団は慌てて退却したが、
干潮で水位が下がり顕わになった川底の杭に退路を阻まれ、
多くの船が壊れて沈没するに至った。さらに陳軍は火をつけた筏を潮に乗せて流し、
船団を炎上させたといわれる。生き残った兵士は川岸へと逃げたが、
伏兵していた歩兵による奇襲攻撃を受けた。元軍の水兵は全滅し、ウマルは生け捕りにされた。
トガンが指揮した部隊は萬劫より諒山の方向へ逃走し、
陳朝軍の追撃を受けつつ広西に逃げ帰った。 >>926
この時の杭が、ハノイの歴史博物館みたいなとこにあった。
元寇に結構な展示スペースを割いているので興味がある人は是非。 >>280
>その野蛮モンゴル人をして「奴らは人の心が無い」と言わしめた超絶鬼畜の鎌倉武士wwww
侵略者が言うなw >>928
だってこんな連中だぞwww
家を継いだからには心がけねばならない。戦時に馬の餌にするのだから庭草はボーボーにしとけ。
調練場の端には生首を常に絶やすな、人殺しも忘れるな
門前を横切る乞食や僧侶、修験者はとても有益なものだ、すばしっこく逃げるため弓の標的として活用せよ。
武士と生まれたからには殺しまくれ。 >>928
対馬の女性を何十人も拉致って、それぞれの船の舷側に手に縄通す穴をわざわざ開けて吊るして
(普通いらない。手にそんな頑丈さないから。キリストのあれも無理)
その鎌倉武士にあいつら真正の基地外かって言わせたのがモンゴルだぞ >>351
日本対モンゴルの戦いの話をしているのに、こうやって執拗に日本をディスるのは。。。
やっぱ雑魚チョーセンだろなw
火付け役を買って出た結果の返り討ち&皆殺し、その後の倭寇で末代まで数十倍返しとか、
初めから終わりまでもうどうしようもなくチョーセンな展開w >>354
サザエさんで波平がブロンソンの口ひげを真似た回があったのを思い出したw >>890
アフガニスタンでも撃退されてる
イランにも侵入失敗
モンゴル軍は無敵ではない >>930
ちゃんと立てる足場があれば、全体重が手のひらにかかることはない。
捕虜の手のひらに穴をあけて縄を通すのは、逃がさないためであって空中に吊るすためでない。 >>934
海の上ならどのみち要らないだろ。どうやって逃げんだよ? >>915
漫画でそういう内容のやつ無かったか?
たぶんそれ読んで知ったつもりになってんだろ >>930
磔の場合は橈骨と尺骨の間(つまり手首のど真ん中)に釘を打つのが正式な作法。 >>936
海に飛び降りるなどいろいろ可能。
モンゴル兵は泳げないので、捕虜に海に逃げられたら矢を射かけて殺して楽しむぐらいのことしかできない。 >>939
対馬から博多までの距離手に縄されて泳ぐの?
頭大丈夫? >>899
日本海はいつの時代も最精鋭の兵士数百万に匹敵する。 >> 929
御成敗式目ってのは、世界で最も進んだ法律なんだよ
例えば、
第11条:「夫の罪によって妻の財産が没収されるかどうかの判断について」
謀反・殺害ならびに山賊、海賊、夜討ち、強盗などの重罪の場合は夫の罪であっても妻の領地は没収される。しかし、夫が口論によって偶然(ぐうぜん)に相手を傷つけたり、殺害してしまったような場合は妻の領地は没収されない。
第12条:「悪口(あっこう)の罪について」
争いの元である悪口はこれを禁止する。重大な悪口は流罪とし、軽い場合でも牢に入れる。また、裁判中に相手の悪口をいった者は直ちにその者の負けとする。また、裁判の理由が無いのに訴えた場合はその者の領地を没収し領地がない場合は流罪とする。
※悪口=人をあしざまにののしること。
目次
第13条:「他人に暴力をふるうことの罪について」
人に暴力をふるうことはうらみを買うことであるからその罪は重い。御家人が相手に暴力をふるった場合は領地を没収する。領地がない場合は流罪(るざい)とする。御家人以外の場合は牢(ろう)に入れる。
日本はこんな法律を13世紀に作ってたんだぞ >>938
朝鮮人の作法なんだよ
元々は遊牧民が拉致住民連れてくのにやってたんじゃね?
