【皇室】「大嘗宮の儀」始まる
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天皇陛下の即位に伴う「大嘗祭(だいじょうさい)」の中心的な儀式「大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀」が午後6時半すぎ、天皇陛下が皇居に設営された「大嘗宮」の「悠紀殿(ゆきでん)」に入られて始まりました。
天皇陛下は、午後6時半前、皇居・東御苑に設営された「大嘗宮」の奥にある「廻立殿(かいりゅうでん)」を出て、廊下に姿を見せられました。
暗闇の中、廊下は、「脂燭(ししょく)」という先端に火をともした明かりによって照らされ、天皇陛下は、最も格式の高い「御祭服(ごさいふく)」という白い装束に身を包んで、ゆっくりと歩みを進められました。
この際、天皇陛下の前を、皇位のあかしとして歴代天皇に伝わる「三種の神器(じんぎ)」のうちの剣(つるぎ)と曲玉(まがたま)を携えた侍従が進み、天皇陛下の上には「御菅蓋(おかんがい)」と呼ばれるかさがかざされました。
天皇陛下のあとには、皇位継承順位1位の「皇嗣(こうし)」の秋篠宮さまも続かれました。
そして、午後6時半すぎ、天皇陛下が「悠紀殿」に入られて、「大嘗宮の儀」の前半にあたる「悠紀殿供饌(きょうせん)の儀」が始まりました。
一方、皇后さまは、純白の十二単に身を包み「おすべらかし」と呼ばれる髪型で、天皇陛下のあと「廻立殿」を出て、ゆっくりと廊下を進まれ、女性の皇族方も続かれました。
そして皇后さまは、「悠紀殿」の脇にある「帳殿(ちょうでん)」に入られました。
このあと、天皇陛下が「悠紀殿」の中で新しく収穫された米などを天照大神とすべての神々に供えたうえでみずからも食べ、国と国民の安寧や五穀豊穣などを祈られます。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191114/K10012177611_1911141844_1911141846_01_02.jpg
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191114/K10012177611_1911141841_1911141846_01_03.jpg
2019年11月14日 18時46分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191114/k10012177611000.html?utm_int=news_contents_news-main_001 ※2019新語・流行語大賞、あなたが選ぶなら?
https://news.yahoo.co.jp/polls/life/40024/result
☆コレ「上級国民」がふつう断トツの1位でしょうよ〜。
なのに飯塚擁護する闇の力が働いて初め3位だったんだよ。
それが鬼畜爺を許せぬ人達が猛烈に追い上げ始めて約6500差で現在2位。
人でなしのサイコパス老人【プリウス飯塚】に対して怒ってる皆さん
どうか『上級国民』に投票ヨロシク頼みます!!! 案の定 無駄じゃという左の新聞
かやぶき屋根の技術 受け継がれた方いいと思うけど >>268
オンボロってw
20億以上かけて何度も改修てる東宮御所が? 皇室報道で儲けてるメディアから金集めたらいいのでは? 大嘗宮設営に19億円だそうだけど全部の建物合わせても5,000万円ぐらいしか
かかってないように見えるな。残り18億円は誰の懐に入ったんだろう >>163
David.J.Dionisiの著作が真実に近いと思う お前らみたいな貧農の子孫はちゃんと土下座してただろうな 台風の被害で多くの人が苦しんでると言うのに…
血税を28億円も使い何やってんだか 『日本のダイアナ:神話も伝説もない雅子皇后の物語』という記事がマリクレールのロシア版にありました。 google翻訳等で訳して読んで下さい。
http://www.marieclaire.ru/psychology/yaponskaya-diana-istoriya-printsessyi-masako-bez-mifov-i-legend/
「悲しみのプリンセス・菊の玉座の囚人」と欧米ジャーナリストが同情してきた雅子だが、それは本当か?雅子についての4つの神話の正体を暴こう…という辛口記事です。
