大嘗祭。秋篠宮は正しかった
今回公開される映像の注目点
天皇に寄り添って大嘗宮に入るのは剣と勾玉の二種の神器だけでしょう。
↓鏡はみこしににた御羽車で移動することになっている
https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/static.amanaimages.com/imgroom/cen3tzG4fTr7Gtw1PoeRer/23007/23007004510.jpg
江戸遷都の時、京都御所から江戸城まで人が担いで歩いて運ぶのが大変だったと記録に
http://www.shikoku-np.co.jp/national/life_topic/20080325000144
現在でも、大工左官が昇殿するときも必ず御羽車で移動

なぜ、鏡は大嘗宮に入室しないのか。穢れた宗教儀式なので、鏡が穢れるという見方?
大嘗祭は聖なるものと穢れたものの両面性がある宗教儀式でしょう
天皇皇后は穢れを洗い流すため2回お風呂に。

宮内庁は平成2年に大嘗祭にまつわる通説を否定しました。
神宮関係者、宮内庁系の学者なども組織的に通説を否定しました。
大嘗祭は五穀豊穣を祈る儀礼にすぎないと。
うわさの類には何もコメントしない宮内庁が否定したことで、うわさを確信した人もいるでしょう。
通説で使われる●という漢字の意味について漢字学者は権威を失うのを恐れて完黙でしょう。
漢字の本家中国の学者ならおぞましい意味があることを指摘するかもしれません
江戸時代は天皇家の内輪の儀式で、将軍が上洛した記録はありません。京都所司代か幕府の高家の大名が参列したかもしれません。
明治天皇まで、穢れた大嘗宮はすぐに焼きすてました
明治天皇までは焼き捨てるのが前提なので、大嘗宮は風吹けば飛ぶようなバラック小屋作り。
平成2年の大嘗祭では解体したあと、更地で燃やすイメージ的な焚火ですませました。
参列する欧米外交官に国威を見せつけたかったのでしょう、薩長新政府によって大正天皇の時に大嘗宮は巨大化した。りっぱな建物になった。歴史は新しい
似て非なる大嘗祭になってしまいました。大正天皇以降はおごそかな雰囲気は消え去りました。元のバラック神殿のほうが神威にかなっている
大正天皇の時代にかなり英国王室を意識した生活様式に。正座からイスに。朝食にはオートミール