北朝鮮なんかは今でも罪人を連行するときはやってる >>880
>あと、モンゴルに征服された所は後に十分な民主主義が発達してない
>それが理由なのか結果なのか分からんが
暴虐と力による支配。
その遺伝子スイッチが入ってしまったのでは? >>905
戦ってたのは地元の武士だけだよw
援軍来る前に決着ついちゃったんだから 「高麗棒子」という呼称がいつ頃生まれたのか気になる。
モンゴルによる高麗侵攻の時代の気がするのだけど根拠はない。 本当に正しいかどうかなんてわからないのに
自分と違う意見を言われると頭にくる奴
歴史好きに多いよねぇ(実は俺も) >>947
日帝期、更に言うと満州国建国以後。
当時の下級役人や巡査は朝鮮人がやってたが、奴等には(危な過ぎるのでw)
当時の警察のトレードマークだった拳銃とサーベルは持たせず警棒だけ許可されてた。
で、例によって朝鮮人は現地人には嬉々として警棒振り回して威圧してたので
そのまんま高麗棒子という蔑称がついたwww 国書の和訳DQN風味
上天眷命 「イケメンからのゴアイサツw」
大蒙古皇帝奉書「大蒙古国の『皇帝』の手紙だぜ!」
日本國王朕惟自古小國之君「やあ小国ニッポンの『国王』(皇帝>国王)ちゃん元気にしてる?」
境土相接尚務講信修睦「俺、おもうんだけど国境を接する国とは仲良くしたほうがよくね?」
況我祖宗受天明命奄有區夏「ましてや俺達モンゴルってば天に世界の頂点約束されてるわけなんよ」
遐方異域畏威懐徳者不可悉數「隣国どころかすげー遠い国でも俺にぺこぺこしてんぞ? 」
朕即位之初以高麗無辜之民久瘁鋒鏑「そういえば高麗もおれが軍事介入して戦争をやめさせてやったわけだが」
即令罷兵還其疆域反其旄倪「くそ役にたたねーガキと爺どもを故郷に帰してやったわけさ」
高麗君臣感戴來朝「そしたらあいつらうれションする勢いでぺこぺこしてきたぞw」
義雖君臣而歡若父子計「まああいつらは俺のパシリだが同時に親子でもあるわけだな」
王之君臣亦已知之「まあお前らもこのことはもう知ってるわな」
高麗朕之東藩也「高麗は俺の犬」
日本密邇高麗「んで日本は高麗のすぐ隣やん」
開國以來亦時通中國至於朕躬而無一乘之使以通和好「なのにオメーなんで俺に挨拶しに来ないわけ?」
尚恐王國知之未審「多分おまえら世の中の変化を知らないだけだよな? 」
故特遣使持書布告朕志「しかたねーから俺から手紙だして教えてやったのよ 」
冀自今以往通問結好以相親睦「今から仲良くしようぜ?な? 」
且聖人以四海爲家「おれみたいなイケメンはさ全世界を俺の家族だと思ってるんだよねスイーツ(笑) 」
不相通好豈一家之理哉「ちなみに親交をむすばないってんなら家族じゃねーからぶちのめすわw」
以至用兵夫孰所好「おれもお前ぶちのめしたくないからよwわかんだろ?言ってることw」
王其圖之不宣「じゃーな!」
時宗
舐めんじゃねえぞ ゴラ
開戦だ 気合いいれろ オメーラ >>802
>抵抗というよりは王族が島に引きこもってて本土は蹂躙されまくりだったんだけどな
チョーセンってもうこんなウソばっかりかよw >>949
それは違う。
高麗棒子は、朝鮮人売春婦の私生児が棒のようにやせ細っていたことからついたあだ名だよ。
朝鮮棒子ではなく高麗棒子なので、朝鮮半島の政権が高麗と名乗っていた時代なのではと思う。 >>943
画期的ではあるが大部分は常識以前の内容だぞw
・みだりに通行人や旅人を殺してはいけません
・勝手に百姓の嫁を犯して殺してはいけません
・他人の領地の田畑から勝手に作物をとってはいけません
・他人のものを自分のものにしてはいけません
・行商のものを殺して品物を奪うことはもういい加減にやめましょう
・旅女や歩き巫女を無理矢理犯してはいけません、ちゃんと対価を払って犯しましょう >>930
対馬の住民を女子供関係なく虐殺したのは朝鮮人 >>954
何が常識だ
中国じゃそんな常識なんか今でも通用しないぞ
適当なことを言うな >>953
高麗人って戦前の中国人が今の北朝鮮人や満州、沿海州あたりにいる朝鮮族に
使ってた呼び名だぞ。
ロシアにいる朝鮮族はロシア語でコリョだけど、これも高麗由来。
高麗という国自体は大昔に滅びても名前は後世まで残ってた。 中国をキャセイとかキタイとか言うのと同じだな
契丹から来てる >>950
モンゴルがマムルーク朝に送った国書にくらべるとずいぶん紳士的では?