[第一の神話]徳仁皇太子と結婚して、雅子は目もくらむようなキャリアを断念した。
[現実]雅子は日本の外交部門の普通の労働者で、特別な功績はなかった。 ※父のコネで外務省に入ったことなど書かれている。
[第二の神話]おとぎ話のような偶然が徳仁親王と雅子を出会わせた。
[現実]雅子は他の候補と同様に厳しい選択を経た、そして皇室は彼女を受け入れる万全の準備ができていた。
※雅子自身も結婚について検討したはずで、王子様が一方的に選んだシンデレラではないという意味。
欧米ジャーナリストの「進歩的なシンデレラが旧弊な皇室に潰された」説への反論で、雅子自身が妃候補に名乗り出たこと、皇室は現代的価値観を持っているので現代的な雅子を迎える素地があったことなど書かれている。
[第三の神話]自由を愛する雅子は菊の玉座の人質になった。
[現実]雅子は特権を期待していたが皇室の義務を果たしたくなかった。 ※高価なリゾートやレストランに行くと適応障害はどういうわけか奇跡的に弱まった、とある。
[第四の神話]雅子はその非の打ちどころのないスタイルのセンスとマナーのため「日本のダイアナ妃」という非公式の称号を受けた。
[現実]雅子はすぐに日本の美しさのお手本であることをやめた。 ※体重が増えてネット民から「ロイヤルブタ」の称号を獲得した、とある。 >>418
ネットでロイヤルブタ呼ばわりはない(そもそもご成婚1993年、ネット普及はWin95発売以降)
ご成婚直後からむくむく太りだして週刊誌に「ご懐妊か!?」って書かれてた程度 >>419
823 :本当にあった怖い名無し:2008/02/04(月) 11:38:00 ID:+dVBToZH0
ロイヤルミート妃と皇位継承順位を持たない内親王のために
祭祀をせずともよい世論を創りたがってる奴がまざってるのな。
晩年、先帝が祭祀の最中にしばしば倒れても祭祀をやめようとは
しなかったエピソードなど知らないか、そうかそうか。 >>419
元々は2008年2月ごろ海外マスコミがRoyal appetite と報じたのがネタ化したものだよ。
dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%A4%A7%E9%A3%9F%E3%81%84%E9%9B%85%E5%AD%90%E3%81%95%E3%81%BE
>雅子夫人についてはこれまで、働かないことから「ロイヤルニート」やら、肉好みや背脂つき体型から「ロイヤルミート」「ロイヤルポーク」といった呼ばれ方が2ちゃんねるニュース速報+板を中心にされていたのだが、
>「Royal appetite=ロイヤル食欲」が本物の記事タイトルになっており、住民の爆笑を産んでいる。その食欲旺盛さがワールドワイドに知られることになろうとは、さすが「大食い雅子さま」である。 >>419
47 :名無しさん@九周年 2009/01/27(火) 22:23:00
>>44
しかも、一時期雅子はロイヤルポークとも呼ばれていたが
ロイヤルポークという豚肉の会社が実在するため
その会社に失礼という理由でロイヤルニートに戻ったといういきさつもあるw >>419
883 :名無しさん@八周年 2008/03/04(火) 21:34:51
皇居にも学習院の父母会にも行けないのに、スペインは行けるんだw
イベリコ豚vsロイヤルポーク >>422
2008年って、ご成婚15年経ってからだから「すぐに」ではない
2008年なら適応障害で引きこもってからの話だよ
皇室に入って第一子ご出産まではほとんど叩かれてないし、せいぜい腫れ物扱い
世間のほとんどが「不妊に悩む御可哀想なお妃様」って認識だった >>425
「雅子はすぐに日本の美のモデルでなくなった」は小見出しで、ロイヤルポークは本文中に書いてあるんだよ。
結婚後すぐにネット界であだ名が付けられたとは書いていない。
とりあえず>>418のリンク先を読んでみなよ。 >>425
世間というのがリアル社会で顔を突き合わせた人間関係なら、そりゃ悪口みたいなことを言うのは憚られるだろうよ。
しかしネット民は雅子さんのニューススレが立つとロイヤルポーク呼ばわりしていたのは事実。
ロシアの記者はよくチェックしているw
59 :名無しさん@八周年 2008/03/04(火) 12:45:29
>>44
げっ、あのロイヤルニートポークA型かよ…
ニートポークは俺もB型
だと思ってた >>427
だからそれは2008年以降の話だよね?
