住民側の議論を正当化するやり方はいくつかあって
(1)位置指定道路だから誰でも自由に通れる
→原則として、位置指定道路であることから住民の通行権は導かれないという判例は確立済み
(2)長年の慣行から、通行地役権の時効取得が行われている
→道路の開設を行うなど、時効取得の条件はかなり厳しい
という感じになっている。
実際に住民側弁護士が主張しているのは
(3)通行地役権に関する黙示の合意があった
(4)道路を通行することが生活上必要不可欠であり、通行に関する人格権が存在する
というものであるようだ。
(3)に関しては、ひとまずまともな証拠が出てこないと話をしようがないだろう。
(4)については、一端公道に出られた時点で、そんなものあるのかね、とは思う。
少なくとも無償は難しいだろう。
「私道を通らないと公道に出られない」という多くのケースにおいてさえ、現実には通行料の支払いが行われているわけで、
人格権を認めたとしても、なんでこいつらだけ「無償」で通さなきゃいけないのかさっぱりわからない。
仮に無償で通行する人格権が認められるとするならば、今後通行料という概念が根本的に変化することとなるだろう。