東西の王の中の王である偉大なるカーンより、われわれの剣を避けるために逃げたマムルーク朝の
クトゥズ(人名)へ。貴殿は他の国々に何が起きたかを考えて、われわれに服従すべきだ。貴殿は、
われわれがどのようにある巨大な帝国を征服したか、あるいは地上を汚していた混乱を浄化したかを
聞き及んでいるだろう。
われわれは巨大な地域を征服し、すべての人民を虐殺した。貴殿はわれわれの軍隊の恐怖から逃れ
られないのだ。どこに逃げられるというのだ?どんな道を使ってわれわれから逃れようというのか。
われわれの馬は速く、矢は鋭い、剣は稲妻のようで、肝は山塊のように据わってる、兵は砂のように
無数にいるのだ。いかなる要塞もわれわれを引き止めることはできない、どんな軍隊もわれわれを止め
られない。貴殿が神に祈ったところでわれわれに対しては役に立たない。われわれはお涙に心を動か
されたりしないし、悲しみにも心を痛めない。
われわれに保護を乞う者のみが安全でいられるのだ。いくさの炎がともされる前にはやく貴殿の返事を
よこしなさい。もし抵抗すれば、もっとも恐るべき破滅を貴殿はこうむるだろう。われわれは貴殿のモスク
群を粉々にし、貴殿の神の弱さを白日のもとにさらし、それから貴殿の子供たちと老人たちを一緒に殺す
だろう。現在のところ、われわれが進軍して攻撃すべき唯一の敵は貴殿のみなのだ。
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Ain_Jalut >>954
こんなことばっかりやってるから
いけませんとわざわざ法律作った。
昼間から酒飲んで喧嘩、公房が毎回独立騒ぎ、
公家の輿ぶっ壊して切腹の
室町の武者でもまだ儀礼的という
リアル首かり族の鎌倉武士 >>946
島津は伊勢や若狭にも領地があったから、そこからも集めてんじゃないの?
