北ドイツ、トレンゼ川渓谷に沿った数キロもの範囲で、1997年以来、考古学者たちが発掘を続けている。見つかるのは、紀元前1200年ごろにこの川岸で戦って死んだ人々の遺骨や遺物だ。これまでに武器や1万2000点もの人骨が見つかり、人骨はほとんどが健康な若い男で、140人を超える人のものと確認された。戦いに参加した人数は数千に及び、おそらく1日で終わったと考えられている。青銅器時代では圧倒的なスケールの戦闘だった。

 より古い時代にヨーロッパで大規模な戦いがあったという記述は、ギリシャやエジプトなどに残されている。しかし、そうした戦場の遺跡は見つかっていない。トレンゼ川渓谷の遺跡が見つかる以前、青銅器時代の武器が見つかった場所は、すべて墓地か儀式的な埋納地だった。ヨーロッパ最古の戦場跡と考えられているトレンゼ遺跡の発見は「青銅器時代のヨーロッパは比較的平和だった」という20世紀の定説を過去のものにした。

 だが、なぜトレンゼでこれほどの戦闘が起こったのかは、いまだ大きな謎に包まれている。欧州各地から来た集団同士が争ったのか。それとも、地方の一族の不和がただ大きくなっただけなのか。出土した骨や武器に残された手がかりを研究者たちは検討し続けている。そして10月15日付けの学術誌「Antiquity」に掲載された論文が、遺物の中でも変わった一群を発表し、誰が、なぜこの地で戦ったのかをめぐる数十年来の議論に、またひとつ意外な要素が加わった。

■遺物の持ち主は遠くから来たのか?

 論文によれば、古代に土手道があったところから約300メートル下流の川床の堆積物から、31点の青銅器が見つかったという。研究者たちは、戦いはトレンゼ川の両岸で起こり、兵士たちは下流に移動しながら戦い、死んでいったとみている。

 今回の青銅器はまとまって残っていたため、有機物の入れ物(おそらく、革の袋か木製の道具箱)に入っていたが、それらは朽ち果てたと考えられた。遺物は青銅のキリ、ノミ、ナイフ, 青銅のくず、そして円筒形をした小さな青銅の丸い箱などだ。丸い箱はベルトに取り付けられる形になっていた。堆積物の中から人骨も見つかり、この一帯が青銅器時代の戦場の一部だという見解を裏付けている。

他にも、青銅の筒が3つあった。これは個人的な持ち物を入れる袋か箱の付属品だったのかもしれない。同様の品は、数百キロ離れたドイツ南部とフランス東部でしか今のところ見つかっておらず、この場所では珍しい出土品だ。

「これには困惑しました」。ドイツ、ゲッティンゲン大学の考古学者で、今回の論文の共著者であるトーマス・テアベルガー氏はこう話す。トレンゼでの発掘を立ち上げるのに貢献した研究者でもある。テアベルガー氏と研究チームにとっては、この品々が、戦いは北ドイツだけの出来事ではなかったという説の信頼性を高めたことになるという。「今や、一地域の紛争ではないという可能性がますます高まっています」

 だが、「一地域」の意味は、当時の社会のとらえ方によっても変わってくる。

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