【首里城火災】「一体誰が?いつ撮ったのか?」ツイッターで拡散される謎の火災現場動画★2
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https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191102-00492621-okinawat-oki
首里城が炎上している様子を間近で撮影したとみられる動画がツイッターで拡散されている。
消火活動中に現場にいたのは、消防隊員や施設関係者などごく一部。消防や警備会社は
「炎上する様子の動画は映していない」と否定しており、拡散された経緯は分かっていない。
城内の御庭(ウナー)内で撮影されたとみられる約15秒間の動画には、正殿や南殿、北殿が
激しく燃えている様子が映り、拡声器のような物を片手にした人影もある。
動画を見た那覇市消防局の担当者は「正殿の屋根が落ちていないので午前2時半〜3時くらいだろう」
と推測しつつ、「とても動画や写真を撮影できる状況ではなかった」と否定した。
消防が撮影したのは火災鎮圧後の午前11時前だったという。
一方、警備会社も動画をSNSで確認したとした上で「警備員は動画を撮っていない。
そんな状況でははなかった」と否定した。
ツイッターで拡散されている首里城の動画。消火活動中に実際に撮影されたのかは不明
https://lpt.c.yimg.jp/amd/20191102-00492621-okinawat-000-view.jpg
前スレ
http://asahi.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1572664820/
1が建った時刻:2019/11/02(土) 12:20:20.25 もしかして動画はツイートだけじゃなくアカウントごと消されてる? これ犯行声明だろ
日本の世界遺産をひとづつ焼き払うという脅迫
韓国か、北朝鮮だね
各県警は世界遺産とか有名な神社仏閣は警戒配備した方が良い
また陸上自衛隊もゲリラコマンドと警察との戦闘になったら警察は手も足もでないから緊急即応が必要になる
出動準備の心構えした方が良い 5ちゃんねる掲示板を匿名掲示板だと勘違いしてる奴がいる。
手続きを踏めば身元がばればれになるのに平気で犯罪的な書き込みをしているバカ。 電気系統のショート火災で終わり
配電盤からあれだけ燃える訳ないだろ。 本当に分電盤が火元なら
分電盤の大元のブレーカーを正常動作しない物に予め交換して置いて
分電盤の主ブレーカーの電源側にショートする為の装置をコッソリ取付けられた可能性が高い >>99
目茶苦茶な再建だったんだな
沖縄の好い加減な歴史観は今日、昨日の問題では無さそうだね さらしあげ
かくしてるから
関係者ですね
核酸と責任問題 あげます
隠すのは沖縄タイムス関係者?
きtんと警察しらべろ >>112
放火じゃなくて、下手くそな配線したから、熱を持って燃えたんだろ。 ネットは匿名じゃ無いのにyoutubeに上げたのか?犯人ならアホだな 戦場にかける橋のように、完成した直後に破壊するのが最も効果的な攻撃である。 本殿の手前に門があるからズームじゃ撮れないんだよな
門の中にいないと撮れない ●おさらい
管理団体 美ら海財団とは
ただの反日団体?
さっさと誰が動画とったか発表しろ
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新理事長に花城氏 初の内部起用 沖縄美ら島財団
2014年6月19日 06:50
前科
「県立博物館・美術館を運営する指定管理者『沖縄美ら島財団』(花城良廣理事長)は3日までに、
『沖縄とトランプ大統領』をテーマに元外務省国際情報局長の孫崎享さんを招いた勉強会(主催・東アジア共同体研究所琉球・沖縄センター)の
会場使用について、『政治色が強すぎる』などの理由で申請を認めない決定を出した」
「不許可」の決定は同財団が単独で行ったものではなく、翁長県政の「指導」によるものといいます。
「美ら島財団の担当者は県の指導があったとし、今回のケースは『政治的な内容だったので設置目的に合わないと判断した』としている」(4日付琉球新報) テロリストの犯行声明だよ
中庭で確実に燃え落ちるのを確認してたということ
沖縄の消防と同じ耐熱服を着てたんだろう
消防隊に紛れて逃走も容易だし自己も火から安全だ >>443
火をつけた犯人だろ。画が圧縮されてるから離れた場所から撮ってる。 隠蔽するので怪しいです
だれかちゃんと報道しない限り
放火?疑惑 調べる権限ある警察自体がアレだったら何も出てこないな 消防の奴の近くにいるんだから変なのがいたら分かるだろ 消防とか警察って記録で撮ったりはしないのかね
そっから出たんじゃないの? >>451
思いっきり消防隊員が撮影者みてなかったっけw 銀英伝で「ヴェスタ−ラントの大虐殺」の映像が流されたのと同じ展開だろ(
こうなるのが分かっていて、わざと見逃し、自分の利益のために映像を利用するんだよ。 沖縄県と本土を分断しようとする工作なのか?