薩摩守だけど薩摩に住んでなかったはずだよ。 朝鮮は「貢物が少ない」という意味。
蔑称に使うなら高麗よりも朝鮮のほうがあってると思うけどね。 >>38
チンギスが出てくる前に戻っただけやろ
元々まとまらない民族だぞ きちんと互いに名乗って戦うのは平安時代までで、これとて義経が隙をついた奇襲夜襲で
無双して以降は何でもありのひたすら野蛮でむごたらしい戦術が後の鎌倉武士の主流になってるんだよなw
ついでに言うとジャンヌダルクが連勝したのも騎士道精神ガン無視の奇襲、夜襲、貴族や非戦闘員もお構いなしの
虐殺の繰り返しで無双してたw
(まあこれは残虐と言うより無学の百姓の娘の無垢さゆえに、当時の戦場の掟などガン無視で
一番効率的な戦術を取ったんだが、まあ後に火あぶりになるのもやむ無しの非道ぶりだったww) >>943
ハムラビ法典のほうが進んでたかもね
ローマ法なんか現代の各国の法律の基礎になっていて、
日本の民法もローマ法を基にしている
まあ、だから日本人には日本の民法がなじみにくいんだけどねw 水城防衛拠点に据えたのそんなに悪手じゃないと思うけどなぁ
バカ正直に付近の海城に拠点構えるより海からくる侵略軍への対策本部置く場所として妥当に見える >>965
ジャンヌダルクってひたすら悲劇のヒロイン扱いされてる印象だが
ちゃんと軍事的な理由があって勝って必要以上に恨みを買う側面もあったんだな >>929
関東人ってモンゴル人より野蛮だったんだな 日本の地形で騎馬戦術って有効に使えたんだろうか
モンゴル軍が日本に上陸出来ててもゲリラ戦術で撃破されてそう >>961
確か島津は二代目か三代目あたりで薩摩に移住していたから
元寇の時点では薩摩(あるいは日向)在住であったかと >>3
だなあ。朝青龍のご先祖さん達、エグ過ぎた…
金品財宝かっぱらって、女子供は奴隷で攫って、男は全員皆殺し。ブレていない。 ジンギスカ・ン
チンギス・ハーンなら見た事あるけど、
「チンギス・カン」は初めてだ >>279
それは狭い島国だから幸運にも黒死病のようなものがこなかっただけであって
庶民は常に不衛生な状態で疥癬だらけだったし寄生虫だらけだったわけで >>975
宗教的背景がない
ってのがまた良いよね
天上には神がいる
地上にはチンギスがいる
それだけだ モンゴル族は世界一残酷な民族だから又暴れないように今の内に皆殺しにしておいた
方が良い、モンゴル本国よりも内モンゴル自治区の方がたくさんのモンゴル人が
暮らしているから1人残らず始末しよう。 >>975
近世まで戦争ってどこもそんなもんだぞ
日本の戦国時代も皆殺しこそ滅多にしないが略奪暴行奴隷売買がデフォだったし モンゴル人は、相撲取りのせいでイメージが悪い
悪どく人を殴ったり嘘つくイメージ >>979
ロシアと中国がきっちり囲ってるじゃん
それに
やっぱモンゴル帝国が支配した地域は
現代の世界の主役になってはいないんだよ
(中国は別な)
あいつらは本当に海が嫌いで
例えばイスタンブール(当時はコンスタンチノープルか)陥落させりゃローマまであと一歩
なのに関心すら示していない
その後の海上交易がもたらす世界の発展
に乗り遅れた地域ばっかなんだよなぁ
あいつら大地をかけて目先の都市ぶち壊し
だけで満足する摩訶不思議な奴らだ 涙で渡る血の大河
夢見て走る死のこぉぉぉぉぉぉぉぉおやぁぁぁ 1000年も経っていないのに、
どうして賠償金を請求しないのか? >>985
今落ちぶれたからだろ
金があるから請求できるのであってさ
日本やドイツは >>982
そういったビジョン持たないから衰退するんだよな
まさにただの蛮族
己の力を誇示したいだけの中二病と同じ 大海の日本に侵攻しなかった歴代中華皇帝は頭いい。フビライは高麗に唆されてバカになった。 >>279
WW2の米軍のジャップ観察記録によれば
ジャップは綺麗好きだが衛生概念が欠けていて不衛生
だそうだ ID:VIw8IvOb0
哀れ、蒙古の末裔
ウンコも食べる モンゴル帝国の虐殺は有名だね
攻め落とした都市の人を斬首して
その首で首塚を作ったって話だし
日本だって元寇のときに負けてたら
皆殺しにされて今の日本はなかったかもしれん >>995
公孫氏が魏に滅ぼされた時もそんな感じだったらしい
で、公孫氏の一部が日本まで逃げてきてて神社が残ってる モンゴルに皆殺しされてレイプされて産まされた子供たちの末裔
全員がレイパーの子孫、それが朝鮮 欧州には、子供が悪い事をすると、
つり目にして、モンゴル人が来るよ
と脅すいう諺が、今でもある。
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