■ワクチン入りの餌930万個を散布、年間30億円かけて2053年までに根絶へ

米国ペンシルベニア州の都市ピッツバーグ。8月中旬の爽やかな朝、ティモシー・リンダー氏が冷凍車の扉を大きく開くと、冷気とともに強烈な魚のわた(内臓)のにおいが流れ出た。

「私はもはや臭いと感じなくなっています」と、米農務省野生動物局の生物学者であるリンダー氏は言う。

 リンダー氏は荷台に乗り込むと、段ボール箱からチョコバーのような茶色いブロックを取り出した。アライグマ向けの餌だ。

「魚粉入りのポリマーブロックです」とリンダー氏はにおいの理由を説明する。「中にケチャップの小袋のようなものが入っていて、アライグマがそれを噛むと、液状の狂犬病ワクチンが口の中に入るという仕組みです」

■20年以上続く米国政府の取り組み

 ほとんどの人には知られていないが、米国政府は1997年以来、野生のアライグマ向けに経口の狂犬病ワクチンを散布している。全米狂犬病管理プログラムと呼ばれるこの取り組みは、米国内で人獣共通感染症をコントロールしようとする試みとしては史上最大の規模だ。

 プログラムには毎年2800万ドル(約30億円)の予算が充てられているが、公衆衛生調査、動物の狂犬病検査、暴露後ワクチン(狂犬病が疑われる動物に咬まれた場合に発症を予防するワクチン)接種等の必要性を減らせることを考えると、6000万ドル分の税金を節約できているという計算だ。狂犬病ウイルスを持っている野生動物が少なければ少ないほど、人間、ペット、そして家畜が感染する可能性は低くなるはずである。狂犬病ウイルスに感染してから治療しなければ、致死率は100%だ。(参考記事:「アフリカの絶滅危惧オオカミ、ワクチンで救える」)

 狂犬病は、リッサウイルス属と呼ばれる、弾丸のような形状のウイルスによって引き起こされる。アライグマ、スカンク、コウモリといった宿主動物ごとに感染しやすい種類(変異体)はそれぞれ異なるが、どの変異体も、すべての哺乳動物に感染する可能性がある。

 もちろん人間は哺乳動物だ。そして世界の多くの地域では、イヌの狂犬病はいまだに人間にとって大きな脅威であり、毎年5万9000人近くの死者が出る。しかし、米国ではペットへのワクチン接種が普及したおかげで、イヌの狂犬病が根絶されている。だが米国疾病予防管理センターによると、それでも米国では10分に1人の頻度で、他の種類の狂犬病に感染した可能性のある人が治療を受けている。

 狂犬病ウイルスは今も、米国の野生動物の中に潜んでいるのである。

■2053年までにアライグマの狂犬病の根絶を

「調査によれば、アライグマは狂犬病が最も多く見られる動物の一つです」と、全米狂犬病管理プログラムのフィールドコーディネーター、ジョードナ・カービー氏は話す。

 1970年代に入るまで、アライグマの狂犬病はフロリダ州や最南部の州に限られていた。だが、ビル・ワシクとモニカ・マーフィーの著書『狂犬病:世界一凶悪なウイルスの文化史』によれば、「1977年以降、フロリダ州で合法的に捕獲された3500匹以上のアライグマが、バージニア州の会員制狩猟クラブに送られ、狩りの獲物として放たれた」(参考記事:「【動画】アライグマが有名な知能テストに「合格」」)

 そうして狂犬病は北部にももたらされたが、今のところは米国の東側にとどまっている。過去20数年間、米国政府が多大なリソースを投入して、拡大を抑えてきたからだ。

 2019年、米農務省と提携機関は、北東部のメイン州から南東部のアラバマ州にかけて、幅40キロメートルほどの帯状に約930万個のアライグマ用ワクチン入り餌を散布する予定だ。

 念のために書いておくと、ワクチン入りの餌は、すでに狂犬病に罹患している動物を治療してくれるわけではない。どんなワクチンもそうであるように、予防の効果があるだけだ。しかし、多くのアライグマがそれを食べれば、集団免疫ができ、ウイルスは行き場を失って、いずれ消えゆくだろう。

「最初の目標は、北部および西部への拡大を防ぐことでした。それは、すでに達成されています」と、ワクチン入りの餌が入った箱を車の後ろに積み込みながらリンダー氏が話す。「次は、東海岸まで狂犬病ウイルスを追いやって、最終的にはアライグマが宿主となる狂犬病を根絶します」

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