内調は何やってるんだ! 犯人じゃね?
安倍だデニーだと騒ぐと陰謀論とかになるけど
愉快犯ならやりかねないしできるだろ さらしあげ
隠蔽
放火説が消えないのはこの動画のせい 首里城、白川郷、政府機ボヤとかのあとにムンジェインと会談して収まってるの見るとパヨチンより朝鮮工作員の後方破壊活動に見えるな。 >>26
livedoorの幹部がメッタ刺しにされて殺されたのも自殺で片付けた沖縄県警だぞ あの時間に首里城の本殿に来るヤツは何かの目的がないと行かないだろうし、
しかも城壁をよじ登って忍び込むとか、忍者かよ?!と言いたくなるレベル
しかも本殿のシャッターは閉まっていたんだろ?
放火の線は、先ず無いと思うけどね 何度も約束を薮ってはたかる朝鮮民族に忖度した塩村 朝鮮人ならクビ
朝鮮人帰化隠しは違法な 福山
戦後補償は解決済み 個人補償は韓国政府が支払い義務隠し中 青木理 捏造に加担したので送還●
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●戦後補償 慰安婦の件に関する韓国歴代大統領のゆすり発言をまとめ
◎1965年6月
朴正煕 「国民の請求権に関する問題が完全かつ最終的に解決されたことを確認する」 ★日韓基本条約締結
◎1993年3月
金泳三 「従軍慰安婦問題に対し日本に物質的な補償は求めない方針だ」
◎1998年10月
金大中 「韓国政府は過去の問題を持ち出さないようにしたい。自分が責任を持つ」★日韓共同宣言
※二度と謝罪要求はしない。歴史問題はむしかえさないと約束。5000億の融資でW杯建設資金 現代グループが私服を肥やしただけ
◎2006年4月
盧武鉉 「日本に これ以上の新たな謝罪を求めない」
◎2008年1月
李明博 「日本に謝罪と反省は求めない」
※戦後補償は解決済みと最終確認
◎2015年12月
朴槿恵 「慰安婦問題は最終的かつ不可逆的に解決された」★日韓慰安婦合意
※オバマ米が証人
●2018年 基地害文在寅 ※韓国政府の責任を日本に転嫁しゆすりだす基地 キムミョンスと癒着
▼日韓基本条約破棄
▼日韓合意破棄
▼日韓共同宣言反故
▼レーダー照射で居直り 日韓安保協力破棄?
▼麻生会談の戦後保証は解決済みを最終確認を破棄?
▼日韓合意違反 少女の像乱立パフォ
▼歴史見直し 親日派粛清工作という反日
▼安倍謝罪汁 戦犯の息子は謝罪汁と暴言
▼日本に勝手に宣戦布告 瀬取を監視したら攻撃するぞと恫喝ばれてもみ消し
▼上から目線で天皇即位に嫌がらせの電文
▼日本ガーと 反日政策批判の責任を 日本に転嫁
▼韓国政府 北朝鮮に密輸ばれる
▼真性基地 韓国外務省 【「元徴用工」問題】日本企業が賠償に応じるべきと責任を転嫁 出稼ぎに慰謝料を請求
●【「元徴用工」問題】自民・河村氏、「賠償を妨害しない」発言否定 姜氏の嘘ばれる 加担 共同通信
●みつを スレタイ改竄し情報操作がうざい
●北朝鮮に化学物質密輸疑惑
▼世界がー WTOに提訴して日本バッシング誘導
▼密輸の言い訳日本もー 出した資料は韓国人の密輸でした
▼2005年、官民共同委員会が強制徴用問題は1965年の韓日請求権協定で解決したとの立場を示したが
文在寅が私物化傀儡 裁判官大法院がこれを覆した事で日韓基本条約詐欺状態
●日本は四歳児のようだ ★保存チェ・ジェソン崔宰誠(チェ・ジェソン)共に民主党日本
●あとから成長する国のはしごを蹴飛ばしてはならない
●「一度の合意で、過去の問題を終わらせることはできない」
●個人補償がーーーーーーーーーーーーーー (韓国政府が支払い義務文書を隠す) 撮ったって言ったら怒られるから嘘ついてるよ消防さん 関係者のだれかが撮ったんだろう。
別に不思議でもなんでもないが。
前に拡声器を持った人間が写ってるじゃん。 ばーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーか
隠蔽中
隠すと放火疑惑は消えない まぁ警備員だろ
バレたらクビだろうし絶対に白状しないだろうけどな いくら否定しても奉神門から撮影できて消防のリーダーに見つかっても追い出されなくて