それ以降のネット上での書かれっぷりまで否定する気はないよ
【ご成婚から新婚の激太り期、産後数年は】雅子様への批判的な言葉って
ネットも含めた世間にはほとんど無かったのでは、と言っている
批判が出てきたのは皇太子殿下(当時)の人格否定発言以降のはず >>428
>>418のリンク先記事は新婚当時に限定して書いているわけではないよ。
結婚から最近までを振り返って書いているんだから、最近の批判も書いてあるんだよ。
あと世間の批判というのが何を指すのかは漠然としているけど、結婚早々公務の壇上で居眠りするようでは呆れる人もいたのではないかな。
http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1228642350038.jpg >>429
了解、自分の書き方が悪かったようだ
彼女は「すぐに日本の美しさのお手本であることをやめた」けれど
すぐに豚呼ばわりされたわけではないよ、と言いたかった
世継ぎを期待されている新婚さんが居眠りしてたら、ほほえましく思う人も当時は多そうだ ■大正天皇の御大礼とザリガニ騒動 天皇の料理番秋山徳蔵 大正天皇の御大礼での饗宴「大饗」
秋山が宮内省大膳寮に採用され、フランスに未練を残しながらも帰国したのも、正に大正天皇の御大礼での饗宴「大饗」の料理の総指揮のためであった。
御大礼での料理のような一世一代の大仕事となると、ついあれもこれもと考えてしまい、メニューの全体像も、逆にこれと言ってとらえどころの無いものになってしまったという。
そこで、思い浮かぶメニューを次から次へと削ぎ落としていくと、どうしても落としきれないものが残るという。そうやって残ったものこそが本物であると秋山は語る。
秋山は、メニューを完成させるのに「まる一月かかった」という。
今回の饗宴の人数は2000人であった。問題は、2000人分の材料を、傷んでも困るので早く買い過ぎず、尚且つ絶対に間に合うように買い揃える事、そして、品質が均等である事であった。
秋山は、メニュー作成で苦心している時に、「捨ててみても、落としてみても、頭に沁みついて離れない料理が残ってくる」との事で、その一つが、「クレーム・デクルヴィッス(ザリガニのクリーム仕立てのポタージュ)」だったという。
欧州では食材として親しまれていたザリガニであったが、現在日本国内にも広く棲息するアメリカザリガニとも違い、ヨーロッパザリガニと呼ばれるこの品種は日本には生息していなかった。
だが、日本でも北海道に食用に適したザリガニであるニホンザリガニが棲息している事を秋山が知っていた事も、ザリガニ料理を御大典の饗宴のメニューに加えた理由の一つであった。
秋山は、2000人分のザリガニとなると、予備も含めて3000匹は必要になると見積もった。
たまたま旭川の「師団長」が大饗の監督責任官すなわち秋山の上司である大膳頭福羽逸人の知人であったため、その協力を得て師団の兵士らを動員して、必要数のザリガニを確保する事が出来た。
1915年(大正4年)8月、日光御用邸にて大正天皇が避暑中で、秋山らも供奉で御用邸に滞在していた。捕獲したザリガニ4000匹は日光に送られ、御用邸付近の大谷川に生簀を作って入れておいた。さらにそれらのうち半分の2000匹が、同年10月初頭に京都に運ばれた。
御大典の饗宴は京都の二条離宮にて行われる事になっており、そこにバラックながら立派な厨房が新設された。北海道で捕獲し、日光経由で運び込んだザリガニも、その中の生簀で、四方を金網で厳重に囲い、水道水を出しっ放しの状態にして保管した。
(続く) (続き)
しかし、式典が近付いたある朝、厨房員がザリガニが消えたと報告する厨房員の声に秋山は起こされた。厨房の生簀を確認すると、確かにザリガニは一匹残らず消えていて、秋山らは色を失った。
そもそも厨房には厳重に鍵がかけられており、部外者は完全立入り禁止にしており、隣室には大勢の大膳寮職員が泊まり込んでいるので、盗まれる筈が無かった。
今さら代わりのザリガニを確保出来る訳も無く、しかも饗宴の献立表はすでに印刷が終わっており、メニューを変更したところで、献立表の刷り直しはもう間に合いそうも無い。
急報で秋山の上司大膳頭福羽逸人も旅館から駆け付けて来た。秋山としても「腹切りもの」だが、「大膳頭とても重大な責任問題」は免れない事であった。
不可解な事件だけに、皇宮警察官も来て取り調べを開始したが、依然として五里霧中であった。
3時間ほど経ってから、秋山の部下の一人が突然素っ頓狂な声を挙げ、ザリガニ発見を秋山に知らせた。見ると、厨房の壁際にずらりと並べてあった荷物の物陰に、5、6匹ほどザリガニが固まっていた。
その部下がたまたま荷物を一個持ち上げたら、発見したという。そこで秋山は直ちに厨房内の全ての荷物を持ち上げて確認する事を指示した。
すると「いるわ、いるわ、あっちに十匹、こっちに二十匹」と、たちまちほぼ全てのザリガニを捕獲し、不足は僅か5、6匹ほどであったという。
安堵と放心で、秋山はその場に「ヘタヘタと坐り込んでしまいそうになった」という。
厨房の隣室に寝ていた厨房員が、出しっ放しの水道の音がうるさくて眠れないために、蛇口にふきんを垂らした。
すると、光を極端に嫌うザリガニ2000匹全てが、垂れて来たふきんを伝って生簀の外に逃げてしまったのが、理由であった。(厨房は、一晩中電燈を点けておく事になっていた。)
一方、日光に残ったザリガニは放育された。 皇后陛下の悪口はチョンの仕業だろ
チョンの星である紀子は永久に皇后にはなれないよ 終わったと思ったらまた饗宴やっててワロタ
何回饗宴やってんだよ 韓国の議長、えらいこと言っちゃったんだなあと改めて思った。 >>415
たった28億かよ
オリンピックのマラソンのためだけに道路改修に300億
しかも札幌に変わり馬鹿じゃねーの 300億だよ
日本の象徴の天皇の最重要の儀式にたった28億えん たった28億円に文句を言う
朝鮮人 高円宮と三笠宮は廃止でいいよビッチ長女とネイルギトギトのゴルフ三昧宮妃の高円宮家と母親とバトルしてる長女とニート次女の三笠宮家なんか
居なければ公務も自然に減るし 感情だのお出ましだの有り難くもないくだらない 今上陛下には一人の親王も誕生しなかったんだよなあ…
何だかなあ… >>447雅子さんが悪びれもせず上機嫌なのが気味悪いな 二度とご免と言ってたらしいが体外受精ってそんなキツいもんなのか ぶくぶく太りやがってだらしねぇ面だな おい?w
だんなの方は逆にましになってきたな 若い時はチョンみたいな面だったがw
俺も30こえてから何故か目が二重になった
>>448
体外受精は女性の方がキツイと思うが
2度とごめんと思うなら
紀子妃にお任せしたら良かったのになあ
紀子妃の方だって12年も待って
39歳で親王を産む大役を任せられて大変だったんじゃないのか >>450紀子さん胎盤なんとかってリスク出産で危なかったんだっけ いつまでだらだらやってんだよ。まだやってたのか?あまりに暇過ぎて時間止まってんじゃねーか? >>196
どうでもいいってことはないな。
征夷大将軍に任命してくれるのは天皇だからな。
誰でも「権威」が欲しいが、権威は誰かに頼るしかない。
武力で権力を得ても、人がついてくるとは限らない。
他を圧倒する武力がなければいつでもクーデター起こされる。 大嘗祭。秋篠宮の身の丈発言はまっとうな考え
今回公開される映像の注目点
天皇に寄り添って大嘗宮に入るのは剣と勾玉の二種の神器だけでしょう。
↓鏡はみこしににた御羽車で移動することになっている
https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/static.amanaimages.com/imgroom/cen3tzG4fTr7Gtw1PoeRer/23007/23007004510.jpg
江戸遷都の時、京都御所から江戸城まで人が担いで歩いて運ぶのが大変だったと記録に
現在でも、大工左官が昇殿するときも必ず御羽車で移動
http://www.shikoku-np.co.jp/national/life_topic/20080325000144
宮中賢所は天皇皇后。皇嗣殿下夫妻、掌典職、内掌典職しか昇殿できない
掌典職、内掌典職は天皇家の使用人なので公権力はない。内尚典が毎日賢所で神事をする
なぜ、鏡は大嘗宮に入室しないのか。天照は関わらない儀式。
穢れた宗教儀式なので、鏡が穢れるという見方?
大嘗祭は聖なるものと穢れたものの両面性がある宗教儀式でしょう
天皇皇后は穢れを洗い流すため二度の沐浴。
平成2年、現憲法下での初の大嘗祭に危機感をもった宮内庁は、
大嘗祭にまつわる通説(昭和5年の折口説等)を否定するため、組織的な動員をした?
いきどおる隠居の古参神宮関係者たち「性行為だの遺体だのと風説に何も言わない若いもんにまかしておけん」
宮内庁系の学者なども連携して通説を否定。
大嘗祭は五穀豊穣を感謝する収穫儀礼祭にすぎないと。
うわさの類には何もコメントしない宮内庁が否定したことで、うわさを確信した人もいるでしょう。
通説で使われる●という漢字の意味について漢字学者は権威を失うのを恐れて完黙でしょう。
漢字の本家中国の学者ならおぞましい意味があることを指摘するかもしれません。
江戸時代は天皇家の内輪の儀式で参列者なし。将軍が上洛した記録もありません。
明治天皇まで、大嘗宮は穢れたものなので大嘗祭終了後その日のうちに焼きすてました
明治天皇までは焼き捨てるのが前提なので、大嘗宮は風吹けば飛ぶような草と木のバラック小屋作り。
平成2年の大嘗祭では解体したあと、更地で燃やすイメージ的な焚火ですませました。
参列する欧米外交官に国威を見せつけたかったのでしょう、薩長新政府によって大正天皇の時に大嘗宮は巨大化した。りっぱな建物になった。歴史は新しい
似て非なる大嘗祭になってしまいました。大正天皇以降は神秘的な雰囲気は消えました。
かなりの時間をかける儀式でただ座って待つだけで、参列者もだらけてしまう。
いねむり、おしゃべり、トイレへ。元のバラック神殿のほうが神威にかなっている
大正天皇の時代にかなり英国王室を意識した生活様式に。正座からイスに。朝食にはオートミール ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています