>>161に関する部分はこれ。


北上川は,明治44年から昭和9年まで行われた河川 改修工事が終了するまでは,宮城県北東部を北から南に流れ下り,現 在の石巻市中心部で石巻湾に注いでいたのであり,
釜谷地区の北側を 流れる川は追波川という地域河川に過ぎなかったが,上記河川改修工 事により,追波川上流と北上川が接続されて本川が切り替えられ,追
より,
河口付近から大川小付近に至る川の流域面積は大幅に広がった (甲A52の2,甲A83の1)。),慶長16(1611)年12月 2日に発生した慶長三陸津波(甲A51・25頁~32頁,
甲A95 ・12頁),明治29年6月15日に発生した明治三陸津波(甲A5 1・33頁~44頁,甲A95・12頁)及び昭和8年3月3日に発 生した昭和三陸津波(甲A51・45頁~53頁,
甲A95・12 頁)が太平洋に面した追波湾に襲来した時点と現在では,北上川河口 とその周辺の地形は大きく変わっているから,慶長三陸津波,明治三 陸津波及び昭和
三陸津波が釜谷地区の集落に津波被害を及ぼさなかったという歴史的知見及び地域の伝承は,本件時点においては,釜谷地 区に津波が襲来する危険があるかどうかを
判断する上での合理的根拠 とはならなかったというべきである。