あれだけの火災による熱に耐えられる服装してる人なんて限られてくるだろうに 消火より撮影
さすが沖縄県民
沖縄の魂とやらが燃えても
実は痛くも痒くもないってこと 白川郷みたいに放水銃で火を消そうとしなかったんでしょ?水がない沖縄では燃えにくい材料がいいよ >>1
>ジョージ・フィッチが持参したマギー(南京安全区国際委員会委員ジョン・マギー)の
>すばらしいフィルムを一見してから、妙案を考えています。
>ジョージに直ちにアメリカに帰ってもらい、ワシントンで国務省の役人や上院議員などにこの話をするよう進言しました。
>効果はてきめんです。
>中国人への同情が喚起されて、(中略)ハル国務長官からは会見を申し込まれるだろうし、
>(ルーズベルト)大統領とも会う事になるかもしれません。(中略)
>これはまったく私一人で考えついたことです。(中略)資金の手配はしているところです。
マギーフィルム
マギー牧師が日本軍占領期間中の中華民国の南京で、
南京事件の犠牲者・被害者を撮影したと解説する8リールの16ミリフィルム(通称「マギーフィルム」)がある
その多くは南京難民区内の鼓楼病院で撮影されたもので、字幕の説明によれば、
日本軍の暴行を受けた幼い子供や女性、中国兵や民間人の死体等が映っている。
ただし、虐殺場面とされる映像については字幕の説明のみで肝心の映像は写っていないため、
写っている死体が戦闘で死んだものなのか、虐殺されたものなのか、日本軍の手によるものなのか、
中華民国軍の敗残兵の手によるものかなどが分からず、記録映像として疑問を呈する
このフィルムは、のちにジョージ・アシュモア・フィッチらが1938年1月に上海へ持ち出して
4セットのコピーを作製し、それらのうち1セットは南京ドイツ大使館にいたナチスドイツ外交官の
ゲオルク・ローゼン博士によってドイツ外務省に送られた。
同年4月に渡米したフィッチはロサンゼルスを皮切りに全米各地で映写会を開いて
日本軍の蛮行を訴えることに使用し、渡米の主目的であるワシントンでは
国務次官のスタンレイ・ホーンベックをはじめ下院の外交委員会、戦時情報局などの要人、
新聞記者などの報道関係者にもフィルムを見せている
このフィルムは、1938年5月16日の「LIFE」誌においても紹介された。
しかし、極東国際軍事裁判に証拠として提出されることはなかった
國民新聞によれば、マギーフィルムは、大半が戦争の一場面として病院で
中国人が治療を受けている姿であり、「大虐殺」の証拠とはいえず、
ローゼン報告も日本軍が南京入城する一週間前に上海に脱出していたローゼン政務書記官がまとめたものであり、
同書記官の証言は目撃証言ではなく根拠をもたない >>482
※テロ支援(テロリストをお見送り
ジョージ・アシュモア・フィッチ(George Ashmore Fitch、1883年 - 1979年)wiki
中国・蘇州市生まれのアメリカ人宣教師。
キリスト教青年会(YMCA)南京支部長。
ハロルド・J・ティンパーリ(中国国民党国際宣伝処顧問)編集『戦争とは何か』の共著者の1人。
極東国際軍事裁判(東京裁判)には出廷せず、口述書のみを提出した。
1906年、ウースター・カレッジで文学士号を得た後、ニューヨークのユニオン神学校に入学。
1909年、中国のYMCA組織「上海青年会」で働く。
1932年(昭和7年)、上海天長節爆弾事件で、上海の日本人街の虹口公園で行われた
祝賀式典会場に爆弾を投げて爆発させた尹奉吉を、自身の運転する自動車で
会場まで送るなど中国・朝鮮における抗日・反日運動を支援した
1937年12月の南京攻略戦時、日中両軍の戦闘による被害から一般市民を保護するため設置された南京安全区国際委員会の一員であった。
1938年2月末、 南京事件(南京大虐殺)の模様を撮影したとされるフィルムを持って南京を脱出。
アメリカ各地でこのフィルムの上映を行い、南京虐殺を宣伝した。
フィッチの妻は蒋介石の妻宋美齢と親しい友人であり、
さらに中国軍は南京安全区内に高射砲陣地を設置したことに対する国際委員会の
