【徳島】邪馬台国=邪馬壹国で、阿波に 研究者が出版 本来の邪馬壹(やまと)国が邪馬台国に 高天原は神山町、卑弥呼も同町に
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
古代日本に存在したとされる邪馬台国は「邪馬壹(やまと)国」で、徳島県内にあった――古代史研究者3人がそんな説を唱え、「邪馬壹国は阿波から始まる」(原田印刷出版、A5判270ページ、税別2300円)を出版した。この説をめぐり、全国の研究者でつくる阿波古事記研究会などが22日、美馬市脇町で「古事記 やまと全国大会」を開く。
執筆は阿南市の三村隆範さん(72)と土佐野治茂さん(64)、北島町の永井英彰さん(82)。
三村さんによると、本来の邪馬壹国が表記を重ねるうちに邪馬台(臺)国とされた。邪馬壹国は当時、日本列島にあった倭国(やまとこく)と同じ意味で、「やまとこく」と読むべきだとする。また、国生み神話の高天原は神山町にあり、女王卑弥呼も同町にいたと主張する。(続きはソース)
朝日新聞デジタル 2019年9月19日03時00分
https://www.asahi.com/articles/ASM9D6KPLM9DPUTB009.html
「邪馬壹国は阿波から始まる」を出版した三村隆範さん(右)と土佐野治茂さん=徳島市八百屋町
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20190918001198_comm.jpg >女王卑弥呼も同町にいたと主張する
まちかどひみこ 大和だろ
何で中国が付けた蔑称をありがたく使ってるのか意味わからん 卑弥呼に関連する物はすべて阿波と徳島に揃ってるからな まちか〜どで み〜つけた
だいじ〜な た〜からもの ロマンあるよな
実際には人骨も住居跡もないんだろうけど 国産み神話の起源は淡路島だもんな。
阿波こそ日本の起源でもおかしくない。 山戸国の姫子に会いたい
俺の想像では姫カットの切れ目のべっぴんさん そもそも魏志倭人伝の原本なんか無いんでしょう。
本にしているしている資料が怪しいなら何でも言えそうな。 天皇には新羅王子の血が流れている
アメノヒボコ(天之日矛、天日槍)は、『古事 記』、『日本書紀』に見える新羅の王子。『播 磨国風土記』には神として登場する。
古事記においてアメノヒボコと阿加流比売神の 子孫・曾孫が、菓子の祖神とされる多遅摩毛理 (たぢまもり・田道間守{日本書紀})であ り、
次の代の多遅摩比多詞の娘が息長帯比売命(神 功皇后 )の母、葛城高額比売命であるとされて いる。
しかし日本書紀において結婚したのはアメノヒ ボコでなく意富加羅国王の子の都怒我阿羅斯等 (つぬがあらしと)とされている点で異なる。
また古事記ではアメノヒボコの話は応神天皇の 段にあり、応神天皇の治政を述べるくだりで出 現する。
日本書紀では応神天皇は神功皇后の子であり、 神功皇后の母はアメノヒボコの末裔の葛城高顙 媛(かずらきのたかぬかひめ)であるため、
古事記と日本書紀では系譜(アメノヒボコが出 てくる話の時系列)が逆転している。
http://i.imgur.com/E3linwh.jpg 邪馬台国論争は畿内で決着済みです
九州説も徳島説も学術的根拠のない俗説に過ぎません
国立歴史民俗博物館
Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?
Answer 大多数の考古学者は大和説です
http://www.rekihaku.ac.jp/contact/faq01.html#c 邪馬壹の壹はトとは読まんだろうに
いつまで間違えたまま話が進むのか 四国八十八ヶ所の脱落でおなじみの山奥に邪馬台国ねえ・・ 1人ノリノリで他の2人はやや引きながらも何もしないよりは楽しいから付き合ってるみたいな どこでも邪馬台国ブーム
焚き付けるのは地元の自称歴史学者
町興しの積りかよ >>28
当時の読み方とか、画数が多いから似てる別の字と間違えたとか説あるよね
後継者はイヨじゃなくトヨ説とか
壹 臺
トヨはとよとみみのおうじに繋がる説とか 邪馬台国より200年古く確かな証拠がある奴国が
さして話題にのぼらないのが日本古代史研究の最大の謎と思う
邪馬台国研究利権があるとしか思えない そんなローカルなくせに、大国はおかしいべ。邪馬台国だけに 西日本のほとんどが女王を共立した邪馬台国連合だったんだから、もう西日本全部邪馬台国でいいんじゃね 古代の女王というと
吊り切れ目の姫カットのドSおんにゃの子にイチコロやられたのか 宮内庁で判らないの?
嘘がばれると困るから沈黙してるの?
どうなってるの? >>27
畿内が有力視されてるものの、そもそも、
「邪馬台国」なんていう書き方はどの史書にも出てこず
これは学会だけでなく既知の常識。
近代に入って漢字制限後の常用漢字、教育漢字を
勝手に「台」に置き換えている。
元の意味・発音をくみ取らずに
置き換えたものを「ヤマタイコク」と呼べなんてのが無理筋で、
教科書は完全にウソを教えている。
鎌倉幕府=1192年も、最近の学会では誰も支持しちゃなくて、
教科書はウソを教えていた。 >>44
考古学なんかどんどん覆されるのは当たり前だよ
そもそも鎌倉幕府1185年なのはもう年寄りにも常識 九州のアイドル卑弥呼ちゃん
関西の大手芸能プロが強引に引抜を仕掛ける
そして九州と関西との争いの間隙を突くように四国の弱小プロダクションが卑弥呼強奪を仕掛けてきやがった 卑弥呼が剣を持って神に捧げる踊りを舞ったのが阿波おどりの起源な >>49
なら、なんで徳島人が少人数なのにここまでことごとく優秀なんだよ? 5chで俺がずっと言ってた説をパクるなよ?
邪馬台国とか言う現代当て字が的外れすぎだから、誰でも気づくことだけどな。 卑弥呼が中国に使者をやったのは昔の朝鮮、帯方郡(現在のソウル)が邪馬台国の
領地だったからだ。なんで四国くんだりから半島まで出兵できるか。 邪馬台国が大和でもうまちがいはないよ。
結局、日本の「倭国」の歴史的にみたら空白でも何でもないからな。
古事記にも日本書紀にも邪馬台国の記述がないとか言っても「ヤマト」なんだからあるわけないだろ。 こないだ話題になったやつか。すーぐ調子にのりやがって >>46
長崎の卑弥呼ちゃん?
お世話になりました。今はもう50歳ぐらい? 瀬戸内海を支配しておいて四国は手付かずって事も無いだろうから
四国だって邪馬壹国の一部だろう 細かいことはよくわからんけど
四国と鬼ヶ島の関連だとか、古代史の四国だとか、繋がりがありそうとは聞いたことがある >>56
朝鮮半島の弱小国とのやり取りは書くのに、
中国王朝とのやり取りを書かないのはおかしいやろって話なんやけどな。 取り柄のない町の町おこし
邪馬台国はウチ
平家の落人の郷
ツチノコ発見 >>45
残念ながら、
1185年説も支持している歴史学者はいない。
1185年説というのは文科省役人が決めた事。
守護・地頭の任命を許可する文治の勅許が下されたことを受けるのが1185年説だが、
学会では、だから何?という程度。
御家人となった武士を地頭にして本領安堵を行い、
荘園制を介し、御恩と奉公により武士の利害を代表する政権を鎌倉幕府とするなら、
1185年以前から頼朝は実行している。
任命権をいうなら、日本国総守護地頭に任命された1190年の方が完全。 >>24
え?
魏志倭人伝って三国志正史の内の魏書東夷伝烏丸倭人条の通称だけど 四国説の場合
大和には別の国がある
九州にも有力な国がある
って感じで邪馬台国は少ししょぼい感じになるんだよな >>1 >>2
パンスト朝鮮顔を整形しまくったネトエラ(ネット工作の在日朝鮮人)がわきまくってるしな。
日本に密入国してきて図々しく居つき、
生活保護を受給しながら凶悪レイプ性犯罪を繰り返し
日本人になりすましネット工作を続ける在日朝鮮人。
チョンポップの人気偽装を繰り返してるのもこいつら在日朝鮮人・帰化人。
在日朝鮮人は スパイそのもの
帰化人を含めて朝鮮人全員をいったん強制送還するしかない。
●●● ネトウヨ連呼厨(ネトエラ)の正体 ●●●
http://karutosouka2.tripod.com/uyokusyoutai.htm
. >>1
邪馬台国との位置関係
【もっと北】 朝鮮半島 (狗邪韓国)
【北】 九州北部 (対馬国、一大国、末盧国、伊都国、奴国、不弥国、投馬国)
【女王国】 邪馬台国
【南】 狗奴国 邪馬台国、阿波説はけっこ有力なんよね
まぁどのみち金印でなきゃ
結論は出ないけどね 邪馬壹国の研究本として阿波説おもしろそう
これは読んでみたい >>61
相手にしてなかったって言うのが正解じゃない?
大陸が書いてることはヤマトは自分等の配下にしてやったみたいな寝言だろ。
お前とこに下に見られる覚えは無いからってことだろ。 邪馬台国の定義が部落を一つにまとめ上げた共同体でしょ
西日本共同体の首都が四国、は間違ってもねえだろ 邪馬台国とか卑弥呼とか、当時の支那人が周囲の国を馬鹿にしてつけたものはもう無視しろ。
ヤマト、ヒミコでいい。 秀吉の朝鮮出兵で船を漕いだのは瀬戸内の村上水軍、塩飽水軍の水軍たちなんだが。
剣山にはアークの秘宝も眠ってるし、天皇家に必要な家系も徳島の○○に有る。
四国88ヶ所は結界。 >>77
それなら、今も四国をヤマトと読んでるだろ?
で現実には今もヤマトと呼ばれてるのは大和朝廷があった大和盆地地域だからな。 銀座だって全国にあるだろ
いいだろうが四国邪馬台国で >>75
3世紀中頃にはすでに他国連合になってたはずだから、
他の国が何で書かないの?って不思議に思うはずでしょ。
そんな記紀を編纂しても、いい加減な政権と思われるだけじゃん。 >>79
穢国と呼ばれた朝鮮半島の立場はどうするよ?
糞尿の国って意味だぞ? 「行」 → 六朝時代の発音は「ぎょう」 → 日本へ流入して → 「行列(ぎょうれつ)」
「行」 → 漢の時代の発音は「こう」 → 日本へ流入して → 「行動(こうどう)」
「行」 → 宋の時代の発音は「あん」 → 日本へ流入して → 「行燈(あんどん)」
同じ漢字でも発音は時代によって変わる。
「邪馬台国」の発音も、魏志倭人伝が書かれた当時の発音で読まなければならないわけだが、
政府が認定する学校教科書はそのようには教えず、ウソを教え続けている。
「ヤマタイコク」なんて、当時の人が発音してるわきゃない。 >>84
だから、相手にしてなかったって言うのが正解じゃない? 大和は国のまほろば だからなあ
本当に四国でいいの?
ファイナンスアンサー? 【起源煮だ】「日韓断絶」叫ぶ滑稽さ 朝鮮半島経由した弥生人との混血で薄まる縄文人の血 上皇陛下「韓国にゆかりを感じる」 ★2
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1569162029/
凄い煽りスレの流れになっててワロタw >>86
そもそもが写しだからな。
原本に臺と書いてあったかとか自体確認もできないし、
台とか至ってはただの現代字だからな。 日本全国どこでも好きに「邪馬台国」を主張すればいい。 >>87
日本政府が太平洋戦争の敗戦を省いた歴史書を出版したとしたら、
国民が日本政府の事をどう思うかという話みたいなもんかな。
まあ一部の国民は拍手喝采するんかもしれんが。 高天原もヒミコも神山町とはずいぶん狭い範囲の神話だな >>1
あーそれでヒミコのヒスイ、日本最古の阿波ヒスイなんつって商売をしてる訳か
なるほど >>27
キチガイみたいにそのコピペ貼りまくるなw >>1
どうせ自費出版だろ?
本が売れずに大損するのは明らか
いい歳して何を血迷ってこんなことやってるんだか そういえば、日本史板のコテも自費出版して、2ちゃんに宣伝しに来てたことあったわ
名前も晒してたしデメリットしかないと思うけど、売るために必死だったんだろう >>1 九州で結論出ている。 (ジンゴウ) 神功皇后が征伐済み
町おこしの話題作り。アカや共産主義者は、都合よく歴史を改竄・捏造する 邪馬台国議論で必ずと言っていいほど議題に上がる水行陸行の記述だが、他の中国史書に照らすと
水行●●陸行▲▲という表現は、「水行ならば●●掛かり、陸行ならば▲▲掛かる」の意味である
これを押さえておかないと正解には辿り着かない
【用例】
通鑑釋文辯誤卷六
https://www.kanripo.org/text/KR2b0012/006#1a
>沈約宋書云汶陽太守何承天志新立去江陵陸行四百里水行七百里上黃縣
江陵から上黄県まで陸路で200kmほどなので、陸行四百里だけで目的地に着いてしまう
江陵は長江のほとりなので蛇行する川を水行すると陸路は無しで目的地に着ける
【嘉興府志】
https://wenku.baidu.com/view/d78078781711cc7931b71692.html
>{嘉善縣誌}達省城二百里達京師水行四千一百三十裡陸行三千六百二十裡
嘉興府の置かれた嘉興市から京師(首都のこと、当時は北京)まで直線距離で1100kmほど
やはり陸行三千六百二十裡だけで目的地に到達してしまう
また、杭州湾沿岸の嘉興市から沿岸水行して北上し、蛇行する川を遡って北京まで2000kmほどで水行もそれのみで目的地到達、陸路の出番なし
上記により邪馬台国までの所要時間は水行ならば10日、陸行ならば一ヶ月であると確定したが、
同時に行程が放射読みで書かれていることも導かれる
なぜなら前段に書かれている投馬国へは水行20日とあるので、連続読みならば、訪問者は投馬国に着いた時点で必ず船に乗っていることになる
20日間も船に乗って投馬国まで来たのに、そこからわざわざ船を乗り捨てて3倍も時間の掛かる陸路を選ぶ理由が存在しない
そのままあと10日船で行けば済む話であるから、もし連続読みで記載しているのならば投馬国からの陸路なんて記載する必要が無い
そうではなく、行程が放射読みで書かれているため、伊都国を経由して邪馬台国へ行こうとする中国人への道案内のための文章としては
彼らが船を確保できていないケースも想定しなければならない
なぜなら末廬国から伊都国までは陸行だと書いてある以上、伊都国に到着する中国人は船に乗っていないわけだからな
そのため時間さえかければ陸路でも行けることを併記する必要があった
つまり邪馬台国の場所は伊都国と地続きの範囲、すなわち九州内に限られる
水行のみで行ける場所なので海か大河のほとりであり、かつ陸行も可能なので伊都国との間に通行不能な山塊などは存在しない地域、となる >>105を踏まえて魏志倭人伝をよく読むと、倭人伝は行程を放射読みにする箇所はちゃんと他とは書き方を変えていることに気付く
記述法を書き分けてあるということはそこは他とは違う読み方をしなければならないということ
連続読みの行程部分は全て動詞が至や到よりも前に書かれているが、
放射読みの箇所は動詞が至より後ろにあるか動詞そのものが無い
・從郡至倭 循海岸水【行】 歴韓国 乍南乍東 七千餘里┃到 其北岸 狗邪韓國 ・・・・・・・・【動詞は前】
・始【度】一海 千餘里┃至 對海國 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【動詞は前】
・又南【渡】一海 千餘里・瀚海┃至 一大國 ・・・・・・・・・・・・・・・・・【動詞は前】
・又【渡】一海 千餘里┃至 末盧國 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【動詞は前】
・東南 陸【行】五百里┃到 伊都國 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【動詞は前】
・東南┃至 奴國 百里 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【★動詞なし】
・東【行】┃至 不彌國 百里 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【動詞は前】
・南┃至 投馬國 水【行】二十日 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【★動詞は後ろ】
・南┃至 邪馬壹國 女王之所都 水【行】十日陸【行】一月 ・・・・・【★動詞は後ろ】
動詞が後ろまたは無い三箇所は距離と方位の起点が前段から移動しない
つまり並列の箇条書き文章であり、地図上では前段から放射読みとなる
上の行程文に照らすと放射読みの起点は全て伊都国である
まとめると
帯方郡 → 狗邪韓國 → 對海國 → 一大國 → 末盧國 → 伊都國
. . . . . . . . . . . . . . . . . . ┃
ルート分岐@ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・┣→ 奴國 → 不彌國
ルート分岐A ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・┣→ 投馬國
ルート分岐B ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・┗→ 邪馬壹國
という構造
これらを総合的に考えた結果の各国配置はこうなる
https://i.imgur.com/8UPzltf.jpg
https://i.imgur.com/pPIaxBU.jpg あーこんなマイナー説じゃレス伸びないわ
九州で何か発見がないと、食いつきが悪い >>1
嘘付いてまで街興しに利用するのは流石にどうかと思うわ >>1
四国説が前からあったことを知らない人が多数だから、
「いまさら珍説かよ」と思うんだろうな
でも淤能碁呂島が四国にあって、淡路島に宗教施設と鉄剣製造所があっても、
それが邪馬台国にはなんないんだよ?
銅鏡も出てないんだし >>109
自演バレバレと何度も指摘されてるでしょ 壹与は何故か「トヨ」と呼んでるヒントが最初から内包されてたわけで 邪馬台国ってのは
地域を指すのであって
具体的な国があった訳ではない
中国から朝鮮半島、九州地域を含む一帯を
邪馬台国と呼んだ。 第三代安寧天皇の皇子の師木津日子命の皇子和知都美命は淡道の御井宮に坐しき。この長女が意富夜麻登久邇阿禮比売で卑弥呼に比定される倭迹迹日百襲姫の母。御井宮は淡路の三原郡といわれ大和大国魂神社がある。淡道は淡路島であって阿波ではなし! >>116
お爺ちゃん、自演ばれてないと本気で思ってんの?
ばれてないと思ってるからこそ、露骨な自演を続けてるんだろうけど >>116
それに、この返事の仕方も変だよな
元のコピペに賛同した第三者の言い方ではない 教職課程の日本史で邪馬台国は沖縄に有ったと半年間聞かされましたが 四国は胡散臭いと考えたほうがいいだろう
ちなみに徳島の阿波踊りだが、歴史的には好き勝手に秩序なく踊るのが阿波踊りだった
しかし、ここ数十年前に女性が鋭敏な振り付けと秩序ある踊りを考案して今の形になった
ブラタモリでその振り付けを考案したという女性がでてきて初めて知った事実だ
つまりヒップホップよりも新しい歴史も文化も何もない踊りだということだ
徳島は胡散臭いと感じた そんなものをいかにも歴史的なものだと宣伝している
金のためならなんでもするのか
まったく日本人らしいね >>106
>・從郡至倭 循海岸水【行】 歴韓国 乍南乍東 七千餘里┃到 其北岸 狗邪韓國 ・・・・・・・・【動詞は前】
>・始【度】一海 千餘里┃至 對海國 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【動詞は前】
>・又南【渡】一海 千餘里・瀚海┃至 一大國 ・・・・・・・・・・・・・・・・・【動詞は前】
>・又【渡】一海 千餘里┃至 末盧國 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【動詞は前】
>・東南 陸【行】五百里┃到 伊都國 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【動詞は前】
>・東南┃至 奴國 百里 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【★動詞なし】
>・東【行】┃至 不彌國 百里 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【動詞は前】
>・南┃至 投馬國 水【行】二十日 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【★動詞は後ろ】
>・南┃至 邪馬壹國 女王之所都 水【行】十日陸【行】一月 ・・・・・【★動詞は後ろ】
ちゃんと系統立てて見ると明らかに違いがあるもんだな
これまでの研究者は気がつかなかったのだろうか? >>120
あながち間違えてもないんだよな
でも高天原が朝鮮半島だとすると、
ここが変になる
>『日本書紀』における八岐大蛇の記述がある一書第4では、天から追放されたスサノオは、
新羅の曽尸茂梨(そしもり)に降り、この地吾居ること欲さず「乃興言曰 此地吾不欲居」と言い
息子の五十猛神(いそたける)と共に土船で東に渡り出雲国斐伊川上の鳥上の峰へ到った
(「遂以埴土作舟 乘之東渡 到出雲國簸川上所在 鳥上之峯」)後、八岐大蛇を退治した。 まあ邪馬台国は普通に九州だろ
それが4世紀頃に畿内に遷都した、それだけの話 >>125
気づいてるから後世の加筆説もあった
同様にここが偽書の説もある
邪馬台国最大のミステリーってこの行程のおかしさにあるんだよな
ストレートに北九州まではすんなりとなんの疑いもないのに、
そこについてから方角にしても距離にしてもわけわからなくなる
伝聞説もあるし、
放射読みの方角間違い説と、連続読みの日程間違い説があって
どちらも牽強付会するからわけわからん
邪馬台国をヤマト朝廷の前身としたがる勢力と、
邪馬台国はヤマト王権に滅ぼされた磐井につながる勢力であるとする説で政治的にも対立してるからね >>127
古事記に韓国(からくに)の向かいに降り立ちってあるでしょ 海を隔てた四国から中央集権的な統治なんかできるかよw
アホすぎるわ ぶっちゃけ学者の間では九州説より阿波説の人の方が多い >>128
ま、オーソドックスに考えればそうだな
面白味には欠けるが、現実って大体そういうものだし >>132
邪馬台国が東征してきた可能性がある
中国地方は出雲朝廷の支配下だったため四国ルートで東征なんて可能性も
まあフィクションの域をでない
しかし、北九州ルートで渡来した朝鮮系弥生人ジャップの日向族だろう 宮崎県、福岡、大分、島根、福井、奈良、のどれかでしょうね。
徳島はねえよ! 阿波説は畿内説の亜流だよ。
モモソヒメの伝承は畿内より多い >>1
日本史板ではもう九州説大勝利で結論が出つつあるのにいまだにこんなこと言ってんのか ちなみに九州説の人は基本的に邪馬台国は朝鮮半島から人々が来ることで始まったと考えてる人が多い。
実際には邪馬台国は弥生時代が始まって人々が移住してから1200年後の世界である。 >>138
どこの日本史板ですか?
5ちゃんねるの日本史板では、昔は九州説スレもあったが
畿内説で決定的になって以来、誰も書き込まなくなり
新しいスレッドが建てられることさえもないんですが?
数人残った九州説が腹いせで、畿内説スレを荒らしてるだけになってます 卑弥呼没後に再発した倭国内乱の影響で、九州を追われて阿波に逃げてきた鬼道の巫女たちが居たんだろ
邪馬台国の末裔名乗ってもおかしくはないと思うが、邪馬台国発祥の地ではないよ
移住地に旧地の名をつけるのはよく或ることだよ >>140
どこのって5ちゃんねるの日本史板ですが?
もう日本史板では畿内説は絶滅寸前で
そうやって嘘を書き込むしかできなくなったのが事実ですよw >>143
Part509まで進んでる畿内説スレがありますね
九州説スレは絶滅してしまいましたね >>144
そのスレの中身ももう九州が圧倒してるわけだが
畿内説は口汚く罵声を上げるだけw 一方の九州説は魏志倭人伝に基づき正当な議論の末、圧勝を収めました
畿内説は一切反論できないただの負け犬ですね
【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬捌
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1568757372/ まぁ徳島でも九州説よりは説得力はあるけどね、
あの距離で九州内は説得力がない >>149
それは距離の読み方が間違ってるだけだな
>>105,106の通りきちんと行程記述を読めば九州で間違いない 日本史の歴史は朝鮮人であるという出自を隠す歴史に終始している
神様が日本を創ったなんて当時も子供だましとわかっていただろうに
まったく愚かな国だ
そのせいでいまだにこの国を神の国だと言ってる神道カルトに支配されているし
馬鹿にしている中国の史書に頼るしか出自を探る手立てもないなんて >>146
見てきたが確かに九州のほうが優勢みたいだな
色々解明されてて興味深かった >>128
俺もこれだと思う
たぶん阿蘇山が噴火したから遷都したんだろ >>79
>邪馬台国とか卑弥呼とか、当時の支那人が周囲の国を馬鹿にしてつけたものはもう無視しろ。
>ヤマト、ヒミコでいい。
大和、日皇子、妃皇子 あたりで教えられると納得しやすい 卑弥呼の墓見て来たよ、徳島にある
5角形の粗末な石積みの墓だが、異様な形なんで異質な古代文化を感じた
掘り出せば証拠の品は出るだろうが、神社と氏子によって守られてる
仮にこれが卑弥呼の墓じゃなくとも
おまえらの先入観が揺らぐ程の色んな物が徳島にあるって事 縄文人、弥生人と言うのも変わって来てるからね。
卑弥呼の鬼道と言うのも気になる。
魏の使者には良く判らない信仰だったんだろう?
つまり大陸には全くない信仰形態で南方から来たんではないのかな。 卑弥呼は孫子の兵法をつかった渡来人( `ハ´)。神秘でもなんでも無いわ。
ゆえに九州はj邪がこもる場所。
古事記か日本書紀で決着が付いている話。
半島は、ファンタジー、CHINAは易姓革命による歴史改変のプロパガンダ、日本はヒストリーーーー 大陸にほんの少ししか資料のないことでよくもまあここまで大騒ぎできるなw
クソジャップはやはり縄文原人が渡来系弥生人に文明を恵んでもらった恥ずかしい歴史を直視できないんだね、哀れだ・・・・w 高天原は神話なので存在しませんよ。キリスト教のGodがいる天界や仏教の極楽浄土が
この地に存在すると言っているようなものです。 >>155
惜しい。阿蘇山の近くにいたのは狗奴国。つまり阿蘇山噴火で逃げ出して
古大和まで行ったのが神武=崇神。なぜ古大和まで行ったのかというと、
それより前にニギハヤヒが移住してたから。
で、邪馬台国はどうなったかというと、それより後の応神=仁徳がその系統
なのだとなんとなく話が上手くつながる。 あんな日本に来たこともないような外国人のでたらめな記述を元に
場所を特定しようとすること自体どだい無理な話だろう >>163
一応(書いた人じゃないけど)使者は現地まで行ってる >>105
魏志倭人伝のほうが里程じゃなくて日数で書いてあるのがちょっと気になるな 古来から栄えた土地なのに電車は走ってないし下水道普及率も全国ワーストなのはなんで? >>166
古代に栄えていたからと言って、そこからずっと栄え続けていたわけではないから。 だから〜
九州熊本、阿蘇にこいよ
ヤマタイの意味がわかるから
山と台地の国の意味がわかるから 古代都市国家は
きちんと区画された広大な
田んぼがあるのが基本だぜ
阿蘇を上から眺めろよ
山と台地、自然の防壁になってる阿蘇を 卑弥呼は
日を観る巫女
火を観る巫女
火を利用して預言した特殊なパワーをもってた女性
近くに火山があるのが基本なんだよん 大分県日田市ヒタが卑弥呼が生まれた土地
水がひいたからヒタじゃねえぞ馬鹿が
むかしからヒタと呼ばれてた
卑弥呼の田 >>38
四国山上説は交通網を考えれば無理だとすぐわかる。
古代の道は尾根筋を結ぶものが多かったのは事実だが、
四国山地は険しすぎてネットワークが維持できない。
山上説を唱えたのって確か岡山の人で、四国山地の険しさを知らなかったのだと思うよ。 そこからとなりの福岡朝倉へ
朝倉うきは市もきちんと整備区画された土地
そこから阿蘇へ
日田の盆地と
阿蘇
阿蘇にこいよ
ヤマタイの意味がわかる 祓戸の神が根の国底の国に罪穢れを流す場所が阿波の渦潮って話もあるしね。
渦潮で飲み込み根の国底の国にもっていく。 耶馬台国だし
耶蘇だし
阿蘇だし
耶馬渓が大分県日田中津間にあるし もう畿内説で決着付きそうだったんじゃねーの?
知らんけどw
ややこしくせんといてやーw 大分県国東市
クニサキとかいて国東
クニのサキ、つまりクニの東の端
宮崎には日南がある
鹿児島じゃなく宮崎に日の南がある
リンクさせれば意味がわかる
国見の地名ももちろんある 箸蔵山に火と石と神、後阿波は狸に纏わる昔話が多い
この辺から阿波の歴史がチラチラ見えるが 阿蘇にはもちろん国造神社
南阿蘇には
敵対するグループ 隋書「邪靡堆には阿蘇山がある」
四国に阿蘇山ある? >>181
だから日南は邪馬台国よりずっとあとになって景行天皇が宮崎のあたりを
日向と名付けて、その日向の南にあるから日南になったんだってばさ。 そこから何らかの理由で移動開始
おそらく噴火
西側には筑紫に部族がいるから
東からまわりこみ北へ >>155
神武の出発の記述に、噴火で移動するような切羽つまった感じはないよ
被災なら家族を連れてるはずだが、そういう記述もない
後世の京都からの蝦夷征伐みたいなものじゃね?
あるいは、北条早雲が東へ行って拠点を構えて子孫が勢力を伸ばしたみたいなもの。 大分、オオイタ
イタコでわかるように
この世あの世を大きくわける
むかしから硫黄臭別府、別の府
古代人には地獄の入り口にしか思えない
その先は死国 そこを避けて北上
耶馬渓から
途中宇佐で争い
敵の慰霊のために神宮 そこから思いきって下関
中国地方へ
出雲で敵とたたかい
貴重だったはずの鉄の大量生産を知り
もってきたものを大量廃棄 熊本天草、阿蘇、宮崎高千穂に似た
淡路、畿内、三重伊勢で
耶馬台の後継者として開始
卑弥呼の特殊な能力は
畏れと憧れ、権威づけになる 大分県日田の月出山はカントウと呼ぶ
関東地方じゃねえぞ馬鹿が 大分県日田市から
卑弥呼の鉄鏡が出てくるのはだから当たり前
発表した梅なんちゃらが胡散臭いやつだったせいでずっと黙殺 >>64
三国志のひとつの魏書の中にある烏丸鮮卑東夷伝のうちの倭人条だよね 大分県日田には
会所山神社って小さな目立たない神社がある
会所山とかいてヨソヤマ
この世とあの世が会う、ヨソの山
卑弥呼関連 卑弥呼の特殊な能力は
権威づけにはもってこい
卑弥呼は
はやい段階で生まれた土地に葬られた 邪馬台国あきた
欠史八代とか倭の五王とかネタは他にもあるやろ やまたいというのはどこかの教授がそう読んだのを
いまでも使い続けているだけらしい
理由は点数バカ大学のモノマネ丸暗記点数バカ集団だから
多分、当時の発音ではやまとが近いはず >>1の写真を見る限り、末盧国 伊都国 不弥国を通過するが、奴国と投馬国がない。
伊都国を起点として放射状説を採るなら不弥国は不要だ。
御都合主義だといわれても仕方がない。
関門海峡はさけるが豊後水道は航行できるらしい。
直線距離で12,000里
どのようにして測ったのか、科学的根拠を示して欲しい。
願望で書いた2300円の本を買えというのか? 2019/05/28
【徳島】「邪馬台国は阿波にあった」 徳島市のNPO法人が「邪馬台国阿波説」で地域活性化へ★3
https:
//asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1559028256/
https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/0f1ffffe10ace75c73a4c817c78d9cd8435c51cb.80.2.9.2.jpeg
7/11
【古代】「阿波風土記」が裏付ける“邪馬台国四国説”…卑弥呼を連想させる徳島県の特徴、後継者とも関連が?
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1562853581/
7/15
【大嘗祭】大嘗祭調度品の関連儀式=「麁服」の材料、大麻を刈り取る「抜麻式」が行われる−徳島
https:
//asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1563196847/
8/09
【皇位継承】皇位継承の重要祭祀「大嘗祭」で献上される麻織物の糸を紡ぐ「初紡式」 徳島・三ツ木八幡神社
https:
//asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1565357830/
9/4
【奈良】天皇即位の大嘗祭と忌部のつながり説明 吉野川市でイベント
https:
//asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1567542954/
9/10
【†】「全国初」の石剣が出土 平形銅剣を模したものか・阿南
https:
//asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1568114832/
9/6
【歴史】女王卑弥呼は阿波にいた?邪馬台国論争、徳島が名乗り。古代史ブームに乗り、「ひょっとしたら…」の町おこしへ
https:
//asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1567750591/
邪馬台国四国説 part1 [無断転載禁止]©2ch.net
https:
//lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1458389654/ こないだ武田鉄矢も「3枚おろし」で邪馬台国は九州で間違いないんですと断言してたな。
かなりの雑多な読書家なので、そうなんだ…と思った。 152の通りだよ。記紀のだらしなさには驚くほかない。入会して五斗納めると貰える本。阿波は条件は揃ってるよ。 >>125
日本の考古学は明治あたりにえらい人が机の上で想像したファンタジーに基づくため
今までなんどもそれらを聖典とする人に圧力をうけ真実が潰されるも
発掘調査塗り替えられてきた
最も顕著なのは中央主義で、中央の遺跡より古い遺跡は東日本にはないとされ
発掘調査の費用が一切おりず研究も止められていた時代が昭和中期まで
だから素人研究家が自前で関東に石器時代の遺跡を発見し公表するにもっていくまで
東北と関東の遺跡は無視され続けていた
実際は中央より大きく進んた遺跡が石器時代ー縄文時代に東日本にはあり
これで泡くって縄文時代がむちゃくちゃ長く改変された
可哀想なのは日本初とされた静岡の登呂遺跡
稲作も全然日本初ではなく東北に古い遺跡が出てきて格落ち半端ないことに
そんな状況なので、中央主義の最たるファンタジー邪馬台国=大和が崩れると
しんじゃう学者が権力層に沢山いる >>35
邪馬台国を大和とする事で日本の立国が数百年早くできる
そこら辺もあって中央主義の学者さんはこの最後の砦を離したくないのや
だって日本最古の人類の足跡は九州に
日本最古の巨大集落(意地でも国と呼ばないw)は東北に
日本最古の米作りもどうやら東北に
縄文弥生などの大陸との交易の足跡も九州や東北>>>近畿
本当は近畿が日本発祥で最も歴史あるとしてきたのに
九州と東北に何度もひっくり返されてきた
ライフはゼロの状態なんやw
ただ纏から大和に近畿で勢力伸ばしていったのは事実だと思うけど
それ以前の歴史おいては別にすごくはなかったのが認めれないんだろな >>134
4世紀の遷都は九州、畿内の出土品の考古学的証拠のみからの推測に頼りすぎてて、
記紀無視しすぎに感じるな。 おらが村が邪馬台国w
邪馬台国で村おこしwww
バッカじゃない 辰砂を採掘してた若杉山遺跡て見に行けばわかるけど
くっそしょぼいで
あんなのが都であるはずがない 都合のいいところだけを取り上げるいわゆるチェリーピッキングで
邪馬台国を主張しているのは他の地域も同様だけどね
候補となる遺跡がない九州もやってることは同じだから
阿波を笑えない
邪馬台国論争には2種類しかない
纏向と纏向以外 纏向>九州=阿波 纏向>岩手=ハワイ=ギリシャ=阿波=九州
特に九州はポジションを勘違いしてる
遺跡がないおまえらギリシャと同列だからな >>205
邪馬台国九州説は、そもそも神の国である日本の祖、大和朝廷が、古代の話とはいえ中国に朝貢してたとしたら都合が悪いということで、
大和朝廷とは別の今は存在しない国が邪馬台国で有る・・・なんていう、ご都合主義から始まった説なんだけどね。 >>166
どこの話してるん?
徳島走ってるJRまだ電化されてないてこと? 大体伊都国から九州北部は水行いらない 歩いて行ける はい論破 >>175
今頃剣山の地下に四国のマチュピチュを建造中だったりしてな。
ふもとで出土する当時の出土品を埋めときゃ完璧。
南海道の人間をなめてはいけない。 >>214
剣山には大蛇が守るソロモンの秘宝が眠ってるからな 百済も元は白菜。新羅もシロ。どんな国からでもでかくなれないことはないわな。ただ倭の場合は半島渡来人の話しかないのよ。先住民おったのかよって位建国から外れてる >>182
要するに芸能人が多かったってことやろ? >>131
それはニニギ
スサノオは新羅に一時逗留してる
高天ヶ原から高天ヶ原に降りたことになり辻褄が合わない
それに半神話ではあるが、
神功の三韓征伐もおかしなことになってくる >>217
そんなこと言ったら日本列島の大半が昔は海だぞw
四国だと剣山のてっぺんぐらいしか陸じゃないw
徳島市の中心市街地は縄文海進期には海の底だったのは確実だが、城山に貝塚が有るように、ところどころに陸地はあった。
国府とか石井辺りの少し内陸に遺跡が多いのは、当時その辺は既に陸だったという事でもある。 >>187
台風いっぱい来るし、水難が多くて夢の持てない土地だった可能性が高いかな。
たぶんジモティ母側家系の瀬戸内との交易で畿内の情報とか少し入ってきてたんやろな。 邪馬台国は考古学者の米櫃な
語れば語るほど金になる唯一のコンテンツ >>224
まあもともとあんまり予算を貰えそうもない分野なので許してやれ 倭国大乱近畿征伐、その後の四道将軍による全国平定、黒幕は阿波かもな
恐ろしいわ 阿波がどうこう言う以前に、基本的に日本語できてないわ。
> 邪馬台国は「邪馬壹(やまと)国」で、
「壹」は「壱」の旧字だから、「邪馬壹国」は「やまいちこく」で、
「壹」が「臺」(=「台」の旧字)の誤記だったはず、ってことでしょ?
文献に「邪馬壹国」とあるのは実は
「邪馬臺国」=「邪馬台国」のことだった、ってとこまでは誰も異存がない。
その「邪馬台国」というのは、なぜか昔からの慣例で「やまたいこく」って読まれてしまっているが、
実際にはもちろん、「やまとこく」と読むのが恐らく正しい
(その「邪馬台国」=「やまとこく」がどこにあったかってのはまた別の問題)。
なぜか、「邪馬台国」を「やまとこく」と読ませたがらない勢力が一定数存在して、
その人らが問題を無駄にややこしくしてるんだよね。 5chは九州説(東遷説)のが主流よな。
まあルーツは九州にあったんやろうと思うけどね 王城はどないやろ 「5chで主流」であることは、その説が妥当かどうかとは全く関係ないなw
でもまあ「九州とゆかりがある」ことは確かなんだろうね。記紀自体がそう言ってるんだから。
それ以上のことは、要はよくわからない。 >>200
ひと昔前の科学関係に興味ある人には
知っていおいて、もしくは思い出しておいて損はないかもな。 >>223
江戸時代には、邪馬台国と同じ理由で九州説が台頭した。
しかし、五王の時期に朝鮮半島南部の支配権を認められていたという点が政治的に利用されて、五王に関しては大和朝廷の大王に比定することが多い。
本来は、いずれも政治的な介入を排除して、純粋に学問的に分析するべきなのに、嘆かわしい限りである。 ひっこしして発展まで時間がかかったので
卑弥呼が朝貢した時代も日本で一番進んでいたのは
伊都国奴国だろう
東京がプライメイトシティ(一極集中)になってるので
日本人はワシントンやキャンベラやブラジリアのような
政治機能に特化させた首都というと想像しにくいかもだけど
邪馬台国はそんな感じ
王が住む場所が都になる
首都は必ず人口集中しないといけないということはない
ただし王にふさわしい建築物の遺構は必要
阿波にはそれがない >>229
俺も昔は畿内説派だったんだけど、九州説に乗り換えた。
畿内説って物証がないのが致命的にダメなんだよな
物証がないで文献だよりとか考古学的にあり得ないわ。 伊都国や奴国の戸数がなんとなく規模を現しているとすると
伊都国は王が住むための政治に特化させた国であったと思われる
倭国は塀で街全体を囲む中国の都とは違う街づくりをしていたということになる >>233
それな
俺も関西人だけど畿内説が分が悪い事は確かだと思う >>157
八倉比売神社社殿 裏側の頂上部に結晶片岩を積み上げて築かれた五角形の構造物は、
古墳と直接的な関係はなく、
1790(寛政2)年に徳島藩10代藩主蜂須賀治昭の命により、
神社に地神を祀る施設の基壇と考えられている。 >>228
>5chは九州説(東遷説)のが主流よな。
まさにこれwww
トンデモ説大好き、陰謀論大好き、学問否定
現実の世の中とズレまくってる 新井白石がヤマタイ読み始めただけなのにな〜に新発見みたいなこと言ってんだこのボンクラ爺さん
さっさ死ねよこの脳味噌腐ってる世代は >>227
新井白石が支那読みしたのが通例になってることも知らない脳無しって生きてる価値ないんだが
絶望的な「馬鹿」ばかりだよな大多数の現代白痴日本人然り+に湧く99%然り 邪馬壹
邪馬臺
邪靡堆
邪摩惟
邪馬嘉
「と」と読めるものは一つもない
邪馬台国が終始一貫して大和にあり、読みもヤマトならいい加減そう読める字を当てそうだがね 阿波説は遺跡がないから、将来見つかるかもしれないと言い訳するだろうが
そもそも、7万戸の国を想定できる面積がない
四国全部を邪馬台国だということにしても厳しいくらい
この辺は北部九州説も同様で、あんな狭いところに、邪馬台国7万戸、投馬国5万戸、
旁国21国を詰め込むなんてどうやっても不可能
広域の国ということにするなら、阿波説は北部九州説よりはマシだけど >>211
それも理由の一つだが、魏志倭人伝だけでなく記紀も尊重した結果なんだけどな。 平原遺跡とか祇園山古墳とかも、卑弥呼の墓所比定置でもあることが忘れられている昨今
マキムク古墳群とその閥によるプッシュが強いわな >>213
君のような人間が7万戸を養える大穀倉地帯邪馬台国の長だったら、
即効で海外の海賊集団に襲われ、
大和政権が西日本全土を掌握するのが何世紀か早まってたろうな。 まさか卑弥呼が金ちゃんラーメン食ってポカリスエット飲んでたとは >>233
>俺も昔は畿内説派だったんだけど、九州説に乗り換えた。
>畿内説って物証がないのが致命的にダメなんだよな
これなんかも典型的な5ちゃんねらー
専門家と正反対なことを言ってる
安本みたいなインチキに騙されてるのかもしれんけど 邪馬台国は七万戸で倭で最大級の海人の国だから。
四国や九州の山にある国じゃないからw
勿論奴国や伊都がある北部九州でもない。
必然的に畿内しかないんだよw >>233
そんな奴はただの情弱か邪馬台国の怪の工作員だろw >>184
隋書「邪靡堆には阿蘇山がある」
また九州説は息するようにウソをつくw
阿蘇山があるのは倭、だよ。
しかも肝心な倭人伝にはそんな記述はない。
倭国伝には古の邪馬台国とはヤマトと書いてある。 甕棺編年をいじった結果平原遺跡は2世紀後期 これはいい甕棺Xa
ただ祇園山古墳が3世紀半ばにされた 甕棺Xf
実際は祇園山古墳も平原遺跡と同時期だけど
ある意図をもって甕棺Xを細かくa〜fに分けて
年代指定を適当につけたと考えてる 九州版ゴッドハンド ほんとは邪馬壹国書かれてあったのを勝手に邪馬台国と書き換えた
ってな説テレビで見たな、武田鉄矢が熱弁してた >>246 人格否定してどうなるものでもないよ 考古学なめんな >>248
物証がないのに文献だけで正しいと信じるとかサイエンスでもなんでもないだろうw
神武天皇が何百歳も生きたと信じているとかと同じレベルだぜ
しかも魏志倭人伝は南にあるといっているのに東に邪馬台国があるって文献に書かれていることを歪曲しているし
地震学者よりたちが悪い奴らばかり >>214
年代測定法がかなりの精度を持ち始めた今
そういうの通用しないよ 石棺がでてきて甕棺が消滅直前だった当時に
倭国女王卑弥呼の墓に甕棺を使うだろうか
当時最新の石棺にするんじゃないか >>251
倭に注目するのは感心だ。
魏志倭人伝に 倭地絶在海中洲㠀之上 とあり、
当時北東の境が山々でその先の様子が分からない大和政権でない事だけはほぼ確実。 >>254
考古学に常識的な思考力は必要ないと言いたいわけね。 倭人伝より新しい中国の文献でさえ方角間違いなんか沢山あるのはスルーなんだよな、九州説は。
また九州説の連中が倭人伝を勝手に邪馬台国伝とミスリードするのは朝鮮人的で悪質だな。
そもそも倭人伝には鉄に関する記述なんて極めて少ない、勿論邪馬台国に鉄が豊富なんて記述もないw
これは安本の悪質なミスリードの一つ。 >>256
だから、現代〜近未来技術で測定可能な物は全て当時の物で作るわけよ。
南海道の人間をなめてはいけない。 魏に歯向かう帯方郡の太守だった【公孫氏】は、魏により滅亡させられて、その残党が大挙して、公孫氏の指揮下にあった九州北部の「漢委奴国王」の倭奴国に逃げたため
正始元年(西暦240年)に、魏は、奈良の邪馬台国を「親魏倭王」に任命し
帯方郡の新たな太守の【弓遵】が、建忠校尉の梯儁たちを派遣した。
梯儁たちは詔書と印綬を守り携えて、
【公孫氏】の残党が大挙して逃げ込んだ九州北部の「漢委奴国王」倭奴国ではなく
国譲りで奈良の邪馬台国と連合している島根県の出雲地方に到着
出雲大社で、倭の王の代理の一大卒に拝謁するとともに詔書をもたらして、金、絹、錦、毛氈、刀、鏡や、その他の選ばれた品々を贈り
奈良の倭の「親魏倭王」は、梯儁に文書を託し、詔してくれたことに対して、感謝する返事をした。
詔書と印綬を守り携えて、帯方郡の新たな太守の【弓遵】から派遣された、建忠校尉の梯儁たちは、
対馬から、一大国(見島)を経由して
島根県の古代出雲の末廬国 (石見国美濃・島根県益田付近)に上陸し、道なき道をかきわけて出雲にたどり着き
奈良の邪馬台国が出雲に建設した、超高層建築の出雲大社をどーーんと目の当たりにして
倭國には、九州北部の「漢委奴国王」の倭奴国と肩を並べる、むしろ上回る、こんな国もあるのかと
さぞかしびっくりしただろう 考古学者の敵は科学技術の進歩、中でも邪魔で仕方が無いのが年代測定法 文献の弱点は、後世の権力者が都合の良いように書き換える事が出来る点 当時の畿内は縄文文化だったのか?弥生文化だったのか?
後の世の蝦夷は畿内にまだいたのか? >>258
倭地とは漠然と日本列島を表したに過ぎないから。測量も地図も当然ない時代なんだからな、
しかも地球が球体とする認識すらない。
中国の王が世界の中心である、という認識の世界で正しい方位や距離なんて求める方がバカなんだからなw
まあ今の日本人の悪い癖だ。 >>255
畿内説に物証がないとデタラメ言ってるのは、九州説の素人さんたちだけ
専門家や学者は物証を重視した結果、ほとんどの人が畿内説を支持してる
今では高校生向けの教科書や参考書にも、そういったことが書かれてるんだけどな
魏志倭人伝には、邪馬台国は北部九州から2ヶ月かかると書かれてる
九州を飛び越えてしまい、太平洋にドボン
だから南が正しいか、2ヶ月が正しいかは不明
行程からは場所を特定できないことは小学生でも知っている
まあ、どう考えようと自由だから好きにすればいいよ >>260
雄略以後に編纂された中国文献に関しては大和政権がいろいろと口出ししたろうから、
いろいろごちゃごちゃになるのは当然の結果と思える。 あれこれ考察するのが楽しいだろうけど、相沢さんみたいに発掘してみないことにはわからんねぇ
発掘しても捏造だった例もあるからこの分野はなかなか信用できん 魏志倭人伝の陸行1月ってどう考えても登山だろ?
船で行けるところは船で行くけど、船で行けないのは山頂しかない。
なぜそれを認めないんだろ。
卑弥呼は剣山にいたんだよ。 >>268
まあ何で考古学者が大半畿内説なのかというと
物証をみる限り三世紀以降に権力の集中があり、大陸や半島と交流する国は畿内しかないだろう、という結論なんだしな。 >>262
もうその頃には高さ45mの大神殿とやらはぶっ壊れてなかったんじゃないかな。 >>268
魏志倭人伝には、どこにも「北部九州」なんてこたあ書かれておらん
九州説者が勝手に「対馬から一番近いから北部九州」なんてバカ理論を言ってるだけ 邪とか卑とかいう漢字をまんま地名で使ってるのに違和感あるわ
漢字を使い始めた当時からの古い地名なら別の当て字を使ってるんじゃないの 四国大津波があったから畿内に遷都した。
だから四国にあまり痕跡は残っていない。 >>265
当時の畿内は古い出雲族で朝鮮半島経由でやってきた北方民族の遺伝子が混ざってたと推測するかな。
それ以前に青銅器あるし、稲作もやってたろうから既に縄文文化でないことは確実だろう。 >>266
その後に 周旋可五千餘里 という文もあり、
海で囲まれてることを確認してることもほぼ確実だろう。 邪馬台国の「邪」
やましい、よこしま、正しくない等
卑弥呼の「卑」
卑しい、身分等が低い、価値等が劣る
こんな字を当てられてるんだから当時の中国に相当軽んじられてた、馬鹿にされてた
だから後の権力者にとって有ってはならない、消し去りたい歴史
だからその痕跡を消した、邪馬台国を無きものにしようとした
場所を解らなくし邪馬台国なんか無いんだよと根付かせようとした
かなり徹底的にやった、だから未だに邪馬台国の在り処は解らない
そのおかげで現代にまでロマンが残ったんだから全てが悪いわけでもないw
歴史を書き換えたのは大化の改新の時、恐らく >>277
邪馬なんて宛てている時点でその国の本質が判る。元々悪い意味だけではない。
卑弥呼は鬼道使いなんだからな、倭において
ヤマとは今でいう山岳地の意味ではなく、
天に近い国という意味合いで邪馬なんだよ。
ヤマとは後に道教においての閻魔の事。
閻魔も元々は神だから。
そこに住む人々は天に近いという意味合いだよ。 >>268
帯方郡ー邪馬台国が1万2千里で、帯方郡ー伊都国が1万5百里。
伊都国から水行1か月かかるような場所に邪馬台国があるわけがない。
常識でものを考え、文脈を考えながら読めば結論は見えてくる。 >>282
日本列島も島国なんだがw
そもそも半島南部も倭人の国ともしてるから、
単純に倭を漠然と島国だと表しているだけだろう。 詔書と印綬を守り携えて、帯方郡の新たな太守の【弓遵】から派遣された、建忠校尉の梯儁たちが
対馬から一大国(見島)を経由して上陸した
島根県の古代出雲の末廬国 (石見国美濃・島根県益田付近)は
アマテラスによって奈良を追い出されたスサノオが
朝鮮半島に渡り、朝鮮半島から帰ってきたときに利用した
北九州に並ぶ、古くからの大陸への渡航拠点
島根県の古代出雲の末廬国から朝鮮半島に渡り、朝鮮半島から帰ってきたスサノオは、
盗賊の征伐と引き替えに末廬国の豪族の娘・稲田姫を嫁にして稲田姫との間に須世理姫が産まれる
須世理姫はその後、地元の豪族の大国主命と結婚し、
大国主命は、大陸から来た渡来人のスクナビコナの援助を受けて、
新興国・出雲を、北九州狗奴国・畿内邪馬台国と並ぶ大国にまで成長させ「葦原中津国」とする
そこに奈良のアマテラスからの使者が来て、激しい戦闘の末
大国主命は、超高層建築の出雲大社の造営と引き換えに
古代出雲「葦原中津国」を奈良のアマテラスに国譲りをし
奈良のアマテラスは、孫を一大卒として出雲に派遣するとともに、古代出雲の末廬国 (石見国美濃・島根県益田付近)から魏に朝貢を開始するわけだ >>271
7万戸という記述がネックやな。
当時、なんだかんだ言って胃袋をつかんでるやつが一番強かったはずやからな。
学校で学んだ弥生文化の特徴から考えて山上説は不利すぎる。 >>265
とっくに弥生文化だよ
稲作、弥生土器、金属器、これが弥生の3要素
もともと西日本には縄文人が少なかった
そこへ移住してきたのが渡来系弥生人で、在地の縄文人と混血したけど、渡来系優位の混血だっただろうね
畿内から出土した人骨も渡来系の特徴があったようだし
ちなみに、畿内でも初期のころは縄文土器と弥生土器が同じ時期に出土するから、
一定期間は、縄文人と渡来系が別々に生活していたことが推測できる
やがて縄文土器は消えてしまうので、渡来系と混血したか、自ら弥生文化に乗り換えたか、淘汰されたかだろう >>289
また嘘をつく、邪馬台国まで一万二千ではなく女王国までだからな。邪馬台国までの里数表記なんて存在しないから。
邪馬台国は五万戸の投馬国から更に南に進んだ七万戸の国、が正しい。
そんな国は九州や四国に存在は出来ないよ。 >>1
この説をyoutubeで見たけど
かなり信憑性があったな
色々な観点から説明してあるんだが、一つ一つが整合性がある
俺もひょっとしたら四国に邪馬台国があったんじゃないかと思うようになった >>273
記紀を軽視しようとする畿内説は信用ならんな。
後進地域から中国製品が出土しても、各地を渡り歩いてきた中古品だろうからな。
僕が読んだことがある範囲では中国と始めてやり取りしたのは雄略だからな。
記紀等に魏の時代に中国と交流した記述があったなら教えてくれ。 >>289
バカ?
帯方郡ー邪馬台国が1万2千里も、帯方郡ー伊都国が1万5百里も、魏志倭人伝の里数が正しくないことを示してる例だろが
いきなり論理を飛躍させて、水行1ヶ月はありえないとか、意味不明すぎる
>>71
この時代に字なんてあるはず無いだろ >>297
素人の説の特徴として、都合のいい部分だけを拾ってきて、都合の悪い部分は黙殺するという共通の傾向が有る。
本来は、自説に合う事、合わないことを両方丹念に調べて結論を導かなきゃいけない所なんだが、
阿波説の人はロマンが多くてちょっとアレな方が多い。
残念ながら、それではまともな研究者からは相手にされない。 >>297
四国説は面白いよね
トヨの歌も祭りで歌うらしいし >>279
倭国大乱、狗奴国との戦で出雲に大神殿建造スポンサーになる余剰財力は当時たぶんないよ。
倭国大乱前やな。 >>298
欠史の時代、特に孝霊や孝安の時代が倭国大乱の時代だからな。孝霊天皇の娘が卑弥呼候補の百襲姫なのは知っているだろう。
その百襲はヤマト入りする以前は瀬戸内海の女王だよ、つまりここが女王国。
つまりその辺り都合が悪いから記述しなかったにすぎない。
元々記紀とは唐に対する公式記録であるとともに、仏教普及の書である事を理解してるか?
鬼道使いの女王が倭を代表していたとは書けないが正しい解釈だ。 倭国、倭人の「倭」という字自体は意味を持たない、漢字の中では珍しい
中国が古代日本の地を、そこに住んではいた者を呼ぶ時のみ使われる字
元の字は「委」で委任、委託に表されるよう、委ねる、任せるの意
周辺国を支配下に置く当時の中国も倭国(委国)にまでは支配が及ばなかった
だからその地の、日本の統治をその地に住む者に委ねた、とも取れる
邪馬台国の「邪」、卑弥呼の「卑」とは明らかに意味合いが異なる
倭国で結構、倭人で結構、やはり日本は古来より独立国だったという事で >>298
記紀を軽視してるのはおまえだ
記紀には紀元前660年から奈良に天皇がいることになってる
そこは無視してるんだよな
そのくせ、魏との交流が記紀に書かれてないことを持ち出す
もっと時代があとの倭の五王がほとんど書かれてないことを無視してイチャモン
記紀は、自分の与太話に合う部分は正しいといい、合わない部分は間違ってると言う
何の根拠も証拠もなくな
おまえがやってることは記紀の改竄だ
言語道断 >>280
年代測定法が確率されてきて
そんな物は通用しなくなってる >>307
こっちも同じだ
支離滅裂で論理的思考力なし
さらに物証無視して、自分の妄想こそが史実だと強弁するやつを相手にするつもりはない >>291 つづき
ところが帯方郡の太守だった【公孫氏】は、
北部九州筑紫の「漢委奴国王」が統治する倭奴國を指揮下におき、魏ではなく呉と密かに通じていたため
奈良のアマテラスの使者は、魏に取り次いでもらえず
238年に魏が公孫氏を滅亡させて、帯方郡の太守が【劉夏】になって、ようやく、奈良のアマテラスの使者は、魏の皇帝に謁見を果たし、男の生口4人と女の生口6人、それに班布2匹2丈を献じる
アマテラスからの使者を迎え入れた魏の皇帝は
自分に逆らった公孫氏の指揮下の、北部九州筑紫の「漢委奴国王」が統治する倭奴國【以外の倭國】から、朝貢に来た事を悦び
アマテラスを親魏倭王と為し、金印紫綬を仮授した 当時の邪馬台国は九州北部から近畿までを支配する巨大国家だった
だから狗奴国は東日本全体を支配する謎の超国家でないといけなくなった
ところが実際は奈良の東側にいた勢力は纏向を構成する主要勢力でしかないという・・・ そもそも閻魔と同じで鬼や東夷なんてのも決して悪い感情の意味だけじゃないんだからな。
複雑だぞ、当時の中国でも色々ある。
東の国は扶桑国でもあるんだからな、これなんか神仙のすむ憧れの国だ。
邪馬は決して悪い意味合いだけではない、現代の解釈で判断するから間違う。 >>220
意味不明なこと言うなよ
初心者か?
邪馬台国は明らかに北朝鮮ルートの渡来人だろ
出雲は出雲ルート >>313
九州北部は
中国の史書でも日本の記紀でも
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられた倭奴国
だ >>312
漢委奴国王一族は倭国大乱で敗北して東の方に逃亡した
支配者が居なくなって空白地帯となった九州では女王を共立し、親魏倭王となった >>295
邪馬壹國女王之所都 という節からほぼ同義語か少なくも女王国は邪馬台国内にないとあかんでしょ。
常識に照らせば、伊都国から水行1か月かかるような場所に女王国はないことを認めたんだよな。 くだらん事を繰り返し
失政の状況を悟らせないようにしている
賄賂自民党です こんなスレまでわざわざ来て
ジミンがー、やるのかよ 阿波説は日本古代史との整合性をどう考えてるのかよくわからんが、
九州説は日本古代史の通説をガン無視だから論外
とくに古墳時代のとこ
もっとも学問否定、自然科学も否定、物証否定が九州説の大前提だから開き直ってるんだろうけど >>320
邪馬台国とは元々女王を排出した、もしくは女王を産んだ国というのが正確だよ。
百襲姫が生まれたとされる田原本にある弥生遺跡辺りは保都、保津、都村という。
しかも母親の名もオオヤマトクニアレ姫という、ヤマトの国を産んだ姫という名前だからな。
この母親の宮が淡路島にある。国産伝承の場所だよ。 魏に臣従を装いながら、一方では呉と同盟工作を密かに独立を謀り
韓や倭といった東夷からの朝貢を魏に取りつかずに私腹を肥やし
ついには237年に、魏の皇帝に反旗を翻して独立を宣言した【公孫氏】
の指揮下にあった
北部九州の「漢委奴国王」や、「漢委奴国王」が統治する倭奴國
なんか
『魏志』倭人伝ではガン無視されているんですよ >>309
100歳以上生きてる等、常識で考えておかしい所は疑う。
紀年論を見直せば考古学的物証と整合するなら、そちらを優先的に考える。
僕の信条やな。
君は記紀の非常識な部分や考古学的物証と整合しない部分を採用し、
それ以外は無視する心情なわけだね。 直後に空白期間が350年間もあるし
これだけ調査発掘してもわからない
中国でもそのあたりの日本に関する新しい良質な資料が
出ることは期待できそうにないし
現代科学では想像できないほどの圧倒的な科学技術でも使わなければわからなか 現政権とかなんかは畿内説のが心地いいのかもしれんよね
邪馬台国が今の天皇家に繋がる記紀神話の原像だとしたら、それでええわってなりそう >>325
後漢書に書かれてるような認識だったからじゃね
>桓霊間倭國大亂 更相攻伐 暦年無主
>有一女子名曰卑彌呼 年長不嫁 事神鬼道 能以妖惑衆 於是共立為王
倭国大乱で長年主がいなかったんだよ >>268
素人さんたち〜
小学生でも〜
とかさんざん煽って好きにすればいいよとか
ホント性格悪いなお前。だからみんなに嫌われてるんだよ >>285
建材はふもとにそろってるから。
南海道の人間をなめてはいけない。 邪馬台国は九州、神武東征で畿内に遷都が一番しっくりくる >>319
漢委奴国王一族は、ちゃんといますよ
中国の史書では倭度國
日本の記紀では海神國
の国王の「豊玉彦」
その豊玉彦の娘と結婚した「山幸彦」
その子供の「彦瀲」
その第4皇子の「神武」
すべて
漢委奴国王一族です >>327
>紀年論を見直せば考古学的物証と整合するなら、そちらを優先的に考える。
その通りやってるのなら、学者と正反対なことは言わないはずだがな
素人が記紀の記述を恣意的に取捨選択し、改変しておきながら、
自分を正当化するときに使う典型的なセリフだ >>330
>>319
漢委奴国王一族は、ちゃんといますよ
中国の史書では倭度國
日本の記紀では海神國
の国王の「豊玉彦」
その豊玉彦の娘と結婚した「山幸彦」
その子供の「彦瀲」
その第4皇子の「神武」
すべて
漢委奴国王一族です >>334
そう漢委奴国王一族は倭国大乱で敗北して東の方に流れていった九州の元支配者一族 >>337
倭国大乱は
神武天皇死後の跡目争い
ですよ >>338
倭国大乱で空白地帯となり後継者争いが起こったのち、女王を共立して再度まとまった
それが邪馬台国連合であり親魏倭王の国
一方、倭国大乱で敗北して東の方に逃亡していった漢委奴国王一族は
大きな勢力のいなかった奈良の山奥に落ち延びた >>312 つづき
慌てたのは、帯方郡の太守だった【公孫氏】の指揮下にあった
北部九州筑紫の「漢委奴国王」が統治する倭奴國だ
そこで
中国の史書では倭度國
日本の記紀では海神國
の国王の「豊玉彦」
の娘と結婚した「山幸彦」
の子供の「彦瀲」
の第4皇子の「神武」
を、
北部九州筑紫の「漢委奴国王」が統治する倭奴國から東征させ
「親魏倭王」となった奈良のアマテラスの邪馬台国を軍事制圧
神武は天皇となるわけだ >>340 つづき
ところが神武の死後、次の天皇をどうするかで
神武の父の国、北部九州筑紫の「漢委奴国王」が統治する倭奴國と
神武が武力制圧した、「親魏倭王」となった奈良のアマテラスの邪馬台国
が対立
結局
神武が武力制圧した、「親魏倭王」となった奈良のアマテラスの邪馬台国の皇子が次の天皇となり
神武の父の国、北部九州筑紫の「漢委奴国王」が統治する倭奴國と
神武が武力制圧した、「親魏倭王」となった奈良のアマテラスの邪馬台国
で戦争状態となる >>227
ぶっちゃけるとその読み方もおかしい
古代中国人が古代中国人のために書き記した書物で
日本には文字が存在しない時期の事
だから読み方も当然古代中国の読み書きで記されている
現文ままに古代中国語で読むとヤマタイとは読まない
リャオメンオダ
だからヤマタイと言う呼び方の国ではない
よく姫巫女と言ったから卑弥呼になったんだ説を真顔で唱える学者もいるが
ありえない
何故なら日本語ならそうだが相手は古代中国語でさらに日本は文字をもっていなかった
卑弥呼をヒミコと読むのは現代日本人だけ
昔は古代中国語でしか読めない状態 >>343
本居宣長が大和とは無関係ということにしたいから、ヤマタイと読ませてしまった
ちなみに、最近の教科書には振り仮名が2つ並んでて、ヤマタイとヤマトの両方が載ってる
そのうち変わるかもね >>341
九州を支配していた漢委奴国王は・・・
A) なんらかの理由で九州の地を捨てて東の方に引っ越し
→ 空白となった九州で後継者争いが勃発して倭国大乱
B) 倭国大乱で敗北したため東のほうに逃亡
→ 大きな勢力のいなかった奈良の山奥の湿地帯に落ち延びる
どっちでも好きな方選んでいいぞ >>330
『後漢書』の成立は432年以降
『魏志』の成立は297年 >>348
そこは別にポイントじゃないだろw
「倭国大乱で長年主がいなかったんだってね」っていう認識が古代中国にあればそれでいい やっぱり四国だったのか
俺も長年そう思ってたんだよ
鰹のタタキやポン酢など食ってたんだろうな >>347
『後漢書』の成立は432年
『魏志』の成立は297年
魏に臣従を装いながら、一方では呉と同盟工作を密かに独立を謀り
韓や倭といった東夷からの朝貢を魏に取りつかずに私腹を肥やし
ついには237年に、魏の皇帝に反旗を翻して独立を宣言した【公孫氏】の指揮下にあった
北部九州の「漢委奴国王」や、「漢委奴国王」が統治する倭奴國の話は『魏志』ではガン無視
倭國大乱は
奈良のアマテラスと、出雲の大国主の、国譲りの話 >>349
>>347
『後漢書』の成立は432年
『魏志』の成立は297年
魏に臣従を装いながら、一方では呉と同盟工作を密かに独立を謀り
韓や倭といった東夷からの朝貢を魏に取りつかずに私腹を肥やし
ついには237年に、魏の皇帝に反旗を翻して独立を宣言した【公孫氏】の指揮下にあった
北部九州の「漢委奴国王」や、「漢委奴国王」が統治する倭奴國の話は『魏志』ではガン無視
倭國大乱は
奈良のアマテラスと、出雲の大国主の、国譲りの話 >>306
古事記編纂は、まず国内の歴史認識を統一することが目的だったはずだと思うが。
日本書紀はそれに加え唐に対する公式記録も兼ねてるだろうが。
3世紀中頃大和政権は畿内と周辺地域を勢力圏に治めてた。
大和の都合でそれらの地域にもろばれの嘘を書けば、信用失墜間違いないだろう。
嘘を書くにしてもばれない程度に収めなければならないはず。
邪馬台国があった地域は魏の時代より後に大和に併合されたと考えるのが最も常識的。
九州だけが騒いでも他の地域に真偽はわからず、どうでもいいことだからな。 出雲大社の神からスメラノミコトの祖先が国を譲られたり、継体天皇は東北から攻めてきた人とかいう説もあるよね
武力によって国を広げたり戦ってきた古代の記録だとかなんだとか
神功皇后の朝鮮遠征や物部守屋討伐の記録から古代の皇族は兵力を持ってたしね
その後平安末期には桓武平氏と清和源氏を使い戦ってた だーから
中国語で記された書物を現代の日本語で読み方を捉えてあーだこーだ言うのがおかしいんだって
古代中国の読み方で読まないといけない
邪馬はヤマとは中国語では全く読まない
リャオメン
つまりヤマタイコクという国ではなくリャオメンオダという国の話
日本には文字がまだ無かった時代だから日本人がそう漢字をつけて名乗るのも不可能
なぜ中国の歴史の書物を現代日本語で読み解こうとするのか無理がある 卑弥呼自体実在してたか怪しいし、巫女の集団を卑弥呼と呼んだという作家もいるよね、誰だっけ
日蝕=太陽神の死で日蝕起こると全員土に埋められたとかいう ヤマト国が日本列島にあったのに徳島にも別のヤマト国があったとか音を
カタカナにするとわけわからんな
名称の意味がねぇw 魏志倭人伝を素直に解釈したら九州しかないんだがな
実際に九州に存在したかどうかは別にして 青銅器文化、鉄器とかと単純に云うけど、鉱石を見つけてきて炉で溶かして、鋳型にいれるか叩いて型作るかってのは
そう一朝一夕には出来ないテクノロジーよ。
やはり大陸から近いところから文明は進んで行くと思うんよね >>356
倭は文字ないから耳で聞いたことをやまとうこく、やまたいこくだかと魏が書き記したんだろ? 天孫が高天原ってとこから来たって言ってる
元々そこにいた人じゃない
古事記は奈良時代に成立してるので、奈良に王朝があるときに高天原っていう他所から来ました、みたいな表記をしてる
高天原は奈良じゃない 出雲大社も神話だとか言って信じてなかったけど出雲から色々なものが出て来て
平成になったら神話通りの大きい柱が出て来てしまったからな
記紀って嘘とはいいがたいのでそのまま読んだ方が真実に近そう
弟のスサノオの子孫が作った国をアマテラスは力づくで譲って貰ったんだろうね
だけど降り立ったのは宮崎(敵がいなかったのはそこだけ?)
その随分後のヤマトタケルが熊襲と戦ってるので九州でも長い間よそ者感がありそうだし
出雲も入れずだったんだろうな(今でも天皇は出雲大社本殿は入れない) >>361
耳で聞いて漢字にしたのなら
現代日本人ならヤマタイと言われれば=邪馬となるかもしれんが
古代中国人の文字ではそうならんよ
リャオメンもしくはジャオメンに近い発音で言われたから邪馬(古代中国語読みでじゃおめん)
もしヤマタイやヤマトと日本人が主張したのなら古代中国語ではこの文字にならない >>314
倭国大乱と狗奴国との戦が出雲の国譲りだとでも言いたいわけ?
そうなら、卑弥呼と天照大神の類似性以外で、
魏志倭人伝の出来事と記紀の出来事の整合性や年代の整合性とかを示してよ。 >>353
説ではなく文献のどこに都合悪いとこあるか?を聞いてんのよ
そういうとこから紐解くの面白いでしょ? 槨埋葬文化発祥の地である阿波が
邪馬台国である可能性は、
限りなくゼロに近い。 >>324
伊都国から水行1か月かかるような場所に女王国はないに反論できないことは理解したよ。 >>323
日本古代史の通説をガン無視って、具体的に何よ? そういや北アルプスふもとの信州安曇野は、海人族の安曇氏が移住したとこなんだよな。
穂高神社のお神輿なんて、もろ船の型していてとても興味深い 日本語と中国語の例
例えばトイレットペーパーが中国語では手紙でショウチー
もしショウチ国という国があったとして
ショウチ国から来ましたと名乗れば
中国語では手紙(ショウチー)と名付けられるかもしれない
日本に来たら承知(ショウチ)と名付けられるかもしれない
この位の差をすっ飛ばして
邪馬台国を日本語中国語読みでヤマタイコクだのヤマトコクだの言っている
当の古代中国語ではリャオメンオダなのにね
最初に日本に魏志倭人伝を持ち出し翻訳した奴のミスな >>365
なるほどねー初めて聞いた
まさか学者はそんなこともわからずに研究してんのかな?
そこの古代中国の文字とかもう少し詳しく知りたいな >>335
畿内説の根拠って結局学者が言ってるからなのか? >>375
遣隋使自らを倭国と言って中国の史書にも日本の事を倭国と記されてるそうだから
中国語発音では倭をヤマトと呼ぶのだろうか? >>372
奈良の東にある国々は近畿ヤマトの同族なんだよな
むしろ近畿ヤマトとはすごく近しい親しい国というならわかるし
敵対していたようには見えない >>373
何度もごめんね
でも邪馬台国に来るまでの行程で北九州までの地名はうまく現在と同じだよね?
そこはどうなるの? 邪馬台国が当時の日本の発声の音の当て字と仮定すると「リャオメンオダ」は
時代を考慮してもそんな音が日本に存在したとは到底思えない >>360
テクノロジーの伝達は一朝一夕には出来ないが、
必要な知識さえそろえば後は時間の問題だからな。
ただ、テクノロジーの産物を食料と交換して生きてるので、
他人に簡単に教えるわけにはいかないといった事情だろうな。
どちらかというと、交易による物品の伝播が近い方が有利であると考えた方がいいだろう。 リャオメンオダとか初めて聞いたわ
また珍説言い出すアホが湧いてるのか >>374
その動画で紹介される著者:梨目正が>>1の説明で出てきてないけど、
本当に同じなのかな? >>28
漢字の音読みは、「つくり」で発音するんだよ
壹のつくりは「豆」→トウ
臺のつくりは「至」→トウ >>385
倭国においてのテクノクラート集団が居たのはどこなんだろね。
やはり出雲なんかね。九州は大陸から武器の調達ができそうだけど リャオメン・リャオメンオダ 検索しても一件もヒット無し
念の為にジャオメンで検索 「蕉門」がヒット
ジャオメンオダで検索 ヒット無し
どこからこんな説を引っ張ってきた? 創作か? 出雲は今でもたたら製鉄の本場だね
スサノオが天叢雲剣をアマテラスに贈ってるし
オロチは川のことじゃないかという説もあるね >>241
倭、大和はヤ・マ・ト、すら無理があるわな 高天原が地上の特定の地域なわけがないだろうが。霊的世界だよ霊的世界。
プラトンの言うイデアの世界の事だろうが。形而上の世界だよ。
霊的世界からこの地上に神格を持つ上位の神霊が受肉し降臨して政治家や
軍人として活躍し国家のひな型を建設したんだろ。
まったく無神論者が研究するとろくな結論に達しないんだから。 結構30年以上前から、徳島に邪馬台国かあると密かに言われてた
剣山もパワースポットで、キリストやイスラエルのお宝が眠るとも
でも鯨さんが小説で書いた東北説の方が納得できる >>389
僕は新羅地域と出雲だと思ってる。
要するに九州は交易で技術品を手に入れてる。
百済地域も基本農耕がメインで交易の中継点として栄えてたんじゃないかと思ってるかな。
新しい出雲族は九州内でも仕事してたが出雲の国譲り以後撤退したんじゃないかというのが、
現時点での推測かな。 >>392
エンジニアであり古代史好きの僕としては、
もののけ姫でもっと製鉄のメカニズムを説明しておいて欲しかったな。
その点Dr.STONEは技術好きだけでなく古代史好きの学生も見ておいて欲しいな。 邪馬台国
やまたいこく
やまたぃこく
やまてぃこく
やまとぅこく
やまとこく
大和国 >>366
倭国大乱が出雲の国譲り
狗奴国との戦が神武の跡目騒動 癬人レベルの妄想だろうが
古代より九州は辺境、四国は僻地 >>396
応神の時にやってきた渡来人のうち資源調達担当が住み着いたりした時に
キリストやイスラエル類のものが作られた可能性を考えたいところだが、
景教が中国に伝わったのは唐の時代だって話だしな。
現時点では、謎やな。
徳島はばかばかしいくらい謎が過剰すぎる。 >>404
僕の現時点の考えは、弥生前期は同じだが、
山陰地方には弥生中期に漢人もしくはその混血が入ってきて、
2つの地域に分かれたと思ってるかな。
出雲は技術品、北陸は米所と資源供給地として交易してたと推測するかな、 >>402
それ、たぶん空海に踊らされてるだけやと思うで。 >>390
日本語で調べるなら中国語の読み方や古代中国語の読み方で検索して
それでも邪馬ヤマと読ませたい人が日本語では続出するけど
少なくとも日本語ですら邪をヤと読む事が珍しいように
中国語でもかなり頑張ってマイナーなと引っ張り出さないと邪はヤという発音ではない
古代も現代も
古代中国語でもジャやズ、あるいはリに近い発音になるのが普通 >>405
技術集団としては第1位が出雲、第2位が紀伊半島だったと推測するが、
徳島はたぶん第3位で、必ずしも九州が馬鹿にしていい地域とも言えんとは思うで。 >>411 の続き
こいつ、九州を辺境呼ばわりしてたんか。
論外やな。 >>383
だから邪馬台国だけが見つからないのだろう
そもそも最初からヤマトの影がチラついでそれに結びつけたかったり
結びつけたくなかったりで真っ当な目で読まれていないんだから 古代史の謎は海人の動向に注目すれば解ける
830 :日本@名無史さん :2019/09/14(土) 13:46:47.04
>>829
三世紀までは奈良盆地内には鉄器がほとんど存在しない一方で、北部九州には鉄器が豊富
この頃の本州の鉄鍛冶工房は北部九州の海人族の進出地のみ
http://inoues.net/club6/tetu2.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/kodaisikawakatu/imgs/7/b/7b77c3d5-s.jpg
そして四世紀になると奈良盆地内にも鉄器が増えてくる
このことは三世紀までは北部九州の勢力と畿内勢力が別勢力であったことを意味している
そして地理的条件により、畿内の勢力が北部九州を経由せずに魏とやりとりすることは不可能
ゆえに三世紀の魏志倭人伝に書かれた邪馬台国は九州以外にあり得ない
神武東征が卑弥呼より前ならば、畿内は当初から北部九州から鉄材も鉄鍛冶職人も入手可能なはずで
四世紀まで鉄器が普及しなかった理由を説明できない
証明終わり 825 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 22:55:12.63 ID:d3rkd5G50
弥生時代の鉄分布と北部九州を代表する海人族阿曇の分布がよく一致する
鉄は海人族とともに九州からやってきたんだな
http://inoues.net/tango/tango_z1.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/kodaisikawakatu/imgs/7/b/7b77c3d5-s.jpg
828 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 23:01:52.61 ID:yQGATf5S0
>>825
福岡の1621に対して奈良の13が光るねwwww
そこから読み取れるのは、奈良は九州を支配するどころか近隣の山城や河内さえ支配できてなかったってことだな
そして4世紀以降急に発展するのは九州の海人に征服されてその東国攻略の前線基地になったおかげ、と
841 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 23:23:21.53 ID:1L9obXG40
>>825
>>308の資料と照らしても間違いなさそうだな
弁韓の鉄材と鉄加工の技術を持った海人が西日本を席巻していき、やがて東日本をも射程に捉えたので畿内を前線基地にしたのだろう
だが東に版図を広げるにつれて遠い九州が本国では不便になり、畿内に都を移した、というのが一番しっくりくるストーリーだ 紀伊・吉野あたりも海人や安曇族が住み着いていた地域よね。
神武の手助けをしていた伝承もある 魏の皇帝に臣従を装いながら、一方では呉と同盟工作を密かに独立を謀り
韓や倭といった東夷からの朝貢を魏に取りつかずに私腹を肥やし
ついには237年に、魏の皇帝に反旗を翻して独立を宣言した【公孫氏】が、魏の皇帝に滅亡させられ、
その【公孫氏】の残党が、【公孫氏】の指揮下にあった
北部九州の「漢委奴国王」が統治する倭奴國に、大量に逃げ出して以降
中国の史書は、とにかく九州の倭國のことを、ガン無視しつづけるのよ
九州は、倭奴国として後漢(25年 - 220年)から、57年に「漢委奴国王」に任じられたという話も
その「漢委奴国王」が、永初元年(107年)に人材を百六十人献上したという話も
432年、南北朝時代の南朝宋の時代に成立した范曄著『後漢書』にならないと出てこないし
唐(618年 - 907年)の時代、太宗の命で編纂された『隋書』倭国伝(636年完成)に至っては
【公孫氏】の残党が建国した九州にあった秦王国のことを、「なんでここに中国人の国があるのかわからない」とでぃすりまくり どう考えても九州だろw
じゃなければ卑弥呼が魏志倭人伝にはでてこない >>415
僕も道程だけを見た時宮崎だと思ったが、
宮崎だと他の情報を説明するストーリーを作るのが非常に難しくあきらめたな。 >>417
安曇が北部九州の渡来系氏族を畿内まで手引きしたのが神武東征伝説かもね >>238
九州説が元気なのはネット上だけで、現実世界では学会には皆無だしダンマリな時点で察して差し上げろ >>416
>弁韓の鉄材と鉄加工の技術を持った海人が西日本を席巻していき、やがて東日本をも射程に捉えたので畿内を前線基地にしたのだろう
>だが東に版図を広げるにつれて遠い九州が本国では不便になり、畿内に都を移した、というのが一番しっくりくるストーリーだ
なる
実際の鉄器分布の変遷から見るとそう考えるのが自然に思えるな フェニキアみたいに、瀬戸内沿岸を飛び地状に支配してたんじゃないの
で、そういう海洋型の国は、周辺人口が増えてくると内陸型の国に圧迫されて各個撃破されて潰れる >>413
邪をじゃと発音して、じゃまとうこく
まさかジャワ島じゃないよなあ?
そんな遠くに倭の国はないだろうし
でも海をずっと南には行ったとかなんたらの記述はあるのよね 纏向遺跡の存在は無視出来ないから学者は畿内説だろうね
前方後円墳発祥の地
箸墓古墳が卑弥呼の墓と推定してるし 三種の神器というくらいだから3つの勢力を統合したのがヤマト王権だろうな >>423
山岳民族所有のはずの金属器技術を海運業者が持ってるって時点で、
全然しっくりこないよ。
地下資源掘ったり、木切ったり、陸で仕事ばかりしてたらもはや海人じゃないよ。 古代中国の発音だけじゃなく、日本語だってどうしゃべってたかわからない
今だってまったくわからない方言があるのに
上代日本語を復元する研究もあるようだが
https://youtu.be/5tV2av3ENAg?t=95 邪馬台国は琉球にあったと琉球大学の教授が言ってたのと同じレベル。
最初に結論ありきの、オラが村邪馬台国理論。 >>428
>山岳民族所有のはずの金属器技術
まずこれが大間違い
日本で鉄が国産できるようになったのは5世紀後半というのが定説
それまでは朝鮮半島から全量輸入していた
半島からの輸入は当然海人族が全てを独占しており、3世紀の邪馬台国時代は鉄を持っていたのは海の民 >>430
邪馬台国までの行程での地名がやたら正確よね?
それなら倭人はちゃんと発音してたのかな?とかも考えたりして >>432
それ古い説だね
平成に入って広島の小丸遺跡で3世紀頃の製鉄炉が発見された シュメール人は日本人
シュメール人のマークは菊花紋
邪馬台国はエジプト 倭=ワ=和=民族としての称号
ヤマト=邪馬台=連合国の盟主の国名
強引に大和=ヤマトとしたのは誰だ? >>432
鉄の塑性加工くらいなら弥生時代からやってても全然おかしくないし、
製鉄にしても可能性がある弥生遺跡が存在してる。 九州しかあり得ないけどな
邪馬台国は雪が降る奈良みたいな山岳地帯ではないわな
倭人伝の記述からすれば
暖かく海に近く潜れるところ
関西説とか馬鹿馬鹿しい
記紀からも東遷したわけで邪馬台国とヤマトが関係ないわけもない 卑弥呼の頃の邪馬台国は九州しかあり得ない
倭人伝からも記紀からも >>433
百済地域の漢人と交易してたと思うので、
漢字が当てられてる地名がすでにいくつか存在してたんじゃないかな。 場所すら特定できないのは邪馬台国が伝説でしかない証拠。
神武天皇と同じだよ。 奈良盆地に降る雪は偶にあるぐらいで積雪量もたいしたことない
当時はどうだかわからないけど >>440
邪馬台国の周りにあった国の地名の記述がヒントになってるはずだから
それもしっかりわかったら謎解けるのにね >>434
小丸遺跡の木炭のC14測定では3世紀のものも混じっているが7世紀のものが多い
3世紀に製鉄を行ったなら7世紀の木炭は混じりようがない
7世紀に製鉄を行ったなら3世紀の木炭は古木の混入により混じり得る
まあ仮にもし本当に小丸遺跡で3世紀に製鉄をやっていたとしても、それが全国的に普及していなければ
ほとんどは輸入材料だったという結論に変わりはなく議論には影響しない
>>437
加工はやってるに決まってるだろ
それが圧倒的に北部九州の技術体系なのと、伝わった場所が海人族の進出地ばかりなわけでね
弥生時代の鉄器工房遺跡
http://inoues.net/club6/tetu2.jpg >>444
で、それらは海辺でやってるんか?
塑性加工でも普通は火が必要なんやで。
そんなに言い張るんやったら、まず海辺でやってるっていう資料をちゃんと示してくれよ。
仕事がたくさんあれば運送業者の現地法人があるのは当たり前やん。
まず、何を議論してたんかアンカ遡って確認しろよ。 >>432
弥生末期は製鉄というよりは鍛治だからな
それも、丹波などで大規模にやるようになってる >>445
海人が海辺にしかいないと思ってるバカがいるのかw
3世紀までにはもう近江まで海人の支配地だぞ
https://biwako-genryu.shiga.jp/?page_id=603
> 安曇川周辺には、このアドやアマに関連する地名が数多く見られる。 安曇川町上古賀の「天川」や中央1丁目の「雨ヶ森」、新旭町安井川の「安曇」や
> 太田の「安曇連(あづみむらじ)」に関する社寺と「阿曇比羅夫(あづみひら ふ)」の墓、今津町南浜の「天川」などである。
> そして、これらに福井県若狭町の「海士坂(あまさか)」や県境の「天増川(あますがわ)」をつなぐと、若狭湾方面から饗庭野を経由して安曇川流域付近に
> 住みついた安曇海人の軌跡を示しているとみられている。
> また、移住の時期は弥生時代から始まって、3世紀以前に安曇川のデルタ一帯に定住したが、6世紀には当地域から姿を消したものと推測されている。
>
> しかし、この軌跡は安曇川の中流域から上流域まで延長できるようである。 朽木地域では荒川に「雨乞いの淵」が、支流の北川には、野尻の上野に「天ノ阪」が、
> 下市に「あまんさか」が川に面してある。 また、京都市左京区百井の集落東方には天ヶ森(標高812m)があり、百井峠の南南東には天ヶ岳(標高788m)が
> 安曇川の源流を見下ろすようにそびえている。 >>398
東遷のようなものがあったとしたら卑弥呼の時代以前
弥生中期から後期の、北部九州で人口爆発が起こった頃 >>447
もう一回ちゃんとめよ。それからアンカ遡って何を議論してたんか確認せえ。
だから、仕事がたくさんあれば運送業者の事務方の現地法人があるのは当たり前やろ。
木切ったりとか鍛冶とか陸の仕事で生計立ててたらもはや海人じゃないやろ。
海人が鍛冶やってた証拠示せよ。 >>438
馬鹿馬鹿しい、奈良盆地なんて大して雪降らない、むしろ北部九州の方が積もる位だ。
それに邪馬台国伝ではなく倭人伝だと何度言われたら理解出来るんだ、九州説の連中はw >>438
つまり、九州島は奈良と大して気温が変わらず温暖ではなく、魏志倭人伝の温暖という記述に矛盾するが
黒を白だと言い張って、九州島は温暖だということにするわけだな >>444
その白地図に淡路の鍛冶工房すら載ってないんだが、データ古すぎない? 九州説の出してくる資料なんて基本的に昭和時代のだからな。だから爺さんが多い。
畿内も既に三世紀の時点で淡路島と近江に鉄工房が確認されている。
しかも稼働は二世紀からだし邪馬台国と鉄は何の関係もないぞw
卑弥呼に関連して必要な資料は鬼道だよ。 >>454 >>455
淡路や近江って弥生時代の製鉄じゃなく鍛冶の話だったの? >>454
北部九州の海人が作った淡路の鉄工房が載ってても大差ないだろ
むしろ九州説を強化するだけw
弥生期の鉄製ヤス出土 淡路で近畿初
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201803/0011093126.shtml
>エックス線写真で分析した結果、先端から約1・5センチ下方に「かえし」が見られた。
>ヤスや釣り針にかえしをつくるには高度な技術が必要といい、鉄器製造が盛んだった九州などから持ち込まれた可能性がある。
>
>弥生期の鉄製ヤスや釣り針は、山陰や九州北部で出土する例が多い。
>愛媛大東アジア古代鉄文化研究センターの村上恭通センター長は
>「山陰は九州から鉄製漁具を受け入れ、漁民が鉄器の交易を促進した」と分析。
>今回の発見で、漁具が日本海側だけでなく「瀬戸内側を伝わって来た可能性もある」と指摘する。 そもそも倭国は南方にあると考えられていたわけだ
海南島と有無するところが同じとか、会稽東冶の東にあると書かれていた
そういう地理認識のもとで、倭地は温暖と書かれていた
奈良が温暖でないと言うなら、九州島も温暖でない
奈良が温暖と言うなら、九州島も温度
帯方郡や海南島と比べたら誤差レベル >>456
それくらいは基礎知識として知っとこう。
じゃないと簡単に他人のミスリードに引っ掛かる。 >>457
淡路島の工房が弥生時代の日本最大級と言われてるんだがね。
だからなんで乗ってない白地図なんか引っ張ってきてるのか、ちょっと疑問に思った。 >>457
>山陰は九州から鉄製漁具を受け入れ、漁民が鉄器の交易を促進した
文面からは、漁民云々は主ではなく副という意味に読めるが >>457
結局弥生時代の鉄器製造は海人族の遺跡ばかりってことか
やはり九州だな 魏志倭人伝だけ読むと徳島も夢拡がるけど・・・
遺跡古墳からすると奈良大阪周辺。 >>456
考古学のプロを自称してるようなこと書いてたが、基本的知識がないんだなw >>457>>462
滅びた文明の痕跡は遺跡・遺構として残される。
遺跡ってのは主に、その段階で衰退したことを表してる。
継続てきに続いた文明は同じ地点で新しいものに上書きされるから。
奈良で1000年前の遺物がアホみたいにでるのに、
京都が文化レベルの割に平安の遺物がすくない理由も同じ。 箸墓は槨埋葬だし、
4世紀後期の古墳で、
馬具も出土しそう。 鉄の伝播と海人の拡散は同じ場所、同じ時期なのか、きちんと検証しないといかんな
こんなコピペを鵜呑みにはできん アマテラス=卑弥呼
アマテラスの生誕地は、福岡県。by古事記
まあ、普通に考えて、高天原=邪馬台国は、福岡県だな。
あと、アマテラス卑弥呼は鏡マニア。
弥生時代の墓から鏡が出るのは、福岡・佐賀だけ。 >>457
三世紀の時点で広がっていたら何の強化にもならないだろw
そもそも北部九州も西日本各地の豪族が、大陸との交易を求めて基盤を求めて集まったにすぎない。
だから平原の古墳なんかは畿内や東海地方に多い様式だ。
また邪馬台国に鉄が豊富だという文言すらない。
九州説の連中は倭人伝を読んでない証拠だよ。 >>1
畿内説よりは100倍マシだけど
もう良いよ疑似科学の町おこしごっこは。
中国の史書をコンピューターに全て取り込んで
検索にかけてAIでシミュレーションしたら
そもそも百済は遼西で、チョン半島の下にちょこっとあった国じゃ無いとわかるんだから、
魏志倭人伝の記述通りでソウルあたりだよ
邪馬台国は。チンカスネトウヨが喜ぶかもだが
そのあたりに倭人がいたわけだ。
ただ倭人イコール日本人じゃ無いからなw
九州説は素朴だが間違い
阿波説は楽しいがエンターテイメント
畿内説は妄想基地外レベル 弥生初期とか中期ならともかく、弥生末期には勢力図が変わってるからな
製鉄然り、銅鏡の出土状況然り 弥生時代末期どころか前期の時点で、葛城や
河内で鏡が埋められていたのは九州説の連中はスルーなんだよな。
しかも葛城の秋津島近くでは日本で唯一鏡と銅鐸が一緒に埋められいた場所だから。
紀元前といえば神武天皇がヤマト入りした年代とも被る、しかも神武縁の場所だぞ。 >>18
古田先生は東日流外三郡誌という偽書のせいでダメになってしまったな >>414,416,457
やはり考古学的に見ると邪馬台国は九州で3世紀末〜4世紀初めに畿内へ遷都したというのが
一番可能性が高いな >>471
当時の経済活動の状況を見れば、畿内は外野であることは明確である。
■魏志韓伝より
國出鐵韓?倭皆従取之,諸市買皆用鐵如中国用銭,又以供給二郡
(国には鉄が出て、韓、?、倭がみな、従ってこれを取っている。
諸の市買ではみな、中国が銭を用いるように、鉄を用いる。
また、楽浪、帯方の二郡にも供給している。)
■重要事項
・3世紀頃は鉄は市で通貨として使えるほど貴重だった。
・九州では武器や農具に鉄を使えるほど潤っていた。
・しかしこの時代の畿内からは鉄が出土していない。
↓鉄の出土状況
https://i.imgur.com/eRF3Zza.png
■推測されること
・畿内政権は鉄を取りに行っていない
・畿内政権は九州に鉄を分けてもらえなかった
・一大率は畿内への鉄の供給を行わなかった
■結論
・3世紀の北部九州と畿内の関係は希薄だった
・一大率は畿内政権とは無関係だった
・畿内は倭国ではなかった
■裏付け
纏向遺跡の出土土器に九州産や半島産が含まれていない
もと歴博の館長もやった佐原真いわく、
「近畿圏では鉄は溶けやすいので、残っていないのだ」
(開き直りw) 華奴蘇奴(倭の時代の発音でワナサナ)国が、徳島の和奈佐意富曾神社しかないらしいから四国が邪馬壹(ヤマト)国で決まりだよ どうやら畿内説の人の書き込みを読んだら、冊封を受けていた事実は都合よく消してるんだよね。
やっぱり畿内派の根底には皇国史観があるんかね 東遷説をやたら推してる人は70過ぎたお爺ちゃんだろ?
40年も50年も前にあった過去の説じゃないのか
邪馬台国論争の歴史に出てきそう
昔はこんな説がありました、みたいな論争史 >>442
ただ奈良から少し東の山間部にはけっこう雪が降る。
まあ当時がどうだったかはわからんけど。 >>479
皇国史観はともかくとして、例えば聖徳太子の「恙無きや」を「自主外交の現れ」とか
言ってる奴が信じられない。 >>479
その書き込みたまに見かけるけど、みんなポカーンだよ
意味わからんからスルーされてるのんじゃないの? >>480
弥生時代の文化は北部九州から拡散してるから東遷自体はあっただろうけど、魏志倭人伝よりははるかに前の時代だな >>484
それはあり得ない
830 :日本@名無史さん :2019/09/14(土) 13:46:47.04
>>829
三世紀までは奈良盆地内には鉄器がほとんど存在しない一方で、北部九州には鉄器が豊富
この頃の本州の鉄鍛冶工房は北部九州の海人族の進出地のみ
http://inoues.net/club6/tetu2.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/kodaisikawakatu/imgs/7/b/7b77c3d5-s.jpg
そして四世紀になると奈良盆地内にも鉄器が増えてくる
このことは三世紀までは北部九州の勢力と畿内勢力が別勢力であったことを意味している
そして地理的条件により、畿内の勢力が北部九州を経由せずに魏とやりとりすることは不可能
ゆえに三世紀の魏志倭人伝に書かれた邪馬台国は九州以外にあり得ない
神武東征が卑弥呼より前ならば、畿内は当初から北部九州から鉄材も鉄鍛冶職人も入手可能なはずで
四世紀まで鉄器が普及しなかった理由を説明できない
証明終わり >>485
スレでちょっと前に論破されてる内容何でコピペするん? >>477
肝心の倭人伝に鉄の記述が無いことはスルーだなw
倭人伝にある鉄に関する文言なんて鉄鏃しかないんだから。
石や骨鏃と同類なんだよな。
しかも邪馬台国に鉄が豊富なんて記述もない、倭にある鉱物資源は丹山なのもいい加減に認識しないとな。
北部九州なんて石炭くらいかw >>485
畿内説が誰もマトモに反論できてないし、やはり神武東征は4世紀だな >>487
倭人が半島まで行って鉄を掘っていたと書いてあるのに鉄器が無い畿内は邪馬台国ではありません
残念でした >>488
そもそも何も邪馬台国の位置を証明されていない、マトモな論になっていませんがw >>489
辺り前だが倭人=邪馬台国人ではないからな。
それに倭人伝の記述ですらない。
更に理屈では弥生時代に丹山のない九州は
倭ですらない事になるぞw >>491
まだそんな周回遅れの話してんの?
24 :名無しさん@1周年 :2019/09/23(月) 18:42:57.84 ID:rKCQHorj0
>>9
残念でした
真珠や青玉が『出:価値の高い特産品』と表現されているのに対し、
丹は『有:価値の判断をせず、そこにあるという存在を示すだけ』の表現
これほど価値が無視される丹はベンガラでしかありません
793 :名無しさん@1周年 :2018/11/20(火) 01:02:43.71 ID:iWOIC1AW0
>>784
で、該当の部分について、魏志倭人伝の原文はこうなっている
「出真珠青玉 其山有丹 其木有枏杼橡樟楺櫪投橿烏號楓香 其竹篠簳桃支 有薑橘椒襄荷不知以為滋味 有獮猴黒雉」
お前はこの文章を倭国の貴重品についての文だと捏造するが、其山有丹の後に続くのは倭国に生えている木の種類や竹の種類、
食用植物に動物の記録だ
単に倭国に存在するものを事務的に並べただけで、別に宝物についての記録ではない
文字表現についても、真珠青玉が「出」すなわち産出するという表現であるのに対し、其山有丹は「有」、つまり存在するよ、としか言っていない
この「有」は後ろの其木有枏杼橡樟・・・以降と同じ表現であり、「こんなものが有りましたよ」という軽い表現でしかなく、価値は認めていない
この一文の中で特別扱いを受けているのは真珠青玉のみである
木や動物と同程度の扱いを受ける丹がベンガラなのは明白だ
858 :日本@名無史さん :2018/12/10(月) 03:18:53.04
三国志烏丸鮮卑東夷傳から物品に対する用例を見ると、出は各国の名産品で、有は価値の判断をせず、そこにあるという存在を示すだけ
という使い分けのようだな
「出名馬。赤玉、貂狖、美珠。珠大者如酸棗。」(夫餘条)
「出好弓、所謂貊弓、是也。」(高句麗条)
「出赤玉、好貂。今所謂挹婁貂、是也。」(挹婁条)
「樂浪檀弓、出其地。其海、出班魚皮。土地饒文豹。又出果下馬、漢桓時獻之。」(濊条)
「出大栗、大如梨。又出細尾雞、其尾皆長五尺餘。」(韓条)
「國出鐵。韓、濊、倭皆從取之。」(弁辰条)
有の例
「有宮室、倉庫、牢獄。」(夫餘条)
「夫餘庫有玉璧、珪、瓚。數代之物、傳世以爲寶。」(夫餘条)
「有五穀、牛、馬、麻布。」(挹婁条)
「有麻布、蠶桑作緜。」(濊条)
「有瑟、其形似筑、彈之亦有音曲」(弁辰条) >>494
徳島県なら“丹生”“丹生谷”なんて地名はいくらでもあるけど、九州説にとっては丹が産出するかどうかを衝かれると致命的になるわけか・・・ >>494
畿内説の一縷の望みも絶たれてしまったか
九州説は盤石だな むかしヒーミーコッってディスコサウンドがあったなあ 倭国は57年と107年に漢倭奴国王というのを貰っとる国おそらく100国の王があってその後倭が乱れ、238年にばばあになった女王卑弥呼が現れててその後男王がちょっとたったが直ぐに壱与に替わり親魏倭王を貰っとるわけでその部分が記紀にはまったく無い。無関係な国? >>494
四世紀初頭、つまり倭人伝と一番近い鉱物資料である抱朴子位みないとな。
丹は辰砂で水銀朱とあり一番貴重だとなっている。当然鉄なんかよりはるかに重視されているぞ。
で、倭人伝に鉄は記述ありかな? 魏の皇帝に臣従を装いながら、一方では呉と同盟工作を密かに独立を謀り
韓や倭といった東夷からの朝貢を魏に取りつかずに私腹を肥やし
ついには237年に、魏の皇帝に反旗を翻して独立を宣言した【公孫氏】が、魏の皇帝に滅亡させられ、
その【公孫氏】の残党が、【公孫氏】の指揮下にあった
北部九州の「漢委奴国王」が統治する倭奴國に、大量に逃げ出して以降
中国の史書は、とにかく九州の倭國のことを、ガン無視しつづけるのよ
九州は、倭奴国として後漢(25年 - 220年)から、57年に「漢委奴国王」に任じられたという話も
その「漢委奴国王」が、永初元年(107年)に人材を百六十人献上したという話も
297年に成立した『魏志』倭人伝には、一切出てこないどころか、
金印をもらった「漢委奴国王」の倭奴国のことを「狗奴国」とコキ下ろしているし
432年、南北朝時代の南朝宋の時代に成立した范曄著『後漢書』にならないと出てこないし
唐(618年 - 907年)の時代、太宗の命で編纂された『隋書』倭国伝(636年完成)に至っては
【公孫氏】の残党が建国した九州にあった秦王国のことを、「なんでここに中国人の国があるのかわからない」とでぃすりまくり >>495
丹生神社なら大元が吉野だし丹生都神社も高野山だからな。
どちらにしても丹山は紀伊半島や阿波の認識で間違いない。しかも三輪山の周辺が辰砂の産地だし、三輪山の対面、二上山は青玉サファイアの山だよ。 九州でも阿波でも畿内でも何処でもいいのよ。確かに倭人国とされる100国と30国を束ねた国があったんだから、それがなんで紀元前からあるとされてるヤマトの記紀ではまったく理解出来ない状況なのか?これが問題だよ。このくそ本に頼らなければならないというのが情けない。 >>498
記紀神話自体が、天武朝が易姓革命で成立した女系皇朝であることを隠すために、それまでの皇朝史を改竄したプロパガンダ史書だからなあ・・・
一応、海外向けプロパガンダである日本書紀の方では、卑弥呼と神功皇后の年代が一致するように調整はしてあるよ >>499
貴重なら『出』じゃないとおかしいと書いてあるようだが日本語読めないの? >>1
邪馬台国は九州ですよ
地域おこしのネタは他をあたってくださいな
【古代】狗奴国から邪馬台国に迫る 飯塚で古代史連続講座 「九州北部が邪馬台国、南部に狗奴国があったと考えられる」
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1569229385/ 奈良の大和(オオヤマト)の前に和(ヤマト)があった
九州にはヤマトと言う地名が無い >>506
筑後国山門郡ですね
>>106のとおりルートも解明されています >>504
中国側の資料には丹が最大級で貴重な鉱物とあるが、知らないのかなw
それに貴重な青玉も畿内にあるから問題ないよな?そもそも河内南部には河内青玉なんて豪族がいるだろ、しかも百襲姫とも同世代だ。
で、鉄の記述はどこににもないw >>468
元々弥生時代前期かそれ以前から貝輪とかいろいろさばいてたはずだから、
鉄の伝播より前にはなるはずだと思うけど、それとは関係なく、
標高約150メートル程度とは言え、仮にも山上にある同遺跡鉄と書かれてるのに、
海人の技術とか海人の仕事と言い張るのはおかしい。
まあ、一昔前の日本も問屋が牛耳ってたよう物流が支配的な経済構造にはなりやすいのは認めるが、
米問屋が米作りの技術持ってて田植えや稲刈りしてましたとか言うやつのことどう思う? >>474
弥生前期やったらちょっと衝撃やな。
ソーズへのリンクとか貼れる? >>262
公孫淵氏の末裔が大阪の八尾にいるらしいね >>512
公孫氏の末裔赤染氏/常世氏は豊前の香春神社なんかにも伝承があるな
半島を経由して九州→畿内というルートのようだ >>422
「私も昔からそう思ってました」が続出するだけだな >>480
たぶん銅鐸の消失や大和での金属器出土激増、
九州でのから金属器出土激減とか推測してるんだろうけど、
奈良県での銅鐸出土数は弥生後期には激減してたはずだし、
大阪平野の調査で神武東征の真実味が出てからは事情は変わったはずだと思ってたけどね。 >>485
崇神の御代で始めて朝鮮との交易が始まったからだと思うけど。 >>513
公孫淵氏は反独立派みたいな動きをしてたから逃げる必要は無かったんじゃないかな
それ以外は滅亡させられたって話だけど 要するに、ヤマタイ国ではなくヤマト国と読む
こうすれば、記紀になんら説明がないことと矛盾しなくなる。
イヨではなく、トヨと読めば当然のこと。 >>501
九州でも丹は大分県南部で採れてたと思うけど、
阿波説曰く、発見されてる弥生時代の丹の鉱山遺跡は徳島だけらしい。
忌部の第4位が徳島の田舎で現代まで生き延びたため、
古代の丹の鉱山遺跡の情報が現代まで保たれたんだろうと推測するが、
それがよっぽど嬉しかったんだろう。 臺も壹もつくりが同じ「トウ」だから読みは同じで「ヤマト」国というのはへーと思った
自分は騙されてるのか? >>474
河内では後期前半に中国銭貨も出てるね
九州説は基本的に知識が乏しいか、古い知識しかないかだから
大陸交流が九州だけだと寝ぼけたことを言い続ける >>523
中国語の辞書で魏の時代の発音と言われてる上古音の発音記号らしきものは、
壹:qlid、 臺:dɯː やな。 >>524
弥生後期前半なら河内は銅鐸圏だと思ってるから特に不思議は無いと思うけど。
弥生前期に大和となると銅鐸文化圏すら形成されてなかった時期だと思ってるので、
どういういきさつで大和に流れついて来たのか興味深い。
果たして九州北部にもあったのかどうか。 >>509
だから青玉と真珠は「出」だから貴重品で丹は「有」だから貴重品ではないと魏志倭人伝に書かれているんだが
貴重品でない丹とはベンガラに他ならない >>524
>河内では後期前半に中国銭貨も出てるね
河内は北部九州の海人の占領地域だからなw
http://livedoor.blogimg.jp/kodaisikawakatu/imgs/7/b/7b77c3d5-s.jpg
海人の有力者が身に着けたゴホウラ貝輪が大阪湾岸からも出土している
畿内で独立していたのは山に囲まれた奈良盆地内だけで海側はもう海人に占領されていた
http://ac.jpn.org/kuroshio/hitomono/f012.gif >>528
以前、日向と畿内の交易の痕跡は弥生時代後期後半っての読んだことがあるけど、
そのゴホウラ貝輪ってどの年代に区分されたの?
ソーズのリンクとかある? >>528
北部九州の海人による全国統一説かw
200年も300年も奈良を包囲して何してたんだよw
与太話広められるといいな
まあ頑張れ 日本の神話に四国がほとんど登場しないのは
四国から見た日本の物語だから 単なる交易品を占領の証拠だと言い出したら、日本は縄文時代に全国統一終わってるよw
それどころか、大陸に領土を持ってたことにもなってしまう 鉄だの銅鐸だのではなくて10年前に纏向遺跡で大発見があって一気に畿内説が有力になったんだよね
それは飛鳥時代よりも前の弥生後期に計画的な都市が奈良にあったのが分かったわけ
魏志倭人伝に書かれてた塀のある建物というのがこれだろとなった >>535
纏向で一体どんな大発見あったんよ。
天皇が纏向に宮を構えてたんが3世紀後半〜4世紀前半とか、
銅鐸圏が消失して大和政権の勢力範囲に含まれたとかの推測は数十年前からあったはずだと思うから、
仮にそれが考古学的に証明されたとかいう話なら、
特に畿内説が有利になるということは無いはずだとおもうのだが。 >>538
悔しいのは分かるけど
九州で邪馬台国に比定できる遺跡でも見つけてから言ってね >>538
建物の形から弥生時代のイメージではない感じのやつだった
柱が細くて整然と宮殿らしき建物が並んでてみたいな 巻向で新しい新興宗教が始まったんだだろ。その芽生えはヤマト朝廷に繋がるものだということでしょ。西日本の共立した連中が何も無い巻向に建てたということでしょ。問題はどんな連中か?だよね、神功ならそれ以前を滅ぼしとるし、アマテラスなら帥升は誰だよって話。 纒向が3世紀後半〜4世紀前半とか言ってる九州説信者を相手にしても無駄だよ
>紀年論を見直せば考古学的物証と整合するなら、そちらを優先的に考える。
>僕の信条やな。
こんな偉そうなこと言っておきながら考古学無視だから >>542
纒向にある天皇の宮な。間違えるなよ。
で、どう違う発見があったん? 証拠がないから言いたい放題だな
でもまあ歴史のロマンって想像にあるよね それで記紀を考えないといけないんだけど比定できる女王は二人しかいないのよ。アマテラスと神功。台与もおらんの消されて、で王年代記を優先してみて神功とすると九州王であろう帥升達が奈良にいるのよ、とどうしても東征が必要になって来るわけ >>528,536
どう見ても九州だねこれは
ここまで九州勢に占領されてから畿内が大逆転というのは無理
九州勢がそのまま4世紀に畿内も占領したと考えるほかない >>545
結局全部憶測でしかないだろw
それにモモソヒメは充分資格があるぞ。 >>527
二上山から青玉が取れるから問題ないな。
それに丹山に関しても中国側の資料では
ベンガラは代赭や赤土と書かれる。また酸化鉄は当時は丹と書かれた文献がないからダメだね。 >>522
丹を精製した跡なら紀伊半島の辰砂産出近くの
河川で沢山あるから問題ない。
精製するのは赤い粉末状にする作業で、当然現地でとれないと出来ないからな。
弥生時代中期の河内平野では、貨泉と共に中国様式の分銅すら確認されてるぞ。
この精製跡すら弥生時代の九州からは未だに確認出来ないんだからな。
丹山に関しては九州は阿波や紀伊半島に対抗すら出来ない状態だよ。 >>548
ほらまたそうやって嘘をつく
丹だから水銀朱に違いないなんて妄想はもうとっくの昔に否定されてるんだよ
799 :日本@名無史さん :2018/12/08(土) 22:10:54.38
三国志より古い山海経でも単なる赤い山を丹山と記している
現在の内モンゴル赤峰市だが、ここで水銀朱が産出したという記録はなく、百度百科の説明でも
紅色的山峰=(山肌の)赤い山 の意と書かれている
赤土の山が丹山なら丹は赤土=ベンガラの解釈で間違いないだろう
始洲国_百度百科
https://baike.baidu.com/item/%E5%A7%8B%E6%B4%B2%E5%9B%BD
>《山海経》中記載的“丹山”。現赤峰市政府所在地有一座紅山,从字意上解釈,紅山即為“紅色的山峰” >>550補足
756 :日本@名無史さん :2018/12/08(土) 08:46:18.85
ベンガラも丹と呼ばれていた
丹は赤色顔料の総称扱いで、それのみではどの種類だか分からない
書き分けが必要な場合、魏志倭人伝では水銀朱は真朱(珠)として書き分けている
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography/117/5/117_5_948/_pdf
> 朱という言葉は一般に硫化第二水銀を指すのだが,考古学関係者は水銀朱という名称を用いることがある。それは,古代に用いられた
> 無機赤色顔料化合物に朱(硫化第二水銀),ベンガラ(酸化第二鉄),鉛丹(四三酸化鉛)の三種類があり,これらを厳格に
> 区別していない場合があるからである。
> 例えば,硫化第二水銀は,辰砂,朱砂,丹砂,丹,朱,銀朱,真朱,真赤土,水金,水銀という呼び名があり,
> 酸化第二鉄はベンガラ,ベニガラ,鉄朱,丹,鉄丹,朱丹という別名を有する。また,四三酸化鉛も鉛丹,赤鉛,丹,光明丹,黄丹という別名がある(市毛, 1998)
> さらに魏志倭人伝文中にある「真珠・鉛丹各50斤」という記述の真珠は硫化第二水銀(真朱)のことであると解釈されている。
もしも倭国が真朱の名産地であったならば、かの曹操が建てた魏ともあろう国が倭国への下賜品として相手国の特産品を選ぶようなヘマはするまい
中国における白粉の如く体に塗りたくっていたという魏使の報告を見て「ああこれはベンガラの事だな」と分かったから
それより格上の真朱や鉛丹を倭国への下賜品としたわけだよ >>550
アホ、また無知な嘘をつくなよw
そもそも山海経とは何時の資料だ?
三世紀の物を語れる資料ではない。
一番倭人伝に近い資料は抱朴子しかない。
それに赤峰山の名前もモンゴル由来で漢民族でもない、ここはパリン石、赤い鶏血石で有名でこれもとても貴重な石だぞ。
当然ベンカラなんて普通にどこでも取れるものではない。
ベンガラ、酸化鉄が鉄丹として登場する資料は
早くても四世紀から五世紀まで存在しない。 邪馬台国は阿波。
理由はうどんの化石が見つかったから。 >>551
これも不勉強だね、丹、水銀朱でも色や密度により差があるんだよ。
貴重な物なら産地が違う物でも当然お互い贈るもんだ。宝石を考えて見れば判る。
辰砂の原石だってでも赤い部分の入りかたや紋様で価値もちがう。
まあ真朱なんてのも中国側が、うちの丹はこんなに善き物だぞ、的なニュアンスにすぎない。 魏の皇帝に臣従を装いながら、一方では呉と同盟工作を密かに独立を謀り
韓や倭といった東夷からの朝貢を魏に取りつかずに私腹を肥やし
ついには237年に、魏の皇帝に反旗を翻して独立を宣言した【公孫氏】が、魏の皇帝に滅亡させられ、
その【公孫氏】の残党が、【公孫氏】の指揮下にあった
北部九州の「漢委奴国王」が統治する倭奴國に大量に逃げ出して以降
中国の史書は、とにかく九州の倭國のことを、ガン無視しつづけるのよ
297年に成立した『魏志』倭人伝は、後漢から金印をもらった九州の「漢委奴国王」の倭奴国のことを「狗奴国」とコキ下ろしているし
そもそも、九州の国王が後漢(25年 - 220年)から、57年に「漢委奴国王」に任じられたという話も
その「漢委奴国王」が、永初元年(107年)に人材を百六十人献上したという話も
南北朝時代の南朝宋の時代、432年に成立した范曄著『後漢書』にならないと出てこない
唐(618年 - 907年)の時代に太宗の命で編纂された『隋書』倭国伝(636年完成)に至っては
【公孫氏】の残党が建国した九州にあった秦王国のことを、「なんでここに中国人の国があるのかわからない」と、九州諸国をディスりまくりだ >>551
最後の数行は、倭国では丹を産出しないことにしたいために創作した話で、根拠ないな
公孫氏が滅んで、やっと魏と倭国との交流が始まったときに
倭国の産物まで詳しく報告されてたとか現実にはありえないだろう なんにしても
魏の皇帝に反旗を翻して独立を宣言した【公孫氏】の指揮下にあった、北部九州の「漢委奴国王」が統治する倭奴國
魏の皇帝に反旗を翻して独立を宣言した【公孫氏】の残党が大挙して逃げ込んだ、北部九州の「漢委奴国王」が統治する倭奴國
を
魏の皇帝が「親魏倭王」にするわけがない
つまり
邪馬台国は九州には無いし、邪馬台国の諸国も九州には無い 文献解釈では九州説なんて昔は言われてもんだが、ネットの時代ではそんな事絶対無理だからな。
畿内説の解釈上のネックは方角記述だけなんだからな。
逆にこれさえ説明出来れば何の問題もない。
主要な遺蹟や候補者、東遷なんてアクロバティックな解釈する必需品もない。
東へ勢力を拡大したのは狗奴国だろうし。
狗奴がクニの語源だし、ヤマタイは畿内のヤマト。
山之辺、矢田丘陵から河内平野のエリアだね。 私の中で邪馬台国ってことを考えたときに、30年後の自分は何歳かなとあの台風直後から考えてました。
だからこそ私はセクシーでいられればその30年後の約束を守れるかどうかというその割れ目を私は見届ける可能性のある崖っぷちだと思います。 >>517
>大阪平野の調査で神武東征の真実味
詳しく >>552
山海経も知らんバカw
抱朴子のどこに水銀朱以外は丹と呼ばないなんて書いてあるんだよ嘘つきw
>それに赤峰山の名前もモンゴル由来で漢民族でもない、ここはパリン石、赤い鶏血石で有名でこれもとても貴重な石だぞ。
水銀朱じゃねーじゃん
ハイ論破w
で、巴林石はバイリン地区の石だが
赤峰市の地図で見ても紅山区とバイリン右旗、バイリン左旗は離れた位置にあるんだがよw
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E5%B3%B0%E5%B8%82
紅山を画像で見てもどう見ても赤土でそんな石なんぞじゃないわな
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/df/%E7%BA%A2%E5%B1%B1%E9%81%97%E5%9D%80%E7%BE%A4.JPG/1200px-%E7%BA%A2%E5%B1%B1%E9%81%97%E5%9D%80%E7%BE%A4.JPG
やっぱりただの赤土でした
ざんねーんw >>554
>貴重な物なら産地が違う物でも当然お互い贈るもんだ。宝石を考えて見れば判る。
はいソース出せよ嘘吐き
そもそも畿内からは中国産の水銀朱が出ないんだけどw
魏からもらったはずの水銀朱どこ行ったんだろうねw
中国産の水銀朱は主に九州で出土します
あ、答え書いちゃったw >>556
いや後漢のころから倭国との通交はあるんだが?
魏が初めて倭国と通交したわけじゃないんだぞアホ
日本でも水銀朱は産出量が少なく貴重品なので倭人が白粉代わりに体に塗りたくった朱丹は当然ベンガラだ 検証のひとつとして神話をたどればいい
古事記によるイザナギとイザナミの天孫降臨は今の大阪で始まる
そこから国造りをして日本が起こる
邪馬台国より前の話
そこから天皇制が始まって現在に至る
それがどうやって九州にワープしたのか?
ありえないんだよ
あったとしたら、日本大和とまったく別勢力が存在して滅亡したと考えるのが筋 ガイアの法則によれば淡路島になるこれは古事記にも一致する >>494
>出は各国の名産品で、有は価値の判断をせず
>「出大栗、大如梨。又出細尾雞、其尾皆長五尺餘。」(韓条)
>「夫餘庫有玉璧、珪、瓚。數代之物、傳世以爲寶。」(夫餘条)
直前に馬韓にはとりたてて珍しい宝はないと書かれてるのに、
「梨のような大きな栗、尾長鶏を出だす」を名産品と解釈するのは無理筋
先祖伝来の宝と書かれてるのに、夫餘王の倉庫に「玉璧、珪、瓚がある」を
価値の判断をしないと解釈するのは無理筋
出と有を別々の意味に使い分けてる、という言い分は成り立たない
したがって、丹を価値のないベンガラと曲解することも不可能 煽り合いをしている奴らのレスは冷静さをが欠けるから話し半分で読んでる 畿内説の人で、女王国より北(畿内説だと西)の国の位置を比定した地図が
ネットにあれば教えてちょんまげ。ぐぐったけどなかなか出てこない。 >>564
後漢どころか、一番古い倭人の記録は周の時代。
論衡と言う書物に倭人が薬草を献上したとある。
またおとぎ話のような前漢の時代の山海経にも倭人の記録もある。
この山海経には裸国、黒歯国も出てくるが、山海経は事実ではない事も大量に書いており
魏志倭人伝も山海経から転記しているため、魏志倭人伝自体も信頼性に欠ける事が分かる。
出土品の分析結果で見れば、縄文時代に奈良県の二上山から採れるサヌカイトで作った石斧が中国から出土してる。
意外と倭人は魏志倭人伝よりも古くから大陸に渡って交流してたよ。 >>572
なるほど、この地図の人は最後の水行陸行だけ使ってるのか。
これだとなんか女王国だけ遠いよなあ。吉備とかは跡形もない
みたいだし。うーん。 僕が考えた道程図も公開したいが、
お絵描きLOADに画像を貼付けることはできないのだろうか? まっ普通に考えて、奈良の邪馬台国の北の国々は、出雲諸国だろ >>567
>「梨のような大きな栗、尾長鶏を出だす」を名産品と解釈するのは無理筋
梨のように大きな栗はどう見たって名産品だろ
お前が無理筋
>先祖伝来の宝と書かれてるのに、夫餘王の倉庫に「玉璧、珪、瓚がある」を
>価値の判断をしないと解釈するのは無理筋
頭悪いなお前は
「価値の判断をしない」というのは貴重であろうとつまらないものであろうと関係なく使う、という意味だぞ
「有」は他の国では麻布などに使われているし倭国では木や動物にも使われている表現
価値判断を伴わずただ存在のみを示しているのは明らか
お前が無理筋
結局無理矢理文章を曲解しなきゃ成り立たないのが畿内説のタワゴト
そして倭国では青玉と真珠が価値ある名産品「出」で、わざわざ丹は「有」に書き分けている
ここでいう丹は価値ある名産品じゃないよ、ということだ
それは>>551のとおりベンガラである 島根県東部から鳥取県西部の複数の国々で構成される古代出雲「葦原中国」
紀伊半島を中心に、西は大阪から東は長野までの複数の国々で構成される高天原「邪馬台国」
奈良は出雲を武力制圧して植民地にした 新春特番魏志倭人伝を最新技術で読み解いた
徳島東阿波ケーブルテレビ制作
https://youtu.be/63bNv7RmHHc >>27
ゴッドハンドの共犯が言ってる時点で信憑性が低くなる 5チャンネルで討論した感じでは、畿内説の根拠は最終的には学者が言ってるからに帰結してるんだよな。
弥生時代の人口分布とかでも、学者が言ってるからとかいう根拠で、
レスから判断する限りではどうも銅鐸とかを食ってたという理屈で人口求めたとしか思えんような感じだし。 >>583
そう
畿内説の主張は、エライ人がそう言ってるからそうなんだ
でしかないんだよな
自分の頭で考えてない
だから突き詰めて質問すると発狂する
>>27なんてそのまんまだしな 老人の趣味だからみんなで楽しくワイワイやってればいい 個人的には三世記後半に現在の関西から九州、出雲を含んだ広域の
連合国が成立しているとは思えないんだよね。
それよりも九州、出雲、吉備、関西にそれぞれ小国(が集まった小連合国)が
並列していると考えたほうがしっくりくる。 >>585
記紀を尊重する限り、大和や
伊勢・東海、北陸・山陰、河内、吉備、近江、関東、播磨、西部瀬戸内海、紀伊
の範囲内に邪馬台国があるとは到底思えん。 平原1号墳は方墳だけど回りにちょっとした溝があって
1ヵ所通路で通れるようになってる
https://blog-imgs-42-origin.fc2.com/0/2/0/020228/20100426013508f2b.jpg
そして奈良県橿原市の瀬田遺跡の陸橋付き円形周溝墓
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2016/05/13/20160513dd0phj000219000p/9.jpg
そして纏向型前方後円墳
伊都国→橿原市→纏向 これらは繋がってるんじゃないか
王の墓には溝と通路がある
伊都国から大阪へ引越しして勢力拡大
↓
橿原市に王族が住む
↓
纏向に移る
これを脚色して作ったのが神武東征であり欠史八代 >>583
>弥生時代の人口分布とかでも、学者が言ってるからとかいう根拠で
発掘調査をアマチュアがやってるわけでもないんだから、調査結果は学者が言ってる以外に無い。
人口分布にしても、事実として地面の下から出てきた遺跡の数と規模、分布密度で計算するのは統計の学問分野。
いくら空想を駆り立てても、発掘された遺跡と言う実物を否定することはできない。
弥生時代の遺跡の数、規模から最も人々が多く暮らしていたのは畿内だとされているのは揺るがない。
重要な事
邪馬台国がどこにあったか、連合してたかどうかは別として、弥生時代に畿内、北九州、東海、関東はそれぞれ
十分な数の遺跡と人々が集団生活していた痕跡は掘り起こされている事実。 >>591
遺跡の調査で分かるのはそこまでで
その遺跡が邪馬台国なのかどうかは分からないんだよな
それなのに、
それらの調査結果を、あたかも邪馬台国かのように言いふらすのは
単に予算獲得のためとしか見えないんだよ >>588
僕は四道将軍が派遣された地域に代表される元銅鐸圏は出雲を介してだが
大和に帰順してたと思ってるけどな。
九州とは対等外交だったと思ってて、倭の五王の最後になった朝貢より後、
雄略が呉の地域行政長官と外交→継体時に新羅と茶番を組んで朝鮮遠征軍を筑紫に移動
→磐井の乱鎮圧にかこつけて筑紫制圧→九州併合→倭国から中国王朝への朝貢途絶
と思ってるかな。 >>547
ももそひめは資格ないよ
高齢まで生きた人でないと
70歳超えた人に大物主も夜這いをかけないだろ。 >>577
ありゃ、発狂してるwww
人間誰しも反論できなくなると、こういう反応になるな
玉璧が貴重品であることさえ認めないw
おまえの脳内では丹はベンガラってことにしとけば?
世間一般では丹は水銀朱だけどさ 記紀で卑弥呼に相当する存在はトヨスキイリヒメしかいないよ 大和は近畿
邪馬台国は九州
要するに
朝鮮半島に任那と百済を置いていたように
九州にも防波堤国家を置いていたってだけの話。 トヨスキイリヒメが伊勢に行ったから奈良ではなくて伊勢の風習が記述されたんだよ トヨスキイリヒメとヤマトヒメが有力豪族に鏡配って歩いてやっと平定できたんだよ >>591
僕には弥生時代、北陸より畿内、東海、関東の人口が多かったという部分が納得いかない。
農耕を行う上で鉄器の有無は大きな影響力があり畿内、東海、関東に十分な食料を確保できてたとは思えない。
特にポテンシャルが高い東海、関東それだけの人口がすでにあったなら、
同じ比率で人口増加して行けば先に頭打ちになる畿内より大きな国力を持ち、
大陸との交易で日本列島を支配する経済構造が確立する前に中心地になってたはず。
平将門の乱も起こらなかったろう。 モモソヒメは吉備あたりから招かれた初代の斎王だったんだろう
恐らくは大物主を信奉する勢力に暗殺されて一時的に国が乱れたが、再び斎王を立てることによっておちついた
当時の邪馬台国連合はそれだけ祭祀が重視されていたということ 漢魏隋唐は鮮卑と呼ばれていた北狄
こいつらが王朝を建て史書を残したから半島まで統治下であり関わりが深かった北部九州の事が多く書かれているだけ
邪馬薹国を当時の日本列島における覇者だとか大和王朝に繋がるものだという思い違いをしている人がトンデモ論争をしている状況だということ 中国知識人はヤマタイを地名と解したけど、当時の日本的には「(女)王の都するところ」と言う意味の言葉だったんじゃないかと思う。
今でいえば県庁所在地。
最終的にヤマタイを使う国々を統一した畿内のみが「王の都するところ」という意味でヤマタイになったんじゃね。
コシノヤマタノオロチは越の国の王様が都するところに住むオロチさんだったりして。 新唐書
日本は古の倭奴国である。
略
国王の姓は阿毎氏である。
その国王が自ら言うには、初代の国王は天御中主と名乗り、彦瀲に至るまで、およそ三十二代とされている。彼らは皆、尊を尊称として、筑紫城に存在していた。
古事記
天地初めて發けし時、高天原に成りし神の名は、天之御中主神、次に高御産巣日神、次に神産巣日神、この三柱の神は、みな獨神と成りまして、身を隱したまひき。
高天ヶ原は筑紫だね
古事記を書き、唐に日本の知識を与えた大和朝廷自身がそう言ってるわけだから
国うみが矛で行われたのも、銅矛が北部九州を中心に分布してるのを考え会わせるととても示唆的だと思う
筑紫の歴史を消す代わりに高天ヶ原という特別のポジションを与えそれなりに尊重する態度を示したのかね
高天ヶ原が大和なら高天ヶ原にする必要もないわけで
ちなみに天御中主は倭奴国王のことで「中」は福岡の那珂のことという説はわりとお気に入りw >>605
神武東征は恐らく弥生初期〜中期に北部九州に渡来した氏族が、新たな農地を求めて東に勢力を伸ばした話だと思われる
卑弥呼の頃には畿内あたりに政治の中心が移っていたということがはっきりしてきているし 糸島高祖神社=天日槍
神功皇后を歓待した怡土(伊都国)のイトデ=天日槍
豊前香春神社・宇佐=天日槍。宇佐と吉備は同族との記録あり
播磨風土記=天日槍が姫路に上陸しようとして大国主ともめる
天日槍と秦氏の事績は重複しているところが多いが、どちらにしろ北部九州に渡来した大陸系氏族が瀬戸内海を東進しているのは確か ももそやトヨスキ姫でもいいけど一応親魏倭王を貰っとるのに記紀の系譜に無いし、隠したがる理由がないだろ?陳寿は卑・巫女なんだから、トンでもない女じゃないとダメなんだよ。そうなると限られると思うけどねえ、記紀の系譜も怪しいだけなんよ。 >>605
日本の記紀では、九州にあったのは
綿津見大神が造った「海神(ワダツミ)国」
中国の史書では、九州にあったのは
漢委奴国王が造った「倭奴国・狗奴国」
なので
天皇家は自ら
私たちは九州の、海神(ワダツミ)国、倭奴国・狗奴国出身で、
奈良の邪馬台国出身ではありません
と公言した
ということだよ
遣唐使の帰国に同行して、632年に大和に来た唐の「高表仁」は、
「天豊財重日足姫尊」からそう聞かされて
あの、魏の皇帝に臣従を装いながら、一方では呉と同盟工作を密かに独立を謀り
韓や倭といった東夷からの朝貢を魏に取りつかずに私腹を肥やし
魏の皇帝に反旗を翻して独立を宣言した【公孫氏】の指揮下にあった北部九州の「漢委奴国王」が統治する倭奴國の末裔かよ
と、天豊財重日足姫尊と口論となり、「高表仁」は唐に帰ってしまった >>577
本当に恥ずかしい奴w
倭人伝では鉛丹等も出てくるように丹に関してははっきり使い分けしている。
ベンガラなんて中国でもどこでも取れるしな。
三世紀から四世紀の資料では酸化鉄は代赭、丹ではないと明記されてるだろ。
物質を説明するのに時代性を無視するから九州説みたいな勘違いをする。
現代に置き換えたら江戸や明治時代の書物で
物を説明するのと同じw
30年前に携帯が電話なんて意味はないからな。
丹は仙薬だからな、道教思想的には中国からもらった物なら煎じて飲むんだよ。 >>605
僕は、九州北部に天皇家の先祖が住んでたらしいという事実を伏せときたかったので、
高天原という架空の領域を創作したと思ってるかな。 >>605
日本の記紀では、九州にあったのは
綿津見大神が造った「海神(ワダツミ)国」
中国の史書では、九州にあったのは
漢委奴国王が造った「倭奴国・狗奴国」
なので
天皇家は自ら
私たちは九州の、海神(ワダツミ)国、倭奴国・狗奴国出身で、
奈良の邪馬台国出身ではありません
と公言した
ということだよ
遣唐使の帰国に同行して、632年に大和に来た唐の「高表仁」は、「天豊財重日足姫尊」からそう聞かされて
あの、魏の皇帝に臣従を装いながら、一方では呉と同盟工作を密かに独立を謀り
ついには魏の皇帝に反旗を翻して独立を宣言した【公孫氏】の指揮下にあった
北部九州の「漢委奴国王」が統治する倭奴國・狗奴国の末裔かよ
と、天豊財重日足姫尊と口論となり、「高表仁」は唐に帰ってしまった 因みに前方後円墳が生まれた一説に親魏倭王を貰った時に難升米らが中国の王の祭嗣と墓を合わせたんじゃないのか?ってのもあるから巻向は台与かもしれんな。神功は穴門が好きだから行き来に不便な巻向にはおらんよ。 >>106の図はすばらしいんだが、
当時の海岸線はもっと奥にあったのでそれをふまえて
さらに磨き上げてほしい はっきりいうと日本の歴史は九州にルーツを持つ狗奴国の物がベースになった、という事だろう。
欠史部分、葛城辺りの物は消された理由だな。
薩摩長州史観な明治以降、特にそれが強調されて、それまで倭王という認識だった孝霊天皇が
存在を消されたのが現代なんだよ。
百襲姫は孝霊の娘だからな。
孝霊は逸話でも神武天皇より日本各地に残ってるのに記紀では何も無いのも対外的に活動していた証拠だよ。 >>602
大和は出雲より優れた農耕知識を持ってたが、それを占いの類でごまかしてたと推測するかな。
大物主と百襲姫の話も、たらし込んで秘密を聞き出したろって魂胆が見え隠れするかな。
まあ、大和と出雲の農耕の一番大きな違いは稲の違いだったと推測してるけど。
出雲の稲は北陸では比較的よく育ったが、畿内では思うように育たなかったみたいな。 孝霊天皇の皇子が桃太郎の元ネタなのは有名だが、多分浦島太郎の乙姫モデルは卑弥呼か台与だよ。
瀬戸内海の島あったと想定出来る。 >>615
僕も持論の各国領域図を公開したいが、
お絵描きLOADでPC内の画像ファイルを貼付ける方法はないんだろうか? >>612
いんや
神武の祖父、おじいちゃんは出雲出身の山幸彦
兄の海幸彦とケンカして出雲を追い出されて、
海神(ワダツミ)の国・・つまり、九州の綿津見大神(豊玉彦)の元を訪れ、
綿津見大神の娘である豊玉毘売と結婚し、ワダツミの国王を継いだ
神武の父、とうちゃんは、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命
山幸彦(天津日高日子穂穂手見命)と綿津見大神の娘である豊玉毘売の子供
宮崎県日南市で産まれ、鹿児島県鹿屋市の吾平山上陵に墓がある
山幸彦のあと、ワダツミの国王を継いだ
【最初に天皇を名乗った神武】はその天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命と海神の娘の玉依姫の、四番目の子供
宮崎県西諸県郡高原町で産まれ、
【奈良に東征する前に】日向国吾田邑の吾平津媛と結婚し、息子の手研耳命をもうけている
から
「神武が興した天皇家」の先祖は、九州の綿津見大神
ずっと、九州北部に住んでいた 徳島説も昔から言われたが、主張しすぎると嫌われるかな >>621
ハイテクによる直線距離測定にナンセンスさを十分醸し出しといて、
学生が勘違いしないように工夫しとけばいいと思うよ。
むしろそういった技術の歴史に興味を持つ学生が増えることは国益にもつながるんじゃないかとも思うので、
もっと露出増やしてもいいのかなとも思うし。 >>617
大物主と百襲の箸墓逸話ならあれは今でいうフェイクニュースだろう。
中々大和で支持の下がらない大物主を、小さな白蛇だったと蔑む為にある。
また箸でホトを刺すのは直系の子孫はいないと
公式に宣言する為でもある。古い宗教指導者は
仏教を普及させるのには邪魔だろうしな。
仏をホトケとしたのもその為、
つまりホトの化身だw
記紀に載せたのはそういう事。 神武の祖父、おじいちゃんは出雲出身の山幸彦
兄の海幸彦とケンカして出雲を追い出されて、
海神(ワダツミ)の国・・つまり、九州の綿津見大神(豊玉彦)の元を訪れ、
綿津見大神の娘である豊玉毘売と結婚し、ワダツミの国王を継いだ
神武の父、とうちゃんは、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命
山幸彦(天津日高日子穂穂手見命)と綿津見大神の娘である豊玉毘売の子供
宮崎県日南市で産まれ、鹿児島県鹿屋市の吾平山上陵に墓がある
山幸彦のあと、ワダツミの国王を継いだ
【最初に天皇を名乗った神武】は、その天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命と海神の娘の玉依姫の、四番目の子供(ワダツミの国王では無い)
宮崎県西諸県郡高原町で産まれ、
【奈良に東征する前に】日向国吾田邑の吾平津媛と結婚し、息子の手研耳命をもうけている
奈良に東征したあと【最初に天皇を名乗った神武】は、
奈良の橿原宮でも、出雲の事代主の娘の媛蹈鞴五十鈴媛命と結婚し、息子の神沼河耳命をもうけており
神武の死後に次の天皇をどちらにするかで
神武の出身地の九州の海神(ワダツミ)国と、
神武が東征した奈良の邪馬台国の間で戦闘状態になる >>621
徳島も邪馬台国連合の重要豪族だった可能性は高いんじゃない >>607
高祖はどうしても「こうそ」と読んでしまうから「高須クリニック」で覚えてるww >>601
納得行くか行かないかは個人の感想だからねぇ
地面から出てきている遺物を無かったことにはできないやん?
大事な事なのでもう一回書くけど
邪馬台国の場所や連合国の有無とは関係なく、弥生時代は関東、東海、近畿、北九州では
人々が大きな規模でまとまって集団で暮らしていた。これは否定のしようがないよ? >>591と>>601が普通の人と九州説論者の違いを表すいい例だろ
>>591が畿内説かどうかはわからんが普通の人で、実際にある遺跡から計算した人口分布の推定を認めてる
>>601は実際にある遺跡から計算した結果を認めず、自分の空想・妄想こそ正しいと言い張る
九州説はある意味、無敵の人と同じ
実際にある物証を認めず、自分の空想・妄想が正しいなんて言い出したら、議論にならない >>625
阿波は邪馬台国を構成する重要な立場の国の一つ。それは伊勢遺跡や池上曽根遺跡に痕跡があったり
百襲の母親の存在からも伺えるからな。 >>627
あれ直前に本人のレスがあったか
自演を疑われそうw
タイミング悪すぎた
すみません >>628
ファンタジーとしてやるならいいんじゃない。地図とか作って楽しそうだし >>628
前後の歴史や周囲の環境から因果関係を推測できず、
小さな世界だけで物事を判断しようとするタイプの典型みたいやな。
銅鐸食ってましたっぽい理屈の統計を論理的と思ってる時点でかなり常識の欠如が伺えるし。
ラノベとかよく皮肉ってよく議論から逃げてるけど、
その学者さんとかやらもそのレベルなのなら、
趣味で古代史のラノベでも書いてみることを勧めるよ。
そうすれば、シーンの因果関係とかに注意を払うようになるだろうし、
社会というか生活というかそういった類にも日ごろから注意を払うようになり、
常識を踏まえた推測がもう少しできるようになってくんじゃないかな。 食料調達が十分にできずに衰退したらしい銅鐸が出土する遺跡を数えて
人口割り出してるっぽいって皮肉。 もちろん三世記後半の北九州、出雲、吉備、関西等の諸国(地域)の間には
ゆるやかな交易関係くらいはあったのは確かだろう。だけど帰属とか同盟とか
征伐とか、そんな関係があったとは思えないのよね。どれもいい感じに離れてる
んだし、お互いに交易くらいの付き合いで互いに並立できると思うんだよ。
例えば北九州から出雲を征伐って、何人兵隊を連れて行くかにもよるけど、
いくら船で行くっていってもけっこう大変そうだよね。 高天原は奈良だよ
日向から船で枚方の辺まで来てみろ
奈良はまさに「高天原」
湿地帯だった奈良盆地はまさに「芦原豊津国」
金剛山の奈良側の中腹って言い伝えもあるけどな >>635
よっぽ戦国時代とかの方が好きなんだろうけど、
武力とかだけで必ずしも上下関係が決まるわけではなく、
当時胃袋をつかんでる方が立場が上になる構造だったんじゃないかと提案してるんだけどな。 >>636
だから天国や極楽浄土が現実の地上にあるのかって話だよ。
ちなみに葛城の高天原は近くを良く通る(24号線の抜け道が
ある)けど、あんまり奈良盆地は見えないような気がする。 >>625
技術集団としてはおそらく出雲、紀伊半島に次ぐ第3位だったんだろう。 「讃岐山脈」などという山脈は本来存在しない。
古来より呼ばれてきた本当の名称は、「阿讃山脈」。
香川県の学校でも、昭和40年より前に開校した学校の校歌には、
「阿讃の峰」「阿讃山脈」「阿讃の山々」
と歌われている。
『嘘も百回言えば真実になる』の実例がここにある。 四国は無いだろうなw
40年生きてきて道後温泉に初めて行ったし
邪馬台国は三河とか浜名湖とか中途半端なあの辺だろうね。 >>635
神武東征伝説自体がそうだけど、大軍を率いて武力で侵攻というよりは各地の豪族と同盟をつくりながら東に移動した感じ
恐らくは初期の蝦夷征伐と一緒で、行く先々で歓待されたんだろう
強力な中央集権国家の誕生ははるか先の話だから、女王国は祭祀を中心にしたゆるやかな連合というところだろう amazonとかから買えるようにしてくれるんかな?
以前このシリーズが出版社からしか買えなくて
振り込み口座名が阿呆みたいに長くて、
振り込みが失敗するんだけど数百円の振り込み
手数料がきっちり引かれるという悪夢のような
出来事があった。
地方銀行は存在しないほうが皆が幸せになれる
と感じた事件だった。 「道は阿波より始まる」っていう本だ
原田出版とは関係ない。 >>632
抽象的な言葉を並べて専門家を批判してるが、おまえが物証を無視していることには変わりはない
奈良盆地の例だが、実際に遺跡があり、こういう物証をベースにして人口分布は推定されている
http://www.makimukugaku.jp/pdf/kiyou-4.pdf
>>634
ただの空想・妄想
空想・妄想を根拠ということにして、畿内一帯は人口が少なかったと別の空想を作ってるだけ >>605
筑紫は高天原じゃないよ
高天原からニニギが赴任した地方にすぎないよ 九州も近畿も長いこと探して見つからないんだから、どっちでもないのじゃないかしら。
倭人伝の正確さは、書かれた目的(倭人伝に書かれた内容を報告した目的)にもよるよね。
いざとなれば出兵しようというなら、正確さは重要だし、報告する人も嘘言ったら責任問題だ。多分実際に行ってみるだろうし。
こんなに広くに魏の威光が行き渡っているんだ、という目的なら、
報告する人もこんなに遠いところだったと言った方が働きをアピールできるし、アバウトでもいいよね。
広めに言うかも。なんなら大胆にでっち上げるかもね >>645
地方銀行が与えられた通過発行権という強力な特権を用い
地域の安定・発展とかのためにちゃんと貢献してるかどうか
一部の人の私利私欲のために使っったりしてないかとかによるかな。 >>612
神武東遷や三貴神が筑紫で生まれたって書いてるのにどこが隠してんだよ そもそもアマノハラのアマって海だろ?
高海原って書くと高いところにある海のイメージだよなあ 大きなカルデラ湖みたいなやつ
水のあるところじゃないと住めないしなあ 神武天皇の存在感は実は奈良では
明治維新まではかなり薄いんだよ。
廃仏棄釈で大規模に寺が改変されて
橿原神宮を整備拡張と、昭和初期まで
様々な動きがあった。神社仏閣に興味がある人なら常識。
遺跡だって現在でも未発掘な場所が多いのに
中世の遺跡の下に更にまだ重なってるのが
ゴロゴロしてるからな。
新幹線や地下鉄がなく発掘制限も多いのが原因で、葛城地方なんかこれから何が出てくるかわからん状態なんだよ。 天皇家は九州が先祖ということは全く隠してない。
中国との交流も、随に関しては全く隠してない。
魏だけ隠す必要性がまったくわからない。
単純に記録をなくして分からなくなっただけなのか? 記紀を信じて神武東征した場合は、神武は巫女を連れてないし皆と話し合って奈良に向かうから卑弥呼の時代より前だよ。それと多々良の姫を嫁にしとるから奈良にもう新羅が居ったということにもなる。開化も嫁は新羅出しこの辺が解らない。 確かに大きな集落は全国各地にあったけど
大型建物がある場所は王族の直轄地だろう
池上曽根、吉野ヶ里、纏向の大型建物を作ることのできた
職人集団は王族おかかえだったと思うよ >>657
すでにニニギの時代に猿田彦というユダヤ人ぽい人が伊勢にいたくらいだから 何十年も論争やっても決着付かない、付けようがないから
卑弥呼の金印が出てくるまで邪馬台国の位置は不明で
邪馬台国はそれぞれ個人の心の中にあると結論にして
不毛な論争の全てを終わりにしていいんじゃないか >>651
正確には考古学的には邪馬台国は畿内で大半が支持、暗黙の了解ですよ。
ただ九州説を声高に叫ぶ一般の研究者もいる手前、正式な声明を出さない状態なんだよ。
つまり邪馬台国問題には触るな、という認識。 3世紀までの東海、出雲、四国、熊本で大型建物はみつかってない
大阪、九州北部、奈良だけ >>601
面積が広ければ多くの人口を養え、国力も上がる。
ただ、土地の広さの点は、現在の地図では判断できない。
特に、関東平野と濃尾平野、筑紫平野、河内平野は。
それと水の問題と土木技術の問題。
人夫を大量動員しなくても作れる耕地が多いのは九州(筑紫平野の半分はまだ存在しない)
それと、日本海沿岸。雪が積もりダムと成り、水を供給してくれる。
この点、大河川で制御が困難な地域は難しい。
それと田植え時期の雨量が少ない地域。
大豪族が現れた時点は、日本海沿岸の雪のダムに助けられた地域だったのだと思う。
だから、記紀の欠史八代の時代までは山陰の人物が多い。あ、滋賀も雪は積もる。
それ以上に発展(人口増加)するには、大連合が必要だった。
尾張は開拓の真っ最中だったのかもしれんが、多くはまだ海の中だ。
関東は、面積は広いが川が大きすぎて下流は手がつけられない。だから、毛野のような
中流域。
北陸はもうちょっと多い気がするが、福井にしろ富山にしろ新潟はもちろんのこと、
氾濫がひどい川が多い。
200年頃の技術でうまく制御出来て、水が得られるのが丹後や近江や大和だったのかもしれん。
古墳時代は、大土木工事の時代で、巨大古墳を作る技術があれば、多少の堤防や
溜池が作れるようになったのだろう。
名前がよく出てくる但馬は、豊岡平野はまだ海の底だ。 >>649
大和の話でなく銅鐸圏としての畿内の話をしてたはずだが。
結局、大和は食料が十分あったが、
銅鐸圏の食料は十分でなく人口が少なかったってことを認めたってことでいいんだよな。
畿内の人口は日本列島平均で考えれば多い方だったが、
九州北部や北陸に比べれば少なかったと思ってるだけだけどな。
でなければ鉄器を入手せず銅鐸ばかり作ってる意味がわからない。 魏が親魏を与えたのはやはり西は大月氏に匈奴を東は邪馬台国に高句麗を牽制させるってのがあんでしょ。 猛烈に強引だな>>1
壹は台でも臺でないし臺であっても「ト」と読んだ証拠もない >>630
俺自身邪馬台国については九州説だよ。
でもだからと言って、纒向遺跡や畿内の数多ある遺跡が無いものになるわけでもないし
九州、近畿以外の関東や中部地方の遺跡も同じく、なかったコトにできるわけが無いよね。
一部の極端な九州説論者や古田史学に対して、一番嫌ってるのは実は普通の歴史ファンの九州説派だと思う。
普通に無理なく、極端な空想を加えず、よくわからない時代の事を考察するのが好きなだけ。 >>106
まじめな文官梯儁が書いたとこ
・始【度】一海 千餘里┃至 對海國 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【動詞は前】
・又南【渡】一海 千餘里・瀚海┃至 一大國 ・・・・・・・・・・・・・・・・・【動詞は前】
・又【渡】一海 千餘里┃至 末盧國 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【動詞は前】
・東南 陸【行】五百里┃到 伊都國 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【動詞は前】
報告書なのに知識アピールする張政が書いたとこ
・東南┃至 奴國 百里 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【★動詞なし】
・東【行】┃至 不彌國 百里 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【動詞は前】
・南┃至 投馬國 水【行】二十日 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【★動詞は後ろ】
・南┃至 邪馬壹國 女王之所都 水【行】十日陸【行】一月 ・・・・・【★動詞は後ろ】
>夏后少康之子封於會稽
斷髪文身 以避蛟龍之害
夏后(王朝)の少康(五代目の王)の子は、会稽に領地を与えられると、
髪を切り、体に入れ墨して蛟龍の害を避けた。
こんなこと書く張政だぞ
張政や陳寿は梯儁連続読みを引き継いで書いたと考えるのが自然だし
動詞だなんだのとこは
調子のり張政が文体を変えただけの可能性の方が高いと思うよ
つまりあんまり説得力は無い
あまり魏志倭人伝を読み込んでない人はだまされるかもね 九州の筑紫平野は、半分は海の中だし、昨今の洪水でもわかるように大洪水が起きやすい。
それと、雪が降って寒い割に積雪が少なく、雪ダムは期待できない。
大洪水によって筑紫平野が広がるまで小国が乱立した状態だったのかもしれん。
なまじ豊かなものだから、船頭多くして船山に登るだったのか。 >>663
僕の現時点における推測は弥生における九州と畿内の違いは
稲と農耕知識の違いと考えてるかな。
畿内は先に朝鮮半島から伝わった農耕だったが、
九州は後に呉越から伝わった農耕がそれらを駆逐したと推測してる。
それ以外にそこまで差が開いてしまう違いを見つけるのは困難なように思うけどな。 近畿が弥生時代で急激に人口増加してる
関東は縄文時代からずっと人口多いところ
2-1 ドングリを食べていた縄文人−2 米は日本をどう変えたの?−お米の文化と歴史:米ネット
http://www.komenet.jp/bunkatorekishi02/24.html でも畿内説は巻向に前方後円墳宗教教団が根を降ろしたと言ってんだからこれはこれで面白いよ。どっから来て漢倭奴国を滅ぼし、おそらく神武の流れも滅んでるかその前の王朝が滅んでる訳だから。もう少し何か残ってるとなあ。とにかく色々なとこ掘る事だね。 >夏后少康之子封於會稽
これは張政の史記をちゃんと読んで記憶してますアピールなんだよ
現代の感覚でも事務的な書類にこんなことを書くのはおかしいだろ
張政ちょっと変わった人 >>669
九州説者は大陸との繋がりを考えているようで考えていない
根拠はただ「一番近いから」だけ
しかしだ
魏の皇帝に反旗を翻して独立を宣言した【公孫氏】の指揮下にあった、北部九州の「漢委奴国王」が統治する倭奴國
魏の皇帝に反旗を翻して独立を宣言した【公孫氏】の残党が大挙して逃げ込んだ、北部九州の「漢委奴国王」が統治する倭奴國
を
魏の皇帝が【公孫氏】を滅亡させた直後に「親魏倭王」にするわけがないんだよ
邪馬台国は九州には無いし、邪馬台国の諸国も九州には無い >>665
現実の水田遺跡の状況では、畿内で近江、摂津、河内や葛城地方で西日本有数の物が確認済みだろ。 魏の皇帝に反旗を翻して独立を宣言した【公孫氏】の指揮下にあった、北部九州の「漢委奴国王」が統治する倭奴國
魏の皇帝に反旗を翻して独立を宣言した【公孫氏】の残党が大挙して逃げ込んだ、北部九州の「漢委奴国王」が統治する倭奴國
を
魏の皇帝が【公孫氏】を滅亡させた直後に
魏の皇帝が「親魏倭王」にするわけがない
『魏志』に記録を残すわけがない
「親魏倭王」・・つまり邪馬台国は九州には無い
『魏志』で記録されている邪馬台国の諸国も九州には無い >>665
>大和の話でなく銅鐸圏としての畿内の話をしてたはずだが。
日本全国、遺跡ベースで人口推計を出してることの一例として、奈良盆地の遺跡論文を貼ったんだよ
>銅鐸圏の食料は十分でなく人口が少なかったってことを認めたってことでいいんだよな。
ただの妄想だと指摘したが、その返答が「オレ様の妄想を認めろ!」とはどういうことだ?
そんな妄想は認めない
以上 張政がそんな人なので動詞の位置の違いに意味があるなんて
ただの深読みだと思うよ
陳寿が張政のこの部分を残したのは
>まさに会稽、東冶の東に在るべし。
これに関係してるから
放射読みだと >会稽、東冶の東 に至らないことからも
放射読みは否定できる
陳寿は放射読みのつもりで書いてないという証拠がこれ 妄想だけで何かを証明できると思ってる基地概算が居座ってるのはいつもの通りだな >>661
記紀には天皇や神功皇后の九州遠征の話もあるから、九州に宮や陵の痕跡がある可能性もあるけどね >>677
で、なんで鉄器をちょっとだけしか入手せず、銅鐸ばかり作ってたんよ? >>669
了解
妄想と捏造コピペ貼りが多い中で、数少ない良識ある九州説の人ですね 自演かよ。
5チャンネルで討論する限り、結局、考古学的物証から論理的推測を行わないのが畿内説学者ってことらしいな。 邪馬台国について、オンタイムで書いているのは『魏志』
一番古いのも『魏志』
『魏志』は、
卑弥呼が死亡し台与が変わりに女王となった直後の
西晋(265年 - 316年)の時代、280年から297年の間に書かれた
その後『後漢書』が
南北朝の宋(420年 - 479年)の時代、432年以降に書かれ
その後『宋書』が
南北朝の斉(479年 - 502年)の時代、武帝(482年 - 493年)の命で編纂され
その後『北斉書』・『梁書』・『陳書』・『隋書』・『周書』・『晋書』が
唐(618年 - 907年)の時代、太宗の命で一気に同時編纂され
その後『旧唐書』が
後晋(936年- 946年)の時代、945年に書かれ
その後『新唐書』が
北宋(960年 - 1127年)の時代、1060年に書かれた >>679
日をまたぐとID変わるみたいだからわかり難いだろうけど、
大和の食糧事情の豊かさを認めたってことは、
僕が以前から書いてきたことを支持してることに帰結するやろ。 >>682
書紀は卑弥呼や壱与が神功皇后と同一人物であるかのようなトンデモを記してるんで
皇室祖先に「関わるもの」を探してるうちは「見つからない」
もちろん妄想以外に根拠のない前方後円墳の建造「許可」だのの類は論外 祇園山古墳を卑弥呼の墓にするならもうちょっと整備してあげて九州
貴重な朱が残る石棺がむき出しで破片が散らばってる
頂上部の石棺
http://www.eotona.com/gazo/gion2016.01.21%20(8).jpg
よくみると朱色が残る
http://www.eotona.com/gazo/gion2016.01.21%20(9).jpg >>683
祭祀道具である銅鐸に代わるのは鏡だから。
鉄には何の関係もないからw >>687
おまえが今までどんな妄想を垂れ流してたかなんて知ってるわけないだろが
いつも妄想書いてるやつだということだけは識別できるけどな
それだけレスの異常さが際立ってるんだよ 久留米市に言って祇園山古墳はちゃんと整備するべき
徳島市に続け >>691
バカでかい銅鐸作った末、衰退していくくらいなら、鉄器入手して農地広げて繁栄続けろよ。
銅鐸は自分で作れるから作りたい放題だけど、鉄器は交換でしか手に入らないから
余剰の米がなかったことを証明してるようなもんやろ。 >>676
一番近いから「だけ」ってことも無いんだけどね。
邪馬台国に公孫氏の残党が逃げ込んだというのは、時系列的に変だよ?
238年の9月末までは燕王朝は存続してる。
邪馬台国の最初の使者が帯方郡に着いたのは238年の6月で、燕王朝の滅亡よりも前。
戦乱を避けて住人が南下して流入することはあったのかもしれないが、ただの民草の流入に目くじら立てるはずもないよね? 卑弥呼の墓かどうかはともかく貴重な遺跡だよ祇園山
それが保存もされず風雨に晒されているのをみると忍びない 『魏志』は、
卑弥呼が死亡し台与が変わりに女王となった直後の
西晋(265年 - 316年)の時代、280年から297年の間に書かれているが
後漢(25年 - 220年)が57年に、九州の倭国を「漢委奴国王」に任じ、金印を授けたことはガン無視
いっさいの記述が無い
なぜか
北部九州の「漢委奴国王」が統治する倭国は
魏の皇帝に反旗を翻して独立を宣言した【公孫氏】の指揮下にあった国だから
魏の皇帝に反旗を翻して独立を宣言した【公孫氏】の残党が大挙して逃げ込んだ国だから
つまり邪馬台国は九州には無い
邪馬台国の諸国も九州には無い 専門家からは祇園山が卑弥呼の墓だと思われてないからあの扱いなのかな >>695
何言ってるのかさっぱりわからないが??
畿内は銅鐸が消えてから衰退した地域なのかw
そんな珍説聞いた事もないのだが。
銅鐸作る位なら技術的には相当高度なんだよ。
また伝承では東海や近江では天変地異で作物が採れなくて人民が西日本に移動したという話ならある。
孝霊五年に富士山が出来て琵琶湖が出現した、と関連した話だが。勿論信用性は低いが
実際噴火と琵琶湖の南に水没した弥生集落なんてあるから参考にはなるだろう。 >>701
古い遺跡はなるべく大事にしたいよね。
卑弥呼の墓と思われてないのは、サイズが小さすぎるからなんじゃないかな?
百余歩に全然足りんからね。 >>702
銅鐸を出土する大きな遺跡のいくつかが、弥生時代をピークに衰退してたろ。
なんで住み続けんかったんや? >>696
238年に魏の皇帝が公孫氏の討伐を開始した直後に
帯方郡の太守は【公孫氏】から、魏の皇帝が派遣した【劉マ】に変わっている
だから邪馬台国も238年の6月に帯方郡に行けている
帯方郡の太守が【公孫氏】だったときは、邪馬台国は帯方郡に行けていない とっとと古墳全部発掘して、はっきりさせろ
皇族と宮内庁が率先してやれや おまえらさあ
九州にしても近畿にしても何の確たる証拠もないし
徳島でも琉球でもフィリピンでもいいじゃないか
特に九州説推すやつウザいわ
今んとこ皆んな横一線なんだよ
徳島が僻地とか言っても昔は大きな河が無ければ人口養えなかった事も考えろよ
吉野川という日本有数の大河があっただけで有力なんだよな >>704
衰退した代表的な弥生集落は近江なら水没した集落からも判るように他へ移動したんだろう。
畿内周辺ならそれ位だ。
近江の製鉄民なら信貴山辺りが濃厚だよ。
また河内も奈良盆地も弥生集落は多少周辺に移動はしても、別に衰退なんてしてないのだが? >>667
証拠はなくても万葉仮名や中国語に精通している記紀の編纂者は迷わず大和の事だと判断したわけだからね
その事実は重いよ >>702
話にならんやつだから相手にしない方がいいよ
弥生時代に集落の解体・再編なんてどこの地域でも起きてるし、
寺沢氏の論文でも、奈良盆地の集落の大規模な再編があったことが書かれてる
そういうのを勝手に衰退だと妄想してるだけでしょ 奈良の邪馬台国のタカミムスビは、
女王アマテラスの弟のスサノオが、出雲に葦原中国を建国したことを伝え聞き
奈良が出雲を制圧すれば、奈良は出雲から中国との交易が開けると思い付き
女王アマテラスに出雲平定を進言
なんだかんだで奈良の邪馬台国は出雲を軍事制圧することに成功し、出雲から中国の皇帝に謁見するために海を渡るが
帯方郡の大守の公孫氏は、九州の「漢委奴国王」が統治する倭奴國を指揮下にしており、なんだかんだと言い訳して、中国の皇帝に邪馬台国の使者を取り次ぐことはなかった >>708
水没してないやつはどう説明すんのよ。
http://ise-iseki.yayoiken.jp/iseki.htm
再編とかって、要するに、銅鐸作ってる村より、
大和に帰順した食糧事情にいい村引っ越してったってことでしょ。 阿波には隼人族の遺跡とか残ってないのか?
そういうのをアピールした方がよくないか? 奈良の亀岩や猿岩なんて南方の文化そのものなのに
阿波にもありそうなんだけどな >>715
鳴門の渦潮がある限り、交易は淡路東岸経由中心だろうな。 当時の魏の国では
邪馬台国はヤマトコクと発音されていた
という、中国人の人から聞いた話 >>718
元寇の際、元が李氏朝鮮に記させた地図がこれだよ
https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&gdr=1&p=%E5%85%83%E5%AF%87+%E6%9D%8E%E6%B0%8F%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AB%E6%9B%B8%E3%81%8B%E3%81%9B%E3%81%9F%E5%9C%B0%E5%9B%B3#mode%3Ddetail%26index%3D0%26st%3D296 ↑元寇当時の中華でさえ、日本列島は90度
勘違いされていた。
つまり 東は南に
これで魏志倭人伝の方向勘違いの謎が解ける 確かに昔は水を確保するのが大変だったってのは聞いてる
ため池も井戸も無い時代、水は川から汲んで来る以外無かったはず
今の人口分布で都会だ田舎だと言う輩は歴史を語る資格ない
交通手段だって陸より海の方がより荷物も運べるし時間の短縮にもなってた
つまり海が近くだと高速道路が整備されてるようなものだった
四国はある意味有力だろうな 関裕二さんの本は面白い。
ちょっとロジックに難がある部分もあるけど >>712
だから移動は別に衰退したとは言わないだけだよw
それに葛城地方なんて唯一鏡と銅鐸を弥生前期末の時点で同時に祀っていた場所だからな。
どちらにしても人口が減るとか衰退と何の関係もない。
水害でやられると一時的に引っ越し、それの繰り返しなんだよ。 >>717
鳴門海峡を通らなくても小鳴門海峡ってのがあってそちらは穏やかな川みたいなものなので、
土地勘あれば普通に行き来できるよ。 >>712
やっぱり妄想バカだった
伊勢遺跡の衰退を地域全体の衰退と決めつける妄想
衰退したのは銅鐸を作ってた集落だけだと決めつける妄想
奈良盆地の例だと、銅鐸とか関係なく集落の解体・再編は起きてる
そもそも銅鐸が出土する遺跡なんて、ごくごく一部に過ぎない
人口推計は、そういう集落の解体・再編が反映された実際の遺跡データをもとにしてるんだよ
考古学的事実を否定して一人で妄想してなさい >>724
肝心な所でボケをかますからな、神功天皇が偽物卑弥呼を討つなんて呆れて物が言えないw しまった
自分で相手にしない方がいいと言っておきながら、レスしてしまった なんかこのスレはwikipediaを見ているようだ。
ちなみに褒めていない >>711 つづき
邪馬台国の使者の何度目かの訪問となる景初2年(238年)6月に、出雲から邪馬台国の朝貢使の難升米が帯方郡に到着してみると、町の様子がどうもおかしく難升米ら一行は、郡の役人に逮捕されてしまう
難升米ら一行は、役所に連れていかれ、そこではじめて
帯方郡の太守は【公孫氏】から、魏の皇帝が派遣した【劉夏】に変わったことを知り
自分達は公孫氏の指揮下にあった、九州の「漢委奴国王」が統治する倭奴國の使者ではなく、奈良の邪馬台国からの使者であることを告げて、皇帝への謁見を願い出て
彼は郡の官吏を付けて後漢の都・洛陽まで難升米の一行を送らせて、難升米の一行は、見事、皇帝への謁見を果たすわけだ >>731 つづき
帯方郡の【公孫氏】は滅亡させたものの、公孫氏の指揮下にあった、九州の「漢委奴国王」が統治する倭奴國を再び倭王にしたくなかった魏の皇帝は
公孫氏の指揮下にあった、九州の「漢委奴国王」が統治する倭奴國【以外の倭の国】が、タイミングよく朝貢に来たものだから大喜び
男の生口4人と女の生口6人、それに班布2匹2丈なんて貧相なモノしか献じられなかったものの、これは天啓に違いないと
奈良の邪馬台国を親魏倭王と為すことを即決し、金印紫綬を仮授した ID:zVxYB5JV0 とID:ZNzt2Ulp0 は同じ人かな?
帯方郡の太守が公孫氏から劉マに変わったのは237年の事だけど
魏志韓伝(馬韓)には以下の記述がある。
景初中 明帝密遣帯方太守劉マ楽浪太守鮮于嗣 越海定二郡
諸韓国臣智加賜邑君印綬 其次與邑長
要するにそれまで公孫氏に従っていた三韓の国邑に対して、魏に従うことを要求し
従った者には邑君や邑長の印綬を施した。
公孫氏に従っていたからけしからん!とはならなかったようだよ。
当然倭国に対しても同じく魏に従うことを要求し、挨拶に行った邪馬台国に親魏倭王を印綬したんでしょう。 >>725 >>727
確かに大きくて有名な遺跡のいくつかの例しか知らないが、
縄文時代や弥生前期から続いてた集落が銅鐸消滅時期に水害でやられると一時的に引っ越しね。
そりゃ、説得力のある話やね。
畿内説の学者さんのレベルを物語ってると思っとくよ。 ちなみに井沢元彦はちょっと論理の組み立てが怪しいところがあるけど、
いくつかの説をわかりやすく説明しているという点では良い仕事をして
いると思う。 中国が邪馬台国の存在知ってたって言うんだから四国って事はねーだろ >>734
北部九州の「漢委奴国王」が統治する倭奴國は
【公孫氏】の残党が大挙して逃げ込んだので
魏には従わなかった 公孫氏の子孫赤染氏なら神社も家系図もしっかり残ってるから見てみたらいいよ >>734
北部九州の「漢委奴国王」が統治する倭奴國は
【公孫氏】の残党が大挙して逃げ込んだので、魏の皇帝が派遣した大守には従わなかった
なので、297年に成立した『魏志』は、
後漢から金印をもらった九州の「漢委奴国王」の倭奴国のことを「狗奴国」とコキ下ろし
九州の国王が後漢(25年 - 220年)から、57年に「漢委奴国王」に任じられたという話も
その「漢委奴国王」が、永初元年(107年)に人材を百六十人献上したという話も
そもそも、全く書いていない >>738
記述した人は邪馬台国には来てないようだよ
過去の資料を元に記載してる 漢倭奴国王のことは、その国元は男王がおって住むこと7、8十年と書いておるぞ。 >>746
じゃあなに中国から日本に来て岡山辺りで
この海を越えると邪馬台国ってのがあってみたいな説明受けて帰ったとか?
そんなん人間の心理的にそうなりますかね ツシマとかイキは未だにそのまんまの名前なのが凄い
勝手に地名変えた日本が悪い >>749
本居宣長もヤマトノクニと読んでいたからな 徳島県美馬町の山深くの木屋平にある三木家は
上代より代々天皇家に大嘗祭の時に納めてきた麻で作る麁服(あらたえ)てのもある
今年11月の大嘗祭においても納められる
など山奥になぜか天皇家ゆかりのものもあるという不思議 記紀の編者が大和の事だと認識してるのに、それを昭和の研究者がいくら違うと言ったってさすがに難しいというか ですから何度もいいますが王年代記を持って説明したちょう然より中華を納得させる説明が必要な説は苦しいですよと。記された仲哀死、は重いでしょ。持ってった年代記にそんなこと書いてませんよ。記紀と年代合いませんがここしか無いでしょ卑弥呼さんが隠れていそうなとこ。 >>743
ここまで来ると、自分の思うストーリーに合わせる為に新たにストーリーを作らないといけなくなって苦しそうだね。
魏書東夷伝には非常に多くの蔑視された名称の国があり、漢委倭奴国に限った話ではない。
邪馬壹国や卑弥呼にしても文字は軒並み蔑称。
邪馬台国までの道程の中にも伊都国の次に奴国という蔑称の国が出てくる。
魏志韓伝にも同じく蔑称てんこ盛りの国名が沢山出てくるし、魏志倭人伝と同名の国すらある。
奴、邪、狗は魏書が大好きな漢字。
政治的背景をもって蔑称を付けたなんて断定は不可能だよ。 で、宮に男子1人入りて辞を伝え…、このオッサンが中臣烏賊津使主、審神者。 >>748
後漢の時代から魏の時代まで、楽浪郡や帯方郡の役人は伊都国には何度も来ていた
魏の時代になって邪馬台国まで行ったと解釈できるのは、1回目は梯儁という役人、2回目は張政という役人
で、魏志倭人伝というか三国志を書いたのは、陳寿という西晋の役人で、この人は倭国には来てないよ >>595
反論できなくなって罵倒だけとは情けないやつだな
ま、お前なりの敗北宣言と受け取っておこう
>玉璧が貴重品であることさえ認めないw
本当に日本語が通じないんだなお前
もう一度書いてやろう
「価値の判断をしない」というのは貴重であろうとつまらないものであろうと関係なく使う、という意味だぞ
麻布が貴重品かね?
倭国の木や動物が貴重品かね?
それともう一つ、先祖伝来の宝は宝物庫に安置されているだけで「産出品」ではない
ただ存在するだけだから「有」なのだ
倭国の山の丹も産出品ではなくただ存在するだけだということだな >>611
>倭人伝では鉛丹等も出てくるように丹に関してははっきり使い分けしている。
その使い分けでは水銀朱は真朱であって丹ではないわけだがw自爆おつw
本当に恥ずかしいのはお前だよw
>三世紀から四世紀の資料では酸化鉄は代赭、丹ではないと明記されてるだろ。
書いてねーよ嘘吐き
書いてあると言うなら引用してみろ >>578
>>106の地図でほぼ正しいだろうね
矛盾点が無い もう一番面白いストーリーを書いた県が邪馬台国でいいだろ >>721
まだこんなこと言ってる遅れてるやつがいるんだな
女王国の東には海が合って千里渡ると別の倭種の国があると書いてある
地図を90度傾けると東は現実には北になってしまう
奈良の北に海なんてねーよ >>670
>こんなこと書く張政だぞ
いやそこを張政が書いたという根拠がまったくないんだが
そんな空想をあたかも事実であるかのごとく述べるお前のほうが説得力無いわ
「講釈師 見て来たような ウソをつき」
ってね >>763
伊勢湾は奈良から見たら東だが、地図を90度回転させると南になってしまう
残念でした >>765
伊勢から見たら北は海だよ。
だから邪馬台国は伊勢だよ 邪馬台国が畿内とは言っとらんからね。最終的につじつまが合えばいいんだから。因みに神功固定の俺は紀伊だから日前神社の日矛鏡を使ってたのが卑弥呼だから。神獣鏡なんていらねえんだよ。 >>762
そういう語り尽くされたネタをリサイクルしなきゃいけないってことは
畿内説がそれだけ劣勢に陥っている証拠なんだよな
日本史板でも畿内説はもう虫の息だし もう今近畿パーってただのウソつき。
ただウソ垂れ流すだけw 考古学的に見て、九州なのは明らか
830 :日本@名無史さん :2019/09/14(土) 13:46:47.04
>>829
三世紀までは奈良盆地内には鉄器がほとんど存在しない一方で、北部九州には鉄器が豊富
この頃の本州の鉄鍛冶工房は北部九州の海人族の進出地のみ
http://inoues.net/club6/tetu2.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/kodaisikawakatu/imgs/7/b/7b77c3d5-s.jpg
そして四世紀になると奈良盆地内にも鉄器が増えてくる
このことは三世紀までは北部九州の勢力と畿内勢力が別勢力であったことを意味している
そして地理的条件により、畿内の勢力が北部九州を経由せずに魏とやりとりすることは不可能
ゆえに三世紀の魏志倭人伝に書かれた邪馬台国は九州以外にあり得ない
神武東征が卑弥呼より前ならば、畿内は当初から北部九州から鉄材も鉄鍛冶職人も入手可能なはずで
四世紀まで鉄器が普及しなかった理由を説明できない
証明終わり とりあえず本読まんとどういう主張を展開してるか分からんな
しかしなぁ・・・ありえるか?これ >>774
ほとんど当てはまるよ。
朱も真珠も海女も 近畿の銅鐸民族がどうなったのかと思えば鉄鐸として科野(長野県)に有るんだな
科野の諏訪の(みず)海と言えば、古事記で大国主命が天津神への国譲りの際に、タケミナカタ(国津神)がタケミカヅチ(天津神)に戦争で敗れ、敗走したとされる場所
敗走したタケミナカタは諏訪から出ないことを条件に、命までは奪わないとタケミカヅチから許しを得てる
タケミカヅチは腕が剣になる神様
コレって近畿から支配者が追放された例えの神話じゃないのか? >>724
親魏倭王の卑弥呼は九州の地方首長で、
ヤマトの臺与こと神功皇后がその女首長を倒して親魏倭王の後継を僭称した、だっけ >>782
行程が当てはまるような場所はこの日本にないよ >>708
近江の製鉄民は北部九州から進出してきた安曇族だよ
>>778の通り
https://biwako-genryu.shiga.jp/?page_id=603
> 安曇川周辺には、このアドやアマに関連する地名が数多く見られる。 安曇川町上古賀の「天川」や中央1丁目の「雨ヶ森」、新旭町安井川の「安曇」や
> 太田の「安曇連(あづみむらじ)」に関する社寺と「阿曇比羅夫(あづみひら ふ)」の墓、今津町南浜の「天川」などである。
> そして、これらに福井県若狭町の「海士坂(あまさか)」や県境の「天増川(あますがわ)」をつなぐと、若狭湾方面から饗庭野を経由して安曇川流域付近に
> 住みついた安曇海人の軌跡を示しているとみられている。
> また、移住の時期は弥生時代から始まって、3世紀以前に安曇川のデルタ一帯に定住したが、6世紀には当地域から姿を消したものと推測されている。
>
> しかし、この軌跡は安曇川の中流域から上流域まで延長できるようである。 朽木地域では荒川に「雨乞いの淵」が、支流の北川には、野尻の上野に「天ノ阪」が、
> 下市に「あまんさか」が川に面してある。 また、京都市左京区百井の集落東方には天ヶ森(標高812m)があり、百井峠の南南東には天ヶ岳(標高788m)が
> 安曇川の源流を見下ろすようにそびえている。 >>784
>>105-106でちゃんと当てはまるよ
はい論破 >>764
つまり畿内説というのは詐術の類であって学説なんかじゃないってことだな 魏志倭人伝は
伊都国基点の放射読み
陸行一月は陸行一日の単なる写し間違い。
邪馬台国は伊都国から水行十日陸行一日で御井ね。
>>788
ソースが出てるんだから諦めろ
>>789
きちんと当てはまっていることを否定できないってことだね?
はい論破 >>755
いやいや、とても簡単にストーリーが組めるよ
邪馬台国が九州・・だと、そもそもストーリーが組めない 九州の人以外は畿内説がデフォだと思う
(大和は奈良のことというのは知っていて卑弥呼がアマテラスだろうと思ってるのが大半だから) 機内じゃなければ、なんでその後に畿内の豪族が統一できるんだよ
しかも当時のアメリカと同じ国と日米同盟結んでる国だぞ。今でいえば仙台が東京政府倒して日本統一できるか? >>794
そりゃウソのほうが作り話しやりやすいわな。
バカかw >>733
昔、「日曜特集・新世界紀行」では1時間にわたって八女説を展開してたな
中国まで行って、中国の古代語研究家に
邪馬台国をどう発音するかなんて聞いてたな >>797
大和朝廷の有力豪族は九州出自が多数ですが?
> 572 :名無しさん@1周年 :2019/09/10(火) 23:52:09.84 ID:k2WzL2jE0
> >>563
> 古代の九州出自の人々
>
> ・神武天皇(初代天皇)
> ・物部氏(大連:大和朝廷のメインプレーヤーの一角)
> ・安曇氏(海人の宰:伊都国王の一族、古代の海上交通の支配者)
> ・尾張氏(尾張国造:東海の支配者、安曇氏とは同祖氏族)
> ・倭氏(倭国造:大和地方の為政者、安曇氏とは同祖氏族)
>
> これだけのメンバーが九州に揃っちゃってるのに、邪馬台国は畿内ニダ!とか言ってる人たちはきっとオツムがご病気なのだろう >>800
新井白石だっけ
その言葉遊びではなく現実に天皇がいらしたとこの大和というと奈良でしょ
高天原から宮崎に降りて本州へ行ったというのは分かってるので大和といったら奈良の方が一般的
あくまで一般的な感覚でいってる カムヤマトイワレヒコ(神武)
カムは神。井沢の説で良い。王朝の始祖と言う意味。
ヤマトは邪馬台(山門)。
イワレは謂れ。
ヒコは王。
神武は近畿がヤマトと呼ばれる謂れとなった王であり、王朝の始祖である、
と言う意味。
言い換えると、神武以前は近畿はヤマトでは無かった。 >>558
これさえ説明できれば
って本末転倒だろうよ >>558
涙拭いて糞食えよ近畿パーwww
はい、論破w >>806
wwwwww
しかも>>778のとおりそれだけじゃ駄目だしな >>571
魏志倭人伝自体も信頼性に欠けるから、邪馬壹という表記も信頼性に欠けるかもな
>>601
弥生時代の畿内は人口少なかったはずだが >>798
ならば聞く
中国の史書によれば、九州にあったのは
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられた倭奴国となっている
日本の記紀によれば、九州にあったのは
出雲から山幸彦が訪れた、豊玉彦命(綿津見大神)の「海神(ワダツミ)国」となっている
反論はあるか? >>811
とりあえず畿内説は否定証明完了済み。
はい、論破w >>802
はぁ…
じゃあなんでわざわざ、九州出身者が、中国との交易利権の大きい北部九州捨ててわざわざ畿内に行くんですかねえ
九州倭国と近畿日本は無関係な別の王朝。
東征も東遷も無い。考古学的に否定済み。
卑弥呼の墓は九州御井の祇園山古墳。
この三つは確定事項。最早動くことは無い。
>>812
なんで答えられないの?
書かれているか書かれていないかの話なだけなのに m9(^Д^)プギャー
畿内説は否定証明完了済み。
九州倭国と近畿日本は無関係な別の王朝。
東征も東遷も無い。考古学的に否定済み。
卑弥呼の墓は九州御井の祇園山古墳。
この四つは確定事項。最早動くことは無い。
>>815
祇園山古墳は
1. 三世紀の造築
2. 北部九州ではこの当時最大級の規模のもの
3. 棺があって槨が無い(棺が直接埋まっている)
4. 朱が使われている
5. 前方後円墳などではなくありふれた方墳である
6. 径が30m弱で短里制では丁度百余歩になり大きさがピッタリあう
7. 100名近くの殉葬者がある
後漢(25年 - 220年)から、57年に任じられてから150年間以上、倭国王として君臨し
邪馬台国が240年に「親魏倭王」となってからも続いた「漢委奴国王」の倭奴国の遺跡だということが判明してますよ >>707
地味に筑後説推しと見た
>>709
今の日本人見ると、迷わず判断してる方が怪しいな >>818
黙れキチガイwww
それ前半オレが書いた文章じゃねーかこのウソつき野郎wwwwww
もしも、「漢委奴国王」の倭奴国の遺跡ではなく
「親魏倭王」の邪馬台国の遺跡だというのであれば
証拠と共に証明してくださいな >>818
↑
こいつ見ろよ。
それ7. までソックリ俺が書いた文章じゃねーか。
このキチガイうそつき野郎 >>813
>>416などにとっくに答えが書いてあるのに何が「行くんですかねえ」だよアホウ
畿内を制圧したら次は東国だろう
九州じゃ司令部として遠すぎたんだよ >>791と>>818の前半で
祇園山古墳が卑弥呼の墓だと分かるわけな。
更に大事なことは、これだけバチバチ魏志倭人伝の記述と合う遺跡は、
他に全く全然存在しないこと。
卑弥呼の墓は、御井の祇園山古墳で100%間違い無い。
>>720
どれだよw
>>746
後漢書書いた人も隋書書いた人も自分では来てないだろうな
畿内説は否定証明完了済み。
九州倭国と近畿日本は無関係な別の王朝。
東征も東遷も無い。考古学的に否定済み。
卑弥呼の墓は九州御井の祇園山古墳。
この四つは確定事項。最早動くことは無い。
>>753
平家物語だろうが明史だろうが何だろうが、昭和や平成の学者が「これは事実と違う」なんていくらでも言ってるわな >>825
ぜんぜん証拠になってませんよ
卑弥呼は240年に「親魏倭王」となってから【たった8
そんな短命な女王に、そんな墓が造れますか(笑) >>784
日向なら当てはまる
>>794
ストーリーを組めるかどうかは後世の学者の仕事
地動説だって大陸移動説だって当時はストーリーが組めなかった ふと思ったがヤマタノオロチもヤマトのオロチだったりする?
ヤマトを裏切って国を出たスサノオ(のモデルになった人物)を
8つの頭に象徴される複数の武将が征伐に来る話が元になってたりとか >>831
ヤマタノオロチ伝説が出雲の話というのは記紀の捏造っぽい
完本とされる出雲国風土記には載っていない話
21 :日本@名無史さん :2019/09/18(水) 07:50:29.81
>>10の山鹿・菊池関連
見づらいのでレス番やアンカーは割愛
山鹿・菊池は怪しいねえ
なんとスサノオのヤマタノオロチ退治の逸話がこのあたりにもあるらしい
実はヤマタノオロチ退治の逸話って地元のはずの出雲国風土記にはなぜか載ってないんだよね
本当はこの地域の話だったんじゃないか?
https://ameblo.jp/kenbuncho2017/entry-12513375590.html
>熊本県山鹿市菊池市一帯は「肥川 ひのかわ」と呼ばれる菊池川が流れ、八岐大蛇(やまたのおろち)神話の櫛稲田姫(くしなだひめ)生誕の
>伝説の地・熊本県山鹿市に旧稲田村があります。櫛稲田姫の本来の名称は「稲田媛」。
>福岡県高良大社の「高良玉垂宮神秘書」第1条に「ヤマタノオロチと天叢雲の剣」について古典的記載があります。 >>832のついでに言うと菊池にも山門郷があったりする >>828
ただその当時の人が邪馬台国をやまとこくだと読んだわけだよ。 そういやみんな、上野の三國志展にはいったんか?
あれの監修してるのは渡邉先生言うて邪馬台国にも詳しい人やぞ >>758
今度は中国語の用法を勝手に作っちゃったよ
一般にそれを捏造という
捏造した用法と違うとか文句つけても無意味 >>838
捏造ではなく史書にある客観的事実だが?
実際、夫餘条では「有宮室、倉庫、牢獄。」と宮室という重要設備と倉庫や牢獄を併記している
有には価値の判断がなされないという完全な証拠だ
一方お前は何のソースも出せずに妄想を喚き散らすだけだなw >>791と>>818の前半で
祇園山古墳が卑弥呼の墓だと分かるわけな。
更に大事なことは、これだけバチバチ魏志倭人伝の記述と合う遺跡は、
他に全く全然存在しないこと。
卑弥呼の墓は、御井の祇園山古墳で100%間違い無い。
オロチは出雲ではないって出雲大社まで否定するのかよ
柱見つかってマジだったー!!ってなってるのに(九州以外は) 魏志倭人伝は
伊都国基点の放射読み
陸行一月は陸行一日の単なる写し間違い。
邪馬台国は伊都国から水行十日陸行一日で御井ね。
祇園山古墳は
1. 三世紀の造築
2. 北部九州ではこの当時最大級の規模のもの
3. 棺があって槨が無い(棺が直接埋まっている)
4. 朱が使われている
5. 前方後円墳などではなくありふれた方墳である
6. 径が30m弱で短里制では丁度百余歩になり大きさがピッタリあう
7. 100名近くの殉葬者がある
またこのように、何もかも魏志倭人伝の記述とピッタリ合うものは、祇園山古墳以外に全く存在しない。
卑弥呼の墓は御井の祇園山古墳で100%間違い無い。
ヤマトと四国は関係が深かった
もしくは連合国家だった
と考えると阿波説は普通にありえるんよな あと大事なことは
吉武高木遺跡にしろ、祇園山古墳にせよ、
非常に重要な王が葬られているにも関わらず、
非常に質素なものであること。
このことに関連して、非常な大発見をしたので近いうちに5ちゃんに発表するので乞うご期待。
物凄い発見したよ。
楽しみにしててね。
九州倭国は、基本死者を余り仰々しく祀らなかったようだ。
これは近畿日本との大きな違い。
卑弥呼の祇園山古墳辺りで最大級の墓。
だから、あまり大古墳を九州で探してると当てがハズれる。
九州の王は基本質素な葬られ方をしている。 >>851
待っててね。
まじで腰抜かすほどの大発見したから。
日本史を塗り替えるほどのね。 いやオレもこれ発見したときは一日くらいは興奮が冷めなかった。
あんたら鼻血出すよマジで。 今までのオレの全ての発見の中で最大級のものだから。
普通は不可能なことを実現した。 近畿と九州北部両方とも邪馬台国の領域の場合、
四国や中国地方も、全部または半分くらいは、同国領な筈 >>844
出雲大社とオロチ関係ねーだろw
あれは大国主の社だぞ
畿内説は頭おかしすぎ もう発見自体は大体完了してるんだけど、余りに重大な発見なんで仕上げ的な確認作業をする必要がある。
発表はもうちょっと待ってね。
まだ数週間先になる。
ちゃんと発表するから気長に待っててちょ。 ID:NNyn4jk20=ID:wqJNPh5Q0
ね。
ちょっとトリップ入れとこか。 >>857
オロチだけ否定?それこそ滅茶苦茶すぎるだろ
荒神谷遺跡からあれだけ出土したら出雲のオロチから刀出てきた話を否定するのはどうかと思うそ >>839
ヤマイ(yamai)の可能性は限りなく低い
なぜなら古代日本語にはai のような連続母音は存在しないことになってるから
まあ邪馬台国語が日本語とは無関係ってんなら話は別だけど 荒神谷遺跡から出土した銅剣は358本(もちろん全国最多)
さっきまで知らなかったけど住所が
島根県出雲市斐川町神庭って文句のつけようもないオロチいそうじゃん >>861
青 (アオ)大(オオ) 凡(オウシ) 魚(ウヲ)
古代からあるのでは?
魏志倭人伝と隋書でヤマイと出てくる以上読みは正しいはず 南北朝の宋(420年 - 479年)の時代、432年以降に書かれた『後漢書』には
後漢(25年 - 220年)は57年に、九州の倭奴国を「漢委奴国王」に任じたと書かれている
唐(618年 - 907年)の時代、太宗の命で編纂された『隋書』には
遣隋使を派遣した大和政権のことを【「邪靡堆」を都としており魏志の邪馬臺である】と書かれている
後晋(936年- 946年)の時代、945年に書かれた『旧唐書』では
その、「邪靡堆」を都としており魏志の邪馬臺である日本国のことを
古の倭奴国(九州の漢委奴国王の倭奴国)とは違う国だと書かれていて
北宋(960年 - 1127年)の時代、1060年に書かれた『新唐書』では
日本は、筑紫城に居住する彦瀲の子の神武が移って統治していると書かれている >>840
出は名産品に限り、有は名産品には使わないという中国語の用法があると言うなら、ソース出してくれ
日本人が用例から断定するのは説得力なし
そもそも価値判断しない有に玉壁や宮室の用例がある以上、
水銀朱には有を使わないという言い分は不合理
ソース出せないなら、中国語の用法を捏造して、丹をベンガラだと言い張ってたことになる つまり、中国の史書は、
南北朝の宋(420年 - 479年)の時代から、北宋(960年 - 1127年)の時代まで一貫して
九州は、後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられた古の倭奴国であり邪馬台国では無い
と書いている >>867
奴国が九州であることは証明されたのか?
本物か偽物かわからん金印が出たから九州としているのか? >>868
大陸に一番近いだろ
対馬から渡るのも簡単だし そして
日本の記紀では
九州にあったのは、出雲から山幸彦が訪れた、豊玉彦命(綿津見大神)の「海神(ワダツミ)国」
となっている >>870
後晋(936年- 946年)『旧唐書』945年
【倭国伝】
倭国とは古の倭奴国なり。
京師から去ること一万四千里、新羅の東南の大海中に在り、山島に依って居る。東西に五カ月、南北に三カ月の行程。世々中国と通ず。其の国、居るに城郭なく、木を以て柵を為し、草を以て屋を為る。四面に小島、五十余国あり、皆附屬す。
其の王、姓は阿毎氏なり。一大率を置きて諸国を検察し、皆これに畏附す。官を設くる十二等あり。
つまり九州は倭奴国
【日本国伝】
日本国は、倭国の別種なり
その国は日邊(日出の処)在るを以て、故に日本と名を為す。或いは云う、倭国は自ら其の名の雅ならざるを惡み、改めて日本と為す。或いは云う日本は旧く小国で倭国の地を併す。
入朝する者、多く自ら矜大、実を以て対(こた)えず、故に中国これを疑う。また、その国の界は東西南北に各数千里、西界と南界いずれも大海に至り
東界と北界は大山が有るを限りと為し、山外は即ち毛人の国
つまの奈良は邪馬台国 縄文時代に九州が阿蘇山噴火で全滅したんだろ。
で、自然は豊かなのに居住者が少なかったのが九州だから
四国の集落はでかくなることができたんだろうな! 南北朝の宋(420年 - 479年)の時代、432年以降に書かれた『後漢書』には
後漢(25年 - 220年)は57年に、倭奴国を「漢委奴国王」に任じたと書かれている
後晋(936年- 946年)の時代、945年に書かれた『旧唐書』
【倭国伝】倭国とは古の倭奴国なり。
唐(618年 - 907年)の時代、太宗の命で編纂された『隋書』には
遣隋使を派遣した大和政権のことを【「邪靡堆」を都としており魏志の邪馬臺である】と書かれている
後晋(936年- 946年)の時代、945年に書かれた『旧唐書』
【日本国伝】日本国は、倭奴国の別種なり
北宋(960年 - 1127年)の時代、1060年に書かれた『新唐書』では
日本国は、古の倭奴国の筑紫城に居住する彦瀲の子の神武が移って統治していると書かれている つまり、中国の史書は、
南北朝の宋(420年 - 479年)の時代から、北宋(960年 - 1127年)の時代まで一貫して
九州は、後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられた古の倭奴国であり、邪馬台国では無い
と書いている
日本の記紀では
九州にあったのは、出雲から山幸彦が訪れた、豊玉彦命(綿津見大神)の「海神(ワダツミ)国」であり、アマテラスの高天原ではない
と書いている いつまで論争があるふりしてるんだよ
畿内で確定してる 邪馬台国が九州だとすると、その後の大和朝廷との関連性てどう説明するの? 中国の史書では
魏(220年 - 265年)が240年に「親魏倭王」に任じた邪馬台国より
後漢(25年 - 220年)が57年に「漢委奴国王」に任じた倭奴国のほうが
倭国のセンターなんだよ
「親魏倭王」の邪馬台国は
240年に卑弥呼が任じられ、二代目の壱与の最後の遣使が266年
たった26年間しか存在しなかったからね 南北朝の宋(420年 - 479年)の時代から、北宋(960年 - 1127年)の時代まで一貫して
中国では、倭国といえば、後漢(25年 - 220年)が57年に「漢委奴国王」に任じた【倭奴国】のこと
で
奈良は【古の倭奴国】では無い
つまり
九州は、後漢(25年 - 220年)が57年に「漢委奴国王」に任じた【倭奴国】
奈良は邪馬台国 まっ
後漢(25年 - 220年)が57年に「漢委奴国王」に任じた【倭奴国】は、戦後ずーーっと続いた自民党政権
魏(220年 - 265年)が240年に「親魏倭王」に任じた【邪馬台国】は、あっという間に崩壊した民主党政権
みたいなもんだ >>872
奴国が九州とは証明されていないでしょ
魏志倭人伝のヤマイが何処にあったかもまだわかりません >>864
青awo
大oho
凡ohoshi
魚uwo
どれも連続してないぞ >>881
中国の史書は、倭奴國は九州、日本国は奈良、とバッチリ書いている >>872 >>874 古代より四国は文明が及ばない流刑地だった。
そんな四国に邪馬台国があるわけがない。 >>882
大和国は、九州の倭奴国の神武が造った国 >>882
大和国は、九州の倭奴国の神武が、奈良の邪馬台国を軍事制圧して造った国
まっ
後漢(25年 - 220年)が57年に「漢委奴国王」に任じた【倭奴国】は、戦後ずーーっと続いた自民党政権
魏(220年 - 265年)が240年に「親魏倭王」に任じた【邪馬台国】は、あっという間に崩壊した民主党政権
みたいなもんだ >>885
卑弥呼時代の沢山の古墳があるよー
朱もあったの四国だよー >>887
なんで制圧した側が制圧された方を名乗るんだよ馬鹿か >>887
土器の移動を見れば逆だ
畿内が九州を制圧したんだよ >>889
その国は日邊(日出の処)在るを以て、故に日本と名を為す。
或いは云う、倭国は自ら其の名の雅ならざるを惡み、改めて日本と為す。
或いは云う日本は旧く小国で倭国の地を併す。
だそうだ 古墳の広がりを見てもそう
畿内で確定してる
巻向で確定 頭おかしい奴の特徴:言いたいことを一つにまとめられないため連レスしてしまう >>890
日本の記紀に書かれているのに、また勝手に妄想しているのか? >>891
じゃあ邪馬台国はとばしてるだろが
九州のボケは背乗りするチョンと同じ >>895
記紀が史実である証拠は?
神武自体実在するか分からないのに >>883
青はao
wやhの発音は昔は別だったんかな?
だが他に探せば一杯出てくるでしょ
弥生(いやおい)もそうだし >>896
なんで制圧した側が制圧された方を名乗るんだよ馬鹿か
と突っ込まれて、
制圧した邪馬台国を日本国という名前に変えた
んだそうだ やはり四国説は無理があるよ。
文明は大きな平野と河と交通網といろいろ揃わないと大きくならない、地形的に厳しい
俺も四国だけど、おらが県にぜひともなんて理屈で言ってるのなら恥ずかしい限り >>899
馬鹿か?
大和朝廷はどこにいったんだよ また奈良説みたいなダジャレかよ
石器とか出土していないと九州説には遠く及ばない >>897
日本の記紀や中国の史書が、史実かどうかなんて話はしていない
日本の記紀や中国の史書・・という考古学的物的証拠からは
九州は倭奴国、奈良は邪馬台国、という結論になる
ということ
で
国立歴史民俗博物館
Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?
Answer 大多数の考古学者は大和説です
http://www.rekihaku.ac.jp/contact/faq01.html#c >>901
海に囲まれてる
朱が取れた
山上にあった
東に海あって倭人住んでる
真珠取れる
距離も合うし四国説もありすよ >>903
いや物証から言ったら圧倒的に九州なんだが
出土しているのが石器が圧倒的
同時代の奈良は土器で暮らしている
それじゃ文明的に全世代で武力的にも弱すぎ >>908
九州はなあ
方角が違うし距離も違うのよね
かと言って近畿も違うかなあ >>908
日本の記紀や中国の史書・・という考古学的物的証拠からは
それらは
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられた九州の【倭奴国】の出土品
という結論になる
ということ
で
国立歴史民俗博物館
Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?
Answer 大多数の考古学者は大和説です
http://www.rekihaku.ac.jp/contact/faq01.html#c >>909
おれは愛知出身の東京住まいだからどっちでもいいけど
奈良はとにかく石器が見つからない地域
九州は石器出土が圧倒的
志賀島から出土した金印は圧倒的に価値が高い
物証では九州 >>897
少なくとも、神武の畿内での行動線は壬申の乱における大海人皇子の軍事行動線をそのまま写し取っていて、過去因としての大海人≒神武の錯誤を誘っているだけだからな。
記紀神話を編纂した大海人=天武天皇朝がクーデターを起こした自身の出自を正当化するために捏造した『正史』、すなわち政治的プロパガンダに過ぎない代物だろ。
政権の正当性を訴えるための御都合主義正史ではあっても、学術的には三国志魏書烏丸鮮卑東夷伝倭人条以上に信頼性に欠ける『史料』としか言えない。 高校生に文献読ませたほうがいいな
おっさんたち頭硬いよ >>910
奈良へは対馬から、山陰(山口県萩〜島根県〜鳥取県米子)あたりに上陸するのが、近くて楽なので
帯方郡ー韓国
− 海を渡る1000余里− 対馬國
− 海を渡る1000余里− 一大国(見島)
− 海を渡る1000余里− 末廬国(石見国美濃・島根県益田付近)
アマテラスに奈良を追い出されたスサノオが、新羅に渡り帰ってきたのもこのルート
そこから東南へ南下する陸路
− 東南に500里ー 伊都国(出雲)
− 東南に100里ー 奴国(因幡)
− 東に100里ー 不弥国(摂津住吉)
− 南に水行20日ー 投馬国(近江)
ー南に水行10日、陸行1月ー 邪馬壱國(奈良) >>910
奈良へは対馬から、山陰(山口県萩〜島根県〜鳥取県米子)あたりに上陸するのが、近くて楽なので
帯方郡ー韓国
− 海を渡る1000余里− 対馬國
− 海を渡る1000余里− 一大国(見島)
− 海を渡る1000余里− 末廬国(石見国美濃・島根県益田付近)
アマテラスに奈良を追い出されたスサノオが、新羅に渡り帰ってきたのもこのルートだし
スサノオの娘と結婚した大国主が、出雲を「葦原中国」にまて発展させることに協力した渡来人「スクナビコナ」が
朝鮮からやってきて、朝鮮に帰ったのもこのルート
そこから東南へ南下する陸路
− 東南に500里ー 伊都国(出雲)
− 東南に100里ー 奴国(因幡)
− 東に100里ー 不弥国(摂津住吉)
− 南に水行20日ー 投馬国(近江)
ー南に水行10日、陸行1月ー 邪馬壱國(奈良) >>892
その古墳がもっと後の時代のものなんだって そもそも、その時代一番発展してた場所が首都という発想自体が幼稚なんだよ
邪馬台国は宗教国なんだから経済力も最先端素材もいらない
むしろかなり古びた国のはず
この程度のこともわからんやつは、未来にはアメリカの首都はニューヨークだ!とか言う 年代も合うから纏向だろうとなってるんだが
九州と言い張ってるのはもはや答えありきの妄想でしかないよね 単純に、掘ってなんか出たら
そこにその時代にそれくらいの規模の何かがあった
程度にしかならないよね
文字無かったんだから 卑弥呼とめっちゃセックスしたら
お前らが生まれちゃったんだよな 聖地巡り程度の意味しかない
どこがヤマトの発祥地かということに
意味があるとすれば
他国の文献の記述の正確性の判断 >>924
文献の正確性の意味では、金印の発見は相当のアタリだよね
これで後漢書の「倭奴(ワのナ)国」が「委奴(イナ/イヌ)国」の誤記だと判明したんだから
まあ未だに当時のハンコの文字より古文書の写本の文字の方が正しいと思ってる人も多数いるけど 近畿説も九州説もウザいことこの上ない
未だに決め手がない=そこじゃないって事に他ならない
まだ四国や山陰の方が信憑性感じる
海人族みたいなのに奈良とかどう説明つくんだよ
九州は近過ぎる、工程考えろ
それに読みで当て字なんだからヤマトじゃないし
邪馬壹国の中国語読みだとシェマイなんだよ
つまり島一国と言ってた可能性ある
島が1国で治められてるって意味
或いは単純に領土をシマと呼んでたって事も考えられる
とにかく名前からヤマトはおかしいってのは素人でも分かる >>778
神武東征後、周りは銅鐸圏の異民族。
瀬戸内海交易に手を付けられるようになったのは弥生後期後半だっただろうから、
それまでは鉄器の入手が困難だったと考えられ、
鉄器が容易に入手可能になったのは崇神の御代に朝鮮に足掛かりができてからだろうから、
神武東征が卑弥呼より前で特に問題ないよ。 >>928
> 邪馬壹国の中国語読みだとシェマイなんだよ
魏の記録なんだから、せめて漢語読み位しろ。 >>928
こういう文献だよりに考察するアホが一番性質が悪い AとBという国がある。A国の人がB国に移り住み、やがてB国の支配者まで
成り上がる。最近ではヒットラーがやったのと似たようなことを狗奴国の
神武=崇神(とそれより前のニギハヤヒ)がやったと。 http://imgur.com/d0JidSM.jpg
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そのままコンビニやスーパーで、タバコも酒も本も買えます ロマンがまったく感じられないけど、ゴッドハンド畿内説よりは好感が持てるw >>876
もうそういうのみんな飽きてるよ
空気読めよアホ >>898
無いよ。非常に強い規則で例外はほぼ無い。 >>942
遺跡や出土品を重視するとして、具体的に何が出てきたら邪馬台国で確定できるか?
親魏倭王の金印と卑弥呼の固有名詞の書かれたものでも出ない限り、卑弥呼の墓とは確定できない。
邪馬台国の場所も「ここが邪馬台国です」と書かれた看板でも出ない限り断定は無理。
固有名詞が見つからない限り、否定は簡単にできる。
3世紀の倭国の地図が中国から見つかれば、あるいは確定できるかもね。 >>946
肯定の確定もできないって事は、否定の確定もできないって事だよ。
今の所邪馬台国も卑弥呼の墓も何処だと確定できるだけの証拠はどこにもない。
つまり永遠に邪馬台国探しで遊び続けられる。 >>948
それでいいんじゃね
特に九州押しの臭いのは消えて欲しいです 畿内だ九州だの喧嘩はよせ
もう間をとって岡山で良いだろ 鬼術を信じない仲哀を葬り難升米(内宿禰)と出入りする男子1人中臣烏賊津使が中心になって卑弥呼さんは晩年女王になってからは姿見せずに穴門と紀伊を行き来して静かに暮らしてたんですよ。 すんごい商売くさいよな、これ
阿波翡翠とか真贋明らかざるものも売り出してるし タイムマシンでも無い限り、確認のしようが無いんだから
言ったモン勝ち 灌漑もない時代だから天然の稲作に適した土地でないと人口がまかなえない
で、そういうところは奪い合いになるから弥生中期ごろの北部九州はカオスだった訳で >>957
無理やり擁護すると、四国全部を邪馬台国とみなし都が阿波にあったと仮定すれば、全く不可能な話ではないかな
その場合、投馬国や旁国を中国地方か九州のどこかとすることになるだろう
戸数に関しては、狭い範囲に全部押し込んでしまう北部九州説より遥かにまし >>963
うんこ食べた?
ちゃんと残さず食べようね。 >>957
阿波と讃岐を足せば物理的には不可能ではないと思うが、
記紀を尊重する限りは3世紀の大和政権勢力範囲は厳しいだろうな。
伊予ならまだ大和政権の影響は薄かったかもしれんが、
果たしてどれだけの弥生遺跡があるのやら。 >>949
こんな状態だし、タイムマシーンで過去に戻って見てくる以外に誰もが納得する確定にはならんやろうね。 まあ畿内説よりはまだ現実的だよね
方向や距離の記述からしても >>963
> 戸数に関しては、狭い範囲に全部押し込んでしまう北部九州説より遥かにまし
かつ、
>>975
> まあ畿内説よりはまだ現実的だよね
> 方向や距離の記述からしても
なんだから、邪馬台国阿波説も意外と捨てたもんじゃないわけかw 橿原市は2世紀から発展していた跡がでてる
彼らがとなりの桜井市の開発に手を貸して纏向に手をつけた
それは2世紀後期だと思われるが
卑弥呼が引越ししてきたのはそれと同時かまたは後か
ていう建設的な話をしたい 橿原市は2世紀から発展していた跡がでてる
彼らがとなりの桜井市の開発に手を貸して纏向に手をつけた
それは2世紀後期だと思われるが
卑弥呼が引越ししてきたのはそれと同時かまたは後か
ていう破滅的な話をしたくない >>978
すれば?
でもここは邪馬台国阿波説のスレなんだならスレ違いなのは理解してね? こんな感じの建物でも建てて、例の直線距離を測ったハイテクを紹介する資料館でも作っといてよ。
https://www.youtube.com/watch?v=k09S9mIacUs&feature=youtu.be&t=1258
定説ではいつ頃の技術なのかもちゃんと説明入れてね。 自分たちが如何にウソつきか確認するって
ちゃんと建設的なんだよね。
邪馬台国論争は現実の今の生活に直結しているってのはオレの持論。
ウソつきが如何に無力か。
ウソが如何に毒か。
良く確認したら君も今日から勝ち組。
誤魔化したらウソつき野郎のエサ。
このシビヤな現実は、注意深く観察して忘れなければちゃんと生活に活かせる。
真実は常に有能な道具。
賢者には。 >>976
いや、方向と距離で近いのは沖縄説だけで、阿波も畿内も九州も合わない
そもそも975は罵倒みたいなもの >>981
そんな遺跡が阿波にあるなどとは寡聞にして存じませんが
スレタイもう一度読んでみたら? ウソつき野郎のエサで、同時に勝ち組になるのは不可能だよ。
誤魔化したらお前が負け組になるだけ。 >>984
山口敏太郎繋がりで言うと、昔学研の「ムー」誌の総力特集で、邪馬台国沖縄説が取り上げられていた >>1
ワシントンとニューヨーク、キャンベラとシドニーみたいな関係だったのかも。
真の邪馬台国は徳島。ありです。 ウソつきがどんな風にウソをつくか。
ウソつきが如何にしつこくウソをつくか。
良く観察して、自分の生活に生かしましょう。
自分の生活を自分で守ろうとしないなら
あなたはウソつきのただの美味しいエサ。 >>982 の続き
建物名は「邪馬台国で魏の役人が使っていた?かもしれないとごく少数の人が思ってる測定技術資料館」で。
真実は賢者のこの上なく有能な道具。
真実はウソつき野郎の猛毒。
徳島の剣山は秘宝伝説があるらしいし
GHQも発掘調査したとかいう話もある
たしかに意外と邪馬台国は四国ってのもあるかもしれん 邪馬台国がどこは永遠に解決しないと思うけど
一つだけ言えるのは畿内では無いだろうということかな
畿内にあったのはヤマト王権の元になった別の文明だろう >>994
たぶんデコイやろな。
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