度重なる抗議にも退去しなかったがフィッチは蒋介石側に立って
「唐生智将軍は安全地帯から軍隊と高射砲を一掃するという非常に困難な仕事に概して非常によく協力」と記している
米国の新聞報道によると、フィッチは南京攻略戦の時、蒋介石に任命された
"the War Service Corps"(the War Area Service Corps)の顧問であった。
また蒋介石の個人的な友人とされる
1940年、フィッチは重慶で蒋介石軍への福祉活動を指導しており、蒋介石・宋美齢と親しいとされる
1941年、中国工業組合(Chinese industrial cooperatives)の相談役に任命される
また、報道によれば、フィッチの妻は"Courageous China"・"United China Relief Society"という団体との関係があるとされる >>474
遅れた国のまま何の進歩もない蛮国と手を切れよ^^
他のアジアンもいたんだから英語云々どころか「何も知らせずに
最後まで残るべき奴らが真っ先に逃げた」が事実だろw
ノルマントン号事件
10月24日午後8時ごろ 横浜港から日本人乗客25名と雑貨をのせて神戸港に向かった
イギリス貨物船ノルマントン号240トンが、航行途中沖合で難破、座礁沈没。
その際、ジョン・ウイリアム・ドレーク船長以下
【イギリス人やドイツ人からなる乗組員26名は全員救命ボートで脱出】し、
漂流していたところを【沿岸漁村の人びとに救助されて手厚く保護】された
ところが【日本人乗客25名は、一人も避難できた者がおらず、船中に取り残されてことごとく溺死】した
国内世論は、ドレーク船長以下船員の日本人乗客にとった非人道的行為に沸騰した。
「船長以下20人以上の水夫も助かったのだから、1人や2人の日本人乗客とても助からないはずがない」との憤懣を記した。
海難審判により無罪
11月1日、神戸駐在在日英国領事のジェームズ・ツループは、
領事裁判権にもとづき神戸領事館内管船法衙において海難審判をおこない
11月5日、ツループは、ドレークの「船員は日本人に早くボートに乗り移るようすすめたが
日本人は英語がわからず、そのすすめに応じずに船内に籠もって出ようとしなかったのでしかたなく日本人を置いてボートに移った」
という陳述を認めて、船長以下全員に無罪判決を下した。
この判決を知って日本国民、新聞各紙、高名な法学者たちもドレーク船長の告訴をとなえ、
在野の政客は各地に演説会をひらいてイギリスの横暴と非人道を責めた。
刑事裁判罪
国内世論を黙止することができず、内海忠勝兵庫県知事に命じて
ドレーク船長らの神戸出船をおさえ、兵庫県知事名で横浜英国領事裁判所に殺人罪で告訴させた。
横浜領事裁判所判事のニコラス・ハンネンはドレークに有罪判決を下し、
【禁固刑3か月に処したが、死者への賠償金は支払われなかった】
その理由の一つとして【世論の高まりに関してイギリス公使フランシス・プランケットから日本政府への抗議】がある ジョン・ギレスピー・マギー
アメリカ合衆国の米国聖公会牧師wiki
日本軍による南京事件についての証言を東京裁判で行った。
また事件の記録映像(マギーフィルム)は中国政府が世界の記憶へ申請し、2015年登録された
マギーは米国聖公会の教会牧師だった
東京裁判でのマギー証言
マギーは極東国際軍事裁判では南京事件の証人として証言台に立ち、
日本軍による殺人、強姦、略奪事件について、被害者からの直接聴取、自ら行った被害調査などを基礎に証言を行った
(※全て【日本人が被害者の惨殺事件】を基にしたすり替え)
南京攻略戦時に福知山連隊(歩兵第20連隊)大隊長を務め
南京とその周辺の警備に当たっていた森王琢は
「検事側の証人としてマギーは二日間にわたって詳細に証言したが
ブルックという弁護士が反対質問で問いつめると二日にわたって証言したことは
全部ウソで結局窃盗と婦女暴行が各一件だけあることが判明し、法廷で笑い物になった」と述べている
田中正明はマギーが直接目撃したのが不審者の殺害、強姦、窃盗の3件だけで、
あとはすべて伝聞、噂話、憶測によると言っている(※この3件ですら便衣兵なのか日本兵なのか不明)
渡部昇一によればマギーの目撃した殺害事件とは、南京市内を警備していた日本兵が、
中国人に何者か質問をすると逃走したので射殺したというもので、
「はたして、これのどこが虐殺だろうか」という。
また渡部は「松井石根被告の弁護人ブルックス氏は、大虐殺神話のもととなった
同国人のマギー牧師を反対訊問で問いつめ、実際に日本兵により殺害されたシナ人は
たった一人しか実際に見たことがないと白状させたのである
元来が国際政治裁判だった東京裁判で、松井被告は死刑になったけれども
渡部は「この大虐殺のあらゆる噂や文献の起こりが、たった一つのところに収斂していることが証明された。
それは一人のアメリカ人牧師マギーのデマであり、さらに、
そのデマを遡って調査してみても、事実らしいものはどこにも見つからなかった。
要するに、日本人は一人の無責任な外人のデマによって、何十万人ものシナ人を集団虐殺したという烙印を押されてしまったわけである」 ●アメリカがでっちあげた南京事件
『マスメディアの罪と罰』
南京事件はアメリカが作った話だと考えてまず間違いない。
南京裁判で証言した歴史学者のマイナー・シール・ベイツや
東京裁判で証言した宣教師のジョン・マギー
同じく宣教師で口述書を残したジョージ・アシュモア・フィッチなど、関わっているのはすべてアメリカ人。
南京事件が2015年に世界記憶遺産に認可されたとき
登録された記録映像通称マギーフィルムはこのマギーが撮影したもの
ニューヨーク・タイムズの特派員ティルマン・ダーディンは、
最も早く南京事件を報道したジャーナリストのひとり、日記のかたちで当時の様子を残したという
女性宣教師ミニー・ヴォートリンは南京・金陵女子大学の教師だった。
米大手新聞のシカゴ・トリビューンとニューヨーク・タイムズは1937年の時点ですでに最初のストーリーを作っている。
この時期、アメリカは国務長官と陸海軍長官とジャーナリスト代表で
アメリカ広報委員会(CPI)を作り、中国に親米反日の機運を盛り上げていた。
アメリカの特派員もその一翼を担っていた。
そのひとりがニューヨーク・ヘラルドの特派員ウィリアム・ドナルドだった。
宋美齢とデキていたと言われている。
蒋介石が拉致監禁された1936年の西安事件のときに、西安へ宋美齢を連れて飛んだのがこのウィリアム・ドナルドだった。
事件の首謀者である張学良と楊虎城(ようこじょう)に
「お前らは引っ込んでいろ」と言って蒋介石を解放させる。
アメリカは蒋介石にカネも軍備も飛行機も与えてきた。
それで日本をやれ、日本を戦争に引きずり込めと指導してきたが、つまらぬ内輪喧嘩を始めた。
真面目にやらないともう援助しないぞと脅しをかけたのだと言われる。
蒋介石はそれで北伐をやめて対日挑発に取り掛かる。
翌1937年に入ると様々な対日テロが始まる。
7月7日に盧溝橋事件があり、7月末に通州事件があり250人の日本人居住者が殺される。
8月13日に上海攻撃が始まる。
米陸軍航空隊将校のクレア・リー・シェンノートも宋美齢と一緒に中国軍隊空軍の指揮かなんかをやっている。
ずっと繋がっているわけ、ウィリアム・ドナルドなどというのは紛れもなくニューヨーク・ヘラルドの人間だ。
一介の特派員がそんなに仕切れるわけがない
背後にいたのが先に触れたアメリカ広報委員会(CPI)で
支那にいた米国特派員はすべてこのCPIの指図で動いていたとみて差し支えない。 >>1
「ハロルド・ジョン・ティエンパレー」
1898年生まれ。オーストラリア人、第一次大戦後中国に来る。
ロイター通信の北京記者となる。
その後マンチェスター・ガーディアンとAPの北京駐在記者を兼ねる。
1937年盧溝橋事件後、国民党政府は彼を英米に向けて派遣し、
宣伝工作に当らせ、次いで国民党中央宣伝部の顧問に任命した。
編著に『中国に於ける日本人の恐怖』(1938年)一書がある
ティンパーレーの日本語訳本を出した「龍渓書舎」というのは、
実は「チャイナ・ウイークリー・レビュー」が
中国語訳本を出版するときに使われた書店名であることもわかった。
チャイナ・ウイークリー・レビューは、
そもそもが国民党の息のかかった英文紙だったのである。・・・ >>487
ここで新たにわかったことは、ティンパーレーは、
南京から送られてきた手紙を、
ただ「真実」として読者に伝えようと思ったのではなく、
「宣伝部」という国民党組織と一緒になってあの本を書いた、ということである。
中央宣伝部が総力を挙げて製作したのが、宣伝本のティンパーリ編『戦争とは何か』であった。
この本は「死亡した市民の大部分は、13日午後と夜、
つまり日本軍が侵入してきたときに射殺されたり、銃剣で突き殺されたりしたものでした」とか、
「強姦を拒んだ婦人も銃剣で突き殺されました。また、邪魔になった子供たちも突き殺されました」
といった南京の「度重なる殺人」を描いていた。
ティンパーリの書籍『WHAT WAR MEANS』は第三者的なジャーナリストによるものとして
認識され、「客観的な資料」として扱われてきた。
しかし、近年の研究でティンパーリは左翼思想の持ち主で
イギリス共産党をはじめとする当時の国際的な共産主義運動に関与していたほか
国民党中央宣伝部の下部組織である国際宣伝処英国支部(ロンドン)の「責任者」として
月額1千ドルの活動費を得て、宣伝工作活動を行っていたことが判明している 英マンチェスター・ガーディアン紙・中国特派員、H・ティンパーリー(正統史観
『曾虚白自伝』 曾虚白・元国際宣伝処処長
我々は目下の国際宣伝においては中国人は絶対に顔を出すべきではなく、
我々の抗戦の真相と政策を理解する国際友人を探して
我々の代弁者になってもらわねばならないと決定した。
ティンバーリーは理想的人選であった。
かくして我々は手始めに、金を使ってティンバーリー本人と
ティンバーリー経由でスマイスに依頼して、
日本軍の南京大虐殺の目撃記録として二冊の本を書いてもらい、印刷して発行することを決定した。
ティンパレーの『What war means: The Japanese terror in China』
の内容は、エドガー・スノー「アジアの戦争」にも派生、
様々な著作・メディアに引用され、東京裁判でも大いに重宝され
「日本軍による南京大虐殺」なるものの本家本元・元祖家元となっている。
国民党国際宣伝処の処長・曾虚白は自伝のなかで次のように書いている。
「ティンパレーは都合のよいことに、
我々が上海で抗日国際宣伝を展開していた時に上海の
『抗戦委員会』に参加していた3人の重要人物のうちの1人であった・・・
当時、極めてタイムリーに出版された日本断罪の書、
『戦争とは何か』と『南京地区における戦争被害』(「スマイス報告」)が、
実は、中立的立場の第三者の人物によって書かれたものではなく
国民党の戦時宣伝戦略のために資金援助を受けて執筆されたものであることが判明したのである。 >>489
ティンパレーは序文の中で、見聞したという日本軍の暴行記事を
ガーディアン紙に打電しようとしたが上海の日本側電報検閲員に発電を差し止められたので、
本を書くことで世界に知らせようとした、と記している。
しかし、根拠のない30万という数の記事など、非常識として差し止めるのは当然であり、
むしろ彼は承知のうえで「差し止め」させる状況をわざと作り、
「差し止め」られるとその事実を誇大に宣伝することで
自分の捏造記述に信憑性を持たせたのだった。
そして、理不尽な日本の弾圧をくぐりぬけ、
良心的ジャーナリストとして真相を発表・告発したのだと、自分と自著を持ち上げた。
昭和13年1月17日、ティンパレーのこの
「南京その他で30万を下らない民間中国人が殺戮された」
という記事を広田弘毅外相名でワシントンの日本大使館に送信、それがアメリカ側に傍受され解読されていた。
これをもって、当時の日本の軍中央や政府の指導者が
南京大虐殺を知っていた証拠だと嬉々として述べる人がいる。
しかしこれは「こんな与太記事を流す記者がいる」と伝達しただけのもので、
南京の暴虐を事実としたものではない 『済南事件』
北伐軍(蒋介石軍)が山東省済南市に入城し、日本人居留民に乱暴狼藉を働いた事件。
邦人経営商店での略奪行為をきっかけに日本軍と衝突。
日本の被害は、戦死9名、負傷32名、居留民の惨殺14名、
暴行侮辱30名余、奪被害戸数136戸、被害人員約400名。
済南事件で中国兵が日本人居留民に加えた残虐行為は、
まさに「中国式」で想像を絶する残虐さだった。
事件直後に惨殺死体を発見した南京駐在武官・佐々木到一中佐はその手記に次のように記した。
「予は病院において偶然その死体の験案を実見したのであるが、
酸鼻の極だった。手足を縛し、手斧様のもので頭部・面部に斬撃を加へ、
あるいは滅多切りとなし、婦女は全て陰部に棒が挿入されてある。
ある者は焼かれて半ば骸骨となっていた。
焼け残りの白足袋で日本婦人たることがわかったような始末である。
わが軍の激昂はその極に達した」
済南の日本人惨殺状況に関する次の外務省公電がこれを立証している。
「腹部内臓全部露出せるもの、女の陰部に割木を挿込みたるもの、
顔面上部を切落したるもの、
右耳を切落され左頬より右後頭部に貫通突傷あり、
全身腐乱し居れる者一、陰茎を切落したるもの二、」とある。
日清戦争の時も捕虜となった日本軍兵士達は両手両足を切断していく拷問
(中国ではこれを凌遅処斬とかいうらしい)をうけていたが
上の記録からも中国人の殺人の手口の凄まじいほどの残忍さが分かる。 【通州事件の惨劇 日本人皆殺しの地獄】
1937年(昭和12年)7月29日。
73年前、北京の西の通州において、
数百人の日本人居留民が虐殺されました。
通州の日本人居留民は、
日本軍守備隊の留守をねらった支那の保安隊、学生により、
世界の残虐史上類例を見ないほどの残虐行為を受け、虐殺されました。
さらに支那人達は、殺した日本人に対して一片の同情も哀れみの心もなく、
その屍体までもいたぶっているのです。
かけつけた日本軍がそこで見たものは、言語に絶する惨状であったそうです。
支那人は南京で日本軍が大虐殺を行い、
妊婦の腹を裂き、胎児を銃剣で突き殺すなど、
悪逆非道の限りをつくしたとデッチあげて日本を非難していますが、
通州事件を見ますと、日本軍が行った行為と言っているのは、
つまり、支那人自身が行ったことに他ならないことが解ります。
通州事件は、殆どの日本人から忘れ去られようとしていますが、
日本人居留民の無情な殺され方を、
そして支那人の持つ残虐性を私達日本人は決して忘れてはいけません。 警察→当時一般人は入らないように規制していた
消防→消化活動で撮影していなかった 小田急の片瀬江ノ島駅とあんまり変わらん
所詮はレプリカ レプリカではない貴重な品も置いてあるんだから
そのうち正規のルートから
きちんとした記録が出てくるもんだとばかり思っていたが
これまでの話を聞く限りそんな管理水準ではなかったようだね >ジョージ・フィッチが持参したマギー(南京安全区国際委員会委員ジョン・マギー)の
>すばらしいフィルムを一見してから、妙案を考えています。
>ジョージに直ちにアメリカに帰ってもらい、ワシントンで国務省の役人や上院議員などにこの話をするよう進言しました。
>効果はてきめんです。
>中国人への同情が喚起されて、(中略)ハル国務長官からは会見を申し込まれるだろうし、
>(ルーズベルト)大統領とも会う事になるかもしれません。(中略)
>これはまったく私一人で考えついたことです。(中略)資金の手配はしているところです
マギーフィルム
マギー牧師が日本軍占領期間中の中華民国の南京で、
南京事件の犠牲者・被害者を撮影したと解説する8リールの16ミリフィルム(通称「マギーフィルム」)がある
その多くは南京難民区内の鼓楼病院で撮影されたもので、字幕の説明によれば、
日本軍の暴行を受けた幼い子供や女性、中国兵や民間人の死体等が映っている。
ただし、虐殺場面とされる映像については字幕の説明のみで肝心の映像は写っていないため、
写っている死体が戦闘で死んだものなのか、虐殺されたものなのか、日本軍の手によるものなのか、
中華民国軍の敗残兵の手によるものかなどが分からず、記録映像として疑問を呈する
このフィルムは、のちにジョージ・アシュモア・フィッチらが1938年1月に上海へ持ち出して
4セットのコピーを作製し、それらのうち1セットは南京ドイツ大使館にいたナチスドイツ外交官の
ゲオルク・ローゼン博士によってドイツ外務省に送られた。
同年4月に渡米したフィッチはロサンゼルスを皮切りに全米各地で映写会を開いて
日本軍の蛮行を訴えることに使用し、渡米の主目的であるワシントンでは
国務次官のスタンレイ・ホーンベックをはじめ下院の外交委員会、戦時情報局などの要人、
新聞記者などの報道関係者にもフィルムを見せている
このフィルムは、1938年5月16日の「LIFE」誌においても紹介された。
しかし、極東国際軍事裁判に証拠として提出されることはなかった
國民新聞によれば、マギーフィルムは、大半が戦争の一場面として病院で
中国人が治療を受けている姿であり、「大虐殺」の証拠とはいえず、
ローゼン報告も日本軍が南京入城する一週間前に上海に脱出していたローゼン政務書記官がまとめたものであり、
同書記官の証言は目撃証言ではなく根拠をもたない ジョージ・アシュモア・フィッチ(George Ashmore Fitch、1883年 - 1979年)wiki
中国・蘇州市生まれのアメリカ人宣教師。
キリスト教青年会(YMCA)南京支部長。
ハロルド・J・ティンパーリ(中国国民党国際宣伝処顧問)編集『戦争とは何か』の共著者の1人
極東国際軍事裁判(東京裁判)には出廷せず、口述書のみを提出した。
1906年、ウースター・カレッジで文学士号を得た後、ニューヨークのユニオン神学校に入学
1909年、中国のYMCA組織「上海青年会」で働く。
1932年(昭和7年)、上海天長節爆弾事件で、上海の日本人街の虹口公園で行われた
祝賀式典会場に爆弾を投げて爆発させた尹奉吉を、自身の運転する自動車で
会場まで送るなど中国・朝鮮における抗日・反日運動を支援した
1937年12月の南京攻略戦時、日中両軍の戦闘による被害から一般市民を保護するため設置された南京安全区国際委員会の一員であった。
1938年2月末、 南京事件(南京大虐殺)の模様を撮影したとされるフィルムを持って南京を脱出。
アメリカ各地でこのフィルムの上映を行い、南京虐殺を宣伝した。
フィッチの妻は蒋介石の妻宋美齢と親しい友人であり、
さらに中国軍は南京安全区内に高射砲陣地を設置したことに対する国際委員会の
度重なる抗議にも退去しなかったがフィッチは蒋介石側に立って
「唐生智将軍は安全地帯から軍隊と高射砲を一掃するという非常に困難な仕事に概して非常によく協力」と記している
米国の新聞報道によると、フィッチは南京攻略戦の時、蒋介石に任命された
"the War Service Corps"(the War Area Service Corps)の顧問であった。
また蒋介石の個人的な友人とされる
1940年、フィッチは重慶で蒋介石軍への福祉活動を指導しており、蒋介石・宋美齢と親しいとされる
1941年、中国工業組合(Chinese industrial cooperatives)の相談役に任命される
また、報道によれば、フィッチの妻は"Courageous China"・"United China Relief Society"という団体との関係があるとされる そんな画像よりムサコのウンコタワマンの住人会議ホワイトボードの写真は誰が撮ってSNSにあげたのか、の方が知りたい 消防か街の消防団
まあ関係者だな
動画撮ってたのバレるの嫌だから、誰かが嘘ついてるだけ
しかも、周りの消防が隠匿してるし悪質
早くゲロったほうが身のため 別にええやん
消防士が撮って何が問題なんよ
火事の様子が一般人にもよくわかっていい きっと本当は特定されてるけど明かせないんだろ
報道ぱたりと止んだし >>516
少なくともカメラ構えてる間はしてないやんけバカか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています